メディア社会文化論 2013年10月24日 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ① • 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映 画、写真、ラジオ、講義 ・・・一方向的、あるいは単一の感覚を高精細度 で拡張するメディア 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ② • 冷たいメディア・・・テレビ(映画に対するテレ ビ)、電話(ラジオに対する電話)などの電気メ ディア(一般にマクルーハンのこの「電気メ ディア」を、現代の状況にあわせて「電子メ ディア」と捉える論者が多い)、漫画(写真に 対する漫画は低精細度)双方向的、演習 ・・・低精細度のメディア、あるいは双方向的なメ ディア 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ③ • マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・ 個々のメディアで単独に取り出すと訳分から なくなる • あくまでも対にして、相対的な意味で理解す る。 • あと日常感覚の「熱い」「冷たい」とあえて逆 になっている 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ④ • 「電話が冷たいメディア、すなわち「低精 細度」のメディアの一つであるのは、耳 に与えられる情報量が乏しいからだ。さ らに、話されることばが「低精細度」の冷 たいメディアであるのは、与えられる情 報量が少なく、聴き手がたくさん補わな ければならないからだ」メディア論』邦訳 p.23) 。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑤ • 「一方、熱いメディアは受容者によって 補充ないし補完されるところがあまりな い。したがって、熱いメディアは受容者に よる参与性が低く、冷たいメディアは参 与性あるいは補完性が高い」(『メディア 論』邦訳p.23) 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑥ • 参与性の高低が二つを隔てるポイントに。 • 参与性高い・・・冷たいメディア • 参与性低い・・・熱いメディア • 粗い情報だと補完の必要が生じて、参与性 が高まる 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑦ • 「熱いメディアと冷たいメディアの使用上の基本 的な差違を指摘する一つの方法は、交響楽の演 奏の放送と交響楽のリハーサルの放送とを比較 対照してみることである。これまでにCBCカナダ 放送が放映した最上の出しものの二つが、グレ ン・グールド(1932-82)のピアノ・リサイタルのレ コード吹き込みの模様と、イゴール・ストラヴィン スキー(1882-1971)がトロント交響楽団を指揮し た自作のリハーサルの模様だった。テレビのよう な冷たいメディアが本当に用いられると、この場 合のようにプロセスへ巻き込まれないわけにい かなくなる」(『メディア論』邦訳p.32)。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑧ • 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・ (受け手の)参与性(相対的に)低い • リハーサル・・・未完成品・・・開かれたメディア、 モザイク(モザイクについては後述)状・・・参 与性(相対的に)高い イーゴリ・ストラヴィンスキー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83% A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC • 1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシア の作曲家で、初期の3作品『火の鳥』、『ペト ルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、 指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクト ペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロ モノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。 『春の祭典』初演の様子 (ウィキペディアより) • バレエ『春の祭典』初演。振り付ヴァーツラフ・ニジン スキー。バレエ・リュッス。パリのシャンゼリゼ劇場の こけら落とし公演。指揮ピエール・モントゥー。観客 にサン・サーンス、ラヴェル、ドビュッシーらも。 • 「曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次が ひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互 いを罵り合い、殴り合りあい、野次や足踏みなどで 音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンス キー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに 合図しなければならないほどであった 」 ストラヴィンスキーとニジンスキー http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Stravinsky_Nijiinsky.jpg ストラヴィンスキー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:RIAN_archive_597702_Composer_Igor_Stravinsk y_and_cellist_Mstislav_Rostropovich.jpg 及びhttp://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/29913352.html グレン・グールド略歴① http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3 %83%AB%E3%83%89 • グレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9 月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニス ト、作曲家。 • かねてより、演奏の一回性へ疑問を呈し、演奏 者と聴衆の平等な関係に志向して、演奏会から の引退を宣言していたグールドは、1964年3月 28日のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート活 動からは一切手を引いた。これ以降、没年まで レコード録音及びラジオ、テレビなどの放送媒体 のみを音楽活動の場とする。同年には、トロント 大学法学部より、名誉博士号を授与された。 グレン・グールド略歴② http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3 %83%AB%E3%83%89 • ピアノという楽器の中で完結するようなピ アニズムを嫌悪し、自分は「ピアニストで はなく音楽家かピアノで表現する作曲家 だ」と主張したグールドであったが、第1の 業績が斬新で完成度の高いそのピアノ演 奏であることは異論のないところである。 グレン・グールド略歴③ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3 %83%AB%E3%83%89 • グールドは、ピアノはホモフォニーの楽器では なく対位法的楽器であるという持論を持って おり、ピアノ演奏においては対位法を重視し た。事実、グールドのピアノ演奏は、各声部 が明瞭で、一つ一つの音は明晰であり、多く はペダルをほとんど踏まない特徴的なノン・レ ガート奏法であった。 マクルーハンとグールド① • 単にトロント大学繋がりというのではない。 • グールドもマクルーハンを評価。 • レコード>>>演奏会という部分は、リハの 番組を重んじるマクルーハンと対立しそう。 • ただしピアノで完結しないこと、モノフォニーで なくポリフォニー志向であることなど、マク ルーハンと合致する(後述する非線形性)。 マクルーハンとグールド② • 『グレン・グールド書簡集』(邦訳、みすず書房、 1999年)にマクルーハン宛の書簡が2本掲載 されている(pp.160-162;202-203)。 • その注によると、マクルーハンはグールドの 持っているラジオ番組で、インタビューを受け ている。 帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド http://book-dvd.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2008/11/16/glenn_gould003.jpg http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/22/61/d0103561_224938100.jpg 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑨ • 「小ぎれいに整った番組はラジオやレコード のような熱いメディアに向いている。フランシ ス・ベーコン(1561-1626大法官、イギリス経験 論の父)は熱い散文と冷たい散文を対照させ ることに倦むことがなかった。