mediastudies20151015

メディア社会文化論
2015年10月15日
1
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
①
• 熱いメディア・・・新聞などの活字メディア、映
画、写真、ラジオ、講義
・・・一方向的、あるいは単一の感覚を高精細度
(cf.High-definition television)で拡張するメディ
ア
2
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
②
• 冷たいメディア・・・
テレビ(映画に対するテレビ)
電話(ラジオに対する電話)などの電気メディア
(一般にマクルーハンのこの「電気メディア」を、現代の状
況にあわせて「電子メディア」と捉える論者が多い)、
漫画(写真に対する漫画は低精細度)双方向的
演習(講義に対する)
・・・低精細度のメディア、あるいは双方向的なメ
ディア
3
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
③
• マクルーハンの「熱い、冷たい」の分類・・・
個々のメディアで単独に取り出すと訳分から
ない
• あくまでも対にして、相対的な意味で理解す
べき
• あと日常感覚の「熱い」「冷たい」とあえて逆
になっている。(クール・ジャズのクールだと)
4
(参考)Birth Of Cool(1957)
• マイルス・デイヴィスのグループの当時のア
レンジャーのギル・エヴァンス(マイルスの知
恵袋と称されたカナダ人ピアニスト)が「ビバ
ップが流れていると、うるさいから女性を口説
けない。もっと女性を口説きやすいジャズを
やろう」といったのが発端(読売オンライン
http://www.yomiuri.co.jp/otona/hobby/jazzg
uide/20120731-OYT8T00936.html)
5
マイルス・デイヴィスの写真と
クールの誕生のジャケット(ウィキペディアによる)
http://en.wikipedia.org/wiki/Miles_Davis#mediaviewer/File:Miles_Davis_by_Palumbo.jpghttp://en.wikipedia.o
rg/wiki/Birth_of_the_Cool#mediaviewer/File:Birth_of_the_Cool.jpg
6
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
④
• 「電話が冷たいメディア、すなわち「低精
細度」のメディアの一つであるのは、耳
に与えられる情報量が乏しいからだ。さ
らに、話されることばが「低精細度」の冷
たいメディアであるのは、与えられる情
報量が少なく、聴き手がたくさん補わな
ければならないからだ」(『メディア論』邦
訳p.23) 。
7
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑤
• 「一方、熱いメディアは受容者によって
補充ないし補完されるところがあまりな
い。したがって、熱いメディアは受容者に
よる参与性が低く、冷たいメディアは参
与性あるいは補完性が高い」(『メディア
論』邦訳p.23)
8
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑥
参与性の高低が二つを隔てるポイントに。
• 参与性高い・・・冷たいメディア
• 参与性低い・・・熱いメディア
• 「粗い情報だと補完の必要が生じて、参与性
が高まる」という議論
9
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑦
• 「熱いメディアと冷たいメディアの使用上の基本
的な差違を指摘する一つの方法は、交響楽の演
奏の放送と交響楽のリハーサルの放送とを比較
対照してみることである。これまでにCBCカナダ
放送が放映した最上の出しものの二つが、グレ
ン・グールド(1932-82)のピアノ・リサイタルのレ
コード吹き込みの模様と、イゴール・ストラヴィン
スキー(1882-1971)がトロント交響楽団を指揮し
た自作のリハーサルの模様だった。テレビのよう
な冷たいメディアが本当に用いられると、この場
合のようにプロセスへ巻き込まれないわけにい
かなくなる」(『メディア論』邦訳p.32)。
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑧
• 演奏・・・完成品・・・パッケージメディア的・・・
(受け手の)参与性(相対的に)低い
• リハーサル・・・未完成品・・・開かれたメディア、
モザイク(モザイクについては後述)状・・・参
与性(相対的に)高い
(cf.アンチロマン、ヌーヴェルバーグ)
