『差別の現在 』

●小論文ブックポート 106
く 出 題 さ れ る。 そ こ で 今 回 は、
2008年ごろから東京・新
大久保や川崎、大阪・鶴橋など
好井裕明『差別の現在 ヘイト
で始まった「ヘイトスピーチ」
。 スピーチのある日常から考え
プラカードを掲げ、在日韓国・ る』
(平凡社新書)を読む。
朝鮮人を批判し、存在を抹殺し
差別と日常のつながりを見る
ようとするデモ行進は、新聞や
テレビでしばしば報道されてき
差別は一般に「なくすべきも
の」「いけないもの」として道徳・
た。だが、京都の朝鮮学校への
倫理的な問題として捉えられる。
ヘイトスピーチに対し、 年
だ が そ れ だ け で は、「 差 別 と は
月の最高裁判決は、国連人種差
別撤廃条約が禁じる
「人種差別」 何 か 」「 な ぜ 人 は 人 を 差 別 し よ
うとするのか」への問いに蓋を
と認定。ヘイトスピーチを行っ
してしまう。むしろ著者が考え
たグループに街宣活動の停止と
るように「差別は、私たちが日
損害賠償支払いを命じた。
常、多様な差異をもつ他者と出
この他にも、在日外国人や女
会い、他者とともに生きていく
性、障害者、性的マイノリティ
う え で、 回 避 し 得 な い 出 来 事 」
などへの「差別」や「ハラスメ
『あたりまえ』に起こり得る出
ント」はこの社会に根強く存在 「
来事」と捉えると、向き合い方
し、入試小論文のテーマでもよ
『差別の現在
ヘイトスピーチのある日常から考える』 ● 好井裕明・著
〈連載〉小論文ブックポート
彼らは在日朝鮮人が本来、日
本人が享受すべきさまざまな権
利を不当に奪っているとの「特
権性」を指摘して排除しようと
平凡社新書(定価 本体840円+税)
する。この特権性に根拠が無い
ことは、少し冷静に調べればす
ぐにわかるのに、だ。著者は攻
撃し続ける「他者」へのイメー
ジや想像力が恐ろしいまでに
「単純化」され「誇張」され、「平
が変わってくる。
板化された貧しいもの」だと実
著者は「差別を考えることは、 感する。差別の核心には、他者
私が他者とどう生きるのかを考
理解や他者への想像力の「歪み」
えること」と言う。他者とはど 「欠落」、「貧困」がある。
のような存在で、何を考え感じ、
現 代 的 な 差 別 を 考 え る 上 で、
生きているのか。多様な他者を
著者は現代社会の変化を指摘す
め ぐ る「 知 や 想 像 力 」 を 問 う。 る。その一つが犯罪学者・ジョッ
こうした思考を通して「他者を
ク・ヤングの「包摂型社会から
理解できる身体づくり」と「差別
排除型社会へ」との論。ヤング
を考えることができる、しなや
は、現代は様々な差異や異質さ
か で タ フ な 日 常 的 文 化 の 創 造 」 をもつ他者を「本質化」し、「悪
を目指すのが本書のねらいだ。
魔化」した上で排除していく社
会 に 移 行 し て き た と 見 る。「 私
例えばヘイトスピーチ。ヘイ
トスピーチを行う当事者を取材
があの人を差別するのは、私の
し た ジ ャ ー ナ リ ス ト の 講 演 で、 気持ちからではなく、あなたも
著者は彼らが「自分たちを加害
十分理解できるような根拠があ
者だとは少しも思わず、圧倒的
るからこそ、私も差別せざるを
な『被害者』だと感じているこ
えない」と考え、「差別への欲望」
と」が印象的だったと振り返る。 を「差別を受ける側の問題」と
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に「差別」を語っていけばいい
すり替え正当化するのだ。
いなかったと推測される。
ま ま 吸 収 し 生 き て い る か ぎ り、
のだろうか。
誰でも、何らかの差別をしてし
私たちは他者を理解する時に、
こうした差別は、被差別部落
まず基本は、差別は「差別す
個人を超えた「属性や出自、能
出
身
の
人
や
、
在
日
外
国
人
、
性
的
まう可能性がある」のだ。著者
