タイヤル(泰雅)族の発祥神話と移動系統からの考察 A Study of Myth

日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.11, 037-043 (2010)
タイヤル(泰雅)族の発祥神話と移動系統からの考察
伊藤 順子
日本大学大学院総合社会情報研究科
A Study of Myth and Diversification of the Atayal Tribe
ITO Junko
Nihon University, Graduate School of Social and Cultural Studies
Even now the Atayal tribe, aborigines in Taiwan, have no written language. Therefore, throughout the centuries their
myth has been transmitted orally.
The Atayal people are a hunting people. So they were constantly on the move looking for wild game. There are
classified into three groups by genealogical and classificatory. This work focuses on influence of diversification and
climate for the myth.
1.はじめに
民族の神話を概観すると、神話が如何に深く自然
と関わっているかを知ることができる。神でさえも
自然が姿を変えている場合が多い。自然現象、ある
いは自然の産物それぞれに神を感じた創生期の人々
は、自然を崇拝し、畏怖したことであろう。ここに、
自然とともに生きる謙虚なヒトの姿を見る思いがす
る。台湾原住民の 1 つ、タイヤル族にも豊かな数々
の神話がある。文字を持たない彼らは、それらを全
て口承してきた。タイヤル族はその発祥より移動や
分岐を繰り返し、北は台北県、南は南投県、東は花
蓮県、西は苗栗県など原住民の中では最も広範囲に
分布している。筆者は 2007 年北部、2008 年西部、
2009 年東部において現地調査を経てきた。これは彼
らの移動の系統に則したものである。本稿では、タ
イヤル族の発祥神話と系統との関連について考察す
る。この場合、タイヤル族の居住分布という地理的
条件が重要となるので、次にタイヤル族分布の略図
を挙げる。
図1.タイヤル族の移動分布
出所:黒蔕巴彦『泰雅人的生活型態探源』南天書
局、2002 年、p.15。
タイヤル(泰雅)族の発祥神話と移動系統からの考察
ら 3 方面を調査し、また先行研究にも依りながら、
2.タイヤル族の系統所屬
それぞれの発祥地や移動の系統により、風習や発祥
移川子之蔵、宮本延人、馬淵東一によって著され
た『臺灣高砂族
1
神話に差異のあることを認めた。次章では、この系
系統所屬の研究』 では主として口
統と発祥神話についてみていきたい。
碑伝承を通じて、グループの移動や分岐の過程を丹
念に辿って系統による分類を行った。これが「系統
所屬」という概念である。かつてのタイヤル族は狩
猟と焼畑という2つの食料調達の条件により、移動
生活を余儀なくされていた。移動や分岐、混淆など
を繰り返す中で、居住地の自然環境の差異は、居住
可能地の拡大の変遷により生じた「系統」というグ
ループ毎に、それぞれ独自な文化の発達や変化を促
したと思われる。馬淵東一の指摘の通り「同じ種族
でも、遠隔地に分派移動して原住地との交渉が久し
く杜絶えたり、外来分子を交えたりすれば、次第に
地方色が濃厚に現われる。」2からである。
