卒業論文の処方

卒業論文の処方
されています。大きな書店のコーナー︵レポートや論文作
文学部第Ⅰ類から
――
卒業論文は通信教育課程で学ぶ成果の総決算です。テキ
成に関するマニュアル本の棚︶に足を運べば、いくつもの
岡原正幸
スト科目やスクーリング授業などの一歩一歩の学習はすべ
﹁論文の書き方﹂ガイドが置いてあります。手にする場合
微妙に違ってくるからです。もちろん、慶應義塾の通信教
て卒業論文という頂上を目指して行うと言っても言い過ぎ
育部が作成した﹃卒業論文の手引﹄︵慶應義塾大学出版会︶
者によって、専攻分野によって、論文に求められる事柄が
しょう。文学部第Ⅰ類の諸専攻分野には、哲学、倫理学、
も参考になります︵現在は絶版となっています︶
。同じ慶
は少なくとも二冊以上に目を通してください。なぜなら著
美学美術史学、図書館情報学、社会学、心理学、教育学、
應義塾大学出版会から﹃大学通信教育に学ぶ人のためのス
ではありません。すべての学習は卒論に通じるというわけ
人間科学といった分野が含まれます。学問としての歴史や
タディガイド﹄という本も出されており、こちらは文学部
です。ではその卒論はどのようにして作成すればいいので
伝統は多様ですが、論文の書き方としては大同小異、卒論
教授と通信教育部卒業生の共著で、卒論に限らず通信教育
作成における共通点をお話ししましょう。
卒業論文の作成にあたって何冊かのガイドブックが出版
三色旗 2010.5(No.746)
もに説明されています。また文学部では、卒業論文作成に
におけるさまざまな学習形態が具体的なアドヴァイスとと
い っ た い 何 を 勉 強 し た く て 入 学 し た の か、 今 一 度 初 心 に
そ 重 要 な の で す。 そ の 意 味 で 大 事 な の は、 自 分 が 大 学 で
あたって、 文学部の卒業論文指導申込に際しての諸注意
立 ち 返 っ て じ っ く り 考 え る こ と で す。 そ の 上 で、 人 に 伝
「
」
という文書を用意しています。これには、文学部の各専攻
え た い と 思 う こ と が 浮 か べ ば、 そ れ が あ な た の テ ー マ で
日 々 の 生 活 で﹁ 楽 し い ﹂
﹁ 嫌 だ ﹂ 変「 だ ﹁」 素 晴 ら し い ﹂
などと感じた出来事はすべてあなたのテーマになるはずで
しょう。
す。ラブレターも論文も、誰かに向けて書くという意味で
から寄せられた、卒論作成上の注意や指導可能な領域、卒
が記載されています。この文書を、卒論制作に取り掛かる
論制作に取り掛かる前に目を通しておくべき参考文献など
前に、熟読しておいてください。自分が作成する専攻以外
は 同 じ で す。 ま ず こ の 点 を 再 確 認 し ま し ょ う。 あ な た の
文という型に当てはめるという意気ごみが大事です。です
テーマがまずあって、それをある専攻分野の仕方で学位論
のものでも、大いに参考になるはずです。
1 テーマの選び方
から﹁∼のテーマは卒論になるでしょうか?﹂という問い
る論文であり、学位を請求する、学士号を得るための論文
れません。もしそうなら、もう一つの初心、つまりそれま
そうは言っても、何も浮かばないという人もいるかもし
は愚問です。
で す。 言 う ま で も な い で し ょ う。 た だ し、 論 文 と は﹁ 文
でに読みこなしたり、聴講したりした、テキストやスクー
卒業論文とは何でしょうか。それは卒業要件となってい
章 ﹂ で あ り、 誰 か に 向 け て 書 か れ る も の で あ る と い う こ
い な と 感 じ た 事 柄 が あ れ ば、 そ れ は テ ー マ に な る は ず で
す。場合によっては、テキスト科目のレポートを膨らませ
リング授業のノートに、立ち返ってください。そこで面白
が強調されて、他の文章︵日記、小説、手紙、法令など︶
ることで卒論に進化することだってあります。また逆に、
と、 こ の こ と を 見 過 ご し て は な り ま せ ん。 論 文 の 特 殊 性
