タンパク質‐化合物複合体の量子化学計算 -酵素反応の解明と創薬への応用に向かって- 直島好伸 岡山理科大学自然科学研究所 スーパーコンピュータ「京」に代表されるコンピュータ計算能力の飛躍的な向上と優れた計 算化学ソフトウェアの開発により、有機化合物のような低分子のみならず、タンパク質などの 生体高分子や実験系の巨大分子の高精度計算機シミュレーションが現実のものとなっている。 従来、有機合成などの研究の大半は、実験による試行錯誤を繰り返し、解決策を見出して成 功へと近づく“経験重視型研究”であった。それはそれで重要なことであるが、現在のようなシ ミュレーション技術が発達した時代にあっては、併せて計算化学シミュレーションによる“予測 先導型研究”を実験研究者自らが積極的に行うことも、自己の研究の質を高め、更なる発展を 目指すために大切なことであろう [1, 2]。 最近、我々は、生体触媒の一つである酵素リパーゼを利用する光学活性化合物の不斉合 成に加え、タンパク質-有機化合物複合体の全電子状態計算を自らの手で行っている。生体 におけるタンパク質の酵素反応あるいはタンパク質に対する医薬品の作用などは、本質的に はタンパク質の電子レベルでの構造やタンパク質と有機化合物などの外来物質の電子レベル での相互作用に起因している。 したがって、そういった反応や作用機能の解明にはタンパク 質の電子状態を正確に知ることが重要であり、そのためのシミュレーションは電子の振る舞い を記述できる量子化学に基づいた全電子計算が極めて有用である。 本講演では、酵素リパーゼの有機合成基質に対する鏡像体選択性を予測し、且つその鏡 像体認識機構を解明するために挑戦している、リパーゼ-有機合成基質複合体の ABINIT-MP/BioStation [3] によるフラグメント分子軌道 (FMO) 計算、および FMO 相互作用 計算に挑戦し、それに深く関わったことから図らずも参加することになった「FMO 創薬コンソー シアム」(で)の活動について紹介する。FMO 法はタンパク質などの巨大分子をフラグメントに 分割し、部分エネルギーを集積することで系全体の高速電子状態計算を実現する方法であり [4]、 近年、製薬企業での利用が進んでいる。 【酵素リパーゼの鏡像体選択性に関する FMO 相互作用計算】 有機合成で多用されている Burkholderia cepacia lipase (BCL) や Candida antarctica lipase typeB (CALB) と第1級およ び第2級アルコール系エステルの両鏡像体との複合体に対し、FMO2-MP2/6-31G レベルで の FMO 計算を行った。鏡像体選択性が高い基質エステルの場合、優先的に変換される一方 の鏡像体の全てが、それぞれのリパーゼの特定のアミノ酸残基と強く相互作用していることが 判明した。選択性が低い基質では、両鏡像体ともに同じようなアミノ酸残基と相互作用してい る様子が認められた [5]。相互作用アミノ酸残基の特定は、実験では得られない成果である。 【FMO 創薬コンソーシアム】 FMO Drug Design (FMODD) コンソーシアムは、FMO 法による インシリコ創薬手法を合理的で実用的な技術として発展させるために、2014 年 11 月に設立さ れたもので、2015 年 5 月現在、製薬企業 12 社、IT 企業1社、アカデミア 7 機関から成る。2015 年 1 月には FMODD コンソーシアムキックオフミーティング、4月には同第 2 回全体会議が行わ れた。また、本コンソーシアムに関連して、2015 年度の HPCI システム利用研究課題の「京」実 証利用枠における「HPCI を活用した FMO 創薬プラットフォームの構築」が採択された。目下、 我が国における FMO インシリコ創薬研究の本格的始動に向かって、創薬標的タンパク質を4 つのグループに分け、スーパーマシン「京」による実質的な FMO 計算を準備中である。 参考文献 1. 直島好伸、“はじめての分子化学計算 実験化学者や実験生化学者がコンピュータで有機分子や 生体分子をつくり計算する”、Wako Infomatic World, No. 20, 2-7 (2010). 2. 直島好伸、文部科学省 次世代 IT 基盤構築のための研究開発 「イノベーション基盤シミュレーショ ンソフトウェアの研究開発」 最終成果報告会 依頼講演、“量子生体分子化学計算から学んだこと”、 東京大学生産技術研究所 革新的シミュレーション研究センター編、講演集、147-157 (2013). 3. ABINIT-MP および BioStation Viewer は http://www.ciss.iis.u-tokyo.ac.jp からダウンロードできる。 4. G. D. Fedorov, T. Nagata, and K. Kitaura, “Exploring chemistry with the fragment molecular orbital method”, Phys. Chem. Chem. Phys., 14, 7562-7577 (2012). 5. Y. Yagi, T. Tanaka, A. Imagawa, Y. Moriya, Y. Mori, T. Kimura, M. Kamezawa, and Y. Naoshima, “Large-Scale Biomolecular Chemical Computations toward the Prediction of Burkholderia cepacia Lipase Enantioselectivity”, J. Adv. Simulat. Sci. Eng., Special Issue on Recent Advances in Simulation in Science and Engineering, 1, 141-160 (2014). 略歴 1976 年 大阪府立大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了 農学博士 1977 年 岡山理科大学理学部助手 1978 年 岡山理科大学理学部講師 1982 年 9 月-1983 年 8 月 米国オハイオ州立ライト大学化学科研究員 1984 年 岡山理科大学理学部助教授 1992 年 岡山理科大学理学部教授 1997 年 岡山理科大学総合情報学部教授 2011 年 岡山理科大学自然科学研究所教授(現職)
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