高血圧/心血管病予防のポピュレーション戦略

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第 14 回 臨床血圧脈波研究会 フィーチャリングセッション 1 キーノート
高血圧/心血管病予防のポピュレーション戦略
三浦克之(滋賀医科大学社会医学講座公衆衛生学部門教授/アジア疫学研究センターセンター長)
厚生労働省の研究班「EPOCH-JAPAN」では、全国の代
血圧値は集団の栄養状態を示す
指標の 1 つ
表的な10の循環器コホート研究(男女計約7万人のデータ)
を集積し、各循環器疾患の死亡リスクと血圧の関連を分
人間集団の血圧値は、男女ともに正規分布することが
析した(図 1)3)。その結果、至適血圧に保たれている人が、
知られている。
将来の死亡リスクが最も低く、それを超えると対数直線
しかし、ロンドン大学 Rose 教授の調査(ロンドンの公
的にリスクも上昇していく。また、集団寄与危険割合
務員とケニアの遊牧民の血圧分布について比較)1)などを
(population attributable fraction;PAF)を用いた試算に
はじめとし、時代や地域によって血圧が分布する範囲に
より、全循環器疾患死亡の 5 割が至適血圧を超える血圧高
大きな違いや変動があることが確認されている。収縮期
値で説明できることが示された。より低いレベルでの血
血圧 140 mmHg 以上を高血圧と定義することは人為的な
圧維持が将来のリスクを予防すると考えられる。さらに、
ものであり、カットオフ値により規定される高血圧の有
このデータを年齢階級別で分析すると、中壮年者(40 ∼
病率は、対象とする集団の血圧分布によって大きな差が
64 歳)では、至適血圧を超えた正常血圧のレベルから対数
出る。つまり、血圧とは、肥満度、体格、血清の脂質な
直線的にリスクが上がっていくことがわかる。さらに、
どと同様、広い意味での集団の栄養指標の 1 つといえる。
各血圧レベルにおける PAF をみると、Ⅰ度高血圧が 20 .5%
と最も高く、Ⅱ度高血圧(15 .9%)やⅢ度高血圧(10 .0%)
血圧は循環器疾患死亡リスクと
密接に関連
に対する対策のみでなく、Ⅰ度高血圧以下の軽い血圧上
昇への対策が循環器疾患による死亡を減少させるために
年齢別にみた血圧と脳卒中・冠動脈疾患の死亡リスク
は重要となることがわかる。
の関係を考察した 100 万人のメタアナリシス 2)によると、
ハイリスク戦略と
ポピュレーション戦略
血圧が高くなればなるほど、脳卒中、冠動脈疾患の死亡
リスクは上昇し
(罹患リスクも同様)
、どの年齢階級であっ
ても対数直線的な関連を示し、閾値がないことが、多く
循環器疾患危険因子に対する対策を行う際には 2 つの大
の疫学研究で明らかになっている。
きな戦略がある。1 つはハイリスク戦略であり、健診など
図 1 ● 血圧レベル別の循環器疾患死亡ハザード比と PAF(年齢階級別)̶国内 10 コホートの男女 67 ,309 人のメタア
(文献 3 より引用)
ナリシス
(EPOCH-JAPAN)
中壮年者
前期高齢者
後期高齢者
(40∼64 歳:49,935 人)
(65∼74 歳:13,707 人)
(75∼89 歳:3,667 人)
10
多変量調整ハザード比
1
Ⅲ度高血圧
Ⅱ度高血圧
Ⅰ度高血圧
−1.7% 3.7% 9.7% 7.3% 4.3%
総 PAF 49.3%
※1:ハザード比は年齢、性、コホート、BMI、総コレステロール値、喫煙、飲酒にて調整。
※2:PAF は集団すべてが至適血圧だった場合に予防できたと推定される死亡者の割合を示す。
20
正常高値
−
正常
5.7% 4.1% 20.1% 12.5% 6.8%
至適
Ⅲ度高血圧
Ⅱ度高血圧
Ⅰ度高血圧
正常高値
総 PAF 60.3%
−
正常
6.0% 7.9% 20.5% 15.9% 10.0%
至適
Ⅲ度高血圧
Ⅱ度高血圧
Ⅰ度高血圧
正常高値
−
正常
至適
各血圧
レベル
における
PAF
総 PAF 23.4%
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フィーチャリングセッション 1
フィーチャリングセッション1 キーノート
図 2 ● 健康日本 21
(第 2 次)
:循環器疾患の目標設定(文献 5 より引用)
<循環器疾患の予防>
脳血管疾患の減少(年齢調整死亡率の減少)
男性 15.9%の減少、女性 8.3%の減少
<危険因子の低減>
虚血性心疾患の減少(年齢調整死亡率の減少)
男性 13.7%の減少、女性 10.4%の減少
4 つの危険因子の目標を達成した場合
高血圧
収縮期血圧 4mmHg 低下
脂質異常症
高コレステロール血症者
の割合を 25%減少
喫煙
喫煙率を19.5%から
12%に減少
糖尿病
