「境界」 紛争と土地家屋調査士の責任

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「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
田中, 克志
静岡大学法政研究. 13(1), p. 150-137
2008-10-31
http://doi.org/10.14945/00003587
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「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
資 料
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
田 中 克 志
問題の設定
なわち、所有権界とは隣…接した土地所有
権相互の接触線であり、所有権の限界線
周知のように、「境界」には、筆界と
所有権界との二種類がある。
である。
こうした筆界と所有権界とを区別する
「筆界」とは地番と地番の境である。
不動産登記法は、この「筆界」を、表題
「境界」は、これが争いがあり、または
不明な点があるとき、前者の場合には、
登記がある一筆の土地とこれに隣接する
裁判所にその確定を求める境界確定の訴
他の土地との間において、当該一筆の土
えか、筆界登記官による境界特定の手続
地が登記された時にその境を構成するも
のとされた二以上の点及びこれらを結ぶ
直線、と定義する(法123条1号)。この
境界線の上には、土地の所有者が隣地の
所有者と共同の費用で境界標を設けるこ
とができる(民223条)。この「筆界」は、
公法上の境界といわれるように、国(登
記官)がこれを認定(認証)するが、主
たる場合は、分筆登記や地積更正登記の
登記申請があったときである。いずれに
しても、「筆界」は、隣地所有者の間で
自由に決めることができない。これに対
して、隣地所有者の間で自由に決めるこ
とができるのが「所有権界」である。す
によって決しなければならないが、後者
にあっては、所有権確認の訴え、または
筆界紛争に係る民間紛争解決手続による
こととなる。
いうまでもなく土地家屋調査士の業務
は、「境界」に大きな関わりを持ってい
る。「筆界」認定の契機となる分筆登記
や地積更正登記等の表示の登記に係る申
請手続の代理、その前提となる調査また
は測量、さらには、境界紛争に係る筆界
特定手続や民間紛争解決手続における代
理などがこれである。
そこで、本稿では、「境界」と土地家
屋調査士に関する若干の問題を、改めて
1(150)一
法政研究13巻1号(2008年)
検討することを目的とするが、具体的な
問題は、境界紛争に関わって隣接地所有
検討事項を東京地裁昭和62.5.13判決(判
者で交わされる「境界合意書」である。
時1274号101頁)の事案から提示してお
第2は、地積測量図を作成した土地家
きたい。
屋調査士の抵当権者(第三者)に対する
この東京地裁判決は、土地家屋調査士
不法行為責任である。
が作成した地積測量図、実地調査書及び
そこで、以下、llにおいて、「境界確
隣接土地の所有者作成名義の承諾書(印
認書」は、「筆界」認定に、いかなる意
鑑証明書添付)などを添付してなされた
味をもつのか、皿において、「境界合意
錯誤を原因とする地積更正登記の申請に
書」は、「筆界」認定に、いかなる意味
基づき、山林について実地調査を行わず
をもつのか、そして、IVにおいて、土地
に従来の地積を約200倍、約60倍に更正
家屋調査士は、業務上の過誤に関わって、
する更正登記をした登記官の措置につい
第三者に対して、いかなる民事責任を負
て、当該山林に根抵当権の設定を受けた
うか、を論じ、むすびとする。
者が、登記簿上の地積と実際の地積との
ll 「境界確認書」は、「筆界」認定に、
間に大幅な差異が生じており、隣接地と
の境界も不明であるため、土地の価格が
いかなる意味をもつのか
評価できず、かつ土地の価格が競売手続
費用をまかなうにも不足することが判明
1 境界確認書を添付させることの意
したため、その過失を理由に国家賠償法
味・意義
に基づく損害賠償を求めたものである。
(1)境界確認書の法的意味・意義
争点となったのは更生登記の申請に対
「境界確認書」とは、分筆や地積更正な
する登記官の審査についての過失の有無
どにさいしての隣接地所有者の境界に異
であったが、土地家屋調査士の業務との
議がない旨の証明であり、いわゆる承諾
関係で検討すべきは、 第1は、土地家
書、境界確認書、同意書をいう。分筆申請