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑩ • 「方法」に則って書いたもの、すなわち完全に 仕立てあげられたものを、警句で書いたもの、 すなわち「報復は一種の野蛮な正義である」 というような単一の観察と、対照させてみた。 受動的な消費者は完成品を求めるけれども、 知を追い求める者は警句に赴くのではないか。 そうベーコンは言うのであった。警句は不完 全であり、深いところで参加を求めるからに他 ならない」(『メディア論』邦訳p.32)。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑪ • 文学研究者の本領発揮 • 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメ ディアを)プラスに評価 • 象徴主義(サンボリズム)、反小説(アンチロ マン)、ヌーヴェルヴァーグ • 作品の完成を拒む • 作品を作るという行為そのものを描き、作る 行為を相対化 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑫ →作ることの意味を問う芸術の潮流 • 前衛芸術の作者の相対化、作品の完成性へ の崩壊の流れ≒マクルーハンの芸術理論(芸 術の志向性)・・・当然この「作者の相対化」は コミュニケーションの双方向性にも通じていく →「冷たいメディア」擁護 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア1 ⑬ (写真のインパクトを論じる中で) • 「詩人や小説家は、われわれがそれを用いて洞 察力を獲得し、われわれ自身や世界をつくりあ げていく、あの精神の内的身振りというものに目 を転じた。このようにして、芸術は外界との対応 から内面での創造へと移っていった。既知の世 界に対応する一つの世界を描き出す代わりに、 芸術家たちは創造の過程を提示して、公衆がそ れに参加できるようにする方向へ変わった。いま やわれわれには創造過程に参与する手段が与 えられたのである」(『メディア論』p.198) ⑭ • 要は、外界との対応は写真が容易にできる • ならば、写真家以外の芸術家はそれ以外の 仕事をすることに。 • それが内面での創造の過程への着目に。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑮-活字文化批判① • 活字文化批判との絡み • オーラルコミュニケーション・・・双方向性ある • この反対が活字文化 • 講義(一方向)と演習(双方向) • 文字、活字文化批判-民衆をエリートが支配 する道具としての文字 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑯-活字文化批判② • 活字文化批判ないしは「熱いメディア」批判 • 価値中立的でないという問題(ウェーバーの 方法、「メディア社会学」の授業参照) • ただし彼の批判する「活字文化」の内実は? • 表音文字批判・・・アルファベット批判 • 表意文字(漢字等)には、やや肯定的 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑰-アルファベットの特質① • 全ての文字を25文字に集約→文字が普及し やすい。文字そのものは誰でも読める(単語 の発音はたとえ無理でも)→世界中に普及す る。 • 単語を形の束縛から解放→より抽象化→言 葉のより普遍的な流通 • 具象性の少ない文字。より抽象的に→地域 の隅々、あるいは世界の隅々に伝わる。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑱-アルファベットの特質② • 国旗と、それを意味する文字とを比較 • 「かりに、星条旗を掲げる代わりに、一枚の布 に「アメリカの旗」と書いて掲げたら、どういう ことになるか。記号は同一の意味を伝えるで あろうけれども、効果は完全に異なるであろう。 星条旗の視覚的なモザイクを文字形式に移 し変えてしまえば、それと一体化したイメージ や経験の質の多くが奪い去られてしまうであ ろう」(『メディア論』邦訳p.84)。 補足「モザイク」(ウィキペディアより) • 「モザイク(英語:mosaic、フランス語: mosaïque)は、小片を寄せあわせ埋め込んで、 絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法。石、 陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、 木などが使用され、建築物の床や壁面、ある いは工芸品の装飾のために施される。 