mediastudies20131024

メディア社会文化論
2013年10月24日
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
①
• 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映
画、写真、ラジオ、講義
・・・一方向的、あるいは単一の感覚を高精細度
で拡張するメディア
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
②
• 冷たいメディア・・・テレビ(映画に対するテレ
ビ)、電話(ラジオに対する電話)などの電気メ
ディア(一般にマクルーハンのこの「電気メ
ディア」を、現代の状況にあわせて「電子メ
ディア」と捉える論者が多い)、漫画(写真に
対する漫画は低精細度)双方向的、演習
・・・低精細度のメディア、あるいは双方向的なメ
ディア
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
③
• マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・
個々のメディアで単独に取り出すと訳分から
なくなる
• あくまでも対にして、相対的な意味で理解す
る。
• あと日常感覚の「熱い」「冷たい」とあえて逆
になっている
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
④
• 「電話が冷たいメディア、すなわち「低精
細度」のメディアの一つであるのは、耳
に与えられる情報量が乏しいからだ。さ
らに、話されることばが「低精細度」の冷
たいメディアであるのは、与えられる情
報量が少なく、聴き手がたくさん補わな
ければならないからだ」メディア論』邦訳
p.23) 。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑤
• 「一方、熱いメディアは受容者によって
補充ないし補完されるところがあまりな
い。したがって、熱いメディアは受容者に
よる参与性が低く、冷たいメディアは参
与性あるいは補完性が高い」(『メディア
論』邦訳p.23)
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑥
• 参与性の高低が二つを隔てるポイントに。
• 参与性高い・・・冷たいメディア
• 参与性低い・・・熱いメディア
• 粗い情報だと補完の必要が生じて、参与性
が高まる
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑦
• 「熱いメディアと冷たいメディアの使用上の基本
的な差違を指摘する一つの方法は、交響楽の演
奏の放送と交響楽のリハーサルの放送とを比較
対照してみることである。これまでにCBCカナダ
放送が放映した最上の出しものの二つが、グレ
ン・グールド(1932-82)のピアノ・リサイタルのレ
コード吹き込みの模様と、イゴール・ストラヴィン
スキー(1882-1971)がトロント交響楽団を指揮し
た自作のリハーサルの模様だった。テレビのよう
な冷たいメディアが本当に用いられると、この場
合のようにプロセスへ巻き込まれないわけにい
かなくなる」(『メディア論』邦訳p.32)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑧
• 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・
(受け手の)参与性(相対的に)低い
• リハーサル・・・未完成品・・・開かれたメディア、
モザイク(モザイクについては後述)状・・・参
与性(相対的に)高い
イーゴリ・ストラヴィンスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%
A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
• 1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシア
の作曲家で、初期の3作品『火の鳥』、『ペト
ルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、
指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクト
ペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロ
モノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。
『春の祭典』初演の様子
(ウィキペディアより)
• バレエ『春の祭典』初演。振り付ヴァーツラフ・ニジン
スキー。バレエ・リュッス。パリのシャンゼリゼ劇場の
こけら落とし公演。指揮ピエール・モントゥー。観客
にサン・サーンス、ラヴェル、ドビュッシーらも。
• 「曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次が
ひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互
いを罵り合い、殴り合りあい、野次や足踏みなどで
音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンス
キー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに
合図しなければならないほどであった 」
ストラヴィンスキーとニジンスキー
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Stravinsky_Nijiinsky.jpg
ストラヴィンスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:RIAN_archive_597702_Composer_Igor_Stravinsk
y_and_cellist_Mstislav_Rostropovich.jpg 及びhttp://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/29913352.html
グレン・グールド略歴①
