キネマ旬報 「文化映画作品賞」 部門ベストテンにノミネート

剔L路辰
キネマ旬報「文化映画作品賞」部門ベストテンにノミネート
廃村になった旧谷中村跡に生い茂るョシ原をかき分けて墓地
に向かうシーンから始まり、カメラは渡良瀬川最上流にあった
松木村跡のカラミの山から足尾銅山、谷中村、さらに谷中村を
追われた農民の跡をたどり那須、北海道佐呂間へと追って行く。
日本最初の公害といえる足尾銅山の鉱毒のもととなっ・た銅の
増産は、日本の近代資本主義の形成過程で外貨獲得の主要な担
い手となるべき、まさに国家的な要請であった。しかしそれは
同時に渡良瀬川下流に甚大な公害を引き起こすこととなる。
それまでの渡良瀬川は、洪水のたびに大量の腐葉土が運ばれ、
肥沃な土地であった。しかし鉱毒の流出により田畑は次第に荒
野と化していった。足尾銅山の操業停止を叫ぶ農民の闘い、田
中正造の国会での質問演説、それに呼応した被害農民の大挙し
ての国会への押し出しが闘われていく。やがて政府は谷中村一
帯を遊水池とすれば、渡良瀬川の氾濫による鉱毒被害はなくな
るとして鉱毒問題を治水問題にすり替え、谷中村を廃村に追い
やっていくのである。それに抗して最後まで農民の側に立って
闘ったのが田中正造であった。
その田中正造に最後まで付き添って谷中村強制破壊と闘った
島田宗三の、田中正造を語る貴重なインタビューは真に歴史の
生き証人である。さらに那須、北海道佐呂間へ移住していった
谷中村農民の言葉に尽くしがたい困難な開拓。足尾銅山閉山後
の珪肺に侵された鉱夫の戦い。源五郎沢堆積場の決壊により鉱
毒被害を蒙った太田市毛里田地区の状況と農民の戦い。埋もれ
ていた歴史を一人一人が語る。
40年前に撮影を始めた「鉱毒悲歌」の最後の言葉「人間に対
して最大の公害といえる核分裂による被害も、国家の安全保障
といい、国益のためと称して、原子力開発は国家の名において
行われているのである」は真に3年前の東日本大震災の原発崩
壊を見通していたかのようである。