新著 「銀河鉄道の夜」を ブッククラブで 楽しもう

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0879910 アリモト ヒデフミ
1
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2
「銀河鉄道の夜」を
ブッククラブで
楽しもう
問いと画像などバックグランドの情報
がたくさん入って
これだけでブッククラブができます
原文付き
ありもと ひでふみ
2015.5.29
3
4
銀河鉄道の夜は宮沢賢治の最高傑作と
私は思います
しかし読んだ人は本当に賢治が伝えたか
ったことがわかっているのでしょうか
まず賢治の該博な知識が壁になります
だからネットを使って多くの図版を入れま
した
これでイメージがだいぶわくはずです
まだまだ星の名前や石の名前に限らず
当時最先端の知識だった
ブラックホールや四次元、ロボットなどにも
触れているのです
そのイメージがつかめないと賢治とお友達
になることはできません
5
さあ、私たちも銀河鉄道に乗ってジョバン
ニやカンパネルラと星空を旅しましょう
この作品を徹底的に味わってみましょう
私たちは子どもセミナーでこの作品を扱い
ました
参加者は4年生、5年生、6年生が一人ず
つです
基本的なスケジュールは
2時~3時
リードアラウド(キャラクターマップやシー
ケンスチャートも必要に応じて取り入れま
す)
3時~3時30分
6
ビッグクエスチョンについて
書いて
発表して話し合います
学校の教室でやる場合は
可能なら少しずつ全文を読む
全文が読めなければ一部を取り出して
読んでください
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まず宮沢賢治とは
宮沢賢治
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字:宮澤 賢治、1896 年
(明治 29 年)8 月 27 日[1] - 1933 年(昭和 8 年)9 月 21
日)は、日本の詩人、童話作家。
8
彼の思想を知るためにこの詩を読みましょう
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ
9
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
10
ワタシハナリタイ
Q なぜこの人は、「そういうもの」になりたいのだろう?
Q あなたは、「そういうもの」のどこがなりたいですか?(一つ)
理由
どこがなりたくないですか?(一つ)
理由
11
次はこの原文です
〔雨ニモマケズ〕
宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第 4 水準
2-86-78)ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
12
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
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詩「雨ニモマケズ」の一部として、扱われてはいないが、賢治の法華経信仰を
重視する向きは、「雨ニモマケズ」の「ミンナニデクノボートヨバレ」の
「デクノボー」は、法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる「常不軽菩薩」を
意味することからも、「法華経を理解しない限り、この詩の意味は解らない」
「『雨ニモマケズ』は文字曼荼羅の解釈であり、眼目である」という見地から、
文字曼荼羅を欠いた「雨ニモマケズ」は意味を成さず、文字曼荼羅まで読む
必要があるという説を為す
14
日蓮宗・法華宗における四菩薩[編集]
日蓮宗・法華宗では、『法華経』に登場する上行(じょうぎ
ょう)、無辺行(むへんぎょう)、浄行(じょうぎょう)、安立
行(あんりゅうぎょう)を四菩薩(あるいは四士)と称する。
『法華経』の第 15 章にあたる従地涌出品(じゅうじゆじゅ
っぽん)第十五の記述によれば、釈迦如来が説法をして
いた際に大地が割れ、そこから涌き出た無数の菩薩(こ
れを総称して地涌の菩薩と称す)の筆頭が上行菩薩・無
辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩であり、これらの菩薩
は釈迦亡き後の末法の世において仏法を護持するもの
とされている。日蓮は、世が乱れ災害が起きるのは邪教
を奉ずるからだと主張し、鎌倉の街頭で法華経の教えを
説いたが、自己をこうした上行菩薩になぞらえていた。
15
16
では本文に入ります
ごご
一、午后の授業
い
「ではみなさんは、そういうふうに川だと云われたり、乳の流れたあとだと云われたりし
ていたこのぼんやりと白いものがほんとうは何かご承知ですか。」先生は、黒板に
つる
さ
吊 した大きな黒い星座の図の、上から下へ白くけぶった銀河帯のようなところを指し
とい
ながら、みんなに 問 をかけました。
17
18
19
天文学における天の川[編集]
天文学の進展とともに、「天の川」ないし「Milky Way」の実体は膨大な数の恒星の集
団であると次第に理解されるようになった。
現在では、我々の地球を含む太陽系は、数ある銀河のひとつ(=「天の川銀河」)の中
に位置しており、我々はこの銀河を内側から見ているために天の川が天球上の帯と
して見える、と解説される。
20
http://www.gingatetudounoyoru.com/ensen/index.html
カムパネルラが手をあげました。それから四五人手をあげました。ジョバンニも手を
あげようとして、急いでそのままやめました。たしかにあれがみんな星だと、いつか雑
誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でもねむく、本を読む
ひまも読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするの
でした。
みつ
ところが先生は早くもそれを見附けたのでした。
「ジョバンニさん。あなたはわかっているのでしょう。」
ジョバンニは
いきおい
勢 よく立ちあがりましたが、立って見るともうはっきりとそれを答
