「願いは叶う」卒業生からのメッセージ 掲載

高等学校2015.3
C)江 陵
平成 26年度
未来 へ 向か って
出身校
六花亭製菓株式会社
渡
下 音 更 中学校
邊
星雨
月
(バ ス ケ ッ トボ ール部 )
私 は この 度、六花 亭製菓株 式会社 か らの内 定 を い ただ くこ とが で きま した。一 年 生
の 頃か ら六花 亭製菓株 式会社 を志望 して い ま したが、顧 間 の先生 に大学 の進学 を勧 め
られ、 た くさ ん悩 んだ 日々 もあ りま した。 そ こで 、両親 に相 談 した ところ「 自分 が し
たいこ とを した らいい と思 うよ。」 と言 って くれ、その言葉 のおか げで就職 を決意 しました。
私 は部活 の主将 を務め、毎 日辛 いことが多 くくじけそうになることもあ りましたが、チームメイ トやクラ
スメイ トがいつ も声 をか けて くれ、励 ま して くれたおかげで乗 り越 えることがで きました。部活を通 して学
んだことは、主将 としてチ ームの先頭 に立つ ことで、強い責任感 を身 につ け ることがで き、 さらにひとつ の
目標 にむかって努力す ることの大切 さです。 また、人 として当た り前 の礼儀や気配 り、周 りの人を思 いやる
気持ちや行動 を教 わ りました。 これ らの ことを学べ たおか げで内定 をいただけた と思 い ます。そ して、担任
の先生や顧間の先生、応援 して くれた先生方 のおか げだ と思 つています。
これか ら先、今 まで以上に辛 いこ とや くじけそうになる ことが多 い と思 い ますが、何事 も諦めずに、そ し
て、周 りの人へ の感謝 の気持ち を忘れず に頑張 りたいです。
後輩 の皆 さん、進路な どで悩 むこともあると思 い ますが、 自分 のや りたいこ とをしっか り持ち、 自分 の夢
を諦 めず頑張 ってほ しいです。
「自分の意思で」
出身校
藤女子大学人間生活学科
カロ
札 内東 中学校
藤
深
咲
(福 祉 クラ ブ)
私 はこの度、藤女子大学
人間生活学科へ の進学が決 ま りました。周 りの支 えがあっ
たか らこそ無事進学が決 まった と思ってい ます。あ りが とうござい ました。
進路が決 まるまでには多 くの1悩 み と時間がかか りました。私は、保育士 を目指 し、同
じ福祉 分野 を学 べ る江陵 高校福祉科 に進学 しま した。 高校 2年 の夏 まで は保育志望 で したが、介護実習 な ど
を通 じて看護 に興味 を持 ち、 ひたす ら数学 の勉 強 を して い た 時期 もあ りま した。高校 3年 になってす ぐに本
格 的に進路 を決 めな けれ ばな らな い と き、
私 は 自分が本 当にや りた い ことは何 なのかわか らな くな りま した。
悩 んで悩 んで悩 みす ぎて泣 い た こ ともあ りま した。そ して私 は、 3年 間通 つて きた江 陵高校 の福祉科教員 に
な りた い とい う夢 を持 ち ま した。 しか し私 の親 はその夢 に反対 しま した。「将来 本 当 に職 に就 け るのか、そ
れ な らこれか ら絶対 に必要 にな って くる看護 に しな さい。」確 か に親 にはた くさん迷 惑 をか け ここ まで育 て
てもらったけれ ど、自分がやつとの思いで見つけた夢を諦めた くない と思い ました。親 に納得 してもらうこ
とは大変でしたが、周 りの友達や先生に助けられ、なんとか行 きたい大学へ進学することができました。
在校 生の皆 さん。 自分がや りたい と思 っていることは絶対 に曲げないで ください。 もし誰かに反対 された
として も本当に自分がや りたい とい う想 い を伝 え納得 させる ことがで きる と思 い ます。 自分 の夢 は自分 で叶
えるものです。時間 はい くらかか って も良 い と思 い ます。『自分 の意志』 で 自分 の な りたい ものを探 して く
ださい。応援 してい ます。
「感 謝 の 気持 ち」
出身校
!1厚 生 看護 専 F]学 校
旭り
木
帯広 西陵 中学校
南
里
咲
レーボール
部)
(バ
私 は この 度 、旭 川厚 生 看 護専 門学校 へ の 進学 が決 ま りま した。私 が看 護 学校 を受験 し
よ う と意識 し始 め たの は、3年 生 の 高体 連 が終 わ り、部活 動 が少 し落 ち着 い た ころで す。
初めは自分が何をしたいのかわからな くて悩んでいました。ですが、少 しでも人の
役 に立ち支 える ことがで きる仕事が したい とい う気持 ちを持 っていたので、看護 の道に進む ことに決めまし
た。試験内容 は小論文 と面接 で した。受験勉強 と部活動 を並行 して行 うことは楽な ことではあ りませんで し
た。小論文は原稿用紙 の半分 しか埋 まらず、面接 では頭 で考 えた ことが うま く言葉 にで きず、相手に伝 わ ら
ない よ うな状態か らのス ター トで、不安 と焦 りが 日々大 きくな ってい きました。
そんな時に支 えて くれたのは、部活動の仲 間やクラスメイ ト、毎 日夜遅 くまで面接練習や小論文 の指導 を
