リクルート事件ついて 1 2012-06-07 もとなり 目次 2 リクルート事件とは この事件の問題点 社会的影響 リクルート社の事件後の取り組み 引用先 リクルート事件とは 3 1988年6月18日、朝日新聞が『川崎市助役へ一億円利益供 与疑惑』をスクープ報道し、その後、リクルートにより関連会社 リクルート・コスモス社未公開株が、中曽根康弘、竹下登、宮 澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家に、店頭 公開前に譲渡していたことが相次いで発覚する。 90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、森喜朗は約1 億円の売却益を得ていた。 東京地検特捜部は、1989年、政界・文部省・労働省・NTTの 4ルートで江副浩正リクルート社元会長(リクルート社創業者) ら贈賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12人を起訴、全 員の有罪が確定した。[1] この事件の問題点 4 政界では自民党では藤波氏、そして公明党の池田克也 議員が在宅起訴されただけで、他は3政治家秘書等4人 が略式起訴されたに留まり、中曽根氏や竹下氏をはじめ 大物政治家は立件されなかった。[2] 社会的影響 5 大物政治家が軒並み関わった事で謹慎を余儀なくされ、政 界の世代交代を促した。事件以降「政治改革」が1990年代前 半の最も重要な政治テーマとなり、選挙制度改革・政党助成 金制度・閣僚の資産公開の妻子への拡大等が導入されること になった。 また、1989年7月の参議院議員選挙にて、自民党は惨敗・改 選議員過半数割れとなった。 2008年に至るまで、自由民主党は参院選後における参議院 単独過半数を回復していない。 リクルートとリクルートコスモスはこの事件でイメージが悪化、こ れにバブル崩壊が追い討ちをかけた。[3] リクルート社の事件後の取り組み 6 88年12月「ニューリクルートへの提言」を実施。従業員から広 く提言を求め、全社の取り組みとして実践していこうというもの。 事件によって直面した現実に対して社員一人ひとりが提案し、 自ら実行していくことで、新しいリクルートになるという意思を 込めての取り組みだった。 その後、89年、「社会的存在であることを強く意識しよう」とい う方針が確認された。 また、新しいリクルートを築いていく過 程の中で、信頼の回復や事業の新たな発展を実現していき たいという思いが経営理念に織り込まれた。[4] 参照・引用 7 [1]知っておくべき日本の貴族政治とリクルート事件のまとめ http://matome.naver.jp/odai/2131429209085581601(2012-06-05) [2]wikipedia「リクルート事件」(2012-06-05) [3]ニュースウェブ http://blog.livedoor.jp/yoshitaka1215/archives/1340548.html (2012-06-06) [4]㈱リクルート 経営理念 http://www.recruit.jp/company/principles/background/readmore/ index.html (2012-06-07) 括弧()内の日付は閲覧した日 画像 スライド3の画像 wikipediaの中曽根康弘の項目の本人画像を加 工。 他の画像はクリップアートから引用。 おわり 8 おわり
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