みずほインサイト 日本経済 2013 年 6 月 28 日 雇用面からみた成長戦略の評価 経済調査部エコノミスト 大和香織 03-3591-1284 [email protected] ○ 「日本再興戦略」ではエネルギーや健康医療など成長分野の開拓・拡大によって、2020年までに+ 269万人の雇用増(労働需要の増大)を見込んでいる ○ 一方で、人口減の悪影響を緩和するため20~64歳の就業率を5%Pt引き上げる目標だが、達成して も就業者数は2020年までに152万人減少(労働供給が減少)すると試算される ○ 成長分野の労働需要を満たすには従来以上の労働移動促進が不可欠。「日本再興戦略」では「労働 移動しようとする人」を増やす政策が不足しており、再検討が必要 1.はじめに 安倍政権の成長戦略、「日本再興戦略」が6月14日に閣議決定された(図表1)。しかし、閣議決定 に先立ち素案や首相スピーチなどを通して内容が明らかにされた段階から、目新しい施策に乏しいと いう厳しい評価が金融・資本市場では広がった。安倍首相は「進化し続ける成長戦略」の名の下、内 容を柔軟に見直していく方針を表明しており、現時点で最終的な評価を下すのは適切ではない。だが、 暫定的にせよ厳しい評価になったのは、日本経済の将来の姿や成長の道筋が明確になっていないため であろう。本稿では雇用面に着目し、「日本再興戦略」の実現可能性を検討する。 図表1 「日本再興戦略」の概要 3つのアクションプラン 主な内容 産業の新陳代謝促進 民間投資活性化、事業再編促進等 ①日本産業再興プラン 雇用制度改革・人材力強化 労働移動支援、女性・若者・高齢者活躍推進、大学改革等 ~産業基盤の強化 科学技術イノベーション強化 研究開発支援、知財・標準化戦略の強化等 ITの利活用促進 ビッグデータ活用、通信インフラ高度化等 立地競争力強化 特区、公共施設のPPP/PFI活用、産業インフラ整備等 中小企業の革新 戦略市場参入・国際展開支援等 予防サービス、高度医療、介護 ②戦略市場創造プラン 「健康寿命」の延伸 クリーンなエネルギー需給 再生可能エネルギー活用、流通効率化、次世代自動車推進等 ~新たな市場創造 次世代インフラの構築 インフラ長寿命化、安全運転技術、物流システム高度化等 地域資源で稼ぐ社会 農林水産業活性化、観光 戦略的通商関係構築 TPP・RCEP交渉推進等 ③国際展開戦略 海外市場の獲得 インフラ輸出、中小企業の海外展開支援、クールジャパン推進 ~国際市場の獲得 内なるグローバル化の推進 対内直接投資活性化(特区活用等)、グローバル人材育成 (資料)「日本再興戦略-JAPAN is BACK-」(2013年6月14日閣議決定)よりみずほ総合研究所作成 1 2.「戦略市場創造」が想定する雇用増は 2020 年までに+269 万人 まず、 「日本再興戦略」でどの程度の雇用創出が想定されているか確認しよう。成長分野の開拓・創 造については3つのアクションプランのうち「戦略市場創造プラン」にまとめられている。同プランは 世界や日本が直面する社会課題(エネルギー制約、健康医療など)のうち、 「日本が国際的に強み」を 持ち、かつ「グローバル市場の成長が期待」でき、 「一定の戦略分野が見込めるテーマ」という観点か ら、①国民の「健康寿命」延伸、②クリーンかつ経済的なエネルギー需給の実現、③安全・便利で経 済的な次世代インフラ構築、④世界を惹きつける地域資源で稼ぐ地域社会の実現という4テーマを選定 し、 「研究開発から規制緩和に至るまで政策資源を一気通貫で集中投入」しようとするものである。将 来の雇用規模は、①~③の分野合計で2020年時点に403万人(現状の134万人から+269万人)、2030年 時点で623万人(同+489万人)が見込まれている。また、①~④(農業を除く)合計でみると、2030 年時点で706万人(現状の159万人から+547万人)の雇用規模が想定されている(図表2)。 3. 就業率が 5%上昇しても、20~64 歳就業者数は 2020 年までに 152 万人減少 生産年齢人口の減少に直面する日本では、成長分野の開拓・創造という需要拡大策だけではなく、 将来予想される労働供給不足をいかに解決していくかという視点も欠かせない。「日本産業再興プラ ン」の「雇用制度改革・人材力の強化」の項には「働き手の数(量)の確保と労働生産性(質)の向 上」の実現が掲げられている。具体的には 20~64 歳の就業率(就業者/人口)を現在の 75%から 2020 年までに 80%に高めることを目標に、大学改革や労働移動の促進、若者・女性・高齢者等の活躍機会 の拡大により供給力を強化する目論見のようだ。 ただし、目標どおり就業率を上昇させることに成功したとしても、労働力不足の問題が解決するわ けではない。