との差異ばかりが述べられてしまうと、卒論がそもそも誰
通 信 教 育 の み な さ ん の 場 合 に は、 自 分 の 属 す る 地 方・ 職
︵学位論文ゆえに学問制度が要求する書式や形式︶ばかり
かに向けて書く行為であるということが忘れられてしまい
場・生活の特性を活かした研究
たとえば、その地方・
―
ます。論文とはいえ、誰かに何かを伝えたいという欲望こ
三色旗 2010.5(No.746)
職場・生活にしかない資料を活用した研究
していくこともできるでしょう。
をテーマに
―
かを決めるのと同じです。文献研究を主軸に据えるものか
は、そのテーマにどのような方法を以ってアプローチする
らなければ卒論題目を絞りこめません。専攻分野の選択と
専攻分野の関係はどうすればいいでしょうか。これが決ま
ば、結局一から出直しになってしまう可能性があるからで
設定したとしても、その分野を指導できる教員がいなけれ
調べておくことも大事なことです。せっかくよいテーマを
できる教員がいるかどうか、教員の専門分野を事前に十分
また、テーマの選定にあたっては、指導を受けることの
2 テーマと指導教員
ら、質問紙やインタビューで人に聞いたり、観察や参加な
す。みなさんの指導を行えるのは現在慶應義塾にて専任で
さて、テーマが何となくわかったとして、そのテーマと
どのフィールドワーク、あるいは実験などを必要とするも
す。どのような分野の専門家がいるのかは、文学部につい
︵つまり非常勤の先生方は除かれる︶教えている先生方で
ては﹃文学部専任教員一覧﹄という冊子でも調べることが
のまで、研究方法にはさまざまなものがあります。自分の
に十分な環境が身近に整っているかどうかを考慮する必要
できます。この﹃一覧﹄には、文学部に所属する全専任教
テーマにふさわしい方法を考え、かつその方法を実践する
があります。第Ⅰ類に該当する専攻分野には、哲学、倫理
テーマによっては、文学部以外に所属する先生方がみな
員の専門分野と最近の業績が記載されており、情報量が豊
き研究方法は指導の先生との相談で決まることも多いた
さんの指導にあたることもあります。他学部の先生方につ
学、美学、美術史、図書館情報学、社会学、心理学、教育
め、最初の段階では、自分のテーマがもっとも活かせる分
いてはインターネット上の慶應義塾のホームページから調
富です。
野を決めることであり、それはテキスト科目やスクーリン
べるのが便利でしょう。哲学、美術、音楽、社会学、心理
学、人間科学などがあります。ただし、具体的に採用すべ
グの経験︵さらには放送大学の視聴なども︶を通じて判断
学、地域研究、社会心理学などを専門にする教員は各学部
に所属しておりますし、看護に関わるテーマなら看護医療
するしかないでしょう。
学部の先生方にお願いすることもあります。他学部の教員
三色旗 2010.5(No.746)
特権かもしれません。
から正式に卒論の指導を受けられるというのは、通信生の
でも五節立てでも二項立てでも構いません。字数のカウン
し各項を原稿用紙二枚程度書けば、卒業論文としては恥ず
けを数えれば、3×3×3で、二十七の項となります。も
かしくない字数になります。もちろん実際には、十章立て
3 論述上の注意
た事柄や自分の主張がランダムに置かれるのではなく、特
す。はじめがあって、終わりがあるということです。調べ
ま す が、 ま ず 共 通 す る の は﹁ 物 語 ﹂ を も つ と い う こ と で
ています。専攻分野によってその型の縛りの強弱は異なり
論文は他のさまざまな文章とは違う独特の﹁型﹂をもっ
てくれるでしょう。
てください。きっと自分の書きたい論文の輪郭が姿を見せ
めて、それらを見出しにして、章、節、項に割り振ってみ
から、まず、自分のテーマで思い浮かべるキーワードを集
かになるということです。章立てはいつでも変更できます
お互いにどのような関係にあるのかが章立てによって明ら
ト以上に大事なのは、それぞれの文章のかたまり︵項︶が
定 の ス ト ー リ ー を 形 作 る 必 要 が あ り ま す。 そ れ が 論 文 の