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%89
• グレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9
月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニス
ト、作曲家。
• かねてより、演奏の一回性へ疑問を呈し、演奏
者と聴衆の平等な関係に志向して、演奏会から
の引退を宣言していたグールドは、1964年3月
28日のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート活
動からは一切手を引いた。これ以降、没年まで
レコード録音及びラジオ、テレビなどの放送媒体
のみを音楽活動の場とする。同年には、トロント
大学法学部より、名誉博士号を授与された。
グレン・グールド略歴②
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%89
• ピアノという楽器の中で完結するようなピ
アニズムを嫌悪し、自分は「ピアニストで
はなく音楽家かピアノで表現する作曲家
だ」と主張したグールドであったが、第1の
業績が斬新で完成度の高いそのピアノ演
奏であることは異論のないところである。
グレン・グールド略歴③
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%89
• グールドは、ピアノはホモフォニーの楽器では
なく対位法的楽器であるという持論を持って
おり、ピアノ演奏においては対位法を重視し
た。事実、グールドのピアノ演奏は、各声部
が明瞭で、一つ一つの音は明晰であり、多く
はペダルをほとんど踏まない特徴的なノン・レ
ガート奏法であった。
マクルーハンとグールド①
• 単にトロント大学繋がりというのではない。
• グールドもマクルーハンを評価。
• レコード>>>演奏会という部分は、リハの
番組を重んじるマクルーハンと対立しそう。
• ただしピアノで完結しないこと、モノフォニーで
なくポリフォニー志向であることなど、マク
ルーハンと合致する(後述する非線形性)。
マクルーハンとグールド②
• 『グレン・グールド書簡集』(邦訳、みすず書房、
1999年)にマクルーハン宛の書簡が2本掲載
されている(pp.160-162;202-203)。
• その注によると、マクルーハンはグールドの
持っているラジオ番組で、インタビューを受け
ている。
帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド
http://book-dvd.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2008/11/16/glenn_gould003.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/22/61/d0103561_224938100.jpg
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑨
• 「小ぎれいに整った番組はラジオやレコード
のような熱いメディアに向いている。フランシ
ス・ベーコン(1561-1626大法官、イギリス経験
論の父)は熱い散文と冷たい散文を対照させ
ることに倦むことがなかった。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑩
• 「方法」に則って書いたもの、すなわち完全に
仕立てあげられたものを、警句で書いたもの、
すなわち「報復は一種の野蛮な正義である」
というような単一の観察と、対照させてみた。
受動的な消費者は完成品を求めるけれども、
知を追い求める者は警句に赴くのではないか。
そうベーコンは言うのであった。警句は不完
全であり、深いところで参加を求めるからに他
ならない」(『メディア論』邦訳p.32)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑪
• 文学研究者の本領発揮
• 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメ
ディアを)プラスに評価
• 象徴主義(サンボリズム)、反小説(アンチロ
マン)、ヌーヴェルヴァーグ
• 作品の完成を拒む
• 作品を作るという行為そのものを描き、作る
行為を相対化
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑫
→作ることの意味を問う芸術の潮流
• 前衛芸術の作者の相対化、作品の完成性へ
の崩壊の流れ≒マクルーハンの芸術理論(芸
術の志向性)・・・当然この「作者の相対化」は
コミュニケーションの双方向性にも通じていく
→「冷たいメディア」擁護
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア1
⑬
(写真のインパクトを論じる中で)
• 「詩人や小説家は、われわれがそれを用いて洞
察力を獲得し、われわれ自身や世界をつくりあ
げていく、あの精神の内的身振りというものに目
を転じた。このようにして、芸術は外界との対応
から内面での創造へと移っていった。既知の世
界に対応する一つの世界を描き出す代わりに、
芸術家たちは創造の過程を提示して、公衆がそ
れに参加できるようにする方向へ変わった。いま
やわれわれには創造過程に参与する手段が与
えられたのである」(『メディア論』p.198)
⑭
• 要は、外界との対応は写真が容易にできる
• ならば、写真家以外の芸術家はそれ以外の
仕事をすることに。
• それが内面での創造の過程への着目に。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑮-活字文化批判①
• 活字文化批判との絡み
• オーラルコミュニケーション・・・双方向性ある
• この反対が活字文化
• 講義(一方向)と演習(双方向)
• 文字、活字文化批判-民衆をエリートが支配
する道具としての文字
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑯-活字文化批判②
• 活字文化批判ないしは「熱いメディア」批判
• 価値中立的でないという問題(ウェーバーの
方法、「メディア社会学」の授業参照)
• ただし彼の批判する「活字文化」の内実は?
