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ロバートソンの個人録
小峯, 敦
一橋研究, 17(1): 99-113
1992-04-30
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/5916
Right
Hitotsubashi University Repository
9
9
ロバー トソンの個人録
ロバー トソンの個人録
小
峯
敦
Ⅰ 目的
Ⅰ
Ⅰ 略伝
Ⅰ
Ⅰ
Ⅰ ケインズ との文通
(
1
) 蜜月 1
9
1
0
-1
9
1
5
(
2
) 蜜月 1
9
2
4
-1
9
2
6
9
2
8
-1
9
3
0
(
3
) 疑惑 1
(
4
) 決裂 1
9
3
1
-1
9
3
8
Ⅰ
Ⅴ 他者が見たケ ンブ リッジ
1 日的
本稿の 目的 は,忘却 された経済学者 D.H.
ロバー トソンにケイ ンズ との関連
で再 び光 を当てることにある。 ロバー トソンは貨幣論や景気変動論 に大 きな足
跡 を残 したが,今 日だれ も振 り返 ろうとはしない。 ロバー トソンを参照す るこ
とで,ケインズ経済学がいか に形成 されたかに 1つの視座 を与 えて くれ る。
I
l 略伝
デニス ・ヒュ-ム ・ロバ⊥ トソン (
De
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meRo
be
r
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s
on)は1
8
9
0
年5
月2
3日に 6人兄弟の末子 としてホイ ッテレス牢オー ド(
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W
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l
e
s
f
o
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d)に生 まれ
たCスコッ トラン ド系である。イー トン (
Et
o
n)に1
9
0
2
年 に入学するまでは牧
師である父親が古典 を教 えて0たO トリニティ ・カレッジ (
Tr
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ni
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)
に1
9
0
8
年 に入学 し,古典学 (
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l
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s
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c
s
)で奨学金 を得た。1
91
0
年 に古典学 トライ
1
0
0
一橋研究 第 1
7巻第 1号
ボス (
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pos
)のパー ト1 (
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s
)を得た後 に
9
1
2
年 には経済学 トライボスのパー ト2を得た。1
9
0
8
年 にマー
経済学 に転向 し1
シャルは引退 していたので, ロバー トソンはケインズの最 も初期 の学生である。
1
91
4
年 にフェローシップ (
Fe
l
l
ows
hi
p)を得て,それは 『
産業変動の研究』 と
して翌年出版 された。
第 1次世界大戦でロバー トソンは戦争 に参加 し(
1
)
,研究活動 は中断 した。戦後
,
貨幣』
1
9
2
2・『
貨幣改革論 』
1
9
2
3・
か らケイ ンズ との本格的な共同研究が始 まり 『
「チ ャーチル氏の経済的帰結」1
9
2
5・『
銀行政策 と価格水準 』1
9
2
6・『
貨幣 :釈
9
2
8・「
銀行政策の理論 」1
9
2
8・『
貨幣論 』1
9
3
0な ど(2)の成果が世 に出た。1
9
3
0
版 』1
年にはケンブ リッジ大学 (
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heUni
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s
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t
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mbr
i
d
ge
)の講師 (
t
heRe
ade
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)
に選 ばれた。 しか し 『
貨幣論』前後か ら両者の甑筋が露見 し始 め,1
9
3
0
年代 を
通 じて両者の信頼関係 は崩れていった。そして 『
一般理論 』1
9
3
6
年の出版 を契
機 として 〈ケインズ革命)か ら逃れ るために,1
9
3
8
年 ロン ドン大学の教授 にな
った。実際には戦争が始 まって,大蔵省 の仕事 を任 されたので,ケンブ リッジ
には留 まっていた。1
9
4
4
年 にケインズの勧 め もあ り, ピグーの後継 として経済
学の教授 (
t
heChai
rofPol
i
t
i
c
alEc
ono
my) となった(
3
)
01
9
5
7
年 に ミー ド (
J.
Me
ade
)に席 を譲 って引退 した。
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heCommi
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9
3
0
)
この間にマク ミラン委員会 (
とカナダ王立委員会 (
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s
s
i
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Fi
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9
6
2
)で証言 をし, また王立報酬同等委員会 (
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heCo
he
nCounc
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c
e
s
,
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9
4
4
4
6
)や コ-ヘ ン委員会 (
Pr
od
uc
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o
me
s1
9
5
7
5
8
)の委貞 となった。1
9
4
8
年か ら1
9
5
0
年 まで
9
5
3
年 にナイ ト (
Kni
ght
hood)が贈 られた。
王立経済学協会の会長 を務 めた。1
1
91
2
年か ら1
9
6
2
年 まで 9冊 の本 と9
1の論文 を世 に送 り,生涯独身の まま1
9
6
3
年
4月2
1日にケンブ リッジで死去 した。
上記以外の代表作 は次である。 『
産業の制御 』1
9
2
3(
デニ ソン S.