国立社会保障・人口問題研究所の「将来推計人口」によれば、20~64 歳人口は 2012 年 図表2 「戦略市場創造プラン」が想定する市場規模・雇用者数 テーマ1 国民の「健康寿命」の延伸 国内 海外 国内 海外 国内 海外 テーマ2 クリーン・経済的な エネルギー需給の実現 テーマ3 安全・便利で経済的な 次世代インフラの構築 テーマ4 世界を惹きつける地域資源 で稼ぐ地域社会の実現 国内 ①農業 市場規模(兆円) 現在 2020年 2030年 16 26 37 163 311 525 4 10 11 40 108 160 2 16 33 56 167 374 海外 国内 ②観光(訪日外国人消費) 国内 テーマ1~3合計 100 340 1.3 22.0 テーマ1~4(農業除く)合計 国内 23.3 120 680 52.0 - (注)農業の国内市場規模は農業・食料関連産業生産額、世界市場規模は食市場規模。 (資料)「日本再興戦略-JAPAN is BACK」よりみずほ総合研究所作成 2 4.7 81.0 85.7 雇用者数(万人) 現在 2020年 2030年 73 160 223 55 168 210 6 75 190 40代以下の従事者を20万人から 10年後に40万人に拡大 25 134 403 83 623 159 - 706 から 2020 年にかけて 632 万人減少する(2012 年比▲8.5%)。その下で就業率が 2012 年から 2020 年 にかけて 5%Pt 上昇したとしても、2020 年の就業者数は 5,442 万人と、2012 年に比べて 152 万人減少 する計算になる(2012 年比▲2.7%) (図表 3)1。就業率が上昇すれば、就業者数の減少ペースは人口 減に比べて抑制されるものの、現在の就業者数を維持するには至らない。また女性については、待機 児童対策などによって 25~44 歳の就業率を 2012 年の 68%から 2020 年には 73%と 5%Pt 上昇させる としている2。しかしそれでも 25~44 歳女性の就業者数でみると 2020 年には現在より 115 万人減少す る計算となる。 4. 就業者減を補う労働生産性向上の鍵は「労働移動促進」 20~64 歳の就業率を、過去最高水準(1992 年の 76%)を上回る 80%に引き上げることが現実的か という議論もあろうが、目標どおり就業率が上昇したとしても、就業者数の減少は避けられない。し たがって「雇用制度改革・人材力の強化」に掲げられたとおり、 「働き手の数の確保」だけでなく「労 働生産性の向上」を実現しなければ成長目標は達成できない。就業者数が緩やかに減少する下で政府 が目標とする「今後 10 年間の平均実質GDP成長率 2%」を達成するには、2000 年以降平均 1%程度 の伸びにとどまっている労働生産性(実質GDP/就業者数)上昇率を、年平均 2%強まで大幅に引 き上げる必要がある(図表 4)。 労働生産性向上の方策として、 「日本再興戦略」では「労働移動の促進」が重視されている。過去の 成長戦略と代わり映えしないと見られがちだが、この労働移動の重要性を示したことは、前民主党政 権の「新成長戦略」 (2010 年 6 月閣議決定)との大きな違いである。 「新成長戦略」も「日本再興戦略」 も就業率を 20~64 歳で 80%、25~44 歳女性は 73%まで上昇させ、それでも就業者数が減少する分を 労働生産性の向上で克服するという点は同様である。だが、 「新成長戦略」が労働生産性向上を実現す 図表3 (万人) 6,000 20~64歳就業率の政府目標 就業者 政府目標値 就業率(右目盛) 図表4 労働生産性上昇率の推移 (%) 85 80% 5,900 80 75% 5,600 5,500 5,594 万人 6 5 労働生産性上昇率 「日本再興戦略」 の想定値 後方10年移動平均値 4 5,800 5,700 (前年比、%) 75 5,442 70 万人 65 60 5,400 3 2 1 0 ▲1 ▲2 5,300 55 ▲3 5,200 50 ▲4 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 12 14 16 18 20 (注)2020年の就業者数は、「将来推計人口」の20~64歳人口より算出。 (資料)総務省「労働力調査」、国立社会保障・人口問題研究所「将来推計人口」等より みずほ総合研究所作成 ▲5 (年) 80 83 86 89 92 95 98 01 04 07 10 13 16 19 (資料)内閣府「国民経済計算」、総務省「労働力調査」より みずほ総合研究所作成 3 (年) るためにイノベーションや働き方の改革を挙げるにとどまっていたのに対し、 「日本再興戦略」はそれ らに加えて、 「労働移動支援」を打ち出している。労働供給(就業者数)が減少する中で労働生産性向 上を目指すには、低成長分野から高成長分野への人のシフトが不可欠となるのは言うまでもない。と りわけ今後は共働きや高齢就業者の増加に伴い賃金以外の条件(地域限定など)を重視する労働者が 増えるとみられ、労働市場の価格調整機能が十分に働かない(高賃金を提示するだけでは雇用を確保 することが出来なくなる)可能性もある。そうした中では政策的に労働移動を促進する必要が高まろ う。 5. 不十分な労働移動促進策 ところが、肝心の労働移動促進の具体策として提示された政策メニューは、十分とは言い難い。 「日 本再興戦略」には、①労働移動支援助成金の拡充、②雇用保険制度の見直し(非正規雇用者の教育訓 練促進)、③公益財団法人産業雇用安定センターの機能強化、④民間人材ビジネスの活用、⑤トライア ル雇用奨励金の拡充などが盛り込まれた。