『臺灣高砂族
系統所屬の研究』では系統を考え
る際、
「發祥より甫めて、離合分散の徑路を推考せね
ばならぬ。」3とあるように、系統分類の起点を、ま
ず各部族の発祥地や中心となる故地に置いている。
ここでいう発祥地とは祖先発祥に係わる地であり、
故地とは祖先居住の旧地を指す。次に移動の傾向を
遠心的傾向と求心的傾向に分けて論じている。遠心
的傾向では、人口の増加、敵対関係、土地の良否な
どの移動分散の原因を挙げ、求心的傾向では人は過
去を追慕する心理を持つとして、故地を離れて遠く
四方へ移動分散していく中で、逆に帰るべき求地探
検の結果、いくつかの発祥伝説が誕生したとみてい
る。タイヤル族の発祥地としては、以下の 3 地点を
挙げている。すなわち、ピンスブカン(Pins bukan)、
図2.発祥地
大覇尖山(Papak-waqa)、白石山(Bunobon)である。
出所:連鋒宗編『全台灣道路地圖』上河文化股份有
(図2参照、発祥地を△でポイントアウト、なおピ
限公司、2007 年、台灣分割索引圖-上。
ンスブカンは「仁愛」という地名のところを指す)
ただ、この『臺灣高砂族
系統所屬の研究』は 1935
3.発祥神話
年に発表されたものであり、その後の民族運動等に
タイヤル族には、彼らの発祥地と考えられている
より、現在は白石山を発祥地として東漸した部族は、
3 カ所―ピンスブカン、大覇尖山、白石山―にそれ
タイヤル族からタロコ(太魯閣)族という他種族に
ぞれ異なる発祥神話が口承されてきた。ただし、ピ
分離している。
ンスブカンと大覇尖山には類似の石生人神話、洪水
タイヤル人の始祖達はそれぞれの発祥地から移動
神話があり、白石山にはさらに特定の樹生人神話が
分散を繰り返し、北部(烏来 Wūlái・桃園 Táoyuán)・
ある。(「石生人神話・樹生人神話」は李福清『神话
西部(苗栗 Miāolì・東部(南澳 Nánào・宜蘭 Yílán)
与鬼话台湾原住民神话故事比较研究(增订本)』社会
方面へと、それぞれの終着地点を得た。筆者はこれ
科学文献出版社、2001 年の用語による)
38
伊藤
順子
最初の分裂がおきた。それはピンスブカンのほど近
ピンスブカンの発祥神話
くにスバヤン(sbayan)という地名があり、それは
ピンスブカンとは、現在の南投県仁愛郷発祥村
「相別れた所」6という意味であることから、そう考
ムスバン(瑞岩)部落に伝説の巨石があるところを
えられている。そのように分裂・拡散を繰り返して
3.1
4
指し、「岩の割れたる所」 との意である。ここでは
いたであろうことが、以下に挙げた地図からも、稜
この巨石から祖先が誕生したとされている。伝承に
線にそって集落が存在することから確認することが
よりいくつかヴァリエーションがあるが、その中で
できる。『臺灣高砂族
代表的なものを1つ以下に記す。
にまさに「山地に於て人口增殖の結果、土地の狹隘
系統所屬の研究』の「緒言」
を感じ、求地探件檢の爲め山頂を傳ひ歩いて、眼界
抑、我々アタヤルが(石を)破つて出た起りは、
の展望を期し、美地の發見に努めたといふ彼等の物
其は一つの大な石が有つたといふことだ。
(それ
語」7とある通りである。
が)パッと二つに割れて、二人の男と一人の女
がその破裂した處から出た。彼等が見ると、
(周
圍は)只純粹の深林と獸類と丈であつた。そこ
で一人の男は、「私は地上に居るのが厭になつ
た」といつて、その破裂した處へ再びはひつて
しまつたさうだ。彼等(他の二人)は引止めよ
うとしたかつたが、もう已にはひつて行つてし
まつたさうだ。其で、
「如何したら、我々は殖え
る様になるだらうか」といつて、彼等はその事
ばかり何かにつけていつも考へてゐた。扨、始
めに(女は)、山の鞍部へいつて胯を廣げて風に
吹かせたら、孕むだらうと考へたが、孕まなか
