第13号 - 青森県立青森聾学校

平成27年3月26日
青森聾学校
第13号
文責:中村 健
卒業、修了そして新たなスタートへ
卒業生、修了生を見送り、なんとなく、ポッカリと穴が開いたような学校になりま
した。毎年思うのですが、卒業式はおめでたくもあり寂しくもありで複雑な気持ちに
なります。毎年、卒業式が行われますが、毎回、新たな感動がわき起こります。それ
は、卒業生や修了生の姿が私たちの心を揺り動かすからなのでしょう。卒業式に臨ん
で、自分の最高の姿を見せようとしているひたむきさと、成長が感じられる姿が、見
ている人たちの心の中に、まっすぐに飛び込んできます。学校の教師にとって毎年卒
業式に出席できることは、教師冥利に尽きることだと思います。
もしも、卒業式がなかったら、いや、学校がなかったら、子どもたちはどのように
成長するのでしょうか? 世界の中には、学校が無い国もあります。その多くは、弱
者ほど生活が苦しく、特に子どもたちが一番苦しい思いをしています。パキスタン出
身のマララさんが、学校をつくり、全ての人が教育を受けられるよう命がけで訴えて
いることが、ノーベル平和賞の受賞につながりました。日本では教育を受けること、
受けられることが当たり前ですが、とても幸せなことだと思います。
話は大きく変わりますが、赤ちゃんについて書きます。赤ちゃんが生まれてはじめ
てすることは「泣く」ことです。これは、肺呼吸に変わるため、気管の中の水を出す
という役割等が有ります。ちなみに、私が生まれたときは、しばらく泣かなかったよ
うで、立ち会っていた親戚の方が、この子はすぐに死ぬと思ったようです。お陰様で
しぶとく生き残りました。それはさておき、泣くことは、その後コミュニケーション
の手段として活躍します。おなかがすいたとき、おしめが濡れて不快なとき、体調が
悪いとき等々。しかし、言葉が使えるようになると泣いて訴える機会は減っていきま
す。(中には、いつまでも泣いて訴える大人もいますが...) 言葉が使えるようにな
ると感情も安定してきます。以前、とても多動なお子さんがいました。幼稚部3歳の
入学式では一時もじっとしていることがなく、式場の中をステージから保護者席まで
動き回るので、担任の先生は走って後を追いかけていました。若い先生でしたが、さ
すがに式が終わった後はへとへとになっていました。3年後、このお子さんが幼稚部
5歳の卒業式にもエピソードがあります。卒業式が始まる前に、なぜか、一人で来賓
控室に来て、周りの人や来賓室にある物に興味をもち、なかなか出ようとしませんで
した。そこで、私が「今日は卒業式だよ。これから体育館に入るまで、教室で待つよ。」
と話したら、一瞬考えていましたが、はっとした様子で戻っていきました。もしも、
このお子さんが、言葉を理解していなければ、そして、頭の中で今日の予定を整理し
て考えることができなければ、3年前の入学式同様、いつもと異なる雰囲気と日程の
ため不安定になっていたことでしょう。もちろん、卒業式の姿はとても立派でした。
人間が、何の知識もなく白紙の状態で生まれてくるように進化してきたことは、人
間が環境に適応し生き延びていくために必然だったというのが私の勝手な持論です。
白紙の状態に、いろいろなことを自分で描いていけるようにするのが教育だと思いま
す。学校が教育の機会の多くを担っていることを忘れず、子どもたちの可能性を伸ば
す場所であり続けるようにしていきたいと思います。
今年度は本当にありがとうございました。来年度もよろしくお願いします。
津軽弁についてオマケのオマケ
前回、アップダウンクイズのエピソードを書いたら、なんと、本校職員のご主人が、
当のご本人と同僚だったということがわかりました。他にも、その番組をリアルタイ
ムで見ていた人もいました。世の中は広いようで狭いですね。