えることができないのでした。ザネリが前の席からふりかえって、ジョバンニを見てくす
っとわらいました。ジョバンニはもうどぎまぎしてまっ赤になってしまいました。先生が
また云いました。
「大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体何でしょう。」
やっぱり星だとジョバンニは思いましたがこんどもすぐに答えることができませんで
した。
め
先生はしばらく困ったようすでしたが、眼をカムパネルラの方へ向けて、
「ではカムパネルラさん。」と名指しました。するとあんなに元気に手をあげたカムパネ
ルラが、やはりもじもじ立ち上ったままやはり答えができませんでした。
先生は意外なようにしばらくじっとカムパネルラを見ていましたが、急いで「では。よ
さ
し。」と云いながら、自分で星図を指しました。
「このぼんやりと白い銀河を大きない望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見
えるのです。ジョバンニさんそうでしょう。」
ジョバンニはまっ赤になってうなずきました。けれどもいつかジョバンニの眼のなかに
21
なみだ
ぼく
もちろん
は 涙 がいっぱいになりました。そうだ 僕 は知っていたのだ、 勿 論 カムパネル
ラも知っている、それはいつかカムパネルラのお父さんの博士のうちでカムパネルラ
といっしょに読んだ雑誌のなかにあったのだ。それどこでなくカムパネルラは、その雑
しょさい
おお
誌を読むと、すぐお父さんの 書 斎 から 巨 きな本をもってきて、ぎんがというところ
ページ
をひろげ、まっ黒な 頁 いっぱいに白い点々のある美しい写真を二人でいつまでも
はず
見たのでした。それをカムパネルラが忘れる 筈 もなかったのに、すぐに返事をしな
かったのは、このごろぼくが、朝にも午后にも仕事がつらく、学校に出てももうみんな
ともはきはき遊ばず、カムパネルラともあんまり物を云わないようになったので、カム
パネルラがそれを知って気の毒がってわざと返事をしなかったのだ、そう考えるとたま
らないほど、じぶんもカムパネルラもあわれなような気がするのでした。
先生はまた云いました。
あま がわ
「ですからもしもこの 天 の 川 がほんとうに川だと考えるなら、その一つ一つの小さ
じゃり つぶ
な星はみんなその川のそこの砂や砂 利 の 粒 にもあたるわけです。またこれを巨き
な乳の流れと考えるならもっと天の川とよく似ています。つまりその星はみな、乳のな
しゆ
かにまるで細かにうかんでいる脂油の球にもあたるのです。そんなら何がその川の水
にあたるかと云いますと、それは真空という光をある速さで伝えるもので、太陽や地
うか
球もやっぱりそのなかに 浮 んでいるのです。つまりは私どもも天の川の水のなかに
す
棲んでいるわけです。そしてその天の川の水のなかから四方を見ると、ちょうど水が
深いほど青く見えるように、天の川の底の深く遠いところほど星がたくさん集って見え
したがって白くぼんやり見えるのです。この模型をごらんなさい。」
22
とつ
先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の 凸 レンズを指しました。
「天の川の形はちょうどこんななのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの
太陽と同じようにじぶんで光っている星だと考えます。私どもの太陽がこのほぼ中ご
ろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこ
うす
のレンズの中を見まわすとしてごらんなさい。こっちの方はレンズが 薄 いのでわずか
すなわ
の光る粒 即 ち星しか見えないのでしょう。こっちやこっちの方はガラスが厚いので、
光る粒即ち星がたくさん見えその遠いのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日
の銀河の説なのです。そんならこのレンズの大きさがどれ位あるかまたその中のさま
ざまの星についてはもう時間ですからこの次の理科の時間にお話します。
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では今日はその銀河のお祭なのですからみなさんは外へでてよくそらをごらんなさい。
ではここまでです。本やノートをおしまいなさい。」
つくえ ふた
そして教室中はしばらく 机 の 蓋 をあけたりしめたり本を重ねたりする音がいっ
ぱいでしたがまもなくみんなはきちんと立って礼をすると教室を出ました。
二、活版所
24
25
26
ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをま
すみ さくら
ん中にして校庭の 隅 の 桜 の木のところに集まっていました。それはこんやの星
からすうり
祭に青いあかりをこしらえて川へ流す 烏 瓜 を取りに行く相談らしかったのです。
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舟ッコ流し(ふねっこながし)は岩手県盛岡市に藩政時代から伝わる送り盆行事。 盆
の送り火・精霊舟の一種である。毎年、多くの観光客が訪れる。
ふ
けれどもジョバンニは手を大きく振ってどしどし学校の門を出て来ました。すると町
えだ
の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの 枝 にあか
したく
りをつけたりいろいろ仕 度 をしているのでした。
家へは帰らずジョバンニが町を三つ曲ってある大きな活版処にはいってすぐ入口の
くつ
計算台に居ただぶだぶの白いシャツを着た人におじぎをしてジョバンニは 靴 をぬい
つ
と
で上りますと、突き当りの大きな扉をあけました。中にはまだ昼なのに電燈がついて
たくさんの輪転器がばたりばたりとまわり、きれで頭をしばったりラムプシェードをかけ
お
たりした人たちが、何か歌うように読んだり数えたりしながらたくさん働いて居りまし
た。
28
29
テーブル すわ
ジョバンニはすぐ入口から三番目の高い 卓 子 に 座 った人の所へ行っておじぎ
たな
をしました。その人はしばらく 棚 をさがしてから、
わた
「これだけ拾って行けるかね。」と云いながら、一枚の紙切れを 渡 しました。ジョバン
はこ
