化学と工業 - 筑波大学

特集
ナ ノ メ デ ィ シ ン ( 仮 ) 高分子が開く新しい抗酸化ナノ
メディシン治療
おまちかね地方名産品の化学 おまちかね地方名産品の化学 ●
長崎幸夫 Yukio NAGASAKI
柳から抽出された鎮痛作用を有するサリチル酸をアセチル化すると、その強い消化管障害が抑えられ、アセチル
サリチル酸は世界初の合成薬として人類に貢献してきた。以来 100 年以上にわたって有機合成を基盤とする“くす
り”の研究開発が行われ、たくさんの人々を救ってきた。しかしながら「作用」と「反作用」は表裏一体、トレードオフ
の関係から逃れられない。ナノメディシンの概念が、これまで解決できなかった問題をかえる一助になろうか?
今こそ魔法の弾丸
19 世紀の終わり頃、メチレンブルーがウサギの神経
末端だけを染色することからエールリッヒは、化学物
質をうまく選べば、身体の中の健康な部分にはまった
く影響を与えず、病気に侵されている部分を直接攻撃
することが可能な魔法の弾丸を作り出せると考えた。
21 世紀に入り夢の新薬と言われた分子標的薬が実用
化し、エールリッヒの発想が実現した。さて、世の中
から癌患者がなくなったであろうか?答えは否、現実
には癌患者の死亡数は年々増加の一途を辿っているの
図1悪玉活性酸素種を選択的に除去する新しいレドックス高分子の設計 である。患者の苦痛を低下させ、効果を向上させるた
めには分子標的薬のさらに効率を上げるだけなく、新
しい「くすり」の概念が不可欠である。本稿ではこれ
まで低分子合成化合物が主流であった「くすり」から
「高分子を薬にする」ということで抗酸化療法が飛躍
的に展開することを我々の例を基に概説する。
重篤化に大きな影響を与えることが分かってきている。
活性酸素を消去するにはビタミン C や E などの天然物
や合成抗酸化剤が種々あるものの、様々な臨床結果か
ら「良い」という結果が出たものはない。実は生体内
では電子伝達系に代表されるレドックス反応など、活
性酸素種が正常なエネルギーを産生するために必要で
酸化ストレスと活性酸素
酸化反応において酸素はスーパーオキシドやヒドロ
キシドラジカルのような活性酸素種(ROS と略記され
ることが多い)と呼ばれる活性種を経由して水に還元
される。近年、この活性酸素種が様々な疾患の原因や
ある「諸刃の剣」であることから、正 常 な R O S ( 善 玉
活性酸素)の産生を妨げず、過剰に産生する
ROS( 悪 玉 活 性 酸 素 ) を 選 択 的 に 消 去 す る こ と が 極
めて重要である。低分子抗酸化物質は非特異的に拡散
し、生体に必要な活性酸素をも消去するため、使用に
は限界があるのである。我々はこのような観点から、
ながさき・ゆきお 筑波大学数理物質系・教授
[経歴]1982 年東京理科大学工学部卒業。1987 年より
東京理科大学工学部助手、基礎工学部助手、講師、
助教授、教授を経て 2004 年より現職。筑波大学フロ
ンティア医科学および物質・材料研究機構
WPI-MANA 併任 [専門]高分子合成、生体機能材料、
ナノメディシン [連絡先] 305-8573 茨城県つくば市天
王台 1-1-1 e-mail: [email protected]
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代謝可能な中分子量ポリマーに ROS 消去能を創り
込み、善玉活性酸素種を守り、悪玉活性酸素を選
択的に取り除く新しいナノメディシンの設計を進
め て き た 。 抗酸化ナノメディシンの設計
これまで、活性酸素種を消去するために様々な抗酸
化剤が開発されてきた。しかしながらこれらは正常な
細胞やその中のミトコンドリアに入り込み、電子伝達
系を始め、重要なレドックス反応を阻害してしまうこ
とが問題であった。我々はこれらの問題を解決するた
め、
「高分子に抗酸化剤を共有結合でぶら下げる」とい
う発案をし、分子をデザインした 1。具体的には図 1 に
図 2a) レドックスナノ粒子(RNP)の pH に対する応答性(RNPO は pH 変化に
N
かかわらず光散乱強度が変化しないのに対し、RNP では pH 低下に伴い光
散乱強度が低下し、電子スピン共鳴スペクトルが変化しており、崩壊し
て い る こ と が 確 認 さ れ る ) 、 b) 脳 虚 血 再 灌 流 障 害 脳 に 対 す る
2,3,5-triphenyltetrazolium chloride 染色(赤く染まっているところ