• 表音文字批判・・・アルファベット批判
• 表意文字(漢字等)には、やや肯定的
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑰-アルファベットの特質①
• 全ての文字を25文字に集約→文字が普及し
やすい。文字そのものは誰でも読める(単語
の発音はたとえ無理でも)→世界中に普及す
る。
• 単語を形の束縛から解放→より抽象化→言
葉のより普遍的な流通
• 具象性の少ない文字。より抽象的に→地域
の隅々、あるいは世界の隅々に伝わる。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑱-アルファベットの特質②
• 国旗と、それを意味する文字とを比較
• 「かりに、星条旗を掲げる代わりに、一枚の布
に「アメリカの旗」と書いて掲げたら、どういう
ことになるか。記号は同一の意味を伝えるで
あろうけれども、効果は完全に異なるであろう。
星条旗の視覚的なモザイクを文字形式に移
し変えてしまえば、それと一体化したイメージ
や経験の質の多くが奪い去られてしまうであ
ろう」(『メディア論』邦訳p.84)。
補足「モザイク」(ウィキペディアより)
• 「モザイク(英語:mosaic、フランス語:
mosaïque)は、小片を寄せあわせ埋め込んで、
絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法。石、
陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、
木などが使用され、建築物の床や壁面、ある
いは工芸品の装飾のために施される。 」
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑲-表意文字①
• 表意文字・・・先に挙げた国旗に近い要素を留める
• 「表音文字で書かれたことばは、象形文字や中国の
表意文字のような形式で確保されていた意味と知覚
の世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的
に豊かな文字の形式は、部族のことばからなる呪術
的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視
覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しな
かった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を
使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のな
い微妙な網の目が脅威にさらされることがなかった」
( 『メディア論』邦訳p.85)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑳-表意文字②
• →表意文字・・・部族の言葉
• ・・・要するに部族の生活に密接に結びついた
言葉である。・・・よって画一的ではない。
• これは誰が話すかということにも関わり、メ
ディア(話し手とか声)のメッセージ性と不即
不離の関係
21
• つまり体温や匂いといった触覚や嗅覚を残し
ているのが表意文字。
• そういったものを残すのが、本来のメディアと
いうか、メッセージ性のあるメディア。→その
意味で「メディアはメッセージ」に通じていく。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
22-表意文字③
• 「二〇〇〇年前の古代ローマの属領ガリアが
そうであったように、こんにちアフリカでアル
ファベット文字を身につけて一世代もすれば、
少なくとも部族の網から個人を解き放つのに
充分である」( 『メディア論』邦訳p.85)。
• →要するに、部族社会から個人を解放するの
が、アルファベットなどの表音文字
補足「ガリア語」(ウィキペディア)
• 「ガリア人がローマ帝国支配下に入り、征服
者の言語であるラテン語が流入するとガリア
語に代わってラテン語の変化した俗ラテン語
(に後の古フランス語やそれにゲルマン語派
が影響を与えたフランス語の元の言語)がひ
ろく使用され(これは現在のガロ・ロマンス語
となっている)、ガリア語は6世紀までに死語
になっていった。 通常ガリア語はケルト語派
のなかのPケルト語的な言語だと考えられて
いる」。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
23-表意文字④
• 「この事実は、アルファベットで綴られたことば
の「内容」には関係がない。それは人の聴覚
経験と視覚経験が突然に裂けた結果である」
( 『メディア論』邦訳p.85) 。
• 「内容」=メッセージより「聴覚」「視覚」といっ
たメディアの変化の方が重要→ここも「メディ
アはメッセージ」のバリエーション
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
24-表意文字から表音文字へ①
• 前のスライドの「聴覚経験と視覚経験」の分
離とは何か?
