太宰府の文化財

太宰府の文化財
宮ノ本古墳群 〜古墳
時代前期〜
本古墳群は、弥生時代から地元を治
別な棺である割竹形木棺が用いら
墳では首長を葬ったと考えられる特
号
めてきた有力者の墓として古墳時代
れ、中から 流 雲文縁一仙五 獣 鏡 と
しています。また、円墳である
前期(今から約1800 年前)に築
呼ばれる中国で製作された青銅鏡が
えられています。そして、この宮ノ
かれた古墳群と考えられます。
を治めた有力者の墓であることがわ
この古墳群が位置する佐野地区は、
れた方墳が多く、死者を葬った埋葬
ています。古墳の形は正方形に作ら
土器を棺に用いた土器棺墓、石棺墓
宮ノ本古墳群には、古墳の他にも
丘陵の中腹斜面に同時期の土壙墓や
副葬されていたことから、佐野地区
りゅううんもんぶちいっせん ご じゅうきょう
わり たけ がた もっ かん
宮ノ本古墳群は、標高 m ほどの
丘陵上に築かれ、これまでの発掘調
弥生時代前期(今から約2300 年
施設は板石を組み合わせて作った箱
が確認され、丘陵上が首長層の墓域、
りました。
宮ノ本古墳群は、今は学校建設や
造成工事によって残っていません
前)にはムラが作られ、弥生時代後
式石棺が多く使われています。中で
丘陵斜面が首長層以外の墓域として
1 号墳
古墳分布図
しきせっかん
16
まいそう
はこ
し、男性を埋葬した後に女性を追葬
20
かります。
が、太宰府西小学校と太宰府西中学
期(今から約2000 年前)になる
も六号墳で確認された箱式石棺か
川
10 号墳
基の古墳が確認され
校の建設と土地区画整理事業に先立
と広範囲に広がるよう
歳代の男女2 体の人骨が出土
16 号墳
査によって、
つ発掘調査により詳細が明らかにな
になり、周辺のムラを
らは
れた地域であったと考
まとめる有力者が生ま
15 号墳
2016.10.1(平成28年) 36
広報 だざいふ
12
12 号墳出土青銅鏡
(九州国立博物館にて展示中)
大
2 号墳
12 号墳
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377
利用されていました。 文化財課 沖田正大
70
12 号墳主体部
野
佐
5 号墳 7 号墳 9 号墳
3 号墳
線
野
紫
筑
岡
福
市立太宰府西中学校
市立
太宰府西 6 号墳
11 号墳
小学校
8 号墳
4 号墳
13 号墳
14 号墳