キャンパスストーリー BOOK - 東京女子体育大学・東京女子体育短期大学

東京女子体育大学・東京女子体育短期大学
キャンパスストーリー BOOK
大学 体育学部体育学科
. ...................
2
大和田茜さん(3 年)
菅原唯さん(4 年)......................... 7
前田いずみさん(4 年)............. 15
稲葉由衣さん(4 年). ................ 21
短大 保健体育学科
. ................
23
佐藤史織さん(1 年)
.............
28
倉知百合絵さん(1 年)
. ................
31
北山悠乃さん(1 年)
. ................
32
金井未来さん(2 年)
. ................
34
柴田美咲さん(2 年)
短大 児童教育学科
.............
39
関口ひとみさん(1 年)
.............
43
伊藤このみさん(2 年)
.............
46
岩上ゆにはさん(2 年)
......................
50
武田唯さん(3 年)
「キャンパスストーリー BOOK」は、東京女子体育大学・短期大学の WEB
サイトコンテンツ「キャンパスストーリー」(http://www.twcpe.ac.jp/
campuslife/)を制作するために、本学学生を対象に行ったインタビュー取
材(2010 年 3 月在籍時)をまとめたものです。
大学 体 育 学 部 体 育 学 科
大和田茜さん(3 年)の場合
授業の様子
───大学の授業はどうでしたか?
入学してから初めて体育実技の授業を受けて、本当に体育大に入ったんだなっ
と実感しました。1 日のうちほとんどが実技の授業で体を動かしてばかりと
いう日もありました。地元から離れての生活にも慣れていないし、部活にも
慣れていないし、本当に辛くて、1 日が終わるとクタクタになっていました。
でも、実技授業は、みんなでワイワイ。できないなりに教え合ったりして、
仲良くなるのも早かったです。
部活動の選択
───カヌーはいつから始めたのですか?
カヌーは高校の時に始めたんです。中学校はハンドボール部だったんですけ
れど、個人競技をやってみたいなと思って。父も母もカヌーをやっていたので、
私も始めました。進学した高校にはカヌー部がなかったので、3 年間ずっと、
ダムや湖で父と二人三脚で練習していました。高校の先生方にも応援をして
いただいて、3 年生の時に初めて 1 人乗りでインターハイと国体に出場でき
ました。
───なぜ、カヌー部に入ったのですか?
ずっと個人でやってきて、競い合ったり励まし合ったりする仲間がいなかっ
たので、モチベーションを保つのが大変でした。大学に入ったら部活動の中
でカヌーをしたいなぁって・・・。ちょうど、東女体大のカヌー部の部長が
父の先輩に当たる人で、「いい先生だから」という父の薦めもあって、この大
学のカヌー部に入ろうと決めました。
部活動の日々
───入部してみて、どうでしたか?
ここのカヌー部はインカレで優勝するほど強いんです。周りを見ると、新入
生でもインターハイや国体で入賞した経験がある人たちばかり。私は父から
個人的に教えてもらっていたぐらいなので、高校生の頃は自分の漕ぎに集中
していればよかったんです。でも、ここでは周りの人たちみたいに強くない
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ので、みんなと並んで漕いでいると先に行かれてしまうんです。「レベルが違
うな」と、一時は本当に辛かったですね。みんなモチベーションが高くて練
習もしっかりやるし、ついていくのがやっとの状態でした。
筋力とか持久力とか、水の掴みとかフォームとか、やっぱり差ができちゃう
んですね。そのことで気持ちが下がっちゃって。一度、父親に「もうやめたい」
と言ったことがあるんですよ。でも、父親に「自分は遅いってわかっていて
カヌー部に入ったんだろ? 周りと比べてばかりいないで、自分をよく見て、
自分の力をつけていくことが大事じゃないのか?」と。その一言で、カヌー
に対する気持ちを取り直して続けられました。
───練習は毎日びっしりですか?
カヌーの練習場は埼玉県の戸田というところにあって、大学から離れていま
す。部員は戸田の練習場に近いところで共同生活をします。新入生には先輩
が不動産屋を回ってアパートとかいっしょに探してくれて、そこに一部屋 2,
3 人ずつ、同じ学年ごとにルームシェアをするんです。もちろん自炊で、朝
ご飯やお弁当をルームメイトと一緒に作ったり、夕飯は早く練習が終わった
人が先に帰って作って待っていたりしています。
朝は 5 時半に部屋を出て朝練です。それから大学に行って、夕方授業が終わ
ると戸田に戻ってまた練習。週 1 日だけオフなんですけど、土日も練習があ
ります。もちろん、「ちょっとサボろっか」なんて雰囲気はないんですよね。
みんな真剣なので、自然に意識が高まっていきます。
───共同生活は楽しいですか?
はい。私のルームメイトは料理が得意で、オムライスや煮物などなど・・・、
毎回ご飯に味噌汁、サラダ付なんていう時もありますよ。なので栄養管理も
バッチリです。2 人で生活しているから適度な緊張感もあって、朝起きるの
がきついなという時も、1 人だったらダラダラといつまでも寝てるかもしれ
ませんが、そういうことはないですね。体調管理の上でも共同生活はとても
助かっています。
勉強と部活の両立
───カヌー一色の毎日。授業との両立は大変ですか?
はい、カヌーにどっぷりです。戸田にある練習場の近くで、同じ部の友だち
と一緒に部屋を借りて住んでいます。毎日、授業は一限目からきっちり詰まっ
ていて、実技の授業もあるし、部活は朝練があって、放課後も暗くなるまで
練習、練習です。かなりハードで最初の頃は練習が終わって帰って、ご飯食
べたら「もう起きていられない」って感じでした。それで、もうちょっと時
間の使い方に気をつけないといけないなぁと思って、早く寝て早く起きるよ
うにしたんです。今は午前 3 時には起床していますよ。
───えっ朝 3 時?! 早いですね。もしかして起きたらまず勉強ですか?
もともと朝早いのはそんなに苦手じゃないんです。父も朝早くから起きてい
たし。起きてから 1 時間か 1 時間半ぐらいまず勉強します。授業で出た課題
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をかたづけたり、私は公務員試験を受けようと思っているので、公務員試験
対策講座を受けていて、そこで出た課題に取り組んだりしています。
───そのあと、朝練が終わってから大学に行くのですね…
はい。朝練は 5 時半からなんですけど、冬なんかまだ真っ暗なんですね。ラ
ンニングしている時、前から自転車が来て、向こうがライトつけてない時が
あってすごく怖かった時もありました。満月の時に走ることもあるんです
よ!。朝練が終わって部屋に帰って、ルームメイトと一緒に朝ごはんを作っ
て食べて、ついでにお弁当も一緒に作って。大学には、9 時から始まる 1 限
目に間に合うように 7 時 15 分には出ます。
───大学まで電車で 1 時間ぐらいですか?
ふだん電車に乗っている間は爆睡です(笑)。ただひたすら眠る、って感じで
した。でも試験の前には電車の中もフル活用で、ノートをまとめて全部大事
なところは自分で赤ペンをひいて、クリアファイルに入れて電車の中でひた
すら暗記、というのは毎回してました。
───授業がびっしりあって、終わってからまた部活なんですね
だから夜 10 時すぎにはスパっと寝てしまって、朝までぐっすりです。疲れ
ている時にはもっと早くに寝ちゃいます。1 年の時には新しい生活のリズム
にも慣れてないし、授業もほとんど毎日、朝から夕方まで 4 コマあって、本
当にきつかったんですよ。でも、授業は休まないできっちり出るようにしま
した。大学だから出席するのもサボるのも自由、自分で決めればいいんだか
ら、って考え方もあるんでしょうが、私は、サボっているとなんだか「やる気」
も失せちゃうし、生活のペースも崩れてしまうと思うので、授業は休まない
ようにしました。3 年になって授業数も少なくなってきたので、ちょっとゆ
とりをもって、勉強と部活との両立ができるようになったかな、って思います。
───高校までの勉強とはイメージが違いますか?
イメージしてた大学の生活とはかなり違っていて、受験勉強より普段の勉強
の方がハードだなぁって思うこともありますね。それに、高校生の時には家
に帰れば夕飯ができていたのに、どんなに疲れていても自分たちで買い物に
行って、自分たちで作らないと。でもその分、実感があるというか、充実し
た学生生活を送ることができているじゃないかな、って思ってます。
大会シーズン
───カヌー部で参加する大きな大会というと?
関東学生選手権大会(カンカレ)と全日本学生選手権(インカレ)の 2 つです。
みんなこの 2 つの大会に向けて毎日練習しています。
カンカレとインカレは開催日が近いんですよ。東女体大の場合はカンカレ前
に現地に入って合宿を始めて、インカレが終わるまで 1 か月以上ずっと遠征
しています。去年は石川県で試合がありました。8 月に入ってすぐに現地へ
行って合宿して、8 月の中旬にカンカレがあって、終わってからもまた合宿
4
を続けて、8 月の終わりから 9 月の頭にかけてインカレがありました。それ
から 9 月の半ば頃に日本選手権が同じ石川県であったので、終わるまでずっ
と石川にいたんです。石川県はカヌーの大きな大会がよく開かれるところな
んですが、東女体大は何度も石川で合宿をしているんです。
───どこに寝泊りしているんですか?
東女体大では毎年、ある一般の方のお宅に全員で泊めていただくんですよ。
おじいちゃん、おばあちゃんが住んでいらっしゃるお家で、時々お孫さんが
遊びに来る家なんです。その方のご厚意で泊めていただいているんです。す
ごく大きな家で、座敷に部員 13 人が寝泊りさせていただいています。
───えっ普通の家にですか!?
はい。しかも、1 か月以上の合宿になるので、冷蔵庫や洗濯機は自分たちで
石川まで運び込むんですよ。フトンも全部圧縮して、部長先生自前のトレー
ラーに積んで運んで…。他の大学はマンスリーマンションとか借りているみ
たいです。東女体大はとても恵まれていると思います。
食事は、その家のキッチンを貸してくださるので、毎日食事当番を決めて作っ
ています。当番の人は 1 日練習をお休みして、みんなの食事を作ります。当
番が代わると料理の味も変わったりして、面白いですよ。
───楽しそうですね
はい。1 か月以上も部員と一緒に一部屋で生活しています。喧嘩もしないん
です。みんなでワイワイって。本当に楽しい経験です。カヌー部を途中で辞
めていく部員がいないのは、この遠征合宿のお陰もあるのかなと思います。
スケート実習
───実習の授業は参加しましたか?
夏のシーズン中は練習や大会が重なって行けないので、冬に行われるスケー
ト実習に行きました。スケートは小さい頃にちょっとやったことあるくらい
で、ほとんど滑れなかったんです。でも 4 泊 5 日、最初は靴の履き方やステッ
プから始まって、みっちり教えていただいたので、自分でもびっくりするぐ
らい上達しました。こんなに滑れるようになるんだなぁって。本当に楽しかっ
たです。
───参加者は?
スケート実習を履修するのは 3、4 年生でけっこう少なくて、参加したのは
二十数人です。4 年生が多くて、3 年生は私を含めて 8 人ぐらい。一緒に行っ
た友だち以外は初めて会う人ばかりでした。大学の友だちといっても授業の
時に一緒になるくらいで、部活で忙しくなかなか時間もなくて、一緒に遊ん
だりすることはなかったんですけれど、色々な部に入っている人たちとも仲
良くなれました。
実習の最後には、シンクロナイズド競技スケート部のOGの方が講師として
いらっしゃって、参加者全員でシンクロナイズドスケーティングの作品を作
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るんです。構成を考えることから始まって、練習して発表して。団結力が強
まりました。最後に、お世話になった先生方にみんなで色紙を書いて渡した
んですよ。そこでまたみんなで団結して感激しました。すごく充実した 5 日
間でした。
ゼミでの学び
───どんなゼミを選択したのですか?
総合演習を担当されている加藤明先生の「文章表現」というゼミです。私は
あまり作文が得意じゃないし、就職活動にも役に立つかなと思って選びまし
た。ずっと部活漬けの毎日で、長い文章をじっくり読んだり書いたりする機
会もなくて、試験の準備といっていっても暗記ばかりだったので。
前期は、芥川龍之介の作品を全員で音読して、3、4 人で 1 組になって一つ
一つの作品についてレポート発表をするんです。普段、芥川作品なんて読ま
ないし、読むのも大変だったけれど、加藤先生のお話を聞いていくと分かる
ようになるんです。文学を深く追求していくのって面白いな、って思いました。
後期からは、スポーツに関係する本を読みました。自分が選んだ好きな本を
読んでレポートするんですけれど、そのレポートが大変です。でも、ゼミに
は色んな部活をしている人がいて、みんな和気あいあいって感じですごく賑
やかです。色々先生に質問していくうちに途中でお話しが脱線したりして、
楽しかったです。
就職活動のスタート
───どういった希望があるのですか?
はい。第一希望は国立大学法人の職員ですが、かなり難しいと聞いています。
警視庁とか法務教官も考えていますね。
───大学の就職対策講座は?
公務員コースを選んで、試験対策の講座を受けています。講師の方にいろい
ろな分野を習うのですが、一次の筆記試験を中心に、数学とか物理もあるん
ですよ。普段やってないし、出題率が高い分野を集中的に教えていただける
ので、本当にためになっています。
───他に就職活動はしていますか?
そうですね。3 年生の 10 月ごろに、一般企業への就職活動もすることにし
ました。最初の頃はあれもこれもって、あちこちの会社説明会に出かけてい
ました。でも、自分の意志がぶれてしまうことは問題だなと思って、まずは
1 社だけ入社試験を受けました。
───結果はどうでしたか?
まだ出ていません。筆記試験は通って、先日面接を受けてきたばかりで結果
待ちなんです。いざ面接ってなったら、緊張して頭の中が真っ白になっちゃっ
て。自分のコミュニケーション力はまだまだだなと、つくづく思いました。
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菅原唯さん(4 年)の場合
大学を選んだ理由
───なぜこの大学に入ったのですか?
