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自然な奏法のための7つのヒント
執筆:バジル・クリッツァー
BODY CHANCE 所属 アレクサンダー・テクニーク教師
目次
奏法のヒントその1:アンブシュアを「考える」
奏法のヒントその2:脱・「プレス害悪論」
奏法のヒントその3:自然な奏法を得るためには、不器用
さの許容が必要である
奏法のヒントその4:左右非対称のススメ
奏法のヒントその5:小さい手でも、ゲシュトップはでき
る。
奏法のヒントその6:のどを開ける=のどを締めない
奏法のヒントその7:耐久力ー「望ましいやり方」の持続
奏法のヒントその1:アンブシュアを「考える」
管楽器の奏法論の世界には、とても豊富な情報があります。
とくに、アンブシュアの操作、呼吸のコントロール、ホルンに限れば右手の使い方。この
三つに関しては、もう完全マニュアルかというぐらい、いーっぱい情報が手に入る。
でも、わたし自身はホルンを学ぶ過程でそういった情報を読んでもよく意味が分からな
かったし、実感もできないケースが多かったのです。ホルンの先生たちに教えてもらって
も、いまいちしっくり来ないケースも。
右手の使い方に関してだけは、在学した大学の教授として師事したフランク・ロイド先生
からとても明快で的を得て、かつすぐ自分で吸収出来た「原理/原則」のようなものがあ
りました(「口元に抵抗が余分にかからないようにするのがベスト」というものです)。
しかしそれ以外は、アレクサンダーテクニークの教師やアレクサンダーテクニークの資格
をもつホルン奏者たちにレッスンを受けるまでは、「教えてもらって納得できること」
「教えてもらって使えること」には出会えませんでした。
まず、呼吸に関しては、残念ながら管楽器の専門家の言う呼吸法は解剖学的/生理学的に
誤りであるケースが多く(「腹式呼吸」「肩は動かしてはいけない」「おなかに息を入れ
ろ」)、要は比喩表現または経験論ですので、それを聞いて得るものがあるか、実際に先
生のような能力を身につけられるかは、運や相性次第となってしまいます。現実には、技
術的に悩む生徒の方が多いので、呼吸法の伝授がうまくいってないのが大勢と言えるかも
しれません。
次にアンブシュア。
これは、管楽器の専門家たちも部分的にはかなり解剖学的/生理学
的な理解を細かく持っています。
ですので、至って正確な情報がある面もありますが、問
題点が3つあります。
・アンブシュアを唇周辺に限定して捉えている事」
・アンブシュアを固定的・静的な『形』で判断している事
・アンブシュアを直接的・単独的にコントロールさせてしまいがちな情報の在り方である
ひとつひとつ掘り下げてみましょう。
①アンブシュアを唇周辺に限定して捉えている事
最近、アレクサンダーテクニークの学びで知った事なのですが、顔面の筋肉は筋膜/結合
組織で実は頭のてっぺんや耳の後ろ、後頭部までお互いにつながって連動しています。で
すので、唇の筋肉の動きやアンブシュアの機能は、唇やアゴのあたりだけで考えていても
無理があります。
さらに、首や舌なども筋肉や腱/靭帯などで構造的に顔面と関わりを持っています。そし
て言うまでもなく、アンブシュアを振動させているのは息です。息の質は、アンブシュア
の形成と不可分な要素です。
わたし自身、「正しいアンブシュア」を身につけようと過去に血のにじむような努力をし
たが失敗に終わっていました。それの原因の一端が、アンブシュアを狭く限定して考えて
いたからです。
②アンブシュアを固定的・静的な『形』で判断している事
アンブシュアとは、生きた人間の身体全体が「楽器を演奏する」という「動き」をしてい
る中の、ある一部のエリアのことです。
楽器を演奏しているということは、動いているということであり、アンブシュアも動いて
います。筋肉が活動しているのですから。
そしてその「動き」は、「演奏する」という意図によって形成されているものです。
アンブシュアを「型」で捉えると、本当は動いているものを固定的に見ているので、実際
と離れてしまいます。事実と異なってくるのです。それ故に、うまくいかなくなる可能性
を孕みます。
さらに重要な点は、「うまく演奏出来ている人」の「よいアンブシュア」はその人全体が
演奏に関わり、それがうまく機能しているなかでの「アンブシュア」であるということ。
