ロータリーの危機 関西ロータリー研究会

ロータリーの危機
関西ロータリー研究会
2000 年 11 月 4 日
最も新しい 2000 年 6 月 30 日の統計によると、現在の会員数は 1,180,550 名、164 ケ国
に 29,626 のロータリークラブが存在しています。最初僅か 4 名で出発したことを考えると、
その発展は目を見張るものがありますが、1997 年から、ロータリーの会員が世界的に減少
する傾向がみられ、その原因がいろいろととり沙汰されています。
経済不況や高い会費のせいにする人もいますが、空前の好景気に沸くアメリカにおいて
も同様の現象がみられることから、理由はそんなに単純なものではありません。
1999 年から 2000 年 6 月までの 1 年間の統計によると 12,911 名が減少しており、その元
凶はアメリカと日本であることが分かります。即ちアメリカが 3,645 人、日本が 3,348 人
の減少であり、ヨーロッパは逆に若干増えているという結果がでています。何れにせよ、
ロータリー大国を自認する日米両国で、ロータリー運動の陰りがでていることは大きな問
題と言わざるを得ません。
ロータリーに対する魅力がなくなった、ロータリーに入っているメリットがなくなった
と感じる会員が、不況を表向きの理由にして、ロータリーを離れていくような気がしてな
りません。ロータリアン以外の一般の人たちも、ロータリーに入ることに魅力を感じなく
なったので入会希望者も激減し、そうはさせじと、メークアップの期間を延長したり、出
席規定を緩めたりして、これに迎合したり、あまり難しいことを言って、退会する会員が
でたら困るということで、殆どロータリー教育をしないので、だんだん会員の質が落ちて
いく。昼食を取って、ゴルフの話をして 1 時間したらさっさと帰ってしまう。その状況に
愛想をつかした良質の会員を失っていくという悪循環を繰り返しているのではないのでし
ょうか。
実は、ロータリーを直撃した危機はこれが初めてではなく、深刻な危機が何回となくロ
ータリーを襲い、それを見事に乗り越えていった歴史的事実があります。
「過去を正しく分析しなければ、未来を語ることはできない。」
これは、イギリスの首相であり、ロンドンクラブの会員でもあったウインストン・チャ
ーチルの言葉です。ロータリーを直撃した危機を歴史的に検証することによって、今回の
危機を乗り越えていくノウハウにしたいと考えて、敢えてこの話題を選びました。
最初の危機は 1907 年から 1910 年にかけて起こった「親睦か奉仕」かを巡る論争です。
原始ロータリーは、会員相互の親睦と事業の発展を願ったエゴイズムに満ちた出発であ
ったことは、1906 年 1 月に制定されたシカゴ・クラブの定款が、
1. 会員の事業上の利益の増進
2. 社交クラブの性質上通常付随する親睦および其の他の事項の充実
であったことからも、明白です。
会員同士の原価による相互取引を推奨し、Statistician という役職を設けて、前回の例
会以降の会員同士の取引や仲介の実績を報告し、その成果に一喜一憂したという記録が残
っています。
そこにドナルド・カーターによって、社会に対する奉仕という概念が持ち込まれ、アー
サー・フレデリック・シェルドンによって奉仕理念が確定します。しかし、親睦と奉仕と
いう相容れぬ理念の葛藤がロータリーを分裂させる危機をもたらします。
それを打開する手段として、ロータリークラブ連合会が設立され、奉仕理念や拡大といっ
たクラブの親睦を阻害する可能性のある事項は、ここで扱うことによって、ロータリーの
最初の危機を脱することができたのです。
第二の危機は 1923 年の「奉仕活動の実践」を巡る論争です。
1915 年を持ってロータリーの奉仕理念が確定し、今後はいかにこの理念を実践に移すか
に絞られました。
そこで問題となったことは、職業奉仕の実践と社会奉仕の実践との葛藤でした。
ロータリーの活動は、職業奉仕の理念に基づいた職業奉仕活動であるとする一派と、世
