概要 - 東京大学

移動エントロピー法による視床・聴覚野間の信号伝達の因果性評価
Causality Evaluation of Signal Transfer Between Thalamus and Cortex Using Transfer Entropy
永田 裕之,高橋 宏知 講師 Hiroyuki NAGATA, Hirokazu TAKAHASHI
Keywords: causality, transfer entropy, thalamus, auditory cortex, microelectrode array
1. 序論
視床と感覚野の間には,強固な解剖学的結合が
あり,両領域の相互作用が知覚を生成している.
聴 覚 の 情 報 処 理 で は ,音 情 報 が 蝸 牛 で 電 気 信 号 に
変 換 さ れ た 後 ,視 床 を 経 由 し て ,大 脳 皮 質 の 聴 覚
野 へ と 情 報 が 伝 わ る . ま た ,聴 覚 野 か ら 末 梢 の 神
経 核 へ の 情 報 伝 達 回 路 も 存 在 す る .こ れ ら の 視 床
と聴覚野の間の相互作用が聴知覚に大きく関与
し て い る と 考 え ら れ て い る .よ っ て ,視 床・皮 質
間 の 情 報 伝 達 の 流 れ を 知 る こ と は ,知 覚 生 成 の メ
カニズム解明へつながると期待される.
信 号 間 の 情 報 量 を 定 量 化 す る 手 法 と し て ,従 来
コヒーレンス関数や相互情報量が用いられてき
た .こ れ は 2 つ の 信 号 間 に お け る 関 係 の 強 さ を 評
価 す る 指 標 と し て 効 果 的 で あ る が ,信 号 間 の 情 報
の 流 れ を 含 ま な い 相 関 の み を 定 量 化 す る た め ,信
号 間 の 因 果 性 評 価 に は 適 さ な い .本 研 究 で は ,領
野 間 の 因 果 性 を 定 量 化 す る 指 標 と し て ,移 動 エ ン
ト ロ ピ ー 法 (Transfer Entropy: TE) [1] に 着 目 し た .
TE は , 2 信 号 間 の 因 果 性 を 評 価 す る 指 標 と し て ,
神 経 活 動 デ ー タ の よ う な ,非 線 形 性 を 含 む 時 系 列
データにも適用できる.
こ れ ま で に 著 者 ら は ,聴 覚 系 の 視 床 と 聴 覚 野 の
神 経 活 動 を 同 時 計 測 す る 計 測 手 法 を 構 築 し た .本
研 究 の 目 的 は , 視 床 と 聴 覚 野 間 の TE を 計 算 す る
こ と に よ り ,視 床 と 皮 質 の 間 に お け る 情 報 伝 達 の
因果性を電気生理学的に評価することである.
(a) Overview of microelectrode array.
(b) Magnification of an array tip.
(c) Schematic design of a tip.
Fig. 1.
Depth electrode array.
2. 方法
2.1 手 術 及 び 神 経 活 動 計 測
動物実験は,学内倫理委員会の承認を得て,
「東京大学
動物実験マニュアル」に則って実施した.
5 匹のウィスター・ラット(オス,8-10 週齢,280-320
g)を使用し,手術・計測をイソフルラン麻酔下で実施し
た.ラットの右側頭部の脳表を露出し,表面電極アレイ
を用いて聴覚野を同定した.同定した一次聴覚野に対し
て刺入電極アレイ(図 1)を刺入し,視床 (MGB) と聴皮
質 (Auditory Cortex: AC) の局所電場電位 (Local Field
Potential: LFP) を 1 kHz サンプリングで計測した.
音刺激として,まず 18 種類の周波数 (1.6 - 64 kHz) と
5 種類の音圧 (40-80 dB SPL) を組み合わせたトーンバー
ストを,20 回ずつランダムに提示し,活動電位を計測し
た.得られた活動電位の発生回数から,刺入電極アレイ
の各計測点で,反応閾値付近で最も選択的に反応する周
波数 (Characteristic Frequency: CF) を求めた.次に,全周
波数帯を含むクリック音を 1 秒間隔で提示し,LFP を計
Fig. 2. Example of transfer entropy from
source X (MGB) to target process Y (AC).