つまり、全体としてうまくいっているひとの、「ある特定の一部分の見た目の印象」なの
です。「アンブシュアが良い演奏をしている」のではなく「良い演奏をしているとアンブ
シュアがこのように見える」のです。
ならば、顔つきや顔の構造というのは人によって異なるのだから、「良い演奏」をしてい
る場合、そのアンブシュアの見た目の印象も、当然人によって異なるのです。
ということは、「良いアンブシュア」の「形」を真似ることにあまり一生懸命になると、
それは自分自身のできることと離れていってしまいます。(わたし自身の経験でもありま
す)
③アンブシュアを直接的・単独的にコントロールさせてしまいがちな情報の在り方であ
る事
これは2つ目で述べた事とも関わりますが、実は本来、アンブシュアは直接的・単独的に
コントロールするものではないのです。もちろん演奏の質に関わる度合いの大きい部位で
はあるので、意識する割合が高いのは自然なことではありますし、必要でもあるでしょう。
しかし、「意識する」ことと「動かそう/コントロールしよう」とすることは異なるので
す。
前者は「考えて」います。
後者は「感じて」います。
意外に思うかもしれませんが、人間は、動きと変化があるまで「感じる」ことはできない
のです。
感じる「感覚」は、動きの結果を事後報告のレポートとして知らせてくれる機能です。
つまり厳密に言えば、、音を鳴らす「前」に、鳴らす「感覚」をアンブシュアや唇におい
て感じることは実はできないのです。
実際には、「動いた」から、その「動きの感覚」を感じているのです。
起きているころの本当の順番は、
「考える/意図する」→「動く」→「感じる」
となっています。
「感じる」ことを変えようと思えば、「感じ」をもたらす「動き」を形成している「考
え」を変える必要があるのです。
まわりくどくなりましたが、アンブシュアを直接それだけ個別にコントロールしようとし
ているとき、ほぼ例外無く先に「感じよう」としています。
アンブシュアの動きもまた、
「考えていること」に応じて形成されているのです。
それなら、アンブシュアの変化を望むのならば、それはアンブシュアの筋肉や形を直接的
にどうこうしようとしてもあまり意味はありませんよね。そもそもアンブシュアという機
能を成り立たせている「演奏する」という意図の質や内容を変える必要があるのです。
そのときに、アンブシュアを局所的に考えているか、広く捉えているかでも変わってきま
す。
番外編:アンブシュアを「引く」のはいけない?
豆知識ですが、よく「アンブシュアを引いてはいけない」と教えられることがあるかと思
います。
もちろん、経験的には、アンブシュアを引くとうまくいかない、音が響かないという事で
それを納得しておられる方は多いでしょうあ。わたし自身もそうでした。
しかし、「引いてはいけない」と意識しすぎて、少し引く動きが起こると過剰に心配して
その心配が硬さを生んで悪影響をもたらすことがありました。
つまり、「なぜ引いてはいけないのか?」という事の説明が存在していなかったんです。
その説明は、世界的なアレクサンダー・テクニーク教師である、キャシー・マデン氏に
レッスンを受けたときに初めて知ることになりました。
①唇を引くのは、自然な動きの一部であり、それ自体に善し悪しはない
。
②しかし唇を引くと、筋肉が頬骨に密着し、共鳴が吸収される。
③それなら、共鳴をフルに得られた方が当然吹きやすい。だから、唇は前へと意識する。
④また、唇を引くと、マウスピースとの接着が減る。 ⑤すると、マウスピースとの接着を増やすという余分な労力が加わる。
⑥そんなの無い方が効率が良いのだから、唇はマウスピースへ向かって行くと考えるとよ
い。
わたしの中では、革命的な説明でした。疑問が解けて納得し、これまでの経験に意味付け
と理解ができたのです。
このような筋の通った多角的な説明は、あまりアンブシュア論の世界では見受けられませ
ん。
ですので、様々な書物や情報を読んでもうまくいかない/しっくり来ないという人にとっ
ていまできることは、いまの時点ではっきり理解していること、自分の理解が明確なこと
をリストアップして、それを考えながら演奏をする、ということにフォーカスしてよいの
ではないかと思います。
わからない事や合わない事を無理にやらなくてもいいと思います。
そのとき分かる事/納
