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第 7 号(通巻1242号)
[COMMUNION]
WEB:http://www.nskk.org/tokyo/index.html
2012 年 12 月 23 日
E-mail:comm.tko[email protected]
編集:広報委員会 委員長:渡辺康弘
PHONE:03-3433-0987
日本聖公会東京教区
FAX:03-3433-8678 Diocese Office
港区芝公園3-6-18
となったのです。人間が人間
息」が吹き込まれて生きる者
間 は 土 の 形 に 神 様 の「 命 の
て 生 き る 者 に な り ま す。 人
き入れられます。人はこうし
ち上がる力が与えられている
れるために、どんな時にも立
神様は最初に太陽を造った
のではなく、希望が明確にさ
伝えています。
によって立ち上がったことを
《クリスマスメッセージ》
ー神は希望のうちに生きることが
であるために必要なことは神
光 あ れ
できるように私たちを創造されたー
には神の霊が漂っていたと伝
神がこの世界を創造され秩
序だてられた時、すでにそこ
の存在が光と思わなければな
と考えます。そうすると太陽
の夜は太陽が隠れて暗くなる
て、その光で明るくなり、闇
息」によって人が立ち上がる
こ と が で き る の で す。「 命 の
としても、力強く立ち上がる
ちは混沌と闇の世界にあった
て い た 神 の 霊 に よ っ て、 私 た
の霊でした。最初から存在し
るように神はいつの時代でも
まっています。それに対抗す
福の現実を見えなくさせてし
知恵がこの素晴らしい神の祝
し た。 し か し 人 間 の 浅 は か な
との神のみ言葉をまず与えま
こ と を 示 す た め に「 光 あ れ 」
主教
えられています。闇が面にあ
りません。ところが太陽が造
ことができるようになったこ
アンデレ 大畑 喜道
り、絶望であるかのように思
られるのは第四の日です。
「光
えていた。しかし神の霊は水
あれ」と神はみ言葉を
の面を動いていた。それは神
与 え ま す が、 そ の 光 は
の世界を祝福へと導いておら
秩序を与え、希望を与える神
た。闇が支配するのではなく
されていて、希望に溢れてい
界は真っ先に神のみ心に支配
希望であり喜びです。この世
お与えくださいました。光は
だろうと考え、真っ先に光を
支配に押しつぶされてしまう
が、それだけだと闇の世界の
ています。しかし神は私たち
の本当の光とは何でしょう
れたのです。私たちにとって
めに、神は「光あれ」と言わ
が明確にされていくた
と を 示 す た め に、 そ れ
が神のみ言葉にあるこ
動 い て い た。 希 望 の 源
中に神の霊が水の面を
闇、 深 淵 の 状 況 で あ る
ではありません。混沌、
太陽を源にしているの
と人間として立ち上がるので
骨に神の命の息が吹きまくる
に も 示 さ れ て い ま す。 枯 れ た
とは、預言者エゼキエルの幻
られた。それに応答していく
のです。光り輝く救いが与え
てイエスはこの世に降られた
いるのです。そのしるしとし
私たちにとって光をいただく
人生は、年を重ねても、どん
なことがあっても変わらずに
喜びです。教会は光をいただ
き、 世 の 人 々 に 救 い の 喜 び を
クリスマスおめでとう。
証して行く使命が与えられて
1
「 光 あ れ 」 と 言 わ れ 続 け、 こ
が支配されていたことを示し
の言葉、そしてそれを明確に
か。
者となりましょう。
れるのです。そして私たちに
示す光が与えられていたと創
す。新約の世界でも、力を無
大 切 な 使 命 を 与 え て い ま す。
世記で示されます。
くしているお弟子達が神の息
私たちは昼には太陽が出
最後に神は土の塵で人を形
づくり、その鼻に命の息を吹
右は武藤謙一九州教区新主教(12/1 按手式にて)
レット教会では、スワヒリ語による聖
クリスマスは家族が相集い、教会は
礼 拝 参 加 者 で あ ふ れ ま す。 聖 マ ー ガ
盛んです。
飲み物がたくさんふるまわれ、歓待が
す。この時期は大変賑やかで、食事や
くなってきて、またクリスマ
最近、イエスのご生誕を描
いたクリスマスカードが少な
プインを設けて
レン達がドロッ
ンターのチャプ
含んだものです。
ジョンソン 友紀
私達の町のショッピングセンターで
Lay Minister
は、毎年タウンセ
聖餐式ではクワイヤーがクリスマス
す。 子 ど も た ち も 新 し い 服 を 着 ま す。 す。それはまた私たちが愛する人びと
持っている一番よい服を着て集まりま
どりの花や衣で飾り付けられ、会衆は
キリスト者にとっては、クリスマス
は救いを受けるよい知らせの季節で