民間人材ビジネスの活用については、ハローワークの求人・ 求職情報の民間機関への提供などによってジョブマッチングが促進され、労働移動の際の失業が減少 (失業期間が短期化)することが期待されるものの、それ以外の政策の実効性には疑問符がつく。労 働移動支援助成金の 2012 年度予算は 2.4 億円、公益財団法人産業雇用安定センターの就職斡旋実績は 年間 8~9,000 人程度、トライアル雇用奨励金の 2012 年度支給対象者は 5.6 万人と、これまであまり 企業に活用されていない。予算拡充や現在挙げられている対象の拡大策程度では利用実績が劇的に上 がることは期待できないだろう。労働移動の数値目標にしても、今後 5 年間で転職入職率(在籍者に 対する転職入職者比率、パート除く一般労働者)を過去最高の 9%(2005 年実績、2011 年は 7.4%) まで引き上げるとしているが、就業率の上昇とともに就業者数が増加していた過去と異なり、就業者 数の減少を前提に高成長を遂げるには従来以上に成長分野への労働移動を促進する必要があろう。 そもそも、現時点で挙がっている労働移動促進策は「労働移動しようとする人」の移動促進(ミス マッチ縮小策)に偏っており、 「労働移動しようとする人」自体(労働移動予備軍)を増やすという視 点が欠けている。事前の議論で検討されていた解雇規制の緩和(解雇条件の明確化)は、事業再編を 促して「労働移動予備軍」を増加させようとする政策であったが、雇用不安を強めることを懸念する 声もあり、導入が見送られた。同じく事前の議論で話題になった「限定正社員」 (予め定められた業務 が事業再編等により整理されれば雇用契約も終了となる形態)は「「多様な正社員モデル」の普及・促 進を図る」という形で残され、今後労働政策審議会で詳細が検討される予定である。限定正社員も労 働移動予備軍を増やすことに資するとみられるが、同時に安易な解雇を招くとの見方もあることから、 労働者団体などの反発が予想される。しかし成熟分野の事業再編(新陳代謝)が速やかに進まなけれ ば、成長分野へ人をシフトさせて労働生産性向上に結びつけることはできない。労働移動が促進され なければ、成長分野の担い手となるべき雇用を確保できないことになる。その意味で、労働移動の促 進は「日本再興戦略」全体の成否のカギを握っているとも言える。限定正社員に関する今後の議論が 注目されるとともに、それ以外にも労働移動を促す政策のあり方を再検討していくことが望まれる。 4 1 もっとも、高齢化に伴い 65 歳以上就業者が増加することから、例えば 15~19 歳及び 65 歳以上の就業率が足元から 2020 年ま で横ばいで推移した場合、就業者数全体(15 歳以上)の減少幅は 55 万人程度となる。ただし 65 歳以上就業者のうち今後増加が 見込まれるのは 70 歳以上層である。2010 年「国勢調査」によれば 70 歳以上就業者の大部分は農林漁業・不動産業・小売業等に 従事し、雇用者は就業者中 24.1%、「主に仕事」をしている雇用者に限ると 16.6%にとどまっており、高齢者層が新規分野への 主要な労働供給源とはなりにくいと思われる。 2 2010 年国勢調査によれば、25~44 歳女性のうち、未婚女性の就業率は 77.2%、既婚で子どものいない女性は 63.9%、既婚で 子どものいる女性は 49.9%(うち 6 歳未満の子ありは 41.7%)である(参考図表) 。未婚と既婚で子どもがいない場合の就業率 差は主に経済的事由や個人的志向によるとみられるが、子どもの有無による就業率の違いは制度的に(保育所不足などにより) 引き起こされている傾向が強いと推測される。保育量が十分に確保された時に既婚・子どもあり女性の就業率が既婚・子どもな し女性の就業率と同水準まで上昇すると仮定すると、政府が待機児童解消の目標年とする 2017 年の 25~44 歳女性の就業率は目 標どおり足元から 5%Pt 上昇すると計算できる。その場合の既婚・子どもあり女性の就業者数(≒新たな保育ニーズ)は 2010 年 比 35 万人程度増加する。政府が 2017 年までの確保を目指している保育量は 40 万人分であり、この試算に基づけば新たな保育ニ ーズの増加分を全て満たすことが可能になる。 参考図表 25~44歳女性の就業率内訳(2010年) (単位:%) 構成比 100.0 就業率 63.1 未婚 40.5 77.2 既婚 52.3 55.3 子なし 11.0 63.9 子あり 41.3 49.9 6歳未満子あり 17.4 41.7 6歳以上子あり 23.9 55.9 7.1 65.9 25~44歳女性 その他 (資料)総務省「国勢調査」 ●当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものではありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに 基づき作成されておりますが、その正確性、確実性を保証するものではありません。また、本資料に記載された内容は予告なしに変更されることもあります。 5
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