小さいころから警察官になりたいと思っていたので、法学部のある大学に入
ろうと思っていました。でも、昔から体を動かすのが好きで運動がしたいと
いう思いが強かったので、やりたいことをしようと思いました。勉強はいつ
からでもできるから、っと(笑)。ただ、警察官になることを考えて、就職活
動の際に 1 類の試験が受けられる 4 年制の大学を選ぼうと思い、いろいろな
体育大を見学に行きました。
───その中でここを選んだのは?
オープンキャンパスを利用していろいろな大学を見てきたのですが、中には
見学に行っても在学生が無関心で素通りしてしまうような大学もありました。
でも、東女体大の場合は、学生が案内役をしてくれましたし、校門に入ると「お
はようございます!」とすぐに声をかけてくれました。そして、「どこか見た
いところある?」と聞いてくれて、「ここがみたいです」と言うと連れて行っ
てくれたりもしました。そういう学校の雰囲気というか、学生同士の雰囲気
というか、ウェルカム!という感じがすごく伝わってきたんですね。学生も
堅苦しくなくて、何より「ノリ」が良かったんです(笑)。「あっ、自分はこ
こが合ってるな」とすぐに思いました。それで、「ここしかない!」ってなり
ました。
部活動の選択
───部活動はどこにしたのですか?
ライフセービング部にしました。
───なぜ未経験の部を選んだのですか?
入学してすぐに仲良くなった友だちが、「ライフセービング部に入る!」って
言ってたんです。その時、初めてライフセービングという言葉を知りました。
「この人、何いってんだろう?」って感じです。何だろうなと思って見学に行
きました。そうしたら、「ノリ」が良くて(笑)、みんなウェルカムな感じが
すぐに伝わってきました。
───大学選びに続いて「ノリ」ですか?
いえいえ、もちろんそれだけじゃないですよ。ライフセービング部の活動は
浜辺になりますが、ある写真を見せてもらったんです。伊豆下田の白浜の写
真だったんですが、それが本当に綺麗だったんです。こんなに綺麗な海って、
沖縄くらいしかないと思っていたのに、こんなところがあるんだとすごく惹
かれ始めました。
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───泳ぎ系は得意だったのですか?
いえ。私は中学と高校でバレーボールをしていました。運動は大好きだった
んですが、実は、全然泳げなかったんです!。50 mがやっとというくらい
でした。でも、先輩が「泳げなくても全然OK!、面倒みるよ。みんな高校
とは違う部活から入っているし、初めはみんな泳げなかったんだから!」っ
て言ってくれたんです。それと、活動そのものの自由な雰囲気にも魅力を感
じました。
授業・生活
───授業はどうでしたか?
ためになることが多かったです。例えばスポーツ栄養学とか。また体育大学
なのでやはり実技が多く、楽しんで学べます。高校まではそんなに専門的な
ことまで学べなかったけれど、この大学だと専門的なことを深く学べるから
おもしろいですね。しかも、自分の苦手な種目も好きな種目も、いろいろな
ことに取り組めます。例えば、私は新体操とかダンスとか苦手なんです。恥
ずかしながらレオタードを着てリボンを持って練習するんですが、そういう
こともいい経験ですね。好きなバレーボールとかバスケットボールとか、部
活に活かせる水泳の授業はばっちりでした。
───学校の雰囲気はどうでしたか?
オープンキャンパスの時に感じたアットホームなところに惹かれて入学した
んですが、ホントに「そのまんま」って感じです。周りの人たちも雰囲気が
似ているというか、ラフな感じなんです。気を使わなくてよくて楽ですね。
先生たちも親身になってくださいます。もちろん厳しい先生もいますけれど、
怒りながらも優しさがあるみたいな。
───高校までと何が違いましたか?
大学に来て自分で好きなことを見つけられるかどうか、好きなことができて
楽しめるかどうかは、自分次第だなと。何もなければ全然楽しくないだろうし、
自分から進んでやればやるほど楽しいだろうし、自分次第ですよね。
部活動の日々
───実際にライフセービング部に入って、どうでしたか?
「泳ぎが得意じゃなくても大丈夫だよ!」という一言を信じて入りました。私
の学年は 25 人入部したんですけど、やっぱりみんな泳げなかったんです。
私以上に泳げなかった人もいて、5 mがやっとという人もいたくらいです。
とにかく初めの頃の練習はきつかったですね、昼のたった 30 分の練習でも、
ウォーミングアップの時点で、
「もう無理でしょ」みたいな感じでした。でも、
同期で泳げないの仲間がいっぱいいて、一緒にがんばろうっていう雰囲気が
ありました。先輩たちは、こんなにできない私を見放すのだろうなと思って
いたら、泳げない人たちのためにコースを作ってくれて一から教えてくれま
した。スイマーの人もたくさんいて、その人たちに泳ぎ方やフォームを教え
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てもらったりして面倒を見てもらったので、すぐに泳げるようになりました。
───ライフセービングというのは、何か資格があるのですか?
ライフセーバ―の資格認定講習を受けて、検定試験を受けるんです。講習を
受けるためには、400 mで 9 分を切るとか色々条件をクリアしなければな
らなくて、6 月にその試験があったんです。そこが泳げない人たちの一番の
難関でした。400 mで、私は 2 回目で 9 分を切れたんですが、切れなかっ
た人たちは何回も何回も 400 mを泳ぐんです。それをやっとのことでクリ
アして、今度は講習会で 3 泊 4 日。海で実技があったり、講義を受けたり、
かなりハードでした。
───普段の練習はどんな感じですか?
他の部より練習そのものは少ないと思います。火木金の昼休みと、月金の放
課後だけで、主に基礎体力をつけるための練習です。それから月に 1 回、海
で練習会があります。火水木の放課後は休みなんです。
───それだけですか?
部としての練習はそれだけですが、あとは個人が土日を利用して海に行って
練習します。ライフセービングは個人の活動なので、強制されてやるという
ことはないんです。
───土日に海に行くというのは?
個人の自主トレーニングみたいに、たまたまそこにいたメンバーで練習しよ
うというものです。先輩たちがライフセーバーをして、練習場としても適し
た良い浜が 10 あります。その中から自分で活動する浜を決めるんです。
───いつも海に行っていたのですか?
はい。私は基本的に毎週行きたかったので、1 年生の頃は先輩の車で、2 年
生になってからは免許を取って自分で運転して行っていました。金曜日の夜
に出て、土日に練習して、日曜日の午後 4 時ごろに出発。練習は、海に入っ
てボードやスウィム、たまにランの練習がありますが、主にボードの練習が
多いです。また浜での監視活動として、7 〜 8 月のシーズン中は交代で監視
台に登っています。練習は一年中あります。冬もウェットスーツを着てやっ
ています。時々、シーズンオフでも波が高いのに海に入ってしまうお客さん
がいるので、その時はそれを気にしながら練習しています。
───どこに泊まっていたのですか?
各浜に泊まるところがあって、その浜が持っている施設もあるし、レンタル
で借りている家のようなところもあります。私が泊まっていたところは大体
一泊 1500 円で、社会人のOGやOBの人たちが上手にやってくれているの
で安かったのですが。ご飯はみんなでお金を出しあって作っていました。
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───それでも交通費もかかるわけだし…
そうですね。だから普段の練習が少ない分だけ、アルバイトが活動の一部と
いうことにもなりますね。私の場合、アルバイトはいろいろとやりました。
夏のシーズン中は 6 月から準備で忙しくなり、7 〜 8 月は練習&監視活動、
9 月は大会があるので、長期のアルバイトには入れないんです。その分、い
ろいろなバイトを経験しました。特に、春秋冬でしっかり貯めて活動のため
に備えておくことが大事でしたね。
───授業もあるし、大変だったのではないですか?
1、2 年生の時は授業が詰まっていたので。日曜日に家に帰ってくる時間が
夜中の 12 時くらいになるんですよ。体も疲れているし、月曜日は 1 限から
あって辛かったですね。両立できなくてやめちゃう人もいるので、難しいこ
とは難しいと思います。
───大会にはどんなものが? 成績はどうでしたか?
インカレと全日本ライフセービング種目別選手権大会があります。私は 2 年
生の時まではボードをがんばっていて、インカレのオープンボードという種
目で 1 位になりました。3 年生からはもっとビーチ系に力を入れました。種
目別選手権大会は所属も年齢も関係なく参加する大会で、ビーチフラッグス
という個人種目で 4 位になることができました。本当はメダルがほしかった
んですけれど…。でも私は競技としては、バレーボールやバスケとかチーム
でプレイするのが好きなんです。個人で戦うのはあまり好きではないんです。
ライフセービングの場合は、競技が目的ではなくてオマケみたいなものです
から。
ゼミでの学び
───どんなゼミを選んだのですか?
「体の動き」についてのゼミでした。部の先輩から、「先生も優しいし、部活
と両立できるし、内容もライフせービングに合っているからこのゼミいいよ」
と薦められました。担当の先生は器械運動が専門なんですが、ゼミに入って
いる人たちは、例えば野球とか、新体操とか、自分の種目に置き換えながら
体の動きの理論について研究します。私は、ビーチスプリントで、砂浜で走
るためにはどうするか、速くなるにはどうしたらいいか、砂浜だと足をとら
れたりするので、トラックで走る時と砂浜で走る時の違いなどを調べました。
───実際に調べてみた結果はどうでしたか? 結論をいえば、トラックの走り方と砂浜の走り方は別物ということでした。
トラックだと障害物も何もないし、スパイクもはいていて走りやすいけれど、
砂浜は一応平らにしたりして整備をするんですが、まっすぐではないし、海
に向かって低くなっているので、状況がバラバラなんです。走るコースによっ
ても、穴が掘れちゃったりするので不利になるとか。トラックとは別物だから、
砂浜を走るのに慣れるとか、体の中心がブレないように、足が持っていかれ
ないようにまっすぐ走るとか、上半身をどうするかとか。スタートの時はブ
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ロックがないので、自分で穴を掘ったりするんですが、その穴の掘り方といっ
たことをまとめました。これは役にたちましたね。穴の掘り方などまったく
疑問に思ったこともなかったので、速い人たち、いつも大会で上位に行く人
たちに聞いたりして、こういう掘り方があるんだと気づいたり。穴の掘り方
も人によって色々な違いがあって、結局自分でそれを応用して見つけるほか
ないと悟りました。一つのテーマを自分で選んでいって、深く調べていって、
それで形にまとめ上げていくというような経験は今までなかったので、よかっ
たです。
───ゼミはどんな感じで進められたのですか?
私たちの時は、毎回、一枚の資料を読んだり、ビデオを見たりして、それに
ついてどう思ったのか、自分の意見を言うという取り組み方でした。例えば
イチロー選手が話しているのをビデオで見て、それに対して自分はどう思う
のかということを意見として出し合ったんですが、人によって感じ方や捉え
方が全然違っていて、イチローはすごいなと思う人もいるし、私にはこの意
見は合わないって人もいるし、個人個人それぞれで、自分と他人は違うんだ
なぁって、面白かったです。
それに、みんな部活、部活、部活で忙しい感じだったけど、ゼミで集まった
仲間と話をすることが楽しかった。それまでパソコンなどを使って長期的に
深く調べものをしたりすることがなかったので、いい経験をする機会をいた
だいたと思います。
部活動を振り返って
───ライフセービングという活動について
ライフセービングは、競技にもなっていますが、それが目的なのではなくて
オマケみたいなものなんです。ライフセービングというのは、浜辺での活動
を主に行っていますが、精神的には生命を守る活動全体を含みます。例えば、
バスで自分が座っていて老人の方が立っていたとして、そこで席を譲ること
もライフセービングになるんですね。体の自由がきかなくても、手だけが動
けば、人の怪我の手当てなどもできるし、そういうのもライフセービングな
んです。
泳げなくても何かFA(ファーストエイド・応急手当)をするとか、泳げな
くても危険な海に入ろうとしているお客さんに声かけをするだけで、もうラ
イフセービングなんですね。さっきライフセービング部には泳げなくても入
れるよって言われたわけですが、だから「泳げない人は部活に入れない」んじゃ
なくて、「泳げなくてもウェルカム」なんです。誰でもライフセービングはで
きるよって。実はそのことに深い意味があったんです。
───救助活動というイメージが強いですが
ライフセーバーの活動というのは、海とか川とかプールとか、水辺での事故
を防ぐことが基本です。溺れている人を助けに海に飛び込むっていうイメー
ジがありますけど、もちろんそれが最後には求められますが、でも、助ける
ことがベストなのではなくて、本当は、未然に防ぐことがベストなんですね。
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助けに行くってことは、誰かが苦しい思いをしているってことですから、そ
の前の段階で本当は頑張らなくちゃいけない。その時のために、体を鍛えて
いるのであって、競技で頑張れば鍛えられるしレスキューも早くなる、だか
ら練習をガッツリやって頑張るに越したことはないってことで、競技自体が
目的じゃないんです。例えば、自分たちが海で監視業務をしていて地震が起
きた時には、津波のサインを出すなどいろいろとあるんですけれど、何分間
か旗を振り続けて誘導して、津波の到着何分前でやっと私たちも高台に逃げ
るんです。
─── 4 年間やってみてどうでしたか?
ライフセービングの場合、練習が強制されているわけではないんです。自分
でやらないと早くならないし、うまくならない。東女体大の部の中でも、全
豪選手権大会のような国際的なレベルに行く人もいれば、あまり泳げない人
もいます。それぞれの中でライフセービングの目的をどこに置くかというの
は、個人の意識の持ちようなんですね。だから、他の部活とは違うと思います。
自分次第という感じ。それがこの部のいいところだと 4 年間やってみて思い
ますし、そういうところが私に合ってたのかなと思います。
就職活動
───就職活動はいつごろから始めたのですか?