屋調査士が作成した隣接地所有者作成名
における立会証明もこれに含まれる(1>。
義の承諾書、すなわち「境界確認書」で
この「境界確認書」は、登記申請手続
ある。「境界確認書」とは、分筆や地積
では法定の添付書面ではないが(2)、登
更正などにさいしての隣接地所有者の境
記実務では土地家屋調査士などの作成す
界に異議がない旨の証明であるが、筆界
る現地調査書に境界確認書の添付があれ
認定が登記官の専権事項であれば、境界
ば、原則として、実地調査を省略するこ
確認書は、筆界認定にいかなる法的意味
とが許される。「境界確認書」の添付が
をもつのか、である。検討すべき類似の
なければ、登記官が現地に赴き、関係人
2(149)一
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
の立会の下に境界を確認し、当該申請の
される(不登25⑪)⑤。そうなると、当
当否を判断することとされている。
事者は、筆界特定の手続か、境界確定の
そこで、登記官の専権事項である筆界
訴えを提起せざるを得ない。
認定において、しかも、印鑑証明書を添付
(b)隣接地侵害がないことの担保
した私人の「境界確認書」を添付させる実
第2は、隣接地を取り込んでの分筆・
質的な意味は、ある実務家によれば、①筆
地積更正等ではないことの一応の担保と
界認定の証拠資料、②隣…接地侵害がない
なることである。とはいえ、これは、隣
ことの担保、そして③紛争がないことの
接地の当事者の間に、所有権界について
証明といったことが指摘されている(3)。
の「合意」や「和解」が成立したものと
(a)筆界認定の証拠資料
解されるものではないという(6)。それで
第1に、「境界確認書」の存在が筆界で
は、分筆登記申請にあって、後日、真の
あることの可能性が高いとの推定がなさ
所有権界が別の所があることが判明した
れることであり、当該申請が正しいとの
場合、当事者は、これが錯誤による無効
登記官が判断する第1級の証拠資料であ
(民95)を主張できることになりそうで
る。しかし、隣接地所有名義人との共謀に
ある。
よる日の丸分筆・額縁分筆等などの不正
もっとも、その真の境界線から境界確
申請があるので注意を要するという(4)。
認書に記載された境界線に挟まれた部分
したがって、隣接地所有者全員の承諾書
は、これを他方の当事者が占有してきた
が添付されていたが、登記官が額縁分筆
ことから、占有継続による時効取得が問
を疑い実地調査を実施することもある。
題となる。これに関しては、「2 境界
申請当事者、または申請手続を委託さ
紛争と時効取得」において論じる。
れた土地家屋調査士にとってみれば、隣
そこで、「境界確認書」に署名・捺印
接地所有者から境界確認書をとることが
することは、申請人主張の位置に筆界の
できない場合の対応が問題となるが、こ
みならず所有権界もあることを事実上認
れの添付がなくても申請が却下されるこ
めることになる。
とはない。登記官が実施調査を実施する
(c)紛争がないことの証明
ことになる。
既述したように、登記実務の取り扱い
このさい、隣接地所有者が立会拒否等
では、当事者に紛争があると登記官は筆
をする可能性が高いが、とくに合理的な
界認定の権限を行使できないとされてい
根拠をあげながら申請主張の筆界点を争
ることから、「境界確認書」の添付は、
っている場合には、筆界を特定できない
重要な意味をもつ。
として、登記官は、申請を却下すべきと
3(148)一
法政研究13巻1号(2008年)
(2)境界確認書の作成者
もちろん、「境界合意書」による境界
そこで、「境界確認書」が分筆や地積
と筆界が一致している場合には紛争が生
更正等にさいして境界に異議がない旨の
じることはないが、そうでない場合に、
証明であることから。その作成者は、隣
この「境界合意書」が、後日、意思無能
接地の所有(名義)者であることはいう
力を理由に、「境界合意書」の無効、す
までもない。問題は、これに限られるか、
なわち効力が否定される可能性がある。
である。
「境界合意者」のみによって登記官が筆
(a)隣接地の所有者
界の認定をしているわけでないことか
必ずしも本人でなくてもよいが、「境
ら、なされた登記が無効とされるのは難
界確認書」の意義・効果に鑑みると、財
しい。しかし、こうした境界をめぐる紛
産の管理権限を有する者に限られる。隣
争が顕在化した場合には、当事者は、筆
接地所有名義人が遠隔地に居住している
界特定の手続き、または境界確定の訴え
場合や海外出張のため長期不在であるよ
を提起せざるを得ない。
うな場合が、これにあたる。財産管理権