して くださった先生 方です。困 った ときに相談 に乗 って くれて、ア ドバ イス をして くれたおかげで私 は頑張
ることがで きました。あ と3日 しかない とマ イナスに考 える私 をあ と3日 もあるとプラスの考 えに して くだ
さった先生 に感謝 してい ます。本当にあ りが とうござい ました。看護師 とい う夢 に少 し近づいて今 は安心 し
°
てい ます。旭川へ の進学 なので、親 に頼 るばか りでな く、 自立 した生活がで きるように頑張 ります。
看護師を目指 してい くうえで、私 は部活動 を通 じて学 んだことを活か して生活 してい きます。感謝 の気持
ち、仲 間の大切 さ、相手の立場 になって考 える こと、礼儀作法、 自ら率先 して行動 す るな どた くさんのこと
を教 えて くださった先生 にも感謝 してい ます。 これか らは、今 まで支 えてきて くれた人たちへ の感謝 の気持
ちを忘れず、早 く恩返 しがで きる ように努力 してい きたい と思 い ます。
後輩 の皆 さん、 自分 の夢 に向か って諦 めず頑張 って ください。
プロセス
出身校
北海道警察
佐
帯広 大空 中学校
藤
龍
馬
(野 球 部 )
私 は、 この 度北海道警察 か ら内 定 を い ただ くこ とがで きま した。 これ は 自分 一 人 だ
け の力 で はな く、支 え となって くれ た人 た ちのおか げ だ と思 ってい ます。私 は 3年 生
の夏 まで野球部 に所属 してお り、部活動 を引退 して進路 を決 め る と きに もなか なか 自
分 のや りた い職業が見 つ か りませ んで した。そんな中、小 学校 の と きに野球 を教 えて くだ さった監督 か ら電
話 で、「警察 を受 け てみ な い か」 と言葉 をか け て い ただ きま した。最初 は迷 い ま したが、人の役 に立 ち、人
助 けので きる仕事 に就 きた い と思 い 、一つ覚悟 を決め北海道 警察 を受 け るこ とに しま した。
,一 次試験 は筆記 テス トが あ りま した。少 な い 時間 で要点 をま とめ理 解す る為 にわか る問題 とわか らない 問
題 を精査 し、家 で はわか る問題 に取 り組 み、効率 よ く勉 強 を しま した。その結果、一次試験 に合格 し、 二 次
試験 に進 む ことがで きま した。 二 次試験 は面接 で した。面接練習 も少 な い時間 で はあ りま したが、集 中 して
取 り組み ま した。最初 の練習 では うま くい か ず、それか ら内容 を もう一 度見直 し考 えて い るだ けで一 日が終
わることもあ り、焦 りも出て くる ようにな りましたが、回数 を重ねる うちに自分 の本当に伝 えたいこ とを発
言 で きるようにな り、少 しずつ 自信が つい て きました。先生方 も面接が終わる度 にア ドバ イスを くださ り、
細かい ところまで ご指導 をしていただいたおか げで合格する ことがで きました。先生方 のご指導がなか った
ら私 は合格する ことがで きなか った と感 じてい ます。部活指導の時間を割 いてア ドバ イスや面接指導 をして
くださった先生 方には本当に感謝 してい ます。
私は卒業 して も日々勉強、そ して成長 し、当た り前 のことを当た り前 にで きる人間にな りたい と思 い ます。
感謝 の気持 ちを胸 に
出身校
日鋼記念看護学校
佐
帯広 第八 中学校
憂
藤
(バ
香
レーボ ール部 )
私 は この度、 日鋼記念看護学校 へ の進学が決 ま りました。小学校 6年 生 の ころか ら
看護師 とい う職業 に興味 があ り、将来 は大好 きな子 どもと触 れ合 える小児科 で働 くこ
とが私 の夢 で した。
高校 に入学 してか らは勉強 と部活動 の両立が大変 で、進路 のことを集中 して考 える機会がなかなかあ りま
せんで した。ですが、 3年 生 にな り卒業 とい う文字が頭 に浮かんだ ことで焦 りを感 じ、進路 を悩むようにな
りました。昔か らの夢 である看護師 と、当時 は警察官 とい う二つの道に迷 い、両親や先生 に何度 も相談 しま
した。今 までの私 とこれか らの私 を想像 す ると、看護師になってた くさんの方 々 と接 し、一人で も多 くの命
を救 いたい とい う気持ちが強 く、看護師の道に進む ことを決めました。
私は自己推薦入試 を受験 しましたが、試験内容は小論文 と面接、集 団討論 の三 うで した。受験 までは、夜
遅 くまで学校 に残 り、ひたす ら小論文 を教 わった り、面接練習 をた くさん して きました。最後 の春高 も残 っ
ていたので、受験 に春高にととて も大変 で したが、支 えて くれたチ ームメイ ト、不安でいっぱい になってい
た ときに力になって くれた担任 の先生や、 ご指導 して くださつた先生方、応援 して くれた家族、周囲の人 々
の協力があ ったか らこそ、 自信 を持 って 自分 の気持ちを伝 える ことがで き、なん とか合格す ることがで きま
した。