3 年生の大会が終わって、11 月、12 月あたりから意識し始めました。本当
は夏前に手をつけようと思っていたんですけど、ライフセービングの活動で
手につかないという感じでした。
───入学前は「警察官になりたい」と思ってたとか?
そうだったんですが、実際には入学してからはライフセービングに染まって
いて、完全に忘れてたといってもおかしくないと思います。かなり甘くみて
いて、そんなに心配しなくてもいいやみたいな感じだったんです。時期的に
もスタートから遅れていました。実際に活動したのは 3 年生の後半ぐらいか
らです。
───かなり遅れをとったということですか?
そうなんですよ!しかも、「警察官になりたい」けれど、「何をすればいいん
だろう」というところからのスタートでした。他の大学の人を見ると、夏か
ら予備校などに行って勉強しているらしくって、自分で調べれば調べるほど
絶望的になっていったんです。「あぁまずい」って。「今からやっても間に合
わない」「みんな仕上がってるよ!」って、不安で一杯でした。
焦りもあって、仲間たちが行く一般企業の合同説明会にもついて行ったんで
す。でも、どこを見ても、ボーっと聞いているだけで、入社したいという気
にならなかったんです。今思えばなんて不謹慎な奴だって感じですが、「やっ
ぱり自分には警察しかないんだ」という結論になって(笑)。
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───具体的な準備はどう進めたんですか?
就職課に相談に行ったり、先生に相談したり。勉強を始める時に、「どうした
らいいでしょうか」「今から間に合うでしょうか」とかそういうことを相談に
行きました。「ちゃんとやれば間に合う」「やらなければ間に合わない」「自分
次第だよ」と励ましてくださいました。そして、自分で勉強ができないんなら、
予備校に入るのも手だよ、と。パンフレットを何冊かいただきました。あとは、
面接の試験対策についてまとめたものをいただいたり、先輩はどうだったの
かといったことを教えてくださったりで、助かりました。
はじめは先輩から試験の問題集を貰って、自分でやろうと思っていたんです
が、全然わからなかったんです。やっぱり「自分じゃどうにもならない」と
いうことで、予備校の力を借りようと。その時すでに 1 月でした。なのに、
まだライフセービングから離れられない部分もあって、海にも行きたいと…、
まだ本腰になってなかったですね。海に行きたいから行こう。帰ってきて勉
強しよう、でも疲れたから寝よう…って(笑)。
───なかなか踏ん切りがつかなかったと・・・。
はい。ただ、部の先輩に相談したんです。その先輩は教師になりたいと言っ
ていたんですが、3 年生の 1 月の頃に結構悩んでいたんです。「海に行きた
いけど、勉強もしなくちゃいけないし」って。先輩は「もう割り切って、教
師になりたいんだから、ライフはいつでもできる、だからライフは一旦切っ
て勉強に染まった」と言って、教師になられたんです。私も「この中途半端
な状態じゃいけない」と思って、やっと 1 月の後半に「海には行かない、勉
強に染まろう」って決めたんです。でも、その時には予備校も授業が全部終わっ
ていて…。もう何もかもが遅いんですよね(笑)。でも講義のDVDを見せて
くれるスペースがあったので、そこで一から全部見て、分からないところは
巻き戻してということをやり始めました。そして、朝から晩まで図書館に居
て、とにかく一日中、毎日朝から晩まで勉強、勉強っていうのを、2 月、3 月、
4 月と続けたんです。海にも行かなかったので、初めはストレスが溜りまし
たね。でも、一つひとつわかりはじめると、どんどん面白くなっていっちゃっ
て、勉強って楽しいことに気づきました。だから一歩一歩やり直しの勉強な
んですが、続けることができたんです。
─── 3 か月間、勉強漬け。で、警視庁の試験は?
4 月に一次試験があって、それに受かると二次試験が 6 月にあって、そこか
ら結果待ち、8 月に発表というスケジュールです。
───問題の一次試験はどうでした?
受かりました。もう奇跡でした。でも結果発表から二次試験までは間が短くて、
対策はほとんどできなかったんです。二次試験は実技と体力テスト、身体検
査、面接に適性検査でした。二次試験は教育実習の真っ最中の土日にあって、
指導案を作りながら二次対策もしなくちゃと、悪戦苦闘でした。
13
───でも自信はあったのでは?
なぜかわかりませんが、一次試験が受かれば二次試験も大丈夫って思い込ん
でいたんです(笑)。とにかく実技と体力には自信があったし、面接は、私一
人に対して面接官三人だったんですが、この体育大的な勢いで、ライフセー
ビングとか自分の得意の話にもっていけると。実際にその通りの感じで対応
できて、自分の中では、よくできたという印象でした。
───それで、二次試験も受かったと・・・。
受かったんですよ。もう本当に奇跡でしたね!発表は 8 月にありましたので、
6 月の二次試験以降、また海に戻ってライフの活動をしていました。もうそ
の時には「警官しかない」「意地でも警官になってやる」って思いこんでいた
ので、他の就職活動はしませんでした。落ちてからまた考えようって。
結果は警視庁のホームページを携帯電話で見ました。浜の宿舎でみんなとご
飯を食べる前に調べました。自分の番号を見つけたときには、その瞬間号泣
ですよ。「うああぁぁ・・・!」って。
───おめでとう
やっぱり不安で…。「落ちたらどうすれば」とか「監視活動とかやってる暇な
いよ」とか思っていたところだったので…。本当にうれしかったです。
───卒業後、いよいよ警察官になるわけですね
はい。まず警察学校に入って、半年間通ってから成績で配属が決まります。
気を引き締めなくちゃっていう意識はあります。自分が警察官っていうと、
周りの見る目が変わるでしょうし、日常生活からしっかりしないとダメだ!
と思うようになりました。いろんな規則は普段から守るけれど、もっと守る
ようにするとか。もともと人のために何かをやりたくて、そのためにライフ
セービングにも惹かれたのかもしれないんですけど、警察官も人のための仕
事です。ライフセービングの活動に熱中したように、この仕事に熱中したい
と思います。
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前田いずみさん(4 年)の場合
大学を選んだ理由
───なぜこの大学を選びましたか?
東女体大の新体操競技部といえば、全国大会でいつも優勝していて、オリン
ピックに出場した選手もたくさんいます。新体操をしている人なら知らない
人はいないぐらい有名です。私は小学 4 年生の時から、新体操競技部が毎年
行う発表会を見に行っていました。いつか自分もこういう発表会で演技をし
たいと、ずっと思っていました。東女体大の新体操の指導者は日本を代表す
るような方が何人もいらっしゃいます。そうした先生方の生の指導を受けて、
将来の自分に生かしたいと思って選びました。
部活動の選択
───いつから新体操を始めたのですか?
私は 3 歳から始めて、それからジュニアのクラブに所属していました。東女
体大の新体操競技部のことは、小学生の頃にはすでに知っていました。クラ
ブの先生の娘さんがこの大学で新体操をしていて、4 年生の時に発表会を見
に行きました。初めて見た時に、新体操でこんなことも表現できるんだ!と
競技とは違った感動がありました。中学生になってからも毎年のように発表
会に足を運び、いつか自分もこの場で仲間たちと演技をしたいと、ずっと思っ
ていました。
───憧れの大学だったわけですね
はい。クラブの先生の娘さんが、地元の高校の新体操部顧問になっていたので、
その高校に進学して、インターハイや国体に出させていただきました。でも、
一時、練習に打ち込みすぎて怪我をしたことがあって、その時はもうやめよ
うかと悩んだことがあったんです。治療の際にお世話になった理学療法士さ
んを見て、こういう職業を目指すのも素敵だなと思い、そのための専門学校
の受験を考えたこともあります。でも、やっぱり新体操を捨てきれませんで
した。日本一の指導者と呼ばれる先生方の生の指導を受けたいと思いました
し、そうした経験が将来の自分に生かせるのではと思って、この大学に進学
してこの部に入部することを選びました。
教育実習
───教育実習はどういう印象でしたか?
母校の高校で実習をさせていただきました。体育の授業はちょうど体育祭前
だったので、高校の伝統演技になっている女子のリズムダンス指導を行いま
した。私にとっては得意分野だったので、毎回一緒に踊って楽しかったですね。
昼休みにできない生徒を集めて一緒に練習したり、体育祭の準備で先生たち
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が朝早くからグランド整備をするのをお手伝いしたり、草むしりをしたり。
───生徒たちとの関わりはどうでしたか?
前半はほとんど教官室にこもりっきりで先生と研究授業の打ち合わせをして、
それが終わればすぐ部活に行って指導をしていたので、部活の生徒とたくさ
ん関わる機会がありました。ただ、一般のクラスの授業やホームルーム、掃
除などにはなかなか参加できなかったんです。そこで、体育大会のリハーサ
ルで、フォークダンスに一緒に入って踊ったり…。その他にも私が直接担当
する授業ではなかったんですけれど、3 年生の選択授業をご担当の先生に「授
業に行ってもいいですか?」とお願いして、生徒と授業を一緒にやりました。
他の学年とはそういう工夫で接する機会がもてましたね。
───教育実習が終わった後、どう思いましたか?
授業に関してはいろいろな反省材料というか、ああしておけばよかった、こ
れもしておけばよかった、このことがしてあげられなかったなど、終わって
みて気づくことがたくさんありました。でも、トータルして見た時には、生
徒と一緒に過ごすことがすごく楽しいというか、充実感がありました。ちょっ
としたことにでも反応してくれる生徒たちの素直さがすごく嬉しかったです
ね。どうやったら私が担当する授業を生徒が楽しんでくれるのか、分かって
もらえるのか、ということを考えるのが楽しいことなんだと気づきました。
改めて、私は生徒や子どもたちと接することが好きなんだなと思いました。
───実習の途中に教員採用の一次の合格発表があったそうですね…
はい。実習の最後のあたりでした。ちょうど現場にいる頃だったので、すご
く嬉しくて、「もう頑張らなきゃ」と思って、お世話になった先生や担当して
いたクラスにも、「今度は先生になって戻ってきますね!」と勢い余って言っ
ちゃいました。
部活動を振り返って
───超ハイレベルの新体操競技部、やはり競争も厳しかったのでしょうね?
そうですね。みんな高校の時に各学校のキャプテンをやっていたり、インター
ハイなど全国レベルの経験と成績があるなど、レベルの高い人たちが集まっ
ています。でも、全員が競技に出られるわけではありません。部員全員が参
加する選考合宿などで、その年の団体と個人の選手と一般生とに分かれます。
私は、1 年生で団体選手に選ばれました。インカレ優勝の経験もできましたが。
しかし 2 年生の選考では一般生になりました。
───その時気持ちは切り替えられましたか?
競技選手から一般生になった時、張り詰めていたものが切れてしまった感じ
はありました。でも、競技だけではない新体操もすぐに楽しくなりました。
実はこっちの方がよかったのかな、というホッとした気持ちも出てくるよう
になったんです。選手も一般生のどちらも経験したことで、選手でいられる
ことの幸せということが、その立場にいた時以上にわかりました。一方で、
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新体操は教えてもらうだけではなくて、自分たちで学び、表現できるものな
んだという姿勢も、一般生での活動から学びました。
───自分たちで学ぶというのは?
高校時代や競技選手のときには、先生にずっとつきっきりで指導していただ
きました。しかし、一般生による実演や発表会などは、自分たちで作品を考
えて練習します。ある程度まとまった段階で先生に指導していただきます。
最初の頃は戸惑うことが多かったんですが、小学生の頃から見ていた発表会
の作品は、こうやってできるんだと初めて知りました。
─── 4 年間を振り返ってみると?
技術的な面では高校生から 1 年生の時期がピークだったように思います。で
も、表現という意味では、やっぱり 4 年生の時の方が感情を込められるよう
になったし、総合的な表現力もついたと思うんです。新体操を本当に楽しむ
というか、味わうというか…。そこで作り上げる演技は、採点される演技と
は違った楽しみと喜びがあるんです。
現役を引退してから、週に 3 回か 4 回、都内の新体操クラブで子どもたちに
教える機会があります。ここで受けていた指導を鮮明に思い出すことがあっ
て、あぁ、こういうやり方もあったなと…。生の指導を受けていなかったら
そういうことはなかっただろうなと思います。卒業したら高校の教員になる
のですが、生徒に直接、新体操を教えることはないかもしれないけれど、こ
の部で学んだいろいろな経験がうまくつながっていくんじゃないかと思って
います。
就職活動
───卒業後の進路はどんなふうに考えていましたか?
大学に入った頃は、卒業後したら地元に戻ってクラブチームの指導をしたい
と漠然と思っていた程度で、正直、先のことはあまり考えていませんでした。
3 年生になって就職を考えなければいけなくなった時に、それまで週 1、2 回、
都内のクラブチームの指導にコーチとして関わっていたので、そのまま続け
るか、あるいは子どもが好きなので、スポーツクラブに就職して幼児体育の
新体操を教えていくか、という 2 つを考えていました。まだそのころ教員に
なるということはイメージしてなかったんです。
───本格的に就職活動を始めたのは?
3 年生のお正月あたりに、親にも相談しましたが、「一人で生活できる」こ
とが大事と言われ、地元で教員や公務員をめざすのはどうかと言われました。
でも、その気になれないまま 4 月を迎えてしまったのですが、ゼミの先生から、
東京都の教員採用試験を受けてみないかと言われたんです。スポーツ推薦制
度によって、一次試験の筆記試験が免除され、競技成績と論文による審査に
なるということでした。
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───条件はクリアしていたのですか?
スポーツ推薦で受けるには、国際レベルか全国レベルの大会で入賞以上の成
績という厳しい条件があったんです。私の場合は、インターハイや国体での
団体優勝などがありましたし、大学に入ってからも選手として全国大会優勝
の成績がありました。「せっかくだから受けてみては?」と先生が仰ってくだ
さり、本格的な就職活動も行っていなかったこともあって、「どうせ受からな
いだろう」というホントに軽い気持ちで受けたんです。
───論文対策は?