得できる事柄や理解の範囲を無理に越えようとせず、とは、最低限必要なことに徹してみ
ることからスタートするだけでもずいぶん悩みがスッキリするのではないでしょうか。
アンブシュアの「形」や「使い方」に不安を抱えているならば、もっと単純に音を考え
て、息を出すというシンプルだけど重要な最大の基礎に戻ってくることをオススメしたい
と思います。
奏法のヒントその2:脱・「プレス害悪論」
ある朝、トランペットとホルンをちょっと練習していって発見した。
「マウスピースとアンブシュアの密着」。
わたしも漏れなく「プレス害悪論」的な情報に接しながら育ったのだが、どうも、「プレ
スは悪い事だ」と本気にし始めると、マウスピースとアンブシュアの密着が不十分になり、
マウスピースを支える仕事が過剰にアンブシュアにかかる。
プレスを害悪視すると、プレスを避けちゃって、唇がアンブシュアを捕まえにかかる。こ
れ、よくない。バテるし、息もれになりやすい。不安定なので結局、顔をマウスピースの
方へ押し付けに言ってしまい、身体全体のバランスを崩し不快で困った力みになる。
逆に、マウスピースを思い切ってアンブシュアにしっかりプレスすると、脊椎を支える中
の筋肉全体が働きを強め、いわゆる「支え」「軸」が出来る。
プレス害悪論に染まった私たちにとっては、「思い切り好きなだけプレスしよう」と思い
ながらやると、ちょうど「プレス回避癖パターン」にはまるので大変有効。レッスンで教
えるといつもびっくりされます。「え!プレスしてるのに、バテない!吹きやすい」と。
私は「口の中にマウスピースを入れちゃう」くらいのイメージが役立ってます。実際、口
や唇はものすごく神経が多いので、マウスピースを「自分の身体の一部」として脳がマッ
ピングしているに違いない。なおさら十分な接触情報が必要。
プレス害悪論はやはり優れたプレーヤーたちが唱え始めたもの。彼らは実は顔をマウス
ピースに押し付けることを言っている。マウスピースをアンブシュアにしっかり付けるの
は彼らはみんなやっている。それがああの羨ましい安定感の理由。みんなグイグイ押して
るよ(笑)
奏法のヒントその3:自然な奏法を得るためには、不器用
さの許容が必要である
アレクサンダー・テクニーク教師という仕事柄、「自然な奏法」「無理のない奏法」を模
索する過程でレッスンにいらっしゃる演奏家とお会いすることが多々あります。
私自身も、ホルン奏者として、高校生のころから「自然な奏法」「無理のない奏法」を強
く求めてきました。それは、自分の吹き方にとても無理があり、とても不自然で思い通り
にいかない感覚を感じていたからこそです。
アレクサンダー・テクニークは私にとって「自然で無理のない奏法」を、才能がなくても
意識的な取り組みを通して身に付ける『方法論』になったわけです。
したがって、いまも
日々模索を続けています。
ある朝練習していて、ハタと思い浮かんだことがありました。
それは
「自然な奏法」を得る過程で、不器用さや派手なミスは付きものである
ということです。
私たちが「自然な奏法」と感じるのは、「こう演奏しよう」と思ったら、細かくコント
ロールしなくてもなんだからラクにその通りになるときです。
優れた演奏家たちは演奏中、テクニカルなことを神経質に考えたり、音を間違えたりしな
いように一生懸命コントロールしていないのがすごく伝わってきますよね。
つまり私たちは、自分はやっているけれど優れた演奏家は「していない」何かを感じたと
きに、「自然で無理の無い優れた演奏」と感じているのです。
では何を「していない」のか。
①「自然で無理の無い演奏」
と
②「不自然で無理がある演奏」
①がやっていなくて②がやっていることは、端的に言うと「ミスを恐れて身体を硬くしと
りあえず音だけなぞろうとする」ということです。
①「自然で無理の無い演奏」の場合
こんな音/音楽を奏でよう
↓
奏でる
↓
あ、こうなった
という思考の順番になっています。
②「不自然で無理がある演奏」の場合
こんな音/音楽を奏でよう
↓
ミスしたらまずいな、どうしよう、できるかな、ちゃんと音当てなきゃ
↓
奏でる
という思考の順番になっています。
②の場合、結果を、結果が出る前から気にしてコントロールしようとしています。安全策、
緊急策を施しているわけです。
対して①の場合、そういう策を講じていません。こういう音を奏でようと意図したら、結