る側と受ける側」、すなわち「差
力などの多様性」を確認したり
マイノリティ、障害者など「多
自身も同様で、講演会などで自
承認したりする
「カテゴリー化」 別―被差別」という構図がある
様な立場を生きる人々」が、私
分自身の失敗をよく開陳すると
こと、そして「差別や排除を受
を行う。ところが排除型社会に
たちの多くから受ける差別の構
い う。「 差 別 す る 可 能 性 」 を 人
ける側からの告発」によって差
な る と、
「 思 い 込 み 」 や「 決 め
図と、重なるものである。
間としての私の一部として認め、
別が人々の前に立ち現れること
つけ」に満ちたカテゴリーで私
こ の よ う な、「 人 々 が ど こ に 「いま、ここ」という現在を、「よ
自身が他者を差別する可能性が、 を認識していくことである。
立って、どこから他者を認識し、 りよく他者と生きるための“手
例えば2014年 月の東京
「日常的な視界から消え去って」
関 係 を 繋 ご う と し て い る の か 」 がかり”として見つめ直す」こ
都議会での「セクハラやじ」。女
いってしまうのである。
の立場性を見ることは、差別問
とを、著者は様々な事例から提
性議員が妊娠出産育児を女性一
題を考える時に最優先にすべき
唱している。
特に政治改革が失敗した昨今
の日本で進む、
他者の「本質化」 人が抱え込まないよう、社会的
ことだと、著者は指摘する。
気になったのは、著者が大学
な仕組みを都が講じているか質
「悪魔化」に対して著者は、
「個
の授業で出会う今の学生たちの
そ し て 大 切 な の が、「 人 は 誰
問している間、男性議員から「早
人を超えた共同的なるものの意
でも『差別する可能性』をもっ
多くが、被差別部落や在日外国
く 結 婚 し た ほ う が い い 」「 自 分
味や効用を考えたり、多様な他
ている存在だ」という認識であ
人についての差別や人権問題に
が 産 ん で か ら 」「 や る 気 が あ れ
者と繋がるために制度や文化を
る。例えば障害者の自立を描く
ついて、高校までの学校教育で
ばできる」などのやじが飛んだ。 優れたドキュメンタリー『さよ
変革しようとする意志をなえ衰
教えられていないとの指摘であ
新聞紙上でも大問題になった
えさせる」と懸念している。
な ら C P 』。 男 性 障 害 者 た ち が
る。これからの高校生は、今以
事例だが、これらの言葉が実際
性について語る場面や、障害者
上に多様な人々と関わり合って
差別を考え る 二 つ の 基 本
に不妊や育児に苦悩する当事者
同 士 の 夫 婦 げ ん か の 場 面 で は、 生きることになろう。大人たち
「差別=他人事」と考える風
たちに届く時、それは「苦悩と 「 伝 統 的 な 性 役 割 意 識 や 性 差 別
が示すものさし=カテゴリーが
潮を見直し、私たちはどう豊か
いう傷口をさらに切り裂いてい
的な意味を生きている姿」が
どのような背景を持ち、自分た
く鋭い切れ味の差別的な刃とな
はっきりと描かれているという。 ちも含めた人々の意識や人間関
るし、それが引き起こす痛みや
つ
ま
り
「
差
別
を
受
け
る
当
事
者
性
係に影響を与えているのか。「他
怒りははかりしれない」と著者
をもった存在であろうと、他の
者とのつながりを豊かにしてい
は語る。やじを飛ばした男性議
差別事象に関しては、世の中に
く」ためにも、差別を考える奥
員はそうした想像力と、差別―
ある決めつけや思いこみの知な
深さを、本書から読み取ってほ
(評=福永文子)
被差別の立場性を全く認識して
どを無自覚的、無批判的にその
しい。 12
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2015 / 6 学研・進学情報 -20-
-21- 2015 / 6 学研・進学情報
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