「霊長類における高次脳機能のシステム的解明」 近畿大学医学部生理学

「霊長類における高次脳機能のシステム的解明」
近畿大学医学部生理学教室(主任:稲瀬正彦
教授)
1.ニホンザルの大脳における歩行制御機序の解明
2.異種感覚刺激の時間情報表現
1.ニホンザルの大脳における歩行制御機序の解明
中陦克己、村田 哲、稲瀬正彦
緒言
歩行障害は高齢者に多く認められる病態で、神経疾患に起因するものが多い。
その代表的は疾患には、多発性脳梗塞等による大脳皮質障害や Parkinson 病等
の大脳基底核疾患が挙げられる。Parkinson 病にみられる歩行障害の特徴は歩幅
の減少、すくみ足、前傾前屈姿勢、姿勢反射障害などであるが、これらの症状
は前頭葉損傷例の病態と重複する点が多い。このことは、大脳皮質-大脳基底
核ループの機能不全が両疾患の歩行障害に共通して関与することを推定させる。
しかし神経生理学の分野では大脳の歩行制御機能に関する知見は乏しく、大脳
皮質・基底核疾患にともなう歩行障害の病態生理についても未だ不明な点が多
い。従ってその病態の解明は、未曾有の高齢化社会を迎える我国にとって喫緊
の重要課題の一つである。
我々は、大脳皮質-大脳基底核ループにおけるヒト二足歩行制御機序の実験
的解明を目的として、無拘束の状態で流れベルト上を歩行するサルの大脳皮質
および大脳基底核から単一神経活動を記録している。本報告書では、大脳基底
核と運動ループを構成する一次運動野に焦点を当て、歩行中の神経細胞の活動
様式から同領域の歩行制御機能を考察する。
実験方法
対象には一頭のニホンザル(メス、体
重 8kg)を用い、流れベルト上を無拘束の
状態で四足歩行(図 1-A)および二足歩行
(図 1-B)を交互に遂行する運動課題を学
習させた。そしてサルが課題学習を修了
した段階で、左右の体幹・四肢筋群のそ
れぞれに対して筋電図記録用ワイヤ電極
を慢性的に留置した。単一神経細胞活動
の記録では独自に開発した電動式マイク
ロマニピュレータを用いて、タングステ
ン電極を一次運動野の下肢領域に刺入し
た。また高速ビデオカメラを用いて、記
録中のサルの歩容を側方と後方から撮影
した。
オフラインでのデータ解析では、電気生理学的データに同期して録画された
ビデオ画像から着地相と遊脚相を決定した。次いで歩行周期(着地相+遊脚相)
に伴う修飾様式を可視化するために、筋活動については整流化後に加算平均し、
神経細胞活動については発射頻度ヒストグラムを作成した。そして姿勢制御負
荷の程度が異なる二つの歩行様式(四足歩行と二足歩行)間における異なりに
着目しながら、歩行中に同時記録された筋活動と神経細胞活動の修飾様式を比
較した。
結果
現在まで延べ 16 の体幹・四肢筋群と 97 個の皮質神経細胞から課題関連活動
を記録した。結果は以下の2点に要約される。
① 四足歩行中の体幹・下肢筋群は、歩行周期に一致する相動的活動を示した
(図 2-C)
。サルが歩容を四足から二足に変換すると、それらの相動的活動は振
幅・期間ともに増加した。
特に体幹筋群ではその
傾向が著しく、相動的活
動に持続的活動が重畳
した。二足歩行中に観察
された相動的筋活動の
殆どのピークは、一脚支
持期に一致した。
② 一次運動野から記
録された神経細胞(n=97)
の殆どは、四足歩行中に
相動的活動(73%, 図 2-A)
または相動/持続的活
動(19%, 図 2-B)を示し、
持続的に活動するもの(6%)は少なかった。歩容が二足へ変換されてもその活
動様式は維持された(相動的:67%,相動/持続的:24%)
。二足歩行中に観察さ
れた相動的活動では、その振幅は四足歩行に比べて有意に増大したが、期間の
延長は認められなかった。加えてそれらのピークの時期は、あたかも一脚支持
期を避けるように、一歩行周期内で他の期間に分布した。
考察
歩行運動の三要素には、しばしば体幹支持と推進力、平衡(バランス)が挙
げられる。
四足歩行では前肢と後肢が体幹の荷重を支えるが、二足歩行では後肢のみが
それを支えることになる。この二足歩行における後肢負荷の増大は、二足歩行
