講演要旨集 - 熱帯多雨林における集約的森林管理と森林資源の高度

講演要旨集
写真提供
(上)古川久雄
(下)市栄智明
デザイン
竹田
舞
http://tofreproj.kais.kyoto-u.ac.jp/jaste25/symposium/index.html
日本熱帯生態学会
公開シンポジウム
「熱帯の人と自然の変遷と行方―熱帯研究の歩みと重ねて―」
日時:2015 年 6 月 21 日(日)14:00-17:30
会場:京都大学稲盛財団記念館 3 階大会議室(京都市左京区吉田下阿達町 46)
共催:京都大学地域研究統合情報センター,京都大学アフリカ地域研究資料センター
シンポジウムの趣旨
日本熱帯生態学会 25 周年にあたる今年の公開シンポジウムでは,熱帯の人と自然の変遷を
俯瞰的に展望し,研究者が果たした役割を含めて議論する場を設けました.日本熱帯生態学
会は,生物過程が主体となった自然生態系に注目するだけでなく,自然を組織している社会
的なしくみにも目を向け,幅広いさまざまな研究成果の相互交流を目指して 1990 年に設立さ
れました.さらに研究成果を広く社会に還元し、熱帯地域に生じている社会と自然をめぐる
諸問題が正しく理解され,解決されるよう努力するという理念を掲げて活動を続けてきまし
た.それから 25 年.アジア・アフリカの沿岸域,平原,森林という異なる地域で長期研究に
携わってきた 4 人の演者に,人と自然と社会の変動,開発と保全のせめぎ合い,その中で研
究者が果たした役割を俯瞰的に紹介していただき,次の 25 年に向けて進むべき方向を議論し
てみたいと思います.
プログラム
14:00 開会
14:00 開会挨拶
米田
健(日本熱帯生態学会会長)
趣旨説明
神崎
護(京都大学農学研究科)
古川
久雄(NPO 法人平和環境もやいネット)
14:10 講演 I
インドネシア泥炭湿地大開発
14:35 講演 II
宮川
修一(岐阜大学応用生物科学部)
タイ熱帯平原の人と自然 ドンデーン村を中心に
15:00 講演 III
荒木
茂(京都大学アフリカ地域研究資料センター)
アフリカ生態環境変化の 25 年と保全・開発
15:25 講演 IV
市栄
智明(高知大学農学部)
サラワク熱帯雨林における長期生態研究の歩みとこれから
休憩・会場準備
16:00 総合討論「熱帯研究の次の 25 年」
パネリスト
演者ならびに,小林 繁男(京都大学東南アジア研究所)
増田
美砂(筑波大学生命環境科学研究科)
モデレーター
神崎
護(京都大学農学研究科)
17:00 閉会挨拶
原
正一郎(京都大学地域研究統合情報センター長)
日本熱帯生態学会
公開シンポジウム
2015
演者・パネリストのプロフィール
古川久雄(ふるかわ ひさお)
京都大学名誉教授.専門は地域研究,ツールは地形土壌生成論,地域生態学,農業史.東南ア
ジア,インド,中国,中東,アフリカ,ブラジルで農業生態と農業起源調査.京都大学農学部卒
業,同大学院農学研究科博士課程中退,1968 年京都大学農学部助手,1978 年京都大学東南アジア
研究センター助教授,同教授,京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授を経て,2003
年同上退職.同年平和環境もやいネット理事長.インドネシア泥炭湿地の荒廃水田回復と沈香木
育林,ヴェトナム枯葉剤被害地の沈香木育林に取り組んでいる.
宮川修一(みやがわ しゅういち)
岐阜大学応用生物科学部教授.専門は,作物学,農業生態学.東北タイを中心とした天水田地
帯の稲作,ホームガーデン,生物資源利用などの調査研究.宇都宮大学農学部農学科卒業,京都
大学院農学研究科修士課程修了,長野県農業試験場技師,岐阜大学農学部助手等を経て 1999 年 4
月より現職.