果どうなるかは手放してとりあえず信頼して奏でているのです。
結論から言えば、①だからこそ、自然で自由で上手に演奏できるのですが、どうしても
「技術が優れているから信頼が持てるんだ、信頼は『できるようになってから』の話だろ
う」と感じますよね。
しかし現実には、「優れた技術は信頼から始めでこそ身に付く」のです。
②の思考態度で練習や演奏に臨んでいると、常に「ミス対策」をしながら演奏しているこ
とになります。「悪い事を想定」したうえで練習をしていますから、そこには必ず身体的
な緊張が伴っています。
「こんな音を奏でよう」という意図に100%コミットするのではなく、「こんな音を奏で
よう」としながらも「こんな音になったらまずいから、手を打っておこう」という別の作
業も同時並行で行っています。
これが心身システムにとっては負担になっており、緊張や無理、不自然さを感じることに
なります。
では①のような演奏をするためには、「信頼から始めねばならない」と先ほど述べました
が、これがなぜ受け入れがたいのか、想像しづらいのか、その理由らしきものが今朝分ち
ました。
それは、自然で無理のない演奏は、「必ずうまくいく」という無意識的な前提を持ってい
るからなのです。
大人の演奏家で、自然で無理の無い演奏をするひとはおしなべてとても優れた演奏をして
います。
しかし、子供たちの場合、どんな子供もはじめはみな、自然で無理の無い演奏をしていま
す。ですが「優れた」演奏かというと、そうでもありませんよね。まだまだ未熟、下手、
できないことがいっぱいある。
つまり、自然で無理の無い演奏ができるということと、
演奏能力・演奏技術の習熟度は異なるものなのです(相関はしますが)。
自然で無理の無い演奏だからといって、始めからノーミスで「完璧」に、「上手に」演奏
できるわけではありません。それなのに、無意識に「自然で無理なく演奏できたら『上手
に』できるはずだ」と想定しているから、どうしても「うまくいかせる」心理が働いて、
結果的にはいつまでたってもなんだか無理したり緊張していたりする感覚があるのです。
ここで、「信頼から始める」というはなしとつながります。
子供たちが、ヘタでも未熟でも「自然で無理なく」演奏しているということは、彼らは最
初は「信頼」を持っていることを意味します。あるいは、「不信」を抱いていないとも形
容できるかもしれません。
自然で無理が無く、優れた演奏家たちは、子供のときから、その「信頼」を失わず、①の
思考順序で演奏を続けてきたのです。
私たちは、さも当たり前に歩けるようになったり、
自転車が乗れたり、おはしを器用に使えたりします。これが「できる」能力は、「楽器が
演奏できる」能力と全く同じです。
だれも、「転ばないように歩こう」と考えながら歩きません。あちらに行こう、と思って
歩いています。思考の流れ①と同じです。しかし、はじめはうまく歩けなかったのです。
転んだり倒れたりしていました。でもただ「あっちへ行こう」と思っているうちに「歩
く」技術がさも当たり前にできるようになります。自転車も然り、おはしも然り。おはし
だと、まさか「落とさないように」と考えながらやっていたのではなく、食べ物をつまん
で口に運ぼう、と考えてやっているうちにそれが「できる」ようになりました。当然その
過程で、何度もぼろぼろと落としています。
こう考えると分かるのが、
自然な奏法のためには不器用さを許容する必要があるという
ことです。
「信頼する」とはまさにそういうことです。自然に力まずにやってみた結果、
ミスがあったり不器用だったりしても、「段々必ず上手になってくる。身体が答えをひと
りでに見出してくれる」という信頼を心から持てるかどうか。
事実・現実は明確に、「あなたの身体はそのうち、あなたの意図(音をこう奏でたいとい
う望み)を具現化する『アンサー』を提供してくれる」ことを示しています。自然に歩い
たり、話したり、お箸を使ったりできるのですから。
信頼を持つという事は、すなわち一時的な不器用さ失敗を許容するということです。どれ
だけ上手くなっても、「まだできないこと」に(力まず自然に)チャレンジすれば、必ず
一時的な不器用さや失敗を経験します。
それで、100%オーケーなのです。
奏法のヒントその4:左右非対称のススメ
アンブシュアも構えも姿勢も、左右非対称を恐れる必要まったくなし!