中の後肢筋活動が四足歩行に比べて振幅・期間ともに増大したことからも支持
される。そしてこれらの筋活動は二足歩行中の一脚支持期においてピーク値を
示した。一方、二足歩行中の一次運動野の神経細胞活動では、四足歩行に比べ
て発射頻度のピーク値は増加したが、活動期間の延長は認められなかった。加
えて後肢筋活動が最大となる一脚支持期においてピーク値を示す細胞は少なか
った。このような神経細胞と下肢筋の間にみられた活動パラメータの解離は、
サルの一次運動野・下肢領域の活動が体幹の荷重支持に対しては積極的に関与
しないことを意味する。
本実験で記録された一次運動野の神経細胞の中には、皮質脊髄路細胞として
同定されている。以上の結果より、歩行中におけるサルの一次運動野は脊髄神
経回路網の律動的活動をステップ・バイ・ステップで修飾しながら’精緻な’
推進力の生成または平衡の制御に関与すると考えられ、この歩行修飾機能は二
足歩行においてより強く動員されることが示唆された。以上の様なサル一次運
動野のオン・ライン歩行修飾機能は、皮質脊髄路投射の最も発達したヒト二足
歩行でより重要な役割を果たしていると推測され、皮質運動野ならびに皮質脊
髄路を障害された際に生じる歩行機能異常の病態を説明し得る神経基盤と考え
られる。
2.異種感覚刺激の時間情報表現
千葉 惇、生塩研一(基礎医学部門)、稲瀬正彦
緒言
時間情報は、外界の認知や行動の制御など、我々の日常生活において極めて
重要な役割を果たしている。しかし、神経系における時間情報の処理機構につ
いては、未だ十分には明らかにされていない。脳機能イメージング研究により、
これらの時間情報処理に関わる脳領域として、大脳皮質前頭連合野と頭頂連合
野、大脳基底核、小脳などが明らかにされてきた。また神経心理学的研究や動
物の損傷実験では、大脳基底核の障害により、内部時計のスピードや時間情報
の記憶が乱れることが報告されている。これらの結果をふまえて、Matell と
Meck (2004)は、時間認知過程が、黒質ドパミン系を含めた大脳皮質−大脳基底
核回路で実行される、という仮説を提唱した。
我々は、その仮説に基づき、大脳皮質前頭連合野と大脳基底核との機能連関
による時間認知の仕組みを、神経細胞活動レベルで解明することを目指して研
究を進めている。これまでに、視覚刺激の時間弁別課題を遂行中の、サルの前
頭連合野から単一神経細胞活動を記録・解析し、時間情報処理機構の解明を進
めてきた。前頭連合野では2種類の時間情報処理に関わる神経細胞活動が見出
した。一つは、視覚刺激呈示後に、刺激の呈示時間を、相対的な長短で表現す
る活動である。もう一つは、視覚刺激呈示中に、開始から一定時間後に一過性
に発射する神経細胞活動である。この活動を用いて視覚刺激をフィルタリング
することで、自律的な基準時間に対する長短の判別が可能と考えられた。
このように時間認知機構の解明は進んでいるが、まだまだ解明すべき大きな
問題点が残っている。一つは、感覚モダリティの特異性についてである。これ
までの実験では、我々の研究を含めて、視覚刺激の呈示時間を対象としてきた。
しかし、時間情報処理機構を解明するためには、視覚だけではなく、聴覚など
他の感覚モダリティを考慮しなければならない。時間認知に関して、感覚モダ
リティにかかわらず一つの中枢が存在するという考え方と、感覚モダリティに
より関与する脳システムが異なるという考え方が対立している。これまでに見
出してきた時間情報処理に関する神経細胞活動が、視覚刺激に関して特異的な
のか、他の感覚モダリティの刺激に対しても同様に認められるか、について明
らかにする必要がある。
実験方法
実験では、まず視覚刺激と聴覚刺激を用いた時間弁別課題を遂行できるよう
に2頭のサルを訓練した。視覚刺激のみの時間弁別課題課題は、サルが中央下
のホールドボタンを押すと開始し、まず眼前正面のモニター中央に白い小スポ
ットが呈示される。1秒後にモニター中央に緑の四角(C1)が呈示される。続く
遅延期間に再び白い小スポットが1秒間呈示され、その後に再びモニター中央
に緑の四角(C2)が呈示される。続く1秒間の遅延期間後に、モニターの左右に