ニはその人の卓子の足もとから一つの小さな平たい 函 をとりだして向うの電燈のた
かべ
こ
くさんついた、たてかけてある 壁 の隅の所へしゃがみ込むと小さなピンセットでまる
あわつぶ
で 粟 粒 ぐらいの活字を次から次と拾いはじめました。青い胸あてをした人がジョ
バンニのうしろを通りながら、
「よう、虫めがね君、お早う。」と云いますと、近くの四五人の人たちが声もたてずこっ
ちも向かずに冷くわらいました。
ぬぐ
ジョバンニは何べんも眼を 拭 いながら活字をだんだんひろいました。
六時がうってしばらくたったころ、ジョバンニは拾った活字をいっぱいに入れた平た
はこ
い 箱 をもういちど手にもった紙きれと引き合せてから、さっきの卓子の人へ持って来
だま
かす
ました。その人は 黙 ってそれを受け取って 微 かにうなずきました。
ジョバンニはおじぎをすると扉をあけてさっきの計算台のところに来ました。するとさ
っきの白服を着た人がやっぱりだまって小さな銀貨を一つジョバンニに渡しました。ジ
にわ
いせい
ョバンニは 俄 かに顔いろがよくなって 威 勢 よくおじぎをすると台の下に置いた
かばん
くちぶえ ふ
鞄 をもっておもてへ飛びだしました。それから元気よく 口 笛 を吹きながらパン
屋へ寄ってパンの
かたまり
ふくろ
いちもくさん
塊 を一つと角砂糖を一 袋 買いますと 一 目 散 に走りだ
しました。
三、家
ジョバンニが
いきおい
勢 よく帰って来たのは、ある裏町の小さな家でした。その三つな
らんだ入口の一番左側には空箱に
むらさき
紫 いろのケールやアスパラガスが植えてあ
ひおお
って小さな二つの窓には 日 覆 いが下りたままになっていました。
っか
ぐあい
「お 母 さん。いま帰ったよ。 工 合 悪くなかったの。」ジョバンニは靴をぬぎながら云
いました。
すず
「ああ、ジョバンニ、お仕事がひどかったろう。今日は 涼 しくてね。わたしはずうっと
工合がいいよ。」
30
げんかん
へや
ジョバンニは 玄 関 を上って行きますとジョバンニのお母さんがすぐ入口の 室
きれ かぶ
やす
に白い 巾 を 被 って 寝 んでいたのでした。ジョバンニは窓をあけました。
「お母さん。今日は角砂糖を買ってきたよ。牛乳に入れてあげようと思って。」
「ああ、お前さきにおあがり。あたしはまだほしくないんだから。」
「お母さん。姉さんはいつ帰ったの。」
「ああ三時ころ帰ったよ。みんなそこらをしてくれてね。」
「お母さんの牛乳は来ていないんだろうか。」
「来なかったろうかねえ。」
「ぼく行ってとって来よう。」
「あああたしはゆっくりでいいんだからお前さきにおあがり、姉さんがね、トマトで何か
こしらえてそこへ置いて行ったよ。」
「ではぼくたべよう。」
さら
ジョバンニは窓のところからトマトの 皿 をとってパンといっしょにしばらくむしゃむしゃ
たべました。
「ねえお母さん。ぼくお父さんはきっと間もなく帰ってくると思うよ。」
「あああたしもそう思う。けれどもおまえはどうしてそう思うの。」
「だって今朝の新聞に今年は北の方の漁は大へんよかったと書いてあったよ。」
「ああだけどねえ、お父さんは漁へ出ていないかもしれない。」
かんごく
はず
「きっと出ているよ。お父さんが 監 獄 へ入るようなそんな悪いことをした 筈 がない
きぞう
おお
かに こう
んだ。この前お父さんが持ってきて学校へ 寄 贈 した 巨 きな 蟹 の 甲 らだのとなか
いの角だの今だってみんな標本室にあるんだ。六年生なんか授業のとき先生がかわ
31
るがわる教室へ持って行くよ。一昨年修学旅行で〔以下数文字分空白〕
「お父さんはこの次はおまえにラッコの上着をもってくるといったねえ。」
「みんながぼくにあうとそれを云うよ。ひやかすように云うんだ。」
「おまえに悪口を云うの。」
「うん、けれどもカムパネルラなんか決して云わない。カムパネルラはみんながそんな
ことを云うときは気の毒そうにしているよ。」
「あの人はうちのお父さんとはちょうどおまえたちのように小さいときからのお友達だ
ったそうだよ。」
「ああだからお父さんはぼくをつれてカムパネルラのうちへもつれて行ったよ。あのこ
とちゅう
ろはよかったなあ。ぼくは学校から帰る 途 中 たびたびカムパネルラのうちに寄った。
カムパネルラのうちにはアルコールラムプで走る汽車があったんだ。レールを七つ組
み合せると円くなってそれに電柱や信号標もついていて信号標のあかりは汽車が通
るときだけ青くなるようになっていたんだ。いつかアルコールがなくなったとき石油をつ
かま
すす
かったら、 罐 がすっかり 煤 けたよ。」
「そうかねえ。」
「いまも毎朝新聞をまわしに行くよ。けれどもいつでも家中まだしぃんとしているから
な。」
「早いからねえ。」
ほうき
「ザウエルという犬がいるよ。しっぽがまるで 箒 のようだ。ぼくが行くと鼻を鳴らして
ついてくるよ。ずうっと町の角までついてくる。もっとついてくることもあるよ。今夜はみ
からすうり
んなで 烏 瓜 のあかりを川へながしに行くんだって。きっと犬もついて行くよ。」
「そうだ。今晩は銀河のお祭だねえ。」
32
「うん。ぼく牛乳をとりながら見てくるよ。」
「ああ行っておいで。川へははいらないでね。」
「ああぼく岸から見るだけなんだ。一時間で行ってくるよ。」
いっしょ
「もっと遊んでおいで。カムパネルラさんと 一 緒 なら心配はないから。」
「ああきっと一緒だよ。お母さん、窓をしめて置こうか。」
「ああ、どうか。もう涼しいからね」
かたづ
ジョバンニは立って窓をしめお皿やパンの袋を 片 附 けると勢よく靴をはいて
「では一時間半で帰ってくるよ。」と云いながら暗い戸口を出ました。
四、ケンタウル祭の夜
33
ひのき
ジョバンニは、口笛を吹いているようなさびしい口付きで、 檜 のまっ黒にならん
だ町の坂を下りて来たのでした。
坂の下に大きな一つの街燈が、
34
青白く立派に光って立っていました。ジョバンニが、どんどん電燈の方へ下りて行きま
かげ
すと、いままでばけもののように、長くぼんやり、うしろへ引いていたジョバンニの 影
こ
ふ
ぼうしは、だんだん濃く黒くはっきりなって、足をあげたり手を振ったり、ジョバンニの
横の方へまわって来るのでした。
こうばい
こ
(ぼくは立派な機関車だ。ここは 勾 配 だから速いぞ。ぼくはいまその電燈を通り越
す。そうら、こんどはぼくの影法師はコムパスだ。あんなにくるっとまわって、前の方へ
来た。)
おおまた
とジョバンニが思いながら、 大 股 にその街燈の下を通り過ぎたとき、いきなりひる