R.
De
nni
s
o
n
との新版共著 1
9
6
0
)・『
貨幣理論 【
l1
9
4
0・『
効用 とその周辺』1
9
5
0・『
経済原論講
9
5
7
5
9・『
成長 ・
賃金・
貨幣』1
9
6
0
。代表的な論文 には 「
貯蓄 と保蔵 」1
9
3
3・
義 』1
「
産業変動 と自然利子率 」1
9
3
4・「ケインズ氏 の利子率」1
9
3
8・「ケインズ氏 と
ファイナンス」1
9
3
8
がある。
(
4)
ロバー トソンの個人録
l
l
l
1
0
1
ケインズ との文通
ケインズ全集の1
3・1
4・
2
9
巻 には,ケインズ との文通が約9
0
通(5)収録 されてい
る。それは1
91
3年 に始 まり,1
9
3
8年 に終わ る。 この節では論争の内容 を吟味す
るのではな く,お互いが相手 をどう評価 していたかに焦点 を当てる。 この限定
は当時の論争に深入 りして迷宮 に陥 るのを防 ぎ,両者の相違 を最 も本質的な形
で掴 もうとす る戦略的な理 由か らである。
2人の文通 を辿 る際 に,両者の性格 を端的に把握 してお こう。 ロバー トソン
,『銀行政策."の出版 を控 えた頃の手紙か らわか るo
の慎 み深 さは
「しかしあなたが常に正 しいと信じる傾向に振 り回されて,私は出版を断念 してし
まうのではないかとも思う。・
--私はあまりに自信がないので,文章すべての冒頭
に"
次の語を侶ずるべからず〝と置きたいといつも思っている。
」(
CW1
3
巻p
.
3
3
)
これに対 しケインズは常 に人々 を説得 しようとい う意欲 に溢れ, ロバー トソ
ンのように弱気 になることはなかった。 この両者 の性格 の差 を考 えなが ら,2
人の文通 を見てい こう。
(
1
) 蜜月 1
91
0
-1
91
5
ケインズはロバー トソンが トリニテ ィカレッジに入学 した当時 (
1
9
0
8年)か
らその才能 を見抜 き,次のように書 いていた。
「ロバー トソン氏はイー トンからトリニティに入った,きのう昼食にやって来て,
私と散歩した。彼には長所がた くさんある-。
」(
Ski
de
l
s
ky[
1
9
8
3
]
p.
2
0
0
,
訳 p.
3
3
1
)
(
6)
1
91
0
年か らケインズはロバー トソンに経済学 を教 えていた。 ロバー トソンの後
S.R.De
nni
s
on) は, この時期 にロバー トソンがケイン
継者であるデニ ソン (
ズに提出 した課題 レポー ト類が次 のような性格だった と証言 している (
Pr
e
s
l
e
y
。すなわち経済学 をわずかな期間で習 った者 としてはすばらしか
[
1
9
89
]
p.
33
)
ったが,基本的にはマーシャル的な論題 についてであ り,景気変動論 などとは
何 の関係 もなかった, と。 この証言か らロバー トソンが どこか ら景気変動論 を
1
0
2
一橋研究 第 1
7巻第 1号
生み出 したか という謎が生 まれて くる。
さてロバー トソンはケインズの最 も初期 の学生だったが,経済学界へのデビ
ュー という点ではむ しろケインズに先 ん じていた。なぜ な らロバー トソンはフ
ェローシップ論文 を 『
産業変動の研究 一商業のいわゆる循環的運動の性格 と原
因への探求 -』 という題名で,1
9
1
5年 に発表 したか らである。ケインズはと言
えば 『
平和の経済的帰結』1
9
1
9で有名 になっていた ものの, まとまった経済学
9
2
3
が初 めてだった。
の著作 は 『
貨幣改革論 』1
大陸の過剰投資論 をイギ リスに導入 した 『
産業変動の研究』 は,ケインズ と
の綿密な協調関係 を通 じて完成 した と推測 され る。 この推測 は次の断片的な証
1
91
5
年11月)である。
拠 による。第 1にロバー トソンの序文 (
ケインズ氏からの助
「
私はケンブリッジ ・キングスカレッジのピグー教授 とJ.M.