「学校教育におけるクラブ活動や部活動の意義についてあなたの経験に基づい
て述べなさい、また教員としてあなたの経験をどのように生かしていくか具
体的にのべなさい」というのが論文の課題でした。当時、教員になることを
全く視野に入れてなかったので、正直どう答えていいのか悩みました。毎日
のように就職課でろいろな方に相談して、何度も書き直しました。
でも、書いているうちに「あれ?」と思ったんです。新体操という競技に身
を置いてきたこと、先輩から学んだこと、後輩に教えたことなど、技術的な
ことだけではなくて挨拶や礼儀など厳しく教わり教えた部分などが思い浮か
んできて、これまでのいろんな経験は、実は教育というテーマに深く結びつ
いているんだなと気がついたんです。それまでは、体験と言葉が一致してな
かったんですが、自分がやってきたことが、これからの経験に生かされるも
のなんだって実感したんです。そのあたりから、教員という目標に対する意
識に変化があったように思います。
───無事に一次試験はクリアしたのですか?
話があったのが 4 月で、応募の締め切りは 5 月でした。1 月の間に論文の準
備をすすめ、各種の書類を慌てて揃えて締め切りに間に合わせました。そして、
6 月の初めのころ、教育実習中の最後に、先生から「一次試験に合格したよ」
という連絡をいただいたんです。ほっとする間もなく、次の面接について就
職課の方や先生方にいろいろと聞いて回りました。
───その頃にはもう就活モードに?
実は、その面接の日程がまだわからなくて、新体操部の発表会と重なるかも
しれなかったんです。新体操部が毎年行う恒例の発表会を開催する 1 週間前
に合宿が山形で行われます。この合宿にも重なるかもしれないということが
気がかりだったんです。自分は新体操を 4 年間全うしようと決めていました
から、最後の発表会の参加を断念しなければならなくなるかもしれないと、
かなり悩みました。
───もし日が重なっていたら?
もしそうなら「二次試験は受けません!」って言ってたんですね。親なんか
は「将来がかかっているのに何言ってるの!」って…。もちろん分かってた
んですが、自分で納得がいかなかったんですね。4 年生最後の発表会に出ら
れないまま終わる方が、私の中に後悔が残るんじゃないか、と。このことは
いろんな人に相談して、とにかく面接の日程が決まるまでは両方の準備を進
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めておこうということになりました。
───結局、どうなったのですか?
山形での合宿の最終日と面接の日が重なりました。前日行われる山形の人た
ちに見ていただく公演リハーサルには出られることになりました。それが終
わってすぐ東京に戻って、次の日の朝面接を受けることになって、まさにド
タバタでした。できる限りの準備はしていましたが…。
───面接はどうでしたか?
集団面接では、他の人たちは非常勤講師など経験者ばかりでした。その中に
私だけぽつんと教育実習上がりの学生が…という感じでした。討議もどんど
ん進むし…。でもやっぱりちゃんと言わないと何を考えているか伝わらない
からと思って、限られた経験の中からできる限り話しました。
───個人面接では厳しい質問があったとか?
そうですね。あえてきつめの質問にどう答えるのかを見ようということだと
思うのですが、「保護者から、子どもがいじめられてるって聞いたんですけれ
ど、学校ではどういう指導されているんですか、どうしてくれるんですか、
と詰め寄られたらどうしますか」と聞かれたり、「急に突発的に動き回ってし
まう子たちがいた場合どうしますか」などと聞かれました。「いろんな先生に
まずは相談をして自分で勝手な判断をしない」と答えました。
───実技はどうでしたか?
今回は保健体育の教師になるための試験で、6 種目の実技試験が 9 月にあり
ました。一番得意だったはずのダンスが、自分ではうまくできたという実感
がなくて、終わってから自分で何をやったかも覚えていないという感じでし
た。一番手応えがあったのは、柔道なんです。受験前に先生方があちこちに
連絡を取って、練習場を手配してくださったこともあって、しっかりと練習
できたからだと思います。
───最終発表があったのはいつでしたか?
10 月です。実技が終わってからずっと発表待ち状態でした。その間の就職
活動は幼児体育についてちょっと調べましたが、まずは結果を待とうと思っ
ていました。発表の当日は、朝の 10 時に東京都のホームページで確認する
ことができるということだったので、5 分前にはパソコンの前に座ってドキ
ドキしながら待っていました。でもパソコン音痴でなかなか画面を見ること
ができなかったんです。10 分ぐらいパソコンの前で何回も同じこと繰り返
して、やっと見ることができました。そして、なんと自分の番号があったん
です。
───心配していたご両親には?
すぐに連絡しました。父が「よかった、よかった!」ととても喜んでくれました。
でも一番心配していた母が、結果発表の日を忘れてたって・・・(笑)。
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───ついに教員になれると?
でも同時に、本当に先生になっていいのかなという不安も湧いてきたんです。
最初に軽い気持ちで試験を受けたというのもありましたし、もっと強い意志
で臨んでいたほうが良かったのかな、と。地元の友だちに報告した時も、「一
次試験免除というラッキーもあったから受かったようなもんだよ」と言った
ぐらいです。
───自分の実力ではないと思ったのですか?
でも、その友人が「何いってるの!高校時代から競技にどれだけの時間と労
力を注いでたか、周りはみんな知ってるよ。たくさんの代償を払って手に入
れた競技成績なんだから、他の人にとっての筆記試験と同じ価値か、それ以
上ってこと。何もおかしくないんだよ」と言ってくれたんです。すごく嬉しくっ
て…。それまで私の中でうまくつながらなかった部分が、そう言われたこと
で、自分のやってきたことが活かされてこの就職につながったんだなと、やっ
と納得できたんですよね。
───最初は教員になるつもりなどなかったけれど…
それについても、子どもが好きということと、人と触れ合う仕事がしたいと
いう思いは漠然と持っていました。私が取り組んできた新体操ということを
通して、ずっと地域のクラブでコーチを行ったりもしてきたんですね。大学
選びの段階から、すでに「指導の経験を積む」ということにこだわりもあり
ました。教員という職業はまさにそうした心の奥底にあった意識とつながっ
たのだ、と今では明確に思えますね。
自分でも自覚していなかったいろんな学び・力を就職というかたちに具体化
できたのは、たくさんの先生方が多くの力を貸して下さったおかげだと思い
ます。先生がいなかったら採用試験を受けることも、ましてや受かることも
なかったと思います。
これまでは新体操が中心でしたが、これからは感謝の意を込めてこの職業で
自分を高めていきたいと思っています。
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稲葉由衣さん(4 年)の場合
部活動を振り返って
───ハンドボール部最後の 4 年生で、ついに 3 冠(春季リーグ、秋季リー
グ、全日本学生選手権優勝)を達成、おめでとう!
ありがとうございます!
─── 1997 年以来の完全制覇だったのですね
日本一の目標を達成することは、本当に難しいことでした。4 年生が中心に
なって、たった一つの目標に向かって部全体を引っ張っていくことができた
からだと思います。目標を達成するまで、みんなで支え合いましたし、何よ
りも、指導してくださった先生方に感謝しています。この大学に来てよかっ
たと本当に思えました。
───そもそもなぜこの大学を選んだのですか?
他にもいろんな選択肢はあったと思います。しかし、高校の時に高野監督か
ら声をかけていただいたんです。同じハンドボールをやるのなら、日本一に
近いところでプレイしたいと思ってこの大学を選びました。
───チームの柱になるまでに大変な努力があったと思いますが
もちろん 1 年生の時はベンチの外でした。私が 1 年生の時の 4 年生たちは、
本当にすごい人たちばかり。だからこそ、その中に入りたいという気持ちが
強かったです。時には、私ではなく他の同級生が入ったりもしました。選ば
れないとやっぱり悔しいです。だから、どこがうまくなれば、どこが強くな
れば選ばれるんだろうって、そのことばかり考えていました。なんとかして
レベルアップしたくて、練習は本当に必死でやりましたし、時には先輩たち
のビデオを見て、研究もしました。追いつけるように、そして追い越せるよ
うに頑張りました。そしてやっと、2 年生の春リーグ、秋リーグから、スタ
メンに出してもらえるようになりました。
───声をかけてくださったという高野監督の印象は?
普段は口数が少ない方です。でも、たまの一言二言がとても重くて意味があ
るんです。みんなを考えさせる力がその一言にありました。正直いって、3
年生までは近寄りがたい存在でした。ただ、4 年生になってキャプテンに選
ばれてから少し印象が変わりました。キャプテンになって話す機会が増え、
チームのこと、自分たちのことを本当に考えてくださるんだなということに
気づいたんです。これは一選手の時には見えなかったことです。キャプテン
という立場だったからこそのやりとりもあって、「この言葉は、こういうとこ
ろまで考えてのことだったんだ」ということに何度も気づかされました。
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───キャプテンという役割について
私にとっての「キャプテン」は、試合で結果を出し、普段から仲間に信頼さ
れるという存在です。私のポジションはゲームメイクをする立場です。まさ
に試合で結果を残さなくてはいけません。そしてキャプテンとして、チーム
を引っ張るために、普段から信頼される立場にならなくてはなりません。で
も、いつもそううまくいくわけではありませんでした。試合で私が失敗した
時もありましたが、そういう時には、必ずチームメイトがしっかりと点を取っ
てカバーしてくれました。本当にありがたかったです。
───目標達成には何が必要?
選手たちが何を目指すかによって練習の方法、取り組み方も変わってくると
思います。練習のメニューというのは何年も変わっていません。でも、その
意味をとらえどのように取り組むのか、そのことをチームのなかで共通理解
を図ってどのように具体化するのか、といったことを考えてチームを引っ張っ
ていくことがキャプテンの責任だったと思います。絶対にできない目標とい
うのはありません。対戦相手も同じ年代の同じ学生です。弱気にならずに自
信をもつことだと思います。これは後輩たちに伝えたいことですね。
───卒業後は?
地元の熊本にある実業団に行くことが決まりました。さらに上のレベルで、
どれだけ自分が通用するかチャレンジしてみたいです。いつか「日の丸」を
つけてみたいという目標もあります。がんばります!
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短大 保 健 体 育 学 科
佐藤史織さん(1 年)の場合
保健体育学科を選んだ理由
───やっぱりスポーツが好きですか?
小学生の頃からスポーツクラブに通って、インストラクターの方から指導を
受けていたんですが、その人を見ていて、自分も将来はインストラクターに
なりたいという夢を持つようになりました。
───スポーツインストラクターはどういう仕事ですか?
スポーツインストラクターというのは、スポーツジムやフィットネスクラブ、
スポーツクラブでエアロビクスを教えたり、スイミングを教えたり、スイミ
ングと合わせてマット運動などを教えたりする仕事です。学校の教員とは違っ
て、子どもから大人まで色々な年齢層の人々に教えながら、人それぞれに合っ
たアドバイスをします。
───ここを選んだきっかけは?
体を動かすことが大好きだったので、大学は体育大にしようと決めていまし
た。ただ、私は女子校出身なんです。女子だけの方が集中できると思ったので、
東女体短大の保健体育学科に決めました。短大を選んだ理由は、早く社会に
出てすぐに仕事をしたいと思ったからです。
授業の様子
───授業はどうですか?
机の上で勉強する授業もありますが、やはり実技が中心です。だから、いつ
もジャージを着て授業を受けているという感じです。実技では例えばバレー
ボールや陸上など、スポーツの種目一つ一つについて専門的に学ぶことがで
きます。特に自分が先生になった時に、授業ではこうやって教えるんだよと
いうように、実際に学生同士で先生役、生徒役になって教えあったりもして、
とても分かりやすく役立つ授業をしてくださっていると思います。
───定期試験はどうですか?
試験は、実技科目では授業の中で行うことが多いのですが、座学の定期試験
は前期と後期の 2 回あって、授業をきちんと受けていれば難しくないと思い
ます。ただ、先輩からアドバイス(過去問題・・・?)をもらったり、自分
23
で勉強したり、たぶん受験のときと変わらないほど勉強していると思います。
だけど、中学や高校のときの勉強や、受験勉強とは違って、将来、自分が社
会に出た時に役に立つことなのでとても楽しいです。
───資格などは意識していますか?
卒業したら、スポーツジムやフィットネスクラブ、スポーツクラブでインス
トラクターになりたいんです。だから、健康運動実践指導者やスポーツプロ
グラマー、ジュニアスポーツ指導員などの資格を取ろうとしています。ただ、
資格は、卒業すれば自動的にもらえるというわけではなくて、2 年生までに
必要な単位を全部取ってやっと、それぞれの資格を取るための試験の受験資
格が得られるというものです。特に、健康運動実践指導者になるための試験
は一番難しいと言われているので、1 年生のうちから授業をどんどん取って
いかないと間に合わないという感じです。
─── 2 年制の特徴は何ですか?
わずか 2 年間なので単位を落としている暇はありません。2 年生になると就
職活動もあるので、1 年生のうちから 1 日中授業に出ています。ただそれでも、
友だちと遊びに行ったりアルバイトをしたりと時間を作ってますが、もう少
し後になると授業や勉強が忙しくなってきそうです。
アルバイト
───アルバイトはやっていますか?
スポーツ系のアルバイトをしたいというのはあるんですが、将来希望する職
種と違う仕事をするのもいいなと思って、グッズショップの販売員をしてい
ます。雑貨が好きで、接客も好きなので今のショップでのアルバイトを選び
ました。自分の希望した通りに働かせてもらえる所なので、働ける時は週 3、
4 回はお店に出ています。
ふじ寮(学生寮)で生活
───寮で生活してるのですね
はい。私は秋田県出身で、1 人で上京しています。最初は、不安なところもあっ
たのですが、寮に入ったおかげで 1 人暮らしとは違って寂しくありません。
入学してすぐに友だちもできて、先輩とも仲良くなれました。何より、田舎
にいる親にも安心してもらえていると思います。
───寮のサポートは?