これか らは、今 まで支 えて くれた方 々へ の感謝 の気持ちを忘れず、 どんなに辛 くて も3年 間で身に付 けて
きた気合 い と根性 を持って、早 く恩返 しがで きるようにもっと努力 して い きたい と思 い ます。
後輩 の皆 さん、進路は決 ま りましたか ?焦 らずゆ っ くり自分 と向 き合 って ください。途中で大 きな壁が立
ちはだかるときもあ りますが、 自分 の周 りには応援 して くれ る人がた くさんい ることを忘れず に夢 に向かっ
て頑張 って ください。
将来 の夢 を叶える為 に
仙台大学体育学部体育学科
出身校
中札 内 中学校
川
零
士
(バ ドミン トン部 )
私 はこの度、仙台大学体育学部体育学科 へ の進学が決 ま りました。私が、体育学部
に決めたのは、 自分が今 まで積 み重ねて きた部活動の力 を、私が教 師 とい う立場 に立
ち指導 をしてい きたい と思 ったか らです。
私 は、仙台市での予備面接、 また札 幌で行 われた小論文 と個人面接 を受けました。小論文 では、多 くの先
生 にご指導 をしていただ き、今 までで最高の ものを書 くことがで きました。面接では自分の気持ちを伝 える
ことがで き、合格通知 をいただ くことがで きました。 自分 の夢 を明確 に し、 日々努力 をす る大事 さを学 ぶ こ
とがで きま した。 この試験 は私 に とって貴重 な経験 で した。大学 では一 人暮 らしを し、自立 を して い きます。
不安 はた くさんあ ります が、新 しい環境 にな じみ、将来の夢 に向か って 日々努力す ることを忘れ ず頑張 って
い きた い と思 い ます。
私が合格 をい ただ けたの は 自分 一 人 の力 で は あ りませ ん。先生方や友人が い たか らこそ何事 も諦 めず、そ
して弱音 を吐 い て も励 ま して くれ、前 向 きな言葉 をかけて くれ た友 人が い たか らだ と思 い ます。皆 さんには
感謝 の気持 ちで一杯 で す。
今後、私が保健体育 の教 師 にな り部活動 を指 導す ることになった際 には、人へ の感謝 を一 番 に考 える こ と、
日々努力 す るこ とを指導 して い きた い と思 い ます。
後輩 の皆 さん。今 、夢 があ る人 はその夢 に向か って頑張 って くだ さい。 日々の生 活 で も必ずそ の夢 に役 立
つ ことが あ る と思 い ます。絶対 そ の夢 を叶 えて くだ さい。そ して今 や りた い こ とが 見 つ か らない 人 は、今 を
大事 に して くだ さい。今 を大事 にす ることで 自分が好 きな こ と、興味 が ある ことが 見 つ か る と思 い ます。夢
は焦 って決 める ものではあ りませ ん。だか らこそ 自分 の 時間 を大切 に し、楽 し く過 ご して くだ さい 。 自分 に
あ った最 高 の夢 が見 つ か る よ う応援 して い ます。悔 いが残 る ことの な い よ うに、絶対諦 めず挑戦 し続 け て く
だ さい。応援 してい ます。
私 の進 む道
出身校
帯広 南 町 中学校
旭川大学 白
幡
朝
香
(バ レーボ ール部 )
私 はこの度、旭川大学への進学が決まりました。私は、3年 生の夏休みまでは就職 し、
社会人でバ レーボー ルをしようと考えてい ました。ですが、高体連全道大会で思 うよ
うに自分の力を発揮することができず、 このままバ レーを終 わらせてしまいた くない
と強 く考 えた こ とと、 自分が プ レー をす るだけで はな く、バ レー ボ ー ル を教 える立場 にな りた い と考 えたの
が きっか けで した。そ して、進学 し教員 になる とい う道 に進 む こ とに決 め ま した。
今 まで、決 して楽 な道 の りで はあ りませ んで したが、最後 まで諦 めず にや り通 して これた ことや、周 りの
方 々が 自分 を支 えて くれ たか らこそ今 の 自分 が い る とい うことを私 は誇 りに思 い、感謝 して い ます。
大学 で は、バ レー ボ ール を頑張 るのは もちろんの こ と、教員 になるために、様 々 な人 に対 しての接 し方や
関 わ り方 な どについ ての勉 強 に励 んで い きた い と思い ます。
後輩 の皆 さんは、 自分 の進 むべ き道 につい て焦 って決 め るべ きだ とは思 い ませ ん。 自分が本 当 にや りた い
こ とを、 きちん と向 き合 って見 つ け て もらい た い で す。そ して、今 まで乗 り越 えて きた ことを誇 りに思 える
よ う、 自分 のや りた い ことを貫 い て頑張 って くだ さい。
―
夢 を叶えるため に
帯広 市 医師会 看 護 高等 専修 学校
出身校
中
札 内東 中学校
尾
萌
香
ニ
ス部
(テ
)
私 は この 度 、帯 広市 医 師会 看 護 高等 専 修 学校 へ の 進学 が決 ま りま した。私 が進 学 の こ
とを考 え、 そ れ に向 け て 本格 的 に動 き始 め た の は 3年 生 に な って か らです 。 そ れ まで は
