いわて復興ツーリズム推進協議会 第1回モニターツアーツアー報告書 ~企業向けリーダーシップ研修~ 2013.12.18~2013.12.20 【旅行企画手配】 実施内容 ■実施日程 2013年12月18日(水)~2013年12月20日(金) ■参加人数 20名 ■参加企業 16の首都圏企業・団体等 2泊3日 ツアーハイライト① 『 ~震災の現状を知る~ 学ぶ防災(㈳宮古観光協会) 』 命を守るのは、巨大防潮堤ではなく、自分自身を信じること・行動原則を信じること 人は、目に見える数字や構造、仕組みを信じてしまう。 ここでは、人が陥ってしまうとらわれや、皆が救われる には何が最も重要で、何を信じて行動すべきかを考える ことができる。 田老の集落を包み込むように建設された「万里の長城」と呼 ばれる防潮堤の上から、街を眺める。この防潮堤に守られて いると安心した住民たち。近くには、すぐ山べりがあり、無数 の避難道が見えていた。 3階まで津波に呑まれたたろう観光の6階で、支配人の松 本社長が一人残って撮影し続けたビデオを視聴。 津波の到達を大声で呼びかけるも虚しく、あっという間に 波は街を呑みこみ、周囲は海と化した。 松本社長は、この建物を残すことが津波の教訓を後世に 引き継ぐ一番の方法であると訴える。 国は、復興交付金を充て、建物の保存にかかる初期費用 をまかなうことを決めた。震災以降に国費が投入される初 の建物となった。 【宮古市田老地区】 宮古市田老地区は44年の歳月をかけ「万里の長城」とも呼ばれた巨大防潮堤を築き、津波に備えてきた。 だが今回、津波はその防潮堤を越えて田老地区を襲い、地区内の死者、行方不明者(4日現在)は合わせ て230人を超えた〔8月3日現在同185人〕。住民らは「防潮堤への過信もあった」と振り返る一方、 教訓を次世代につなげようと誓っている。巨大防潮堤は、地区内で死者、行方不明者911人が出た昭和 三陸津波(1933年)の教訓から、旧田老町の中心部を2重に守るように整備された。陸側は1934 年に着工し、57年完成。海岸側は62年に着工し78年に完成した。いずれも高さ10メートル、総延 長は2.4キロに達し、1960年のチリ地震津波から町を守ったことは田老住民の誇りだった。 ツアーハイライト② 『 宮古市復興推進課 ~復興を引っ張るリーダーたちから学ぶ~ 課長 滝澤 肇 氏 』 行政に求められる復興の役割とは何か…。行政マンとしての使命とは何か…。 仮設住宅の建設に向けて、国や住民から求められるスピード感というプレッシャーの中で苦悩を 抱えながらも、コミュニティ維持を貫き、無抽選での入居を実現。そこには住民の生活が第一と いう信念と、日常の組織内連携そして深い住民理解が潜んでいた。 滝澤さんは、発災後翌朝を迎えるまで何をす べきかぼんやりと考えたという。そこで、誰の ためにどう行動すべきか、道を定めた。 自身も地元の人間、地元の住民の気質を踏まえ、 被災者の立場になって考えながら、組織内のコ ンセンサスを得、コミュニティ維持での仮設住宅 建設を進めた。 『 ㈱浄土ヶ浜パークホテル 代表取締役 関 敦彦 氏 』 地域の事業者として求められる役割とは何か…。事業の本来の目的とは何か…。 発災時、自主的に避難所としての運営を開始し、無償で地域住民を受け入れた。また、復旧時は 警察の救援活動の拠点を提供すべく、事業としてホテルを運営。当日ホテルから離れていたにも かかわらず、スタッフを信頼し、トップとして組織を円滑に動かす重要な意思決定を着々とこな した。その姿勢に迷いはなかった。 本業を通して社会に貢献(利益を上げる)していくことが、雇用を生み波及効果 も高く、本当の意味での復興である。代価を取ることに抵抗がある社員とも対 話を重ねた。日ごろからの社員とのコミュニケーションを心がけているという関 さん。いざというときの信頼は、日常の関係構築があってこそという。 