正しいアンブシュア、構え、姿勢の基準が、どうも単純な「見た目の左右対称」であるこ
とがかなりある。身体は最初から左右非対称なので、見た目を左右対称に矯正しようって
のは緊張と不具合を生むだけ。
とくに顔、口、顎は顕著に左右非対称な部位。だから、マウスピースが「見た目の真ん
中」に来なくてもまったく問題なし。
顔、顎、歯、口腔の生まれ持った形から、ひとりでに決まるベストスポットがある。そこ
が見た目の真ん中でなくても何の心配もない。
「自分の真ん中」「自分のベストスポット」に、あなたの身体はかならず楽器を持って
いってくれる。行きたがっている。
楽器を構えるときや、音域・音量の変化があるときに、顔の向きや楽器の角度は変わって
よい。動いてよい。むしろ大歓迎。
身体の真ん中と、見た目の真ん中はまったくちがう。身体の真ん中は、探す必要がない。
最初からあるから。矯正しようとしたり、左右対称にしようとしたりをやめれば、ひとり
でに見つかる。
これまで自分のアンブシュアや構えや姿勢の左右非対称を「歪み」とか「悪い癖」と捉え
てやりづらさを感じているとしたら、こう考えてやってみよう。
『好き放題ズレよう!好きなように好きなだけ動いてくれていいぞ!』
効果あります。
奏法のヒントその5:小さい手でも、ゲシュトップはでき
る。
ホルンという楽器には、「ゲシュトップ奏法」と呼ばれるものがあります。楽器のベル
(朝顔)に右手を入れ、出口をうまく塞げると、金属的でミュートが付いているような特
殊な音色になるのです。曲によって、それで演奏するよう指示がされている箇所が時々出
てきます。
中高生を教えていると、「手が小さくてうまくゲシュトップができない」という相談を受
けることがよくあります。
気持ちはよくわかります。手が小さいと、一見十分にベルを塞げないような気持ちがしま
す。
手や身体が小さいことがゲシュトップのハンデとなるなら、つぎの理由が考えられます。
①手が小さいと、ベルの出口をきつく手で密閉できない。
②身体が小さいと、ゲシュトップに必要な大量の息を吐けない。
でも、上記の二点が「絶対必要」でないとしたらどうでしょう?