けと批判に大変な利益を受けた。特にケインズ氏には感謝できる以上のものを負う
ている。
」(
SI
Fp.xx)
第 2はケインズか らの手紙である。
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pDi
s
s
e
r
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o
n]に詰め込んだのだろう。
「
何 と多量の仕事をそれ [
論文 Fe
-いま言わなければならないのは,あなたの仕事は景気変動についてのすぼらしい
と一見して思われる理論を私に示唆して くれたことであり,それについての意見を
」(
CW 1
3巻 p.1)
ぜひ聞きたい。
残念なが ら具体的な影響関係 は,文通か らも 『
産業変動.
日本文か らも特定で き
ない (
Pr
e
s
l
e
y[
1
9
8
9
]p.
3
5
)(7)。 しか し上記の引用文か らケインズはロバー ト
ソンの存在 も 1つの契機 として,景気変動論 とい うマーシャルが残 して くれた
領域(
8
)
に覚醒 してい くことがわかる。つ まり 『
産業革命』か ら 『
貨幣改革論』へ
の道程 は次 のようにまとめられ る。:ロバー トソンはケインズ (
ひいてはピグー
やマーシャル も含 めて) とは独立 に景気変動論 を志 して, フェローシップ論文
を書 き始 めたo Lか しその草稿段階ではケイ ンズの強力な助 けを仰いだ.ケイ
ンズはこの作業 を通 じて自ら景気変動論 にめざめ, 『
貨幣改革論』を執筆す る 1
つの動機 を見つけた。
1
0
3
ロバー トソンの個人録
9
2
4
-1
9
2
6
(
2
) 蜜月 1
『
産業変動.
n同様
,『貨幣改革論』をめ ぐる文通 もほ とん ど残 っていない。わ
ずかに 「
私 はあなたが好む ような信用循環論 に従事 しているところだ」(
CW1
3
巻 p.
1
6
)というケインズの言葉 と, ロバー トソンの 『
貨幣改革論』草稿へのコ
メン トが現存 している。後者 には 「それ [
ケインズの草稿] は非常 に興味深い,
CW1
3
巻 p.
2
4
)とい う手紙が添 えられている。ロバ
残 りを熱心に待 っている」(
ー トソンのコメン トは 「
労働強度」・「
固定資本」・「
流動資本」な どの定義や,
不況状態の認定の仕方に疑問を呈 している。 しか し不況の認定 については 「
た
owai
tす る力や意志が欠 け
ぶん我々 は同 じこと,つ まり財 は豊富だが,待忍 t
ていることを意味 しているのだ ろう」(
CW1
3
巻 p.
2
6
)
, とロバー トソンは判断
している。
2つの著作以上 に徹底的な討論 を通 じて完成 したのが, ロバー トソンの 『
銀
行政策 と価格水準』1
9
2
6である。 これをめ ぐる文通 は1
9
2
5
年か ら始 まっている
r
di
ng行為 とラッキング l
acki
ng
が,最大の論点 (とい うより相違点)は保蔵 hoa
,
行為の違いだった。ラッキング とは消費欠落 と訳 され 「
経済の経常産出量以下
に消費が行われた場合」(
BPp.
4
1
)に生 じる。貯蓄 と似ているが,貯蓄が貨幣
(
名 目)タームで測 られるのに対 し, ラッキングは消費財 という実物 タームで
測定 され る点が異 なる。 またラッキングは貯 えられた資源が投資財 に変換 され
てい く中間項であ り,物価変動 を伴 っているO
さて, ロバー トソンは両者 の区別 を重要だ と言 う。
「
通貨 を市場か ら抜いてしまう人々の行動 (
保蔵) と,通貨 を市場に持って くる
が,通貨当局が [
通貨を増やしたため]何 もしなかった時より少ない財しか得 られ
r
c
e
dEf
f
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c
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veSho
r
t
La
c
ki
ng)
なかった人々の行動 (
強制有効短期ラッキング Fo
の区分の有効性について。私は有用だと思う。
」(
CW1
3
巻p
.3
0
)
当局 による通貨供給の増加 はやがて物価上昇 を引 き起 こすO同時に強制貯蓄 に
よって消費が切 り詰 め られ,短期 ラッキングが生 じる。 このラッキングは流動
資本の創造へ と向か う。 こうした過程 をロバー トソンは重視 しているので,響
本創造へはけっして向かわない保蔵 と短期 ラッキングを同一視す るわ けにはい
1
0
4
一橋研究 第 1
7巻第 1号
かないのである。
ところがケインズは両者の違 いを認 めない。保蔵がなければ銀行 を通 じた短
CW1
3
巻 p.