震災はこれまでの観光のあり方を見直すきっかけと もなった。地域の魅力の発信の工夫が必要と語る。 ツアーハイライト③ 『 ~住民の主体的なまちづくりへの参画のかたち~ ㈳おらが大槌夢広場 』 悲しみも絶望もすべてを受入れ、希望をもち地元の住民が一歩一歩復興に進む 愛すべき人、持ちうるものをすべて失ったとき、それ でも生きる力を生み出してくれるものは何か。大槌の 方々とのふれあいからその根源的なものに気付く。 食べるところもなくなっ た大槌で復興食堂を始 めた岩間さん。 人のつながりが活力に なり、新たなエネルギー を生み出す好循環がそ こにある。 「肩ひじ張らずに大槌町を楽しんでください。」 「ここに来てよかったかどうか、自身で判断してください。」 「大事な人を、もっと大切にしてください。」 大切な人をこの場で失っても、それでも生きていく…その こと意味と尊さを臼沢さんの言葉は教えてくれます。 【 ワークショップ 『クロスロード』 】 被災地で置かれた立場をモデルに難しい価値判断、意思決定を 体験。多様性・複雑性の中での価値判断は組織を営む上で、大 きな転換点となる。 具体例)4名グループ構成で、リーダー1名町長役、他メンバー 3名副町長。町長は副町長の意見を聞いて意思決定。 テーマ『震災遺構は保存すべきか、解体すべきか』等 【大槌町の被災状況】 大槌を離れ隣町で働く川 原畑さん。 手仕事(裁縫)を通して 素敵な仲間と繋がり、今 では独立を目指し生き生 きと活動している。心の 通う関係作りの大切さを 伝えた。 一日を振り返ってのダイアログ。 各々が感じたことをシェアし、心を整理する中で、また 新たな発見・多くの気づきが生まれる場となる。 人口 15277名(H22) ⇒ 12861名(H25) 死者 797名 行方不明者437名 震災時、加藤宏暉町長を始めとする町職員幹部ら約60人は災害対策本部を立ち上げるべく町庁舎2階の総務課 に参集したが、止まない余震にいったん駐車場へ移動。さらに津波接近の報を受けて屋上に避難しようとしたも のの、約20人が屋上に上がったところで津波が到達。町長と数十人の職員は間に合わず、庁舎の1、2階を襲っ た津波に呑み込まれて、そのまま消息が途絶える。町長以外にも課長クラスの職員が全員行方不明となったため、 行政機能が麻痺した]。県都である盛岡市から車で数時間かかる地勢もわざわいして、被害の全容が外部に伝わ りにくく、周囲から孤立したような状況がしばらく続いた。 ツアーハイライト④ ~震災から明るい未来を描くことの力強さ~ 『 講話: 宝来館 女将 『 講演: 釜石、あの日、あの時甚句 岩崎昭子さん 』 北村弘子さん・藤原マチ子さん 』 底抜けに明るい女将の話は、希望と力強さにあ ふれている。数々の逆境を乗り越え、明るい未 来を描くことで、それが推進力となり、大きな 復興の輪を生んでいく。 リーダーとして暗闇に明るい光を灯す存在であ ることの重要性を、身を持って実践する岩崎さ んです。 「釜石の奇跡」そして「死に別れた愛する人を想う歌」 相撲甚句に乗せて津波の教訓を語り継ぐ新たな試み。 胸を打たれ、知らずに涙が流れます。 波に呑まれた富来旗(ふらいき)を纏っての釜石小唄 頭で理解することだけではなく、心で「感じる」ことで意識が変わり行動が変わる。 【釜石の奇跡】と【釜石の悲劇】 釜石市の小中学校の児童・生徒たちは、防災教育を通して自然災害の恐ろしさを群馬大学の片田敏孝教 授より2004年から徹底的に教えられてきた。津波による釜石市の死者・行方不明者は1000人以上に のぼったが、釜石市の学校に通う小中学生全生徒2926人中、学校を休んでいたなどの5人を除く全 員が津波から逃れたことが報告されている(生存率99.8%)。その内情としては、被災した瞬間に学校 の管理下にあった児童生徒だけではなく、下校していた子どもの多くも自分の判断で高台に避難したと いう報告がされている。