ふじ寮には寮生指導員さんが一緒に生活しているのですが、その方たちは東
女体大の卒業生ということもあって色々アドバイスをいただき、とても参考
になります。寮生の生活のことや、身の回りの安全についてなどとてもよく
してくださいます。大学まで歩いても 15 分ぐらいで通えるので、通学時間
もかからずにいいですね。食事も、体育大生のことをきちんと考えてくださっ
ています。カロリーはちょっと高め?かもしれませんが、私たちの大学だと
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ありがたいと思います。
───イベントなどはありますか?
寮のイベントは、4 月の新入生歓迎会や 7 月の七夕祭り、12 月クリスマス
集会など色々あって楽しいです。地方出身の方にはかなりオススメです。
ストリートダンスの活動
───部活動はどうですか?
小学校から高校までバレーボールをやってきたのですが、大学での部活はス
トリートダンス「ミディアム」に入っています。以前からダンスのような、
リズムのある運動にも興味があったんです。バレーボールは高校までの部活
動で、十分にやり切ったという感じがありましたし、大学に入ってからは何
か新しいことをと思ったんです。
───きっかけは何でしたか?
受験前のオープンキャンパスに来た時に、部活動を見学しました。そのとき、
ストリートダンスの練習を見て、あの大人数での踊りにすごく圧倒されてし
まったんです。なんか生き生きしていて、踊りの上手な先輩もいて、あぁ、
この人たちと一緒に踊れたらなと思ったんです。ひょっとしたらストリート
ダンスをやりたくて受験したって言えるのかもしれません。
───入部してどうですか?
何も道具を使わずに自分なりに色々な振りを入れて、音に合わせて自分自身
を表現できるのが魅力です。この大学は、体育が好きな人が来ていますから、
みんな上手です。中学や高校の時だったら、周りに気遣ってセーブしていた
ことも、ここなら遠慮せずに思いっきり表現できるんです。
───練習はどうですか?
練習は基本的には週に 3 回、昼休みにあります。公演が近くなると毎日、放
課後も練習します。他に何人かでチームを組んでイベントに出たりもして、
とても充実しています。現在、体育学部の 4 年生まで、部員は 60 人ほどいて、
もちろん体育会的な先輩、後輩の関係もあったりしますが、先輩たちは下級
生の区別なく同じダンスをやっているという目線で見てくれます。1 年生で
も上手な人は前列に出たり、学年ごとに踊ってみたり…。1 年生の中で誰か
が踊りを創ってということもよくあります。発表会は、卒業公演という形で、
今年は国立市の芸術小ホールを借り切って、チームごとに分かれて発表しま
した。家族や友だちがたくさん見に来てくれて、なんと満席になりました。
水泳実習
───保健体育学科には恒例の水泳実習がありますね
1 年生必修で全員参加です。私の学年では 80 人くらい参加しました。
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───水泳は得意ですか?
私は、スポーツクラブでスイミングをしていたので、水泳実習は余裕でクリ
アできると思ってました。でも、実際には全く違いました。海はプールと全
然違います。足は届かないし波がある。まずそのことに慣れていなかったので、
怖くて海に入った瞬間に全く泳げなくなってしまったんです。必死で浮き輪
につかまっていました。実習班は泳力別に分かれていて、自分の班はプール
の授業では泳げるグループだったのですが、海では泳げない人になってしまっ
て、先生から「ダメだなぁ〜!」と言われ、あやうく班も下げられるところ
でした。しかし、ウェットスーツを借りるなどして頑張りました。
───仲間との交流はどうでしたか?
まだ入学して間もない頃です。クラスの中でも何人かずつで固まってしまう
という時期だったと思います。でも、みんなが一緒になって 5 日間寝食を共
にしたので、全体の結束力が強くなったと思います。他のクラスの人とも交
流が広まり、同じクラスではどんどん仲が深まっていきました。
───指導の先生たちの印象はどうでしたか?
普段授業でしか関わらない先生方とも交流もできたのはとても貴重な経験
だったと思います。というのも、実は、それまではなんとなく苦手だなぁと思っ
ていた先生がいたんです。でもその先生に海で指導をしていただいて、厳し
さの中にあるやさしさにも気づき、決して私たちを見捨てることなく対応し
てくださって、実はきちんと見てくださっていた先生なんだなとわかりまし
た。
夏休み
───初めての夏休み、どう過ごしましたか?
夏休みはほぼ 2 ヶ月あり、私は 8 月のお盆休み前に秋田に帰省して、3 週間
ほど地元で過ごしました。地元では有名な大曲の花火大会に行ったり、友だ
ちと遊んだり、お盆には祖母の家に遊びに行ったり。のんびり、そしてぐう
たらと過ごしました。
───こちらにはいつ戻ったのですか?
9 月に入ってから、寮に戻りました。寮では、学期中の外泊は週に 1 回とい
う決まりがあって、外泊するときには事前に届けを出すのですが、夏休みや
冬休み、春休みの長期休暇中は外泊が自由なので、時々東京に住む兄の家に
泊まりに行きました。そして、短大の就職対策基礎講座が開催されていたの
でそれを受講しました。就職活動の基礎の基礎を教えていただいて、早いう
ちに就職活動のイメージができたので、受けておいてよかったと思っています。
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就職活動に向けて
───もう就職に向けた準備はスタートしましたか?
卒業後は、スポーツジムやフィットネスクラブ、スポーツクラブにインスト
ラクターとして就職することを希望しています。そのための準備としては、
まず、1 年生の夏休み中に開催された就職対策準備講座を受けました。その
講座は、体育施設のコース、一般企業のコース、教職のコースに分かれてい
ています。
───どの講座を受けましたか?
私は体育施設のコースを受講しました。講座では、何社かの企業の方が講師
としてお話をしていただきました。企業の説明や、就活にあたって必要な準
備とか進め方とか、エントリーの仕方や履歴書の書き方などを教えてくださ
いました。今、就活をする際、インターネットの就職サイトに登録するのが
当たり前になってきていますが、講師の方は、「何でもかんでも登録すればい
いというものではない」とおっしゃってました。「ネット上の手続きとかメー
ルをやりとりしてるだけで、就職活動をした気になってしまう」ということ
でした。つまり、自分が受けたいと思う企業をよく考えてからエントリーを
しなさい、というアドバイスだったのですが、早くから就職活動のイメージ
をもつことができました。
───すでに具体的な活動は始まっていますか?
その後、何社か面接を受けています。今は就職が厳しいといわれていますので、
たくさんの会社へのアプローチが必要なのかもしれませんが、私の場合はや
はりスポーツクラブ系でのエントリーに絞っています。大丈夫かなと不安に
思うときもありますが、まずはこのペースで就職活動を続けたいと思ってい
ます。
1 年間を振り返って
─── 1 年間を振り返って
普段は授業が詰まっていて、しかも就職活動も始まってと、大変だなと思う
こともありました。でも、入学前に自分はこんなことをしたくてここに来た、
と思っていたことはきちんとできているんじゃないかなと思っています。
───これまでの学びと何が違いますか?
高校までの体育では、体を動かせればいい感じでしたが、ここでは一つ一つ
の競技・種目を専門的に学ぶことができます。しかも各種目について何人も
先生がいらっしゃるので、さまざまな角度からアドバイスをいただけます。
この動きにはどういう意味があるとか、高校の時だったら部活でしか知るこ
とができないような専門的なことを授業で実際に体験して学ぶことができま
す。“ 運動好き ” としてはおもしろくてしかたがないですね。個人的な感覚で
すが、女子大なので、男性の目を気にしないで伸び伸びとできるのもいいで
すね。
27
倉知百合絵さん(1 年)の場合
◆保健体育学科を選んだ理由
───なぜこの短大を選んだのですか?
もちろん体育が好きだからということもあるし、高校の先生に相談したとき
に薦められたこともあります。でも、見学に来た時の学内のアットホームな
印象や雰囲気がいいなと思って決めたんです。
───実際に入ってそうでしたか?
はい。短大なので高校の時のように、クラスのみんなが、家族的な雰囲気で
いますので、安心した楽しさがあります。女子だけということもあって、男
子の目を気にしなくてもいいところも安心させてくれる部分かな。逆に女の
子らしさに欠けちゃうかな、と思う面もあるんですが…。それだけオープン
でいられるし、ざっくばらんなところが、やっぱり安心できるところですね。
水泳実習
───恒例の水泳実習はどうでしたか?
私は泳ぐのが苦手で、水泳実習の最初のクラス分けでは、泳げない方の下か
ら 2 番目のクラスでした。実習の最後には遠泳があるのですが、25 メート
ルがやっとというところで、息継ぎもうまくできないし、平泳ぎもできなかっ
たので、「絶対無理!」と思っていました。
───その状態で遠泳?
遠泳では 1 時間半ぐらい泳ぎ続けなければなりません。最初の頃は、足がつ
かないし、底が見えないのが怖くて、救命用のボートが近くにないと不安で
仕方がなかったです。でも、
「頑張れ!」
「気合だ!」とまわりから励まされて、
頑張った結果なんと泳ぎ切ることができたんです。一緒に参加した友だちも
同じチームにいて、「泳げない」と言いながらも、みんなが一緒にいてくれる
安心感によって頑張ることができたと思っています。
───先生の印象はどうでしたか?
実習に行った時の先生は、授業の時とは雰囲気がまるで違っていました。入
学してから水泳実習に来るまでは、先生に怒られても、「あの先生嫌い」なん
て陰で言ったりしたりもしました。でも、遠泳の時、いつも怖かった先生が
すごく優しくて、「頑張れ!」とすごく応援してくれるんです。あ、厳しさの
向こう側に優しさがあるんだということが伝わってきました。
───生活をともにするってどうでしたか?
一緒に寝泊りして、みんなで「おはよう」
「いただきます」という生活です。やっ
ぱり絆が強まりました。実習というのは、普段の大学生活にはないアクセン
28
トになって、すごくいいですね。
マリン実習
───この実習に参加した理由は何ですか?
水泳実習に参加して、遠泳もできて、海での泳ぎに自信がついたんです。そ
こで 9 月に伊豆で行われた 4 泊 5 日のマリンスポーツ実習に、同じクラス
の友だちと 5 人で参加しました。マリンスポーツ実習は必修ではありませ
ん。ただ、スクーバダイビングができる機会って、人生の中で今しかないか
なと思って参加しました。何より、学校が主催する実習ですし、水泳実習で
お世話になった先生方もたくさん関わっているので安心できるというのが大
きかったと思います。
───講習はどうでしたか?
実習では、まずスクーバダイビングについての学科講習を受けてから、プー
ルで潜る練習をします。そして本番で海に何度も潜りました。ウェットスー
ツや器材などは全部、大学で用意してありましたし、インストラクターの方
と大学の先生がついて下さいました。
───命にかかわるスポーツですよね?
私が受けたのは初心者コースでした。学科講習では、海への入り方や潜り方、
安全に潜るために必要な基礎知識、ダイブテーブルという潜った記録の付け
方など、細かく勉強しました。スクーバダイバーの資格をまず取るために必
要なことをメモにとって、ひたすら覚えました。
実際に潜るまでには、色々大変なこともありました。最初の頃はみんな、重
いボンベを背負って腰を曲げたまま歩いていって海に入るまでが大変でした。
またポンプをくわえているので口で呼吸をしなければいけないのに、どうし
ても鼻で息をしたくなってしまって、分かっていいるけど鼻で息ができなく
て苦しくて、自由がきかないことばかり。それから深く潜って何かあったら
どうしよう、と怖かったり。でも・・・、海の中に入ると本当に綺麗で、苦
しいのも怖いのも忘れてしまうほどでした。これは実際に潜ってみないと味
わえないと思います。すっかりハマってしまいました。
───印象的な講義はありましたか?
学科講習の中に「環境」というチャプターがあったんです。例えば、潜って
いて綺麗な貝殻を海の中で見つけたら、思わず持って帰りたくなってしまう
けれど、ダイビングをする人間は海のもの全てを大切にしなくちゃいけない、
だからその場で手に取って見てもいいけれど、持って帰ったらそこの生態系
が崩れてしまうから絶対にダメ、というテーマでした。ただのスポーツでも
ないし、観光のような遊びでもないし、海という自然と一体になって成り立
つスポーツなんだなと改めて気づかされました。
29
───いろんな学生が参加してるのですか?
この実習には学部の上級生も参加していました。私は部活に入っていません
ので、先輩たちとの交流もできました。それまでは、部活をガッチリやって
いる先輩は怖いというイメージがあったんですが、実際にはそんなことあり
ませんでした。朝のお茶出しなどは私たち下級生でやろうとしたんですが、
先輩たちも一緒に手伝ってくれたりして、みなさん、すごく優しかったです。
実習が終わって大学に戻ってからも、その先輩に会うと、お互いに「こんに
ちは」と挨拶を交わします。
───スクーバはこれっきりですか?
実習で資格を取ることができたので、個人的にもっと深く楽しみたいと思い、
その後浦安にあるインストラクターの先生の店まで行って、アドバンススクー
バダイバーの資格を取りました。いままでマリンスポーツには興味がなかっ
た私ですが、しかも泳げなかったはずの私なのに、この実習を受けたことで
趣味も広がりました。
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北山悠乃(1 年)の場合
◆水泳実習
───実習前は不安でしたか?
