道徳教育(他学部) 6月27日(金)4限 第11回「道徳発達の心理学②-ギリガンのもうひとつの声-」 前回の感想より① • 私は道徳を段階に分けるのは少し違うなと感じた。私の考えでは 道徳は人それぞれ違うものであるのに、段階として型をつくると いうのは個性を型にはめているのと同じだと思ったからだ。普遍 性の証明は難しいと思う。普遍性=共通性と考えると道徳は人そ れぞれ違うのだから、世界中の人々を集めてその人たちの性格の 共通なところを抜き出して見ろと言われるのと同じな気がする。 「命は大切」という道徳観念が生きている人全員にあれば殺人な どおこらないと思う。心理学と倫理学の役割は正直に言うと参考 程度でよいと思う。心理テストというのは「こういう人が多い」 という考えのもと成り立っている。心理学も人は必ずしもこの状 況の時この行動をするという定理があるわけではない。型からず れる人もいる。倫理学もこういう考えを持った人もいるという学 問であると考えている。人の心や行動を型にはめるのは違うと思 う。(理学部 生物学科) • 人間の心の変化(発達ではなく)を事実としたとき、それに第一段 階から第六段階という価値を照らし合わせたというところにコー ルバーグの「価値」が含まれてしまっています。価値は相対的な ものなので、「普遍的な価値をつくる」というコールバーグの試 みは誰もが納得する「事実」にならなかったのだと思います。 (文学部 日本文化学科) 前回の感想より② • コールバーグの段階発達論については私は賛成できないと考えま した。何が間違っているとは自分でもうまく説明できませんが、 道徳が段階的に発達していくという言い分にも疑問を覚えるし、 何より彼の提唱する段階発達論が普遍的であるという主張は間 違っていると思います。道徳的価値は文化や宗教によって異なる のは当然だと思います。(文学部 国際) • 授業やグループワークを通してコールバーグのやりたかったこと、 言っていることの意味は大方理解できたと思います。ただ一つ疑 問なのは倫理学と心理学がパラレルに結びつくと言える理由や裏 付けは何なのかということです。私も人間が心理学的に成長して いく上で通常悪い方向への成長というのはないことだから倫理学 的成長と結びつけてもよいのかなと一度考えました。しかし、 「何十(百?)年後かの人間の顎は食生活の変化によって細く なっている。それは適応とも考えられるが、身体的に考えれば明 らかに退化である」という話がグループワークで見て確かにそう 単純に成長=善くなるとも言えないなと思いました。(工学部 デ ザイン学科) 前回の感想より③ • 私はコールバーグの段階発達論に納得がいきませんでした。コー ルバーグの理論では心理学=事実、倫理学=価値の全く別のもの を統合させて普遍性を証明していますが、私はそれ自体間違った 証明の仕方であると考えました。結局人はそれぞれ育ってきた環 境や経験で起こった事実に“価値”をもって見てしまう(判断)の でコールバーグが1→6への発達を“良い”と判断している時点で この理論はコールバーグの主観が入っていると言えます。それゆ えこの理論は客観性がない、あるいは低いと考えました。やはり 徳を普遍的に測ることは難しいと思いました。(園芸学部 緑地 環境学科) • 第1~6段階の話はとても納得しました。もしかしたら自分は西 欧的な考えのかもしれないと思いました。ただしそれは自分の価 値観であり、蛹から蝶になるように第1~6段階にドンない人で も成長していくかどうかというと疑問が残るし(そういう傾向は 認められるかもしれないが)、第1よりも第6段階の方が価値が あるというのも「価値」や「道徳」を定義していないので何とも 言えないと思う。ある文字を定義していないのにその文字を使っ て数式を解いていこうとして式変換しているだけのように思えて しまう。(理学部 物理学科) 前回の感想より④ • 個人的にはコールバーグの道徳発達論について第5段階の 発達までは素直に理解することができますが、第6段階が 理解も完璧でないし納得もできません。なぜ普遍性、互換 性をもった良心から考えると何よりも困難な状況にある妻 の立場を優先して行動を決定しなければならないのか。そ れが「人命を尊く思う良心がどの人間にもあるはず」とい う普遍的道徳を根拠にしているとすればまさにそのような 普遍的道徳があるとどうして言えて、根拠として使うこと ができるのか。また、なぜ反対が成立しないのか。これら のことが理解できません。