とが
こうじ
まのザネリが、新らしいえりの 尖 ったシャツを着て電燈の向う側の暗い小 路 から出
て来て、ひらっとジョバンニとすれちがいました。
「ザネリ、烏瓜ながしに行くの。」ジョバンニがまだそう云ってしまわないうちに、
「ジョバンニ、お父さんから、らっこの上着が来るよ。」その子が投げつけるようにうしろ
さけ
から 叫 びました。
Q なぜザネリはこう言ったのだろう?
35
ジョバンニは、ばっと胸がつめたくなり、そこら中きぃんと鳴るように思いました。
Q どうしてそんな気持ちになったの?
「何だい。ザネリ。」とジョバンニは高く叫び返しましたがもうザネリは向うのひばの植
った家の中へはいっていました。
「ザネリはどうしてぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのだろう。走るときはま
ねずみ
るで 鼠 のようなくせに。ぼくがなんにもしないのにあんなことを云うのはザネリが
ばかなからだ。」
Q ザネリは本当に馬鹿なの?
あかり
えだ
ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの 灯 や木の 枝 で、
かざ
すっかりきれいに 飾 られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈
め
がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろ
ガラス ばん の
めぐ
いろな宝石が海のような色をした厚い 硝 子 の 盤 に載って星のようにゆっくり 循 っ
たり、また向う側から、銅の人馬がゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。その
まん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。
ジョバンニはわれを忘れて、その星座の図に見入りました。
Q 星座早見表を見たことがある?使ったことは?
36
37
それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合
だえんけい
せて盤をまわすと、そのとき出ているそらがそのまま 楕 円 形 のなかにめぐってあ
お
らわれるようになって居りやはりそのまん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむ
ばくはつ
ったような帯になってその下の方ではかすかに 爆 発 して湯気でもあげているよう
あし
に見えるのでした。またそのうしろには三本の 脚 のついた小さな望遠鏡が黄いろに
かべ
けもの
光って立っていましたしいちばんうしろの 壁 には空じゅうの星座をふしぎな 獣 や
へび
びん
蛇 や魚や 瓶 の形に書いた大きな図がかかっていました。ほんとうにこんなような
さそり
蝎 だの勇士だのそらにぎっしり居るだろうか、ああぼくはその中をどこまでも歩い
て見たいと思ってたりしてしばらくぼんやり立って居ました。
38
・本当にこんな人や動物がいるのだろうか?
・なぜこんなものがあるのだろうか?
39
http://www.kagayastudio.com/starry/index.html
にわ
それから 俄 かにお母さんの牛乳のことを思いだしてジョバンニはその店をはなれ
かた
ました。そしてきゅうくつな上着の 肩 を気にしながらそれでもわざと胸を張って大きく
手を振って町を通って行きました。
す
空気は澄みきって、まるで水のように通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまっ
なら
青なもみや 楢 の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に
たくさん
沢 山 の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。
・人魚って何?
40
くちぶえ ふ
子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの 口 笛 を吹いたり、
つゆ
「ケンタウルス、 露 をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したり
して、たのしそうに遊んでいるのでした。けれどもジョバンニは、いつかまた深く首を垂
れて、そこらのにぎやかさとはまるでちがったことを考えながら、牛乳屋の方へ急ぐの
でした。
Q 違ったことって何?
ケンタウルス座
ケンタウルス座(Centaurus)は、トレミーの 48 星座の 1 つ。南天の明るい星座である。
日本では星座の半分程度しか見えない場所が多く、全体が見えるのは沖縄県の一
部や小笠原諸島の一部地域である。
ケンタウロス
ケンタウロス(古希: Κένταυρος, Kentaurs, ラテン語: Centaurus)[1] とは、ギ
リシア神話に登場する半人半獣の種族である。馬の首から上が人間の上半身に置き
換わったような姿をしている。
41
42
いくほん
うか
ジョバンニは、いつか町はずれのポプラの木が 幾 本 も幾本も、高く星ぞらに 浮
におい
んでいるところに来ていました。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の 匂 のするうすく
ぼうし
らい台所の前に立って、ジョバンニは 帽 子 をぬいで「今晩は、」と云いましたら、家の
たれ
中はしぃんとして 誰 も居たようではありませんでした。
「今晩は、ごめんなさい。」ジョバンニはまっすぐに立ってまた叫びました。するとしばら
と
ぐあい
くたってから、年老った女の人が、どこか 工 合 が悪いようにそろそろと出て来て何か
用かと口の中で云いました。
ぼく
もら
「あの、今日、牛乳が 僕 とこへ来なかったので、 貰 いにあがったんです。」ジョバン
いきおい
ニが一生けん命 勢 よく云いました。
「いま誰もいないでわかりません。あしたにして下さい。」
43
こす
その人は、赤い眼の下のとこを 擦 りながら、ジョバンニを見おろして云いました。
「おっかさんが病気なんですから今晩でないと困るんです。」
「ではもう少したってから来てください。」その人はもう行ってしまいそうでした。
Q あなただったらどうする?
