Document

自由論題 中国の政治
報告2
美麗 和子(東京女子大学大学院)
建国初期の中国共産党の民族政策――貴州省第一回民族工作会議における中央訪問団団長
劉格平、副団長費孝通の発言から
CCP’s Ethnic Minorities Policies in the Early Years of the PRC:Two Presentations
Made by an Ethnic Minority Leader and an Ethnologist at a Conference
中央訪問団は、新中国建国初期の 1950 年から 1952 年にかけて、中共中央が西南、西北、
中南、東北の少数民族居住地域に対し、かつて類を見ない大規模な編成で派遣した訪問団
である。その主たる任務は、慰問と民族政策の宣伝及び辺境少数民族の調査であった。
中央訪問団のうち、最も早い時期(1950 年 7 月)に派遣されたのが西南訪問団である。
本報告は、西南団団長劉格平(中央民族事務委員会副主任、統一戦線部副主任)と副団長
費孝通(清華大学教授、副教務長)が、訪問団の活動中に出席した貴州省第一回民族会議
(1951 年 2 月)での報告を取り上げ、両者の発言を比較しながら、当時の共産党が持つ民
族認識を明らかにするものである。
劉格平は回族出身の少数民族幹部であり、中央民委で李維漢主任の下、ウランフ(モン
ゴル族)
、サイピディン (ウイグル族)とともに副主任を務めていた。劉は報告において、
共産党革命期及び西南団の活動で得た見聞を交えつつ、49 年共同綱領に基づいた党の民族
政策の基本精神を紹介し、大漢族主義を否定しながらも「革命思想の中心は漢族」であり、
「
『落後』の状態にある少数民族の発展を漢族が手助けしていく」と語る。
もう一方の報告者費孝通は、建国初期の共産党政権に「進歩的知識分子」として認めら
れ、少数民族工作に登用されていた。費は自身の担当地域である貴州の土着勢力や国民党
勢力、宗教勢力の歴史と現状を背景事情として紹介した上で、各民族を「社会発展段階」
の各ステージに位置づけ、階級区分や土地制度など、共産党の民族政策の視点に沿う形で
少数民族の事情をより実証的、具体的に説明する。
両者の報告は、そのアプローチや取り上げる事例は異なるものの、いずれも共産党の社
会認識論を基礎としている。建国初期の漢族を中心とする民族政策の展開にあたり、革命
家と知識人の連携が政策の説得力を高め、工作を円滑に進める一要因であったと考えられ
る。