インドネシア、バンドンにおける創造都市構想台頭の背景 平成 26 年入学 派遣先国:インドネシア 金 悠進 キーワード:インドネシア、バンドン、創造都市 対象とする問題の概要 インドネシアでは 2000 年代半ば以降、ファッションや音楽、映画などの「創造産業」が、インドネシ ア経済の新たな成長エンジンとして注目を浴び、2015 年には創造経済庁が発足した。バンドンでも、2013 年地方首長直接選挙にて、新しくバンドン市長に就任したリドワン・カミルのもと、創造都市政策が実 施されている(写真①)。 研究目的 本研究の問いは、なぜインドネシアで「創造経済」が出現したのか、他の東南アジア諸国に先駆けて なぜバンドンで創造都市構想が台頭したのかというものである。つまり、バンドンではどのような社会 背景のもと創造都市構想が誕生したのかを明らかにすることが本研究の目的である。これにより、本研 究はインドネシア政治経済研究に学術的な貢献をする可能性がある。 フィールドワークから得られた知見について 上記の目的に基づく調査に対して,今回のフィールドワークでは以下のような結果が得られた。 (1)バンドンのファッション・アウトレット、「ディストロ」のスタッフとのインタビュー(写真②)から、 90 年代からファッションと音楽の結びつきはあったものの、その協力関係が緊密化し、ネットワークが 広がるのはスハルト体制崩壊後の 2000 年代以降であるということ。ディストロは「クリエイブ」なデ ザイン性をセールスポイントにしているとのこと。 (2)バンドンの人気ロックバンド The Sigit の Rekti とのインタビュー(写真③)から、90 年代、バンドン工 科大学では校内外の学生運動が禁止されていたため、校内で文化祭のようなライブが行われ、そこから 現在「クリエイティブ」とされるポップ・ロックやインディースの人気ミュージシャンが生まれたとい うこと。しかし一部のミュージシャンは「クリエイティブ」として括られることに批判的である。 今後の展開・反省点 「創造経済」には様々なアクターが関わっているが、今回の調査では時間的制約もあり、社会アクタ ーに絞って、ディストロ・スタッフやアーティストに聞き取り調査をした。リドワン・カミルに関する 文献を複数入手することができたため、今後はそれらの分析に注力したい。 写真①「バンドン、台頭する創造都市」 写真②ディストロのスタッフと 写真③Rekti と
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