隣接地の所有名義人が死亡している場
限を付与されているとしても、その権限
合には、現に居住している共同相続人に
内容が明確でないとしても、保存行為は
限らず、他の共同相続人の全員から境界
その権限とされる(民1031)ので、差
確認の同意をとる必要がある。遺産分割
し支えはない。
がなされ当該土地が共有となっている
問題は、かかる代理権限が付与されて
と、他の共有事例と同じく、境界確認が
いない場合である。町が実施した地積調
当該土地の「保存行為」であるとなると
査にさいし、隣接地所有名義人の実兄を
(民252但)、共有者の一人が境界確認書
一筆地調査立会の代理人と認定したこと
に署名・捺印することで、当該土地に係
に違法はないとした広島地裁呉支判平成
る「境界確認書」として有効となる。
7.4.26判自148号83頁が参考になろう。
(b)隣接地の前所有名義人
隣接地の所有名義人であるが、認知症
隣接地の前所有名義人との「境界承諾
等疾病者であって、能力的に境界確認書
書」は、その意義・効果に鑑みると、登
の意味が理解できず、しかも後見人、保
記申請時の現所有名義人の「境界承諾書」
佐人、補助人などが選任されていない場
に代えることはできない。その意味では、
合、これが一人暮らしの高齢者が増加し
「境界確認書」は、これが第三者に対し
つつある状況のなかで、印鑑証明書まで
て効力を持つものでないこと、すなわち
添付しなければならないことから、杞憂
対世効はない。しかし、「境界承諾書」
かもしれないが、重要となろう。
の作成者が表示の登記の申請までに死亡
4(147)一
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
した場合、相続人は、相続が包括承継で
による所有権取得を根拠に、自ら所有権
あり、第三者ではないことから、これの
確認の訴えを提起するか、土地の明渡し
効力を否定することはできない。相続人
などを提訴された場合には、時効取得の
は、「境界承諾書」が示す境界線につい
抗弁を主張することになる(7)。
て異論がある場合には、境界確定の訴え、
10年の取得時効を主張するには、占有
または所有権確認の訴えなどを提起すべ
の開始時に、「善意」のみならず「無過
きことになる。
失」が要求される(民162)。
昭和55年の東京地裁判決は、Yの善意
2 境界紛争と時効取得
はこれを認めたが、「右図面に記載され
(1)「境界確認書」と時効取得
たY所有の面積が公簿面積の約1.5倍と
隣接地の所有名義人との間で有効に作
差が大きいこと、図面の上部に表示され
成された「境界確認書」の効果・効力に
た実測図とその下部に転写された公図写
関わって時効取得の認否という問題があ
とを対比すると実測図の北側部分におい
て両者の地形が著しく異なっていること
る。
東京地判昭和55.2.6判時967号80頁の事
からすると、Yとしては、実測図の境界
例を取り上げると、被告(Y)は、現在
線が真実かどうかを疑うのが通常である
所有の土地を買い受けるにさいし、仲介
から、仲介人に正すなり、隣接所有者に
人から土地家屋調査士作成の図面と隣接
直接あたって調査するなり適当な手段を
するX(原告)所有地の当時の所有者A
とるべきであったから『無過失』とはい
の承諾書を示されて境界の説明を聞き、
えない」と判示している(8)。
現地の地形をみて、仲介人の指示する境
それでは、真実の境界線とは異なる境
界を信じ、X所有に係る本件係争地に盛
界線を記載した実測図を作成した土地家
土をして擁壁及び階段を設置したとこ
屋調査士の法的責任は、争点にはなって
ろ、Xが右擁壁等の収去及び土地明渡し
いないが、どう考えればよいか、これに
を求めた。Yは、これに対して、本件係
ついては、「IV 土地家屋調査士は、業
争地をY所有の一部であると信じて無過
務上の過誤に関わって、第三者に対して、
失で10年間占有してきたとして取得時効
いかなる民事責任を負うか」において扱
の抗弁を主張した。争点は、Yの「過失」
う。
の有無であった。
他方、最判昭和52.3.31判時855号57頁
このように境界、正確には、所有権界
は、係争地の買受けに際し登記簿等につ
を争う場合、境界を越えたとされる隣接
き調査することがなかったとしても、
地所有者は、当該係争地について、時効
「自主占有を開始するにあたって過失は
5(146)一一
法政研究13巻1号(2008年)
なかったとする原審の判断」を支持し、
れをおさめるために隣接地所有者間で境
「前主である同補助参加人は、六年余に
界を合意し、これを書面にしたためるこ
わたって同土地の所有者としてこれを占