じぎ
「そうですか。ではありがとう。」ジョバンニは、お辞儀をして台所から出ました。
十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、
黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑っ
あかり
たりして、めいめい烏瓜の 燈 火 を持ってやって来るのを見ました。その笑い声も口
笛も、みんな聞きおぼえのあるものでした。ジョバンニの同級の子供らだったのです。
もど
ジョバンニは思わずどきっとして 戻 ろうとしましたが、思い直して、一そう勢よくそっち
へ歩いて行きました。
「川へ行くの。」ジョバンニが云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネリがまた叫びました。
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」すぐみんなが、続いて叫びました。
・何でこんなに言うのだろう?
・あなたが言われたらどう思う?
・あなたならどうする?
44
ジョバンニはまっ赤になって、もう歩いているかもわからず、急いで行きすぎようとしま
したら、そのなかにカムパネルラが居たのです。カムパネルラは気の毒そうに、だまっ
おこ
て少しわらって、 怒 らないだろうかというようにジョバンニの方を見ていました。
・なぜカムパネルラはからかわないの?
に
さ
ジョバンニは、遁げるようにその眼を避け、そしてカムパネルラのせいの高いかたち
が過ぎて行って間もなく、みんなはてんでに口笛を吹きました。町かどを曲るとき、ふ
りかえって見ましたら、ザネリがやはりふりかえって見ていました。そしてカムパネルラ
もまた、高く口笛を吹いて向うにぼんやり見える橋の方へ歩いて行ってしまったのでし
た。ジョバンニは、なんとも云えずさびしくなって、いきなり走り出しました。
なぜジョバンニは走り出したんだろう?
と
すると耳に手をあてて、わああと云いながら片足でぴょんぴょん跳んでいた小さな子
おもしろ
供らは、ジョバンニが 面 白 くてかけるのだと思ってわあいと叫びました。まもなくジョ
おか
バンニは黒い 丘 の方へ急ぎました。
てんきりん
五、 天 気 輪 の柱
天気輪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/10/16 02:32 UTC 版)
天気輪(てんきりん)、天気柱(てんきばしら)もしくは後生車(ごしょうぐるま)は、おも
に東北地方の寺や墓場の入り口付近に置かれている輪のついた石もしくは木製の柱
45
のこと。輪を回すことで死者に呼びかける目的の他、吉凶や天気を占ったり百度参り
に使用する場合もある。チベットのマニ車をルーツとして伝わり、日本独自の形態に
変化した。
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おおぐまぼし
牧場のうしろはゆるい丘になって、その黒い平らな頂上は、北の 大 熊 星 の下
に、ぼんやりふだんよりも低く連って見えました。
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ジョバンニは、もう露の降りかかった小さな林のこみちを、どんどんのぼって行きまし
た。まっくらな草や、いろいろな形に見えるやぶのしげみの間を、その小さなみちが、
一すじ白く星あかりに照らしだされてあったのです。草の中には、ぴかぴか青びかりを
出す小さな虫もいて、ある葉は青くすかし出され、ジョバンニは、さっきみんなの持っ
からすうり
て行った 烏 瓜 のあかりのようだとも思いました。
なら
こ
にわ
あま
そのまっ黒な、松や 楢 の林を越えると、 俄 かにがらんと空がひらけて、 天 の
がわ
わた
いただき
川 がしらしらと南から北へ 亘 っているのが見え、また 頂 の、天気輪の柱も
見わけられたのでした。つりがねそうか野ぎくかの花が、
カンパニュラ(Campanula spp.)
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ゆめ
かお
ぴき
そこらいちめんに、 夢 の中からでも 薫 りだしたというように咲き、鳥が一 疋 、丘
の上を鳴き続けながら通って行きました。
ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に
投げました。
やみ
町の灯は、 暗 の中をまるで海の底のお宮のけしきのようにともり、子供らの歌う声
さけ
や口笛、きれぎれの 叫 び声もかすかに聞えて来るのでした。風が遠くで鳴り、丘の
あせ
草もしずかにそよぎ、ジョバンニの 汗 でぬれたシャツもつめたく冷されました。ジョバ
ンニは町のはずれから遠く黒くひろがった野原を見わたしました。
そこから汽車の音が聞えてきました。その小さな列車の窓は一列小さく赤く見え、そ
りんご む
の中にはたくさんの旅人が、 苹 果 を剥いたり、わらったり、いろいろな風にしていると
考えますと、ジョバンニは、もう何とも云えずかなしくなって、また眼をそらに挙げまし
た。
あああの白いそらの帯がみんな星だというぞ。
ところがいくら見ていても、そのそらはひる先生の云ったような、がらんとした冷いと
こだとは思われませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や
牧場やらある野原のように考えられて仕方なかったのです。
Q なぜだろう?
Q 銀河に生命はあると思う?
あるとしたらどんな生命が?