の中に不幸な人がいる限りそれを救済するのが先決であるという社会奉仕活動に重点を置
く一派の論争です。これは、I serve か We serve か、精神的活動か金銭的活動かにまで発
展して、まさにこれもロータリー分裂の危機を孕んだ論争でした。
これは、皆さまご存知の決議 23-34 によって、職業奉仕理念をロータリーの哲学におく
ことを前提としながら、一定の枠をおきながらも団体的、金銭的奉仕活動を認めるという
ことで回避したわけです。
そして、第三の危機は、1929 年から第二次世界大戦にかけて起こった、ロータリー対す
る逆風です。
本日は、僅かに残されている資料から、この第三の危機についてお話をしてみたいと思
います。
1929 年 10 月、ウオール街の株価暴落に端を発した世界大恐慌は悪化の一途をたどりま
す。
それに追い討ちを掛けるように、1930 年、ロータリーの奉仕理念の提唱者であったフレ
デリック・シェルドンが、突如ロータリーを去ります。1929 年のダラス国際大会で、彼の
モットーHe profits most who service best を廃止しようという決議 29-7 が、RIBI から
提案され、これを支持するクラブがアメリカからもかなり出たことや、決議 23-34 で制限
がかけられたはずの奉仕活動の実践が、「身体障害児童の救済事業」として、同大会で決議
されたことが原因とだいう人もいますが、真偽のほどは定かではありません。
シェルドンという偉大なる精神的な基盤を失ったロータリーは、経済不況も加わって、
急速にその勢力を殺がれていきます。
シカゴ・クラブの統計をみれば、1929-30 年の入会者数 109、退会者数 58 に対して、1930-31
年入会 86、退会 82、1931-32 年入会 73、退会 89、1932-33 年入会 62、退会 101 であり、
1932 年 12 月の統計によれば、会員数 670 名のうち、半期 60%の出席義務を満たさなかった
会員は 213 名に上っており、クラブ管理そのものが破綻していたことが解ります。世界の
統計をみても、1932 年から 1935 年と、1941 年から 1944 年にかけて(これは第二次世界大
戦によるもの)会員数が減少しています。
この状況に危機感を抱いたシカゴ・クラブ会長ジョージ・ハーガーは、1933 年、シカゴ
大学社会科学調査委員会に対して、シカゴ・クラブの徹底的な分析を依頼します。同委員
会は、アンケートや提供された資料を基にして、翌 34 年に報告書「ROTARY ?」を出版しま
した。しかし、その内容があまりにもロータリー運動に批判的であったため、ポール・ハ
リスは、ほぼ完成の域にあった彼の著作「This Rotarian age」の発行を遅らせて、その内
容を書き直したという逸話が残っています。
その一方で、世界大恐慌は悪化の一途をたどり、1932 年の大統領選挙では、共和党のフ
ーバー大統領(アーカンサス州・ブルッフRC会員)に代わって、民主党のルーズベルト
が政権を取ることになります。当時のシカゴ・クラブの資料によると、共和党支持者 72.59%、
民主党支持者 8.64%であり、圧倒的なロータリアンの支持を受けていた共和党が破れて、
ライオンズの支持の多かった民主党が政権をとったわけです。
その直後に、ララミー・クラブの副会長を務め、その後 RI 事務局に勤務していた、ポー
ル・ハリスの弟レギナルト・ハリスがロータリーからライオンズに鞍替えするという事件
が起こります。国際ライオンズ公式文書には「1927 年から 1932 年までの間、レッグはロ
ータリーの場で働きましたが、勝ち馬に賭けることを欲した彼は、ライオンズに移籍し、
それ以来、私達と共にあるのです。」と記載されています(東京江北RC飯塚悟朗氏提供)。
「勝ち馬に賭ける」と書かれているのは、この辺りの状況を述べているものと思われます。
1933 年 3 月に発足したルーズベルト内閣は、
