料理好きの少年が 一転、菓子作りを 目指した瞬間 ﹁ 小 学 生の頃から 料 理が好きで、 母の横 物に行って素材を見るのも好きでしたね﹂。 で食事の支度を手伝っていたんです。買い そんな 廣 田さんが初めて菓 子 作 りを 経 験 したのは小学五年生の時。家に電子レンジ が届き、 付 録に付いていた菓 子のレシピを 参考に挑戦してみた。﹁でも、全然うまく いきませんでした﹂。 その後中学、高校と進み、経営のノウハ ウが学びたいとある大学の商学部への進学 廣田貴志 一度は、 本気でこの道を諦めようと思った。 でも、 踏みとどまって本当に良かった。 学生時代に必死で学んだこと たくさんの職場で経験してきたことを糧に 誰もが笑顔になれるケーキを作り続けたい。 パティシエ Choice is yours Takashi Hirota : Pâtissier です。菓子が膨らむ仕組みなどを理論的 さん 状況の中で中村調理師専門学校︵現中村 現場の学びとは違う視点から菓子作りと に説明してもらうことで、﹃見て覚える﹄ ●パティスリーシトロン オーナー 中村調理師専門学校︵現 中村調理製菓専門学校︶︵1998 年卒︶ 調 理 製 菓 専 門 学 校 ︶の存 在を 知った。し を 考えるも、 受 験に失 敗。 浪 人でき ない かし 興 味 を 持ったのは 調 理では な く、 意 向 き 合 うことができ ました。 他にも 製パ 廣田さんはクラスメートと朝早く登校する 原価や製法のレポート作成に追われる日々。 類 以 上の菓 子を 実 習で作 り、それぞれの 味。 今でも 鮮 明に 覚えていま す。さらに などしてや り 遂げた。そんな 密 度の濃い も 役 立っています﹂。一方、一週 間で一〇種 先 生が﹃ 料 理の場 合は、いい食 材を 用 意 作った ものとは 桁 違いの 本 格 的 な 食 感や すれば美味しいものを作ることができるが、 作する菓 子は、 試 験 前日にくじ 引きで決 りを一人で作り上げる実技に臨んだ。﹁制 まるんです。僕が引いたのは、洋ナシのムー 二年間を過ごし、卒業試験では、菓子作 にくい分、パティシエの技術が試される﹄ と ス。結果、 一位の優秀賞をいただきました﹂。 菓 子の場 合、ほぼすべてのベースとなるの 白みを感じて入学を決意しました﹂。 卒業後は一年生の時に校外実習でお世話 になった 福 岡の個 人 店に就 職。 仕 事は 楽 ちっぱなしという状況。 ﹁専門学校でも﹃パ しかったが、 辛かったのは 朝から 晩まで立 ある程 度 慣れていると 思ってはいたのです を置かないなどの対策は取られていたので、 でした﹂。 が。実際の現場は想像以上で毎日ヘトヘト 人の 食 生 活に 合い、 幅 広い世 代に 親し ま とができ、さらに自分が目指すべきは日本 になぜ和 菓 子が生 まれたのかを 考えるこ になぜフランス菓 子が生まれたのか、日 本 ボルドーに三ヶ月間滞在しました。フランス れるケーキを作ることだとわかったんです﹂。 それでも一年半を迎えた頃には、パティシ エとして随分動けるように。そして二年目 もと、いろんな店で経験を積みたいとオー う。﹁次こそは自分の店を持ちたい。しか そして、 帰 国し た 廣 田さんは 大 阪へ向か 作りの経験が欠けていました。洗練された しその時の自 分には、 親しみのある菓 子 夏に、﹃ 今のお前 な ら 大 丈 夫 ﹄ と 背 中 を 押していただいて。嬉しかったですね﹂。次 ロールケーキなど 庶 民 的で親しみやすいお は大きなシュークリームやフルーツいっぱいの 小型工芸菓子のコンクールでも入賞しまし 菓 子が支 持される街。そんな 大 阪で地 元 フランス菓子が好まれる東京に対し、大阪 た。また東京で開催されている﹃ジャパン・ 修行したいと思ったんです。