そこでは、以下の三原則が基となっている。 ①想定にとらわれるな …相手は自然。人間の想定通りのはずはない。 ②最善をつくせ …命を守るために、どこが最も安全なのか。どの行動が最善か考えるべし。 ③率先避難者たれ …集団同調の心理で人は簡単に逃げられない。誰かが動けば、結果皆が動き出す。 一方、自主避難を見事に実践した釜石東中・鵜住居小のある鵜住居地区の中で、川を一本隔てた対岸で は200名以上の犠牲者を出した鵜住居防災センターがある。市の指定避難場所ではなかった築2年の コミュニティスペースは、地域の避難訓練の場所であり、住民からは非常時はここに集まればよいとい う誤った認識が広がっていた。震災遺構として保存か解体かの議論が繰り返されてきたが、市は12月 解体工事に着手した。 ツアーハイライト⑤ ~じっくりと内省、そして思いを共有~ 『 』 遠野ふるさと村 日本の古きよき原風景を思い起こす遠野ふるさと村。 静かに内省の時間をとり自分と向き合った上で、互い の思いを伝え合い、共有する。 講師の守屋さんの言葉 「様々な方に触れ、悶々とする過程を経て、新たな自分 が見えてくる。リーダーの定義は人それぞれでいい。」 『 ツアーを振り返って(参加者の声)』 これまでの「従わせる」というリーダー像への誤りに 気付いた。適切な判断力・自分の行動力・他者の話を 聴く、この3つの重要性について考えさせられた。 自分の人生がまるで他人事のように周りの目を気 にして生きてきた。自分らしい考え方(個性)を 大切にしたい。人にプラスの影響を与えられる存 在でありたいと感じた。 人と人のつながりの大切さ。自分でやるのが早いと きもあるが、信念をそれぞれが持っている。他者を 認めること、コミュニケーションの大切さを実感。 頭の中が混沌としている。「信念」「存在感」と いうキーワードが浮かび上がる。リーダーは唯一 無二ではなく、状況によって一つの役割として生 まれてくるのではないか。 「感じる」ことの大切さを認識した。「考える」のでは なく、心を研ぎ澄まして。そして「謙虚でありたい」と 願う。「清濁併せ呑む」ことの葛藤、「精一杯」の行動 の難しさに共感した。 リーダーとして、「ビジョン(夢)を伝えること」 「コミュニケーション力」「成長し続ける気持ち」 が重要であると感じた。 いわて復興ツーリズム推進協議会 第3回モニターツアーツアー報告書 ~企業向け管理職研修~ 2014.2.3~2014.2.5 【旅行企画手配】 実施内容 ■実施日程 2014年2月3日(月)~2014年2月5日(水) ■参加人数 22名 ■参加企業 首都圏企業・団体18社 等 2泊3日 ツアーハイライト ~絶望から這い上がり事業再生を果たした事業者の信念~ 『 新生やまだ商店街協同組合・事務局長 椎谷百代 『 ㈱スーパーびはん 慶蔵 専務取締役 間瀬 氏 』 氏 』 山田町は地震、津波、そして3日間火災が続き、街は壊 滅的な被害を受けた。街の現状を案内してもらい、その 後地域を支える地域のスーパーびはん㈱を訪れた。震災 後いち早く事業を再開させた専務の使命感と復興への想 いとは… 震災後もしばらく街は焦げ臭いにおいが立ち込めていた。 いまだ堤防も嵩上げも工事も始まってはいるものの中々進ん でいない現状。しかし漁業は養殖が盛んな土地柄で海にはた くさんの養殖棚がぎっしりと海に漂っている。 これが私達の生きる道なんですと力強く語ってくれた。 間瀬さんの行動の理由、それは… 「人生はやるかやらないか。生き残った人はやるしかない。 だからやるしかなかった。本当は怖かった。悲しかった。震 災から3か月後現実を受け入れはじめて泣いた。経営者と いうより一人の人間として生き残ったからやるしかない!と 強く心に決めた。」 ~ 旬の味覚!復興やまだのカキ小屋 ~ 震災後変わり果てた観光産業を復活 させるにはこれしかない!と2012年に 再開。