とがある。これが「境界合意書」である。
有し、その間、隣…地14番4の所有者との
「筆界」が隣地所有者といえども、私
間に境界に関する紛争もないままに経過
人によって認定されることが許されない
していた」ことをその理由としている。
ものであるならば、この「境界合意書」
(2)取得時効と分筆登記
は、登記官の筆界認定にいささかも意味
隣接地との境界を越え占有を継続し、
のないことなのか、それとも何らかの意
これがため時効取得により所有権取得が
味のある合意なのか、改めて、検討して
認められた場合、当該係争地を隣接地か
みる。
ら分筆し、この部分は、新たに生じた占
登記官の筆界認定との関係で、よく取
有者の所有の1筆の土地(被占有地の地
り上げられるのが、最判昭和42.12.26民
番の枝番)となり、当該係争地と係争地
集21巻10号2627頁である。
が除かれた土地とが接する線が新しい境
これは、隣接する土地所有者間での筆
界(筆界)となる。
界をめぐる紛争に係る境界確定の訴えの
ちなみに、当該係争地については、時
事例である。係争土地の部分はコンクリ
効による所有権取得をもって所有権移転
ート製の排水溝となっているところ、西
登記を経ていないと、時効期間満了後に、
側の土地所有者らは、このコンクリート
当該係争地を含めた隣接地の所有権を取
製の排水溝i(a・b・c・d)の東側に
得した者に対抗できない(民177)とす
沿った石垣が築かれている線(a・b)
をもって境界とし、東側の土地所有者ら
るのが、判例である(9)。
はコンクリート製排水溝の中心線(e・
lll 「境界合意書」は、「筆界」認定に、
f)をもって境界とするなど見解が大き
いかなる意味をもつのか
く対立していた。もっとも、コンクリー
ト製の排水溝を作るさいに紛争のあった
1 境界合意書と登記官の筆界認定
境界をめぐって隣接地所有者間では、コ
「境界確認書」は、すでに述べたとこ
ンクリート製排水溝の中心線をもって境
ろであるが、分筆や地積更正などにさい
界とする「合意」がなされてはいた。
しての隣接地所有者の境界に異議がない
旨の証明である。こうした表示の登記の
申請との関わりで作成される「境界確認
書」とは異なり、境界紛争のさいに、こ
6(145)一
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
2 和解契約としての境界の合意
d e a
一
N
↑
(1)境界の合意の趣旨
2218−5
A1
2
2213−l
和解契約(民695)とは、互いに譲歩
xl
Bl lB2
して、すでに存在している法律関係の争
←石垣
2218−4
wl
C1
いを確定することを目的とする(11)。した
2213−3
x2
がって、他の契約のごとく契約当事者間
c f b
に法律関係を発生させるのではない点に
↑
大きな特色がある。
コンクリート排水溝
境界の合意が和解契約の性質を有する
これに関して裁判所の判断は分かれ
ものであるならば、境界線が隣i接地所有
た。第1審判決は、種々の経緯から境界
者間で合意されたのちに、別のところが
をX側が主張するコンクリート製排水溝
境界線であるという確証が出た場合、こ
の東側の線とし、境界の合意(和解契約
の合意を錯誤を理由に無効とすることは
とする。)の効力を認めなかった。とこ
できない。和解の確定効(民696)であ
ろが、控訴審判決は、右和解契約を認め、
る。
Y側の主張を認めた。ところが上告審で
もっとも、筆界は、当事者の合意によ
は、「相隣i者間において境界を定めた事
って認定することはできないことから、
実があっても、これによって、その一筆
境界の合意は所有権の範囲を確認する趣
の土地の境界自体は変動しない。右の合
旨と理解される。そこで、合意された境
意の事実を境界確定のための一資料とす
界(次図のab線)が真実の境界(次図
ることは、もとより差支えないが、これ
のcd線)と不一一致であった場合、両境
のみによりて確定することは許されな
界線にはさまれた土地(丙地)の所有権
い」と判示し、破棄差戻しとした(1°)。
は、一方当事者(X)から他方当事者
このように境界の合意は、これによっ
(Y)に譲渡されたものとみなされる(12)。
て当然に境界が確定されるものではな
したがってYは、Xに対して、丙地の部
い。そうすると境界の合意は、当事者が
分を甲地から分筆して所有権の移転を請
自由に決めることのできる所有権の範囲
求できる。
を確認する趣旨であるし、その法的性質
ただ、Yが、丙地の所有権移転登記を
は和解契約と解されている。
取得しない間に、Xがcd線を境界とす