こと
またた
そしてジョバンニは青い 琴 の星が、三つにも四つにもなって、ちらちら 瞬 き、脚が
こ
きのこ
何べんも出たり引っ込んだりして、とうとう 蕈 のように長く延びるのを見ました。ま
たすぐ眼の下のまちまでがやっぱりぼんやりしたたくさんの星の集りか一つの大きな
けむりかのように見えるように思いました。
六、銀河ステーション
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そしてジョバンニはすぐうしろの天気輪の柱がいつかぼんやりした三角標の形にな
って、
銀河鉄道の車窓からは何百という大小さまざまな三角標が見えています。これらはわ
たしたちが夜空に見る星座の形に並んでいます。
賢治さんの時代、全国的に三角測量が行われていました。三角点の上には測量をす
るため、遠くからも見通せるように高い櫓が作られました。この櫓は高覘標(懸柱式高
測標)といいますが、物語の三角標はこれのことだと考えられます。
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51
ほたる
しばらく 蛍 のように、ぺかぺか消えたりともったりしているのを見ました。それはだ
こ こうせい
んだんはっきりして、とうとうりんとうごかないようになり、濃い 鋼 青 のそらの野原に
や
はがね
たちました。いま新らしく灼いたばかりの青い 鋼 の板のような、そらの野原に、ま
っすぐにすきっと立ったのです。
なぜ天気輪が三角標になったのだろう?
い
するとどこかで、ふしぎな声が、銀河ステーション、銀河ステーションと云う声がした
ほたるいか
と思うといきなり眼の前が、ぱっと明るくなって、まるで億万の 蛍 烏 賊 の火を一ぺ
しず
ぐあい
んに化石させて、そら中に 沈 めたという 工 合 、
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と
またダイアモンド会社で、ねだんがやすくならないために、わざと穫れないふりをして、
こんごうせき
たれ
ま
かくして置いた 金 剛 石 を、 誰 かがいきなりひっくりかえして、ばら撒いたという
こす
風に、眼の前がさあっと明るくなって、ジョバンニは、思わず何べんも眼を 擦 ってしま
いました。
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銀河ステーションと言ったのはだれですか?
気がついてみると、さっきから、ごとごとごとごと、ジョバンニの乗っている小さな列車
が走りつづけていたのでした。ほんとうにジョバンニは、夜の軽便鉄道の、小さな黄い
すわ
ろの電燈のならんだ車室に、窓から外を見ながら 座 っていたのです。
軽便鉄道は、建設費・維持費の抑制のため低規格で建設される。軽量なレールが使
用され、地形的制約の克服に急曲線・急勾配が用いられ、軌間も狭軌が採用される
ことが多い。
Q 本当にこんなことがあると思う?
Q なぜこうなったの?
びろうど
こしか
車室の中は、青い天 蚕 絨 を張った 腰 掛 けが、まるでがら明きで、
天鵞絨(びろうど)とは、暗い青みの緑色ことです。生地が光沢のある白鳥の翼に似
ているところから「天鵞絨」の字があてられていました。天鵞絨 びろうどはポルトガル
語の「veludo」またはスペイン語の「velludo」からきた言葉で、本来は添毛織物の名称
です。この織物はポルトガル商船から京都に伝わり、慶長年間より織り始められまし
た。
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ねずみ
かべ
しんちゅう
向うの 鼠 いろのワニスを塗った 壁 には、 真 鍮 の大きなぼたんが二つ光っ
ているのでした。
すぐ前の席に、ぬれたようにまっ黒な上着を着た、せいの高い子供が、窓から頭を
かた
出して外を見ているのに気が付きました。そしてそのこどもの 肩 のあたりが、どうも
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見たことのあるような気がして、そう思うと、もうどうしても誰だかわかりたくて、たまら
なくなりました。いきなりこっちも窓から顔を出そうとしたとき、俄かにその子供が頭を
引っ込めて、こっちを見ました。
それはカムパネルラだったのです。
ジョバンニが、カムパネルラ、きみは前からここに居たのと云おうと思ったとき、カム
パネルラが
おく
「みんなはねずいぶん走ったけれども 遅 れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走っ
たけれども追いつかなかった。」と云いました。
なぜカムパネルラが乗っていたのだろう?
なぜザネリは追いかけたのだろう?
ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもい
ながら、
「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは
むか
「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが 迎 いにきたんだ。」
カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいとい
うふうでした。するとジョバンニも、なんだかどこかに、何か忘れたものがあるというよ
うな、おかしな気持ちがしてだまってしまいました。
なぜカムパネルラは苦しくなったのかな?
ジョバンニはなぜおかしな気持ちになったの?
ところがカムパネルラは、窓から外をのぞきながら、もうすっかり元気が直って、
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いきおい
勢 よく云いました。
すいとう
「ああしまった。ぼく、 水 筒 を忘れてきた。スケッチ帳も忘れてきた。けれど構わな
い。もうじき白鳥の停車場だから。
ぼく、白鳥を見るなら、ほんとうにすきだ。川の遠くを飛んでいたって、ぼくはきっと見
える。」そして、カムパネルラは、円い板のようになった地図を、しきりにぐるぐるまわし
て見ていました。まったくその中に、白くあらわされた天の川の左の岸に沿って一条の
鉄道線路が、南へ南へとたどって行くのでした。そしてその地図の立派なことは、夜の
ばん
さんかくひょう
ようにまっ黒な 盤 の上に、一一の停車場や 三 角 標 、泉水や森が、青や
だいだい
橙 や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。ジョバンニはなんだかそ
の地図をどこかで見たようにおもいました。
「この地図はどこで買ったの。黒曜石でできてるねえ。」
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ジョバンニが云いました。
「銀河ステーションで、もらったんだ。君もらわなかったの。」
「ああ、ぼく銀河ステーションを通ったろうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだろう。」
さ
ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。
かわら
「そうだ。おや、あの 河 原 は月夜だろうか。」
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいち
めん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
http://www.gingatetudounoyoru.com/ensen/ginga/nagisa/index.html
どこがきれい?
