1/4 World Trends マクロ経済分析レポート ブラジル、五輪は景気のためならず? ~景気の底がみえないなかで金融市場から新たなリスクも~ 発表日:2016年12月2日(金) 第一生命経済研究所 経済調査部 担当 主席エコノミスト 西濵 徹(03-5221-4522) (要旨) 今春以降の国際金融市場の落ち着きはレアルを世界最強通貨にするなどブラジル市場の追い風となった が、実体経済はなかなか上向かない状況が続いてきた。五輪実施にも拘らず7-9月期の実質GDP成長 率には内・外需ともに一段と下押し圧力が掛かり、景気の「底」がみえない。足下ではインフレ率は頭打 ちする一方、銀行貸出は鈍化するなど景気の足かせとなる材料には事欠かない状況が続いている。 他方、インフレ率の頭打ちを理由に中銀は金融政策のスタンスを「ややハト派」に転向し、先月末の定例 会合でも2会合連続で利下げを実施した。ただし、景気低迷の一方で金融市場の動揺に伴うレアル安圧力 を警戒して漸進姿勢は崩せない。足下では縮小傾向が続いた経常赤字が再び拡大するなどファンダメンタ ルズ悪化が懸念されるなか、市場の動揺が長引けば資金流出によるレアル安が一段と進む可能性もある。 テメル政権は発足以降、歳出削減に向けた取り組みを前進させるなど金融市場からの評価は高い。一方、 歳出削減による公共サービスの悪化を懸念して国民からの反発は根強く、政権支持率も低空飛行が続く。 こうしたなかでテメル大統領自身の疑惑も噴出している。年明けには具体的な歳出削減の前進が期待され る一方、政権を取り巻く状況は視界不良に見舞われるなど同国への慎重な見方を崩しにくい状況にある。 今夏の国際金融市場では、昨夏のように中国発による金融市場の混乱要因が表面化する事態もないなか、米国 をはじめとする先進国の堅調な景気拡大に加え、金融緩和の長期化による「カネ余り」が続くなかで日欧によ る金融政策の深掘りを受けて全世界的に低金利となり、 図 1 レアル相場(対ドル)の推移 より高い利回りを求める資金の動きが活発化する展開 が続いてきた。今年前半は世界的に「流動性相場」の 様相を呈するなか、ブラジルでは高金利が続く一方で インフレ率が頭打ちするなど実質金利が高止まりし、 さらに、ルセフ前大統領に対する弾劾手続に伴い中道 右派のテメル新政権が誕生したことで経済政策の転換 を期待した資金流入の活発化もあり、通貨レアルが 「世界最強通貨」となるなど(詳細は7月4日付レポ (出所)Thomson Reuters より第一生命経済研究所作成 ート「今年前半、世界一強い通貨はブラジルレアルに」をご参照下さい)、実体経済がなかなか上向かない一 方で金融市場は活況をみせてきた。その後については、英国のEU(欧州連合)からの離脱決定など国際金融 市場が短期的に動揺するイベントはあったものの、世界経済の底入れなどを背景に国際商品市況が上昇基調を 強めたことは同国経済にプラスに作用するとの思惑もあり、レアル相場は比較的堅調な推移をみせてきた。ブ ラジルでは今夏、開催前には競技会場や周辺インフラを巡る準備の遅延から開催そのものを危ぶむ声も少なく なかったリオ・デ・ジャネイロ五輪及びパラ五輪が開催され、少なからず景気にプラスの効果に繋がるのでは との期待もあった。しかしながら、実際に蓋を開けてみると男子サッカー代表が五輪初の金メダルを獲得する など局所的に盛り上がりをみせる場面はあったものの、全体としては深刻な景気減速に苦しむ同国経済の「光」 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 2/4 とはならなかった模様である。7-9月期の実質GDP 図 2 実質 GDP 成長率(前期比年率/寄与度)の推移 成長率は前年同期比▲2.9%とマイナス成長が続いたも のの、前期(同▲3.6%)からマイナス幅は縮小するな ど一見すると景気の底打ちが進んだようにみえるも、 前期比年率ベースでは▲3.30%と前期(同▲1.75%) からマイナス幅が拡大しており、実際のところは景気 の「底」がみえない状況にあると判断出来る。個人消 費は金利高や雇用環境の悪化などが重石となる形で依 然減少基調を抜け出せない展開が続くほか、5月末の (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 ルセフ前大統領への弾劾審議に伴いテメル暫定政権が発足したことで財政健全化に舵が切られた結果、政府消 費にも下押し圧力が掛かった。