第21回講義メモ

15 年度「比較経済史」第 21 回講義
1930 年代世界恐慌への各国の対応:アメリカの場合ー市場経済の復興へ
ニューデール政策と現代資本主義(管理型資本主義)
2015/06/20
(はじめに)
J.M.ケインズは第1次世界大戦前の資本主義を「古い資本主義」、後のそれを「新しい資本主義」と呼
ぶ。経済発展のエンジンが「生産」の側から「消費」の側に移り、‘セーの法則’の世界から‘有効需要
の原理’にシフトしたのである。経済史でいう「消費者資本主義」、W.W.ロストウのいう「高度大衆消費
社会」も同様である。これらの実体が最初に登場するのはアメリカである。
ところで、1929 年アメリカに発生した「大恐慌」は瞬く間に世界に飛び火した。恐慌の救済策を講じ
る中で、もはや A.スミス以来の古典派経済学が想定していたような、経済活動を市場にだけ委ねておい
たのでは上手く行かなくなったことがはっきりした。国家が何らかの形で市場(経済)に介入し、管理・統
制しなければ、人・物・金という生産要素は充分ありながら、経済が低いレベルで均衡したまま回復しな
いいう現実である。ここにアメリカでは“ニュー・デール政策”が登場し、ケインズは『雇用、利子およ
び貨幣の一般理論』(1936 年)においてそれを理論的に解明した。産業革命はイギリスに起こり他国がそ
れに追随したように、管理型経済(資本主義)は先ずアメリカに登場し、他国がそれに追随することになる。
⇒「現代資本主義」の登場(宮崎義一『現代の資本主義』岩波新書参照のこと)
《参考までに》
松田智雄編『西洋経済史』(青林書院新社)第 6 編 49 節「管理経済とその諸類型」によると、一方の極
に「アメリカ型管理経済」、他方の極に「ドイツ型管理経済」を置き、その中間に「フランス型管理経済」
を置いている。1936 年の総選挙で人民連合派の勝利によって社会党総裁のレオン・ブルムは政権の座につ
き、「ブルムの実験」と呼ばれるアメリカの「アメリカ型管理経済」を試みた。しかしスペイン人民戦線
支援を巡って国内は分裂し、レオン内閣(フランス人民戦線)は解体し「ブルムの実験」は中座した。その
後を継いだのは対独協力派のペタン内閣で、ペタンは、市場機能を停止させ、統制経済をフランスに成立
させた。このように、フランスでは、1930 年代の大不況期に国家による管理経済が実施されたが、ブル
ム内閣とペタン内閣では全く異なった経済管理が行われた。
1.アメリカ経済の崩壊
1繁栄の陰で
1)農業不況
2)バブルの形成:割賦販売の普及
3)企業の内部留保金の蓄積
4)労務管理の強化
5)不均衡な産業構造の形成
6)独占の進行
7)地域格差、とくに「南部」における貧困の増大
8)所得格差
2.恐慌の発生
1)、1929 年「大恐慌」の諸原因→以下は経済史の通説
(1)農業不況⇒過少消費
(2)バブルの形成⇒過剰貯蓄
(3)企業の内部留保金の蓄積⇒過剰貯蓄
(4)労務管理の強化とアメリカ的生産方式の普及⇒失業の増加⇒過少消費
(5)不均衡な産業構造の形成⇒失業の増加⇒過少消費
(6)独占の進行⇒過剰貯蓄
(7)地域格差、とくに「南部」における貧困の増大⇒過少消費
(8)所得格差⇒過少消費
(9)その他:金融システム(連邦準備金制度&株式制度)の不備
2)、.ニューディールの経済学-恐慌の原因について
(1)T.ヴェブレン:過少消費説・消費の低迷が技術進歩を停滞させ、経済成長を止める
(2)A.バーンズ:過剰投資と過小消費
(3)R.ロビンズ:独占企業とカルテル、労働組合と政府の規制が市場機能を麻痺させている
(4)E.ヴァルガ:過剰生産と過剰消費→所得の不均衡
(5)その他ミッチェル、フィッシャー、シュンペーター、フリードマン、テーミン等々
3.ニューディール政策
F.D.ルーズベルト(1933 年 3 月大統領就任~ 45 年)
ルーズベルトは恐慌は‘国内的な経済要因’に基づくものだと理解し、政策の基調を①国内第一主義②政
府の経済への積極干渉③独占の容認においた。
通例ニューディール政策は3つの‘R’が指摘される。① Relif(救済) ② Recovery (復興)③ Reform
(改革)
1),前期ニューデール(1933 ~ 35 年):
※物価引上げ、通貨拡大、国民所得の増大=購買力の上昇、企業の利益確保
*金本位制停止→管理通貨制へ移行、*ドル通貨切下げと通貨拡大(低金利)、公共事業の拡(道路、港
湾、ダム建設、特に*テネシー川流域開発公社(TVA)1933 は有名)、さらに公共事業局(PWA)1933
等によるスペンデングポリシーの実施。*全国産業復興法(NIRA)1933、*農業調整法(AAA)1933
などにより、政府が企業間の価格調整=カルテルを結ばせ、過剰な農産物にたいしては減反奨励金の支給
と農産物価格指示政策によって、企業の利益確保と農家の所得増大に努めた。また、労働者の利益を守る
為、NIRA及びワーグナー法 1935 の制定で、労働基本権(団結権、団体交渉権、ストライキ権)が確