構成や目次、別のことばで言えば、
﹁章立て﹂です。こ
いても構成が異なれば、論文の質は大きく違ってきます。
には見て取れます。たとえば同じ課題、同じ資料を使って
ための資料/素材の提示、課題の解決といった道筋が目次
す。問題意識、課題設定、課題へのアプローチ法、立証の
ですが、他方で、その根拠をめぐって、他人と議論できる
や論拠はもちろん主張や意見を説得的に述べるためのもの
の根拠が何であるのかを明示することが不可欠です。根拠
とです。論文では主張も大事ですが、それ以上にその主張
えに、∼である﹂という形式の文章を積み重ねるというこ
いうことです。﹁∼である、なぜなら∼﹂あるいは﹁∼ゆ
る主張とその根拠の提示をペアにして文章を作っていくと
こでは簡単な例を挙げておきましょう。それは﹁三章三節
ことが求められます。その結果、反証され自分の主張が維
論文で作られる文章は﹁論述﹂です。簡単に言えば、あ
三項﹂の章立てです。序章や終章を入れれば、五章立てと
持できなくなることもあります。根拠を示さず、こう思う
次を見ればその論文の質の大方は読み取られてしまいま
なります。各章は三つの節で構成され、各節は三つの項に
ああ思う、という形式の文章は反証されることのない記述
﹁構成﹂であり、端的には﹁目次﹂として表されます。目
分かれるというものです。三つの章にふくまれる項の数だ
三色旗 2010.5(No.746)
す。学位論文を書くことは否応なく、この論争の潜在性を
が論争と呼ばれ、学術的な進歩に欠かせないものとされま
って組み立てられるのが論文です。論証と反証のやり取り
です。そうではなく、反証される可能性をもった論述によ
をどのように理解したらいいのかについて、何のヒントも
への言及がないということは、読者にあなたの論点や方法
置づけるのか、それを明らかにします。ですから先行研究
す。既存の研究の流れに対して自分の研究をどのように位
的に整理して、その上で、自分の立場を明らかにするので
4 資料収集の方法
もちろん、単なる不勉強という誹りを免れ得ません。
与えないということであり、不親切でもあります。そして
引き受けることなのです。
主張と根拠のペアがバランスを欠くと、レポート添削で
よく見られる指摘になります。たとえば、あなたの文章が
﹁主観的な意見の羅列にすぎない﹂と批判されるなら、そ
れはあなたの書いた文章が﹁∼である﹂ばかりで、
﹁なぜ
文献などの資料収集にあたって、まずもっての拠点は図
なら∼﹂が抜けているからです。根拠づけられた主観的意
見ならば﹁主観的﹂ではありません。あるいは﹁文献資料
書館ということになります。通信教育のみなさんの場合、
図書館などについての事前の調査も必要です。こうした情
の要約ばかり﹂だと批判されるなら、それはあなたの書い
報については、各地の慶友会組織を通して、先輩や仲間た
地理的な問題として、塾の図書館をいつも自由に利用でき
があります。それは論文には﹁新しさ﹂が求められるから
しかし、論述がしっかりしていても論文にならない場合
ちと情報交換をしあうのも有効な方法です。ふだんは大学
た文章が﹁∼ゆえに﹂ばかりで、肝心の﹁∼である﹂が抜
です。既存の研究につけ加える何かが必要です。それは何
と一対一で向かい合うことになるみなさんにとって、一緒
るとは限りませんから、自分自身の身近で使用できる公立
も新発見ということではありません。既存の説を追試した
に学んでいる仲間たちとの接触は、よい励みにもなるはず
けているのです。論述は論文の命です。
り、新たな方法やフィールドを通じて確認したりするもの
今やネットを通じた資料収集は不可欠です。大学図書館
です。
及です。自分のテーマについて、自分の選んだ専攻分野で
あるいは国会図書館のようにネットによる検索を公開して
でも構いません。そのことを説明する件が先行研究への言
は、従来どのようなことが言われてきたのか、それを要約
三色旗 2010.5(No.746)
いる場合も多く、直接にダウンロードすることが可能な学
ん。窃盗です。自分の主張が明確になるのは、これこそが
ように見えてしまい、極端な場合、剽窃にもなりかねませ