連れてきて親戚や近所の人に紹介しま
イギリスのクリスマス 餐式は朝8時に始まり、聖卓は色とり
スの本来の意味をあまり考え
い ま す。 厳 し い
ドルと、たいへん貴重なメッセージを
日本語英国教会
ない人々が多くなってきまし
経済状況の中、商
ス に 向 か っ て、 そ れ ぞ れ の 教 会 で は、 店に働く人々の個々の声に耳を傾ける
という知らせを皆様にお伝えください。
イエスキリストが私たちの救い主で
あ り、 私 た ち の 生 活 の 道 し る べ で あ る
で は、 生 誕
Crib Service
の 物 語 を た ど り な が ら、 ネ
としています。
東アフリカ ・タンザニアのクリスマス
またに届くように。
河島 ローズ
フィリピンのクリスマス
(聖マーガレット教会スワヒリ語会衆より)
機会を提供しています。「世の光」がち
と会うことができる時なのです。
た。そういった中、クリスマ
)
)
で す。 祝 い 方 は フ ィ リ ピ ン 人 独 特 で、
フィリピンではクリスマスは非常に
愛され、最も楽しみにされている祝日
私たちの聖マーガレット教会は、ア
フリカ最高峰のキリマンジャロ山のふ
家族や愛する人達、信仰がその中心に
イティビティを祝福します。
( 徒リーダー
ティト・ハウレ 信
ネイティビティのセットは、 ジョンズ・カレシュ 教
( 会委員
ズ や 様 々 な 素 材 が あ り、 興
もとにあるモシ市にあります。この国
教会によって異なったサイ
味深いものが多々あります。
あります。家族や親戚、友人との楽し
実 り を 示 す 果 実 や 菓 子、 オ
示 す 4 本 の 爪 楊 枝、 地 上 の
界 を 示 す オ レ ン ジ、 四 季 を
も の は、 神 の 創 造 さ れ た 世
の働きに捧げられま
Society
す。 参 加 者 全 員 に 渡 さ れ る
ります。この時は電灯を消してローソ
式は夜中続けてクリスマスの当日に至
餐式がありますが、ある教会では聖餐
習を続けます。クリスマスイブには聖
行なうキリストの誕生を祝う聖劇の練
月の初めの
クリスマスシーズンは
降臨節から始まり、クリスマスイブに
伝 統 的 に は、 ク リ ス マ ス は 最 初 の
式も行なわれるのが常です。
夜明け前のミサ の
ク リ ス マ ス は 家 族 の 集 ま る 時 で す。
Simbang Gabi(
)
あ る 家 族 は 1 0 0 0 キ ロ も 離 れ た 所 か 月 日 に 始 ま り ま す。 こ れ は 特 別 な 恩
されます。この時、子どもたちの洗礼
キリスト教伝道を中心としたものが話
メッセージを伝える歌を歌い、説教も
きます。
9月に始まり翌年1月の顕現日まで続
ズ ン を 過 ご す こ と で 知 ら れ て い ま す。
い集いの時なのです。フィリピン人は
レンジを囲むリボンは神の
クをつけ、キリストの生誕の夜を再現
ク リ ス テ ィ ン グ ル 礼 拝 タンザニアには多様な文化と多くの宗
は、 献 金 が The Children's 教があります。
愛、 そ し て「 こ の 世 の 光 で
します。
住んでいた村に新しく生まれた幼子を
らやってきます。またある家族は前に
このミサが完了すると、お捧げした者
寵 を 戴 く た め の 9 日 間 連 続 の ミ サ で、
12
ま た、 世 界 で 最 も 長 い ク リ ス マ ス シ ー
あるイエス」を示すキャン
16
12
2
ご降誕の大切な意味を人々に伝えよう
- 世界のクリスマス便り -
の願いを神様はきっとかなえてくださ
月
日の
クリ
Bisperas ng Pasko(
ると信じられています。
スマス イ
・ブ は
) 、夜 時から真夜中
時の間の深夜ミサで執り行われま
の
歳 以 上 は「 大 人 」 と み
ミ サ を 迎 え る ま で の 時 間 を 利 用 し て、 なされる)を含めて
大学生など
る充実ぶり。ところで劇中の「3人の
マ ス イ ブ の 夕 の 礼 拝 を 終 え て、 深 夜 の
教会の周りに2~3人ずつペアになっ
博士」は一般信徒にお願いしようとい
か っ た( 笑 )。 そ れ で も 柄 だ け は ク リ
スチャンだった。イースターにはゆで
てクリスマスの挨拶や贈り物を分かち
うことに教師会で決定した結果、
名が毎週奉仕す
卵に絵を画いて大人に売り(ほぼ押売
合 う た め に 出 か け た 時 の こ と だ。 私 は
のジョセフ、
歳
市役所前の大通りにあるバス停担当に
代半ばの事故で「上半
15
な っ て、 先 輩 た ち に つ い て 行 っ た。 停
授アイオナ、
身 し か 稼 動 し な い 」( 本 人 談 ) 大 学 教
を過ぎてから失明され
車するバスのドライバさんやアンネヤ
