【平和科目共通課題】平和に関するモニュメント見学実習レポート用紙 学生番号 B123023 所属学部 学科・類・コース 工学部第二類(電気・電子・システム・情報系) 受講科目名 ジブンから始まる世界平和 見学した モニュメント(施設) 県立広島二中慰霊碑 氏名 信家 悠司 ※平和に関するモニュメントを見学し,平和について考えたことを1,200字程度で論述すること。 提出は WebCT により,PDF ファイルにして提出。提出時のファイル名は必ず「学生番号.pdf」とすること。 その他詳細については,担当教員の指示に従うこと。 =======================以下 レポート本文======================== この慰霊碑は、平和公園の西側の、本川と平和公園に挟まれたところにあり、旧広島二中の生徒 342 人の 慰霊のために建てられている碑である。 なぜ私がこの慰霊碑を選んだかというと、私の出身高校が広島観音高等学校という学校であり、その前身が この広島二中だったからである。であるから私は高校時代生徒会執行部としてこの碑の慰霊祭に何度も参加し、 そのたびにこの慰霊碑の内容について考えてきた。 原爆が落ちた日、1945 年 8 月 6 日 8 時 15 分、県立広島二中の 1 年生 321 人 2 年生 9 人 3 年生 2 人 4 年生 9 人 5 年生 3 人指導教員 8 人の計 352 人がこの本川の川岸の建物疎開(火事が広がらないために建築物を取 り除くこと)を行っている途中に原爆の爆風でほぼ全員即死した。当時は国家総動員法という法律によりこの 年代の生徒は建物疎開や学徒勤労などにより授業をせずに工場や街にかりだされていた。そして上級生は工場 へ主に行くので下級生は建物疎開が主な活動であった。そしてこの慰霊碑はなんと集団で亡くなったその場所 に慰霊碑がたてられているのである。この慰霊碑は大きな自然石でできており、正面には「なぐさめの言葉知 らねばただ泣かむ 汝がおもかげといさをしのびて」という慰霊の言葉がきざまれている。背面には 352 人全員の 名前が刻まれている。 本当なら即死レベルではない距離に住んでいる者たちがわざわざ集団でつれてこられているところで全員 (352 人)が一瞬にして命を落としたという事例は想像するだけであまりに辛い。小学校の時から広島市民だ った自分はいろいろな悲惨な例を学んできたが、この二中の被爆の例をしっかり学んだ時には身近さと酷さに 絶句した。あまりにも惨い。このような酷いことがあったというのは県外の人にもぜひ知ってもらいたい。 次に、平和について考える。今まで 18 年間平和について考えてきた私は、正直なところ平和学習というも のに飽き飽きしている。しかしそれは、単に平和にしなくてもよいというわけではなく、今私たちにできるこ とは限られており、シンプルだということだ。 このような慰霊碑を見ることによってわかること伝わることは、原爆が悲惨なものだったということただ 1 つである。しかし広島市や平和資料館が伝えたいことはもっとたくさんあるはずである。それは各自で考えろ ということであるが、そんな弱い伝え方では、わざわざ観光しにきてくれた人々にしっかり平和の気持ちを伝 えることができないし、平和資料館などただのお化け屋敷とみられることもある。 といっても長年広島に住んでいる私が立派な論理的な簡潔な意見を持っているというわけではない。そして 広島の学校でも他県と同じようにいじめはたくさん発生している。 私が県外の人たちや海外の人々に伝えたいことは次のこと一つである。 「広島に来て被害を学ぶことによって、すこしでも心優しい人間になってください」 これだけで世界は少し平和になると信じています。
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