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(参考)イーゴリ・ストラヴィンスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%
A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
• 1882年6月17日 - 1971年4月6日)は、ロシア
の作曲家で、初期の3作品『火の鳥』、『ペト
ルーシュカ』、『春の祭典』で特に知られる他、
指揮者、ピアニストとしても活動した。サンクト
ペテルブルク近郊のオラニエンバウム(現・ロ
モノソフ)に生れ、ニューヨークで没した。
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(参考)『春の祭典』初演の様子
(ウィキペディアより)
• バレエ『春の祭典』初演。振り付ヴァーツラフ・ニジン
スキー。バレエ・リュッス。パリのシャンゼリゼ劇場の
こけら落とし公演。指揮ピエール・モントゥー。観客
にサン・サーンス、ラヴェル、ドビュッシーらも。
• 「曲が始まると、嘲笑の声が上がり始めた。野次が
ひどくなるにつれ、賛成派と反対派の観客達がお互
いを罵り合い、殴り合りあい、野次や足踏みなどで
音楽がほとんど聞こえなくなり、ついにはニジンス
キー自らが舞台袖から拍子を数えてダンサーたちに
合図しなければならないほどであった 」
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ストラヴィンスキーとニジンスキー
http://fr.wikipedia.org/wiki/Fichier:Stravinsky_Nijiinsky.jpg
14
ストラヴィンスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:RIAN_archive_597702_Composer_Igor_Stravinsk
y_and_cellist_Mstislav_Rostropovich.jpg 及びhttp://blogs.yahoo.co.jp/mitosya/29913352.html
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グレン・グールド略歴①
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%89
• グレン・グールド(Glenn Herbert Gould, 1932年9
月25日 - 1982年10月4日)は、カナダのピアニス
ト、作曲家。
• かねてより、演奏の一回性へ疑問を呈し、演奏
者と聴衆の平等な関係に志向して、演奏会から
の引退を宣言していたグールドは、1964年3月
28日のシカゴ・リサイタルを最後にコンサート活
動からは一切手を引いた。これ以降、没年まで
レコード録音及びラジオ、テレビなどの放送媒体
のみを音楽活動の場とする。同年には、トロント
大学法学部より、名誉博士号を授与された。
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グレン・グールド略歴②
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%89
• ピアノという楽器の中で完結するようなピ
アニズムを嫌悪し、自分は「ピアニストで
はなく音楽家かピアノで表現する作曲家
だ」と主張したグールドであったが、第1の
業績が斬新で完成度の高いそのピアノ演
奏であることは異論のないところである。
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グレン・グールド略歴③
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3
%83%AB%E3%83%89
• グールドは、ピアノはホモフォニーの楽器では
なく対位法的楽器であるという持論を持って
おり、ピアノ演奏においては対位法を重視し
た。事実、グールドのピアノ演奏は、各声部
が明瞭で、一つ一つの音は明晰であり、多く
はペダルをほとんど踏まない特徴的なノン・レ
ガート奏法であった。
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マクルーハンとグールド①
• 単にトロント大学繋がりというのではない。
• グールドもマクルーハンを評価。
• レコード>>>演奏会という部分は、リハの
番組を重んじるマクルーハンと対立しそう。
• ただしピアノで完結しないこと、ホモフォニー
(あるいはモノフォニー)でなくポリフォニー志
向であることなど、マクルーハンと合致する
(後述する非線形性)。
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マクルーハンとグールド②
• 『グレン・グールド書簡集』(邦訳、みすず書房、
1999年)にマクルーハン宛の書簡が2本掲載