(文学部 史学科) • 公正、人間の権利、尊厳といったことは当時の近代民主主 義の考えから生まれたものであり、前近代にはそういった ものはありませんでした。ともすれば「普遍的」というよ うなものは時代によって大きく異なるものであると思いま す。(文学部 史学科) 前回の感想より⑤ • 良心における立場の互換性はハインツのジレンマだと薬屋と立場 を交換して考えないのかなと思った。薬屋の立場からしたら一人 の女性が自分が薬を売らなかったから死ぬのは後ろめたい気持ち になるかもしれないが、自分の生活を支えるための仕事であるた めに値下げなどはできないだろうし、ましてや素性のはっきりし ない人間相手に高価な薬を後払いさせるなどというリスクは冒し たくないと思うのは当然の気持ちだと思う。であるならば、薬屋 の立場からしたら人命尊重より自らの生活を優先するという意見 が出てきても不思議ではない気がした。(理学部 地球科学科) • 私の考え方は第1段階から第6段階になるにつれてより理性的で 抽象的になっていると思う。第1段階では「自分」が罪を受ける のを避けるためで第3、4段階などでは「周囲の人々」「社会」 に認められたり、否定されないようにするためで、第6段階では 「人間として」というようになり、「個人としての自分」→「社 会としての自分」→「人間としての自分」という形で意見を求め られているように思われる。 前回の感想より⑥ • グループワークの最後で「ハインツのジレンマは2択」ではない。 という話が出ました。確かに他にも様々な選択肢はあるでしょう。 何故二択に絞って考えてしまったのか。また他の選択肢を倫理や 心理学はどう捉えるのか、よくわかりませんでした。(理学部 数学・情報数理学科) • 第六段階においてコールバーグは妻の立場に立つべきだと言った。 そして盗みを働いてでも生かすべきだと言った。この妻は本当に しれを願っているのだろうか。妻にしてみれば生きながらえたと して、自分のその命は人が物を盗んだ上に成り立っているもので ある。その命を望まないのではないかという推測は彼女の立場に 立ったものではないと言い切れるだろうか。果たして妻以外の人 間が彼女の立場に立つことが可能だろうか。(理学部 数学科) • ハインツは盗むべきではないと考えた。それはやはり法律という ルールが定まっている以上、やってはいけないと思う。法律とい うものは基本的に全体を見た上で決まったものであり、個人を見 て決めたものではない。また、これはハインツの視点から見てい るので、私たちはハインツに同情し、薬屋を悪者とみなすだろう。 しかし、薬屋にもここには書かれていないだけでなにかしらの金 がいることがあるのかもしれない。(理学部) Carol Gilligan • アメリカの心理学者。 • コールバーグの弟子であり、彼とともに道徳性の発達につい ての研究を行った。 • しかし、コールバーグの発達段階の尺度では女性に多くみら れる道徳的判断の独自性が正しく評価されず、その価値が低 く見積もられてしまうことを問題視するようになる。 • 『もうひとつの声(In a different voice)』を出版し、権利 と平等を重んじるコールバーグの正義(Justice)の倫理とは 異なる、ケアと応答責任(Care and Responsibility)の倫理 の存在を主張する。 • ギリガンはコールバーグのような仮説ジレンマではなく、女 性が実際に人生の中で直面するジレンマ(妊娠中絶)を研究 の対象として、ケアと応答責任の倫理の発達を描く。 In a different voice • コールバーグが最初に6段階の発達段階を提示した時、20 年以上にわたって発達を追った84名の被験者は実は全員男 性だった。 • この段階説に従うと、多くの女性の道徳的判断は正しく理解 されず、低く見積もられてしまう。 • 多くの女性(女性だけとは限らないが)は、コールバーグの 尺度では測ることができない、「異なる声(different voice)」で道徳を語っている。これが、ケア(care)と応 答責任(responsiblility)の倫理。 • このケアと応答責任は、正義の倫理とは異なる人間関係の捉 え方や現実の認識の仕方に基づいている。 • 二つの倫理の違いは、男女の生物学的な違いよりも、男女が 生きてきた社会的な領域の違いに根差している。多くの場合、 男性は公的な領域で生きることを、女性は私的な領域(家 庭)で生きることを求められてきた。 二つの声①-正義の倫理- • コールバーグのジレンマに対するある11歳の男の子(ジェイク)の回答。 