• 「表音アルファベットのみがこのような経験の
明確な分割をおこない、その使用者に耳の代
わりに目を与え、その使用者をこだますること
ばの魔術の陶酔と親族の網目から解き放つ
のである」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
25-表意文字から表音文字へ②
• アルファベットなどの表音文字
→視覚優位の社会
• 「表音アルファベットは視覚の機能を強化し拡
張するものであるが、文字文化の内部で、そ
れ以外の聴覚、触覚、味覚などの感覚の役
割を縮小させる」(『メディア論』邦訳p.86)。
• いわば文字の客観性は、メディア(聴覚、触
覚、味覚)抜きのメッセージだということ。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
26-論理の線形性①
• 表音文字文化-論理の線形性→話が論理的な
前後関係によって構成される→因果関係で物事
を捉える。
• しかし因果関係のない連続というものもあるとマ
クルーハンはいう。
• 「西欧の文字文化をもった社会では、なにかがな
にかから「続いて生じる」というのが、あたかも、
そのような連続を作り出す原因のようなものが
作用しているかのように感じられ、いまなお、い
かにももっともなこととして受け入れられるので
ある」(p.87)。
27
• (後藤のコメント)アンケートの独立変数と従
属変数の関係も、いわば時間的に先行する
独立変数が原因になっていると見立てるもの
だ。本当は原因とは限らないのに。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
28-論理の線形性②
• 「こんにちの電気の時代に、われわれは非ユー
クリッド幾何学を自由自在に作れるような気がす
るのと同じように、自由自在に非線条(sic)論理
学を作れるようにも感ずる。・・・一行省略・・・結
びつけられた線状の連続は、心理ならびに社会
の組織に普遍的な形式となっているが、これま
でにそれをマスターしたのはアルファベット文化
だけだった」(同ページ)。
• ハイパーテクスト、マルチメディアの構造・・・複
線的・非線形的に情報が流れる
29
• グレン・グールドのポリフォニー的な音楽実践
にマクルーハンが興味をもったのも、この非
線形性への着目と照応しているのでは?
• (グレン・グールド論をNHK「知るを楽しむ」で
展開した宮澤淳一青山学院大教授は、トロン
ト大学元客員教授にしてゴードン著『マクルー
ハン』ちくま学芸文庫の訳者でもある)。
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
30-論理の線形性③
• マクルーハンは表音文字を視覚優位の典型
として批判的に(G・・・しかし普通に考えれ
ば・・・→表意文字の方が視覚的、表音文字
の方は聴覚的では?とも・・・)
• マクルーハンの考え方・・・表意文字は色々な
感覚の経験を籠めている(G・・・それはそうか
も)
31
• 「熱狂的なナショナリストであった自国語愛好
者たちが目的としていた課題のなかに、印刷
の力を用いて言語のなかから触覚的性質を
早急に抜き去る、ということがあった。いまこ
の点に注目したいと思う。十九世紀に至るま
で英国人たちが彼等の間で語りあってきた英
語に関する自慢話というものがあった。それ
は十六世紀以来英語が洗練純化されてきた
というものであった。(つづく)」
32
• 「十六世紀の英語のなかには、触覚性と五感
の相互の反響に資するような訛や方言が豊
富に残っていた。だが一五七七年にはすでに、
ホリンシャッドはサクソン時代からくらべて総
体的に彼の時代の英語が洗練の度を加えて
きている点を自慢気に語っているのである」
(『グーテンベルグの銀河系』pp.364-365)
(補足)ラファエル・ホリンシェッド(英
語版ウィキペディアより意訳)
• Raphael Holinshed(1529-1580頃)彼の『年代
記』を基に、シェークスピアは多くの戯曲を書
いたとされる。彼はロンドンに出てウルフとい
う印刷屋の下で翻訳家として働いていた。ウ
ルフは氷河期からエリザベス朝時代までの世
界史を書くことをホリンシェッドに提案し、その
一部の成果『イングランド、スコットランド、ア
イルランドの年代記』が1577年に出された。
もっとも実はホリンシェッドはこの年代記の寄
稿者の一人に過ぎない。
• シェークスピアはこの年代記の第二版(1587)
を愛読し、『マクベス』の筋立てと『リア王』『シ
ンベリン』の一部にこれを利用した。