青と赤の四角が同時に呈示される(C3)。C1 と C2 を比較し、C1 が長く呈示され
た場合は青の下にあるボタンを、C2 が長かった場合は赤の下にあるボタンを選
択すると正答で、動物は報酬として果物ジュースを得る。C1 と C2 の長短の順序
および C3 における赤青の配置は、ランダムに定める。刺激の呈示時間は、0.2
〜1.8 秒間( 0.2 秒間隔)の間で適宜定める。視覚刺激と聴覚刺激を用いた時
間弁別課題では、C1 あるいは C2 期間に、視覚刺激に替わって聴覚刺激を与える。
聴覚刺激は、視覚刺激と同様の呈示時間の 1000Hz の音刺激とする。聴覚刺激呈
示時に、モニター上には遅延期間に呈示される白い小スポットがそのまま表示
される。C1 と C2 の組み合わせとして、視覚—視覚、視覚—聴覚、聴覚—視覚、聴
覚—聴覚が可能となり、これを試行毎にランダムに用いた。
訓練により動物が十分に課題を遂行できるようになった後、記録実験を開始
した。まずネンブタール全身麻酔下で、無菌的に、頭部固定用装置と電極刺入
のためのチェンバー等を取り付ける手術を行った。十分な術後回復期間をおい
た後に、課題遂行中の動物からの神経細胞活動記録を開始した。記録には主に
エポキシ被覆タングステン電極(FHC 社製)を用いた。大脳皮質前頭連合野の主
な記録領域は、これまでの結果に基づき、前頭葉の主溝付近、主溝の背側部と
腹側部とした。電極からの信号は、マルチチャンネル神経生理学システムで増
幅し、保存した。単一神経細胞からのスパイクの検出、およびそれ以降の解析
は、オフラインで行った。
結果
2頭の動物とも、一定の正答率(平均 86%)で課題を遂行できるようになった。
ただし、正答率は呈示時間の長短の順序や刺激種類の組み合わせにより異なっ
ていた。刺激の組みあわせに関しては、2頭とも聴覚—聴覚の試行で他の試行よ
りも正答率が低かった。また全体としては、長−短の順序の試行の方が短−長の
試行よりも正答率が高かった。さらに、聴覚—聴覚の組み合わせで長−短の順序
の試行で、特に正答率が低かった。また、長−短の試行では2つの呈示時間の比
により正答率が変動する傾向がみられたが、短−長の試行では呈示時間の比の正
答率への影響が小さかった。
大脳皮質前頭連合野から 860 個の単一神経細胞活動を記録した。多くの神経
細胞が感覚刺激呈示期(C1 期、C2 期)や刺激提示後の遅延期に、刺激呈示時間
や感覚モダリティによって活動を変化させた。64個の神経細胞が C1 に、13
9個の神経細胞が C2 に応答した。C1 応答細胞のうち47個が視覚刺激のみに、
8個が聴覚刺激のみに反応しており、C1 応答細胞の約 85%が感覚モダリティに
特異的な反応を示し、また視覚刺激に応答する細胞が聴覚刺激に応答する細胞
よりもはるかに多かった。C1 応答のピーク時間を調べてみると、視覚刺激応答
の方が聴覚刺激応答よりも早い傾向が認められた。
C2 応答細胞のうち、72個(52%)が視覚刺激のみに、31個は聴覚刺激のみ
に、そして36個が両方の刺激に応答した。C1 応答細胞と同様に、視覚刺激に
応答する細胞が聴覚刺激に応答する細胞よりもはるかに多かった。C2応答のピ
ーク時間を調べてみると、視覚刺激応答と聴覚刺激応答とが、全体としてほぼ
同様の分布を示した。ただし C1応答のピーク時間の分布と異なり、刺激呈示開
始から1秒以上にピークが認められる非常に遅い反応も、視覚刺激と聴覚刺激
の双方に存在した。また視覚刺激と聴覚刺激の両方に応答する細胞では、それ
ぞれの刺激に対して異なるピーク時間で反応する例も多く、その場合、視覚刺
激に対する応答が聴覚刺激応答よりも早い傾向が認められた。
2つの刺激呈示後の遅延期(D2 期)には 266 個の神経細胞が応答した。D2 応
答細胞のうち、96 個は長−短の試行と短−長の試行とで、活動が異なっていた。
すなわち、呈示順序に基づいて相対的な呈示時間を表現していた。このような
活動は、私たちの以前の研究で、視覚刺激のみを用いた時間弁別課題中にも見
出されている。このような相対的な呈示時間を表現する活動は、多くの神経細