」 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑲-表意文字① • 表意文字・・・先に挙げた国旗に近い要素を留める • 「表音文字で書かれたことばは、象形文字や中国の 表意文字のような形式で確保されていた意味と知覚 の世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的 に豊かな文字の形式は、部族のことばからなる呪術 的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視 覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しな かった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を 使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のな い微妙な網の目が脅威にさらされることがなかった」 ( 『メディア論』邦訳p.85)。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア ⑳-表意文字② • →表意文字・・・部族の言葉 • ・・・要するに部族の生活に密接に結びついた 言葉である。・・・よって画一的ではない。 • これは誰が話すかということにも関わり、メ ディア(話し手とか声)のメッセージ性と不即 不離の関係 21 • つまり体温や匂いといった触覚や嗅覚を残し ているのが表意文字。 • そういったものを残すのが、本来のメディアと いうか、メッセージ性のあるメディア。→その 意味で「メディアはメッセージ」に通じていく。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 22-表意文字③ • 「二〇〇〇年前の古代ローマの属領ガリアが そうであったように、こんにちアフリカでアル ファベット文字を身につけて一世代もすれば、 少なくとも部族の網から個人を解き放つのに 充分である」( 『メディア論』邦訳p.85)。 • →要するに、部族社会から個人を解放するの が、アルファベットなどの表音文字 補足「ガリア語」(ウィキペディア) • 「ガリア人がローマ帝国支配下に入り、征服 者の言語であるラテン語が流入するとガリア 語に代わってラテン語の変化した俗ラテン語 (に後の古フランス語やそれにゲルマン語派 が影響を与えたフランス語の元の言語)がひ ろく使用され(これは現在のガロ・ロマンス語 となっている)、ガリア語は6世紀までに死語 になっていった。 通常ガリア語はケルト語派 のなかのPケルト語的な言語だと考えられて いる」。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 23-表意文字④ • 「この事実は、アルファベットで綴られたことば の「内容」には関係がない。それは人の聴覚 経験と視覚経験が突然に裂けた結果である」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。 • 「内容」=メッセージより「聴覚」「視覚」といっ たメディアの変化の方が重要→ここも「メディ アはメッセージ」のバリエーション 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 24-表意文字から表音文字へ① • 前のスライドの「聴覚経験と視覚経験」の分 離とは何か? • 「表音アルファベットのみがこのような経験の 明確な分割をおこない、その使用者に耳の代 わりに目を与え、その使用者をこだますること ばの魔術の陶酔と親族の網目から解き放つ のである」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 25-表意文字から表音文字へ② • アルファベットなどの表音文字 →視覚優位の社会 • 「表音アルファベットは視覚の機能を強化し拡 張するものであるが、文字文化の内部で、そ れ以外の聴覚、触覚、味覚などの感覚の役 割を縮小させる」(『メディア論』邦訳p.86)。 • いわば文字の客観性は、メディア(聴覚、触 覚、味覚)抜きのメッセージだということ。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 26-論理の線形性① • 表音文字文化-論理の線形性→話が論理的な 前後関係によって構成される→因果関係で物事 を捉える。 • しかし因果関係のない連続というものもあるとマ クルーハンはいう。 • 「西欧の文字文化をもった社会では、なにかがな にかから「続いて生じる」というのが、あたかも、 そのような連続を作り出す原因のようなものが 作用しているかのように感じられ、いまなお、い かにももっともなこととして受け入れられるので ある」(p.87)。 27 • (後藤のコメント)アンケートの独立変数と従 属変数の関係も、いわば時間的に先行する 独立変数が原因になっていると見立てるもの だ。本当は原因とは限らないのに。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 28-論理の線形性② • 「こんにちの電気の時代に、われわれは非ユー クリッド幾何学を自由自在に作れるような気がす るのと同じように、自由自在に非線条(sic)論理 学を作れるようにも感ずる。