認され、最低賃金、最高労働時間が定められる等、労働者の権利と所得が保障された。
2),後期ニューデール(1935 ~ 39 年/以後は戦時経済):
※最高裁 1935 年 5 月NIRA、 36 年 1 月AAA共に違憲判決を下す。それとともに、ルーズベルトの考
えも変って行く。初期の政策では、経済活動を活性化するため企業の独占を容認したが、当初の目的とは
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逆に弊害を指摘する声が政府部内から出て来た。それに代って、社会改良的な政策が前面に押出されてく
る。特に、1935 年の「社会保障法」の制定は画期的なものであり、福祉社会の実現という考え方がより
鮮明に打出される。また、‘赤字公債,を発行して公共事業への投資が積極的に行なわれたのもこの時期
である。初期の政策では、財政はあくまで均衡が維持されるように配慮してあったが、後期では「財政支
出による需要の追加は有る程度恒常的でなければならない」という考えが認められ、‘赤字財政,が容認
される。
*雇用促進局(WPA)1935 は、後期ニューデール体制の中核となって行く公共事業局[(PWA)、民間
事業局(CWA)、連邦緊急救済局(FERA)、などを統轄]
*全国住宅建設局(USHA)1937、*農業保障局(FSA)1938、*新農業調整法(新AAA)1938
1937 年の恐慌は、「恐慌の中の恐慌」で、事実上ニューデール政策の失敗を告げるものだった。結局ア
メリカも、不況の克服は第2次世界大戦の戦時経済においてであった。
《ニューデーィル政策を(1)第 1 期(1933 ‐ 34)・救済と復興期、(2)第 2 期(1935 ‐ 37)・社会改革期、(3)
第 3 期(1937 ‐ 39)・反動保守化期とする分け方もある 》
3),主な政策等の解説[添付図表参照]
(1)国際金本位制からの離脱と管理通貨制
1994/4/19:金輸出禁止→ 34/2/1:金を 40%切り下げて金 10 オンス=35 ドルとし、管理通貨制へ移行。
(2)農業保護政策
1933/5:農業調整法 ①麦、綿花、とうもろこし、豚、タバコ、ミルクとその製品に生産制限が実施され、
作付け面積の縮小や生産制限に協力した農民はそれに協力した農民には補助金が支払われた。但し、財源
の農産物の加工税に求められたことが独占禁止法にふれることになる。
(3)産業保護政策
1933:産業調整法 独占禁止法の一部適用除外を認め、産業の適正な利潤を支持。反面、恐慌は一般大衆
の[過小消費]であるという認識にたち、それは資本側の強力なパワーに対して労働者側の交渉力が余り
にも弱いためであるとし、7 条(a)項で労働者の団体交渉権を認めた。
(4)労働者保護
1935/7:ワーグナー法 33 ~ 34 年にかけて全国で労働争議が相次ぎ、争議を取扱い、調停する法的な手立
てとして成立
(5)失業者の救済
1933:「連邦緊急救済局」(FERA)→生活困窮者の救済、市民事業局(CWA)⇒失業者に職を与える。2 年間
で 400 万の仕事を創設。35:就業促進局(WPA)⇒ CWA の改組統合[ラガーディア空港建設、画家、小説
家、音楽家、教員などの失業も救済]《イッキーズとホプキンズの活躍》
33 年ルーズベルト自身が指揮した「民間国土保全隊」(CCC)は職のない若者を1年くらいキャンプ共同
生活によって植林自然保護に就かせた
(6)公共事業による失業者の救済
*(5)の事業はより体系的に、 1933:公共事業局(PWA)や同じ年のテネシー川流域開発公社(TVA)の設立に
よるスペンディングポリシー実施される
(7)社会保障
1936:社会保障法 但し、行政の権限分限化の観点から全国一律の基準を設けることは出来なかった。連
邦政府は州の実施する社会保障を補助するという形をとったため、州によるバラつきが出る結果となった。
医師会の反対から健康保険制度も頓挫し、現在に致っている。
(8)[南部」の救済
33 年 TVA、36 年 H.オーダム『合衆国の南部地域』、38 年『南部の経済状態に関する報告書』等々
4.ニューディール政策の評価
①国家独占主義の強化によって、資本主義機構のもつ欠陥を部分的に修正し補強・強化した。(国家が財
政・金融政策を通して経済を管理)⇒混合経済への移行
②国内市場の復興を中心とした恐慌克服策っであったため、日本・ドイツ等の統制経済にみられた軍事的
侵略的性格とは対象的な平和的性格がある点③ワーグナー法や社会保障法など広範な労働政策、TVAや
公益事業持ち株会社法、独占調査法などにみられる独占抑制政策を含んでいる点で、一定の進歩がみられ
る。
③失業者の救済(労働振興局WPAやTVA)と老人の生活保障(社会保障法)など、今日の福祉国家の
原型を創った。
[参考文献]秋本英一『アメリカ経済の歴史』東京大学出版会、林敏彦『アメリカの大恐慌』岩波新書等
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