私、水泳は小学生の頃から苦手なんですよ・・・。川で遊んだりするのは問
題ないのですが、「泳ぐ」となると・・・気持ちが重くなりますね。将来、私
がバスケットを通じて学んだ様々なことを次世代の子ども達に伝えていきた
いという夢があり、ジュニアスポーツの指導員の資格取得を目指しているの
で、どうしてもこの水泳実習はクリアしなくてはならない必修科目でした。
正直あまり乗り気になれないけれど、クラスの仲間とこの実習を通して新た
な関係性が生まれてくるのではないかという期待を糧に奮起して参加しまし
た。
───辛い時こそ仲間の存在ですね。
想像以上にきついと思った初日。しかし、そんな私をやさしく励ます先生、
一緒に困難な課題に向き合う仲間との一体感は私の気持ちを前に向かせてく
れました。
なんとか遠泳も泳ぎきることができました。自身でもよくここまでがんばる
ことができたと思います。でも、みんながいてくれたから諦めずに泳げたの
だと思います。不安な気持ちを聞いて励ましてくれた仲間、泳ぎのコツや心
構えを丁寧に指導してくださった先生…。そんなコミュニケーションとチー
ムワークの力があったからこそ、この達成感を味わえたのだと実感していま
す。
生きていく上で、苦手なことでも嫌な事でも避けられない宿命みたいなもの
は必ずあると思います。「資格をとりたい」という気持ちがあるのならば、ぜ
ひチャレンジを!一人じゃできないチャレンジだからこそ、大きな価値があ
ると思います。水泳実習、楽しかったです!
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金井未来(2 年)の場合
この短大を選んだ理由
───なぜこの短大を選びましたか?
東女体短大を選んだのは、東女体大のソフトテニス部に入りたかったからで
す。中学、高校とずっとソフトテニスをしていたのですが、大学でもっと専
門的に教わりたいと思っていました。母もスポーツが好きなんですが、「東女
体大はインカレで 6 連勝もしているよ」と教えてもらいました。そしてソフ
トテニス部の先生がお書きになった本も読んで、この先生にテニスを教わり
たいと思ったのです。
部活動
───部活動は?
中学・高校とソフトテニスを続けていて、もっと専門的にテニスをしたいと
思ったので、もちろんソフトテニス部に入りました。
───入部して憧れの監督はどうでしたか?
オーラが違います(笑)。やはりすばらしい先生でした。ちょっとしたアドバ
イスで、自分がうまくなれるとすごく元気になれるのです。東女体大のソフ
トテニス部って、インカレで 6 連勝もしているところですから、入る前はす
ごい人ばっかり来ているんじゃないか、私はついていけないんじゃないかと
いう不安もありました。実際に入部してみたら、確かに高校の時にインター
ハイで上位に入っていたような人もいましたが、自分と同じようにあまり成
績を残していなかった人たちもいました。けれども、そこからぐんと伸びて
力をつけていくのです。練習も単調ではなく、色々工夫された練習なので楽
しいです。
───部活動から学ぶものはありましたか?
厳しい時はもちろんあります。でも、仲間が多いのでお互いに支えあってい
ます。ソフトテニス部に入ることによって、言葉づかいや礼儀など、技術だ
けではなく、社会に出ても通用するような人を部全体で育てていくという雰
囲気があります。高校の時と比べると大きく成長できたのではないかと思い
ます。また、教師になって自分が指示をしなければならない立場になった時に、
必要な指導力を身につけられるよう、ソフトテニス部の活動を通じて頑張っ
て行きたいと思っています。
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編入学という選択
───なぜ編入することにしたのですか?
私はもともと、中学校の教員になりたくて保健体育学科に入学しました。中
学の 2 種教員免許は取得できましたが、高校教員の免許も取りたいと思った
のと、部活のソフトテニス部でもう少し学びたいと思ったので、1 年生の時
に編入学試験を受けることに決めました。試験は小論文です。編入学試験用
の募集要項に入っている過去問題集を参考にしながら、小論文を何度となく
書きました。グループ担任の先生に見ていただき、文章の組み立て方などを
教えていただいたり、添削していただいたりしました。短大の保健体育学科
で教職をとるために授業に出て、部活のソフトテニスも頑張って、編入学試
験の準備もしてと、大変な思いをしましたが頑張りました。学部に入ってか
らはさらに専門科目の授業で大変だと思いますが、ソフトテニス部のレギュ
ラーにもトライ、勉強と部活を両立させていきたいと思っています。
33
柴田美咲(2 年)の場合
この短大を選んだ理由
───なぜこの短大を選んだのですか?
小さい頃からスポーツが好きで、高校の時にはバスケットボールをしていま
した。将来、インストラクターのようなスポーツを通して人と接する仕事に
就きたいなと思っていたんです。当時は、高校を卒業したらすぐ就職しよう
と思っていて、スポーツジムに話を聞きに行ったり、見学させてもらったり
していました。でも、もう少し、専門的な知識を深めてから社会に出たいと思っ
て、2 年間で多くのことを学べる短期大学を選んだんです。
授業の様子
───授業はどうでしたか?
私は教職課程をとり、資格も取れるものは全部取ろうと思ってがんばりまし
た。おかげで、1 年生の時は、本当に授業がびっしり詰まっていました。定
期試験の勉強も量が多くて大変でしたし、レポートなどの課題も一気に集中
する時期がありました。自分でも、ちょっと詰め過ぎたかなと思ったのですが、
2 年間しかないし、今しか自分のやりたいことに挑戦できないので、頑張ろ
うと思いました。
部活動
───部活動は何をしましたか?
部活は合気道部に入りました。高校の頃はバスケットボール部に入っていま
した。正直、あまり強くない部で、県大会でも 1 回戦か 2 回戦どまりでした。
ですが、私自身、バスケは大好きでしたし、ここに来てからもバスケ部にと
いう思いもあったんです。
───でも入らなかったのですね?
正直、私にとってはハイレベルすぎて、技術的についていくのが無理だと思
いました。そこで、新しいことやってみようかな、と思ったんです。元々、
武道にも興味があったので、合気道部に入部しました。合気道部は見学に行っ
て、やってみたいと思ったところだったんです。
───日々の練習はどうでしたか?
合気道部は、練習が週に 3 日だけでした。私は 1 人暮らしでアルバイトとの
両立もしなくてはならなかったので、練習のペースは私の生活にとても合っ
ていました。でも、練習そのものは意外にハードでした。この大学は、普通
の大学とは違って、みんな運動が好きという人たちが集まります。基本的に
素地がある人が多いので、合気道でもみんな上手です。練習もガッツリとや
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ることが当たり前なんです。
───徐々にハードになっていったのですか?
最初の頃は基本的な技をくりかえしてばかりでした。あまり動くこともなかっ
たので「物足りないね」なんて話していましたが、徐々にレベルが上がるに
つれて、もうダメだと思うこともありました。
───大会もあるのですか?
合気道の大会は年に 2 回。競う試合ではなくて、型や技を見せて評価される
ものです。これまで体験してきた球技と違って勝敗がないので、何を目標に
していいのか、迷った時もありました。しかし、最終目標としての「黒帯」
を意識しだした時に、きれいに技を入れるということの難しさに気づきまし
た。練習のたびに自分で動きのここを直そうとか、細かいところを意識して
やってみようなど、自分の体の動きと向き合いました。
介護等体験
───学外での実習体験もありましたか?
中学校の保健体育教員免許を取得するために、介護等体験実習を受けました。
1 年生の 10 月に社会福祉施設、11 月に特別支援学校に行きました。
───どんな実習でしたか?
社会福祉施設の実習では、障害者施設に 5 日間通い仕事のお手伝いをしたり、
一緒に食事介護をしたりしました。障害者施設には私より年上の方も年下の
方もいました。日頃、こうした施設を訪れる機会がなかったので、最初はと
ても戸惑いました。障害者の方に言葉が通じないのも辛かったし、相手は何
かを伝えようとしてくださるけれども、それが理解できずもどかしい思いを
するばかりでした。どうしてあげていいのか分からなくて、とにかく優しく
接することしかできませんでした。
───そこで働く方から何を学びましたか?
施設で働いている方々は障害者の方への対応が丁寧でしかも的確でした。年
齢の区別なく親身になって愛情を注ぐように介護されています。思いやりの
気持ちも伝わってきて、「相手の気持ちを読み取る力ってすごいなぁ」と、私
もあんなふうになれたらいいなという気持ちになりました。特別支援学校に
は、11 月に 2 日間行きました。内容はスポーツ系の授業のサポートするの
ですが、マラソン大会の練習で子どもたちと一緒に走ったりしました。今度
は子どもたちが相手だったので、その子たちから色々なことを教わりました。
教育実習
───実習校はどこに行きましたか?
自分が卒業した中学校に 3 週間行きました。担当したのは体育の授業とホー
ムルームです。担任の仕事も務めさせていただきました。
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───うまくいきましたか?
中学生たちは、正直、生意気だなと思うこともありましたが、でも、やっぱ
りかわいいなという存在でした。でも、最初のころは生徒とのコミュニケー
ションが全然取れなくて、どうしていいか本当にわからなくなっていたんで
す。そのまま時間だけが過ぎていっていて、1 週間がちょうど終わるころに、
ある体育の先生に、「お前は実習の最後の日、生徒たちと離れる時に何も感じ
ないままでいいのか?泣くこともないまま帰れるのか?」と言われたんです。
つまり、生徒たちと思い出をたくさん作って、それがあり過ぎて最終日に泣
いてしまうほど、生徒たちの心の中に入り込んでいるのか、というお叱りの
言葉だったんです。自分でもちょっと入り込めていないと気づいていました。
───そこから変わりましたか?
はい。その先生の言葉で、「ダメでもいいから、とりあえず積極的にいこう」
と思って動くようになりました。その次の週から、たとえ相手にされなくて
も積極的に声をかけるようにしました。それまで休み時間は、実習室に帰っ
てしまっていたのですが、外に出て生徒と一緒に走り回るようにしました。
すると、生徒たちの反応も変わってきて、最初のうちは私のことを嫌がって
いた生徒たちも逆にどんどん来てくれるようになったんです。なんだか壁を
乗り越えたようで、とても嬉しかったです。
───こちらが変われば相手も変わる?
生徒たちは、こちらの努力に対して良くも悪くも素直に反応してくれること
が分かりました。けっこう意地っ張りな生徒や、わがままな生徒もいましたが、
きちんと言葉にして伝えようとすれば、心を開いてくれます。そういうとこ
ろは、生徒だからこその素直さですごいと思います。最後はもう少しみんな
と一緒にいたい、もっとみんなから勉強したいという気持ちで一杯でした。
───実習担当の先生からも学ぶことは多かったですか?
はい。指導を担当していただいた先生は大ベテランの先生だったので、本当
に勉強になることばかりでした。自分から全部教えるのではなくて、生徒に
考えさせるということを大切にされていました。とても厳しいのですが、で
もなぜか生徒はちゃんとついていって、クラスもまとまりがありました。
───たくさんのことを学んだのですね
私は、教育実習に行く前は主張できない性格だったと思います。でも、やは
り言わないと分からないこともあります。例えば友達関係でその人のために
言わなければならないことがあっても、なかなか辛くて口に出せなかったけ
れど、それがはっきり言えるようになりました。それに、今まではこうした
いと思っていても何か踏み出せないところがあったのですが、自分から進ん
でできるようになりました。
───コミュニケーションの仕方が変わったのですね
結局、私は教職には就きませんでした。スポーツジムに就職を決めましたが、
就職活動にも教育実習の体験が活きて、「これからはもう何でも頑張れる!」
36
という気持ちになっていたことはプラスだったと思います。実習の授業を通
じて、人との接し方や指導の仕方が具体的にイメージできるようになったの
で、就活の面接の時に、「どんなふうに指導していきたいですか?」「どうい
う指導者になりたいですか?」という質問にも、パッと答えることができま
した。教育実習での体験は、自分の人生にとっての大きな転機になったと思
います。
就職活動を振り返って
───いつぐらいからスタートしましたか?
1 年生の終わりから就職活動を始めました。スポーツジムなどの体育施設を
希望して、2 社の面接を受けたのですが、どちらも落ちてしまいました。教
職課程もとっていて、2 年生の 6 月に教育実習があったので、その間は実習
に集中することにして、就活は実習の後で考えることにしました。
───教育実習の後に気持ちの変化はありましたか?
実は、教育実習は私にとってあまりにも大きな体験でした。先生になりたい
という気持ちに傾いて、先生になるために大学へ編入しようかと夏休みの間
悩みました。しかし、じっくりと考えた結果、実習生だったから許されるこ
ともあったでしょうし、生徒も実習生だからお姉ちゃん感覚で接してくれた
ということもあったのではと思いました。職業にするというのは、また違う
部分もあると思って、当初から目指していたスポーツジムへの就職に絞ろう
と決めました。
───気持ちを切り替えたんですね
まずは、地元大手のフィットネスクラブやスイミングクラブを回ることにし
ました。しかし、正社員で採用してもらえるところは少なく、アルバイトやパー
トからという形がほとんどでした。そこで、正社員から採ってもらえるとこ
ろはないかと、社員募集をしていないところにも片っ端から電話をかけて聞
いていきました。実は、採用が決まったのは、その中の最後の一社だったん
です。ジムを見学させていただき、いろいろお話も聞いて、「ぜひ面接を受け
させてください!」とお願いしました。本当はすぐ来てくれるならというこ
とだったらしいのです。その時はまだ卒業してないので難しいと言われまし
たが、とりあえず面接に来るように言われました。面接を受けてお話させて
いただいたところ、「いいでしょう、卒業まで待ちましょう」という返事でし
た。ようやく決まって、もう最高に嬉しかったです。
───ずいぶん積極的だったんですね
教育実習で、積極的に語りかけることの大切さを学んだことも大きかったと
思います。あの体験がなければ、ここまで積極的に動けていたかわからない
です。また、大学の就職課の方々にも大変お世話になりました。エントリーシー
トやお礼の挨拶状の書き方、添削といった基本的なことから丁寧に教えてく
ださいましたし、就職講座では外部講師の方に、面接のシミュレーションも
していただきました。とても有り難かったです。
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───どんなインストラクターになりたいですか?