胞で、視覚刺激後でも聴覚刺激後でも同様の活動を示した。だたし、C2 の感覚
モダリティに依存して応答を変化させる神経細胞も見られた。すなわち、C2 が
視覚刺激、あるいは聴覚刺激の試行のみで、長−短試行と短−長試行とを区別す
る活動である。
考察
以上の結果は、大脳皮質前頭連合野において、視覚刺激と聴覚刺激の時間情
報が、少なくとも部分的には、異なる神経ネットワークで、あるいは異なる様
式で処理されていることを示唆する。
謝辞
本学ライフサイエンス研究所の渡辺さん、水口さん、山中さん、江川さんに
実験動物の管理と飼養で、また同研究所の伏野さんに実験装置の製作でご援助
いただきました。深く感謝申し上げます。
研究業績
論文
村田哲 (2011) 身体意識とミラーニューロン Clinical Neuroscience 29: 909-918
村田哲
前田和孝 (2013) 運動と認知を結ぶ手
神経心理学 29: 61-70
Oshio K (2011) Possible functions of prefrontal cortical neurons in duration
discrimation. Front Int Neurosci 5: 1-2
学会発表・抄録
Maeda K, Murata A (2012) Neural activity in area AIP/PFG related to visual
feedback during hand manipulation. Mirror neurons New frontiers 20 years after
their discovery. Erice, Italy
Murata A, Maeda K, Naito E (2012) Body schema as a link between motor
control and cognitive function. Proceeding ICME International Conference on
Complex Medical Engineering. 467-470
Ota J, Asama H, Takakusaki K, Murara A, Kond T (2012) The concept of
mobiligence and its future. Proceeding ICME International Conference on
Complex Medical Engineering. 562-564
Murata A, Win Nyi Shein, Sakata H (2012) Relative position coding within the
object for hand manipulation action in the parietal cortex. J Physiol Sci 62: S235
Nakajima K, Mori F, Murata A, Inase M (2012) Discharge patterns of
corticospinal and other neurons in primary motor cortex of an unrestrained
Japanese monkey walking on a treadmill. J Physiol Sci 62: S228
Chiba A, Oshio K, Inase M (2012) Neuronal activity in monkey prefrontal cortex
during a duration discrimination task with visual and auditory cues. J Physiol Sci
62: S231.
Chiba A, Oshio K, Inase M (2012) Neuronal activity for duration discrimination of
visual and auditory cues in monkey prefrontal cortex. RAST for Neuroscience
2012: P3-a33