友人や近隣の人が「クリスマスおめで
す る ひ と 時 で す。 そ れ は ま た、 親 戚、
焼きそば 等) です。
野菜の肉巻 、) pancit(
これは家族全員でうけたお恵みに感謝
る の だ。 み ん な 興 じ た 聖 夜 に 楽 し む 時
し、 今 で も 鮮 明 な 記 憶 と し て 残 っ て い
対照的に温かかった感謝の言葉と眼差
の 凍 り つ い た 冷 た い 手 と、 あ ま り に も
物 袋 を 手 渡 し た。 そ の 時、 そ の 人 た ち
合わせとクリスマスカード入りの贈り
た ) に お 菓 子 と み か ん、 飴 な ど の 詰 め
いって若いお姉さんたちが1人づつい
ン( 案 内 嬢、 当 時 は バ ス ご と に 車 掌 と
てきた。もうひとつは、海辺の聖ジョ
かも」と感じ始めている空気が伝わっ
リ ス マ ス と は、 現 実 を 生 き る こ と な の
た 人 々 で さ え 一 瞬、「 ひ ょ っ と し て ク
もの」としてキラキラな礼拝を見に来
いた私にも、クリスマスを只「楽しい
てヨネオのエスコートとして一緒に歩
椅子でしずしずと続くアイオナ、そし
ゆったりと歩くジョセフ、その後を車
たヨネオの3人に決まり。中央通路を
日まで続きます。
ココア 、
ハ
ズ 、
)
tsokolate(
)
hamon(
豚 の 丸 焼 き 、) adobo(
豚
ム 、) lechon(
チーズや
や 鶏 肉 の 煮 込 み 、) morcon(
とう」のお祝いをするために訪問し合
間なのに働く人々がいるという事実に初
祝祭は 月
を 深 め る 時 間 な の で す。
る孤児院を訪問したりした。
ちょっと天使が訪ねてきた時だった。
ハワイのクリスマス
活躍。彼等がクリスマスの物語を現代
代で妊娠し
たマリアと、彼女とつきあい始めたも
の の 父 親 で も な い 彼 氏 が、 途 方 に く れ
つ つ も、 マ リ ア を 見 捨 て る こ と な く、
司祭 上田亜樹子 ふたりで町を彷徨った挙げ句、ショッ
ク リ ス マ ス と 言 え ば ペ ー ジ ェ ン ト、 ピングモールの駐車場で出産の時を迎
2つの想い出をご紹介したい。まずは える、という劇を書き上げた。クリス
企 画 が 始 ま る。 そ の 中 で 自 分 に と っ て
れ、 一 方 で は、 ク リ ス マ ス パ ー テ ィ ー
私は、小学校6年生の時から教会に
熱心に出席し始めた。正直まだ信仰と
人位)のに、 ものにしては、本当の喜びは見えなく
マスは、私たちの内にある痛みを亡き
小さい(主日礼拝出席は
が あ る。 中 学 2 年 生 の こ と だ。 ク リ ス
ホノルルにある聖マーク教会。比較的
は言い難く、同年代や先輩 後
• 輩など、 鮮 烈 な 印 象 を 残 し た ひ と つ の 出 来 事 に
学生の集まりに興味があったのであろ 韓 国 で は 好 消 息 と 呼 ぶ キ ャ ロ ル リ ン グ
う。 特 に 同 じ 学 年 に は 女 子 学 生 も 多
日 曜 学 校 教 師 は ユ ー ス( = 中 高 校 生。 なる、という性質のものかもしれない。
50
月前からページェントの準備が開始さ
な ん と 言 っ て も、 や は り 学 生 時 代 の
教 会 活 動 の 白 眉 は ク リ ス マ ス だ! 数 ヶ
て パ ー テ ィ ー を 楽 し み た い 幼 い 心 に、 風に「翻訳」した結果、
早 く 手 元 の 袋 を 配 り 終 え、 教 会 に 戻 っ
め て 気 づ か さ れ る 瞬 間 だ っ た。 思 え ば、 ン教会でのこと。ここでもユースは大
うオープンハウスでもあります。この
族は伝統的なクリスマス イブ料理
・
チー
を い た だ き ま す。 queso de bola(
が一般的です。ミサから帰った後、家
す。家族全員でこのミサに出席するの
10
クリスマスは、家族や愛する人達と、
、その売り上げでソウル郊外にあ
分かち合い、与え合い、楽しみ、友情 り )
25
韓国のクリスマス風景 司祭 柳 時京
10
12
3
92
24
18
30
80
12
12
真
司祭と語ろう (特別編)
主教 竹田
今回は「司祭と語ろう」のク
リ ス マ ス 号 特 別 企 画 と し て、
竹田真主教の中央区佃にある
お 宅 を 訪 ね て お 話 を 伺 っ た。
聞き手は特別に神﨑雄二司祭
にお願いし、広報委員長の渡
辺康弘と2人でおこなった。
竹田主教らしい言葉遣いと示
唆 に 富 ん だ 表 現 に 溢 れ、 楽 し
いひと時となった。
竹 田 今 日 は、 何 を し ゃ べ っ
てもいいのかい。
渡辺 はい自由に語り合って
い た だ い て、 載 せ て ま ず い と
ころは編集いたします。(笑)