・・・一行省略・・・結 びつけられた線状の連続は、心理ならびに社会 の組織に普遍的な形式となっているが、これま でにそれをマスターしたのはアルファベット文化 だけだった」(同ページ)。 • ハイパーテクスト、マルチメディアの構造・・・複 線的・非線形的に情報が流れる 29 • グレン・グールドのポリフォニー的な音楽実践 にマクルーハンが興味をもったのも、この非 線形性への着目と照応しているのでは? • (グレン・グールド論をNHK「知るを楽しむ」で 展開した宮澤淳一青山学院大教授は、トロン ト大学元客員教授にしてゴードン著『マクルー ハン』ちくま学芸文庫の訳者でもある)。 2.4 熱いメディアvs冷たいメディア 30-論理の線形性③ • マクルーハンは表音文字を視覚優位の典型 として批判的に(G・・・しかし普通に考えれ ば・・・→表意文字の方が視覚的、表音文字 の方は聴覚的では?とも・・・) • マクルーハンの考え方・・・表意文字は色々な 感覚の経験を籠めている(G・・・それはそうか も) 31 • 「熱狂的なナショナリストであった自国語愛好 者たちが目的としていた課題のなかに、印刷 の力を用いて言語のなかから触覚的性質を 早急に抜き去る、ということがあった。いまこ の点に注目したいと思う。十九世紀に至るま で英国人たちが彼等の間で語りあってきた英 語に関する自慢話というものがあった。それ は十六世紀以来英語が洗練純化されてきた というものであった。(つづく)」 32 • 「十六世紀の英語のなかには、触覚性と五感 の相互の反響に資するような訛や方言が豊 富に残っていた。だが一五七七年にはすでに、 ホリンシャッドはサクソン時代からくらべて総 体的に彼の時代の英語が洗練の度を加えて きている点を自慢気に語っているのである」 (『グーテンベルグの銀河系』pp.364-365) (補足)ラファエル・ホリンシェッド(英 語版ウィキペディアより意訳) • Raphael Holinshed(1529-1580頃)彼の『年代 記』を基に、シェークスピアは多くの戯曲を書 いたとされる。彼はロンドンに出てウルフとい う印刷屋の下で翻訳家として働いていた。ウ ルフは氷河期からエリザベス朝時代までの世 界史を書くことをホリンシェッドに提案し、その 一部の成果『イングランド、スコットランド、ア イルランドの年代記』が1577年に出された。 もっとも実はホリンシェッドはこの年代記の寄 稿者の一人に過ぎない。 • シェークスピアはこの年代記の第二版(1587) を愛読し、『マクベス』の筋立てと『リア王』『シ ンベリン』の一部にこれを利用した。 • マクルーハンの文字文化、活字文化批判 に・・・西欧を中心にして発達した、表音文字 の文化への批判 • ポストモダン的な西欧近代批判を先取りか • 貨幣の蓄積や官僚組織への批判も • マクルーハンの貨幣批判とアルファベット批 判との相同性 • 共に地域の枠を越える普遍的なメディアとし て機能する • 数字によって、働いた労働時間を表示し、異 質な労働相互を「翻訳する」するメディアとし て機能する(労働価値説を意識) • 「こんにちでさえも、貨幣は農夫の労働を、床 屋、医師、技師、鉛管工などの労働に翻訳す るための言語である。貨幣が巨大な社会的メ タファー、橋渡し、翻訳者であるとすれば-- 書かれることばと同じように--いかなる社 会でも、交換を促進し、その相互依存の絆を 緊張させる」。 • 「それが政治組織に広大な空間的拡張と統 制を許すところは、文字や暦がそうしたのと 同じである。それは空間的にも時間的にも、 離れたところの操作であると言える。高度な 文字文化をもち、細分化のおこなわれた社会 では、「時は金なり」だ。そして、貨幣は他の 人びとの時間と努力の蓄積したものである」 (p.136-137)。 • 「貨幣はその専門分化したアルファベット技術 に随伴したものであり、グーテンベルクの機 械的反覆の形態をさらに新たに強化すること になったのであった。アルファベットが未開文 化の複雑さを単純な視覚の表現に翻訳する ことでその多様性を中和してしまったように、 兌換紙幣もまた十九世紀に倫理の価値を低 下させてしまった」(p.141) • 時計・・・表音文字の視覚性を前提とする • 文字文化が普及→時間は区分、下位区分の できる囲われた絵画的な空間の性格を帯び る(cf「純粋持続」ベルクソン) • 「わたしのスケジュールは埋まっています」 • 表意文字から表音文字が世界を支配→印刷 術が強まる→視覚優位の社会 • 視覚優位の社会・・・人間の感覚の包括性を 失わせる→経験を断片化し、専門分化させる • それぞれの分化した領域(「それぞれの」と いっても主に視覚だが)においては、普遍性 を獲得・・・外へ外へと広がっていく(外展開・ 外爆発型) • 外展開型 • 多様な解釈を容認しない。(G、印刷術と『聖書』 →多様な解釈という流れとは矛盾か。どのレベ ルで捉えるかによるといえばそれまでだが) • 多様な感覚の融合した文字・メディアであれば、 多様な捉え方が可能であるのに。 • 印刷本の「連続性、画一性、反復性の原理」 (p.181)ゆえに、一方向的なマス・コミュニケー ション、マス・マーケティングに親和的になる • 写本と印刷本の対比 • 写本・・・全体的な感覚がまだ存在→多様性 (G写本時代、カトリック、聖書解釈の権利独占 という見方もありうる。「委員会の論理」等) • 印刷本・・・抽象化され、視覚優位→一方向性 • このような一方向性ゆえ、文字言語を発する 者を支配者、権力者、スターに仕立てあげる • マクルーハンのイメージする「現代」・・・相互 依存の時代 • 「現代」で必要とされるメディア・・・もう一度包 括的な感覚を開くメディア • 印刷のような断片化のメディア→電信のよう な包括的なマス・メディア • 線形思考→非線形思考 • 線形の思考・・・一つの感覚優位であるから成立 する • 複数の感覚が働き、包括的に人間が世界にか かわるのなら、減ってくる。 • ハイパーテキストに親和的なマクルーハンの発 想とされる。 「WWWのビューワーとして知られて いる「モザイク(MOSAIC)」という言葉は、ノンリニ アという意味でマクルーハンが使っていたもの だ」(濱野保樹『大衆との決別』1995,p.137) 2.5 地球村 • クリントン政権の副大統領ゴアの「情報スー パーハイウェイ・・・(マクルーハンの)グロー バル・ヴィレッジを実現するためのもの(濱野 保樹『大衆との決別』(p.135) • 「「グローバル・ヴィレッジ」とは、マクルーハン が提唱したヴィジョンで、電気メディアのネット ワークが人間の神経系のように張り巡らされ て、地球を一つの共同体にするというもので ある」(同頁)。 (『グーテンベルクの銀河系』p.53での シャルダンからの引用)。 • 「あたかも自己拡張を行うかのように人間はおのが じし少しずつ地球上に自分の影響力の半径を拡げ ていき、その反面、地球は着実に収縮していっ た。・・・昨日の鉄道の発明、そして今日の自動車や 航空機といった手段をとおして、各人の身体的影響 のおよぶ範囲は以前は数マイルにかぎられていた ものがいまでは何百哩どころかそれ以上にも及んで いるのである。それどころか、電磁波の発見によっ て代表される途方もない生物学上の事件のおかげ で、各個人は海陸とわず、地球のいかなる地点にも (能動的に、そして受動的に)みずからを同時存在さ せることができるようになった」 マクルーハン自身による「地球村」の 説明 • 「われわれの五感のこの外化こそ、ド・シャル ダンが「精神圏」と呼ぶもの、もしくは世界全 体のために機能する、いわば技術的頭脳を 創造するものなのだ。巨大なアレクサンドリア 図書館の建設にむかうかわりに、世界それ自 体が、まさに初期の頃のSF本に描かれていた のとそっくりに、コンピューター、電子頭脳と なったのである。」 『グーテンベルクの銀河 系』p.53 • 後藤のコメント・・・中井正一の機能概念とし ての図書館とほぼ相通じるイメージ (補足)「シャルダン」ウィキペディアよ り • ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre Teilhard de Chardin,1881年5月1日-1955年 4月10日)は、フランス人のカトリック司祭(イ エズス会士)で、古生物学者・地質学者、カト リック思想家である。主著『現象としての人 間』で、キリスト教的進化論を提唱し、二十世 紀の思想界に大きな影響を与える。 印刷文化の否定と地球村 【過去】 • 印刷文化・・・人間を専門分化、断片化 • 断片において表音文字や貨幣が普遍的に流 通 【これから】 • 感覚統合→全体的・包括的な人間・・・交通や コミュニケーションの発達によって狭くなった 地球の中で共存 2.6マクルーハンからの発展:広義の(最広義の) メディアを突き詰めればどうなるか • 物財、人の情報性の議論に • すべての物、人の頭脳、人の体はメディアで ある • 人の頭脳に模したコンピュータ、あるいはコン ピュータネットワークも、そのような「人間拡 張」の典型としてのメディア • 「すべてのメディアがわれわれ自身を拡張し たものであり、新しくものを変形する視力と意 識とを提供するのに貢献する」(『メディア論』 p.63)。 • 「われわれの中枢神経組織を電気磁気技術 として拡張あるいは転換したら、われわれの 意識をコンピューターの世界に転移させるの もあと一段階にすぎない」(p.64) この辺りは初回の授業で詳述か • 感覚器官・・・情報の受容体 • 神経という伝送路を伝って、脳にそれらの情報が伝え られる。 • 脳の中でも神経と神経伝達物質の受け渡しがある。 • また我々の感覚器官の極く近くの延長として眼鏡や補 聴器があるし、眼鏡や補聴器のさらなる出先機関とし て、われわれの代わりに外の世界を記録してくれるの が、テレビカメラとマイクロフォンであると考えることが できる。 • つまり脳から神経、感覚器官の延長としてマス・メディ アを捉えるからこそ、「人間拡張の原理」(マクルーハ ンの『メディア論』の原題)といえる。 