福祉 科 の 勉 強 や実 習 と部活 動 との 両 立 の ため忙 し く、 なか なか進路 につ い て 考 え る 暇 が
ありませんでした。 しかし、そのような中でも先生方のサポー トのおかげでなんとか、志望校へ合格するこ
とがで きました。先生方には、本当に感謝 しなければなりません。
この 3年 間を振 り返 ってみると、私 は毎 日を忙 しく過 ご して きた と感 じます。そ して辛 いこと、苦 しいこ
とばか りだった気 もします。 ですが、同 じ進路 を目指す仲間たちと頑張 って きた 日々はとて も充実 していた
と言えます。後輩 のみ なさん も夢 を叶えるために、 これか ら辛 いこ とがた くさん待 っていると思 い ます。そ
ういった ものに負 けずに頑張 ってい ってほ しいです。
自分 の夢 に向か って
出身校
青森 県む つ 市 田名部 中学校
滋賀 医療技術専門学校 理学療法士学科
谷 り‖
可 菜 子
(福 祉クラブ)
私 は この度、滋賀 医療技術専 門学校理学療法 士 学科 へ の進学が決 ま りま した。江 陵高
校 に入 学 した ころは、福祉 科 で福祉 につ い て学 び、卒業後 は介護福祉 士 と して働 くつ
もりで い ま した。 しか し、
介護施設実習 の中で様 々 な専 門職 の方 々 を見 て、リハ ビ リテ ー
シ ョンに関わる理学療法士 とい う職種 に興味 を持 つ ようにな りました。実習 を重ねる ごとに、私 も理学療法
士 として利用者 の方 々 を支援 してい きたい と強 く思 うようにな り、理学療法士 の資格取得 のため進学す るこ
とに しました。
進学先が決定するまでには、面接練習や試験勉強な どた くさんの苦労があ りました。面接練習 では、 自分
の思 っていることを上手 く言葉 にで きず、 どう した ら良 いのかわか らな くなったこともあ りました。それで
も、先生方 の協力や応援 して くれた家族、友達 のお陰で無事進学先 を決定す ることがで きました。 自分 の夢
へ の第一歩 とな りました。支 えて くれたた くさんの方 々 に感謝 の気持ちで一杯 です。 これか らも感謝 の気持
ちを忘れず に、高校 3年 間で学 んだことを活 か し、 自分 の夢 に向かって頑張 ってい きたい と思います。
後輩 の皆 さんへ 。高校 3年 間はあつとい う間 に過 ぎて しまい ます。 自分 の夢 に向かって精一杯 の努力 をし
てほ しいです。そ して、周 りには応援 して くれる人がた くさんい ることを忘れず に後悔のない よ うに これか
らも頑張 ってほ しい と思 い ます。
夢 へ の努力
出身校
日本航空専 Fヨ 学校千歳 キ ャンパス 空港整備科
張
帯広 第八 中学校
江
太
―
私 は この 度、 日本航空専 門学校千歳 キ ャ ンパ ス 空港整備科 へ の進学が決 ま りま した。
私が 日本 航空専 門学校 を受験 しようと思 い始 め たの は、 高校
2年 生 の ときです。高校
1年 生 の と きは別 に就 職 で きれば どこで もいい や と思 ってい ま した。 どこ とな くや る
気 が な く、めん ど くさが りや だ ったので 、進学 の こ とは全 く考 えて い ませ んで した。ですが、高校 2年 生 の
と きに何気 な く見 た進 学 資料 に 日本航空専 門学校 が載 っていた ことで進学 を決め ま した。
それか らは勉 強 を頑張 り、 1、 2年 生の 時や らなか った部分 を必死 に取 り戻 そ う と努力 しま した。 しか し、
結果 は あ ま り良 い成績 を取 る こ とはで きませ んで したが、諦 め ず頑張 りま した。そ して 3年 生 にな り面接 の
練習 を学校 だ けでな く自宅 で も行 い ま した。そ して試験 に臨み ま した。その結果、なん とか合 格 を しま した。
これか らは今 まで以上 に勉 強 を しな い とつい て い けな い環境 なので、 これか らも頑張 ってい きます。
皆 さんはまだ時間があ るので、 じっ くり悩 んで、本 当に この仕事 で 良 いのか、進学 して もっ と 自分 に向 い
た仕事 が あるん じゃない か な どを悩 んで、悩 み抜 い た末 に 自分 にあ った仕事 が 見 つ か る と思 い ます。 だか ら
皆 さんは、まずや りた い ことを見 つ け、そ して、それが 仕事 になるのか、本 当にや ってい け るか を考 え.ま しょ
う。そ して、夢 を叶 えるために努力 を して頑張 って くだ さい 。
δ
自分 の道
出身校
介護 老人 保健 施 設 とか ち
秋
札 内東 中学校
山
祐
亮
(卓 球部)
私 は この 度 、介 護老 人保 健 施 設 とか ちか らの 内定 を い た だ くこ とが で きま した。
私 は進路 について、ただ漠然 とした介護 の職 に就 きた い とい う考 え しかな く、具体
的な場所 な どの 目星 もつ けてお りませ んで した。 3年 生 とな り状況が変 わって も悩 ん
だままで した。