技術的にはまだまだこれからです。でも、常に笑顔で、みんなに元気を与え
られるような、その人の生き甲斐のサポートをしていけるようなインストラ
クターになりたいと思っています。
─── 2 年間を振り返ってどうでしたか?
卒業も間近になった頃、大学から、私が卒業式の総代に選ばれたという通知
をいただきました。両親も自分自身も、
「えっ? 何で?」って信じられなかっ
たのですが、自分の好きな体育やスポーツに関する勉学だったので、自然に
頑張ることができた結果だと思います。楽しく充実した 2 年間でした。
───後輩や受験生の皆さんへ一言どうぞ
短大は授業が詰まっていて大変かもしれません。けれども、私自身、2 年間
を振り返ってみて、本当に辛かったけれど、今まで自分がやってきたこと、
苦労してできたことが全部つながってきていると思います。今は東女体短大
に来て、本当によかったと思っています。
受験生の皆さん、東女体短大に来たらとりあえず、やれることは何にでも挑
戦してみてください。大変だけれども、それを乗り越えるともっといいこと
があります。学ぶこともたくさんあります。やって損することはありません。
自分にとってプラスになることばかりのはずです。頑張ってください!
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短大 児 童 教 育 学 科
関口ひとみさん(1 年)の場合
児童教育学科を選んだ理由
───児童教育学科を選んだ理由は?
子どもが大好きなんです。中学の時に一度、体験学習で幼稚園に行った時か
ら幼稚園の先生になりたいと思っていました。受験前になって、どの大学を
受けようか迷っていたのですが、他の大学は幼稚園の教員免許だけ、という
ところが多かったんです。でも、それだと一つに絞られてしまうようで…。
───可能性は広げたいですよね
そこで、高校の先生に相談したら、東女体短大の児童教育学科だったら幼稚
園と小学校の両方の教員免許が取れるよ、と教えていただいたんです。それ
で決めました。
───今も幼稚園の先生になりたいという気持ちですか?
入学して 1 年経ちました。幼稚園の先生と小学校の先生では子どもたちに教
える内容も違うことがわかってきました。本当に自分が関わりたいのはどっ
ちなのかなーと、考えるようになったんですね。いろんな人の意見も聞いた
りして、自分でも小学校の先生の方が向いているんじゃないかなと思うよう
になりました。
───じゃあ今は小学校の先生に・・・?
そうですね。なので、一つに絞らずいたのは本当によかったですね。あと 1
年間で卒業です。もちろん幼稚園の教員免許もしっかり取りますよ。でも、
小学校の先生をめざして、もっともっと勉強しなくては、と思っています。
学びのスタート─ユニット選択
───ユニットの選択はどうしましたか?
小学校と幼稚園の教員免許を両方取ることができる「こどもユニット」を選
択しました。
───実際の授業はどうですか?
小学校で行う全教科の教材研究という授業があるんです。自分が小学校にい
た時に受けた授業を、教材の研究という形で学びなおします。どのように子
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どもたちに教えたらいいのか、学習指導要領にはどのような決まりがあるの
か、それぞれの教科について学ぶことができます。やっぱり習ってきた立場
と違っておもしろいです。
───この大学ならではの特徴はありますか?
児童教育学科といっても体育大学なので運動が好きという人が多いです。経
験者もいて、それぞれがやってきた種目も違って、自分の得意なことを教え
合ったりしています。お互いに刺激し合いながら楽しくやっていけるという
良さがあるんじゃないかなと思います。あと、短大生だけではなくて、四年
制の学部から小学校の教員免許を取るために授業を受ける科目等履修生たち
もいます。4 年生や 3 年生といった先輩たちと一緒に授業を受けますので、
いろんなことを聞いたりできます。
普段の生活
───やっぱり忙しいですか?
正直、授業はかなり詰まっていて大変です。ほぼ毎日、1 限目から 4 限目ま
であって、終わるのは夕方。
私は授業に休まず出たいと思っているので、やはり忙しいです。
───試験はどうですか?
前期と後期の終わりに試験があって、やはり大変だけど、ちゃんと授業に出
て内容を理解していけば大丈夫です!
───部活動は?
ここには、部活動に取り組んでいる学生がたくさんいます。ただ、私は部活
動には入らなかったんです。小学生のときからガールスカウトに入っていて、
今もその活動を続けているんです。他にピアノと書道もありますし。
特にガールスカウトは、今では自分の居場所がそこにあるという感じなんで
す。子どものころは参加する立場だったのが、大学生となった今はリーダー
として自分が教える立場になっています。受験の時もやめようとは思わなかっ
たし、これからもやめずに続けていくつもりです。部活にも興味はありまし
たが、やはりこっちの時間を大切にしたいと思ったんです。
───アルバイトはしてる?
週に 3 〜 4 日、飲食店で午後 6 時ごろから働きますので、家には遅くに帰
るということが多いです。週末にはガールスカウトなどの活動もあるし、な
かなか家でゆっくりできません。お母さんにはちょっと申し訳ないと思って
ますが…。
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夏休み
───長い夏休み、何をしていましたか?
ガールスカウトに入っているので、地区の集会や夏祭り、地域のボーイスカ
ウトとガールスカウト合同のキャンプなど、いろいろな行事に参加していま
した。
例えば、お世話になっているボーイスカウトの隊長さんに誘われて、あるボ
ランティア団体が主催する自閉症の子どもたちとの 2 泊 3 日のキャンプに
行ってきました。
───アルバイトは?
空いてるときはなるべくアルバイトをしていました。学費を親に出してもらっ
ているので、負担をかけたくないなと。結局、休みだけど、普段と同じよう
に忙しい夏休みでした。でも、充実していましたよ。
フレッシュマンセミナー(野外活動実習)
───学生で寝食をともにするフレッシュマンセミナーはどうでしたか?
入学して授業は一緒に受けたりしていても、まだ打ち解けていません。だか
ら、この野外活動実習に参加して、みんなで一緒に生活して活動したことで、
距離が近づいたと思います。
───どんなことをするのですか?
みんなで一緒にグループ討議をしたり、ゲームをしたり、野外で料理を作っ
たり…、ですね。クラスメートとの仲も深まったと思います。自然体験活動
のロープワークなど、仲間と協力して何かをするというプログラムが多く含
まれているので、みんなと一つになれるという楽しさがありました。どこま
でが自分のできるところなのかを考えたり、友だちに教えてもらったり、逆
に自分が教えられるところは教えたりと、お互いにいい刺激があったと思い
ます。
───意外な友達ができたりしましたか?
それまであまり喋ることがなかった人とも喋るきっかけがつかめたりして、
もっとみんなと一緒に泊まりたかったなと思っています。
就職活動、教育実習を前にして
───あっという間の 1 年間。もう就職は意識していますか?
入学したときはまだまだ先のことだと思っていた就職活動も、1 年生の前期
が終わるあたりから友だちや先生との間で自然と会話に出るようになりまし
た。
私は小学校の教員になりたいと思っています。教育実習は 2 年生になった 6
月あたりに行われます。1 年生の後半あたりには、希望する教育実習校に電
話をしたり、実際に訪問させていただいて授業参観をしたりしています。
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───これまでと違った忙しさになりそうですか?
スケジュールがどんどん埋まっていくという感じです。ついこの間高校を卒
業したばかりで、子どもたちに教えに行ってもいいのかな?という不安もあ
りますが、「今だからこそ教えられることがあるんだよ」と先生や先輩たちか
ら言われています。やっぱり楽しみです。
先輩たちの創作オペレッタを観て
───来年は自分がやることになるけど、観てどうでしたか?
実は、入学する前に一緒に面接を受けた友だちと見にいったんです。ですから、
今年で 2 回目の鑑賞です。今回は、普段お世話になっている先輩も出演して
いましたので、感動も大きかったです。
───正直、楽しみなのでしょうか?
先輩たちや先生方から、夜まで練習したり、学校に泊まりこんだりして大変
だよ、という話をたくさん聞きます。来年は自分が出るわけですから、不安
もあります。でもやっぱり楽しみですね。
1 年間を振り返って
───入学して 1 年が経ちましたが・・・
あっという間でした。のんびりしていると、どんどん課題もたまっていきま
した。でも、このスピードに慣れていれば、社会に出た時に役に立つかも、
なんて思ったりもします。
───仲間との出会いはどうですか?
同じ目標を持った仲間と一緒に勉強することができて、自分も頑張らなきゃ!
という気持ちになれます。落ち込んでいる時にも励ましてくれる人がいる、
逆に、落ち込んでいる人がいたら、一緒に頑張ろうよ、と口に出して言える
環境ができました。
───成長は自覚できましたか?
振り返ってみて、入学した頃よりも自分が何をしたいのか、何をやらなけれ
ばいけないのかという意識は高まっていると思います。この大学の先生方は、
私たち学生の一人ひとりを見てくださっているので、「ここはいけない」とい
うことも含めてアドバイスをしてくださいます。そして、友だちや先輩たち
とお互いにいろんな話をしていく中で、何をしたいのか、何ができるのかと
いう可能性がどんどん広がっているように思います。
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伊藤このみさん(2 年)の場合
児童教育学科を選んだ理由
───なぜこの短大の児童教育学科にしたのですか?
母が幼稚園の先生だったこともあって、小さい頃からずっと幼稚園の先生に
なることを夢みていたからです。それに、私はとにかくスポーツが大好き!
なんです。だから、体育大にある児童教育学科ということで、東女体短大を
受験しました。今、運動が嫌いな子どもが増えているって聞きますが、そう
いう子どもでも体を動かすことは楽しくて、やってみようという気持ちを育
てられるような先生になりたいです!
───どんなスポーツも好きですか?
小さい頃からサッカーや、テニス、陸上、柔道、空手、剣道と、色々なスポー
ツをやってきました。今でもサッカーはクラブチームに所属して続けていま
す。
学びのスタート─ユニット選択
───ユニットはどう選びましたか?
最初は、幼稚園教諭以外に、小学校の教員免許も取得できるユニットにしよ
うかと悩みました。でもやっぱり、幼稚園の先生になりたいっていう夢は変
わらないだろうな、と思ったので、幼保ユニットに決めました。このユニッ
トだと、保育士になるための国家試験を受けるための科目もありますから。
───どんな授業が好きですか?
この大学の授業は実技系の授業が多いので、スポーツ大好きの私は授業がと
ても楽しみでした。ただ、それだけではないですね。実技系以外に面白かっ
たのが心理学でした。子どもが好きといっても、子どものことをよく知らず
にいたんだなって気づかされたというか…。子どもの心理、育ちの背景など、
いろいろなことを学ぶことができました。実際に、教育実習で幼稚園の現場
に行きましたが、子どもの心理という視点を、授業を通して持つことができ
ていたので助かりました。
教育実習(幼稚園)
───どこの園に実習に行ったのですか?
幼稚園の教育実習は、2 年生の 6 月に 4 週間、自分の卒園した園でさせてい
ただきました。私が園にいた頃の先生たちがそのままいらっしゃってびっく
りしました。おかげで、とっても親しみやすくて、毎日の実習が本当に楽しかっ
たです。
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───どんな園でしたか?
実習先の幼稚園は、子どもたちに競争をさせるのではなく、遊びを通して成
長していけばいいという考えを持った園でした。幼児期には、読み書きや英
語などを教え込むよりも、まずは遊ぶことが大事。小学校より後で、嫌でも
順位がつけられます。一人ひとりが主役だという考えが、私も共感できました。
おかげで、実習中は教えるというよりも、ずっと子どもたちと一緒に遊ぶこ
とができました。園には満 3 歳児クラス、年少、年中、年長と 4 クラスあり、
1 週間ずつ、それぞれのクラスで実習させていただきました。毎週金曜日には、
次の週から違うクラスに移ると思うとそのたびに泣けてきました。
───印象的な出来事はありましたか?
この園では、発達が遅れている子でも、普通のクラスに入っていました。重
度の子であってもです。その子がいるからこそ、クラス全体でサポートする
優しさがあったように感じます。中には、勝手に外に出てしまう子どももい
ました。でも誰も「ダメだよ」と言いませんでした。私はその子について一
緒に遊んだりしました。その子は、いつも同じ時間になると勝手に外に出て
砂場の上で寝っころがっていました。私も一緒に寝っころがりました。すると、
空の雲がとてもきれいに動いていることに気がついたんです。「あぁ、この子
はこれが好きなんだなあ」とその時わかりました。
───絵本が好きだそうですね
そうです。絵本が好きで、自分で描いたりもします。自作の絵本を子どもた
ちに読み聞かせもしました。絵本が大好きな子がいて、絵本を動かしてすご
く楽しそうにしていました。私も一緒に動かしたら、絵本の中の絵が動いて
いるように見えたりして、そうかあ、これが楽しいんだなあと気づいたり…。
───子どもたちと別れるのは辛くなかったですか?
実習の最後の日に、年長クラスの男の子がお花の種を持ってきて、「先生、こ
れ一緒に埋めようよ!」と誘ってくれたんです。「いいよ」と言って手伝いな
がら、「これ、何の花が咲くの?」と聞いたら、その子は「わかんない!」っ
て言うんです。「どうしてわかんないの?」と聞くと、「だって、今日、先生、
お別れでしょう。何の花が咲くか分かんないから、お花が咲く頃に先生はきっ
と戻ってきてくれるよね!」と…。たぶん、子どもなりに一生懸命考えたん
だと思います。もう涙が溢れてきちゃって…。今でも思い出します。
就職活動
───就職活動に迷いはなかったのですか?
教育実習が終わり、10 月ごろに幼稚園教諭の採用試験が各地であります。
私の場合、とてもありがたいことに故郷の幼稚園で教育実習の時、「ぜひ来て
ほしい」と言ってくださったんです。でも、卒業して故郷に戻るか、このま
ま東京で就職するかということにすごく悩みました。
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───東京には何があったのですか?