る甲地(丙地を含む)の所有権をZに移転
し、所有権移転登記を済ましてしまうと、
Yは、丙地の所有権取得をZに対抗する
7(144)一
法政研究13巻1号(2008年)
ことができなくなる(民177)。Zにおいて
が示された丈量図に署名捺印していたこ
も所有権移転登記を了していなければ、
とから、丙地について所有権を有しない
いわゆる両すくみの状態となり、早く登
ことを確定的に認めたというべきであ
記を済ました者が勝つことになる(13)。
り、その結果、後日の、丙地に対する土
地所有権確認訴訟において、それまでの
占有の継続を根拠とする取得時効を援用
d↓ 真実の境界
a
することは信義則上許されない、と判示
甲 (X)
丙地
@ A
↑b c
乙(Y)
する(14)。
@B
もっとも、大阪地判昭和61.6.27民研
合意された境界
382号35頁は、隣接する里道について時
効取得を主張する者が里道との境界確定
申請をしたことについて、これが、「自
(2)境界の合意は、時効援用権を喪失さ
己が時効取得した土地の範囲を明確化す
せるか
るために右申請をしたものであって、そ
上記の図の場合、真実の境界がcd線
れ以上に時効取得の利益を放棄したもの
でありながらab線が境界として合意さ
と解することはできない」とする。
れるのは、通常、Yがab線までを乙地
として占有を継続していた場合であろ
lV 土地家屋調査士は、業務上の過誤に
う。それでは、Yが真実の境界である
関わって、第三者に対して、いかなる
cd線を越えて、 ab線まで所有地として
民事責任を負うか
占有を継続してきたが、Xとの話し合い
でcd線を境界として合意したところ、
1 いかなる場合に、誰に対して、い
後日、Yが丙地の部分について、取得に
かなる根拠でもって、民事責任(損
よる所有権取得を主張することは許され
害賠償責任)を負うか
ない。
一般的にいえば、土地家屋調査士の業
東京地判平成12.2.8訟月47巻1号171頁
務における過誤によって依頼者又は第三
は、Y所有地に隣接する国有地(丙地)
者に損害を与えた場合には、その損害を
について、Yの亡妻が時効取得したとし
賠償する義務を負う。
て、X(国)に対して、所有権の確認を
(1)土地家屋調査士の業務
求めたところ、境界確定協議において、
土地家屋調査士の業務は、土地家屋調
Xが復元した境界(cd線)について、
査士法(第3条)に規律されつつ締結さ
関係者全員が同意し、YもX復元の境界
れた調査士委任契約によって決まる。
8(143)一
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
土地家屋調査士法3条が規定する、(a)
り依頼者に損害を与えると、その損害に
本来的業務として、①不動産の表示に
ついて賠償義務を負う (民415、416)。
関する登記に関わり必要な土地又は家屋
もっとも、土地家屋調査士の所為が、
に関する調査又は測量、申請手続又はこ
調査士委託契約(債務不履行)責任を発
れに関する審査請求の手続の代理、これ
生させるとともに、不法行為責任(民
に伴い、法務局に提出し、又は提出する
709)を発生させることもある。いわゆ
書類又は電磁的記録の作成、②筆界特定
る請求権競合である。
の手続に関わり、手続きの代理及び提出
する書類又は電磁的記録の作成、③①
2 本来的業務における過誤
及び②に掲げる事務についての相談、④
土地家屋調査士の本来的業務におい
土地の筆界に関する紛争に係る民間紛争
て、実体に合致しない表示登記が作出さ
解決手続に関わり、この手続きの代理業
れ、これを真実のものと誤信して取引関
務及び相談、さらに、(b)その他の業務
係に入った第三者が不測の損害を被った
として、表示登記の申請とは無関係に、
典型的な事案について考えてみたい。表
境界の認定や土地の測量、現況図の作成
示登記をなす権限は登記官に専属してお
等、依頼者との委託契約による周辺業務
り、当事者の申請は、これの発動を促す
がある。
にすぎないともいえるが、土地家屋調査
(2)依頼者との調査士委託契約
士が申請に関与する場合には、実地調査
依頼者との調査士委託契約は、請負
を省略する措置がなされており、表示に
(民632∼)というより委任(民643∼)
関する登記が実体と合致しないことの責
の性質を帯びており、調査士は、その業
任は、登記官にのみあるということには
務遂行において、善管注意義務、すなわ
ならない(15)。
ち調査士委託契約の「本旨に従い、善良
(1)事例の検討(1)
な管理者の注意をもって、委任事務を処
不当な地積更正登記申請に係る東京地
理する義務」を負う(民644)。