私が福祉 の道に進 もうとした理由は、中学 3年 生の進路決定 で、担任 の先生や家族か ら福祉 を学 んでみて
はどうか と勧 め られたのが きっか けで した。中学校では授業 の一環 として福祉 の講座があ り、そ こで初めて
福祉 に触 れました。そ して、私 には姉が 2人 お り、その どちらもが福祉の職 に就 いて働 いてい ます。その姉
か ら福祉 の話 を聞 き、興味 を持ち、福祉科 を志望 しました。始め は興味本位 で軽 い気持ちでいましたが、実
習な どを経験 してその現状 を知 ると、 この仕事 をす る ことはとて も厳 しい道 である ことを実感 しました。実
習 の中には辛 くて嫌 になって しまうときもあ りましたが、利用者 の方か らの感謝の言葉 をもらい、介護 の仕
事 にや りが い を感 じました。実習 を経て、私 は介護 の現場 を知 った とともに、た くさんの知識や技術、や り
が い を得 ることがで き、介護 の道に進 もう と決断 しました。
しか し、私 は長男 なので、 しっか りと就職先 を選ばなければな りませんで した。求人票 を見て、候補 を見
つ けて も本当に これでいいのか と思 い悩 んで、結局決め ることがで きませんで した。先生 に相談 した ときも
あ りました。 ご縁があ つたのか、先生か ら見 させていただいた求人票が気 にな り、施設へ見学 に行 かせてい
ただきました。そこが介護老人保健施設 とかちで した。 この施設 で働 きたい と思 い、面接 を受け、無事内定
を得 ました。そこに至 るまでに応援や相談にのって くれた家族や友人、先生 に感謝 してい ます。
今後、就職 して働 いた ときは精一杯仕事 に励み、 自分 の理想 とす る介護福祉士 の姿 を目指 し頑張 っていこ
うと思 い ます。
後輩 の皆 さん、 自分 の決断 はそのまま未来につ なが ります。焦 らず じっ くり考 え、 自分 で決 めて、後悔 し
ない よう頑張 って ください。
特別養護老人ホ ーム愛仁園
出身校
特月1養 護老人ホ ー ム愛仁園
中
帯広 翔 陽 中学校
井
千
穂
私 は この 度、特 別養護老 人 ホ ーム愛仁 園 での就 職が決 ま りま した。私 が福祉 の 道 に
進 もうと思 った きっか け は、 高校 1年 生 の実習 を終 えてか らで した。
私 は もと もと、江 陵高校 が 第 一 志望 で はあ りませ んで した。 で す が 第 一 志望 の 高校
に合格 す ることがで きず、江陵高校 に入学す ることにな りました。
1年 生の ときは、福祉 とい うものが どうい うものなのかわか らず、緊張 とプレッシャーの中で実習 に行 き
ました。 しか し、利用者の方に優 しく声 をかけていただいたことで人の優 しさを感 じ、 この とき初めて人の
役 に立つ仕事 をしたい と思 うようにな りました。何 よ り、介護 の仕事 をしたい と思 うようになったのは利用
者 の方か ら「あ りが とう」 と感謝 の気持ちの言葉 を言 つていただけたことです。
勉強面 では、最終的な 目標 である国家試験合格 に向けクラス全員で頑張 りました。私 が考 えていた以上 に
難 しく、悩んだ ときもあ りました。ですが、そ んなときクラスメイ トや福祉科の先生方が優 しく声 をか けて
ください ました。本当に、江陵高校福祉科 に入学す る ことがで き、色 々な経験 をさせていただ くこと.が で き
ました。
そ して、 これか らも福祉 の道 で仕事 を した い と思 い 、実習先 で あ った愛仁 園 で就職す ることがで きた こ と
が とて も嬉 しいで す。
これか らは社会人 になるので、 自分 の一 つ ひ とつ の行動 に責任感 を もち、今 までお世話 になった先 生 方や
親 に感謝 の気持 ち を伝 えた い です。
また、働 く上 で利用者 の方 の気持 ちを一 番 に考 え、 コ ミュニケ ー シ ョン方法 や技術 向上 を 目指 し、利用 者
の方に尊敬されるような介護福祉士になりたいです。
「感謝 と努力」
出身校
十勝葉 山電器株式会社
札 内東 中学校
中 村
優
花
(卓 球部 )
私 は この 度、十勝葉 山電器 株 式会社 か ら内 定 をい ただ きま した。
1、
2年 生 の 頃 は
自分が何 を した い のか 、何 が好 きなのか 、何 が向 い て い るのか一 切 わか りませ んで した。
ただ、 今 や らな い とい けな い こ とをや り、特 にそ れ に対 して意 味 を持 た ず 日々 を過 ご
して きました。
3年 生 にな り、
「進路」 とい う壁 に当たった時に本当にわか らな くな りました。今 まで何 も考 えて こなかっ
た分、 自分 のこれか らの道 を自分 自身で考 えて決めるのは本当に難 しかったです。けれ ど、周 りの友人 も同
じような壁 にぶつ か り悩 んで い るのを見 て、 自分だけが苦労 してい る訳 ではない、 もう少 し頑張 ろ うとい う
気持ちにな りました。