されている(pp.160-162;202-203)。
• その注によると、マクルーハンはグールドの
持っているラジオ番組で、インタビューを受け
ている。
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• 宮澤淳一青学大教授はグールド研究で著名
だが、ゴードン著『マクルーハン』(ちくま学芸
文庫)の邦訳もしている。また 「グレン・グー
ルドのメディア論――マーシャル・マクルーハ
ンとの関係」(『カナダ研究年報』第21号(2001
年9月) )という論文もある(未入手)。
21
帽子を被って演奏したり脚を組んで演奏するグールド
http://book-dvd.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2008/11/16/glenn_gould003.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/200910/22/61/d0103561_224938100.jpg
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2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑨
• 「小ぎれいに整った番組はラジオやレコード
のような熱いメディアに向いている。フランシ
ス・ベーコン(1561-1626大法官、哲学者、イギ
リス経験論の父)は熱い散文と冷たい散文を
対照させることに倦むことがなかった。
23
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑩
• 「方法」に則って書いたもの、すなわち完全に
仕立てあげられたものを、警句で書いたもの、
すなわち「報復は一種の野蛮な正義である」
というような単一の観察と、対照させてみた。
受動的な消費者は完成品を求めるけれども、
知を追い求める者は警句に赴くのではないか。
そうベーコンは言うのであった。警句は不完
全であり、深いところで参加を求めるからに他
ならない」(『メディア論』邦訳p.32)。
24
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑪
マクルーハンの文学研究者としての本領発揮
• 受け手の解釈の可能性、参与性で(冷たいメ
ディアを)プラスに評価
象徴主義(サンボリズム)、反小説(アンチロマ
ン)、ヌーヴェルヴァーグ
• 作品の完成を拒む
• 作品を作るという行為そのものを描き、作る
行為を相対化
25
象徴主義詩人の極北とされるシュテファン・マラルメと
ヌーヴォーロマンの騎手アラン・ロブ=グリエ
(いずれもウィキペディアからの画像)
26
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑫
→作ることの意味を問う芸術の潮流
• 前衛芸術の作者の相対化、作品の完成性へ
の崩壊の流れ≒マクルーハンの芸術理論(芸
術の志向性)・・・当然この「作者の相対化」は
コミュニケーションの双方向性にも通じていく
→「冷たいメディア」擁護
27
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑬
(写真のインパクトを論じる中で)
• 「詩人や小説家は、われわれがそれを用いて洞
察力を獲得し、われわれ自身や世界をつくりあ
げていく、あの精神の内的身振りというものに目
を転じた。このようにして、芸術は外界との対応
から内面での創造へと移っていった。既知の世
界に対応する一つの世界を描き出す代わりに、
芸術家たちは創造の過程を提示して、公衆がそ
れに参加できるようにする方向へ変わった。いま
やわれわれには創造過程に参与する手段が与
えられたのである」(『メディア論』p.198)
28
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア⑭
• 要は、外界との対応は写真に任せろ
• ならば、写真家以外の芸術家はそれ以外の
仕事を。
• それが内面での創造の過程への着目に。
29
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑮-活字文化批判①
活字文化批判との絡み
• オーラルコミュニケーション・・・双方向性ある
• この反対が活字文化
講義(一方向)と演習(双方向)
• 文字、活字文化批判-民衆をエリートが支配
する道具としての文字
30
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑯-活字文化批判②
活字文化批判ないしは「熱いメディア」批判
• 価値中立的(価値自由)でないという問題
(ウェーバーの方法、「メディア社会学」の授
業参照)
ただし彼の批判する「活字文化」の内実は?
