本文は - 化学と生物

今日の話題
植物を丸ごと透明化し,中まで蛍光観察する新技術を開発
化学と生物 ●
日本農芸化学会
細胞レベルでの個体全体の観察を目指して
生物の成り立ち,働きを知るうえで,からだの構造を
隅々にまで Sca e が浸透し,からだの中が均一化され
観察することは非常に重要である.しかし,多くの生物
る.また,グリセロールはタンパク質や組織の安定化に
のからだは不透明なため,からだの奥深くを直接観察す
寄与していると考えられ,蛍光タンパク質は高濃度の尿
ることは非常に困難である.これまで,からだの奥深く
素でも壊れることはないため,Sca e により透明になっ
を観察するためには,からだを解剖して,その切断面を
たマウスの脳を丸ごと蛍光観察することが可能となって
観察する必要があった.しかし,からだに傷をつけるた
いる.
め,ありのままの状態を解析することは難しかった.そ
2014 年に Warner らにより Sca e を用いた植物の透明
のうえ,切断面の観察だけでは二次元情報しか得ること
化が試みられたが,十分な透明度を得られるのに 1∼3
ができないが,からだは三次元の構造なので,もとのか
週間かかると報告された (2).迅速な透明化を阻んでいる
らだの構造を再構築するためには,極めて薄くからだを
のは,植物細胞に豊富に存在する色素,クロロフィルの
切断し,また膨大な数の切断面像を欠くことなくすべて
存在であった.クロロフィルは葉緑素としても知られ,
取得するという,非常に煩雑で難しい作業が必要とな
太陽光のエネルギーを吸収して光合成にかかわる色素で
る.そのため,近年,からだを透明にして,直接からだ
ある.そのためクロロフィルが存在していると光エネル
の奥深くまで丸ごと観察する研究が注目されている.
ギーを吸収してしまうため,蛍光タンパク質を光らせる
からだを透明にするとはどういうことであろうか.そ
ための励起光も,光った蛍光も吸収されてしまい,蛍光
もそも,からだが不透明であるのは,光を吸収してしま
タンパク質を観察することはからだの深部になるほど困
う色素などが含まれること,また,からだは屈折率の違
難であった.
うさまざまな物質で構成されているためである.細胞一
昨年,筆者らは,クロロフィルを植物から効果的に取
つをとってみても屈折率は均一ではなく,植物細胞の場
り 除 く こ と が で き る 化 合 物 を ス ク リ ー ニ ン グ し て,
合,細胞壁が 1.42,細胞質が 1.36 であるため,照射した
ClearSee を開発した (3).界面活性剤としてデオキシコー
光は細胞を通過するごとに屈折してしまい,からだを
ル酸ナトリウムを用いることにより,蛍光タンパク質を
まっすぐ通過することはできない.そのため,からだを
壊すことなく迅速にクロロフィルを植物から取り除くこ
透明にするためには,光を吸収してしまう色素を取り除
とに成功した.図 1 はモデル植物のシロイヌナズナを透
くこと,そしてからだの中の屈折率を均一にすることが
明化したものであるが,葉の緑色が抜け,透きとおって
必要である.
いることがわかる.透明化の手順は簡単で,まずパラホ
しかしすべてを透明にしてしまっては,自分が観察し
ルムアルデヒド溶液に 1 時間浸けて組織を固定した後,
たいものも透明になり,何も見えなくなってしまう.そ
ClearSee 溶液に浸けるだけである(図 1)
.植物の組織
こで活躍するのが蛍光タンパク質である.蛍光タンパク
によって透明化にかかる時間は変わるが,図 1 の植物の
質は特定の細胞で発現させたり,特定のタンパク質につ
場合,ClearSee を用いると 3∼4 日間で透明化は達成さ
なげることによって,自分が観察したい細胞,タンパク
れる.このように透明化することで,めしべの奥深くで
質などに目印をつけることができるため,からだが透明
伸びている花粉管の様子も,カラフルに観察することが
になっても観察することが可能である.透明化の研究が
可能となった(図 2)
.