親や友人、先輩からアドバイスをもらいながら決めた進路。今はまだこの選択が正解かはわからないけれ
ど、社会に出た時にこの選択が間違いではなかったと、そぅ思えるように自分なりに一所懸命努力していき
たいと思います。
後輩 の皆 さんは、 自分 の や りた い ことがあ るのな らば、それに向か って諦 めず に夢 を叶 えて もらい た い で
す。今 や りた い こ とが 見 つ か らな い人たち も、焦 らず、ゆ っ くり自分 の や りた い ことを見 つ け てほ しい です。
夢 に向か って
出身校
株式会社 エ ルバ北海道
澁
札 内東 中学校
谷
拓
巳
(野 球部 )
私 はこの度、株式会社 エ ルバ北海道か ら内定 をいただ くことがで きました。
毎 日部活動の ことばか りで、進路 については漠然 とした考 え しかあ りませんで した。
引退 して よ うや く進路 につい て考 え始め ま した。ですが、 自分が何 を した いのか もわ
か らず、就職先 を決 めるのは大変 で した。周 りの人が進路 を決めてい くにつ れて、焦 るよ うにな りました。
そんな時に進路 の先生ゃ担任 の先生 に就職先 を紹介 していただい て、ようや く自分 のや りたい仕事 を見 つ け、
内定 をいただ くことがで きました。毎 日の面接練習等 は辛 い と思 うこともあ りましたが、 自分 を成長 させ る
ためだと精 一杯取 り組みました。 3年 間の部活動 を通 じて成長 させて くださった監督や部長、夜遅 くまで面
接練習 をして くださった先生方には本当に感謝 してい ます。 これか ら先、辛 いこ とや悩む こともあると思 い
ますが、 この 3年 間の高校生活で培 ったことを活か して、就職先で も頑張 ってい きたいです。 また、社会人
としての責任感 を持 って働 いてい きたい と思 ってい ます。
私 は 3年 間を通 じてた くさんの経験や、人 との 関 わ りの 中で成長 で きた と思 ってい ます。後輩の皆 さん、
まだ進路が決 まっていない人 も焦 らず、ゆ っ くりと考 えて自分 にあった進路 を見 つ けて ください。 自分 のや
今、
後 で後悔 しない ように、
りたいこ とを見つ け、その進路 に向か って面接練習や小論文等頑張 つて ください。
残 りの学校生活、
努力 して少 しで も自分の行 きたい大学や就職先 につ け るよ うに頑張 って ください。そ して、
勉強や部活動、全 ての面で悔 いが残 らない ように楽 しんで ください。
これ か らの 私
出身校 浦 幌 中学校
ホテル 日航 ノース ラ ン ド帯広
茅
雁
波
(陸 上部 )
私 は この度、 ホテル 日航 ノ ース ラ ン ド帯広 か ら内定 をい ただ きま した。
最初 はや りた い こ とも、 進学 した い大学 や就 職 した い会社 もあ りませ んで した。引
退が近づ くにつれて、高校を卒業 した後も陸上を続けたいと思い、進学 しようと考え
てい ました。ですが、陸上 を続けたい とい うだ けで、将来、教師やスポーツ トレーナー にな りた い とい うわ
進学 を諦め就職 に決めました。
けではあ りませんで した。その ことで両親 に反対 され、自分 自身で もよく考え、
就職試験 は簡単 な ことではな く、履歴書 を書 くこともとて も大変で した。中で も大変だったのは面接練習
で した。初めは聞かれた ことに対 して何 も答 えられず、考 え込んで しま うことが多 くあ りま した。就職試験
の 日まで毎 日学校 に残 り面接練習 をしてい ました。次第に答 えられるようにな り、 自信 を持つ ことがで きま
した。
試験当 日は、一般常識 と面接があ りました。一般常識 では勉強 していたことが出て安心 しましたが、面接
では練習 していたことと全然違 うことを聞かれ、 とて も焦 りま したが 自分 の気持 ちをしっか り伝 える ことが
で きました。
内定が決 まってか らは、研修 として実際 に働 いてい ます。初めて行 ったときは、わか らない ことだ らけで
失敗 もして しまい不安 でいっぱいで した。ですが、学 ぶ こともた くさんあ り勉強にな りました。
卒業後 は親元 を離れ一人暮 らしをします。今 まで親 に任せていたことを自分一 人でや らな くてはいけない
ので不安 ですが、仕事 と家事 の両立 を頑張 ってい きたいです。そ して、 これか ら先辛 いことや失敗 して しま
うことがあって も、挫けず 自信 をもって何事 に も取 り組んでい きたいです。
最後にな りましたが内定 をいただけたのは、支 えて くださった先生方、両親のおかげなので、感謝 の気持
ちを忘れず に頑張 ってい きたい と思 い ます。
後輩 の皆 さん、 目標 を持ち夢実現 のために頑張 って ください。
出身校
選ぶ
Jヒ
海道ホテル 後
藤
札 内中学校
彩
乃
(陸 上部 )
私 は この度、北海道 ホテルか ら内定 をい ただ くことがで きま した。
私 が 内定 をい ただ くまで には、他 の企 業試験 や公務員試験 な どが あ った り と、道程
は決 して楽 な ものではあ りませ んで した。
