社会的にいいとされていることをする

道徳教育(他学部)
6月20日(金)4限
第9回「道徳発達の心理学①-コールバーグの段階発達論-」
前回の感想より①
• 前回見た授業と今回見た授業とを比べた時、私が感じた一番大
きな違いは生徒の発言をする対象です。前回の授業では一人ひ
とりの生徒が他の生徒に向けて、クラス全体に向けて発言して
いたのに対して、今回の一年前の授業ではその対象が先生一人
でした。一年前であっても生徒はきちんと自分の意見を言えて
いると感じていましたが、その発言は先生へ向けてのものであ
り、先生と生徒との一対一の会話のようになっていました。な
ので、一人の生徒の発言を別の生徒が考えるということや、み
んなで深めるということが行われづらかったのではないかと思
いました。(文学部 国際)
• 映像を見ていて前回と違い、先生に言われて行動を起こしてい
たのが印象的でした。しかし、わざわざ家から資料をもってき
たりなど、今回の議題に対する興味、関心の高さがうかがえま
した。前回と今回を通して誰かが自分なりの意見を言っている
時に他のみんながしっかりその人の話を聞き、「いや、それは
違うよ」などと意見を言っている途中でその意見をつっぱねる
行為がほとんどないことに驚きました。自分はそういう経験が
あったのですが、そういわれてしまうと自分の考えを言いだし
づらくなったのを覚えています。映像では誰でも言っていいよ
というような雰囲気が感じられました。(理学部 物理学科
• )
前回の感想より②
• 6年生の時の授業は「死生観」「生命」といった答えのないテー
マに対して子どもたちが感じることを述べるというほとんど自由
放任の状態で進んでいました。今回の授業は「ひとふみ十年」と
いうテクストを通じてある程度の帰着点を先生が用意していたよ
うに思います。しかし、授業時間の全てをそれに関する話し合い
に帰着させるということを先生は考えていません。先生は雪や受
粉の話、立山に関する本を持ってきている児童がいることを想定
していなかったはずです。子どもたちが文章を通して考えること
は素直に言ってもらう、テーマには注目してほしいが、それだけ
に固執する必要がないという先生の授業に対する「大きな許容
力」を感じました。(文学部 日本文化学科)
• おそらく先生の授業のねらいは“「チングルマ」の生態について理
解する”のではなく、“「チングルマ」をきっかけに自然の大切さ
を学ぶこと”だったと思います。しかし、授業はチングルマってど
んな植物だろう?という生徒の興味の向くままに進んでいったよ
うな印象を受けました。私はこれに対して「悪い」とは全く感じ
ませんでした。植物に興味をもってみんなで話したり調べたりす
ることでいずれその植物や自然に着目することにつながったり、
「あ、あの時の植物だ!あ、これも植物だから大切にしよう」と
いう気持ちが自然発生するのではないかと感じました。(園芸学
部 緑地環境学科)
前回の感想より③
• 今回の授業を見ると、6年生の時の授業とは違う点がいくつ
か見受けられた。まず先生が題材の話を読み終えた後に指示
を出してグループワークを始めさせていた点である。まだ5
年生の段階では自発的にグループワークを始めるには少し厳
しいと判断して先生が指示を出していたのかなと思った。そ
れと同時に一年間でグループワークを始め、なおかつクラス
全体での話し合いにもっていけるようになるのはすごい成長
だと思った。次に、誰かが意見を言うと少し否定気味な入り
方で自分の意見を述べる生徒がいたりしたのでまだ相手の意
見を全て受け止めた上で自分の意見を述べる感じには受け取
れなかった。しかし、5年生の段階でも積極的にグループ
ワークを行っていたし、他の生徒と発言のタイミングが重
なった時に譲るという相手を尊重する姿勢など、6年生の時
に表れていたようなクラス全体の雰囲気の片鱗が垣間見えて
いたような気がした。(理学部 地球科学科)
前回の感想より④
• 今回見た授業は前回の見た授業より先生に生徒たちが引っ張られ
ているような感じがした。そのため、私は5年生から6年生まで
の間にこの子たちが自分たちで考えて行動するための能力を身に