3
4)か らである。 ラッキング
期 ラッキングは生 じない と指論する (
の発生 は貨幣のフロー と関連 し,インフレは資源の移転 をもた らすだけ (
ある
CW1
3
巻 p.
人の貯蓄増 は他の人 の貯蓄減で相殺 され る) とも主張 されている (
3
5)
。ケインズはインフレによるラッキング発生 は新投資の犠牲 を生むだけと主
張 し, ラッキングの調整機能 (
実物投資への影響) を否定 したのである。
つ まり両者の理論的隔た りは既 に生 じていた と考 えられるが, この時期 に両
者 はそれを意識す ることはなかったo lつには,ロバー トソンは譲歩 して短期
CW1
3
巻 p.
3
9)
。 もう 1つにはケイ
ラッキング と保蔵 は同一だろうと回答 した (
92
5
年 6月か ら 9月にかけて 1回,同
ンズが草稿 に全面的な同意 を表明 した。1
9月か ら11月にかけて 1回,大幅な改訂がなされた と推測 され,ケインズはそ
れぞれ次 のような感想 を残 している。
「この最新版は良い,誰 も簡明だ とは思わないが。私は-第 5章に何の批判 もな
」(
CW1
3
巻p
.3
9
)(9)
い。
「
改訂された 5章はすぼらしい,最 も新 しくて重要だ。本質的に正 しく,ついに重
大な批判は何 もないOそれはその書の核心であり本質である。
」(
CW1
3
巻 p.4
0
)
それゆえ, ロバー トソンも序文で次の ように記 した。
M.
ケインズ氏 と第 5・6章の主題について多 くの討論をし,彼の示唆で大
「
私は J.
幅に書き直したので,そこにある考えの中でどれが彼ので,どれが私のか 2人 とも
」(
BPp.5
)
わからないのである。
すなわちこの時期,両者 は少な くとも表面上 は完全 に理論的な同意 をしていた
と結論す ることがで きる。同時 に,後 の理論的亀裂が既 に内包 されていた と解
釈することも可能であろう。
(
3
) 疑惑
1
9
28
-1
9
3
0
,『貨幣論』1930の執
『
銀行政策』では露呈 しなかった亀裂が表面化 したのは
ロバー トソンの個人録
1
0
5
筆が きっか けだった。 ロバー トソンは少な くとも1
9
28
年 9月には 『
貨幣論』の
草稿 を読み,また後 に校正刷 も受 け取 った。『
銀行政策』とは異な り,今度 は「
全
面的な抵抗の気持 ち」 (
CW1
3
巻 p.
1
2
2)をロバー トソンは隠そうとはしなかっ
CW1
3
た。そして『
貨幣論』は「
研究すればするほど,ます ます障害 を発見する」(
巻 p.211
) もの となった。 それが出版 されてか ら, ロバー トソンは次の感想 を
述べている。
「
それは驚 くほど新しい内容に満ちた偉大な成果だ。第 7編のほとんどは私にとっ
」
て新鮮で,すぼらしい。次に第 3・4編はもう 1度,注意深 く読まねばならない。
(
CW1
3
巻p
.2
0
2
)
注意 したいのはロバー トソンが第 7編 「
貨幣の管理」に賛意 を示 し,第 3編 「
基
本方程式」・
第 4編 「
物価水準の動態」に懐疑 を示 している点である。第 7編 は
中央銀行の対内 ・対外政策が議論 され,貨幣当局の物価水準 ・投資水準への管
貨幣論』の理論的中核で
理が問題 となっている。 それに対 し,第 3・4編 は 『
あ り,最 も新奇な箇所である。 ロバー トソンは全体 としての貯蓄や投資概念 ・
投資財価格水準の決定 ・利子率の機能 ・投資財価格 と消費財価格 の独立性 な ど,
『
貨幣論』の新機軸 ほ とん どに抵抗 を感 じている。理論的に唯一評価 されるの
Robe
r
t
s
on [
1
931
]p.4
0
9
)で
は 「
保蔵 を不況 の主たる特徴 と強調 した こと」(
ある。 ここで もロバー トソンは保蔵 とい う側面 に,ケインズ と共通認識がある
と判断 している。
(
4
) 決裂
1
9
31
-1
9
3
8
ロバー トソンは 『
貨幣論』 に困惑 し,ケインズに真意 を執鋤 に尋ね続 けた。
しか しロバー トソンに とって不幸だったのは,ケインズが 『
一般理論』1
93
6に
向けて 『
貨幣論』の立場 を急速 に激変 させて行 った ことである。 ロバー トソン
は二重 に困惑 しなければな らなかった。 しか しケインズは過去に執着すること
な く,次のように宣言する。
「
我々は違い全部を最小化するのをやめ,それらを最大化することなく拡大 して違
いを平明にしたいとこの段階では思っている。我々の間にある本当の問題は表現や
1
0
6
一橋研究 第 1
7巻第 1号
比較的細部の ことではな く,もっと重要なことだ と私 は確信 しているか らである。
」
(
CW1
3
巻p
.