つたさうだ。扨或時、二人が關係(交接)すれ
ば子を孕むやうになるのではないかと考へたが、
彼等は直には(其の道を)了解することが出來
なかつた。彼等は尻の孔、鼻の孔、それから耳、
口と、凡ての孔に試みたが、それではなかつた。
すると或時、一匹の蠅がブーンといつて飛んで
來て、胯の間に止まるのを見た。そこで考へて、
「それは神の暗示ではあるまいかねえ」といつ
て、彼等が試みると、生物の考(性慾)が、本
當にその通りになつた(満足を得ること)さう
だ。暫くすると女の體が異様になつて、その腹
図3.ピンスブカン周辺の中央山脈の支脈の1つ
が段々に大きくなつて來た。月が到來すると、
(筆者、図表内矢印で表示)
家に引籠もつた(子を生むこと)。それで、その
出所:前出『全台灣道路地圖』2007 年、20。
父と母の喜は、實に非常であつた。
(石が)破裂
して我々アタヤルが增殖する様になつた起原は、
其な事である。5
3.2 大覇尖山の発祥神話
発祥地をピンスブカンとせず、彼らの祖先は直接
大覇尖山から降り立ったとする説である。3000m 級
このようにして、漸次人口が増加していったので、
39
タイヤル(泰雅)族の発祥神話と移動系統からの考察
の山々が幾重にも連なる雪山山脈に位置する大覇尖
れる洪水伝説があるが、これもピンスブカンと共通
山(3492m)の威容は、確かに人をして聖なる想起
していることから、両者は、同一の根幹を持つと考
の念を起こさしめるに足るといえよう。以下に大覇
えられている。ここで洪水伝説について触れておく。
始祖達にとって、ヒトの数は力そのものであった。
尖山の発祥神話を挙げる。
求地をし、新地を切り開くと言っても、狩りをする
昔パッパクワァ(大覇尖山)と称するところに
といっても、ヒトの労働力が頼みであるからだ。初
巨石あり。その石二つに割れて中より二人の男
め血族だけの小さな集団が、ヒトを増やすには近親
女出でたり。しばしば何事もなかりしが、いつ
婚に依らざるを得なかった。しかし、徐々に倫理的
しか彼らに好奇心起こり、二人は目と目とを接
になって行く神話の変遷9の中に、インセストタブー
し鼻と鼻とを接したり。されど何事もなし。そ
の象徴としての洪水伝説を見ることが出来る。
れより互いに抱きつきて腕下を合わせたるも変
わりたることもなし。いかなれば互いに同じ物
たまたま大洪水ありて、パッパクワァの頂きの
を所有するや、用なきものを神は授くることな
み残りたれば、みなみな先を争いそこに集まれ
からんとて、臍と臍とを合わせたるも別にこれ
り。それより一同協議して、にわかに海水の溢
ぞと点頭すべきこともなし。、両人はしばし思案
れ出でしは必ず社10に禁忌を犯せるものあらん、
にくれけるが、折しも金蠅の飛び来りて重なり
謝罪せざるべからずとて、まず犬を海中に投ぜ
合えるを見たれば、両人は早速その真似せんも
しも水退かず。つぎに老人を流せしもなお水退
のと、一人の股間を見るに隠れたる一穴を見出
かず。さらば犯則者他にあらんとて社中を検査
したり。指にてそれを探れば置く深し。これぞ
せしに、兄妹にて密通せる者あるを見出したれ
男の持てる一物を入れるべきところならんと、
ば、その両人を海に投ぜしに、水たちまち退き
両人は蠅に模倣て重なり合えり。それより幾年
たり。11
経たりしか、次第次第に子孫も増加して所も狭
くなりしかば、美地を求めて移らんものと二隊
また、祖先が別の島から漂着したという過去の記憶
に分かれて出発せり。そのとき一方の頭目は、
が、洪水のような水に関した伝承となった、という
我ら今二つに分かれて好むところに赴くも、人
見方もあるようだ。12
数に多寡ありては後日のためならず、人員を平
分せんとて鬨をつくってその強弱を比較しぬ。
3.3 白石山の発祥神話
しかるに一方の頭目は機智に富み、半数を岩陰
中央山脈の白石山(3110m)は 3 つの発祥地の