つけることができたのではないかと思った。そのためには先生の
協力がおそらく何度もあっただろうし、すぐには定着しなかった
と思う。(理学部 地球科)
• 最後の方に女の子が「あの・・」「えっと・・」とか自身のなさ
そうに話していても、その後すぐに周りと相談しながらある程度
自信をもって話すことができていたところにはクラスの「絆」と
いうものを感じました。(理学部 数学・情報数理学科)
• 今回焦点となったことの一つに「挙手せずに話している」という
のがありました。僕はそのことがあのクラスで意見が出やすいこ
との一因であると考えます。こういった授業に限らず、大勢の中
で発言をするときに挙手するというのはその人の中で意見や答え
をある程度まとめてからでないとできないからです。しかし、道
徳の授業では自分の感じたままの心が大切であり、それはまとめ
られた意見とは対極にあります。だからこそ、挙手しないあの空
間では思ったままの意見が出せるのだと思いました。(理学部
数学・情報数理学科)
Lawrence Kohlberg
(1927~1987)
• アメリカの心理学者。
• 道徳性の発達についての研究を行う。
• 「道徳は文化によって異なる相対的なものである」という通
説を反証するために、実証的な心理学研究と倫理学の統合を
試みた。=From“Is” to “Ought”(「である」か
ら「するべき」へ)
• 仮説ジレンマを用いた比較文化的な研究の結果、6段階から
成る道徳性の発達段階の存在を提起するに至った。コール
バーグはこの発達段階をあらゆる文化に共通する、普遍的な
ものであると主張する。
• 今日は、①コールバーグの言う道徳性の発達段階とはどのよ
うなものか、②コールバーグはどのようにこの発達段階を導
き出そうとしたか、の二つの側面からコールバーグの理論に
迫る。
ハインツのジレンマ
• コールバーグが道徳性の発達段階を測るために実施したテストです。
• ヨーロッパで、一人の女性がたいへん重い病気のために死にかけて
いた。その病気は特殊なガンだった。
• 彼女の命をとりとめる可能性を持つと医者の考えている薬があった。
• それは、ラジウムの一種であり、その薬を製造するのに要した費用
の十倍の値が、薬屋によってつけられていた。
• 病気の女性の夫であるハインツは、すべての知人からお金を借りよ
うとした。しかし、その値段の半分のお金しか集まらなかった。
• 彼は、薬屋に妻が死にかけていることを話し、もっと安くしてくれ
ないか、それでなければ後払いにしてはくれないかと頼んだ。しか
し、薬屋は「ダメだよ、私がこの薬を見つけたんだし、それで金も
うけをするつもりだからね」と言った。
• ハインツは思いつめ、妻の生命のために薬を盗みに薬局に押し入っ
た。
ハインツはそうすべきだっただろうか?その理由は?
理由の方を重視して、グループで話し合ってみてください。
第1、2段階
慣習以前の水準
この水準を特徴づけるのは、親や一般的な規則によって子どもの行為に張
りつけられる「善い」、「悪い」、「正しい」、「誤り」というレッテル
に敏感に反応するということ。行為の決定要因は規則のもつ権威や、当面
している人物の身体的力の強弱であり、行為によって生じる物理的ないし
は快楽主義的な結果(罪、報酬、行為など)である。この水準は次の二つ
の段階に分けられる。
• 第一段階=罪と服従への志向(悪いことをすると怖いからしない)
罪の回避と力への絶対的服従がそれだけで価値あるものとなり、罰せられ
るか褒められるかという行為の結果のみが、その行為の善悪を決定する。
賛成:もし妻を死なせたら妻の親や兄弟からひどい仕打ちを受ける。
反対:薬を盗めば警察に捕えられ、刑務所に入れられる。
• 第二段階=道具主義的相対主義への志向(損、得で動く)
正しい行為は、自分自身の、または場合によっては自己と他者相互の欲求
や利益を満たすものとして捉えられる。具体的な物・行為の交換に際して
fairであることが問題とされるが、それは単に物理的な相互の有用性
という点から考えられてのことである。
賛成:薬を盗んでもさほど重い刑にならないし、妻が生きている方が得。
