「日本の高校における 英語の授業は 英語で行うのがベストか?」 -誤ったグローバル化のためでなく 多文化尊重のための英語教育へ言語教育論演習 ドイツ語圏文化文学コース 立野真央 ?「英語の授業は英語で」はなにを目指しているのか? ⇒ 今盛んに言われている 「グローバル化」を目指している 以下、文部科学省 新学習指導要領 高等学校学習指導要領解説 外国語編/英語編より抜粋 グローバル化は,アイディアなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を 加速させる一方で,異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を増大させている 外国語科改訂の要点 ⑥ 生徒が英語に触れる機会を充実するとともに,授業を実際のコミュニケーションの場 面とするため,授業は英語で行うことを基本とすることを明記した。 ⇒ ではないか? 誤った「グローバル化」(=「英語化」) 以下、「英語教育、迫りくる破綻」大津由紀雄氏インタビュー より抜粋 「昨今、世間では「グローバル化」=「英語化」ないしは「英語文化」という風潮 があります。そして、それが本当の意味でのグローバル化につながらないとい うことを説く人はいますし、わかっている人はわかっています。しかし、多くの人 はそれを理解していません。」 「そうした歪んだグローバル化の受け止め方に対し、文部科学省や大学も「グ ローバル化=英語化ではない」ということをしっかり発信する必要があるとおも います。」 ? では本当の意味のグローバル化とは? -CEFRを参考に- CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠) CERFはそもそも、人権、民主主義、政治主義、多様性を認めながら のヨーロッパ文化・言語をテーマに欧州域内の協調を図っている欧 州評議会が1970年代から専門家に委託して開発してきたもの 語学を通じて自分の責任でものごとを進められる人間を養成、 多様な価値観の存在を認める =多言語主義から複言語主義へ (「言語教育」特論 講義ノート1 より抜粋) CEFRの2大目的 1.言語という分野・領域の実践の場で活動しているものは 誰でも次の問いに考えをめぐらすよう勧めること。学習者自身も例外ではない。 - お互いに話し合ったり、手紙を交換しているとき、我々は一体何をしているのだろうか。 - このような行為を可能にさせているものは何だろうか。 - もし新しい言語で同じことをするとしたら、 その中の何を新たに学習しなければならないだろうか。 - 自分自身であれ他人であれ、言語をもっとうまく学べるように手助けするには、 何をしたらよいだろうか。(一部抜粋) 2. 教育の現場関係者たちは、 生徒たちが何を達成することの手助けをしようとしているのか、 およびその達成方法を相互に話し合い、また生徒たちにも説明しやすくするようにすること。 (外国語教育Ⅱ-外国語の学習、教授、評価のためのヨーロッパ共通参照枠- より抜粋) このようなグローバル化(=多文化尊重) の達成のためには 「英語力」だけではなく言語を操る力と、 想像力を持って、 多文化を尊重しようという姿勢が 必要であるといえる。 ? ではこのようなグローバル化のために必要な 「英語力」は日本の高校で実施されようとしている 「英語は英語で」の授業で 伸ばせるのだろうか? 以下、The English Teacher’s Magazine June 2014 より 『語研ジャーナル第12号』(一般財団法人語学教育 研究所、2013年11月)の卯城祐司「英語で進める英語を読まない授業」の一部抜粋 そのような(発表者注:英語での)授業を進めている先生方からは 必ず次のような問いがある。 「英語で授業をすると、これまでやっていたことがすべてできない」 「指導書の内容を全部教えようとすると、限界がある」といったものである。 ⇒ 「英語は英語で」の授業で扱う内容、 テーマの質が下がるのなら、 多文化尊重のための 知識や思考力をつける授業は望めない 「グローバル化」を目指して行われようとしている「英語は英語で」の授業は、 今日本が目指すべき「グローバル化」のためにはベストではない 生徒の持つ日本語の力を生かし、日本語を介在して、 共有規定言語教育モデル(CUP)をもとに、 英語に続く3つ目の言語にも繋がるような、 (基礎伝達対人スキルよりも) 認知学力的言語能力を伸ばしていくべきである ??? Japanese English Fin.
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