2
7
2
)(10)
「あなたの見解は,あなたが常に持 っていて私 もごく最近 まで持 ってuた見解 と整
合的だか ら,私は正 しい道にいる。あなたが 『
銀行政策 と価格水準』を書いて我々
がそれを議論 していた時,貯蓄 と投資 (
その時は用語 を唆味に使 っていたが)の不
一致は銀行の-インフレ ・デフレ行動の結果 として生 じるだけと我々はともに信 じ
ていた。 しか レ -私はそうではない と結論 した。-私の理論 は見解を変 えた結果で
ある。私 との差異は,あなたが本質では古い考 えに囚われているためだ と思 う。
」
(
CW1
3
巻p
.2
7
3
)
『
貨 幣論』に固執 す るロバ ー トソン と固執 しないケイ ンズの論争 は,一応 「
貯
蓄 と保蔵 」1
9
3
3とい うロバー トソンの論文 で終結 す る。 この論文 で貯蓄 の厳杏
な意味や期 間分析 が明確 に導入 された. ロバ ー トソンの意 図 は,貯蓄 が単 な る
保蔵行為 で あれ ば,流通通貨 の減少 に よ り物価 下落 ・不況が発生す るが,貯蓄
が証券購入 とい う形 な らば,物価下落 を阻止 で きる ことを指摘 す る ことだ った。
この議論 は もはや ケイ ンズ に とって建設的 とは思 えなか った ようで ある。
ケイ ンズ は休 む ことな く 『
一般理論』 の執筆 に取 りかか るO ロバ ー トソンは
既 に遠 ざけ られた存在 だ ったが, それで も 「サーカス」
l以外 で は初 めて その
(
l)
9
3
5
年初頭 に渡 された (
CW1
3
巻p
.
4
9
3
)
。 さ らに悪 い こ とに,今度 の
校正刷 を1
ロバ ー トソンはケイ ンズのマー シャル攻撃 とも闘わね ばな らなか った0
p
p
.
7
0
9
1
1や
「あなたのいわゆる古典派の取 り扱いに全 く同感できない。-・
『
原理』
MCCでの信用循環の記述 は,マーシャルによる"有効需要〝変動の研究ではないの
CW1
3
巻p
p
.5
0
4
5
0
5
)
ですか ?」(
理論面 で は景気論 の排除 ・利子論 ・流動性選好論 な どにロバ ー トソンは強 く反
対 す る。 ここまで くる と,両者 は単 に自説 を強要 す るにす ぎない。
「
一方であなたはマーシャルの利子論 に満足 していると言 う。- どちらが正 しいに
しろ,両者が完全に違 うのは疑いない。
」(
CW1
3
巻p
.5
1
9
)
「あなたがマーシャJ
I
,・ピグー らは-大不況の存在 を否定 していると言 うのは困惑
ロバー トソンの個人録
1
0
7
だ。-私の "
実物的な〝方法 (
あなたの元で習った !)は-事実を説明して くれる
が,あなたの今の "
貨幣的な〝方法は事実を否定することになるだろうと現在感 じ
」(
CW1
3
巻p
p.5
2
0
5
2
2
)
ている。
一般理論』を見 たい と言い (
CW 1
3巻
1
935年 3月 にロバー トソンは新鮮 な目で 『
p.520),ケイ ンズ も議論 をや めた方が よい と言 う (
CW 1
3巻 p.
523)。ケイ ンズ
は最後 の校正刷 を送 る約束 をす るが (
CW 1
3
巻 p.