• マクルーハンの文字文化、活字文化批判
に・・・西欧を中心にして発達した、表音文字
の文化への批判
• ポストモダン的な西欧近代批判を先取りか
• 貨幣の蓄積や官僚組織への批判も
• マクルーハンの貨幣批判とアルファベット批
判との相同性
• 共に地域の枠を越える普遍的なメディアとし
て機能する
• 数字によって、働いた労働時間を表示し、異
質な労働相互を「翻訳する」するメディアとし
て機能する(労働価値説を意識)
• 「こんにちでさえも、貨幣は農夫の労働を、床
屋、医師、技師、鉛管工などの労働に翻訳す
るための言語である。貨幣が巨大な社会的メ
タファー、橋渡し、翻訳者であるとすれば--
書かれることばと同じように--いかなる社
会でも、交換を促進し、その相互依存の絆を
緊張させる」。
• 「それが政治組織に広大な空間的拡張と統
制を許すところは、文字や暦がそうしたのと
同じである。それは空間的にも時間的にも、
離れたところの操作であると言える。高度な
文字文化をもち、細分化のおこなわれた社会
では、「時は金なり」だ。そして、貨幣は他の
人びとの時間と努力の蓄積したものである」
(p.136-137)。
• 「貨幣はその専門分化したアルファベット技術
に随伴したものであり、グーテンベルクの機
械的反覆の形態をさらに新たに強化すること
になったのであった。アルファベットが未開文
化の複雑さを単純な視覚の表現に翻訳する
ことでその多様性を中和してしまったように、
兌換紙幣もまた十九世紀に倫理の価値を低
下させてしまった」(p.141)
• 時計・・・表音文字の視覚性を前提とする
• 文字文化が普及→時間は区分、下位区分の
できる囲われた絵画的な空間の性格を帯び
る(cf「純粋持続」ベルクソン)
• 「わたしのスケジュールは埋まっています」
• 表意文字から表音文字が世界を支配→印刷
術が強まる→視覚優位の社会
• 視覚優位の社会・・・人間の感覚の包括性を
失わせる→経験を断片化し、専門分化させる
• それぞれの分化した領域(「それぞれの」と
いっても主に視覚だが)においては、普遍性
を獲得・・・外へ外へと広がっていく(外展開・
外爆発型)
• 外展開型
• 多様な解釈を容認しない。(G、印刷術と『聖書』
→多様な解釈という流れとは矛盾か。どのレベ
ルで捉えるかによるといえばそれまでだが)
• 多様な感覚の融合した文字・メディアであれば、
多様な捉え方が可能であるのに。
• 印刷本の「連続性、画一性、反復性の原理」
(p.181)ゆえに、一方向的なマス・コミュニケー
ション、マス・マーケティングに親和的になる
• 写本と印刷本の対比
• 写本・・・全体的な感覚がまだ存在→多様性
(G写本時代、カトリック、聖書解釈の権利独占
という見方もありうる。「委員会の論理」等)
• 印刷本・・・抽象化され、視覚優位→一方向性
• このような一方向性ゆえ、文字言語を発する
者を支配者、権力者、スターに仕立てあげる
• マクルーハンのイメージする「現代」・・・相互
依存の時代
• 「現代」で必要とされるメディア・・・もう一度包
括的な感覚を開くメディア
• 印刷のような断片化のメディア→電信のよう
な包括的なマス・メディア
• 線形思考→非線形思考
• 線形の思考・・・一つの感覚優位であるから成立
する
• 複数の感覚が働き、包括的に人間が世界にか
かわるのなら、減ってくる。
• ハイパーテキストに親和的なマクルーハンの発
想とされる。 「WWWのビューワーとして知られて
いる「モザイク(MOSAIC)」という言葉は、ノンリニ
アという意味でマクルーハンが使っていたもの
だ」(濱野保樹『大衆との決別』1995,p.137)
2.5 地球村
• クリントン政権の副大統領ゴアの「情報スー
パーハイウェイ・・・(マクルーハンの)グロー
バル・ヴィレッジを実現するためのもの(濱野
保樹『大衆との決別』(p.135)
• 「「グローバル・ヴィレッジ」とは、マクルーハン
が提唱したヴィジョンで、電気メディアのネット
ワークが人間の神経系のように張り巡らされ
て、地球を一つの共同体にするというもので
ある」(同頁)。
(『グーテンベルクの銀河系』p.53での
シャルダンからの引用)。
• 「あたかも自己拡張を行うかのように人間はおのが
じし少しずつ地球上に自分の影響力の半径を拡げ
ていき、その反面、地球は着実に収縮していっ
た。・・・昨日の鉄道の発明、そして今日の自動車や
航空機といった手段をとおして、各人の身体的影響
のおよぶ範囲は以前は数マイルにかぎられていた
ものがいまでは何百哩どころかそれ以上にも及んで
