陰宅風水

風水五輪塔
特徴
1 五輪塔は宇宙調和の姿を(空・風・火・水・地)の五大で現します。
2 風水理論に基づいた天地の気が集合する墓石枠です。
3 天地の気が和合する場所(納骨室)にお骨を安置します。
4 個人情報を保護する墓誌の納骨室への安置(神道や儒教葬の様式)です。
周囲の地形とお墓との調和をはかるため、左側
に青龍、右側に白虎、後方に玄武、墓地の内明
堂、前方の外明堂を考えた墓石デザインです。
神道仏教等の宗派は問いません。
五輪塔(密教)と風水理論の融合したお墓です。
一見阿字、五逆消滅、真言得果、即身成仏。
(念佛子)
個人のお墓
(中国風水墓資料)より
宗教法人関係者のお墓
※陰宅風水(お墓)は易学の核心的な内容で
あります。日本のお墓は明治以降の易学の
衰退と共に陰宅風水の研究も衰退しています。
デザイン開発
川嶋孝周
著作権 意匠登録 835731 1992 年 1 月 17 日
812-0875 福岡市博多区新和町1- 10-15-409
TEL:090-2502-9819 FAX:092-574-6648
沖縄亀甲墓資料より
1 風水とは
山の形、地の形、風の向き、方位、等によって都市、村、寺院、住宅、墓地、等を 造る
ための場所を選定するときに、第一に注目すべきものは風と水であります。風を蔵えて水
を得る、風水の動きを停滞させない工夫をします。
①建物や墓を背後や側面から攻撃しないように、有害な風は未然に防ぐ必要がある。
②水の有無にかかわらず、ある水流が真っ直(直射する)ぐに住宅墓地や住宅や神殿
に向かうことは避けなければなりません。道路や線路にも当てはまります。
2
風水の源流 (太古氷河時代からの知恵)
中国の風水学
(陽宅風水、家相 )(陰宅風水、墓相)
宅経上下
最も古い風水思想の解説書、黄帝(BC27世紀)
① 前漢から東晋( BC206~420 )
相宅、相墓術 (陰陽、五行、八卦、九星説)
② 唐から南宋 ( 618~1279 ) 風水学全盛期
形勢学派(巒頭)山勢、水流、等の地勢判断を重視する。
形勢とは山岡の形によって指示される五行や五星の影響力。
福建学派(理気) 卦、十干、十二支、星宿に基づき、羅経判断を重視する。
③ 元から清代初頭
④ 清代中葉から現代
風水学衰退期
※日本への風水の伝来 (文献的には6~7世紀以前)
推古天皇の10年(602) に百済の僧観勒が暦の本及び天文地理の本、併せて遁甲方術
の本を奉る(日本書記)
聖徳太子の陰宅風水観(徒然草)6世紀
天武天皇の畿内国都造営に関する陰陽師の地相鑑定( 681 )
難波京の築造( 744 )
方士徐福渡来伝説
「 史記、 秦始 皇本 紀( BC219 ) 斉人 徐市」 童男 女3 00 0人、 農工 百芸 の書籍 技術
を携えて出発した。
伊勢神宮は正式には「神宮」と呼ばれ、内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)のほか別
宮、摂社、末社など125社で成り立っています。これらの宮社は三重県下の伊勢市・松
阪市・鳥羽市・度会郡・多気郡・志摩郡に御鎮座しています。
内宮が現在の伊勢の地にお祀りされて2000年が過ぎました。
長い年月の中で現在のような姿になりましたが、1300年前にはほぼ現在と同じ社殿が
造られ、第1回の式年遷宮が行われています。
土宮
大治 3 年( 1128 )特に宮号宣下があり、土宮と称するようになった。宮域内で、東面して
いるお宮は土宮のみである 。なお 、遷御の儀は平成 6 年( 1994 )11 月 19 日に斎行された 。
式年遷宮(しきねんせんぐう)は、神宮最大の神事で約1300年にわたってつづけられ
ています。 ごしようでん
20年毎に御正殿をはじめ神宮すべての神殿や神宝を新しく作り替え、御神体を移す神々
の引っ越しです。神宮の御正殿の隣接地に同じ広さの宮地が用意されています。
1300年前に天武天皇により定められたこの制度は、なぜ20年なのでしょうか。
稲の最長貯蔵年限がちょうど 20 年くらいだからとする説や、 20 年に 1 度、元旦と立春が
重なるという大陸渡来の暦の知識からという説、古代の天皇の宮殿が一代ごとに移された