• 表音文字批判・・・アルファベット批判
• 表意文字(漢字等)には、やや肯定的
31
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑰-アルファベットの特質①
• 全ての文字を25文字に集約→文字が普及し
やすい。文字そのものは誰でも読める(単語
の発音はたとえ無理でも)→世界中に普及す
る。
• 単語を形の束縛から解放→より抽象化→言
葉のより普遍的な流通
• 具象性の少ない文字。より抽象的に→地域
の隅々、あるいは世界の隅々に伝わる。
32
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑱-アルファベットの特質②
• 国旗と、それを意味する文字とを比較
• 「かりに、星条旗を掲げる代わりに、一枚の布
に「アメリカの旗」と書いて掲げたら、どういう
ことになるか。記号は同一の意味を伝えるで
あろうけれども、効果は完全に異なるであろう。
星条旗の視覚的なモザイクを文字形式に移
し変えてしまえば、それと一体化したイメージ
や経験の質の多くが奪い去られてしまうであ
ろう」(『メディア論』邦訳p.84)。
33
補足「モザイク」(ウィキペディアより)
• 「モザイク(英語:mosaic、フランス語:
mosaïque)は、小片を寄せあわせ埋め込んで、
絵(図像)や模様を表す装飾美術の手法。石、
陶磁器(タイル)、有色無色のガラス、貝殻、
木などが使用され、建築物の床や壁面、ある
いは工芸品の装飾のために施される。 」
34
(参考)モザイク画の例
http://commonpost.boo.jp/?p=17788、http://navi21.jp/ryo/mozaik/
35
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑲-表意文字①
• 表意文字・・・先に挙げた国旗に近い要素を留める
• 「表音文字で書かれたことばは、象形文字や中国の
表意文字のような形式で確保されていた意味と知覚
の世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的
に豊かな文字の形式は、部族のことばからなる呪術
的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視
覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しな
かった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を
使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のな
い微妙な網の目が脅威にさらされることがなかった」
( 『メディア論』邦訳p.85)。
36
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
⑳-表意文字②
→表意文字・・・部族の言葉
• ・・・要するに部族の生活に密接に結びついた
言葉である。・・・よって画一的ではない。
• これは誰が話すかということにも関わり、メ
ディア(話し手とか声)のメッセージ性と不即
不離の関係
37
2.4 熱いメディアvs冷たいメディ
ア21-表意文字③
• つまり体温や匂いといった触覚や嗅覚を残し
ているのが表意文字。
• そういったものを残すのが、本来のメディアと
いうか、メッセージ性のあるメディア。→その
意味で「メディアはメッセージ」に通じていく。
38
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
23-表意文字④
• 「二〇〇〇年前の古代ローマの属領ガリアが
そうであったように、こんにちアフリカでアル
ファベット文字を身につけて一世代もすれば、
少なくとも部族の網から個人を解き放つのに
充分である」( 『メディア論』邦訳p.85)。
• →要するに、部族社会から個人を解放するの
が、アルファベットなどの表音文字
39
(補足)「ガリア語」(ウィキペディア)
• 「ガリア人がローマ帝国支配下に入り、征服
者の言語であるラテン語が流入するとガリア
語に代わってラテン語の変化した俗ラテン語
(に後の古フランス語やそれにゲルマン語派
が影響を与えたフランス語の元の言語)がひ
ろく使用され(これは現在のガロ・ロマンス語
となっている)、ガリア語は6世紀までに死語
になっていった。 通常ガリア語はケルト語派
のなかのPケルト語的な言語だと考えられて
いる」。
40
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
24-表意文字⑤
• 「この事実は、アルファベットで綴られたことば
の「内容」には関係がない。それは人の聴覚
経験と視覚経験が突然に裂けた結果である」
( 『メディア論』邦訳p.85) 。
• 「内容」=メッセージより「聴覚」「視覚」といっ
たメディアの変化の方が重要→ここも「メディ
アはメッセージ」のバリエーション
41
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
25-表意文字から表音文字へ①
• 前のスライドの「聴覚経験と視覚経験」の分
離とは何か?