直ちにニュー・ディール政策を打ち出して、
金本位性の廃止、TVA 開発などの公共事業の創出、国家産業復興法に基づく企業活動と労
使関係を規制する政策を実施しました。ロータリアンを中心とする実業界と対立を深めな
がらも、一応経済危機を回避したかのように見えたニュー・ディール政策も、結局は功を
奏せず、1937 年の夏には「恐慌の中の恐慌」と呼ばれるほどの危機的状況になります。そ
こでアメリカ政府が選択した道は、当時、緊張が高まりつつあった国際情勢を利用して軍
事産業を積極的に育成することであり、アメリカ経済は戦時体制の下で、やっと不況から
抜け出すことに成功するのです。
1934 年から 37 年にかけて、ポールは超人的ともいえる過密なスケジュールをこなして、
イギリス、ヨーロッパ、極東、南アメリカのロータリークラブを訪問します。この一連の
諸国訪問は、ロータリアンの友情によって国際理解と世界平和を目指す試みを、国家間の
緊張が高まる中で彼自身が実行したとして、高く評価する向きも多いようです。しかしそ
の努力も実らず、1938 年にドイツ、オーストリア、イタリアでクラブが解散させられ、1939
年、第二次世界大戦が勃発したのを皮切りに、1940 年には、日本もRIからの脱退を余儀
なくされ、翌 1941 年には遂に太平洋戦争に突入します。
この歴史的事実の中から、我々は何をまなばなければならないのでしょうか。たしかに
日本においては、経済不況が会員減の理由の一つになっていることは間違いないでしょう。
しかし、空前の好景気に沸くアメリカで何故会員が大幅に減っているかを考えなくてはな
りません。
冒頭に、ロータリーに入っているメリットがなくなったことが、ロータリーに対する魅
力がなくなった理由ではないかと申しました。それでは、ロータリー運動が会員にどんな
メリットを与えたかを考えてみたいと思います。
言うまでもなく、ロータリーは職業奉仕を目的とした組織です。そのことは、ロータリー
の目的が端的に述べられている「ロータリーの綱領」の主文が、「有益な事業の基礎として
奉仕の理念を鼓吹し」と書かれていることからも明らかです。
1911 年のシェルドンの He profits most who serves best なるモットーの制定および、
1915 年の道徳律制定、翌 16 年のサンフランシスコ大会における、道徳律が記載されたガ
イ・ガンディカーの「ロータリー通解」の全員配布によって、職業奉仕理念は完成したと
考えられます。
ロータリーの職業奉仕の哲学は、シェルドンのサービス学から導かれたものです。
出来ては潰れていく多くの企業の中で、永続的に事業を続け、さらに発展していく幾つ
かの企業があることを発見したシェルドンは、その事業の共通点としてサービスがあるこ
とを説きました。
安いだけがサービスではなく、従業員の顧客に対する態度、店内のディスプレイ、品揃
え、品物の品質、売った品物に対する責任、アフター・サービス、それらの全てがサービ
スあると定義したのです。
今日我々が事業上の利益を確保して生活を営むことができるのは、当然、経営者の実力
のなせる技です。しかし、はたしてそれだけでしょうか。一生懸命働いてくれている従業
員、品物を納入してくれる取引業者、下請け業者、顧客、さらには同業者など、自分の事業
に関連するすべての人たちのおかげであることを自覚しなければなりません。
従って、自分が得たプロフィットは自分で独り占めするのではなく、これらの人たちと
シェアしながな事業を営めば、必ずその事業は永続的に繁栄します。この事業上の姿勢の
ことをロータリーは職業奉仕と呼んでいるのです。
職業奉仕に徹すれば、必ず事業が繁栄することを、自分の職場で実証することによって、
業界全体の職業モラルを上げていくことが、職業奉仕の究極の目的になります。
職業奉仕を前提として奉仕の心を磨く場を例会と呼んでいます。
世に有用な職業から一人一業種で選ばれた会員が毎週集まり、同業者を排除した自由な