さらに、前期には 11 四半期ぶりに固定資本投資が前期比でプラスに転じるな ど、企業による設備投資意欲の底打ちを示唆する動きがみられたものの、当期は再び大幅マイナスとなってお り、企業マインドが好転していない様子もうかがえる。こうした動きは製造業の景況感が年半ばにかけてルセ フ前大統領に対する弾劾措置を巡る不透明感などを反映して大きく悪化し、テメル暫定政権の誕生とともに回 復したものの、その後は横這いでの推移が続くなど大きく好転していないことにも現われている。さらに、世 界経済の底打ち期待にも拘らず輸出は減少基調が続くなど、内・外需ともに改善の兆しがまったくみえない状 況にある。業種別ではすべての産業がマイナス成長となるなど、国際的イベント開催が少しはサービス業にプ ラスに寄与するかにみられたものの、そうした効果がまったくみられない驚きの結果となっている。足下では 雇用の減少ペースが一段と加速するなど調整圧力が強まっているほか、政府の財政健全化実現に向けて国営金 融機関が貸出の圧縮を図っている上、外資系金融機関の融資も大幅に絞られるなど信用収縮圧力がくすぶって おり、景気の「底」に繋がる材料を見出しにくい展開が続いている。 一方、昨年来インフレ率が高止まりしてきたことで中銀は金融引き締め姿勢を強めた結果、経済成長のけん引 役となってきた個人消費の勢いが大きく削がれたことが足下のブラジル経済の苦境を招く一因になっているが、 年明け以降はインフレ率が頭打ち感を強めており、直近 図 3 インフレ率の推移 10 月のインフレ率は前年同月比+7.87%と依然として 中銀の定めるインフレ目標(4.5±2.0%)の上限を上回 るものの、徐々に落ち着きを取り戻している。インフレ 率が徐々に落ち着く動きをみせるなか、中銀は 10 月の 定例会合において丸4年ぶりに利下げに踏み切る決定を 行い、先行きの金融政策の方向性についても「緩やか且 つ段階的な緩和」を志向するなど、それまでのタカ派的 な政策スタンスから「慎重なハト派」に転じる動きをみ (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 せている(詳細は 10 月 20 日付レポート「ブラジル中銀、「慎重なハト派」に転換」をご参照下さい)。こう したなか、先月 29~30 日の日程で定例の金融政策委員会が開催され、10 月の前回会合同様に全会一致で2会 合連続で政策金利であるSelicを 25bp 引き下げて 13.75%とする決定を行った。会合後に発表された声 明文では、足下の景気について「想定に比べて弱含む展開が続いている」との見方を示しており、その要因と して「海外経済及び国際金融市場の不透明さ」を挙げている。その一方、足下のインフレ率については「想定 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 3/4 以上に望ましい動きが続いている」とし、市場でインフレ見通しに下方修正の動きが広がっていることを受け て同行の先行きにおけるインフレ見通しも下方修正されている。他方、同行はインフレを巡るリスクシナリオ として、テメル政権が掲げる財政緊縮プログラムの実施が遅延することで物価抑制に向けた効果が後ろ倒しさ れることのほか、米国の経済政策を巡る不透明感に伴い新興国への資金流入が抑制されることでディスインフ レ圧力が阻害されることを挙げている。事実、年明け以降上昇基調を強めてきた通貨レアル相場は、米大統領 選でのトランプ候補勝利を受けて、トランプ次期政権による減税や巨額のインフラ投資による景気押し上げ効 果を期待して予想以上の早さで米Fed(連邦準備制度理事会)が利上げに動かざるを得なくなるとの思惑か ら米ドル高圧力が高まるなか、一転してレアル安が進行する展開となっている。ただし、足下の水準は年明け 以降のレアル高が影響して依然前年同時期に比べてレ 図 4 経常収支の推移 アル高で推移しており、直ちに輸入インフレに繋がる 状況とはなっていないものの、調整圧力が長引けば無 視し得ない。さらに、国際商品市況の上昇などを背景 に交易条件が底打ちするなかで経常赤字の縮小が進む など、経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)が改 善してきたものの、足下では再び貿易赤字が拡大基調 を強める動きもみられる。