有病率の増加抑制
4 つの生活習慣等の改善を達成した場合
収縮期血圧
2.3mmHg の低下
1.5mmHg の低下
栄養・食生活
身体活動・運動
・食塩摂取量の減少
・野菜・果物摂取量の増加
・肥満者の減少
・歩数の増加
・運動習慣者の割合の増加
0.12mmHg の低下
(男性のみ)
0.17mmHg の低下
飲酒
・生活習慣病のリスクを
高める量を飲酒してい
るものの割合の減少
降圧剤服用率
10%の増加
<生活習慣等の改善>
によりハイリスク者を早期に発見し、早期に介入(治療)
均値は大きく低下し、血圧分布が全体として低いほうへ大
しようというもので、従来から多く行われ、成果を上げ
きくシフトした。これが、わが国の脳卒中の死亡率を急激
ている。ただし、この戦略では、軽いリスクの集団には
に低下させた最大の要因と考えられている(健康日本 214)
介入できず、また、新たにハイリスク群に入る人がいる
によれば、3 mmHg 下がることで脳卒中の死亡率が約 10%
ため、根本的な対策とはなりえない。
低下すると試算)
。おそらく高齢者は薬物治療の効果によ
もう 1 つの戦略がポピュレーション戦略である。多くの
ると考えられるが、若い世代でも下がっているという点に
正規分布する生体指標に関して、集団全体として分布を
着目すると、生活習慣の変化が影響しているといえよう。
改善する、集団の平均値を下げるといった集団全体にア
一方、拡張期血圧ではほぼ低下がみられるが、男性の
プローチする対策である。普及啓発、キャンペーン、環
高齢者においては低下がみられず、この集団の肥満の増
境整備などを行うもので、ロンドン大学の Rose 教授が名
加の影響などが考えられている。高血圧有病率が収縮期
著『STRATEGY OF PREVENTIVE MEDICINE』で提唱し
血圧の変化ほどには低下しておらず、予防効果は十分で
た 1)。ポピュレーション戦略(ポピュレーションアプロー
はないことが示唆された。
チ)
の強みには、次のようなものが挙げられる。
健康日本 21(第 2 次)5)では、2022 年までの 10 年間で収
・集団が病んでいるときの根本的解決法(個人への対策は
縮期血圧を4mmHg低下させることを目標に掲げた
(図2)
。
表層的)
これはまさしくポピュレーション戦略であり、食塩摂取
・患者数減少の効果が大きい
の減量や肥満対策などの栄養・食生活をはじめ、身体活動・
・環境を変えることで個人の努力が少なくて済む
運動、飲酒、降圧薬の服用といったいろいろな集団に対
一方、次のような限界がある。
する対策によって実現を目指すとしている。
・個人個人への利益は小さく、分かりにくい
国際的には、わが国の減塩目標値はまだ高く設定され
・社会が受け入れるのか、社会の協力が得られるのか
ている。また、高血圧に対する肥満の寄与が、近年増加
・効果の確認が難しい(検証には大規模かつ長期の研究が
していることからも、これらの対策は有効なアプローチ
必要)
至適血圧維持、若い世代への予防効果
にポピュレーション戦略が有効
1961 ∼ 2010 年の 50 年間の日本国民の収縮期血圧の平
になり得ると考える。
繰り返しになるが、循環器疾患の過剰死亡の多くは正常
高値・軽症高血圧から発生していることがわかっている。
本研究会のテーマであるPWV などを新たな指標として、こ
うした集団の動機づけに活用していくことに期待したい。
文献
1) Rose G. Rose s strategy of preventive medicine. Updated Edition. New
York: Oxford University Press; 2008 .
2) Lewington S, et al. Age-specific relevance of usual blood pressure to
vascular mortality: a meta-analysis of individual data for one million
adults in 61 prospective studies. Lancet 2002 ; 360 : 1903 -13 .
3) Fujiyoshi A, et al. Blood pressure categories and long-term risk of
cardiovascular disease according to age group in Japanese men and
women. Hypertens Res 2012 ; 35 : 947 -53 .
4) 厚生労働省 . 健康日本 21 . 2000 .
5) 厚生労働省 . 健康日本 21(第 2 次).2012 .
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