神 﨑 僕 は、 い つ も 主 教 さ ん
の 説 教 に は、 お 決 ま り の 文 句
ではない何か心に残るものが
あり好感をもっていました。
ましたか。
渡 辺 説 教 を す る 上 で、 何 か
心がけていたこととかはあり
渡辺 今は比較的真面目な人
が 神 学 院 に 行 き ま す が、 昔 は
あったね。
(笑)
の は 命 が け だ、 と い う こ と も
て と こ と ん や れ、 牧 師 に な る
竹 田 そ ん な も の は な い よ。
昔からあまり準備をしない
少しはみ出した人が神学院に
渡 辺 な る ほ ど、 元 気 で と い
うのは「心を楽しく輝かせる」
で、 電 車 の 中 で 何 を し ゃ べ ろ
行っていたという印象があり
竹 田 そ う か も し れ な い ね。
こ の 前、 宣 教 協 議 会 を し た の
神﨑 そこから力をいただい
て、 教 会 で も 新 し い こ と を す
渡辺 でもその熱意に人は動
かされるんですよ。
う か と 考 え て い た。( 笑 ) だ
ます。
(笑)
題だけど、そんな時こそ、もっ
るのは老人が多いです。
す。 高 齢 化 と い う の も 理 由 な
か な、 人 数 が 少 な い こ と も 問
神 﨑 で も、 僕 等 の 頃 は 苦 し
かった。一つ覚えているのは、
んでしょうか。
神﨑 真面目ではない模範的
な信徒ですね。
ずっと言ってきた。
竹 田 そ う、 僕 は「 祭 り 」 と
い う 要 素 を 大 切 に し た い と、
すよね。
ことで、そのためにする「騒ぎ」
か ら、 説 教 集 を 出 し て 欲 し い
竹 田 特 に 大 学 紛 争 の 頃 は、
学生は何かと闘うという気概
と気を楽にして取り組んだら
と い う の は「 祭 り 」 の こ と で
と 言 わ れ て い る が、 書 い た も
を 持 っ て い た か ら ね。 今 は 神
いいと思うけど。
竹田 今は教会も真面目にな
りすぎている気がするね。
のは何も残っていない。
学生も教会も大人しくなった。
竹 田 確 か に、 模 範 的 な 信 徒
が老人の中にはいるよ。
渡辺 その辺が教会が伸び悩
んでいる原因なんでしょうか。
神﨑 説教の原稿は作らない
んですか。
その辺がちょっと不満だな。
渡 辺 人 数 は と も か く、 教 会
に元気があればいいと思いま
月に一度の説教を秋葉司祭が
校 長 の 所 に 行 っ て、 思 い の た
竹田 自分の書いたものを読
む の が 嫌 で ね。 で も 榛 名 で は
録 音 し て 文 章 に し て く れ る。
い な い よ。 み ん な マ コ ち ゃ ん
竹 田 そ う、 特 に 榛 名 で は 僕
のことを主教なんて呼ぶ人は
と 呼 ん で く れ る。 あ る 修 女 さ
け を ガ ー ッ と 言 っ た ら、 た っ
むしろ若い人の方が元
で も、 そ れ を 読 む の が、 ま た
た一言「お前がやればいいじゃ
渡辺
竹 田 い や、 今 は 榛 名 に い る
けれど、老人は皆、元気だよ。
ないか」と言われた。
みんなに支えられて卒業でき
こ と は、 多 少 強 引 に な っ て も
神﨑 そんなものはないよ。
渡辺 その時の校長の一言が、
今の神﨑司祭の自分のしたい
て霊性とはなんでしょうか。
渡辺 大畑主教も霊性というこ
とをよく言いますが、主教にとっ
目すぎても霊性は無くなるよ。
。
気がないと ・・・
竹 田 真 面 目 に や り す ぎ て、
面 白 く な い ん だ ろ う な。 真 面
こと
ど 、
いけ
りで
は余
ち の 頃 は、 ど う に も な ら な い
奴 が 神 学 院 に 行 っ て、 何 と か
言う
きな
動き
んはもう百才を過ぎていて身
た。 優 秀 で な い 者 が 選 ば れ て
やるという考えに繋がってい
竹田 あれは元気でやれとい
う 促 し だ よ ね。 礼 拝 と い う の
は一
用 い ら れ た。 そ ん な 時 代 の 校
んるですね。
(笑)
はみんなでやる騒ぎだからね。
番元
嫌なんだな。(笑)
神﨑 僕は原稿を書きますが、
それは同じ説教をしないよう
長で大変だったと思います。
神﨑 そうよく人に言われま
す よ、 お 前 が 動 け ば 動 く ほ ど
あとユーモアも必要だよ。
渡辺 校長として何の細かい
アドバイスも無くですか。
竹 田 そ う、 食 事 中 に 殴 り 合
い の 喧 嘩 が は じ ま っ て、 こ こ
人に迷惑がかかると。
(笑)
に す る た め で す。 あ と、 僕 た
で す る と 迷 惑 だ か ら、 外 に 出
4
て、 あ の 人 と 話 す の は 楽 し み
気 が い い。 し か も 霊 性 が あ っ