に隠し他の半数をして喊声を揚げしめたれば、
うち、最も南に位置する。タイヤル族の分布の中で
その声甚だ弱し。されば一方の頭目は欺かるる
は東南部を占めるこの地域は、前述した通り『臺灣
とは知らずして、さらに隊を両分してその半数
高砂族
を送りて再びともに鬨をつくりしに、弱しと思
在るにしても、土俗、言語の上に分離すべからざる
いし隊の喊声は今度は樹木の枝も折れんばかり
一致點があり、隨つてこれを大なるアタヤル種族中
に響きたり。それを見たる一方の頭目は、よく
の一部と、見倣す事が至當であると思はれる。
」13と
も我らを欺きしぞ、汝らこそいわゆる不倶戴天
扱われていた。しかし、2004 年 1 月には言語や文化
の仇なれとて、目を怒らして呪いたり。それよ
が異なることから、この地域に居住するタイヤル族
8
は新たにタロコ族として公認されている。本稿にお
りその隊の者と見れば必ず馘首するに至れり。
系統所屬の研究』(1935 年)では「小異は
いては、発祥神話に関しては、この地域にもピンス
ここでは、ピンスブカンと同じ巨石というモチー
ブカンと大覇尖山とに共通な石生人神話や、タイヤ
フが使われている。また、タイヤル族ではヒトの発
ル語の「オットフ」
(神霊の意)が神話中にあること
祥伝説の次に来るものとして、今度は彼らが淘汰さ
などから、マクロな意味でのタイヤル族の神話とし
40
伊藤
順子
て扱うこととする。以下に、白石山地域に特定の木
があるように思われる。レヴィ=ストロースは、
「神
成神話を挙げる。
話が歴史になるとき」との講話の中で次のように述
べている。
古昔、中央山脈のブノホン(白石山)と称する
ところにすこぶる大なる一樹あり。その名、今
対立―私たちがよくやる神話と歴史とのあいだ
に伝わらざれど、半面は木質にして半面は岩石
の単純な対立―が明瞭なものではなく、中間レ
よりなりて、いと珍しきものなりき。木の精化
ヴェルがあることです。神話は静的なもので、
して神となりしか、中より男女の二神出現せり。
同じ神話要素が何度もくりかえしくりかえし結
この二神、性交して数多の子を産めり。その子
び合わされます。しかしそれは閉鎖的体系のな
また子を産みて、数世の後には所も狭くなりぬ。
かにあり、その点で歴史とは対照的です。歴史
14
はもとより開放的ですから。
歴史の開放的性格が確保されているのは、神
白石山の発祥神話に特定の樹生人神話には、他に
話細胞、あるいはもともと神話的であった説明
も巨樹の下部から獣類、人類、蛇類、鳥類が出たと
のための細胞の並べ方、並べ変え方が無数にあ
するものや、老木があってその木の枝や根の間から
るからです。歴史を見れば、同じ素材を使いつ
男女が生まれた、とするものなど様々なヴァリエー
つも(中略)それぞれの集団、氏族、系族など
ションがある。ここを発祥地とした子孫たちは、や
に独自の解釈を作り上げることが可能であると
がて独自の系統を形成していくのである。
わかります。17
一見、無秩序とも見える閉鎖的な神話と開放的な
4.系統と発祥神話
系統所屬の研究』では、「恐らく
歴史との関係の中に、その種族の精神的な独自性を
口碑傳承の中で、比較的史實に近いものは、系譜關
形成する重要な要素があるということである。発祥
『臺灣高砂族
15
係と移動關係のものであらう」 との観点から、系
地を経て派出移動し、部外婚や異種族との相接も包
譜と移動を中心に系統所屬研究が行なわれた。確か
含しつつ、彼等は系統ごとに独自の神話を伝承する
にそこでの発祥神話に基づく発祥地の確認は、移動
ことにより、彼らの種族の同一性を保ち続けている
系統の起点を考える上で非常に重要な意味を持つこ
ということが出来る。
とは疑いがない。しかし、ここで、そもそも発祥地
発祥神話が起こった 3 地点のうち、白石山を起点