523), ロバー トソンは丁重 に
CW 1
3巻 p.5
24)。 ケイ ンズは次 の ように失望感 をあ らわ にした。
断る (
「
私は悩 ませたのは,それ [
貸付資金の使用価格-利子率]が誤 りだと確信させ ら
れなかったことではな く,私がそれを否定 していることをわかってもらえなかった
CW1
3
巻 p.5
2
3
)
ことである。」(
「
1
936年 9月 に文通 は再 開す る。 ケイ ンズは 『
銀行政策 と価格水準』に先立つ
議論がすべての解放 の E
]と思 う」 (
CW 1
4
巻 p,
94)と述べ, ロバー トソン との関
係修復 を次 の ように示唆 してい る。
「
経済学を避けてお くのは困難だが,デニスよ,私は違 うようには感 じていない。
」(
CW1
4
巻 p.8
8
)
我々は再び接近 しなければならない。
「
私は 2人 を基本的に分けるものはさほど大 きくない,あなたが思っているよりた
」(
CW1
4
巻 p.8
9
)
ぶんかな り小さいと思うO
「
我々の厳密な知的差はおそらく根本ではかなり小さいと思うO
」(
CW2
9
巻 p.
1
6
5
)
しか しロバ ー トソンは冷淡 に こう返答 しただ けだ った。
「
例の本でこの夏多 くの時間を費やしました。私が とても気に入ったふ りをしても
無駄です。
」(
CW1
4
巻 p.1
6
3
)
,『一般理論』に無関心 とい うわ けではな く, ロバー トソン
冷淡で はあるものの
は次々 に論争 を挑 んでい る。特 にその静態性や流動性選好論 には承服 で きなか
った。ケイ ンズは この うんざ りす るような挑戦 に,次の ように答 えざるを得 な
1
0
8
一橋研究 第 1
7巻第 1号
かったO
「あなたは心を変えないで同意できる公式を捜す人である。-私は心変わ りをす ぐ
に享受するのである。
」(
CW 14巻 p.9
4
)
「それは敗北の議論に向けたあなたの騎士道の極例である。-あなたは母の子宮に
どうしても戻ろうとしている。私は荒野の犬のように勇気を奮っている。
」(
CW2
9
巻
p.1
6
5
)
母 の子宮 とはケンブ リッジ学派 を指す。 この引用 は,両者がマーシャルに対 し
て どの ような位置 にいたか を端的に示 して くれ る。 ロバー トソンも負 けずに,
■
=
=
Jp
=
音フo
「もちろんハンプティ ・ダンプティ Humpt
yDumpt
y と同じく,JMK も言葉を自
B.Oh
l
i
n)の論評 としてのその論文は
分が選んだ意味で使える。しかしオ1
)-ン (
」(
CW1
4
巻p
.2
2
8
)
-的外れである。
1
9
3
8
年の段階では些細 な論点 しかないOケインズは 「こうした論争の収穫逓
CW2
9
巻 p.
1
6
8
) と宣言せ ざるを得なかっ
減 についてあなたに全 く同意す る」 (
た。ロバー トソンはなお論争終結 に同意 しなかったが,ケインズは静易 してピ
「デニスはケインズ氏のあれやこれやに,神経質なほど説明し批判 し数年を過 ごし
た。自分自身の建設的な仕事に打ち込めばずっとよかったが。
」(
CW2
9
巻 p.1
7
7
)
ピグーの判断は, この時期の論争 をうまく表現 している。
I
V 他者が見たケ ンブ リッジ
ジョンソンは 2人の関係 を最 も醒 めた もの と見 る論者である。両者 は 『
貨幣
,
論』出版 と同時に決裂 し 『
一般理論』で一層悪 くなった。なぜな ら 「ケイ ンズ
はうま く彼 ら [
カー ンや J.
ロビンソン] をしむけてロバー トソン攻撃 を行 なっ
た」 (
Johns
on [
1
9
7
8]p.1
6
6
,訳 p.1
57
) ためである。ケンブ リッジを嫌悪 し
ロバー トソンの個人録
1
0
9
たジ ョンソンはかな りの悪意 を込めて語 っている(
1
2
)
。モグ リッジも 「
2人が深
刻な絶交状態 」(
Mo
ggr
i
dge[
1
9
7
6
]p.1
6
9
,訳 p.
1
9
2
)に陥ったのは,両者が
知的見解 に相違 しただけでな く,個性 も介在 したため としている。
両者の断絶が公 に記録 されたのは,おそ らくヒックスによるロバー トソン追
悼論文(
1
3
)
であろう。両者 をともにマーシャリアンと見 るヒックスだが,断絶 は
2度 と回復 されなかった とす る。
ドケインズ革命〟の最高潮にあるケンブリッジには彼の居場所はどこにもないと
(
想像 しうるに苦悩の末)決意 したのだった。・
・
・
表面上は和解があった。-しかし
和解は特定 [
国際通貨]の分野だけであり,一時的な和解さえ容易でなかった。
」
(
Hi
c
ksl
1
9
6
4
]p
p.3
1
2
3
1
3
)
ヒックスは「ロバー トソンな くしては私 は先 に進 めなかった」(
Hi
c
ks[
1
9
7
7
]
p.