測した.
2.2 TE 解 析 手 法
図 2 に TE 解 析 の 概 念 図 を 示 す . 2 つ の 連 続 的
な 確 率 変 数 X , Y に 対 し ,時 刻 t に お け る そ れ ぞ れ
の 要 素 を 𝑥𝑡 , 𝑦𝑡 と す る と き , 伝 達 時 間 遅 れ u に お
ける Y に対する X の影響を表す移動エントロピ
ー 𝑇𝐸𝑋→𝑌 は 式 (1)で 表 さ れ る .
Fig. 3. One example of Transfer entropy
from MGB (match CF) to layer Ⅳ.
(*: p < 0.05 (permutation test))
Fig. 4.
𝑇𝐸𝑋→𝑌
=
𝑑
𝑑
𝑝 (𝑦𝑡+𝑢 | 𝒚𝑡 𝑦 , 𝒙𝑡 𝑥 )
𝑑𝑦 𝑑𝑥
∑
𝑝 (𝑦𝑡+𝑢 , 𝒚𝑡 , 𝒙𝑡 ) log
𝑑𝑦
𝑝 (𝑦𝑡+𝑢 | 𝒚𝑡 )
𝑑𝑦 𝑑𝑥
𝑦𝑡+𝑢 , 𝒚𝑡 ,𝒙𝑡
(1)
𝑑
𝑑
𝒙𝑡 𝑥 と 𝒚𝑡 𝑦 は そ れ ぞ れ 次 元 数 𝑑𝑥 , 𝑑𝑦 の 時 間 遅 れ ベ ク
トルを示し,
𝑑
𝒙𝑡 𝑥 = (𝑥(𝑡), 𝑥(𝑡 − 𝜏), … , 𝑥(𝑡 − (𝑑𝑥 − 1)𝜏))
𝑑
𝒚𝑡 𝑦 = (𝑦(𝑡), 𝑦(𝑡 − 𝜏), … , 𝑦(𝑡 − (𝑑𝑦 − 1)𝜏))
(2)
(3)
と表される.なお,τは時間遅れ単位を表す.
神経活動データに対しては,算出される TE 値はしば
しば負の値をとり[2],絶対値で情報伝達の大きさを評価
することが難しい.本研究では,各 u における入力デー
タ群に対してサロゲーションを行った.サロゲートデー
タの TE 値に対し,オリジナルデータの TE 値が有意に大
きい場合,確かな情報伝達があると定義した(並替え検
定,p < 0.05)
.
2.3 ク リ ッ ク 音 刺 激 に 対 す る TE 値 の 計 算
ま ず TE の 計 算 に 用 い る 計 測 点 を 選 出 し た . 皮
質 側 の 電 極 で は ,ク リ ッ ク 音 刺 激 に 対 す る 中 潜 時
反応の振幅が最も大きい計測点を聴皮質のⅣ層
と し ,電 極 間 距 離 よ り ,Ⅴ 層( Ⅳ 層 の 2 点 下 )と Ⅵ
層( Ⅳ 層 の 4 点 下 )の 代 表 計 測 点 を 1 点 ず つ 選 出 し
た . 視 床 の 解 析 対 象 点 は 各 計 測 点 の CF に 基 づ い
て 2 群 に 分 け た . CF と Ⅳ -Ⅵ 層 の CF の 差 が 1 オ
ク タ ー ブ 未 満 の 点 を match CF 群 ,1 オ ク タ ー ブ 以
上 の 点 を unmatch CF 群 に 分 類 し た .
次 に , ク リ ッ ク 音 刺 激 に 対 し て 誘 発 さ れ た LFP
よ り ,視 床 と Ⅳ -Ⅵ 層 間 の TE 値 を 双 方 向 で 求 め た .
音 刺 激 開 始 か ら 1 秒 間 の LFP デ ー タ を 1 試 行( 図
2)と し ,各 個 体 に つ い て ,60 試 行 の デ ー タ を 用 い
た.
3.