ことと関係があったのではという説などがあります。
式年遷宮は8年前から準備が始められ、30以上の諸祭を重ねて、進められていきます。
らんとう
3
巒頭 (形勢)
せいりゅう
すじゃく
びやっこ
げんぶ
東南西北 青 竜、朱雀、白虎、玄武
竜、穴、砂、水
南
朱雀
惑(火星)
東
青龍
太白(金星)
┼
歳星(木星)
水星
玄武
北
りゅう
(1) 龍
地勢の流れ。
起伏や曲がりが多いこと。
広くて大きな龍がよい。
山龍
水龍
火、気は山の頂から下に流れる。
水、気は下から上に流れる。
けつ
(2) 穴
つぼ。
安全な場所。
生気みなぎる場所。
さ
(3) 砂
土質。空気。所在物。
生気あふれる土。
すい
(4) 水
付近を流れている水。
清らかな流れで、適当な速さがあること。
土地を囲んでいること。
り
き
(5) 理気 (方位)
河図洛書
先天方位と後天方位
きもんとんこう
奇門遁甲
白虎
西
以下は我が国墓相の中興の祖ともいえる松崎聖道先生の説(墓は人生の根・松崎恵吉著昭
和39年初版)です。
戦後の日本の墓相は中国の風水学を裁ち切り触れていませんが、松崎聖道先生はその重要
性を述べておられました。
墓相の判定
今日墓相といわれるのは 、石塔を主とした墓の状態についてですが 、さきにも申した通り 、
日本では石塔が普及しはじめたのが徳川幕府が出来てからのことですから、従ってこの意
味での墓相は、比較的歴史の浅いものといわざるをえないのです。しかし広い意味での墓
相は非常に古いもので、平安朝時分にすでに墓相についての関心が持たれていた形跡があ
り、鎌倉時代には地相人といわれる専門家のいたことが伝えられております。地相人とい
う言葉でもわかる通り、当時は葬る場所の吉凶を定めるのが目的であったので、昔の古墳
的形式にしろ、また仏塔形式のものにしろ、葬る場所としてこれを選ぶことが大切に考え
られ、今日残る数他の遺跡の多くがこのような選地の手続きを経たものとみてよいでしょ
う。
ところで場所を選ぶことが何故重要なことであったか。申すまでもなくこれは大陸から伝
かんよ
来のもので、地を相する術を地理とか、堪輿などと申します。気短な日本人は。とかく結
果としての吉凶だけを品評めしがちですが、地理といい堪輿(天地のこと)といい、大き
く天地自然の理を追及する一つの学問なので、今日の科学、天文地理などが人智にのぼら
なかった時代としては、当然最も重要な学問であったわけで、人生の諸相は天地の理から
一歩も出ることが出来ないのですから、人生の幸を求めるためにもこの天地の真理の追究
は極めて真剣なのは当然のことで、中国の地理、堪輿の書物を見ますと、その組織の規模
といい、その微を穿ち細を極めた執拗さといい、流石に膨大な国土に数千年の歴史を重ね
た民族の仕事であって、淡泊な日本人には裄も丈も合わない。学問として日本に根をおろ
すに至らなかったのはそのためと、またはじめから学問としてよりも吉凶を評める術とし
て受け入れられたためであって、後日これが神秘的な術乃至は迷信的な方向に傾くに至っ
たものと考えられるのです。
(中略)
中国の地相については、神秘の術ではなく一つの学問として見るべきであるということを
述べましたが、蛇足ながら、地相なる意味を中国の地理堪輿の説から見て、この中庸の解
釈の参考にしたいと思います。堪輿には四つの綱目が建ててある。いわゆる 竜 、 穴 、 砂 、
水 の四つですが、一般には竜は墓地の形勢、穴は墓穴、砂は墓の回りの土、水は同じく見
ずといった解釈で、それぞれについて吉凶を定める方法があるとは、江戸時代、高田松屋
という人が内外の文献を基に墓相を講じたといわれ、その説として伝えられていたもので
すが、吉凶を定める具体的な方法は秘伝口伝とせられて明らかにされていない。ところが
中国の文献によりますと、秘伝などと神秘めかしたことをいわず、微細を極めた説明がな
されております。
竜とは山の形勢、尾根峯が連続して曲がりくねって作りなす自然造化の姿のうちに。頭あ
り頸あり肢あり腰ありで、霊物竜の姿を見つけ出そうという。しかも、竜にも色々の姿が
あって、一々克明にその真偽、良否乃至それによって得られる利害を述べてあります。