こんな景色を見たことはある?
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「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ。」ジョバンニは云いながら、まるではね上りた
ゆかい
いくらい 愉 快 になって、
なんで急に愉快になったんだろう?
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http://www.study-style.com/seiza/spring.html
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%98%9F%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%
8A&tid=f1dc16fb20b94fcaf1ec9e9e6fb5e6ba&ei=UTF-8&rkf=2
主人公の級友であり、(亡くなった時に)主人公と銀河鉄道を共に旅をしたカムパネル
ラの名前は、イタリア・ルネッサンス時代の哲学者「トンマーゾ・カンパネッラ**
Tommaso Campanella」からとられている、と言われています。宮澤賢治が盛岡中学
(現・盛岡第一高等学校)と盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に在学していた
頃、大西 祝 著「西洋哲学史」(初版は明治36年)を読み、そこに書かれていた「カン
パネッラ」に強く惹かれ、銀河鉄道の夜の「主人公と別れ・亡くなった級友」の名前をカ
ムパネルラとした、というのです。当時の他書物では(それ以降も)、トマソ・カンパネッ
ラの名前がカンパネラ(カンパネッラ)と書かれているのに対して、大西 祝 著「西洋
哲学史」の記述のみが(宮澤賢治が銀河鉄道の夜で書いたのと同じ)カムパネルラと
書かれている、というのがその傍証のひとつです。
実は、カムパネルラ(トンマーゾ・カンパネッラ)の名前は、ジョバン・ドメーニコ・カン
パネッラ Giovan Domenico Campanella でした。トンマーゾというのは、後に修道士
になった時に付けた聖職者名です。つまり、カムパネルラの名前はジョバン(ニ)で、
ジョバンニは、カムパネルラでもあったのです
**カンパネッラは強い信仰と自然に学ぶ科学を指向する矛盾を抱え、宮澤賢治自身
を彷彿させます。ちなみに、カンパネッラは 71 年の人生中の 32 年を監禁・幽閉で過ご
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しました。その中のいくばくかは、第2次ガリレオ裁判でガリレオの弁護をしたため、と
いう人です。
ザネリのスペルはもしかしたら Zanni(普通読みでザンニ)がなまったんではないでしょ
うか?
Zanni とはイタリアの劇とかで出てくる「召使い」の意味で、道化 or 小悪党というイメー
ジのキャラです。
ちなみにカンパネルラはイタリアでは人名というより、元々は「教会の鐘」の事です。
転じて時計の点鐘音もカンパネルラと言います。 だから教会の鐘が鳴ってる時(何時
ジャストとか)に生まれた子はカンパネルラと命名されたりするそうですよ。
ジョバンニはヨハネのイタリア読みです。これが誰なのか諸説あるのですが、もしかし
たらイタリアの教会に安置されている最古の天文時計の設計者のことかも知れませ
ん。
そう言えば、ジョバンニは時計店でミチクサ食ってましたよね。
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くちぶえ ふ
足をこつこつ鳴らし、窓から顔を出して、高く高く星めぐりの 口 笛 を吹きながら一生
けん命延びあがって、その天の川の水を、見きわめようとしましたが、はじめはどうし
てもそれが、はっきりしませんでした。けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれ
め
いな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら
むらさき
にじ
紫 いろのこまかな波をたてたり、 虹 のようにぎらっと光ったりしながら、声もなく
りんこう
どんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、 燐 光 の三角標が、うつくしく
立っていたのです。
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遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いもの
ある
いなずま くさり
は青白く少しかすんで、 或 いは三角形、或いは四辺形、あるいは 電 や 鎖
の形、さまざまにならんで、野原いっぱい光っているのでした。ジョバンニは、まるでど
ふ
きどきして、頭をやけに振りました。するとほんとうに、そのきれいな野原中の青や橙
ふる
や、いろいろかがやく三角標も、てんでに息をつくように、ちらちらゆれたり 顫 えたり
しました。
http://www.kagayastudio.com/ginga/gingaroad/gingaroad.html
「ぼくはもう、すっかり天の野原に来た。」ジョバンニは云いました。
「それにこの汽車石炭をたいていないねえ。」ジョバンニが左手をつき出して窓から前
の方を見ながら云いました。
「アルコールか電気だろう。」カムパネルラが云いました。
ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、
びこう
天の川の水や、三角点の青じろい 微 光 の中を、どこまでもどこまでもと、走って行く
のでした。
「ああ、りんどうの花が咲いている。もうすっかり秋だねえ。」カムパネルラが、窓の外
を指さして云いました。
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http://www.gingatetudounoyoru.com/ensen/ginga/akinokeiben/akinokeiben.html
しばくさ
きざ
線路のへりになったみじかい 芝 草 の中に、月長石ででも 刻 まれたような、すば
らしい紫のりんどうの花が咲いていました。
「ぼく、飛び下りて、あいつをとって、また飛び乗ってみせようか。」ジョバンニは胸を
おど
躍 らせて云いました。
どうしてそんなことを言ったのだろう?