が生存組織、生理食塩水、活性酸素除去能を有さない粒子、低分子 TEMPOL
に比較して RNPN では優位に脳梗塞サイズを減少させており、再灌流時の
活 性 酸 素 種 を 効 果 的 に 消 去 す る 効 果 が 確 認 さ れ る ) 。 Lippincott Williams & Wilkins から許可を得て ref.2 を改変して掲載 示すように、自己組織化能や環境応答能を有する高分
子に触媒的に活性酸素消去能を有するニトロキシドラ
ジカル(TEMPO)を導入した。これはすなわち、分子量
が大きいことにより、細胞膜やミトコンドリア膜を通
りにくく、したがってミトコンドリア内の正規電子伝
達系を阻害せず、マクロファージや好中球が過剰に産
生する悪玉活性酸素種を選択的に消去するレドックス
高分子材料を企図して設計したものである。このレ
ドックスポリマーは水に溶ける部分と溶けない部分を
併せ持つため水中で自己組織化してナノ粒子となる
(レドックスナノ粒子、RNP と略記する)。RNP の安
全性を確かめるため、例えば生まれたばかりのゼブラ
フィッシュ水槽に入れてみると、水溶性の低分子 4-ヒ
ドロキシ TEMPO は 30 mM の濃度で 12 時間後に 100%
死んでしまうのに対し、RNP では同濃度で 100%生存
していることが分かった。このように分子のサイズを
制御することにより強い抗酸化剤を有するにもかかわ
らず、生存に大切な細胞内レドックス反応を保護する
ことが可能となった
抗酸化ナノメディシンの機能
図 1 に示すように、TEMPO のポリマーへの結合部
位にはアミノ基またはエーテル基結合の 2 種類ある。
アミノ基で結合したレドックスポリマーからなるナノ
粒子(RNPN と略記する)は pH の低下に伴いアミノ基が
プロトン化し、親水化するため疎水性凝集力が弱まり、
ナノ粒子が崩壊する。この酸性側での粒子の崩壊は、
図 2a に示すように、動的光散乱測定により、pH=7 以
下で光の散乱強度が低下することから確認される。ま
た、同図内に示すように、中性以上ではニトロキシド
ラジカルの電子スピンスペクトルがブロードなひと山
を示し、酸性側ではカップリングに基づく 3 本のシグ
ナルを示すことからも確認できる。このように pH=7
以下の環境でナノ粒子が崩壊するため、癌や炎症部位
など、pH の低下している疾病環境下で崩壊し、ニトロ
キシドラジカルを露出することが期待される。
脳の血管がつまり、脳障害を起こす脳梗塞では、詰
まった血液の塊(血栓)を溶解させ、血流を回復させる
薬が開発されつつある。この薬の効果は素晴らしいも
のの、血流の回復直後に酸素濃度が急激に上昇するた
め、活性酸素障害が起こることが知られている。我々
は脳梗塞-再灌流モデルラットに RNPN を静脈投与する
ことにより pH の低下した脳内で壊れ、活性酸素種を
効果的に消去することにより脳梗塞によるダメージ領
域を優位に縮小する(図 2b)ことを確認した 2。動脈硬化
や高齢化に伴い血流が悪くなり、脳や心筋梗塞だけで
なく、腎臓、腸間膜や肝臓など様々な臓器の虚血再灌
流障害が増加しており、これまで問題であった副作用
を極限まで低減できる RNP は、新しいタイプのナノメ
ディシンとして期待できる。
難病指定されている潰瘍性大腸炎は、1970 年代には
国内で殆どいなかった患者が現在では 10 万人を越え、
急激に増加している。原因不明の疾患であるものの、
活性酸素種を含む大腸内の炎症が下痢、下血などの消
化管障害を起こすことが知られている。ニトロキシド
ラジカルをエーテル結合で導入した粒子(RNPO と略
記)は pH 低下で崩壊しないため、経口投与すると大腸
粘膜に高度に集積する(図 3a)ことにより、極めて効果
的に大腸の炎症を抑えた。実際、市販の薬に比べても
高度に高い効果を示すことが図 3b より確認できる3。
ここで、RNPO は消化管からまったく血中に取り込ま
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図 4. ニトロキシドラジカル含有レドックスポリマーのバイオマテリア
ルへの展開 (表面コーティングによりマウス血液との接触でも殆ど活
性化せず、血栓を生じない)、Elsevier から許可を得て ref.5 を改変し
て掲載 図 3 潰瘍性大腸炎モデルマウスに対する RNP0 の効果. a)経口投与におけ
る大腸粘膜への集積効果 (低分子 TEMPOL では殆ど大腸まで到達しない、