判昭和62.5.13判時1274号101頁である。
依頼された事務について誠実な専門家
(a)事案の概要
として果たすべき注意義務を尽くしたか
これは土地家屋調査士の作成した地積
否かが問われる。したがって、この注意
測量図・実施調査書及び隣接土地の所有
義務は、その内容・程度において、土地
者名義の承諾書等を添付してなされた更
家屋調査士法上の義務(法23条)も含ま
正登記の申請に基づき、本件土地(山林)
れる。
について実地調査を行わずに従来の地積
そして、この善管注意義務の曄怠によ
をそれぞれ約200倍、約60倍に更正する
9(142)一
法政研究13巻1号(2008年)
旨の更正登記がなされたところ、かかる
(2)事例の検討(2)
登記官の措置に過失があるとして、本件
(a)事案の概要
土地(山林)に根抵当権の設定を受け、
岐阜地裁高山支部昭和57.8.24判決の事
貸付けをした者が回収不能となった貸付
案はこうである。本件土地の所有者から
額を損害として国家賠償を請求をした事
委任を受けた土地家屋調査士兼司法書士
案である。
が分筆登記申告書及び求積計算を含む地
実地調査を省略して更正登記をした登
積測量図を作成し、代理人として提出し
記官の措置に過失はなかったとされた
たところ、分筆登記の結果、本件土地
が、土地家屋調査士の地積測量図・実地
(山林)の登記に表示されている地積が、
調査書作成の経緯は次のようであった。
実測面積の約1000倍となっており、本件
依頼者とともに本件土地(山林)の付
土地(山林)を譲渡担保や購入によって
近まで行って、その境界の一部と思われ
所有権を取得した者が、当該土地を譲渡
る部分の距離を「目測」し、右土地のも
担保を担保に貸付けた額や当該土地の売
と所有者に依頼されて右土地の近隣の土
買代金を損害として、国家賠償を請求し
地を管理していた者から交付を受けた
た事案である。
「山図面」(更正図)等を参考にしつつ法
原告は、公図の記載等により各分筆登
務局支局備え付けの右土地の「公図」を
記申告書記載の地積が過大であることは
基礎として作成した図面に、前記目測の
当然知りうべきであったもの拘わらず、
結果得られた数値を記入し、目測もでき
漫然分筆登記申請を受理して分筆登記を
なかった部分については適宜数値を調整
行った点において登記官には重大な過失
して記入して、本件土地についての「地
があると主張したが、「本件各分筆登記
積測量図」を作成したという。
手続については、原告らの主張がいずれ
(b)土地家屋調査士の不法行為責任・
も登記官に不可能を強いるものであって
「過失」をどう考えるか
これに何ら故意過失はない」と結論づけ、
山間部の土地のように目的不動産の価
次のようにその理由を説いている。
格に比して実地調査の費用が過大になる
当該登記所にはいまだ法第17条所定の
場合に、常に厳正な実地調査を要求する
地図が存在しないから、「分筆登記手続
ことが妥当かという問題はある(16)。こ
申請をする側も、これを受理する側も、
の点について興味ある説示をしたのが、
結局は旧来の絵図に頼らざるを得ないと
次の不当な分筆登記申請に係る岐阜地裁
ころであり、又これを頼りに求積が不正
高山支判昭和57.8.24判時1071号120頁で
確だとしても、実地調査をすることは何
ある。
ら意義もなく、登記所をして、人跡まば
一 10 (141)一
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
らな本件土地のような可成り広い山林の
訴外人がこれを負うべきであるのに、こ
境界線ないし面積を調査させることは、
れをさしおいて被告国に対してその責任
現代の伊能忠敬が存在すれば格別、そう
を転嫁するのは登記官ひいては国に不可
でなければ不可能を強いるものといわな
能を強いるものといわざるを得ない」と。
ければならず、そのようなことが却って
(b)土地家屋調査士の不法行為責任・
同登記所に後続する登記事務の渋滞を招
「過失」をどう考えるか
くことになるのである。
そこで、絵図(公図・土地台帳付属地
そして又、右のような取り扱いであっ
図)に基づき、いわゆる三斜法を用いて
ても、当時の状況としてはその各筆の土
土地の分割および求積の地積測量図を作
地の位置、形状、境界線等の大略は図面
成した土地家屋調査士の「過失」が問わ
上は明らかになったものというべく、そ
れる。
の程度の公示としては機能しているか
ら、これを以て満足せざるを得ないので
3 周辺業務における過誤
ある」。
表示の登記申請とは関わりなく境界の
備え付け地図が不十分であることは一