雰囲気の中で、職業上の得られた発想やアイディアを交換し、自分の家庭・職場・地域社
会に戻って、それを実践に移すのが、理想的なロータリアンの姿です。
何の気兼ねもなく、自由に発言するためには、一人一業種であることが必要ですし、数
多くの発想を交換するためには毎週の例会が必要になってきます。
従って、ロータリーでは一人一業種と毎週の例会を、ロータリー運動を成立するための
必要条件だと定めているのです。
このようにして定められた職業奉仕の理念は、1916 年頃から、ロータリアンが経営する
事業所に「道徳律」を適用するという形でその実践が始まっていきます。
1925 年の RI の発表によると、ロータリアンが自ら制定に関与して、正しく実行されて
いる、全世界の企業の道徳律は 145 に上ることが報告されています。
一例として、ガイ・ガンディカーが作ったレストラン協会の道徳律には次のような内容が
定められています。
1. 雇用主と従業員の関係
2. 納入業者との関係
3. 事業家同士の関係
4. 関連する事業家同士の関係
5. 一般社会・行政との関係
6. 顧客との関係
この中には、食品の品質の厳重な検査、代用品を使わない規格化された献立、不当表示
や誇大広告の廃止、定価販売、礼儀正しい接客、細心の注意、チップをくれる客の選り好
みの禁止、間違った説明をしないこと、等が詳細に定められています。
ロータリーの職業奉仕の実践によって、ロータリアンが自らの事業を伸ばし、なおかつ、
一般大衆からも尊敬の念で見られたバック・グラウンドとして、当時シカゴに台頭したマ
フィアの存在を否定することはできません。
1899 年にブルックリンで生まれたアル・カポネは、10 代半ばでニョーヨークのマフィア
のチンピラとなり、1910 年頃からシカゴで勢力を伸ばしつつあったジョニー・トリオの片
腕となったのは 1919 年、彼が 20 歳の時でした。1920 年禁酒法施行と共に、マフィアは大
きく勢力を伸ばしていきます。
世に有用な職業を前提とするロータリーと、世に有害な職業を前提とするマフィアが、
ここで真正面から対立するわけです。
ロータリーの古い文献を調べると、これに関する幾つかの記述を見ることが出来ます。
ロータリアンの眼鏡商を証人として出廷させて、遺留品の眼鏡からマフィアの大物を逮
捕したり、シカゴ・クラブ元会長ローシュ大佐をシカゴ市防犯委員長に任命して、マフィ
アとグルであった警察を徹底的に粛清したという記録が残っています。
連邦警察もエリオット・ネスを隊長とする特殊部隊を投入して、ついに 1931 年に所得税
法違反でカポネを逮捕し、翌年実刑 11 年の判決を受けて、アル・カトラスに収監されたこ
とは、アンタッチャブルでおなじみの話です。
ちなみに、カポネは若いときに感染した梅毒が悪化したため刑期半ばで釈放されたもの
のフロリダで廃人同様の生活を送り、1947 年に 48 歳でこの世を去ります。奇きしくもポ
ール・ハリスの逝去と同じ年でした。
プロフィットを周りの人たちとシェアすることで自らの体質を改善して、大恐慌にも耐
え得ることを実証し、さらに世に有用な職業を尊重し、自らの職業を通じて社会に貢献し、
業界の職業倫理の高揚を求めてマフィアと対決しながら、みごとに勝利を勝ち取ったロー
タリーに対して、ロータリアンは当然のことながら、一般社会の人たちも大きな尊敬と賞
賛を与えたことは明らかです。
ロータリー運動は、ロータリー運動の中心である職業奉仕の実践によって、ロータリア
ンと一般社会の人々双方に大きなメリットを与えました。従って退会を考えるロータリア
ンはいるはずもないし、入会を希望する候補者が殺到したのです。
今、入会者が減り、退会者が増えて、ロータリーが衰退の方向に向いつつあります。こ
れは、ロータリー運動によってメリットを与えられなかった会員が退会し、ロータリーに
参加してもメリットがないと考えた一般社会の人たちが入会を希望しなくなったことを意
味するのです。