荒木茂(あらき しげる)
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授.専門は熱帯土壌学,およびアフリカの
生業生態研究.湿潤帯から半乾燥帯にいたるアフリカの各種生態系において,在来農業と生態に
関する調査を進めてきた.調査国は,ザンビア,タンザニア,ジンバブウェ,レソト,ナミビア,
カメルーン,エチオピアに及ぶ.北海道大学農学部農芸化学科を卒業後(1976 年),同大学院修
士課程修了,京都大学大学院農学研究科博士課程単位取得退学ののち,京都大学農学部助手(1983
年)
,同アフリカ地域研究センター助教授(1986 年)
,同人間・環境学研究科教授(1996 年)を経
て,1998 年より現職.2011 年より JST/JICA・SATREPS プログラム「カメルーン熱帯雨林とその周
辺地域における持続的生業戦略の確立と自然資源管理」プロジェクトリーダー.
市栄智明(いちえ ともあき)
高知大学農学部准教授.専門は樹木生理生態学.マレーシアやタイ,シンガポールの熱帯林で
樹木の成長や繁殖特性,環境ストレス応答に関する研究を行っている.愛媛大学農学部卒業,同
大学院院農学研究科修士課程修了,京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了.日本学術振興
会特別研究員,同海外特別研究員(シンガポール国立教育研究所)を経て,2005 年 4 月より現職.
小林繁男(こばやし しげお)
京都大学東南アジア研究所研究員・連携教授.専門は,森林生態学・地域研究.森林伐採によ
る生態系の変化を栃木県のスギ・ヒノキ人工林,U.S.A・オレゴン州のダグラスファー林,ブルネ
イの低地フタバガキ科林で研究し,その後,国際林業センター(CIFOR)で荒廃熱帯林の修復の研
究をタイ,マレーシア,インドネシア,パプアニューギニア,ペルー,ブラジル,アルゼンティ
ンで行った.1972 年京都大学農学部卒,1972 年農林水産省入省.2003 年より京都大学大学院ア
ジア・アフリカ地域研究研究科で教授,2015 年 4 月より現職.
増田 美砂(ますだ みさ)
筑波大学生命環境系教授.専門は発展途上国の森林政策,土地・林野制度,社会.森林だけで
なく,水産資源も含む自然資源管理をめぐる慣習,および自然資源管理にかかわる政策と社会と
の接合面で生じるコンフリクトに関心をもち,東南アジア,南アジア,西アフリカなどで調査研
究を行ってきた.京都大学農学部卒業,ボゴール農科大学留学,京都大学大学院農学研究科修了
ののち,日本学術振興会特別研究員を経て,2007 年 7 月より現職.
日本熱帯生態学会
公開シンポジウム
2015
インドネシア泥炭湿地大開発
古川久雄(京都大学名誉教授・NPO 法人平和環境もやいネット)
スマトラ、ボルネオ沿岸部にある広大な熱帯泥炭湿地は瘴癘の地だったが、パルプ材植林
を中心とした大開発が深い泥炭地を対象に 1990 年代から始まり、泥炭湿地林は道路、運河が
縦横に走る数百万ヘクタール規模のプランテーションへ変貌した。紙・パルプの超大企業二
社が成立し、中心工場所在地は企業城下町の様相だ。
一方感潮帯内部の浅い泥炭地を対象に政府が開いた移民開拓地は、泥炭消失、硫酸発現の
ため政府移民は約 30 年間塗炭の苦しみをなめたが、降雨で毒的酸性の洗浄が進み、2005 年
頃からオイルパームを中心とした樹木作物に転換、かつての水田や荒廃地はあらかた姿を消
し、粘り抜いた移民の農地は緑の園地が回復した。
超大企業の技術的成功は泥炭地排水の新方式によるものだ。政府移民開拓地は感潮河川に
切りとおした開放運河で排水したため、浅い泥炭はたちまち消失し、基盤の含パイライト泥
から硫酸発現を招き、事業は 30 年間、失敗の批判にさらされた。現在の超大企業による排水
方式は政府移民地の失敗を学び、排水路を直接感潮河川に結ぶことはせず、ピートダムでピ
ートドームを保存、沈殿池、水位制御の水門で、溢水だけを排水する方式である。