私はずっとサッカーをしてきて、クラブチームにも入ってます。サッカーを
高めたいという気持ちが今もあるんですね。所属しているチームの中で必要
とされるプレーヤーでいたいと思っているんです。やっぱりどこまでもうま
くなりたいし、自分の知らないサッカーがまだいっぱいあるし…。
───どういう選択をしたのですか?
東京で幼稚園を探そうとして、いろいろなところを見学したら、子どもと一
緒にサッカーができる幼稚園が見つかったんです。クラブチームの活動のこ
ともお話して、そうした活動を続けていくことにも理解を示していただきま
した。採用試験を受けて 11 月に合格、本当にうれしかったです!
───どんな先生になりたいですか?
就職活動では、たくさんの幼稚園を見学しました。それぞれの幼稚園で教育
方針がかなり違っていて、いろんな考え方があるんだと思いました。いろい
ろな保育観を学びながら、自分なりの先生像をもてるようになりたいですね。
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岩上ゆにはさん(2 年)の場合
児童教育学科を選んだ理由
───この短大学を選んだのはどんな理由ですか?
実は、母が東女体大の体育学部を卒業しているんです。その母に勧められた
というのが大きかったです。私は、母が大好きでとても尊敬しているんです。
だから私も受けようと思いました。それに、中学と高校でミニバスケットと
バレーボールをしていました。体を動かすことがやっぱり好きでした。
───将来のことも考えてのことですか?
はい。2 年間で小学校と幼稚園の両方の教員免許を取ることができるという
のも、大きな理由ですね。小さい頃からの夢が幼稚園の先生になることでした。
でも、私が中学生の時に、高校の教員をしていた母が小学校の教科指導を始
めて、その話を聞いていくうちに、小学校の先生もいいなと思うようになり
ました。それ以来、ずっと幼稚園の先生と小学校の先生と両方諦めきれずに
いました。2 年で両方の免許が取れるというのは大きかったです。
教育実習(小学校)
───教育実習校はどこに行きましたか?
教育実習は、母校である地元の小学校に行きました。母も同じ町内で教師を
していたこともあって、知っている方もいらして、とてもよくしていただき
ました。校長先生も担当したクラスの担任の先生方もとてもすばらしい方ば
かりで、毎日充実してとても楽しく過ごせました。
───子どもたちの反応は?
受け持ったのは 3 年生のクラスでした。前半の 2 週間は教室の後ろで授業参
観をして、残りの 2 週間で実際に授業をしました。最初の頃は、人なつっこ
い子はすぐに自分のところに来てくれますが、引っ込み思案だったり、照れ
屋さんだったりで、なかなか心を開いてくれなくて難しい子もいました。け
れども、こちらから話しかけていったり、毎朝挨拶をしたりすることで、少
しずつ警戒心を解いていってくれたようです。休み時間になると校庭に出て
みんなで一緒に鬼ごっこをしたり…。みんなで遊んで触れ合うなかで、気持
ちもほぐれていったと思います。1 週間ぐらいで子どもたちに受け入れられ
たようです。
───授業の手ごたえは?
ほぼ全教科、1 日に 2、3 時間を受け持ちました。それまでアルバイトとして、
塾で教えたり、体操教室で球技を教えたりしていたので、人前で話したり教
えることは苦手ではなく、緊張はありませんでした。でもやっぱりベテラン
の先生の授業では子どもたちの集中の仕方が違いました。どうすればこちら
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に注意を向けてくれるのか、授業を受け持ってから最初の 1 週間は難しかっ
たです。自分で授業をしてみないと分からないことを学ぶことができたと思っ
ています。
───先生たちとは何を話したのですか?
職員室では先生方とクラスの子どもたちについて、1 日の様子などよく話を
していました。教師になったきっかけや、ご自身のお子さんのことなど色々
な経験談を伺うこともできました。教員採用試験の勉強の仕方や面接の仕方
なども教えていただき、時には「教育とは」という深い話までお聞きするこ
とができました。
───やはり現場に行くと学びは深いのでしょうね
大学での学びと、教育実習の現場での学びは、まったく違うものだと実感し
ました。子どもの現状はやはり自分が体験しないと分からないですし、実際
に自分が教壇に立って授業をしてみて、何ができないのか、子どもが話を聞
かない時にどうすればいいのか、といったことは大学の授業では学べないと
思っています。実は、実習最後の日に、授業参観がありました。学年全体で
保護者の方も含めてレクリエーションをしました。子どもの親御さんの顔を
見ることができたのもいい経験となりました。現場だからこそ学べたものが
多かったと思います。
就職活動
───採用試験はどうでしたか?
やはり簡単にはいきませんでした。私は埼玉県の教員採用試験を受けました
が、望んだ結果にはなりませんでした。関東では採用試験がほぼ同じ日にあ
るので、他の都県を受験することはできません。それで、臨時採用の登録を
することにしました。
───それはどういう採用内容ですか?
休職することになる教員の代理として採用されるのが、臨時採用です。臨時
採用になるためには、教育事務所に行って登録用紙を出し、臨時採用として
登録するかしないかを決める面接を受けて判断されます。登録されればいく
つかの市町村の教育委員会から連絡が来て、どこの市町村にするのかを決め
るのです。
私は、西部教育事務所に登録用紙を提出して、しばらく待って、1 月の上旬
に面接をするという連絡をいただきました。教員採用試験と同じような面接
を受けて、登録してもらえました。その後、地元の教育委員会の臨時採用が
決まったんです。
───でも本採用に向けてまだ勉強が続くのですか?
そうなんです。臨時採用が決まってホッとしましたが、やはり本採用に向け
た採用試験のための勉強です。合格するのは難しくて、10 回受けてやっと
受かったという先生もいらっしゃいます。まだまだ勉強は続きますが、絶対
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にがんばります!
創作オペレッタについて(伊藤このみ&岩上ゆには)
───児童教育学科の卒業公演である「オペレッタ」についてお二人にお聞
きします
岩上 2 年生の最初から 1 年間を通して、音楽表現という授業の中でオペレッ
タを構築していくために必要な様々なことを学びます。
───準備が始まった頃はどう感じていましたか?
伊藤 私たちは 1 年生の時に一度、先輩たちの公演を見ています。正直いっ
てはじめのうちは、オペレッタといってもたぶん大丈夫だろう、ぐらいに軽
く考えていたところがありました。でも、夏休みが終わったあたりから「ちょっ
とこれは大変だぞ…」と。何もかも自分たちでやるんですが、企画や話の内
容を決めて企画係や衣装係、マネージャー、小道具係や出演者の役が決まり
始めてくると、その大変さを実感しはじめたんです。
───伊藤さんは何の役割を?
伊藤 私はマネージャーの役でした。その仕事は、全体的な進行管理や練習
場所の確保でした。各クラブの練習場所を借りるのですが、オペレッタの練
習で使用させてもらえるよう、各クラブに頭を下げてお願いし予定を調整し
ました。そして教務課や学生課に行って許可をもらうのです。
───岩上さんは?
岩上 私は代表だったので、全部の活動を把握して指示も出さないといけな
い立場で…。係ごとの活動に全部顔を出して、各係で話し合われたことを全
員に説明をして、そこで出された意見をまた各係に戻して検討してもらった
り…、そして、練習内容も結局、先生と相談をして決めたりで、大忙しでした。
───それをみんなでやるわけですね
岩上 練習と言っても、放課後ですから、一人ひとりの都合もあって、全員
が揃う日というのはほとんどありません。やっぱり考え方の違う人もいるし、
決まったことに後から批判する場面もあります。途中、何度も言っているの
に自分から動いてくれない人に怒ってしまい、そのまま黙って帰ってしまっ
たこともありましたよ。一人だけで、自分で責任を持ってやればできること
とは違って、多くの人間が同時に動くというのは大変なことなんだと実感し
ました。
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───でも、作品になるにつれて…
伊藤 最初は簡単だと思っていたことがとても難しくて、不安に思うことも
たびたびありました。けれど、オペレッタがどんどん完成していくのを見て
いくうちに、やっぱり楽しくなっていきました。普段はあまり話さない人とも、
「もっとここはこうした方がいいんじゃない」、「いやこうした方がいいよ」と
か言い合っているうちに、相手の意思も分かってくるようになって…。
岩上 それぞれが意見を言えるようになって、そうしていくうちに毎回、そ
の前よりも少し進歩したものができていきましたよ。自分たちが頑張って作っ
ているものの形が見えてくると、間に合わせでできたオペレッタではなくて、
みんなでいいものを作りたいと、全員が一つの方向に向かって頑張れるよう
になりました。
伊藤 オペレッタ公演の当日は、始まる前から、幕が降りている舞台の上で、
「これで最後なんだね」「もう練習場を探し回って練習することもないんだね」
と、みんな泣いてました。1 年前に、客席から見て感じたこととは全然違い
ました。
岩上 これはやった人じゃないとわからないんです!
伊藤 そうそう。
岩上 他では味わうことのできない感動があって、「本当に・・・!」に貴重
な体験をすることができたと思っています。
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武田唯さん(3 年)の場合
児童教育学科を選んだ理由
───この大学との出会いは?
私は高校の時にハンドボールをやっていました。ある年の冬の関東大会の会
場が、東女体大の第一体育館だったんです。その時が、私にとって大学とい
う場所に足を踏み入れたはじめての体験だったんです。在学生の方たちなど、
その時の学内の雰囲気がとてもよかったのを覚えています。その時の印象が
とても強かったんです。
───そして体育も好きだったということですか?
はい。運動が大好きだったので、体育大学というところに惹かれたんです。
高校の先輩たちに、東女体大に行った人がいなかったので、詳しく調べたと
ころ、短大の児童教育学科で小学校の 2 種の教員免許が取れることを知りま
した。私は小学生の頃から小学校の先生になりたいとずっと思っていました。
編入学という選択(児童教育学科から体育学部へ)
───最初から編入を考えていましたか?
最初は、短大で幼稚園と小学校の教員免許をとって卒業しようと思っていま
した。大学 3 年次への編入をするつもりはなかったんです。
───何がきっかけでしたか?
2 年の 6 月に小学校の教育実習に行ったんです。現場の先生たちと話してい
た時に、「編入っていう道があるんなら、中学と高校の免許も取っておいたほ
うがいいよ。幼小中高の教員免許を全部取れると選択肢は広がるよ」とアド
バイスを頂いたんです。そこから編入学のことをぼんやり考えるようになり
ました。
───免許がたくさんとれるという部分がポイントだったのですか?
私は体育が大好きなんですね。だから、学部に行って体育を専攻すれば体育
の先生になれると思い始めたら、どんどんその気持ちが強くなっていったん
です。特に、中高では部活動を見ることもできますよね。小学校には部活動
はありません。そんな風にいろいろと想像しはじめると、もう止まらなくなっ
てしまい、2 年の 6 月のうちに心は固まっていました。
───自分だけで決めたのですか?
両親には、編入したいということはなかなか言えませんでした。学費でお世
話になっていましたし…。プラス 2 年間、大学に通わせてもらうことになる
わけですから。「編入っていいよね!?」とちらちらとは言っていたのですが、
言い出せなかったのです。
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───就職活動はどうしていましたか?
小学校の教員採用試験を受けていました。結果は残念ながら不合格だったん
です。その時に、このまま 2 年で短大を卒業して、次の年の採用試験を待つ
か、非常勤講師に申し込むか、幼稚園の先生の採用試験を受けて就職するか、
など本当に悩んだんです。そして、ずっと考えていたように、編入をして学
部を卒業し体育教師をめざすという気持ちが本当に強くなって、夏休みに入っ
てから「実は…」と両親に打ち明けました。
───どんな反応でしたか?
実は、採用試験に落ちた時両親からは、「次の就職活動を」と言われなかった
んです。ひょっとしたら私の本音を感じとってくれていたのかなと思います。
それから家族で編入についてじっくりと話し合って、結局父が、「やりたいこ
とをやりなさい」と言ってくれて、「ちゃんとできるなら」ということで理解
してくれました。すぐに願書を貰いに行きましたよ。
───試験はどうでしたか?
編入学試験には、小論文と実技試験があります。実技は器械運動とハードル、
バスケットボール、バレーボールからの選択。私はバスケットボールにしま
した。小論文については、事前に過去の問題集を見たり、何度か書く練習を
しました。普段から小論文の指導をされている就職課の方に添削してていた
だいたりもしました。他の就職活動の学生が多くいる忙しい中で無理を聞い
てくださりありがたかったです。試験の結果が分かったのは 11 月。合格通
知が自宅に届き、ほっとしました。
───実際に編入学してどうですか?
しばらくの間は、途中から大学に入ったことで不安な毎日でした。今までの
友達はいません。もともと自分から人に話しかけるのが苦手なこともあって、
まさにアウェイな感じでした。でも後期の頃に、得意のハンドボールの授業
で声をかけられたり、頼られたりして話ができるようになりました。他大学
から編入した学生もいて仲良くなれました。今ではすっかり馴れました。
───間もなく教育実習ですね
高校の教育実習を目前に控えています。母校ですので先生方もよく知ってい
ますし、実は妹も通っている学校なんです。とても楽しみです。部活の指導
にも接したいと思います。先日、3 年生で東女体大に行きたいという生徒が
いると聞きました。私の話を聞きたいとのことで、
「この大学の楽しさ」をちゃ
んと伝えてあげなくてはと思っています。
───編入は正解でしたか?
はい。編入してよかったとすごく思います。他の児童教育学科の学生にももっ
と編入という選択肢を意識してもらいたいと思うようになりました。短大の
頃は「2 年でいい」と決めていましたが、学部に入ってみて早く卒業したい
というより、もっと勉強したいっていう気持ちの方が強くなってます。
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