盗むことが適切だと考えることの理由。 「一つには人間の命はお金より尊いからだよ。薬屋は千ドル設けたって暮らし はあまり変わらないでしょう。でも、ハインツが薬を盗らなかったら奥さんは 死んじゃうじゃない。≪なぜ、お金よりも生命の方が尊いのですか?≫なぜっ て、薬屋は後で病気にかかっているお金持ちから千ドルなんてすぐに取れるか もしれないけど、ハインツは二度と奥さんを取り返すことはできないだろう。 ≪なぜできないのですか?≫だって全く同じ人を奥さんにすることはできない じゃない。」 ジェイクは、道徳を数学のように考えている。道徳的問題を方程式のよう に組み立てて、解を出す作業をしている。数学のように誰が解いても同じ 答えが出るような道徳的問題の解決が目指されている。 これは、コールバーグの正義の倫理が目指す方向性と一致する。コール バーグの発達の六段階は、道徳的葛藤への論理的解答がより普遍的なもの へと高まっていくプロセス。第六段階では、数学の問題のように全ての合 理的な思考をする(つまり、同じ第六段階に属する)人が合意できる道徳 的判断が成される。 正義の倫理は、人間は自立(他人から独立)していると考える。自立した 個人が他人と生きていく時、ぶつかり合うそれぞれの要求を調整するため に道徳的判断が必要とされる。 二つの声②-ケアの倫理(一昨年の感想から)- • 今回はハインツ視点でのジレンマの検証であったが、薬屋さん側にもジレ ンマはあるだろう。双方のジレンマで成り立つ例だと思った。 薬を売らないと → 1人の命を失わせる 薬を売ると → 収入がなくなり、自分の家計が・・ こう考えると、薬屋さんの立場も考えなくてはならない。 薬屋さんにも収入がないと家計が成り立たないような状況になるのかもし れない。つまり色んな事実(is)がある中でより善い何か(Ough t)を育むのに自分の良心が必要になってくるのだろう。(園芸学部) • 私はどうしても妻に感情移入してしまいます。たとえ自分が病気であり、 助かる可能性のある薬があったとしても夫に盗みという行為をしてほしく ありません。自分のために刑務所に入ることになったら私は苦しみ続ける と思います。なので、妻の視点から考えるとすべきではなかったと思いま す。(理学部) 二人はジェイクとは違い、ジレンマの中に論理的な問題ではなく、複雑な 人間関係の物語を見ている。論理的な問題ではないため、ケアの倫理の研 究には仮説ジレンマは使えない。現実の道徳的葛藤を扱う必要がある。 ケアの倫理では、人間は他人との相互依存的な関係の中でしか生きられな い(自立してはいない)と考える。そうした相互依存的な関係の中で相手 を思いやり、自分が相手に対して果たすべき責任について考える。 正義の倫理は全ての合理的な人が合意できる解決方法を目指すが、ケアの 倫理は複雑な人間関係の中では、どんな解決方法にも限界があると考え、 解決されないままの葛藤を説明しようとする。 ケアの倫理の発達①-自分だけをケアする- • 妊娠中絶のジレンマに直面して。 • 第一段階では、中絶決定は自己中心的な考え方で行われる。自分が完 全に孤独な存在であると感じて(それぞれに孤独を感じざるをえない 事情がある)、自分自身を思いやることに注意を向ける。 「それ(出産)を望んでいなかったということ以外、本当に何も考えま せんでした。≪それはなぜですか?≫本当にそれを望んでいなかったし、 準備さえできていなかったのです。それに、来年は最終学年ですから学 校に行きたかったんです。正しい決心というものはないと思います。≪ どうしてですか?≫だって、私は妊娠を望んでいなかったんですから」 (18歳 スーザン) ※ ケアの倫理の発達は、コールバーグの発達段階とは違い、全 ての人に共通な道筋ではない。また、レベルの高い、低いを比べる 基準も基本的にはない。ここでいう発達は、ケアの倫理によって道 徳的葛藤に応えようとする人が、自分の考えを深めていくプロセス を大まかに示したもの。 ケアの倫理の発達②-自分を犠牲にして他人をケアする- • 第二段階では、妊娠中絶の決定をするにあたり、他人を思いやるこ とが判断の基準になる。 • 女性は自分が大事にしている人間関係を維持するために、他人を傷 つけず、他人を思いやることを「善い」ことだと考える。 • そのために自分の要求を犠牲にして、他人(恋人、家族、生まれて くる子どもetc)の要求に応えようとする。ここでは自分の思いを 表現することと、他人への責任は対立している。 • 責任という名を借りた自己犠牲は不満へと変わり、結果的に人間関 係を危うくすることがある。 「どんな選択ができるというのでしょうか。妊娠を続けるか、中絶か のいずれかの選択肢しかないのです。私が悩むのはどちらも、自分自 身を傷つけるか、まわりの人を傷つけることになってしまうからです。 自分も他人も満足できるようなやり方があればよいのだけれど、そん な手立てはないのです。誰かを傷つけるか、自分自身を傷つけるかの いずれかしかないのです」(19歳 キャシー) ケアの倫理の発達③-自分も他人もケアする- • 第三段階では、自己犠牲と他人へのケアという対立を越えて、自分と他 人の両方の要求を充たそうと努める。 • 他人だけではなく、自分もケアしなければならないと考えるようになる と、妊娠中絶においては絶対的に正しい判断がないという現実に直面す る。 • 道徳的判断は、自分と他人の関係の現実を見極め、できる限り両方をケ アできるような選択をすることを意味するようになる。 • 誰もが第三段階への移行に成功するわけではない。自己犠牲と他人への ケアの対立を越えられず、道徳を放棄して、自分が生き抜くことだけを 考えるようになるケースもある。 「(道徳問題に正しい答えを出す方法を問われて)私が知っている唯一の方 法は、できるだけ意識を研ぎ澄ますことです。何が起こっているかにできる だけ気を配り、自分が何をしているかを意識することです。」 ≪あなたが従っている原理はありますか?≫ 「ええ、それは自分自身と他人に対する責任(responsibility)とケアにかか わる原理といってよいでしょう。ある時は責任を負い、ある時は負わないと いうものではありません。常に責任を負わなければいけないのです。そうい うわけで万能の原理というのはなく、ある場合に上手くいった原理が他の場 合には葛藤をもたらすことだってあります。」(30代 シャロン) 正義の倫理とケアの倫理 • 正義の倫理とケアの倫理は、人間関係や現実についての異なる見方に基 づいているため、男女のコミュニケーションの中で誤解が生じ、関係が 妨げられることもある。 • しかし、二つの倫理は対立するばかりではなく、互いに補い合うことが 可能。 • 正義の倫理は人間が自立して生きていることを前提にし、ケアの倫理は 人間が相互依存的な関係の中にあると考える。 • しかし、自律と相互依存は深いレベルではつながり合っている。人は他 人とかかわって生きているかぎりにおいてのみ、自分が他人から独立し た存在であるという事を知り、他人と自分を区別する限りにおいてのみ、 真の人間関係を経験することができる。 • ケアの倫理が焦点を当てる人間関係の複雑さは、正義の倫理が理想とす る平等を達成することの難しさを明らかにする。つまり、現実の複雑な 人間関係の中では、コールバーグが想定するような道徳的葛藤の論理的 解決が通用しないことがある。 • また、正義の倫理が焦点を当てる人間の平等な権利は、ケアのネット ワークの中に他人だけではなく、自分も含めることの大切さを教える。 つまり、相手をケアするだけでなく、自分もケアされる権利を持った一 人の人間であることを確認させてくれる。 グループワーク • ケアの倫理と正義の倫理について、(両者の違いも含め て)自分なりに理解したところをグループで話し合って みて下さい。 • 自分が直面した道徳的ジレンマについて考えてみてくだ さい。その時、どんな風に判断を下しましたか?その時 の判断基準は正義の倫理だったのか、ケアの倫理だった のか、両方用いていたのか、それとも正義でもケアでも ない別の倫理を用いていたのか、考えてみてください。 • その他、今日の話の中で考えたことを自由に話し合って みてください。 感想シート • 今日の授業の中で考えたこと、疑問や質問、グループワーク の中で話し合ったこと、授業に対する要望、なんでもかまい ません。 • 感想の紹介は匿名で行いますが、プライベートなことにかか わるなど、どうしても次回の授業で紹介してほしくない部分 などがあればその旨を記してください。 • 必ず、名前、学籍番号を書いて出してください。 • 授業中に伝えきれなかった質問、意見はメール、もしくはブ ログを利用してください。 メール [email protected] HP http://moral-education.seesaa.net/ ユーザー名 moral-education パスワード 449281
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