しか し、合 同面接会 でい ろい ろな企業がある中、北海道ホテルの求人 を目に した とき、 ここで なら私が 3
年間行 って きたホテルでのアルバ イ ト経験 を活か して頑張れる と思 い ました。面接 の結果、無事 に内定 をい
ただ くことがで き、本当にうれ しかったです。
ホテルの業務 は様 々なものがあるので、まだどのような仕事をするのかはわか りませんが、接客業はお客
様第一の考えで丁寧な仕事 を求めらます。人と話すのはあまり得意ではありませんが一生懸命 自分ので きる
ことをやってい きたいと思 い ます。
お米 を与 えば、今 日食べ る ことがで きる。
私 の今 までの人生 の 中で、心 に残 っている名言があ ります。 “
"と い う言葉です。 これは教 える立場 の人の言葉 ですが
育 て方 を教 えて くれれば、毎 日食べ る ことがで きる
教 えて もらう方 にも同 じことが言 えると思 い ます。根本か ら解決すべ き、困 つたことが あ るならば、人に解
解決法 を教 わ り自分 で解決す るべ き。そ うす ればきっと自分の身になるであ ろ う。
決 して もらうのではな く、
大事 な こと、忘れずにいこ うと思 い ます。
出身校
夢
ダイイチ株式会社
伊
札 内中学校
正
藤
(書 道部 )
私 は この度、 ダイイチ株 式会社 か ら内定 をい ただ きま した。
私 は高校 へ 入学 した当時 は就職 した い と しか考 えて い ませ んで した。ですが、 2年
生 にな って、 自分 の進路 につ い て考 える機会 が 多 くな り、 自分 は何 を した いの か と考
えてい ました。以前私は農家 のアルバ イ トをしていたことがあ り、何 か食 に関係する職業 に就 きたい と思 う
ようにな りました。そ こで、私は自分 の 目標 に合 うこの就職先 に興味 を持ち、親 に相談 して この会社 で働 き
たい と決心 し、試験 を受けることに しました。
試験 は面接 と小論文 で した。小論文 では先生方の ご協力 もあ り書 き終わる ことがで き、面接練習 ではとて
も苦労 しましたが、何度 も練習 をす ることで少 しずつ改善す る ことがで きました。面接本番 ではどんな質問
が くるかわか りませ ん。その時に対応 で きるか どうか私は心配 で仕方があ りませんで したが、試験当 日を迎
え、私は試験 官 の顔 を見てハ ッキリと発言する ことがで きました。所 々、間違 えて しま うこともあ りました
が、手 ごた えを感 じることがで きました。待 っている間 は全 く落ち着 きませんで したが、実際に内定通知 を
見 た瞬間の感動 は今 で も忘れません。
こうして無事 に内定 をいただけたの も、ず っと支 えて くれた家族や、 ご指導 して くださつた先生方のおか
げです。大変感謝 してい ます。 これか ら入社 して辛 いことや失敗す ることもあると思 い ますが、失敗 して も
諦 めず に努力 し続け、頑張 りたい と思 い ます。 この気持ち を忘れずに、私は歩み続けます。本当 にあ りが と
うござい ました。
そ して後輩の皆 さんは、
焦 らず ゆ つ くりと自分 に向 き合 って、自分 の したいこ とを見つ けて ください。困 つ
た ら周 りにい る友達や家族、先生方 に相談 してみるの も良いです。 自分 の 目標 に向かって後悔 しないように
頑張 って ください。
出身校
感謝
ホ ンダカ ーズ 帯広
井
札 内中学校
萌
悠
(バ スケ ッ トボ ール 部 )
私 はこの度、 ホ ンダカ ーズ帯広 か らの内定 をい ただ くこ とがで きま した。
私 は幼 い 頃 か ら憧 れて い た職業 があ り、 そのため に進学 す るこ とを考 えて い ま した。
で す が、両親 と話 し合 い、就 職 か進学 か を悩 んで い た とき、 求人票 を見 て 自分 が求 め
ていた職業 に出会 い ました。それか ら、ホ ンダについて調べ てい ると興味がわ き、職場見学 に参加 させてい
ただいた際にた くさんの話 を聞 くことがで きました。見学 してい るときや、話 を聞いてい るとホ ンダで働 き
たい とい う気持ちが強 くな りました。
′θ
入社試験 は面接 と適性検査 で したが、私 は面接が苦手で した。毎 日先生 に教 えて もらい なが ら受か りたい
とい う気持ち を忘れず頑張 りました。
面接練習 をしてい く中で上手 くいかないこ とがた くさんあ りましたが、
親や友人が声 をかけて くれたおか げで本番 はほどよい緊張 の 中で 自分 を出 し切 ることがで きました。
これか らは、 9年 間続 けてい るバスケ ッ トボールで 身に付 けた粘 り強 さと強 い精神力 を発揮 し、会社 に少
しで も貢献で きる ように努力 したい と思 い ます。支えて くれた親や友人、先生方 には感謝の気持ちで いっぱ
いです。
後輩 の皆 さん、 これか ら進路でた くさん悩 む と思 い ますが、困 つた ときには相談 し、悔 いの残 らない よう
に頑張って ください。