実はわたし自身、身体や手が小さいわけでもないのにゲシュトップがうまくできなかった
頃は、上記二つの考え方をしていました。
いまは、異なる方法をとっています。
A:手は、ベル出口にかるく「かぶせる」ような感じ。
B:息は、(ペダル音域は例外かもしれないが)必ずしも大量に思いっきり吐こうとはし
ない。どちらかというと、手によって増えた抵抗をよく感じてそれに合わせる程度。
中高生を指導するとき、持ち方/腕の使い方の指導の中で全般的に腕の動きやホルンの支
えが自由で効率的になっていますから、それもあって効き目があるのかもしれませんが、
「手を奥に突っ込む」「密閉する」という考え方を『柔らかくかぶせる』に変えてもら
うと、かなり簡単に、これまではできなかったゲシュトップができるようになるケースが
多々あります。
また、「ゲシュトップは息をたくさん使うもの」とどこかで教えられていたり、あるいは
「うまくいかない→もっと頑張る(キバる/力む)」というお決まりのパターンの結果、
一生懸命吹きこもうとしすぎていてうまくいってない場合もよく見かけます。
そういうときは、手をかぶせたときにどれくらい抵抗感が変わるか、息だけ入れて感じて
もらいます。そして、「その抵抗感をよく感じながら吹いてごらん」と言うと、それだけ
でゲシュトップがうまくいくケースがよくあります。
それだけでは足りない場合、手をかぶせた状態で、タンギングせずに息を少しづつ音に換
えてもらう(ブレスアタック/リップアタックという呼び方があったでしょうか?)実験
をします。その際、唇にかかる抵抗感の変化をよく感じてもらいます。
すると、唇がゲシュトップ状態に自然と適応してうまくいくケースがよくあります。
人に
よっては、吹いてみせて、「なんとなく全体を見て、印象を真似してごらん」と実験して
みると良くなる場合もあります。
周辺にゲシュトップで苦労している人がいたら、ぜひこのアイデアを紹介してあげて下さ
い。
奏法のヒントその6:のどを開ける=のどを締めない
歌や管楽器の指導において、「のどを開けなさい」!
という指摘・指導はよく聞かれま
す。
オペラ歌手が喉を開けて素晴らしく声を響かせているように聞こえるように、
管楽器で
もやりたいわけです。
わたしも、かなり長い間、「のどを開けよう」としていました、高校生のときから。
ドイツ・エッセン・フォルクスワングへ芸術大学在学時に師事したにフランク・ロイド教
授にははじめ、「のどがキツくなっていて響いてない。のどを開けなさい」と言われまし
た。
ロイド教授の素晴らしく楽に豊かに響く音の実演付きで、すっかり「これだ!」と思い込
んで、数ヶ月の間「のどを開けよう」と四苦八苦しました。
しかし、なんだか開けようとすればするほど、音が鈍くなり、動きが重くなってくる。
な
ぜだろう?
そしてあるとき、ふと「開けよう」とはせずに吹いたら、急に今までにないぐらい楽によ
く響いた。
音の響き方は、ロイド教授とのレッスンで理解していった事にマッチしている。
レッスンで尋ねてみても、「それそれ、その音質」というフィードバック。
かなり混乱しましたが、とりあえず響く音は出るようになったのだから、いいや、という
こで「のどの開閉問題」は記憶の彼方へ風化していきました。
ですが最近、解剖学書を読んでいて「のどの開閉問題」が、あっという間に理解できてし
まいした。
まず、つばを飲み込んでみて下さい。
そのとき、口の後ろや舌の後ろの方で、動きを感じませんか?
それが咽頭収縮筋の働きです。
わたしが「開けようと」していてやっていたことは、この筋肉を働かせて「口の中が広
い」感覚を作ろうとしていたんです。
しかしですね、これは「のみこむ」筋肉であって、声や音を出すことに何も能動的に関係
しない筋肉なのです。
つまり、誤解していたのです。
音を響かせるために「のどを開けよう」として、「のどのあたりの関係ない筋肉」を使い
すぎていた。
これでは、さらにいわゆる「のどが締まった」状態を助長してしまいます。
そういえば、レッスンしているときにこの傾向を持っている人を、頻繁に見かけます。
「のどが開いている」という言い方は、「演奏をしながら口腔ー喉頭ー咽頭ー舌ー首が過
剰に緊張せずお互いにバランスをとって楽に連動している状態」と解釈すると良いでしょ
う。
「開けよう」として、さきほど指摘した「のみこむ筋肉」を使わないように。
それは上記の楽な連動関係にストレスを与えます。さらに「のどが締まって」きます。
そして、今から思い返してみると、そういったラクな連動関係とバランスが見付かったか
ら、音が響くようになったんだな、と思います。
そういう意味では、「のどを開こう」という間違いをして、無駄ではななかったです。
やはりポイントは「音」です。
響く音を、「身体でなにかやる」ことではなしに、「聴
覚」で探してみるとよいのではないでしょうか?