市販のポリスチレンラテックスはサイズ依存的に大腸粘膜に集積する
ものの、我々の RNPO では高いコロイド分散性のため、さらに二桁近く大
腸集積が向上する。)、b)潰瘍性大腸炎モデルマウスの生存率曲線、DSS
投与により 2 週間でほぼ完全に死滅するのに対し、市販の薬剤は一定の
効果を示す。RNPO では極めて優位に生存率を向上させる)Elsevier から
許可を得て ref.3 を改変して掲載 れないため、全身の副作用を考えなくて良い安全な潰
瘍性大腸炎薬である。
癌三大療法の一つとして癌化学療法は広く行なわ
れているものの、最大の問題点として、癌が重篤疾患
であるため強い副作用があっても認可されてきたと言
う歴史があり、抗癌剤によって心臓毒性や消化管毒性
など極めて強い副作用が惹起し、多くの患者を苦しめ
ているのが現状である。我々の RNP は腫瘍近傍の活性
酸素種を消去することにより抗癌剤の効果を向上させ
るだけでなく、このような抗癌剤の副作用を低減する
ため、癌患者に優しい新しいナノメディシンとして期
待される 4。
新しいバイオマテリアル
ニトロキシドラジカルを有するこれらのレドック
ス高分子材料は生体内治療のみならず、新しいメディ
カル分野の材料としての利用も展開できる。
血液は異物に接触すると大量の活性酸素種を産生
し、活性化、凝固反応へとすすむ。これが人工心臓や
細い人工血管などの開発を妨げてきた大きな原因の一
つである。表面にポリエチレングリコールや両性イオ
ン高分子など、生体適合性の良い材料をコーティング
して血液適合性を向上させる様々な試みがなされてき
たものの完全に解決するには至っていない。普通のポ
リマーをビーズにコーティングしてラット全血に接触
させると強い血液凝固反応が起こり(図 4)、血液中の血
小板や白血球数が低下するのに対し、我々が合成して
きたニトロキシドラジカルを有するポリマーでは血液
凝固反応が抑制され、血小板および白血球の血中残存
量も殆ど低下しないことがわかった 5。一般的にバイオ
デバイスの表面処理ではタンパク質の吸着を抑制し、
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結果的に細胞接着や血液の活性化を抑制する「パッシ
ブ」型の適合性が行われてきたが、レドックスポリマー
では接触活性化に伴う活性酸素種を消去することで
「アクティブ」に適合性を導く点でこれまでにない新
しいバイオ表面設計技術である。
必要な活性酸素種は痛めず、疾病に関与する過剰に
産生される悪玉活性酸素種を選択的に消去するナノメ
ディシン戦略は「くすり」としてだけでなく、上述し
た表面処理剤や腹膜透析 6、癒着防止剤 7など、様々活
性酸素が問題になる場所で効果を発揮しつつある。
おわりに
がん化学療法や血液透析など、50 年前には想像もで
きなかった治療法が発達し、治療法のなかったたくさ
んの患者さんが救われるようになってきている。しか
し一方で、強い副作用や長い治療時間のため、長い期
間にわたって苦しむ患者がたくさんいることを忘れて
はならない。我々は抗酸化剤を高分子化するというア
イディアで、これまでの欠点を補い、酸化ストレス障
害に苦しむ患者の QOL を少しでも向上できれば本望
である。我々が研究開発してきたレドックスナノメ
ディシン・バイオデバイスが患者の QOL を少しでも
向上させることを願いつつ、本稿を閉じる。
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T.Yoshitomi ら、Biomacromolecules :10(3) 596-601
(2009).
A.Marushima ら、Neurosurgery, 68, 1418-1426 (2011).
L.B. Vong ら、Gastroenterology,Vol.143, No.4,
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T.Yoshitomi ら、Journal of Controlled Release, Vol.
172 No. 1, pp. 137-143
T. Yoshitomi ら、Acta Biomaterialia, 8, 1323(2012)
Y.Nagasaki ら、Biomat.Sci., Vol.2, No.4.,
522-5298(2014)
H.Nakagawa ら, in preparation.