インターネット社会を予見した地球村 • 「個々の人々の自分の神経の延長として世界 中に神経ネットワークを張り巡らし、世界中の 人々と繋がっている」(マクルーハンの「地球 村」) • 「コンピュータがインターネットを通じて世界中 につながっている」(インターネットについての ありふれた記述) • 極めて近親性がある、上記2つのイメージ メディア概念の拡張 拡張の問題点 • メディアと情報を分けられない • 物そのものと情報も分けられない(あるいは自分 と情報も分けられないし、媒体・神経経路も分け られない、ネット依存の感覚) • 物の情報部分以外がメディアといわれるに過ぎ ない・・・ある物を見る人の視点で、あるいは見る という行為によって、そもそもそのある物は情報 になるし、メディアになるので • 「見る」こと、顔を向ける(方向性、遠近法)こ とが、物や人が「情報」となる始まり(端緒) • 物財の情報性と、それ以外の情報財の情報 性とを区別する視点→ • 物財のメディアは、情報がなくてもそれ自体で 意味をもつ • 情報財のメディアは通常情報なくして意味が ない • 以上の点から、30年まえに亡くなったのに、 現代のネット社会の状況をしっかりと予見して いたという点は、評価せざるを得ない。 • しかし、なぜかマクルーハンには胡散臭さ、い かがわしさもつきまとう。 マクルーハンの紹介者として、かつて名を馳せた 竹村健一氏 http://www.hirax.net/keywords/log/%E7%AB%B9%E6%9D%91%E5%81%A5%E4%B8%80/latest http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a5/4e/musyaavesta/folder/1788839/img_1788839_64410171_0?1321355031 http://stat.ameba.jp/user_images/20110803/22/alfa2525/be/84/j/o0240019511392834211.jpg 2.7 マクルーハン評価(批判等)の 一例 • 稲葉三千男の批判(「マクルーハン 彼は正しいか間違っ ているか--“論より証拠”におぼれる教祖」『近代経営』 12(12),29-131. (1967) (経済雑誌 ダイヤモンド社))・・・著名な東 大教授(当時)だが、この論文は知られていない。 • 「メディアの重層性」の議論と「冷たいメディ ア」「熱いメディア」の分類の矛盾を衝く 経歴は日本版ウィキペディア「稲葉三千男」写真はhttp://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1253/6.html 稲葉 三千男(いなば みちお、1927年3月10日 2002年9月8日)は、日本の社会学者、ジャーナ リズム研究者、政治家。研究者としては、東京 大学新聞研究所(現在の東京大学大学院情報 学環・学際情報学府の前身の一つ)で永く活躍 し、東京大学定年退官後は、東京国際大学教 授となった。1990年、革新系候補として東久留 米市長に初当選、以降3期12年間市長を務め た 稲葉によるマクルーハン批判① • 「メディアの重層性」の議論・・・関係概念、機 能概念による把握 • 「冷たいメディア」「熱いメディア」の議論・・・そ れぞれを実体視 • (後藤の補足(価値中立でないし、「冷たいメ ディア」=テレビ、「熱いメディア」=活字と対 応メディアも実体視)) • →矛盾 稲葉によるマクルーハン② • 「メディアの重層性」の議論・・・プラトン、アリ ストテレス以来の二元論の延長(イデアと現 象、形相と質料の議論)に • “最終的には人間の脳に至る”(マクルーハ ン)・・・脳を実体視 稲葉のマクルーハン批判に対する(稲葉の授業 を受けた)本授業担当者の意見① ①の批判について • マクルーハンも(以前の授業で申し上げたよ うに)、「冷たいメディア」「熱いメディア」を固定 せずに、相対的な関係で捉えている(箇所が 多い)。→その点で、稲葉の批判は妥当せず。 • ただし、テレビ=冷たいメディア、活字本=熱 いメディアという組み合わせは譲れないとMc は考えているようだ。→この点、稲葉は妥当 する。 稲葉のマクルーハン批判に対する(稲葉の授業 を受けた)本授業担当者の意見② ②の批判について • マクルーハンは二元論というより、小さな二項 対立を組み合わせているに過ぎない。よって、 プラトン以来の二元論の延長というより、そも そも二元論を要請する「情報vsメディア」という 対立を崩したと評せる。→モダニズムを越え るポストモダンの走り。 • →この点は稲葉の批判は的はずれ。 稲葉以外のマクルーハンへの批判 (1)技術決定論 →ただし共通感覚論との絡みも (2)テレビは未完成か? (3)マクルーハンの自己矛盾 (4)非線形的論理への親和性 稲葉以外のマクルーハンへの批判 (1)-技術決定論 • 技術決定論だという批判 • イニスの技術決定論→マクルーハンに影響 • 「五感の比率の変化の議論」・・・特に技術決 定論的 マクルーハンの「五感の比率の変化 の議論」を示すテキスト(文章) • 「ある文化圏の内部から、もしくは外部からひ とつの技術が導入され、その結果としてわれ われのもつ五感のうち特定の感覚だけがとく に強調され、優位を与えられる場合、五感が それぞれに務める役割比率に変化が生じる のだが、そのときわれわれの感受性はもとの ままではありえないのだ」(『グーテンベルクの 銀河系』p.41)) 技術決定論は叩くべきだ。