反対:薬を盗んでも重い刑にならないが、犯罪者のレッテルを貼られ、損。
第3,4段階
慣習的水準
各人の所属する集団の期待に沿うことが、価値あることとみなされる。単な
る同調だけでなく、忠誠心、秩序の積極的な維持と正当化、所属集団への同
一視などが生じるが、なぜそうするのがよいのか、ということは考慮されな
い。この水準は次の二段階に分けられる。
• 第三段階=対人的同調、あるいは「よい子」への志向(自分の周りの人た
ちに「よい子」だと認められたい)
善い行為は他者を喜ばせたり助けたりするもので、他者に善いと認められる
行為である。多数意見や、紋切り型のイメージに従うことが多い。行為はし
ばしばその動機によって判断され、初めて「善意」が重要となる。
賛成:親族や勤め先の人、さらには一般社会の人も刑を覚悟で妻の命を救お
うとしたことを称賛する。
反対:犯罪は当人や親族にまで社会的不名誉をもたらす。さらに、盗みはと
もかく悪であるといえる。
• 第四段階=「法と秩序」維持への志向(社会的にいいとされていることを
する)
正しい行為とは、社会的権威や規則を尊重し、従うこと、すでにある社会秩
序を秩序そのもののために維持することである。
賛成:むざむざ妻を死なせるのは人でなし、という世間一般の通念に従う。
反対:法律上、財産への個人の権利の侵害は悪であり、法には従うべき。
第5,6段階(1)
慣習以降の水準、自律的・原理的水準
既成の法律や権威を超えて自律的に判断し、道徳的価値や道徳的原
理を自ら規定しようと努力する。この水準は次の二段階に分かれる。
• 第五段階=社会的契約遵法への志向
ここでは、規則は固定的でも権威によって押し付けられるのでもな
く、自分たちのためにある変更可能なものと理解される。正しいこ
とは、社会に様々な価値観や見解が存在することを認めた上で、社
会契約的合意に従って行為すること。
賛成:薬を盗まず、妻を死なせれば社会の人々からの尊敬を失い、
社会的人間としての自尊心も失う。盗みを働いても、妻の命を
重視したことを人々は分かってくれる。
反対:盗みを働けば、共同社会における信頼と尊敬を失う。たとえ
妻を死なせても、社会的人間として公正であったことを人々
は理解してくれる。
第5,6段階(2)
• 第六段階=普遍的な倫理的原理への志向
正しい行為とは、良心に従った行為である。良心は、普遍性、
あるいは立場の互換性(他者と立場を交換しても同じ判断が成
り立つか)といった視点から構成される「倫理的原理」に従っ
て、何が正しいかを判断する。すなわち、公正(Justic
e)、人間の権利の相互性と平等性、個々の人格としての人間
の尊厳の尊重という普遍的な諸原理である。ここでは、この原
理にのっとって法を超えて行為することができる。
賛成:人は何よりも最も困難な状況になる妻の立場に立って行
動を決定すべきであり、人命尊重の原則からしても、薬
を盗むという以外の判断は成り立たない。重大なことは
良心の判断(誰の立場に置かれても成り立つ判断)に
のっとって行為することである。法の罰には従う。
反対:第六段階では成立しない。
コールバーグの挑戦
• コールバーグが導き出した六つの段階は、「徳とは何か?」とい
うソクラテス的な問いに対する、彼なりの探究から生まれたもの。
これが普遍的なものであるという主張の真偽は置いておいて、こ
こからはコールバーグがどのようにこの問いに答えようとしたか
を考えてみる。
• ソクラテスの生きた時代とは違い、コールバーグの生きた20世
紀には科学(事実=Isを探究する学問)と哲学、倫理学(価値
=Oughtを探究する学問)が別れていた。コールバーグはこ
の二つの側面から「徳とは何か?」という問いに迫ろうとする。
• しかし、社会学や心理学など、人間に関する事象を科学として扱
おうとすると、事実と価値をはっきりと分離することが難しく
なってくる。
• コールバーグはこのことを自覚し、むしろ事実と価値を統合する
ことの必要性を主張した。
「倫理についての心理学理論は、その哲学上の意味が明確
に述べられていない限り、心理学の理論としてさえ完全な
ものとはいえない」
事実(Is)と価値(Ought)の不適切な混同