これは価値あるものは皆が求め、価値なきものは誰も見向きもしないという、単純な経
済原理だと思います。その原因も考えずに、出席規定や入会規定を緩めて、会員減に対処
することは、まじめな会員を愚弄することに他なりません。
なぜこんなことになったのかについて、考えて見たいと思います。
ロータリーは職業奉仕を中核に活動を続けてきましたし、現在もそうであるはずなので
す。その証拠は、現在でも、「有用な事業の基礎として奉仕の理念を鼓吹し」と明記された
「ロータリーの綱領」を遵守することが義務付けられているからです。
しかしながら、現実のロータリー運動は、職業奉仕は既に卒業したとして、人類愛に基
づいたボランティア活動にのみ終始しています。
私は人道主義に基づく社会奉仕や国際奉仕の実践活動を否定する意思は毛頭もありませ
ん。人間として、不幸に喘いでいる人を助けることは当然のことであるし、私自身も 1980
年代の約 10 年間はフィリピンの WCS 活動に打ち込んだ経験もあります。
然しながら、ボランティア活動を目的にしている団体はロータリーだけではないという
ことを自覚しなければなりません。ロータリーは元々ボランティア活動をするために作ら
れた団体ではありませんから、資金も活動内容も大きく規制されています。あれだけ議論
を闘わせながら行ったポリオ・プラスだって、ロータリーは全体の資金の 15%を醵金した
に過ぎません。
ボランティア活動を専門にしたいのならば、そのために設立された専門の組織や NGO、
NPO が沢山あって、決議 23-34 に抵触するとか、We serve にとらわれずに、おもいきって
活動することができます。
果たして職業奉仕はもはや必要なくなったのでしょうか。
社会奉仕や国際奉仕の実践は、それを受ける人たちには大きな恩恵を与えますが、ロー
タリアンが受益者になることはありません。ロータリアンが受けるのは満足感だけです。
また日本やアメリカのように、恩恵を受けるのではなく、恩恵を与える国のロータリアン
以外の一般の人々も同じ事が言えます。自分達に何のメリットも与えないロータリーに入
る価値を感じないのです。
ロータリーが理論を構築し、実践してきた職業奉仕について縷縷述べてきました。過去
において大きくロータリアンと一般社会の人々にメリットを与えてきた職業奉仕は、もう
完結したのでしょうか。
私は決してそうとは思いません。
ロータリーの職業奉仕理念は、一人一業種によって選ばれた職業人による、毎週一回の
例会における事業上の発想の交換を前提にして、組み立てられています。
しかし、現実に一人一業種制度は、シニア・アクティブやアディショナル会員といった
制度上、および職業分類の細分化によって崩れています。さらには次の規定審議会には、
職業分類を 10%に拡大するというとんでもない制定案がでます。
21 世紀には一次産業、二次産業、三次産業のバランスも大きく崩れて、三次産業のウエ
イト、特に通信・情報、金融の分野が大きく伸びてくるでしょう。更には、自分の事業を
守るために、職種の転換や合併も通常のことになって、ロータリー創世記に考えられた職
業分類制度を大幅に見直す必要が起こってくるに違いありません。
毎週一回の例会も、一週間に二回などという提案がでていますし、一人一業種が崩れて、
同業者がひしめく中で、事業上の発想の交換が果たして可能なのでしょうか。
シェルドンの理論を踏襲した職業奉仕理論を堅持していくのか、この理論を堅持してい
くとすれば、大きな阻害となる職業分類制度と毎週一回の例会制度の崩壊をどう処理する
のか、それとも、21 世紀の産業構造に適合した新たな職業奉仕理念を再構築する必要があ
るのか、今こそ、真剣に考えなければならない時ではないでしょうか。
ロータリーの提唱する職業奉仕の理念を実践に移せば、21 世紀の職業人が隆々と栄え、
ロータリアン以外の一般の人たちにも大きなメリットを与えることなしに、ロータリーが
生き延びる道はないことを強調したいと思います。