1
3
6
,訳 p
.
1
7
7
)と吐露するほ どロバー トソンと親 しかったが,その評価 につ
いては的確である。「ロバー トソンは-あまりに [
ケインズの]弱点 にこだわ り
す ぎて, その強 さに気がつかなかったのである」(
Hi
c
ks[
1
9
7
7
]p.
1
4
3
,訳 p
p.
1
9
4
1
9
5
)
。 ロバー トソンが 『
銀行政策』に固執 したのに対 し,ケインズは 『
貨幣
論』 にそうしなかった (
Hi
c
ks[
1
9
8
2
]pp.
1
2
9
1
3
0
)
0
カー ンも適切 な表現 を用いる。「ケインズはす さまじい熱心 さでロバー トソン
の理解 を得 ようとし, ロバー トソンはまたす さまじい熱心 さでケイ ンズを誤謬
か ら救お うとした」(
Ka
hn[
1
9
8
4
]p.
1
8
5
,訳 p
p.
2
8
4
2
8
5
)
。 また和解 は表面的
だった と言 うヒックスに反対 している(14)。ハロッドはロバー トソンやハイエク
らが 『
貨幣論』 を全 く理解 していない と感 じ, これは大いに失望だった と書い
ている。「
[
ロバー トソン]氏の批判的鋭才 は, もしそれが役立つ ものな らば,
彼 [
ケインズ] に とって最 も貴重だったろうo Lか.
し今や隔た りはあまりに広
くなっていた」(
Ha
r
r
od[
1
9
5
1
]p.4
5
2
,訳 p.5
0
2
)
o
「
天職の始 まりは-ロバー トソンに負 う」(
Ro
bbi
ns[
1
9
7
1
]p,
2
2
0
)ロピンズ
は,一歩離れた所か ら両者 を見 る.「
友情 に とて も厚 く切 に愛情深かったが,多
くの点でデニスの生涯 は淋 しく時に抑圧的だった。ケインズ とはあれほど実 り
Ro
bbi
ns[
1
9
7
1
]pp.
ある仕事 をしたのに, その別れ はひ どい不幸の源だった」(
2
2
1
2
2
2
)
0
1
1
0
一橋研究 第 1
7巻第 1号
すべ ての論者 の中でオーステ イン ・ロ ビンソンの意見 が最 も印象的で あ る。
「自分 自身の能力について極度に控 え目だったデニスは,自分に-いつ も確信的だ
ったわけではないので,ケインズの試金石 となる仕事がます ます重荷 になっていっ
」(
Pa
t
i
nki
n&Le
i
t
h[
1
9
7
7
]p.3
2
,訳 p.4
8
)
た。
「
-デニスは長年,ある意味においてケインズの良心の守護者だった。 もしデニス
を納得 させ られ さえすれ ば, 自分 は正 しい とケイ ンズ は感 じたのである。
」(
M.
Ke
yne
s[
1
9
7
5
]p.1
3
,訳 p.2
5
)
マー シャルや ピグーへの不 当な評価 ・個性 の介在 ・ケイ ンズの取 り巻 きの存
在 な どの理 由か ら,ロバ ー トソンは2
0
年以上育 んだケイ ンズ との友情(
1
5
)
に距離
を置 か な けれ ばな らなか った。 お互 いの前提 とす る世界 を もっ と認識 しあ えば,
論争 は建設 的で,相違 も理論面 だ けで済 んだだ ろう。 しか し 〈ケイ ンズ革命 )
は,現代産業 の不安定性 とい う共通 の認識 を持 った両者 を引 き裂 くとい う犠牲
の下 に誕生せ ざ るを得 なか ったので あ る。
最後 にロバ ー トソンの言葉 を もって締 め くくろ う。
「
後に私は分析および政策の若干の問題で,どちらか と言えば彼 と意見 を異にする
ようになったか ら, どうしても言 うのであれば,私は自分に ≠ケインジアン〝のラ
ベルを貼 ることを拒否せざるを得ない。 しか し私 は彼の教 えに多 くを負 うていて,
」(
M 日本語版への
彼の弟子 ・彼の友人であった ことを誇 りにしているのである。
序言 pp.vi
∼v
i
i
)
証
(1) ロバー トソンはエジプ ト・パ レスチナに派遣 され,後 に陸軍十字勲章
Mi
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i
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yCr
o
s
sを受 けた。良心的徴兵拒否 をしたケインズ と対照的であ
る。
(2) De
nni
s
o
n[
1
9
6
8
] は共同研究 を 『
貨幣』・『
銀行政策』のみ としてい
る。本文 は Hi
c
ks[
1
9
6
4
]の指摘。
(3) この事実はケインズが最後 までロバー トソンを信頼 していたことを示
している。
ロバー トソンの個人録
HF
I
(4) この節 は次 の文献 に依拠 してい る。菱 山 [
1
9
6
5
]・Anya
di
ke・
Dane
s
[
1
9
8
7
]・
De
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on[
1
9
6
8
]・
Hi
cks[
1
9
6
4]・
Pr
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s
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y[
1
9
7
8]・
Samue
l
s
on
[
1
9
6
3
]。なお,ロバー トソンとケインズの理論面の異同を考察 した もの
1
9
9
0
]がある。
に吉田 [
(5) 未送 ・日付な しの手紙 を含めて9