渡 辺 教 会 が、 そ う い う 人 た
ちにどうやって命を与えるこ
いるような人もいますね。
ありますよ。
神﨑 日本のキリスト教に
とって命綱のようなところが
気付きも無くなってしまう。
竹田 そういう学びがあった
ね。 内 向 き に な る と そ う い う
が校長の愛情だった。
塚 田 先 生 に は、 は っ き り と
言 わ れ ま し た よ「 君 は 勉 強 す
だ よ。 ま た 元 は 看 護 婦 で 認 知
る 気 が な い の な ら、 も う 郷 里
その自立のために喫茶店を開
渡辺 もう一つぜひお聞きし
た い の は、 主 教 さ ん の 思 う 牧
年はみんな働いているんだか
い て い る。 今 度、 2 号 店 も で
師にとって大切なこととは何
神﨑先生はそこで何を一
に 帰 り た ま え。 君 の 年 頃 の 青
渡辺
あ と 韓 国 も よ か っ た ね。 今
は発展したけど、元気がある。
ら 」 と。 で も 後 に、 そ の 彼 か
とが出来るでしょうか。
番学ばれましたか。
神 﨑 今、 韓 国 の G F S が 一
生 懸 命 し て い る の は、 脱 北 し
ら立教に来ないかと言われた。
症 の 方 も い る け ど、 普 段 の 行
竹 田 や は り、 死 ん で も 生 き
ているという人を教会の中心
神﨑 やはり霊性ということ
ですよ。生活は貧しいけれど、
た人たち、多くは女性ですが、
ある。
きたんですよ。
でしょうか。
竹 田 子 ど も の 遊 び で も、 障
害のある子が隔てなく一緒に
に 置 く こ と だ な。 み ん な ケ ア
その中にキラッと光る霊性が
動の中に看護の精神を持って
いて、とても霊性を感じる。
の対象にしてしまっている。
神﨑 だから主教さんの言う
「 い と 小 さ き 者 」 と い う の は、
渡辺 その人の姿を見て生か
されるということですか。
神﨑 認知症であっても霊性
があるというのは素晴らしい
ですね。
竹田 信仰に生きた人は認知
症 に な っ て も、 霊 性 だ け は 残
るんだな。
な く、 生 き た 流 れ の 中 で 捉 え た
ま す か。 僕 は、 死 ん で か ら で は
活 と い う の は、 ど う 繋 が っ て き
神 﨑 校 長 の 時、 フ ィ リ ピ ン
か ど こ か に 行 か れ て、 帰 っ て
なっている気がする。
竹田 やはり内向きになって
い る の か な。 信 仰 も 内 向 き に
あ と、 僕 は 国 際 的 な 関 わ り
が大切だと思いますが。
る存在なんだよ。
く、 私 た ち に 命 を 与 え て く れ
遊んでるんだよ。
神﨑 僕はそんなドグマを構
築するなんていうレベルじゃ
なものになってしまう。
を す る 学 問、 デ ィ フ ェ ン シ ブ
色 ん な 答 え が あ る の に。 弁 解
に な る。 人 間 の 問 題 は 複 雑 で
う ん だ な。 す る と 答 え も 同 じ
を構築する場所になってしま
分 の 立 場 を 守 る 神 学、 ド グ マ
な っ て し ま う 危 険 が あ る。 自
竹田 昔から言っているんだ
け ど、 神 学 校 が 防 衛 神 学 校 に
と、 あ ま り 苦 し ま ず、 気 楽 に
く だ さ い と い う こ と か な。 あ
竹 田 そ れ は 困 っ た な。 ま あ
体に気をつけて元気でやって
をお願いします。
渡辺 そろそろお時間ですが、
最後に大畑主教にメッセージ
とだけどね。
だけでなく信徒にも必要なこ
こ と か な。 た だ、 そ れ は 牧 師
うことを身をもって生活する
て神さまの子どもであるとい
渡辺 今の神学生に望むこと
とかはありますか。
竹 田 難 し い こ と を 聞 く ね。
( 笑 ) ま あ 復 活 は、 人 が キ リ ス
き た ら 僕 た ち に「 俺 の 神 学 教
神 﨑 言 葉 が 通 じ な く て、 な
かなか親しくなれず一人でい
な か っ た。 神 学 院 の 3 年 間 は
やってください(笑)
、と。
遠くにいて助ける存在ではな
トによって新しく生かされた
育にはアジアという視点が抜
た 時、 子 ど も た ち が ビ ー ル の
自分の中に言いようもない闘
そういう流れの中で、復
ということだからね。
け て い た 」 と 言 い 放 っ て、 学
王 冠 を 潰 し て 遊 ん で い て、 そ
い と 混 乱 が あ っ て、 校 長 は そ
渡辺 わかりました。主教様、
神 﨑 先 生、 今 日 は ど う も 有 り
神﨑
渡 辺 あ る 意 味、 老 人 の 方 は
第 二 と い う か、 新 し い 人 生 を
生全員をフィリピンに連れて