自然主義的誤謬
• 事実と価値を不適切に混同して、誤った結論を導いてしまうこと
を自然主義的誤謬という。
• 例えば、今現在、普遍的な道徳の存在が証明できていないという
事実があっても、ここから「道徳は相対的だから人はそれぞれの
価値観に従って生きるべきである」という価値判断を導き出すこ
とはできない。
• そして、「①今現在、普遍的な道徳の存在が証明できていない」
という事実があっても、「②道徳は相対的である」という結論は
導き出せない。今後も普遍的な道徳の存在が証明されないという
保証はないのだから。実は①から②の結論に飛ぼうとする人は、
事実の研究に「自分とは異なる道徳的価値観に寛容であるべき
だ」という価値観を密かに持ち込んでいると考えられる。
• なぜ、普遍的な道徳は存在しないと言いきれるのか?探求もせず
に決めつけてしまってはいけない。
• 科学者も倫理学者も普遍的な道徳の存在を証明できているわけで
はないが、道徳が相対的であると証明できているわけでもない。
From “Is” to “Ought”
心理学と倫理学
• コールバーグが目指す事実と価値の統合は、心理学(Is)の研
究によって倫理学(Ought)の研究を補完すること。倫理学
の研究によって心理学の研究を補完すること。
• 倫理学は何が道徳的に善いかを決める学問。人間が実際にそうし
た善さに従って生きているかどうかという事実には関係がなく、
倫理学的に善いものは善い。しかし、倫理学者の主張する善さが、
他の人間には誰一人として理解不可能であれば、そこで主張され
る善さにも疑問符がつく。従って、倫理学は心理学の研究によっ
て補完される必要がある。
• 心理学は人間の心の事実を研究する学問。人間の心の変化のプロ
セスは、倫理学的な善さとは関係ない。しかし、そうした心の変
化のプロセスの中で何を「道徳的な発達」と呼べるかどうかは、
倫理学を基準にしてしか決められない。従って、心理学は倫理学
の研究によって補完されることで、「道徳発達論」になる。
• コールバーグは自分の提唱する六つの発達段階が事実についての
心理学的研究を、倫理学的な価値判断によって補完した結果とし
て導かれたものだと主張する。
グループ・ワーク
• 今日の授業はとても難しかったと思います。グループで分か
らなかったところを出し合って、僕に質問してくれても構い
ません。
• コールバーグのいう段階発達論の普遍性について、納得がい
きましたか?皆さんの経験や知識に照らし合わせて議論して
みて下さい。
• 普遍的な道徳の存在を証明することは可能でしょうか?もし
可能だとしたら、その時、心理学と倫理学の研究はどのよう
にそれに貢献することができるでしょうか?
• 普遍的な道徳の存在を証明することが不可能だとしたら、人
の道徳的発達を研究する上で、心理学と倫理学の役割はどの
ようなものになるでしょう?
• その他、考えたこと、疑問に思ったことを自由に話し合って
みて下さい。
感想シート
• 今日の授業の中で考えたこと、疑問や質問、グループワーク
の中で話し合ったこと、授業に対する要望、なんでもかまい
ません。
• 感想の紹介は匿名で行いますが、プライベートなことにかか
わるなど、どうしても次回の授業で紹介してほしくない部分
などがあればその旨を記してください。
• 必ず、名前、学籍番号を書いて出してください。
• 授業中に伝えきれなかった質問、意見はメール、もしくはブ
ログを利用してください。
メール [email protected]
HP http://moral-education.seesaa.net/
ユーザー名 moral-education
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参考文献
• 永野重史(編)
『道徳性の発達と教育-コールバーグ理論の展開-』 新曜社
(※今日紹介したコールバーグの論文“From Is
to Ought”はこの本に収録されています)
• コールバーグ(永野重史 訳)
『道徳性の形成-認知発達的アプローチ-』 新曜社
• 佐野安仁・吉田謙二(編)
『コールバーグ理論の基底』 世界思想社