認定や測量の依頼がなされることがあ
般的に認められてるのであって、これ
る。この業務に関して過誤があり、第三
「以上の土地の位置、形状、境界線など
者に不測の損害を生ぜしめた場合には、
の詳細は、土地の取引に係る当事者が実
2の場合と異なって、もっぱら土地家
際に現地を踏査して筆界標識、境界木
屋調査士の法的責任が問われる。
(石)等の物証や隣人ないし古老らの人
これに関して興味深いのは、その法的
証によって確認の上に行うべきことは取
責任が争点とはなっていないが、土地家
引上の常識といってよいところ」、原告
屋調査士の不当測量が絡む最判昭和
らは「右常識を弁して現地の確認をした
63.1.26民集42巻1号1頁の事例である。
上で買取の交渉をすべきであったのに」
この訴訟(後訴)は、前訴で勝訴した側
「現地に赴いたが降雪のためこれらを確
(B調査士)が前訴で敗訴した側(A)
認しないままであったことが窺えるとこ
を不当訴訟を理由に損害賠償を求めたも
ろであり」「原告らがその主張のような
のである。
損害を蒙っているのであれば、それはそ
(1)事案の概要
のような不誠実をした訴外亀井捨光らの
甲土地をめぐるA(売主)とE(買主)
欺岡手段に直接乗ぜられた損害というべ
との売買契約において、代金は1億500
きである。したがって、その責めは貰え
円とするが坪当たりの価格を金5713円と
るものは貰っていずれへかに遁走した同
し、後日実測のうえ、精算するとの約定
一 11 (140)一
法政研究13巻1号(2008年)
がなされた。売買のさいにEから甲土地
在しないのであり、しかも、Bは、 Dの
の測量を依頼されたB調査士が甲土地を
指示するところに従いその測量結果がE
測量するさいに現地に行ったのは仲介の
とD間の売買の資料に供されるにすぎな
DとEだけであった。Bは、隣i接地所有
いとの認識のもとに、本件土地の測量を
者の立ち会いを求めて境界を確認してか
実施したのであって、このことは依頼者
らでなければ測量できないとして断った
であるEも了承しているところというべ
が、Dから「測量図は取引の資料にする
きであるから、たとえ、Bの実施した測
に過ぎないので、とりあえず指示する測
量の結果算定された本件土地の面積が実
点に従って測量し、その中に食い込む形
際のそれより少なかったからといって、
になる森屋某所有の土地についてはその
AがBに対し委任、請負等の契約上の責
公簿面積を差し引くという方法で本件土
任はもとより、不法行為上の責任も問い
地の面積を出してほしい。隣接地との境
えないことは明らかであ」り、Aが前訴
界は後日確定する。」といわれたので指
で敗訴したことは当然と判示した。
示通りに測量し、測量図及び面積計算書
これに対して、提訴したAの違法性を
をEに交付した。そのさい、DがEに働
否定した第1審判決は、Bは、右のとお
きかけて甲土地の実測面積を実際より少
りB測量の直後からひとたびD、E以外
なくし、その分の代金相当額を両者で折
に実質上の売主たる利害関係人のAが出
半せんとした。Aは、 Eに対して、正確
現しているのであるから、「土地家屋調
な測量結果に基づき残余金の精算を要求
査士制度の趣旨すなわち不動産の表示に
したが、Eはこれに応じない。
関する登記手続の円滑な実施に資し、も
そこで、Aは、 Bに測量を依頼したの
って不動産に係る国民の権利の明確化
はAであることを前提に、Bが甲土地の
(不動産それ自体の物理的状況を明らか
測量図を作成したさいに過小に測量した
にすること)に寄与すること、従って、
ため、Eから不足分の土地代金544万円
その業務は公共的性格を有し公正誠実を
をもらえず、同額の損害を被ったとする。
旨とすべきでありとされていることに鑑
これは、測量委託契約の過誤に基づく損
み同測量にこだわらずその時点で正確な
害賠償請求である(前訴)。
測量を実施し土地家屋調査士の職務を全
(2)土地家屋調査士の職責
うすべきであったと解するのが相当であ
ところが、Bの言い分によれば、測量
る」とする。
を依頼したのはEであってAではない。
したがって、依頼者の意向に沿ったこ
そこで、控訴審判決は、「BとA間には、
とは土地家屋調査士の不法行為責任を免
測量に関し委任、請負等の契約関係は存
責する理由とはならない(17)。これに関
一 12 (139)一
「境界」紛争と土地家屋調査士の責任
連して、東京地判昭和552.6判時967号80
んだことから、すべての事項に関して網
頁の事案における土地家屋調査士の所為
羅的に言及しているわけではない。
に言及すると、実測図は、依頼者から現
況を測量するように依頼されて、依頼者