れを淋しそうにしている僕に
れをじっと見て見ぬふりをし
難うございました。
竹 田 そ う だ ね ぇ、 基 本 的 に
は 人 間 を 愛 す る 気 持 ち。 そ し
生 き て い る し、 純 粋 に 信 仰 と
行った。
く れ る ん だ よ。 救 わ れ た 気 持
な が ら 見 守 っ て く れ た。 そ れ
向き合う時が与えられている
竹田 あの時はお金が無くて
大 変 だ っ た け ど ね。 で も ア ジ
ちになった。
いるんだな。
竹田 そういう人は榛名には
沢 山 い る よ。 死 ん で も 生 き て
いと思っているんですが。
気がします。
アとの交流は必要だと思った。
神 﨑 逆 に、 若 く て も 死 ん で
5
司
[ 祭のこの一冊 ]
『小さくされた人々の
ための福音』
本田哲郎訳、 新世社2001年刊
司祭 前田良彦
本田哲郎神父の訳されたこ
の「小さくされた人々のため
の福音」を改めて紹介するま
ではないのでは?と思いつつ
試 み と、 付 録 そ し て あ と が
きからお読みになるといいで
しょう。
聖書の中でキーワードとな
る言葉を新しい訳語で用いて
い ま す。 洗 礼、 悔 い 改 め る、
罪、愛、という大事な言葉が
本来の意味と日本語に翻訳し
たらどの言葉が良いのかが記
されています。全部をここの
スペースではお伝えすること
は出来ませんが、一つだけご
紹介したいと思います。
やファサイ派の人々が律法
神殿の境内で人々を教え
るイエスのもとに律法学者
十字架に付けられ
ようとする時イエス
行うことが出来ま
司祭のもとに行き」
「牧師またはほかの
される方はご自分の
仕 の 務 め で す。 希 望
会における司祭の奉
り ま す。 こ れ は、 教
かでない人々に道を開いてお
せて、前述の方法では心穏や
299頁に「個人懺悔」を載
聖公会の祈祷書は298~
般懺悔」を行いますが、日本
夕の礼拝、聖餐式の中で「一
けましょう。私達は通常、朝
まに申し上げて、ゆるしを受
わかった罪は、はっきり神さ
質(愛)を示されました。こ
達を大切にして下さる神の本
活 を 通 し て、 こ れ 程 ま で に 私
エスは口先で教えられたので
ら、 際 限 な く と い う 意 味 ) イ
ま し た。( 7 は 完 全 数 で す か
してやりなさい」と教えられ
な た の と こ ろ に 来 る な ら、 赦
「悔い改めます」と言ってあ
対 し て 罪 を 犯 し て も、 7 回、
さ ら に「 一 日 に 7 回 あ な た に
回 赦 せ 」 と 言 っ て い る 中 で、
の ユ ダ ヤ 教 の ラ ビ た ち が「 3
い 」 と 教 え ら れ ま し た。 当 時
し て、 悔 め ば 赦 し て や り な さ
罪 を 犯 し た ら 戒 め な さ い。 そ
イ エ ス は 弟 子 達 に「 兄 弟 が
す。「仏の顔も二度三度」と。
のゆえに限度を設けたがりま
す。 私 達 は 人 間 と し て の 弱 さ
「 わ た し も あ な た を 罪 に 定
めない」
違 反( 姦 淫 ) の 現 場 で 捕 ら
は「 父 よ、 彼 ら を お
のイエスを信頼してゆるしを
を 試 そ う と し て で し た。
イエスはかがみ込み、指
で地面に何かを書き始め
られました。彼らがしつ
こく問い続けるのでイエ
スは身を起こして「あな
たたちの中で罪を犯した
こ と の な い 者 が、 ま ず、
この女に石を投げなさ
い」と言われた。ある説
では彼らがイエスが何を
書いておられるかを覗き
込むと何と、彼らの不倫
相手の名前であったので驚
)
え た 女 性 を 連 れ て 来 ま す。
赦 し く だ さ い。 自 分
受 け、 心 の 目 を 開 い て 頂 き ま
( ヨ ハ ネ 8・1 ~
石打の刑を行うためイエス
が何をしているのか
す。
・
しょう。そうすれば、誰に対
知 ら な い の で す。」( ル カ
さいました。このことによっ
父のみ心(愛)を示してくだ
した。十字架の死を通して御
生きる私達のために祈られま
をお迎えする備えを致しま
私達のために来てくださっ
た主イエス=キリストの誕生
らせていただけます。
して損害を与えているかを悟
いて一人一人立ち去ったと
て、際限のない赦し=真の愛
しょう。
の時に、居住まいをただして
真偽の程はさておいて、ク
リスマスを迎えようとするこ
きちんと自分自身を見つめて
の世界への道が開かれたので
なくご自身の十字架の死と復
)と兵士だけでなく現代に
11
〈聖書を開いて〉⑤ み る と わ か る 罪 も あ り ま す。
言われている。
司祭 佐々木 庸
まだ触れたことにない方々に
ご紹介したいと思います。フ
ランシスコ会の管区長であっ
た本田神父が全国に散らばっ