の前提となっている発祥神話と歴史との境目という
とする部族には、糞尿譚など独特の神話がある。彼
ことを考えてみたい。古老によって語られる系譜が
らの大部分は中央山脈を越えて、東漸し花蓮方面ま
ある程度までは事実に基づいていたとしても、
「悠久
で拡散していった。やがて彼らがタロコ族として分
の昔となれば、出生の神異に彩られ、縹渺摸糊とし
離することを考えるとき、神話と歴史の深い繋がり
16
て、而も幻想的」 な物語となっていることが十分
を思わざるをえない。対して、ピンスブカンと大覇
想定されるからである。
尖山を発祥地とする部族の中には、両者を別種とし
て扱う神話だけではなく、次のように両者を関連づ
神話の収集は、フィールドワークにおける、イン
けた神話も残っていた。
フォーマントからの聞き取り調査による、非常に個
別な伝承ということになる。記録という客観的な資
料に基づくわけではないので、どこで神話が終わり
昔シカヤウ方面にピンシブカンと称する所あり。
どこから歴史が始まるのか、が問題となる。また、
二人の男女そこより現出せり。彼ら両人はわず
インフォーマント A の伝承とインフォーマント B の
かに二三尺四方の地を耕して粟を播き、その実
伝承とは、ある点は類似しているが他の点では異な
取りて生活せり。その頃は今日のごとく多くの
っているなど、神話と歴史との間には無秩序な外観
粟を炊くことなく、ただただわずか一小穂にて
41
タイヤル(泰雅)族の発祥神話と移動系統からの考察
一日の食を得たるものなり。また獣類も呼べば
過を経て、徐々に形成されていったと考えられる。
来たりて毛を与え、その毛を茅の上に載せおけ
このような差異は、タイヤル族に伝わる祖先から
ば肉を化せしものにて、少しも労することなか
綿々と受け継がれてた口碑伝承という文化とともに、
りき。しかるにある日、にわかに洪水ありて地
そのままタイヤル人のアイデンティティの差異に深
上は一面の大海となる。二人は驚き、どこに遁
く関与している。
るべきやと四方を見渡せば、パッパクワカ(大
タイヤル族の移動分布の系統は、単なる発祥神話
覇尖山)の頂きのみ海中より突出するを見たれ
の起点の違いだけでなく、分化にともなう居住環境
ば、急ぎ二人はともにそこを目あてに遁れたり。
の違いや非タイヤル族との接触による外部要因など
それより両人、力を協せて水を押しやりしに、
複合的な影響を受けている。部族的な割拠対立が著
水はたちまち退き去る。その時水勢甚だ急激な
しく、深山に点在していたタイヤル族の文化やアイ
りしかば、地を掘りて今日の谷を造れり。かく
デンティティを、発祥神話という点から系統という
て両人ここにおること数十年、数人の子を得た
線で捉え直した。ここに神話という閉鎖的な時間か
れば、これを分かちてガオガン、渓頭、南澳の
ら系統という開放的な時間への変化をみることがで
諸地方に移住せしめたり。
18
きる。
この 2 地点に、ピンスブカンから派生したグルー
1
プが大覇尖山へ移動したというような、何らかの関
係があったとしても、最終的には全く別の系統を形
成していく。ここに発祥地ではなく、系統による種
族の同一性を考えることが出来る。
5.結語
本稿では、タイヤル族の発祥神話と移動系統とい
うことを考察してきた。完全に閉鎖的な時間の中に
存在する神話に対し、系統はその神話のレヴェルか
ら歴史という開放的な時間までの長遠な流れを包含
している。レヴィ=ストロースが神話を「静的・統
合的歴史観」19と呼んでいるように、神話の中では
太古とか今といった特定の時間が刻まれているわけ
ではない。タイヤル族においては、神話や系統を同
時に口碑伝承することで、この神話独自の論理構造
を背景にした時間の持つ統合性と、移動系統による
現実的開放的な時間の流れという両者がダイナミッ