豪快にスコップでカキを鉄板に のせ、蓋をかぶせて蒸らすこと10分… 湯気の中からぷりっぷりの大きなカキ が現れた。ここのカキ小屋は40分食べ 放題で参加者は30粒以上食べた方も。 着実に漁業も復興に進んでいる。 ツアーハイライト② 『 ~ 震災から学び得た教訓とこれからの防災のあり方~ 宮古地区消防本部消防課 佐々木 重光 氏 』 行政主導ではなく、自主防災の理念こそ地域や社会を守る大きな役割 発災時の初動対応として、これまでに例のなかった自衛隊・消防・警察の連携を実施、その現場 の最前線にいた佐々木氏より、有事に備える組織のあり方、姿勢を学ぶ。 皆さん何が一番大切ですか…? 自分を守れないで他人は守れませんよ! 震災発生時の対応の中で組織の連携は不可欠。 しかし私は大きな失敗をした…。現場優先の指 揮で大切な部下の精神状態を考慮できなかった。 ツアーハイライト③ ~ 震災を語り継ぐ地元企業の取り組み ~ 『 三陸鉄道株式会社 旅客サービス部 部長 冨手 淳 氏 』 地域の事業者として求められる役割とは何か。事業の本来の目的とは何か。 地域住民の足として、また三陸復興のシンボルとして着々と復旧を果たしながら、震災の教訓を 語り継ぐプログラムを開発。地元企業として復興にかける強い思いを語る。 震災により一部の駅や線路が流された。復旧には莫大な費用と時間を要した。全国からの支援を後 押しするように久慈のあまちゃん効果や震災学習列車など様々な企画に取り組み、今年4月には全線 開通する予定だ。 ツアーハイライト④ 『 ~ 地域の再生と未来を見据えた団体運営 NPO法人体験村たのはたネットワーク 事務局長 楠田 拓郎 ~ 氏 』 地元だけじゃなくIターンを受け入れ、地域資源を再認識。そこから生まれる復興とは… 震災前から田野畑村での体験観光への取り組みを実施。団体設立の経緯とコンセプトをお話しいただく とともに、震災を受けどんな未来を見据え活動を展開していくのか、今後の展望を伺う。 漁業だけではなく交流人口を増やすた め観光を結びつけた新しい体験型ツー リズム作った。その中でもサッパ船アド ベンチャーズは今や三陸沿岸では欠か せない観光の目玉。 背景には漁師さんとのコミュニケーショ ンの難しさに苦難の連続だった!? 組織のトップ・管理職としての在り方 をテーマにWS。様々な場面において の意思決定の背景には、使命感・確 実な情報・原理原則の意識など、お 互いの想いを共有できる人間関係 の構築が最も重要である。 サッパ船アドベンチャーズ 田野畑湾クルーズへ、いざ出航!! 漁師の磯船‘サッパ船’とは?ウニ漁やアワビ漁をする際に使われる小型船。岩肌ギリギリを爽快に走り、200Mの断 崖絶壁を見ながら三陸の歴史、ジオサイト、漁師の営み、そして観光にかける温かい思いに耳を傾ける。 船頭さんの自己紹介と出航式 海の透明度と極寒の洋上に一同驚愕!? 『 ツアーを振り返って(参加者の声)』 単なる感じた思いについてアウトプットだけはなく、管理職という立場での決断や組織作りに ついての気づきは、日常業務ではなかなか見出せない。しかし、こうして日常を離れ、非日 常の世界である岩手(被災地)に来ることで自分自身と向き合うことができ、新たな自分を発 見する。 管理職としての在り方を学ぶには被災地はもってこい の場所。日本の行く末が不透明な中で、非常時から力 強く歩む企業の姿を学ばせていただいた。 異業種の方々のお話を聞く事で様々な環境を知る ことができた。課題は意外にも共通していたりし て、解決に向けてのWSはかなり盛り上がった。 被災地での実体験ができ、自分自身の立場にもリ アルに置き換えることができた。新人研修でも効 果的だろう。 全体的に研修の内容、参加する方の質が非常に良かった。 体験型ということで自分自身で実感できることが何より も魅力的。
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