ワークシート ( 月 日) 6年( )組( )号 名前( ) 今日の学習のめあて ハツミさんの思いを知り、これからの自分の生き方を考えよう (1) 結婚相手に望む条件は何ですか? 経済力 生まれた場所 誕生日 性 格 仕 趣 味 事 外 次の中から、3つ選んでみましょう。 見 (2) 二人が別れることになったことについて感じたこと、思ったことを書きましょう。 ○ ハツミさん ○ 男性 ○ 自分 (3) 自分の生活を振り返ってみて気づいたこと、また、これからどのように過ごして いきたいか書きましょう。 井上ハツミさんの話 井上ハツミさん、81歳。 (広島県内の被差別部落で⽣まれました。 )ハツミさんは、⾃分の体験を⽂ 章にすることで、差別が人間をいかにおとしめるかを世間の人に知ってほしいと考えています。 ハツミさんが10年前に書いたエッセイ「⽣命の重み」 。20歳のころの体験を綴りました。 当時、ハツミさんは交際していた男性との間に、初めて子どもを身ごもっていました。しかし、その ことを伝えたときの相手の男性の反応は、一⽣忘れることのできないものでした。 「今までのことはなかったことにしよう。おれが好きでも、おまえらの家柄は悪いし、血がにごれてい るからな。悪く思うなよ。 」 ハツミさんは一人で男の子を出産。貧しい暮らしの中で育て始めます。子どもの名前だけは相手の男 性がつけてくれました。 2ヶ月後、男性から連絡があり、ハツミさんは子どもを連れて会いました。初めてわが子を抱いた男 性。 「⺟子で東京に来れないか。でも、ここへは帰って来られんが。それでも良かったら。 」 男性はハツミさんやわが子への愛情を抱きながらも、どうしても(部落と)ハツミさんが住んでいた 場所と関わりたくないと考えていました。ハツミさんは東京⾏きの誘いを断ります。⾃分たちを差別し 続けた男性を、もはや愛することはできなかったのです。 2ヶ月後、貧しい暮らしの中で子どもは亡くなります。それ以降、ハツミさんが男性と会うことはあ りませんでした。 それから50年。ある⽇、ハツミさんのもとに男性から電話がかかってきます。「子どもの写真を送 ってほしい。 」男性は、共通の友人を通して、ハツミさんの近況や子どもが亡くなったことも知ってい ました。電話口で男性は、泣きながらこう語りました。 「この世の中でおれの子は一人だけだった。わが子さえ差別したおれは、ばちが当っていた。あの世 で子どもを抱ける父親になれるよう頑張るからな。 」 男性は半年後に亡くなりました。 差別は、された者の心に深い傷を残すだけでなく、差別した者をも深く傷つけます。ハツミさんは、 作品の中で亡くなった子どもにこう語りかけています。 「父さんも悪かったって謝っていた。許してやってな。⺟ちゃんはもう少し⽣きて、 『差別する人の心 は貧しい。親子さえ憎み合うことがあるんだ。 』ということを話さにゃあ死にきれんから。 」 「まだ世の中には家柄がどうとかこうとか言う人がいるかも知れん。もしこういう思いをするんだっ たら、これを読んでくれる人がおったら、差別がいかに心を貧しくするか、 『損の分け取り』かという ことをわかってほしい。 」 他人をおとしめ、⾃分⾃身までおとしめる差別、それは私たちの⽇常のくらしの中で、形を変えなが ら今もくりかえされえています。 NHK「その時歴史が動いた」より 書き起こし
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