場合には、それがあたかも論述者の独自の論点であるかの
自分の主張だと言い張るよりも、これは誰それの主張、こ
術論文や資料データも少なくありません。もちろん官公庁
資料の中には、もちろん文章だけではなく、映像や写真
れは誰それの考えであると繰り返し述べていくことによっ
や企業など利用可能なサイトは多々あります。
や音声などの多様な媒体が含まれるでしょう。さらに、社
てです。
るのであれば、その箇所を明記することは論文の最重要課
このような意味で、参考にした文献を明示して、引用す
会調査を手法とするなら、質問紙、インタビュー、観察な
どの手段で資料を手にすることも大事になります。
題 と な り ま す。 引 用 と 典 拠 の 挙 示 の 実 際 に あ た っ て は、
なりません。参照した文献の主張を要約するにせよ、その
主張がいったい誰に由来するものなのかを明示しなければ
論文の執筆にあたっては、論文中に登場するさまざまな
取り早い方法です。卒論執筆にあたっては、そうした論文
分野で書かれた論文をいくつか読んでみるのが、一番手っ
の執筆分野のルールがどのようなものであるのかは、その
これらを身につけていくことも論文執筆のうちです。自分
5 参考文献の引用方法
まま引用するにせよ、その出所を明記しておくことは、論
を必ず読むのですから、その時、文献リストの作り方、引
各々の専攻分野に定着した一定のルールがありますので、
文作法の﹁いろは﹂に属します。これは、引用された主張
用の仕方などにも十分な注意を払っておきましょう。
6 おわりに
をめぐって議論する際に、また引用がそもそも主張者の主
旨にかなったものであるかどうかを検討する際にも、第一
の典拠に立ち返る必要があるからです。 また参照箇所や
引用自体が自分の主張の根拠となる場合、その出典を明記
通じて、卒論を書き進めることになります。最初に手がけ
みなさんは指導の教員のもとで、個人指導やゼミ指導を
自分のオリジナルな主張を目指すばかりで、他人の意見
て欲しいのは、繰り返しになりますが、慶應大学にどのよ
することは、根拠を根拠たらしめる要件になります。
が、その典拠を明示されずに論述の中に取りこまれている
三色旗 2010.5(No.746)
うな専門分野で研究している教員がいるのかを調べること
いう関心で、各学部の教員リストや通学の講義要綱を覗く
究 科 博 士 課 程。 主 要 業 績
学、映像社会学専攻。一九八七年慶應義塾大学大学院社会学研
︹おかはら
まさゆき
慶 應 義 塾 大 学 文 学 部 教 授、 感 情 社 会
http://opac.ndl.go.jp
だけでも、実は勉強になります。こんな分野こんな対象こ
社、一九九八年。﹃生の技法︵増補改訂版︶
﹄藤原書店、一九九
国会図書館
んな方法で研究を進めているのか、という大雑把な理解が
です。ただ単に、慶應にはどんな先生がいるのだろうかと
自分の研究を助けるからです。ピンと来たら、ホームペー
五年。﹃身体をめぐるレッスン︵3︶
﹄岩波書店、二〇〇七年︺
﹃
― ホ モ・ ア フ ェ ク ト ス ﹄ 世 界 思 想
ジだけでは足りません。ホームページ上の教員紹介がたと
えば一行で﹁中世哲学﹂とか﹁社会理論﹂とか﹁日本美術
史﹂とかになっていたなら、今度は、どのような論文や著
書をその教員が書いているのかを調べることです。そして
それらの刊行物に目を通す。このような作業を繰り返すこ
とで、自分のテーマに輪郭を与え、自分のテーマをある学
問分野に位置づけ、そして論文をどのように執筆すればい
いのかがわかるようになるでしょう。そしてさいごに、人
なり進むものです。安心して書いてください。私たちがお
に伝えたいという気持ちがあれば、卒論作成は意外にすん
http://www.hc.lib.keio.ac.jp/studyskills
http://www.lib.keio.ac.jp
http://www.keio.ac.jp
手伝いいたします。
参考ホームページ
慶應義塾大学
大学図書館
スタディ・スキル
三色旗 2010.5(No.746)