序 現代社会は,人間の歴史の中の巨大な転換点にある。情報化と消費化,環 境と資源の限界,人口変容とグローバリゼーション,システムの虚構化と破 綻,これらの相互に密接に関連し合う変動は,わたしたちの永年生きてきた 「近代」というひとつの時代の最終的な純化と高度化と,「彼方の世界」の萌 芽という,矛盾する二つのベクトルの拮抗するダイナミズムの現象形態であ る。このような現代社会の魅力と苦痛,絶望と希望の両面を把握すること は,狭義の社会学だけではなく,広く関連する社会諸科学,人文諸科学,自 然諸科学の知見を参看することによって初めて実現することができる。翻っ てまたこのように,不断に越境し自己烈開しつつ全体を目指してやまないと いう情熱こそは,社会学自体の学の初心でもあった。 本事典の原型となった『社会学事典』 (1988 年,弘文堂)は,このような 精神のもとに,20 世紀末日本の社会学,思想・哲学,関連する人文,社会, 自然科学の知を総集するエンサイクロペディアとして新鮮な共感と信頼を得 て版を重ねた。その刊行から 24 年後,この事典の精神を継承すると同時に, 1990 年代,2000 年代の社会と社会学,関連諸学の展開を包括して増補し拡 大するものとして新しく構想された『現代社会学事典』が,現在の第一線の 編集者と編集協力者,851 人に及ぶ執筆者の力を結集してここに完成した。 * 『現代社会学事典』が目指しているのは,したがって,二つの意味におけ る「全体性」である。 第一に,この事典が照準しているのは,社会の全体性である。社会学は, 「近代」とともに誕生した。この事実には,それこそ社会学的に説明されうる 必然性がある。近代において初めて,社会が,個人に対して,その行為や意 図や欲望から独立した疎遠な全体性として対峙するに至ったのだ。社会学 現代社会学事典―― i は,その「全体性」を捉えようとする意志として生み出された。だが,21 世紀初頭の現在, 「近代」という時代が極点に達しようとしているがゆえに, 社会という全体性は大きな変容と転換の中にある。個人の集積には還元でき ない全体性が存在していることは誰もが実感するのだが,それを縁取る境界 線はどこにあるのか,その内部構造はどうなっているのか,それはどこへと 向かっているのか,こうしたことが圧倒的に不透明なものになったのだ。社 会学の新たな事典が必要な所以がここにある。 第二に,この事典が目指しているのは,ほかならぬその「社会学」という 知の全体性を,明確に実感しうるものとして提示することである。今日,イ ンターネットの力もあって,たいていのことは容易に調べることができる。 こんなときに,社会学者が,さらには関連諸領域の多数の専門家が,総力を あげて一個の事典を作ることにどんな意義があるのか。それは,ひとつの知 の領域に,触知可能な全体性を与えるためである。なるほど,わたしたちは インターネットを通じて,何らかの情報を得ることができるだろう。しか し,その情報は知の全体の中でどのような位置をもつのか,他の情報や知識 と比べてどのくらい重要なのか,こうしたことは,インターネットで検索を いくら重ねてもわかるまい。徴のない砂漠を歩んでいるようで,知の全体が どこまで拡がっているのか,いつまでたっても見当がつかないからだ。何か を理解するためには,その何かであるところの特定の部分についての情報の 密度を高めるだけではたりず,その「部分」が所属する知の「全体」につい ての一目で見渡しうる 像 を我が物にしておく必要がある。どこかの街の厳 密な地図が与えられたとしても,世界地図について知らなければ,また,そ の街が世界地図の中のどこにあたるのかを把握していなければ,どこにも行 けないのと同様である。 『現代社会学事典』は,各項目の内容だけではなく, ii ――現代社会学事典 その物質的な厚さによって,項目の数によって,各項目の字数によって,項 目間の相互参照のネットワークによって,世界地図を,「社会学」という知 の世界地図を与えるものである。 現代社会の全体性について知りたければ,社会学に問うとよい。応答が, この『現代社会学事典』にある。 2012 年 11 月 『現代社会学事典』編集顧問 見田宗介 『現代社会学事典』編集委員 大澤真幸 吉見俊哉 鷲田清一 現代社会学事典―― iii
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