泥炭湿地の大開発はコントラクター労働により支えられ、沿岸河口部のムラユ-、ジャワ
からの移民労働者に大きな雇用機会となっている。パームオイル工場は政府移民の園地産物
の販路先でもある。
今、新たなプレヤ―として登場したのが環境保全を訴える国際NGOだ。泥炭湿地の開発
は莫大な化石炭酸ガスを放出し、地球温暖化に深甚な悪影響を及ぼすとする議論は地球規模
の異常気象の続発で相当の説得力を持つ。インドネシア政府はこれまで二つの超大企業の活
動を抑制することはなかったようだが、2014 年 10 月に新政令を作った。その内容は新たに
参入しようとする活動に対して厳格な規制をかける。3 メートル以上の泥炭地は開発不可、
地下水位 0.4 メートル以下の場合、劣化泥炭地として生産活動は不可などだ。国際NGOに
は泥炭地は一切の開発を認めないとの意見もあるようだ。
これらの議論は正義の騎士の登場という印象を与えるが、新政令成立の背景には大製紙メ
ーカーを抱える外國の関与も論理的には疑いうる。既開発のプランテーションをどうするの
かの問題も含めて、産業的存在となった泥炭湿地の行方はさだかでない。
日本熱帯生態学会
公開シンポジウム
2015
タイ熱帯平原の人と自然 ドンデーン村を中心に
宮川修一(岐阜大学応用生物科学部)
タイの熱帯平原に相当するのは主として東北タイ,ないしコラート高原とよばれる標高 100 か
ら 200 メートルの緩やかな起伏が連なる地域である.モーンスーン気候下でありながら,周囲を
取り巻く山脈のために雨量は少なく,また変動が大きい.平坦な地形に開かれた水田では灌漑が
容易でなく,稲作は天水依存度が高くならざるを得ない.表土は長期にわたる風化を受けてきた
ために,砂質で栄養分が乏しい.このような条件によりイネの生産は低収不安定となる.土地は
平坦ではあるが詳細に見ると数十から百 ha 規模の皿状の地形が連なる.これをノングという.皿
の縁と中央部との 1-2m 程度の高度差も天水条件では稲作に強い影響を及ぼす.東北タイの中央
部に位置するドンデーン村はこのような稲作が営まれてきた典型的な農村である.
地域の人口が少なく,従って水及び土壌条件の比較的良好なノング低位部のみで稲作が行われ
てきた 20 世紀初頭までは,人口扶養力の高い稲作が営まれていたと推測されている.1950 年代
までにはノングはほぼ開拓し尽くされ,1980 年代には低位田には晩稲品種,中,高位田には中生,
早生品種が作付けされ,ノングが接続する丘陵にはキャッサバなど商品作物が作付けされるよう
になった.干ばつの 1981 年に測定されたイネの収量は平均 1.8t,最低 0.3t,最高 5.6t/ha であっ
たが,雨に恵まれた 1983 年には平均 2.4t,最低 0.7t,最高 5.3t/ha であり,年次変動と水田の筆
間差が大きく自給作物的性格が強かった,畑作物に加え,水辺でのトウガラシ他野菜栽培や牛馬
の飼養,漁労や野生生物資源採集が現金収入源となっていたが,最大の収入源は出稼ぎや通勤等
の農外就労であった.
1980 年代後期からのタイの著しい経済成長は,農外就労の機会拡大となって村に多額の収入を
もたらすようになる.ドンデーンではこの結果,稲作の近代化や菜園の作物の転換(トウガラシ
からバジルへ)など農業の著しい変化が発生した.水稲収量は平均 3t/ha 前後を示すようになっ
たものの低収田と高収田との差は依然大きく,稲作の頼りなさは不変である.
東北タイの水田景観の特徴としてしばしば産米林が取り上げられてきた.ドンデーンでは田中
の立木は元来多くはなく,高木が茂る直径数メートルのシロアリ塚が一面に存在する景観が 1980
年代には特徴的であった.これらの塚は 90 年代以降水田区画整理や耕耘機の使用の一般化と共に
削平され,数を減らしてきた.2010 年代になるとこの地域の菜園ではバジルからセロリ生産への
転換が起こる.セロリの生育にはシロアリ塚の土が最適とされ,塚の消滅がいっそう進んでいる.