しかし、・・・ • • • • まずは技術決定論批判の骨子と「プリクラ」 共通感覚論(中村雄二郎) マルクスの「鉱物商人」の喩え アランの『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫) • こういった感覚の延長としての情報機器 • 特定の感覚に基づく世界観 稲葉以外のマクルーハンへの批判 (2)-テレビは完成度低い? • 低精細度(low definition)や完成度の低さを テレビの冷たいメディアであることの根拠とす る・・・ • しかし・・・現在のテレビ受像器は高品位 • 映画同様、DVDとして完成された作品となる。 • しかも映画もテレビもNGシーンやメイキング 映像等がDVDに付加価値をもたせる手段とし て使われる。 テレビの完成度は低い?② • →この点では、稲葉の批判が妥当する。 • マクルーハンの生きた時代のメディア状況を 絶対視して(実体的把握)、理論を作っている 面も。 • 機能概念で捉えれば、このような走査線の数 に囚われた理論にならないはず。 稲葉以外のマクルーハンへの批判 (3)-マクルーハンの自己矛盾 • 当人は活字文化的な人 • 子どもに見せないようにテレビを地下室にし まうほど(服部桂『メディアの予言者-マクルーハン再発 見』2001年、廣済堂出版社、p.112) • カトリックの聖職者は死語かつ学術・宗教の 公用語であったラテン語を理解する文字文化 エリートでありつつ、オーラル文化を擁護した のと同様の矛盾かも。 稲葉以外のマクルーハンへの批判 (4)-非線形論理への親和性① • 線形的な思考を否定 • 現在の思考をしばしば中断される情報環境を 肯定する • すると、我々の思考から論理性や物語性を奪 うことになる 稲葉以外のマクルーハンへの批判 (4)-非線形論理への親和性② • もっともこういうような非線形志向への批判・ 反論としては以下のようなものがある。 • 我々は本読んでいる途中で食事をしたりス ポーツしても、本は継続的に理解できるし • ながら読書等をしても、読めるし、 • 授業も色々な科目を50分ずつ学んでも体系 的に理解できる 2.8マクルーハンのメディア論からの 示唆 • 全ての事象を相対化して関係性で捉える。 • すると、中身と外側、メッセージとメディアに区 分けできる。 • メディアを実体としてでなく関係性で捉える。 3. メディアの定義と諸相 3.1 メディアの辞書的定義のいくつか 3.1.1稲葉三千男の定義① • 二通りの「メディア」 • 1)神と人の媒介 • 2)人と人との媒介 (『コミュニケーション事典』(1988、平凡社)の「マス・メ ディア」の項目) 3.1.1稲葉三千男の定義② • 1)神と人の媒介(あるいは媒介に必要な媒 介項)・・・媒介項は<みこ><霊媒><預言 者>など・・・異質的な媒介をする媒介・・・媒 介項を飛び越えて、直接媒介可能と考えると ミッテルに 3.1.1稲葉三千男の定義③ • 2)人と人との媒介(あるいは媒介に必要な媒 介項)・・・媒介項は送り手と受け手との中間 にあるもの・・・同質的な媒介をする媒介・・・メ ディウムの媒介(物) • 2-1)媒体材料 (例)音波に対する空気、 文字に対する紙 • 2-2)媒体材料に情報が加えられたもの (例)新聞、雑誌、パンフレット、レコード、映 画、ラジオ、テレビ 3.1.1稲葉三千男の定義④ • 「媒体media(メディウムの複数形)とは,もと もと<中間にあるもの>または<中間>を意 味した.神と人との中間にいてなかだちをす る<みこ><霊媒><預言者>なども含ま れる」(稲葉 1988 498)・・・1)の方に相当する メディア • この「神と人との中間」にいるものという部分 を「送り手と受け手の中間にあるもの」とよみ かえて、稲葉は議論していく。 3.1.1稲葉三千男の定義⑤ • 「対面集団face to face group内での会話や音 楽会場での演奏などだと、空気が音波のメ ディウムで、手紙や遺言状だと紙が文字のメ ディウムである」。さらに印刷術の発明にとも なって「新聞、雑誌、パンフレットなどの印刷 物が」最初のマス・メディアとして登場する。つ ぎにレコードや映画が登場するが、これらは いずれも「物体として持ち運びができるという 意味でパッケージ型である」。 3.1.1稲葉三千男の定義⑥ • 他方ラジオやテレビはパッケージ型ではない。 またフィルムや電波の情報を再生するための 再生装置は「送り手と受け手の中間にあるも の」であるので、マス・メディアに含めうるとい う。さらに「マス・メディアがマス・コミュニケー ションとまったく同義に使われることも少なくな い」。
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