そうすれば、身体は自ずとそのためのバランスを見つけ、覚えていくはずです。
奏法のヒントその7:耐久力ー「望ましいやり方」の持続
金管楽器の演奏はとくに、そして木管楽器や歌唱においても、演奏を続けるうちに「バ
テ」が始まります。
金管楽器演奏のバテ対策に関しては、ひとつはこまめにマウスピースを離し、唇をリラッ
クスさせ、血流を促してあげることがありますし、息にもっと仕事をさせるという点も挙
げられます。
ですが、可能性としてもうひとつ考えられることがあります。
それは使う筋肉の種類という点です。
筋肉には速筋(白身。瞬発的で大きな力を出せる筋肉)と遅筋(赤身。持続的に活動し、
有酸素運動に対応する筋肉)があります。
たとえば、ただ立っているときや寝ているときも、脊柱起立筋や深層にある「存在するた
めの筋肉」は働いています。これが遅筋で構成される割合が高いのです。一方で、表層に
ある大きな白身の速筋は休んでいます。
マグロが例えば遅筋を持つ割合が高いのですが、実際赤身ですよね。
マグロは、高スピー
ドで眠らず何百キロも泳ぎ続けます。
これが発達した遅筋の能力です。
人間の場合も、速筋と遅筋を持っていますし、すべての筋肉群で速筋繊維と遅筋繊維が
様々な割合で含まれています。
肝心なのはここからです。
やり方によって、速筋と遅筋
の使われ方の割合が変化します。
恐怖反応や即座に動く必要があるときは、より速筋が使われます。
安定し、落ち着いた
行動が必要のときは、より遅筋が使われます。
時折、ホルンのスタミナ無尽蔵な人がいますが、鍵はこのあたりにある気がします。
そ
の人のやり方が、遅筋をより使うようなやり方なのです。
遅筋が使われるには、速筋がまず活動を休止したうえで望む行動・動作を継続しようとす
る必要があります。そのために、即座の習慣的な反応ややり方をいったん抑制する必要が
あります。
スタミナ無尽蔵の人は、実際に力や体力がたくさんあるというよりは、「疲れないやり方
の持続」に優れているのではないでしょうか。
では、どうすれば「疲れないやり方」「望ましいやり方」の持続が可能なのでしょうか?
これまでに、疲れずに良い感じで吹き通せた、疲れは感じても良い吹き方でいい感じで吹
けた、そんな経験はありませんか?
あるとしたら、そのとき「考えていたこと」がポイントです。
どういう風に考えていたで
しょうか?
どういう風に「吹くこと」に反応しましたか?
いい感じで吹けたとき、大事なのはそのときの感覚ではなく、「思考」です。
思考→動作→感覚
という順番が必ずあります。
ですので、感覚の再現を望むのではなく、思考の要点を掴んで行きましょう。
ある動きを起こす元となった指令・プランがあるのです。
そこは、様々に実験して変えて
行けるところなのです。結果はやってみたらすぐに分かります。
では、話をもとに戻して,「持続力・耐久力」のUPに必要な手段を、仮説ですが考えて
みます。
1:「望ましいやり方」を考え続けること。
2:「望ましいやり方」をやり続ける中で、習慣的に起きる「望ましくない反応」を抑制
すること。
これをやっていくなかで、結果的に速筋と遅筋の使われ方の割合が、より自分のやりたい
事をやりたいようにやらせてくれるようなものに次第に変化していくかもしれません。
了
さて、内容いかがでしたか?
実際にアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けてみましょう。
体験レッスンのお申込/お問合せは下記連絡先よりどうぞ。
電話:0120-844-882 メール:[email protected]
内容に関する質問や感想は私バジルにどうぞ。
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執筆:バジル・クリッツァー
BODY CHANCE 所属アレクサンダー・テクニーク教師&通訳
ブログ:「管楽器奏者のためのアレクサンダー・テクニーク」
http://basilkritzer.jp/
WEB:「楽器がうまくなる〜練習と上達の弾ける〜」
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