「や りがい」
出身校
介護老人保健施設 ヴィラか いせ い
山
尾
札 内中学校
茉
由
(図 書局 )
私 は この 度、介 護老 人保 健施設 ヴ イラか い せ い で の就 職が決 ま りま した。私 は、人
の役 に立 つ 仕事 が した い と中学 の 頃か ら思 ってい ま した。ですが、 どの よ うな仕事 が
いい のかわか らず に高校 選択 を悩 んで い た とき、江 陵高校 に福祉科 が ある こ とを知 り、
興味 を持ちました。それに加 え、私 の祖母 は身体 に障害 を抱 えてお り、昔か ら車イス などを押 した りす る経
験があ ったことか ら、福祉 を学んでみたい と思い、入学 を決めました。
入学 してか らは勉強が大変だ った り、実習にお いて辛 い と思 うこともた くさんあ りました。それで も、利
用者 の方 々 と接す ることはとて も楽 しく、や りが い を強 く感 じる ことがで きたので、介護 の仕事 をして人 々
の役 に立ってい きたい と思 い ました。
就職先 は、 自分が働 きたい と思える施設 をと思 っていたので、様 々な施設 を見学 しに回 りました。そ こで
ヴイラか いせ い さんを見学 させていただいた ときに、明る くていい施設だな と思 い、就職 を決意 しました。
私は将来、介護福祉士 としてだけでな く、資格 を取得 し、様 々な視点か ら介護 に携わってい きたい と思 っ
てい ます。 4月 か らは社会人 とな りますが。多 くの人の支えになれるよう、 自分 にで きる ことを精一杯や っ
てい きたいです。
3年 間の勉強や実習 はとて も大変で したが、 3年 間で培 って きた ものを活か して、仕事 をしてい きたい と
思 い ます。高校 生活は長 い ようで、 とて もあ っとい う間 に過 ぎてい きます。なので悔 いの残 らない ような生
活 を送 り、自分 の夢 に向かって今 か らで きる ことに取 り組 んでいってほ しいと思 い ます。頑張 って ください。
「本校独 自のキ ャリア教育 とは ¨・」
進路指導部長
若
狭
隆
今年 の 3年 生 は例 年 とほぼかわ らず、就職希 望者 と進学希望者 の比 率 が 5:5に な っ
てお り、現段 階 にお い て概 ね順調 な決定率 とな ってい る。 それ は、進路 に対 して真 摯
に向 き合 い 、そ のための 努力 を怠 らなか った こ とが 進路 決定 につ なが った もの と推察
す る。進路指導部で は、 3年 生 になってか ら慌 てて進路 に対 して活動 す るので はな く、
1年 次か ら進路 に対 して意識付 けを し、様 々 な選択肢 を自ら発見 させ なが ら進路 を見据 え させ て い る。 もち
ろん、学級担任が 中心 となって二 者懇談 を繰 り返 し、定期 的 に進路 ガ イダ ンス や職場 へ の事前見学 、 オ ー プ
ンキ ャ ンパスヘ の積極 的参加 を促 し、進学者 向けには今年度 で 2年 目 となる進学対 策講座等 を設 け た こと も
′′
功 を奏 したので は とい えるであろ う。
しか し、もっ と進路 に対 して大 きな関わ りを持 っているのが「部活動 Jや「福祉教 育」で ある と断言 で きる。
その理 由 は、そ の もの 自体 が「キ ャリア教育 Jに なって い るか らだ。 本校 の部活動 は数多 くあ るが、その全
てにお い て 目標 が統 一 されて い る。 もちろん勝負 に こだわ り、 日頃 よ り心 身 を鍛練 す ることも大事 では あ る
が、それ以上 に社会 に出る準備期 間 として、常識や マ ナ ー、そ して挨拶等 に一 番比重 をお い て い るか らであ
る。福祉科 にお い て も、職業科 として も珍 しい 3年 間で 58日 間に及 ぶ介護実習
(イ
ン ター ンシ ップ)に よっ
て、社会性 を身につ け人間 として大 き く成長 して い る こと も確 かである。それは世 の 中に通用す る人材 育成
が根本 にあ るか らだ。 これ らの ことを さらに強化 した上 で、江 陵生が進路戦線 で有利 になる こ とがで きるよ
う探究 を重 ね、指導 を加 えて い きた い と考 えて い る。
最後 にな りますが、 まだ進路未決定 の 3年 生 は早急 に進路決定が実現で きる よ うに全力 で指導 を して い く
と同時 に、今度 は在校 生が 自分 自身 の進路 を しっか り見据 えた上 で高校生活 を送 り、早期 の進路決定、そ し
てそのための準備 を して もらい た い と思 って い る。
進路決定状況
2月 20日 現在
就職
■
進学
′′
介護 福祉 士 になるため に。
介護福祉士 になるためには、さらに専門学校等へ進学
普通高校 を卒業した場合、
し最低 2年 過程を修了し、または施設に勤務し3年 間の勤務実績と養成施設 での6
本校では高校卒業と
カ月過程を経て、国家試験 の受験資格が与えられます。しかし、
同時に国家試験受験資格が取得 できます。
福祉クラブ演舞
介護実習 (カ ンフ ア レンス)