の指示のみに基づいて測量し、写図した
(1)寳金敏明「境界確定の法理と登記
が、測量図の注「本図は市道、官有地、
実務(その2)」登記情報37巻7号41
京浜急行、一部民有地関係の立会いせず、
頁(平成9年)
官有地(青地、公図参照)を含む現況求
(2)その結果、隣接地との境界が一部
籍せるもので、後日のため申し添えてお
確認できないとして申請が却下され
きます。」と記載している。
たが、これが違法ではないとした事
第1審判決によれば、「Aからすでに
例として、甲府地判昭和53.5.31訴月
代金の完済を受けたDと買主のEらは真
24巻8号1609頁。
実の売主たるAの損失において不当の利
(3)實金・前掲論文(その2)47∼49
得を得んとAに内密に殊更Bをして過少
頁
面積を算出させAをして損失を生じさせ
(4)實金・前掲論文(その2)48頁
た疑いがある」という。Bは、 E会社の
(5)賓金・前掲論文(その2)44頁
代表者のEの義弟で、E会社で必要とす
(6)賓金・前掲論文(その2)48頁
る測量のほとんどを担当していることも
(7)昭和昭和50.4.22民集29巻4号433頁
あって、上告理由では、「Bは測量士・
も同旨。
土地家屋調査士でありながら、かかる不
(8)境界確定の訴えが提起された場合、
明瞭な取引に手を貸したものといわざる
時効取得の抗弁がなされても、これ
えない」と指弾されている。土地家屋調
は、所有権の範囲を定めるのではな
査士の専門職能としての職責が問われる
い境界確定の訴えとは関係がないも
事案であった。
のと扱われる。したがって、時効取
得に基づき境界を越えて隣地の土地
*本稿は、筆者が講師を務めた静岡県土
の一部について所有権を主張するな
地家屋調査士会「土地境界鑑定講座 第
らば、別に当該の土地につき所有権
5回」(平成20年2月20日)において配
の確認を求めるべきことになる。参
布したレジュメを基に復元し、若干の修
照、最判昭和43.2.22民集22巻2号270
正・加筆をしたものである。しかも、講
頁。
義内容については、あらかじめ主催者の
(9)最判昭和33.8.28民集12巻12号1936
側からの要請があった講義事項を組み込
頁
一 13 (138)一
法政研究13巻1号(2008年)
(10)最判昭和31.12.28民集10巻12号1639
代裁判法大系5一市道・境界』(平成
頁が引用されている。もっとも、学
10年)315頁
説には、少数であるが、新堂幸司
(14)同旨、神戸地判昭和58.11.29訴月30
『新民事訴訟法』(平成10年)182頁以
巻5号773頁
下は、境界確定の訴えの実質は、あ
(15)鎌田 薫「土地家屋調査士の責任」
くまでも所有権の効力の及ぶ範囲に
川井健・塩崎勤『新・裁判実務大系
ついての私人間の争いであり、その
専門家責任訴訟』(平成16年)135頁
ような争いを解決するに適した取り
(16)鎌田・前掲論文136頁は常に厳正な
扱いを考えるべきとし、また、境界
実地調査を要求することは、地積整
の争いでは、あくまでも隣接地の所
備の負担を一方当事者に押しつける
有者間の利害の調整が問題となるの
ことにほかならないので、他の資料
であるから、通常の民事訴訟の場合
から合理的に現況を把握できる限り
と同様、和解など係争利益について
において、実地調査を省略してもや
の処分も可能とする。同旨、吉野
むを得ないと認めれる場合がありう
衛「境界紛争の法的解決(5・
るもの」とする。
完)一筆界の確定を中心として一」
(17)鎌田・前掲論文134頁は、「いずれ
登記研究520号29頁。
にせよ、これが、特定人に対する測
(11)和解は、民法において、13の典型
量図の交付ではなく、表示の登記の
契約の一種として規定がある。和解
申請であった場合には、登記制度そ
は、周知のように、裁判所が関与す
れ自体が広く公衆の閲覧・利用に供
る類型がある。裁判上の和解として、
することを目的とした制度である以
起訴前の和解(民訴275)、訴訟上の
上、実体に合致しない表示登記を申
和解(民訴89)があり、調停として、
請した土地家屋調査士が、依頼者の
民事調停(民事調停法)と家事調停
求めに応じたことを理由として、第
(家事調停法)がある。これら裁判所
三者に対する不法行為責任を免れう
が関与する和解や調停には、判決と
る可能性はほとんど存しないものと
同一の効果が付与され、債務名義と
解される」とする。
なる。
(12)大阪高判昭和38.1129下民集14巻11
号2350頁、大阪高判昭和57.2.9判タ
470号136頁
(13)安藤一郎「境界の合意」同編『現
一 14 (137)一