3
通。
(6) ただ し直後の文 は 「どうも少 し間の抜 けた人物の ようだ」。
(7) 不況 については相当の議論があった ようである (
SI
Fp.1
71)
0
(8) マーシャルの貨幣論 については小峯 〔
1
9
9
2
〕 を参照せ よ。
(9) 第 5章「
貯蓄の種類」
。 この本 の難解 さをケインズは次のように表現 し
た。「あなたは 2年間に 5人,理解で きる読者 を得れば好運だろう。その
a)
教授 [ピグー]が理解す るかO (
b)
ホ- ト
あ と賭がある。選択 は 2つo(
レーが理解す るか。
」(
CW 13
巻 p.4
1
)
(
1
0
) しか しケインズはロバー トソンを古典派 とはみなしていない。「この機会
に私がホ- トレー氏 とロバー トソン氏 を古典派の経済学者 とみなしてい
ると-読者が受 け取 って しまった ら,す ぐに私 は謝 らなければな らない。
反対 に彼 らは私 よ り早 く囲いか ら迷い出たO私 はホ- トレー氏 とロバー
トソン氏 を,誤 った方向に導いた祖父および父 とみなす。
.私 は彼 らに多
」(
CW 1
4
巻 pp.2
0
2・
2
0
3)
大 な影響 を受 けたのである。
(
l
l
) サーカス とはカー ン ・ロビンソン ・ミー ド・スラッフアな どによる若
手の集 まり。 『
貨幣論』の批評 か ら始 まった。
(
1
2
) しか し逆 の印象 を持 たせ る証言 もある.
L両者 は1
9
4
6
年 に経済 クラブ
Pol
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t
i
c
alEc
onomyCl
ubで同席 していた。このクラブはケインズが創袷
し, ロバー トソンが受 け継いだ。
(
1
3) Hi
c
ks[
1
9
6
4
]
。
(
1
4
) 根井 [
1
9
9
0
]p.
3
5は,カー ンにはロバー トソンへの対抗意識があると
論 じているが, この引用 はむ しろ冷静な評価である。
(
1
5
) CW2
9巻の扉写真 を見 られたい。 そこにはスラッフア ・ケインズ ・ロ
1
9
2
7・テイル トン)。 こうした蜜
バー トソンが談笑 しなが ら写 っている (
月はけっして戻 らなかった。
参考文献
(1) 原典
・TheCol
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7巻第 1号
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)『
貨幣』安井琢磨 ・熊谷尚夫
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6
)『銀行政策
BP Ba
と物価水準』高田博訳 厳松堂書店 1
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訳 岩波書店
(2) 2次文献
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塩野谷九十九訳 東洋経済新報社 1
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7『経済学の思考法』貝塚啓明訳
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近代経済学の歴史』有信堂 1
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インズの影』中内恒夫訳 日本経済新聞社 1
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インズ一般理論の形成』浅野栄一 ・地主重美訳 岩波書店 1
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5『ケインズ
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人 ・学問 ・活動』佐伯彰一 ・早坂忠訳 東洋経済新報社 1
小峯敦 「
マーシャルの貨幣論」1
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6『ケインズ』塩野谷
9
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祐一訳 東洋経済新報社 1
根井雅弘 『
ケインズか ら現代へ』 日本評論社 1
9
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9
7
7『ケインズ・ケムブ リッジおよび 「一般理論」』保坂直達・
菊本義治訳 マグロウヒル好学社 1
9
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3『ジョン ・メイナー ド・ケインズ Ⅰ∼裏切 られた期待∼』宮崎義
一監訳 東洋経済新報社 1
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吉 田雅明
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d-ロバー トソンとケインズー」経済論叢 [
京都大学]
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