クに融合し、彼ら特有の同一性を生み出している。
筆者が調査を行った移動系統の終着点ともいえる、
東西北のそれぞれの地域には、婚礼儀礼などそれぞ
れに特有な風俗や習慣が見られた。
『臺灣高砂族系統
所屬の研究』にも、系統ごとに服飾の色彩や柄、ま
た「人」の呼称などの言語の違いが挙げられている。
これらの系統による個別性は、世代数からみると大
体 200 年から 400 年ぐらいの、移動系統の時間的経
42
移川子之蔵、宮本延人、馬淵東一『臺灣高砂族系
統所屬の研究』臺北帝國大學土俗・人類學研究室調
査、1935 年。
2 馬淵東一『馬淵東一著作集』第 2 巻
社会思想社、
1988 年、p. 276。
3 前出『臺灣高砂族系統所屬の研究』1935 年、p. 2。
4 同上、p. 22。
5 小川尚義、浅井恵倫『原語による臺灣高砂族傳説
集』刀江書院、1935 年、pp. 34-36。1931 年大渓郡
大豹社における採集。
6
前出『臺灣高砂族系統所屬の研究』1935 年、p. 23。
7
同上、p. 11。
8
紙村徹編『神々の物語』草風館、2006 年、p. 33。
ツオレ群マビルハオ社における採集。
9
伊藤順子「インセストタブーについて」(『比較文
化研究』88 号、2009 年 9 月)pp. 167-168。
タイヤル族のインセストタブーに関する神話には
他にも、
「兄弟姉妹の結婚は不吉」という直接的な
話がある。
10 地域団体の単位。小さいものでは、2~30 戸、大
きいものでは 200~300 戸ぐらいのグループ。祖先
を同じくし、一定の地域を領有し、同様の慣習を
持つ。
11
前出『神々の物語』2006 年、p. 32。ツオレ群ロー
ブゴー社における採集。
12
前出『臺灣高砂族系統所屬の研究』1935 年、p. 11。
13
同上、p. 22。
14
前出『神々の物語』2006 年、p. 44。セデク群霧社
における採集。
伊藤
15
16
17
18
19
(Received:May 31,2010)
(Issued in internet Edition:July 1,2010)
前述『臺灣高砂族系統所屬の研究』1935 年、p. 2。
同上、p. 2。
クロード・レヴィ=ストロース『神話と意味』大
橋保夫訳、みすず書房、2009 年、pp. 56-57。
前出『神々の物語』2006 年、pp. 23-24。ツオレ群
ボンボン社における採集。
クロード・レヴィ=ストロース『構造・神話・労
働』三好郁郎・松本カヨ子・大橋寿美子訳、みす
ず書房、2008 年、p. 83。
参考文献
余錦福「泰雅族 Qwas Lmuhuw(朗誦式歌謡)即興吟
誦下的歌詞與音樂思惟」
『玉山神學院學報』第 15 期、
2008 年
鄭光博『Sm’inu puqing kinhulan na Tayal(懐念、遥想
泰雅故郷的根源)』國立政治大學民族研究所碩士論文、
2006 年
高理忠『民族音楽 教育對泰雅文化復振影響之研究-
以復興郷為例』國立政治大學民族研究所碩士論文、
2008 年
周錦宏編『原住民部落歌謡 泰雅族・賽夏族』苗栗文
化局、2005年
呉仁惠『烏來地區泰雅族祖靈祭儀式流變之探討』台
北師範學院、2004年
田哲益『台灣 原住民歌謡與舞蹈』武陵出版有限公司、
2004年
山田陽一編『自然の音・文化の音』昭和堂、2000 年
馬淵東一『馬淵東一著作集』社会思想社、1988年
小川学夫『民謡の島の生活誌』PHP研究所、1984
年
楊南郡『幻の人類学者
森丑之助』笠原政治・宮岡
真央子・宮崎聖子編訳、風響社、2005 年
東洋音楽学会編『南洋・台湾・沖縄音楽紀行』音楽
之友社、1968 年
伊能嘉矩『伊能嘉矩
蕃語調査手册』南天書局有限
公司、1998 年
周蜿窈『台湾の歴史』石田豪・中西美貴訳、平凡社、
2008年
43
順子