いるのである。それどころか、電磁波の発見によっ
て代表される途方もない生物学上の事件のおかげ
で、各個人は海陸とわず、地球のいかなる地点にも
(能動的に、そして受動的に)みずからを同時存在さ
せることができるようになった」
マクルーハン自身による「地球村」の
説明
• 「われわれの五感のこの外化こそ、ド・シャル
ダンが「精神圏」と呼ぶもの、もしくは世界全
体のために機能する、いわば技術的頭脳を
創造するものなのだ。巨大なアレクサンドリア
図書館の建設にむかうかわりに、世界それ自
体が、まさに初期の頃のSF本に描かれていた
のとそっくりに、コンピューター、電子頭脳と
なったのである。」 『グーテンベルクの銀河
系』p.53
• 後藤のコメント・・・中井正一の機能概念とし
ての図書館とほぼ相通じるイメージ
(補足)「シャルダン」ウィキペディアよ
り
• ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre
Teilhard de Chardin,1881年5月1日-1955年
4月10日)は、フランス人のカトリック司祭(イ
エズス会士)で、古生物学者・地質学者、カト
リック思想家である。主著『現象としての人
間』で、キリスト教的進化論を提唱し、二十世
紀の思想界に大きな影響を与える。
印刷文化の否定と地球村
【過去】
• 印刷文化・・・人間を専門分化、断片化
• 断片において表音文字や貨幣が普遍的に流
通
【これから】
• 感覚統合→全体的・包括的な人間・・・交通や
コミュニケーションの発達によって狭くなった
地球の中で共存
2.6マクルーハンからの発展:広義の(最広義の)
メディアを突き詰めればどうなるか
• 物財、人の情報性の議論に
• すべての物、人の頭脳、人の体はメディアで
ある
• 人の頭脳に模したコンピュータ、あるいはコン
ピュータネットワークも、そのような「人間拡
張」の典型としてのメディア
• 「すべてのメディアがわれわれ自身を拡張し
たものであり、新しくものを変形する視力と意
識とを提供するのに貢献する」(『メディア論』
p.63)。
• 「われわれの中枢神経組織を電気磁気技術
として拡張あるいは転換したら、われわれの
意識をコンピューターの世界に転移させるの
もあと一段階にすぎない」(p.64)
この辺りは初回の授業で詳述か
• 感覚器官・・・情報の受容体
• 神経という伝送路を伝って、脳にそれらの情報が伝え
られる。
• 脳の中でも神経と神経伝達物質の受け渡しがある。
• また我々の感覚器官の極く近くの延長として眼鏡や補
聴器があるし、眼鏡や補聴器のさらなる出先機関とし
て、われわれの代わりに外の世界を記録してくれるの
が、テレビカメラとマイクロフォンであると考えることが
できる。
• つまり脳から神経、感覚器官の延長としてマス・メディ
アを捉えるからこそ、「人間拡張の原理」(マクルーハ
ンの『メディア論』の原題)といえる。
インターネット社会を予見した地球村
• 「個々の人々の自分の神経の延長として世界
中に神経ネットワークを張り巡らし、世界中の
人々と繋がっている」(マクルーハンの「地球
村」)
• 「コンピュータがインターネットを通じて世界中
につながっている」(インターネットについての
ありふれた記述)
• 極めて近親性がある、上記2つのイメージ
メディア概念の拡張
拡張の問題点
• メディアと情報を分けられない
• 物そのものと情報も分けられない(あるいは自分
と情報も分けられないし、媒体・神経経路も分け
られない、ネット依存の感覚)
• 物の情報部分以外がメディアといわれるに過ぎ
ない・・・ある物を見る人の視点で、あるいは見る
という行為によって、そもそもそのある物は情報
になるし、メディアになるので
• 「見る」こと、顔を向ける(方向性、遠近法)こ
とが、物や人が「情報」となる始まり(端緒)
• 物財の情報性と、それ以外の情報財の情報
性とを区別する視点→
• 物財のメディアは、情報がなくてもそれ自体で
意味をもつ
• 情報財のメディアは通常情報なくして意味が
ない
• 以上の点から、30年まえに亡くなったのに、
現代のネット社会の状況をしっかりと予見して
いたという点は、評価せざるを得ない。
• しかし、なぜかマクルーハンには胡散臭さ、い
かがわしさもつきまとう。
マクルーハンの紹介者として、かつて名を馳せた
竹村健一氏
http://www.hirax.net/keywords/log/%E7%AB%B9%E6%9D%91%E5%81%A5%E4%B8%80/latest