「もうだめだ。あんなにうしろへ行ってしまったから。」
カムパネルラが、そう云ってしまうかしまわないうち、次のりんどうの花が、いっぱい
に光って過ぎて行きました。
と思ったら、もう次から次から、たくさんのきいろな底をもったりんどうの花のコップが、
わ
湧くように、雨のように、眼の前を通り、三角標の列は、けむるように燃えるように、い
よいよ光って立ったのです。
http://www.gingatetudounoyoru.com/ensen/ginga/southerncross/southerncross.htm
l
Q 二人はなぜこんなところに来たのだろう
Q 宮沢賢治は何が言いたいのだろう
64
七、北十字とプリオシン海岸
http://www.gingatetudounoyoru.com/ensen/ginga/nort
herncross/northerncross.html
「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか。」
何を許すの?
お母さんはカムパネルラを許すだろうか?
せ
い
いきなり、カムパネルラが、思い切ったというように、少しどもりながら、急きこんで云
いました。
ジョバンニは、
(ああ、そうだ、ぼくのおっかさんは、あの遠い一つのちりのように見える
だいだい
橙 いろ
の三角標のあたりにいらっしゃって、いまぼくのことを考えているんだった。)と思いな
がら、ぼんやりしてだまっていました。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに
さいわい
幸 になるなら、どんなことでもする。けれども、
いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう。」カムパネルラは、なん
だか、泣きだしたいのを、一生けん命こらえているようでした。
「きみのおっかさんは、なんにもひどいことないじゃないの。」ジョバンニはびっくりして
さけ
叫 びました。
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たれ
「ぼくわからない。けれども、 誰 だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なん
だねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う。」カムパネルラは、なにか
ほんとうに決心しているように見えました。
Q お母さんを置いて銀河鉄道に乗ったカムパネルラは良い子ですか?
あなたはお母さんにだまって銀河鉄道に乗りますか?
にわ
俄 かに、車のなかが、ぱっと白く明るくなりました。見ると、もうじつに、
こんごうせき
つゆ
金 剛 石 や草の 露 やあらゆる立派さをあつめたような、きらびやかな銀河の
かわどこ
河 床 の上を水は声もなくかたちもなく流れ、その流れのまん中に、ぼうっと青白く
さ
後光の射した一つの島が見えるのでした。その島の平らないただきに、立派な眼もさ
じゅうじか
こお
い
めるような、白い 十 字 架 がたって、それはもう 凍 った北極の雲で鋳たといったらい
いか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久に立っているのでした。
http://www.gingatetudounoyoru.com/ensen/ginga/southerncross/southerncross.htm
l
十字架は何の印なの?
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イエス・キリストは圧政に苦しんでいるユダヤの貧しい人々を救うために約2000年
前に現れたが、古い宗教を批判したために十字架にはりつけにあって殺された
十字架はキリスト教でイエス・キリストをあらわします
「ハルレヤ、ハルレヤ。」前からもうしろからも声が起りました。
ハレルヤ!
キリスト教で有名な言葉ですが、現代では色々な使い方がされるようです。
<ハレルヤの意味>
これは、
「主をほめたたえよ」
67
という意味です。
ハレルヤは、hallelujah と書きます。
キリスト教の聖書や賛美歌で使われる言葉です。
神様への感謝や素晴らしさを感じた時にも、感嘆詞としての意味も持ちます。
祈りの言葉の冒頭で使うほか、嬉しい時などにも使えます。
ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、
黒いバイブル
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バイブル(Bible)
1 キリスト教の聖典。旧約聖書と新約聖書との総称。聖書。
すいしょう じゅず
を胸にあてたり、 水 晶 の 珠 数 をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、
数珠
念仏の際に音を立てて揉んだり、真言・念仏の回数を数えるのに珠を爪繰(つまぐ)る
目的などで用いる。
他宗教でも、例えばキリスト教のカトリックなどではロザリオが数珠と同様の使途に用
いられる。
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いの
そっちに 祈 っているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネ
ほほ
りんご
ルラの 頬 は、まるで熟した 苹 果 のあかし(注:証拠)のようにうつくしくかがやいて
見えました。
そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。
向う岸も、青じろくぽうっと光ってけむり、時々、やっぱりすすきが風にひるがえるら
しく、さっとその銀いろがけむって、息でもかけたように見え、また、たくさんのりんどう
きつねび
の花が、草をかくれたり出たりするのは、やさしい 狐 火 のように思われました。
狐火(きつねび)は、沖縄県以外の日本全域に伝わる怪火[1]。ヒトボス、火点し(ひと
もし)[2]、燐火(りんか)とも呼ばれる[3][4]。
十個から数百個も行列をなして現れ、その数も次第に増えたかと思えば突然消え、ま
た数が増えたりもするともいい[6]、長野県では提灯のような火が一度にたくさん並ん
で点滅するという[7]。
火のなす行列の長さは一里(約 4 キロメートルあるいは約 500~600 メートル)にもわ
たるという[8]。火の色は赤またはオレンジ色が多いとも[6]、青みを帯びた火だともい
う[9]。
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それもほんのちょっとの間、川と汽車との間は、すすきの列でさえぎられ、白鳥の島
は、二度ばかり、うしろの方に見えましたが、じきもうずうっと遠く小さく、絵のようにな
ってしまい、またすすきがざわざわ鳴って、とうとうすっかり見えなくなってしまいました。
ジョバンニのうしろには、いつから乗っていたのか、せいの高い、黒いかつぎをしたカ
あま
ひとみ
トリック風の 尼 さんが、まん円な緑の 瞳 を、じっとまっすぐに落して、まだ何かこ
つつし
とばか声かが、そっちから伝わって来るのを、 虔 んで聞いているというように見え
ました。
カトリック:キリスト教の大きな宗派
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