活発に行われ始めたのは,2011 年理化学研究所の宮脇
植物の研究はこれまで,観察の困難さもあり,根・
敦史博士のグループにより,蛍光タンパク質の蛍光を保
葉・花というように個々の器官にフォーカスして研究が
持したまま,マウスの脳を透明化することに成功してか
行われてきた.しかし,移動できない植物はさまざまな
(1)
らである .開発された透明化試薬 Sca e は尿素,界面
環境に対応するために,各器官で感知したシグナルを全
活性剤 TritonX-100,グリセロールの 3 種類の化合物か
身に伝えることにより環境変化に対処するという研究
ら構成される.尿素,界面活性剤の作用により,組織の
が,近年注目されてきている.全身的なシグナルの解析
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ある.ClearSee による透明化には数日間かかることと,
光を吸収する物質がまだ組織に残っていることの 2 点が
挙げられる.1 点目の処理時間については,今年,透明
化にかかる時間を 2 時間程度にまで短縮した TOMEI 法
が開発された (4).この方法では,からだの中を均一する
溶液として,1.52 と高い屈折率をもつ 97% 2,2′-チオジエ
タノールを用いている.2,2′-チオジエタノールにはクロ
ロフィルを取り除く作用はないため,クロロフィルを迅
速に取り除く手段として,固定溶液に酢酸・エタノール
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混合液といった有機溶媒が用いられている.しかしなが
ら,有機溶媒は蛍光タンパク質を壊してしまうため,か
らだの内部を観察するためには蛍光色素で染める必要が
ある.固定にパラホルムアルデヒド溶液を使うことによ
り,TOMEI 法でも蛍光タンパク質を観察できるが,ク
ロロフィルは残っているため,より奥深くの観察には課
2 点目として,ClearSee でクロロフィルは取り除ける
図 1 ■ クリアシーによる植物透明化
が,まだ残っている色素などが存在する.そのなかで
も,細胞壁に存在し機械的強度を担っているフェノール
化合物リグニンは,植物に多量に存在するために,さら
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題が残る.
なる透明化に向けては取り除きたい化合物である.木材
からリグニンを取り除き,透明化する方法もいくつか報
告されているが (5, 6),亜塩素酸ナトリウムと 70∼80 C の
高温処理により取り除くというように,蛍光タンパク質
には厳しい条件のため,穏やかな条件でリグニンを取り
除く新たな手法の開発が望まれる.適用可能な植物種が
増え,さらなる透明化が達成されれば,野外の植物も詳
細に観察でき,農業現場における不稔や病虫害などの原
因究明・問題解決にも役立つと期待される.
図 2 ■ クリアシーにより透明化したシロイヌナズナめしべ
花粉管を 4 色の蛍光タンパク質により色分けている.文献 3 より転
載.
には,個々の器官の観察だけではなく,細胞レベルで個
体全体を観察することが重要であり,今回開発した
ClearSee による透明化技術は重要なツールになると期
待される.
1) H. Hama, H. Kurokawa, H. Kawano, R. Ando, T. Shimogori, H. Noda, K. Fukami, A. Sakaue-Sawano & A. Miyawaki:
, 14, 1481 (2011).
2) C. A. Warner, M. L. Biedrzycki, S. S. Jacobs, R. J. Wisser,
J. L. Caplan & D. J. Sherrier:
, 166, 1684
(2014).
3) D. Kurihara, Y. Mizuta, Y. Sato & T. Higashiyama:
, 142, 4168 (2015).
4) J. Hasegawa, Y. Sakamoto, S. Nakagami, M. Aida, S.
Sawa & S. Matsunaga:
, 57, 462 (2016).
5) Y. Okahisa, A. Yoshida, S. Miyaguchi & H. Yano:
, 69, 1958 (2009).
6) Y. Li, Q. Fu, S. Yu, M. Yan & L. Berglund:
, 17, 1358 (2016).
(栗原大輔,名古屋大学,JST, ERATO)
しかし,ClearSee を用いた透明化にはまだ改善点が
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プロフィール
栗原 大輔(Daisuke KURIHARA)
<略歴>2004 年大阪大学工学部応用自然
科学科卒業/2009 年同大学大学院工学研
究科博士課程修了,博士(工学)/同年日本
学術振興会特別研究員(PD)(名古屋大
学)/2011 年名古屋大学大学院理学研究科
特任助教,現在に至る<研究テーマと抱
負>細胞間コミュニケーションを用いた植
物生存戦略.ありのままを観察する<趣
味>育児
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Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.794
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