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a5/4e/musyaavesta/folder/1788839/img_1788839_64410171_0?1321355031
http://stat.ameba.jp/user_images/20110803/22/alfa2525/be/84/j/o0240019511392834211.jpg
2.7 マクルーハン評価(批判等)の
一例
• 稲葉三千男の批判(「マクルーハン
彼は正しいか間違っ
ているか--“論より証拠”におぼれる教祖」『近代経営』
12(12),29-131. (1967) (経済雑誌 ダイヤモンド社))・・・著名な東
大教授(当時)だが、この論文は知られていない。
• 「メディアの重層性」の議論と「冷たいメディ
ア」「熱いメディア」の分類の矛盾を衝く
経歴は日本版ウィキペディア「稲葉三千男」写真はhttp://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1253/6.html
稲葉 三千男(いなば みちお、1927年3月10日 2002年9月8日)は、日本の社会学者、ジャーナ
リズム研究者、政治家。研究者としては、東京
大学新聞研究所(現在の東京大学大学院情報
学環・学際情報学府の前身の一つ)で永く活躍
し、東京大学定年退官後は、東京国際大学教
授となった。1990年、革新系候補として東久留
米市長に初当選、以降3期12年間市長を務め
た
稲葉によるマクルーハン批判①
• 「メディアの重層性」の議論・・・関係概念、機
能概念による把握
• 「冷たいメディア」「熱いメディア」の議論・・・そ
れぞれを実体視
• (後藤の補足(価値中立でないし、「冷たいメ
ディア」=テレビ、「熱いメディア」=活字と対
応メディアも実体視))
• →矛盾
稲葉によるマクルーハン②
• 「メディアの重層性」の議論・・・プラトン、アリ
ストテレス以来の二元論の延長(イデアと現
象、形相と質料の議論)に
• “最終的には人間の脳に至る”(マクルーハ
ン)・・・脳を実体視
稲葉のマクルーハン批判に対する(稲葉の授業
を受けた)本授業担当者の意見①
①の批判について
• マクルーハンも(以前の授業で申し上げたよ
うに)、「冷たいメディア」「熱いメディア」を固定
せずに、相対的な関係で捉えている(箇所が
多い)。→その点で、稲葉の批判は妥当せず。
• ただし、テレビ=冷たいメディア、活字本=熱
いメディアという組み合わせは譲れないとMc
は考えているようだ。→この点、稲葉は妥当
する。
稲葉のマクルーハン批判に対する(稲葉の授業
を受けた)本授業担当者の意見②
②の批判について
• マクルーハンは二元論というより、小さな二項
対立を組み合わせているに過ぎない。よって、
プラトン以来の二元論の延長というより、そも
そも二元論を要請する「情報vsメディア」という
対立を崩したと評せる。→モダニズムを越え
るポストモダンの走り。
• →この点は稲葉の批判は的はずれ。
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(1)技術決定論
→ただし共通感覚論との絡みも
(2)テレビは未完成か?
(3)マクルーハンの自己矛盾
(4)非線形的論理への親和性
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(1)-技術決定論
• 技術決定論だという批判
• イニスの技術決定論→マクルーハンに影響
• 「五感の比率の変化の議論」・・・特に技術決
定論的
マクルーハンの「五感の比率の変化
の議論」を示すテキスト(文章)
• 「ある文化圏の内部から、もしくは外部からひ
とつの技術が導入され、その結果としてわれ
われのもつ五感のうち特定の感覚だけがとく
に強調され、優位を与えられる場合、五感が
それぞれに務める役割比率に変化が生じる
のだが、そのときわれわれの感受性はもとの
ままではありえないのだ」(『グーテンベルクの
銀河系』p.41))
技術決定論は叩くべきだ。しかし、・・・
•
•
•
•
まずは技術決定論批判の骨子と「プリクラ」
共通感覚論(中村雄二郎)
マルクスの「鉱物商人」の喩え
アランの『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫)
• こういった感覚の延長としての情報機器
• 特定の感覚に基づく世界観
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(2)-テレビは完成度低い?