就職先は平日 の 方に 愛され、 多 くの 常 連 客 を 持つ店で を経験する傍ら、チョコレートやアメ、マジパ ケーキショー﹄に作品を持ち込むなど、自 でもデコレーションケーキが一日に一〇〇台く 菓子作りを覆す部分も多く、本当に刺激 らい売れる 人 気 店。これ まで 学んできた のを作っていましたが、この店で働くうち んはパティシエの 道 を 諦めよ う とさえ 思い、 した﹂。結局、一年で退職。さらに廣田さ が人が少なく、 人 間 関 係にも 悩まされま スリー シトロン﹂ をオープンさせた。 厨 房 め、ついに二〇一五年一月、自身の店 ﹁パティ そして四 年 後、 福 岡に 戻った 廣 田さん は、先輩の店で働きながら開店準備を進 うようになったんです﹂。 続けたいと思います﹂。 ね ながら、 地 域に 愛されるケーキを 作 り がいは大きいですね。今後も日々勉強を重 日を一生懸命進んでいる感じですが、やり つ。﹁オープンして二ヶ月。 ま だ ま だ一日一 いるが、忙しいときは廣田さんも店頭に立 は 廣 田さんひと り。 接 客は 妻が担 当して 他業界に就職しようとパソコンスクールに通 ことに疑問を持って。二年でお金を貯めて、 作っているのにフランスという国を知らない きを 考えるよ うになる。﹁フランス菓 子を として働き始めた廣田さんは、フランス行 らの一言でした ﹂。そして、 再びパティシエ 自分の道を諦めていいのか﹄ という先輩か たからと言って、これまで積み上げてきた いろんな人がいる。たった一人と合わなかっ 帰するきっかけになったのは、﹃世の中には い出す。それでも心は揺れ動いていた。 ﹁復 作りたいもの、すごいと思ってもらえるも そして三年後、今度は観光地のホテルへ。 ﹁ 人 生の 中で一番 きつかった 時。 朝 食の 来 立てを 提 供することにこだわろ うと 思 に、お客さ まが求めるものを 作ろ う、 出 にな り ました。 また、それまでは 自 分が 用 意、 他に も 山ほ ど 仕 事があったのです フルーツカットからお昼のカフェスイーツの 一度あきらめかけた道 でも、 再び歩き始めた 分の 力 を 試 す 時 間の 余 裕 もでき ました ﹂。 ンなどの細工ものにも挑戦した。﹁福岡の はシティホテルの厨 房へ。 多 彩 な 菓 子 作 り ナーに伝えていたんです。すると二年目の を終えるころ、その店を退職した。﹁もと ティシエは 立 ち 仕 事 ﹄ と、 実 習 室に 椅 子 論。 菓 子の知 識や製 法を座 学で学ぶもの 専 門 学 校では 菓 子 作 りを 様々な 角 度か ら 学んだ。﹁ 印 象に残っているのは 製 菓 理 学生時代の学びは 全て仕事に繋がった おっしゃったんです。 そのことにすごく 面 は小麦粉・ 卵・ 砂糖など。原料で差が出 たシュークリームに 衝 撃 を 受ける。﹁ 家で 外にも 製 菓コース。﹁ 料 理は 好き だったの 時代からのノートは、今でも大切に保存してい る。就職してからもずっと傍にノートを置き、製 法や材料を記録してきた。 下右/念願叶っ てオープンした 「パティスリー シトロン」 。生ケー キのほか、焼き菓子や、クロワッサンなどのパ ンも販売する。 アが広げられる授 業もあ り、それらは 今 を『美味しかった』 『また食べたい』といってく ださることが何よりの喜びです」 。上左/学生 ンや 和 菓 子の 実 習 な ど、 洋 菓 子のアイデ かな職業に見えますが、実は地道な作業が多 く、体力も使う仕事。でも、この自分のケーキ ですが好き嫌いが多く、調理師には向かな とつひとつ丁寧な工程を積み上げて、ようやく デコレーションに至る。 「パティシエは一見華や いと思ったんです﹂。そして体験入学で作っ 上右/店の厨房は、道具から動線まで、すべ て自分で熟考した上で配置した。 上中/ひ
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