結果・考察
図 4 に , 視 床 の 計 測 点 ( match CF 群 )か ら Ⅳ 層
へ の 情 報 入 力 に つ い て ,伝 達 時 間 遅 れ u に 対 し て
TE 値 を プ ロ ッ ト し た 一 例 を 示 す . u = 45, 60, 165175, 190 ms で 有 意 な 伝 達 が 確 認 さ れ た . さ ら に ,
こ れ ら の 伝 達 時 間 遅 れ を ,脳 波 の 周 波 数 帯 域 を 元
に 4 つ の 区 間 に 分 け た (:5-33 ms,  :34-77 ms, :78125 ms, θ:126-200 ms). 結 果 , こ の 2 点 間 で は 帯
域 と 帯 域 を 用 い て 情 報 伝 達 を 行 わ れ た こ と を 確
Used band ratio for each auditory pathway.
Asterisks indicate the salient use.
認した.
同 様 に し て ,全 て の 計 測 点 ペ ア に つ い て ,情 報
伝達に使用された脳波の周波数帯域を調べた.
match CF 群 と unmatch CF 群 そ れ ぞ れ に お い て ,
伝達に使用された各周波数帯域の割合を算出し,
全 個 体 に 対 す る 平 均 値 を 求 め た . match CF 群 と
unmatch CF 群 ,各 入 出 力 層 に つ い て ,情 報 伝 達 で
使 用 さ れ た 各 周 波 数 帯 域 の 割 合 を 図 4 に 示 す .こ
れらの割合のヒストグラムは 2 峰性の分布となる.
分 布 の 谷 (p = 0.6)よ り も 値 が 大 き い と き , 該 当 す
る脳波の周波数帯域の使用が顕著であるとした.
結 果 ,視 床 か ら Ⅳ 層 へ の 情 報 入 力 が 特 に 顕 著 で
あ り ,皮 質 の 各 入 出 力 層 に よ っ て 使 用 さ れ る 周 波
数 帯 域 が 異 な っ た .音 情 報 は 視 床 を 経 由 し て ま ず
Ⅳ 層 に 信 号 が 伝 達 す る こ と が 知 ら れ て お り [3],視
床と皮質の局所神経ネットワークにおける因果
性 を ,移 動 エ ン ト ロ ピ ー 法 に よ り 評 価 す る こ と が
可能であることを示す.
ま た ,視 床 か ら Ⅳ 層 へ の 情 報 入 力 で は , 帯 域 と
帯 域 の 使 用 が 顕 著 で あ り , Ⅳ 層 か ら 視 床 へ の 情
報 出 力 で は 帯 域 で の 伝 達 が 顕 著 で あ っ た( match
CF 群 ). こ れ は , 視 床 と Ⅳ 層 の 間 で 信 号 が 入 力 ・
出 力 さ れ た 後 ,再 び 視 床 か ら Ⅳ 層 へ 信 号 が 伝 達 さ
れ た こ と を 示 唆 し ,聴 知 覚 に お け る 情 報 処 理 ル ー
プが存在すると考えられる.
4. 結論
視 床 と 聴 覚 野 か ら 同 時 計 測 し た LFP デ ー タ か
ら ,移 動 エ ン ト ロ ピ ー 法 で 視 床 ・ 皮 質 間 に お け る
情 報 伝 達 の 因 果 性 を 評 価 し た .結 果 ,視 床 か ら Ⅳ
層への情報入力において特に顕著な情報伝達が
認 め ら れ ,本 手 法 の 妥 当 性 を 示 し た .ま た ,視 床・
聴 覚 野 間 で ,異 な る 周 波 数 帯 域 を 用 い た 情 報 伝 達
が 行 わ れ ,局 所 的 な 聴 覚 情 報 処 理 の ル ー プ 構 造 が
存在する可能性を示唆した.
参考文献
[1] Schreiber, “Measuring information transfer”, Physical
Review Letters, Vol.85, No.2, (2000), p p.461-464.
[2] A. Kraskov, “Synchronization and Interdependence
measures
and
their
application
to
the
electroencephalogram of epilepsy patients and
clustering of data”, PhD thesis University of Wuppertal,
(2004).
[3] CC. Lee, SM. Sherman, “On the classification of
pathways in the auditory midbrain, thalamus, and
cortex”, Hearing Research, Vol.276, (2011), pp.79 -87.