ているブラザーを訪問すると
い う こ と で、 山 谷
コリントの第1の手
紙の 章の愛の賛歌と
呼ばれる一部分をお読
みください。
「人を大切にするとは、
忍 耐 づ よ く 相 手 を す る こ と。
人を大切にするとは、思いや
りをもって接すること。人を
大 切 に す る と は、 ね た ま ず、
う ぬ ぼ れ ず、 思 い 上 が ら ず、
めざわりなことをせず、自分
の 利 を 求 め ず、 い ら だ た ず、
人の意地悪を根に持たず、人
を不正に抑圧して喜ばず、と
もに真実を喜ぶこと。」(4~
5節)
目からウロコです。どうぞ
手にして見てください。
6
や釜ヶ崎の人々と
出 会 う な か で「 通
じない聖書」の言
葉にショックを受
けたのです。何とかこの人々
に聖書の思いを届けたいと思
い翻訳をされたのが、この書
で す。
「この苦労をなめつく
してきたせんぱい、仲間の労
働者に『福音』のすごさがピ
ンとくる聖書があれば…」
(5
頁)という思いがこの聖書の
出発点です。もし購入して読
んでみたいと思われたら、聖
書本文からではなく、はしが
き、新しい訳語、言い回しの
23
「赦し」こそ神の本質
34
13
に連なってくださる方が一
で頂いて、いつの日か教会
す。コンサートに足を運ん
会場としても利用していま
きも良いので、コンサート
2004年に新築した
聖堂は、天井が高く音の響
牧して頂きました。
はじめ多くの司祭様に司
主教になられたお二方を
父、 五 十 嵐 正 司 師 父 な ど
そ の 間、 教 会 は 竹 田 真 師
食の材料にな
感謝祭の捧げ
は、まさに収穫
ます。その野菜
野菜を作ってくださってい
るのが上手な信徒が四季の
部が畑なので、お野菜を作
います。まわりの土地の一
また、鑓水集会所では礼
拝と聖書研究会が行われて
も願っています。
に足を向けてくださること
した。幼稚園から教会の方
き、礼拝と愛餐会をもちま
収穫感謝祭礼拝に親子を招
日の主日は幼児祝福式と
で し ょ う。 わ が 教 会 で は
くの教会がかかえる問題
働きたい…というのが多
持ちはもっと外に向けて
ればというのが常です。気
が安泰に運営出来さえす
会内
的教
比較
で 、
まり
の集
(ガラシャ玉子 蒲池美喜子)
願っています。
もって行っていきたいと
継続できる努力を祈りを
の 一 歩 だ と 思 っ て い ま す。
し た。 外 に 向 け て の 働 き
を9月から月2回始めま
作 り、 送 ろ う と い う こ と
フェのために焼き菓子を
として同地で展開するカ
ジェクト新地ベース支援」
物 に な り、 昼
ウエルビー師は 1956 年生まれ。石油業界で 11 年間活躍したが、
フランスで生後 7 か月の娘を交通事故で亡くした後、「召命」を受
け会社を辞め聖職になった。
「和解仲裁の専門家」として知られて
いる彼は西アフリカの油田事業に関わった経験からアフリカ諸国
の葛藤仲裁と和解のために努力してきたという。彼の企業運営経
歴から危機管理能力と外交術に対する期待が高まっている。英国
を始めとする世界聖公会コミュニティーが悩んでいる分裂の問題
の打開策として「管理者型」の主教が選ばれたと言ってもよいだ
ろう。今日の世界は多様な価値観と思想、考え等によって豊かに
なった半面、分裂と争いが絶えない。だからこそ次世代のリーダー
には和解と仲裁という役割が期待されていると言っても過言では
ない。しかし「和解仲裁の専門家」と言えばやはり「イエス・キ
リスト」を抜きにしては話にならない。私たちの間に宿られた主
イエス・キリストこそが「真なる」和解仲裁の専門家である。今
年の降誕日は改めて和解仲裁について考えてみたい。
宣教主事・司祭 卓 志雄(タク・ジウン)
「 い っ し ょ に 歩 こ う! プ ロ
人でもいらっしゃるといい
り、私たちが買
わせていただ
座式は主教トマス・クランマー日である来年 3 月 21 日に行われる。
1 0 0 周 年 を 迎 え ま し た。
幼稚園のご父母とは、今
年は「ふれあいバザー」と
なぁと願っています。
月
称し共に働きました。
いた収益は、一
部、東日本大震
災の義援金に
もなっていま
す。多くの豊か
な実りをもた
らす神さまと
ファーマーに
感謝!です。
「芝公園の窓から」 ②
八 王 子 復 活 教 会 は、
多摩グループ5教会
日に100周
今井蒸治司祭が八王
子ミッショナーをさ
れている鑓水集会所
が あ る、 教 区 事 務 所
から一番遠くに位置
する教会です。
教 会 の 創 立 は
1 9 0 8 年、 元 立 教
小 学 校 校 長・ 伊 藤 高
清氏の厳父伊藤堅逸
司祭の司牧(1921
~67年)を経て
先日英国聖公会ダラム教区のジャスティン・ウエルビー(Justin
18
教 会 は、 い
ろいろな人々
7
