海外からの引揚げコーナー 敗戦によって外地での生活のよりどころを失い、 外地での生活 ■おむつで作った子ども用ワンピース ■手製リュックサック 満州(現・中国東北部)で生まれた娘に、 昭和21(1946)年7月、引揚げを待つ間、 初めて日本についたときに着せるため、 亡くなった赤ん坊のおむつを使って ぼ たん こう しょう きょうはく こ はん 満州(現・中国東北部)牡丹江省、鏡泊湖畔の 廃屋に住みながら、ぼろ布を集めて作ったものです。 母親が手作りしたものです。 身に危険が迫る過酷な状況の中をくぐり抜けて ソ連の参戦に よる混乱 祖国に戻ってこられた約 320 万人に及ぶ 「海外からの引揚者」の方々がいます。 その途上で亡くなられた多くの方々もいます。 引揚げ 各地の引揚港 ■引揚証明書 ■収容日誌 これは、終戦時に海外にいた日本人が、終戦に伴い 満州(現・中国東北部)牡丹江省のカトリック教会の収容所に 日本に引揚げてきたことを証明する書類です。 ジオラマ 引揚げ前の職業や軍隊での階級、引揚年月日、引揚げ前にいた 昭和 21( 1946 )年、満州(現・中国東北部)の こ ろ とう 葫蘆島を出発し、博多港に向かう引揚船 ぼ たん こう しょう おける、昭和21(1946)年2月1日から11月30日までの 記録です。 地名や引揚げ後の居住地の他、本籍地や上陸した港、 支給された金品などが 記載されています。 「白竜丸」の船底の情景を、体験者の証言やこの船に 乗っていたカメラマンの写真をもとに再現しました。 7 8
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