一方では畦畔にユーカリやマンゴーを植えて収入源とする農家も多く,産米林から畦畔林へと変
化が進んでいる.
ドンデーンでの長期滞在型研究は 1964 年の水野浩一氏(社会学)から始まる.筆者は作物栽
培学の立場から 1981 年よりこの村を中心に農学の他分野の研究者だけでなく人文社会系の研究
者と共に研究を進めてきた.熱帯平原のみならず人と自然を意識した研究は一専門分野の研究者
が単独で行うには限界があり,文系と理系の研究者が共同で取り組む必要がある.一方でドンデ
ーンでの滞在調査が可能であったのは,ひとえに水野氏が築いた村人からの信用の遺産である.
筆者の研究は天水田世界を農学の分野に知らせることに幾分かは貢献しているかも知れない.
作物学や育種学の分野においても天水田を意識したイネの特性の研究は 90 年代以降見受けられ
るようになってきたが,ファーミングシステム的な観点からの研究が今後も必要だろう.
日本熱帯生態学会
公開シンポジウム
2015
アフリカ生態環境変化の 25 年と保全・開発
荒木 茂(京都大学アフリカ地域研究資料センター)
1990 年は、ちょうど私がザンビにおけるチテメネ焼畑の農業生態調査を始めた年にあたる。そ
れ以降、半乾燥帯から湿潤帯いたる各種植生帯において、在来農業と環境との関わり、両者の変
貌に関する調査を継続してきた。本発表では、25 年間にわたるアフリカの生態環境の変化を概観
し、話題提供としたい。
80 年代に世界の農業パラダイムが「生産」から「環境」に大きくシフトして以来、アフリカで
は、ほぼ 10 年間隔で開発のスローガンが変化してきた。すなわち 80 年代の干ばつ対策に始まる
砂漠化キャンベーンと農業援助、90 年代における構造調整と民主化、自由化政策、2000 年代に
おける貧困削減、2010 年代における民間参入を促す農業投資の拡大である。特に最近のフェーズ
は、この 25 年間軽視され続けてきた農業部門へ ODA 投資を呼び戻す効果をもっている。このよ
うな背景には、アフリカ諸国の好景気(GDP 成長率が 5%以上の国がおおい)と、世界市場での
原油、穀物価格の高止まりがある。また、世界の穀物備蓄が 2000 年以降、許容レベル近くまで
減少し、これには米国におけるトウモロコシのバイオエタノール生産振興の影響が大きい。
このような開発主調(メインストリーム)の変遷の中で、アフリカ小農の土地利用が林地と農
地のせめぎあい(開発と保全)の中でどのように変化してきたのかを、ザンビア、タンザニア、
ナミビア、ジンバブウェ、カメルーンの事例によって紹介する。①ザンビア北部州では、80 年代
にはチテメネ焼畑の代替として、政府主導のトウモロコシ改良品種と化学肥料の配布、高価格買
い入れによる農民保護政策が進展したが、90 年代の構造調整により農業部門への政府援助がとだ
え、環境への負荷が強まる一方、国有地、共有地における土地の私有化が進行した。②タンザニ
ア北部ビクトリア湖沿岸のブコバ、ムレバ県では 400 人/km2 という高い人口密度のもとで、相続
による永年バナナ園の細分化が進む一方、草地における植林事業が進行している。③ナミビア北
部の黒人居住地域であるオバンボ4州では、農業限界地域において耕地拡大の余地はないが、都
市部への人口流出によって自給レベルのトウジンビエの生産への負荷が軽減されている。④ジン
バブウェでは、2000 年にはじまる白人農場の強制収容によって 750 万 ha の農地が 170 万戸のジ
ンバブウェ人に解放され、白人農場は、4000 戸から 200 戸に激減したことは、トウモロコシ生産
量の激減をもたらし(150 万トン/年)
、以後トウモロコシの輸入に頼る状況となった。
⑤カメルーン東部州の森林・サバンナ境界域では、森林地域へのカカオ園の拡大が進む一方、国
家プロジェクトによるサバンナ地域への耕地化の圧力が強まっている。