に 学 校 法 人 化 さ れ、
月
10
年を迎えた幼稚園と
11
2008年に創立
11
の 一 つ で、 本 年 4 月
ようこそ 八王子復活教会へ 私たちの教会[3]
Welby)主教が第 105 代のカンタベリー大主教に任命された。着
笹森 田鶴
信 仰 共 同 体 で あ る こ と で す。
聖公会の特徴は、会議性を
尊重しつつ主教制を保持する
環を担っています。
通 し、 東 京 教 区 の 働 き の 一
礼拝等関する準備や実施を
役 者 逝 去 記 念 聖 餐 式、 新 年
礼 拝、 聖 週 の 礼 拝 ) 教 区 教
拝( 降 臨 節 前 や 被 献 日 前 の
各主日)
、教会暦の特別な礼
よって、教区主教の職務全体
いるすべての聖職の働きに
どに教区主教より派遣されて
礼拝堂、関係学校や諸施設な
の一部を任せられて各教会や
示すように、教区主教の職務
会の集合体でキリストの体を
提条件となります。教区が教
事や伝道師の働きの補完が前
ての職務執行は、司祭団、執
で、
関わる諸委員会との連携の中
こ と は 既 知 の 事 で す。 教 育 に
が重点課題として挙げている
信徒の教育の充実を教区主教
められます。そのために聖職
して生かされていくことが求
体的な教区の宣教の担い手と
成長し続け、一人ひとりが主
して東京教区がこの機に更に
拝を中心とした信仰共同体と
究。 そ の 他 教 区 主 教 よ り 委
との連携による祈祷書の研
究、祈祷書改正教区モニター
全 般 の 資 料 収 集・ 翻 訳・ 研
国 聖 公 会 の 法 規 研 究。 礼 拝
聖 堂 の 礼 拝 奉 仕 者 研 修。 米
などの継続的学び)、主教座
続 神 学 講 座 B( 聖 書、 礼 拝
神学的視点からの学び)、連
講 座 A( 同 じ 課 題 の 様 々 な
る礼拝が当然ながらその活
とりわけ教区主教の施行す
る 東 京 教 区 に 不 可 欠 な 礼 拝、
キリスト教信仰共同体であ
る こ と が 主 な 活 動 内 容 で す。
区主教の職務遂行を補佐す
位 置 づ け ら れ て い ま す。 教
教区主教の諮問機関として
「東京教区施行規則」により
教区主教の存在です。
を バ ラ ン ス よ く つ な ぐ 要 が、
て会議性と主教制のこの両面
教の職務を補佐します。そし
に主教座聖堂があり、教区主
主教制の具体的な執行のため
る教区会があります。一方で
教役者も一堂に会して行われ
す べ て の 教 会 が 代 表 を 送 り、
学的立場でもあります。
ことは、聖公会の基本的な神
によって教区主教が存在する
職たちに分かち合われた職務
ていく所存です。
めをひとつひとつ誠実に行っ
えて主教座聖堂のなすべき務
◇ ◇ ◇
よりお願いいたします。
皆様の祈りによる参加を心
託 さ れ た 諸 活 動 を 行 い ま す。
が果たされていくのです。聖
動 の 中 心 で す。 礼 拝 は、 そ
また聖公会の主教制自体も
会議性を保持しています。聖
年後の東京教区を見据
会議性の具体的な組織として
れぞれの信仰共同体の関心
公会の主教制は、教区主教と
するようになりました。つきましては信徒のみなさんにご
信徒「わかりました。私は傘を 20 本寄付いたします」
寄付をお願いしたいのですが」
2.あだ名
信徒 B「いや、あだ名だよ」
信徒 A「どうして、そんなあだ名がついたんだい」
信徒 B「実は、みんなにうちの妻といる普段の姿を見られちゃっ
信徒 A「それが、どうしてイザヤと関係あるんだい」
てね」
信徒 B「どうも、
その姿が『苦難のしもべ』に見えたらしいんだ」
牧師「すみません。今日の“山上の説教”についての説教は要
信徒「これが本当の“惨状の説教”ですね」
点もまとまらず、ひどい内容でした」
日発行予定
や 宣 教 課 題、 教 会 形 成 の 中
いう個人的な存在のみに委ね
牧師「この教会も、だいぶ痛んできまして、礼拝堂に雨漏りが
10
3.山上の説教?
※次号は2月
心 が 表 現 さ れ、 神 と 人 と に
ら れ る も の で は あ り ま せ ん。
今後、聖職の減少など、教
区の状況が大きく変化するこ
1.雨漏り
礼 拝 実 施 の 他、 連 続 神 学
奉 仕 す る 重 要 な 場 で す。 主
信仰共同体の霊的指導者とし
とが予測されています。どの
教 座 聖 堂 で は、 聖 職 按 手
て、また教区の一致の象徴と
なのかい」
式、 教 区 合 同 堅 信 式( 復 活
信徒 A「君は、みんなからイザヤと呼ばれているけど、洗礼名
ような状況であろうとも、礼
光の礼拝(11 月 25 日)
して存在する教区主教のすべ
聖アンデレ主教座聖堂は、
主教座聖堂主任司祭
前、 昇 天 後、 降 臨 節 第 3 の
ちょっと聖書、ときどきユーモア(四)
8
10
主教座聖堂の働き