• 低精細度(low definition)や完成度の低さを
テレビの冷たいメディアであることの根拠とす
る・・・
• しかし・・・現在のテレビ受像器は高品位
• 映画同様、DVDとして完成された作品となる。
• しかも映画もテレビもNGシーンやメイキング
映像等がDVDに付加価値をもたせる手段とし
て使われる。
テレビの完成度は低い?②
• →この点では、稲葉の批判が妥当する。
• マクルーハンの生きた時代のメディア状況を
絶対視して(実体的把握)、理論を作っている
面も。
• 機能概念で捉えれば、このような走査線の数
に囚われた理論にならないはず。
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(3)-マクルーハンの自己矛盾
• 当人は活字文化的な人
• 子どもに見せないようにテレビを地下室にし
まうほど(服部桂『メディアの予言者-マクルーハン再発
見』2001年、廣済堂出版社、p.112)
• カトリックの聖職者は死語かつ学術・宗教の
公用語であったラテン語を理解する文字文化
エリートでありつつ、オーラル文化を擁護した
のと同様の矛盾かも。
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(4)-非線形論理への親和性①
• 線形的な思考を否定
• 現在の思考をしばしば中断される情報環境を
肯定する
• すると、我々の思考から論理性や物語性を奪
うことになる
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(4)-非線形論理への親和性②
• もっともこういうような非線形志向への批判・
反論としては以下のようなものがある。
• 我々は本読んでいる途中で食事をしたりス
ポーツしても、本は継続的に理解できるし
• ながら読書等をしても、読めるし、
• 授業も色々な科目を50分ずつ学んでも体系
的に理解できる
2.8マクルーハンのメディア論からの
示唆
• 全ての事象を相対化して関係性で捉える。
• すると、中身と外側、メッセージとメディアに区
分けできる。
• メディアを実体としてでなく関係性で捉える。
3. メディアの定義と諸相
3.1 メディアの辞書的定義のいくつか
3.1.1稲葉三千男の定義①
• 二通りの「メディア」
• 1)神と人の媒介
• 2)人と人との媒介
(『コミュニケーション事典』(1988、平凡社)の「マス・メ
ディア」の項目)
3.1.1稲葉三千男の定義②
• 1)神と人の媒介(あるいは媒介に必要な媒
介項)・・・媒介項は<みこ><霊媒><預言
者>など・・・異質的な媒介をする媒介・・・媒
介項を飛び越えて、直接媒介可能と考えると
ミッテルに
3.1.1稲葉三千男の定義③
• 2)人と人との媒介(あるいは媒介に必要な媒
介項)・・・媒介項は送り手と受け手との中間
にあるもの・・・同質的な媒介をする媒介・・・メ
ディウムの媒介(物)
• 2-1)媒体材料 (例)音波に対する空気、
文字に対する紙
• 2-2)媒体材料に情報が加えられたもの
(例)新聞、雑誌、パンフレット、レコード、映
画、ラジオ、テレビ
3.1.1稲葉三千男の定義④
• 「媒体media(メディウムの複数形)とは,もと
もと<中間にあるもの>または<中間>を意
味した.神と人との中間にいてなかだちをす
る<みこ><霊媒><預言者>なども含ま
れる」(稲葉 1988 498)・・・1)の方に相当する
メディア
• この「神と人との中間」にいるものという部分
を「送り手と受け手の中間にあるもの」とよみ
かえて、稲葉は議論していく。
3.1.1稲葉三千男の定義⑤
• 「対面集団face to face group内での会話や音
楽会場での演奏などだと、空気が音波のメ
ディウムで、手紙や遺言状だと紙が文字のメ
ディウムである」。さらに印刷術の発明にとも
なって「新聞、雑誌、パンフレットなどの印刷
物が」最初のマス・メディアとして登場する。つ
ぎにレコードや映画が登場するが、これらは
いずれも「物体として持ち運びができるという
意味でパッケージ型である」。
3.1.1稲葉三千男の定義⑥
• 他方ラジオやテレビはパッケージ型ではない。
またフィルムや電波の情報を再生するための
再生装置は「送り手と受け手の中間にあるも
の」であるので、マス・メディアに含めうるとい
う。さらに「マス・メディアがマス・コミュニケー
ションとまったく同義に使われることも少なくな
い」。