先日のOPEC(石油輸出 国機構)総会では加盟国間で減産合意がなされ、当面 (出所)CEIC より第一生命経済研究所作成 の原油相場については下値の目処は立ちやすい環境になりつつある一方、米国ではトランプ次期政権が石炭や 原油・天然ガス関連での規制緩和を進めるとみられ、シェールオイルの増産が見込まれることで原油の需給は タイト化しにくくなることで相場の上値が重くなることは避けられない。さらに、足下の国際商品市況の上昇 は中国のインフラなど公共投資による景気下支えが奏功している上、中国国内の投機に伴う市況高騰が相場を 押し上げている側面もあるなど持続可能なものとは考えにくい。したがって、先行きも国際金融市場の動揺が 長引く事態となれば、ファンダメンタルズの悪化を材料に同国でも資金流出圧力が一段と強まることで通貨レ アル安を招くほか、国内金融市場での信用収縮圧力を通じて景気を下押しする可能性には注意が必要である。 テメル政権の政策運営を巡っては、構造改革の本丸と位置づける公的歳出の調整率に対する上限を定める憲法 改正案を提起しており、10 月初めに同法案が議会下院で可決されるとともに、その後は議会上院で審議され る展開が続いてきた。同法案が可決されれば、長年に亘るインフレ高止まりの構造的要因となってきた手厚い 年金制度をはじめとする社会保障制度にメスを入れることが可能になり、ここ数年の景気低迷により歳入に急 速に下押し圧力が掛かるなかで財政悪化が続いてきた状況に歯止めを掛けられる。その一方、公的歳出にキャ ップをはめることは、これに大きく依存する教育や保健・医療関連の歳出削減に繋がるとの見方が強く、国民 のなかにはこうした動きに対する反発は根強い。ルセフ前政権に対する反発が全土に広がった背景には、景気 低迷の長期化に伴い雇用を取り巻く環境は厳しくなるにも拘らず、2014 年に同国で開催されたサッカーW杯 のほかリオ五輪・パラ五輪に関連したインフラ投資が拡充される一方、教育や保健・医療関連の歳出が抑制さ れたことで、多くの国民の不満が高まったことが挙げられる。また、このように多くの国民が公的サービスに 依存する要因としては、同国はいわゆるBRICs諸国のなかで最もジニ係数が高いなど貧富の格差が大きい ことも影響している。今回の改正案では、教育及び保健・医療分野に対しては他の分野に比べて若干便宜が図 られているものの、議会審議に際しては議会前で多くの国民や活動家が反対運動を展開するなど猛烈な反発に 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 4/4 直面した。最終的には先月末、議会上院においても賛成多数で可決を迎えるなど改革案は前進し、年明け早々 にも年金削減など具体的な施策に着手することが可能になった。しかしながら、直近の世論調査ではテメル政 権に対する支持率は 14%と低空飛行の状態が続いている上、政権発足からまだ半年余りしか経っていないに も拘らず閣僚からの辞任が6人目となるなど、国民からの政権に対する不信感が高まる材料に事欠かないなか、 先月末にはテメル大統領自身に対する疑惑(歴史的保存地区でのマンション建設計画に対する便宜供与疑惑) が取り沙汰される事態となっている。憲法改正案の審議と同時期に議会下院で「汚職防止法」が成立したが、 修正協議において検察官や判事などに対する実質的な締め付けに繋がる内容が盛り込まれるなど骨抜きの様相 を呈するなか、大統領自身への疑惑が噴出していることは多くの国民からさらなる反発を招くリスクがある。 テメル政権に対しては、国際金融市場からは構造改革面で評価を受ける一方、国民の間からは極めて厳しい目 に晒されるなかで政策運営が厳しい状況に陥り、結果的に構造改革が頓挫する可能性が残っている点には注意 が必要であり、このギャップを如何に埋められるかが政権運営の肝になると言えよう。 以 上 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足ると判 断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内容は、第一 生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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