以上の事例で共通していることは、アフリカの農業、環境は世界銀行をはじめとする開発政策
の影響を直接受けやすいことである。また、植生、人口密度の地域的差異にかかわらず、自給的
な在来農法の範囲では土地不足に陥っており、外延的な土地拡大の圧力が強まっている。国連の
人口予測では今後、アフリカ大陸以外では正味の人口増加は都市部でまかなわれるといわれるが、
アフリカでは高い人口増加率によって農村部での環境への圧力は増大しつづけると予想される。
農地が不足する状況下では、小農の植林へのインセンティブを喚起しえない。自由化路線によ
ってもうかる農業を推進するのではなく、既存の耕地の集約化によって森林保全を可能とする長
期的な農地保全、小農支援が現在最も必要とされている。
日本熱帯生態学会
公開シンポジウム
2015
サラワク熱帯雨林における長期生態研究の歩みとこれから
市栄智明(高知大学農学部)
赤道直下に位置し、世界で 3 番目に大きな島、ボルネオ島。一年を通して高温多雨な気候
の下で、この島には世界屈指の多様さを誇る熱帯雨林が広がっている。そんな熱帯雨林の神
秘や謎に迫るべく、マレーシアやアメリカの大学や研究機関と協力して、日本の研究者たち
がサラワク州のランビル国立公園で研究活動を開始してから今年で 23 年が経過した。
ランビルの森には、直径 1cm 以上の樹木約 35 万本の動態を 5 年毎に調査している 52ha の
大面積調査区や、地上 50m を超える林冠層や突出木層にアクセスするためのツリータワー・
ウォークウェイシステム、林冠クレーンシスを配置した 8ha と 4ha の林冠調査区が設定され
ている。また、国立公園内には研究者専用の宿泊棟や実験棟も整備されている。
これらの恵まれた研究環境を活用し、ランビルではこれまで生物多様性や森林動態、生物
季節学、生物間相互作用、気象、水文、物質循環など様々な分野の研究が行われてきた。こ
こでの研究結果をもとに発行された学術論文は既に 200 報を超え、多くの若手研究者がラン
ビルで鍛えられ、育っていった。そして、いつしかランビルは東南アジア熱帯雨林を代表す
る研究サイトの 1 つと呼ばれるまでになった。
しかし、国立公園という保護された環境の下で、着々と貴重な熱帯雨林の研究成果が蓄積
されていく一方で、ランビル周辺の環境はこの 20 年で劇的に変化した。これまでランビルの
周辺に広がっていた二次林は、近年急激な速度でオイルパームに転換され、飛行機から見て
も国立公園の境界がはっきりとわかるまでになった。また、ランビル周辺の村々では若者の
数が減り、お世辞にも活気に満ちているとは言えない状況である。かつて、ランビルの研究
現場では臨時で雇用する地域住民の笑い声が常に響き、中には森や生きものに関する知識の
豊富なベテランワーカーもいた。しかし、彼らが高齢になった現在、その知識を引き継ぐ若
者はほとんどおらず、彼らが長年かかって育んできた貴重な伝統的知識が消えようとしてい
る。そして、これはランビル周辺だけでなく、サラワクの多くの森で今まさに起こっている
問題である。
ランビルの長期研究を通じ、これまでかなりの科学的知識が集積されてきた。今後は、東
南アジア熱帯雨林の研究拠点の 1 つとして更に継続して学際的な研究成果を上げつつ、それ
らを地域に還元し、地域住民の森林保護に対する認識や、インセンティブを高める新しい仕
組みの構築が求められる。次の世代に熱帯雨林の素晴らしさを伝え、地域の誇りとなるよう
な存在にするために、今後の向うべき方向性について考えてみたい。
古川久雄
インドネシア,リアウ
1984
古川久雄
インドネシア,リアウ,2014
古川久雄
インドネシア,リアウ 2001
宮川修一:タイ 1984
宮川修一:タイ,1983
市栄智明
マレーシア,サラワク,2005
市栄智明
マレーシア,サラワク,2007
市栄智明
マレーシア,サラワク,2006
2015年6月18日
©
発行
日本熱帯生態学会