• 「表音アルファベットのみがこのような経験の
明確な分割をおこない、その使用者に耳の代
わりに目を与え、その使用者をこだますること
ばの魔術の陶酔と親族の網目から解き放つ
のである」 ( 『メディア論』邦訳p.85) 。
42
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
26-表意文字から表音文字へ②
• アルファベットなどの表音文字
→視覚優位の社会
• 「表音アルファベットは視覚の機能を強化し拡張
するものであるが、文字文化の内部で、それ以
外の聴覚、触覚、味覚などの感覚の役割を縮小
させる」(『メディア論』邦訳p.86)。
• いわばアルファベットの文字の客観性は、視覚
以外のメディア(聴覚、触覚、味覚)抜きのメッ
セージだということ。
43
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
27-論理の線形性①
• 表音文字文化-論理の線形性→話が論理的な
前後関係によって構成される→因果関係で物事
を捉える。
• しかし因果関係のない連続というものもあるとマ
クルーハンはいう。
• 「西欧の文字文化をもった社会では、なにかがな
にかから「続いて生じる」というのが、あたかも、
そのような連続を作り出す原因のようなものが
作用しているかのように感じられ、いまなお、い
かにももっともなこととして受け入れられるので
ある」(p.87)。
44
(補足)
• (後藤のコメント)アンケートの独立変数と従
属変数の関係も、いわば時間的に先行する
独立変数が原因になっていると見立てるもの
だ。本当は原因とは限らないのに。
45
2.4 メディアvs冷たいメディア28-
論理の熱い線形性②
• 「こんにちの電気の時代に、われわれは非ユー
クリッド幾何学を自由自在に作れるような気がす
るのと同じように、自由自在に非線条(sic)論理
学を作れるようにも感ずる。・・・一行省略・・・結
びつけられた線状の連続は、心理ならびに社会
の組織に普遍的な形式となっているが、これま
でにそれをマスターしたのはアルファベット文化
だけだった」(同ページ)。
• ハイパーテクスト、マルチメディアの構造・・・複
線的・非線形的に情報が流れる
46
2.4 メディアvs冷たいメディア29
• グレン・グールドのポリフォニー的な音楽実践
にマクルーハンが興味をもったのも、この非
線形性への着目と照応しているのでは?
47
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
30-論理の線形性③
• マクルーハンは表音文字を視覚優位の典型
として批判的に(G・・・しかし普通に考えれ
ば・・・→表意文字の方が視覚的、表音文字
の方は聴覚的では?とも・・・)
• マクルーハンの考え方・・・表意文字は色々な
感覚の経験を籠めている(G・・・それはそうか
も)
48
熱いメディアvs冷たいメディア31
• 「熱狂的なナショナリストであった自国語愛好
者たちが目的としていた課題のなかに、印刷
の力を用いて言語のなかから触覚的性質を
早急に抜き去る、ということがあった。いまこ
の点に注目したいと思う。十九世紀に至るま
で英国人たちが彼等の間で語りあってきた英
語に関する自慢話というものがあった。それ
は十六世紀以来英語が洗練純化されてきた
というものであった。(つづく)」
49
熱いメディアvs冷たいメディア32
• 「十六世紀の英語のなかには、触覚性と五感
の相互の反響に資するような訛や方言が豊
富に残っていた。だが一五七七年にはすでに、
ホリンシャッドはサクソン時代からくらべて総
体的に彼の時代の英語が洗練の度を加えて
きている点を自慢気に語っているのである」
(『グーテンベルグの銀河系』pp.364-365)
50
(補足)ラファエル・ホリンシェッド
(英語版ウィキペディアより意訳)
• Raphael Holinshed(1529-1580頃)彼の『年代
記』を基に、シェークスピアは多くの戯曲を書
いたとされる。彼はロンドンに出てウルフとい
う印刷屋の下で翻訳家として働いていた。ウ
ルフは氷河期からエリザベス朝時代までの世
界史を書くことをホリンシェッドに提案し、その
一部の成果『イングランド、スコットランド、ア
イルランドの年代記』が1577年に出された。
もっとも実はホリンシェッドはこの年代記の寄
稿者の一人に過ぎない。
51
• シェークスピアはこの年代記の第二版(1587)
を愛読し、『マクベス』の筋立てと『リア王』『シ
ンベリン』の一部にこれを利用した。
• シェークスピアの『リア王』はコーディリアがリ
ア王の復権をめざし失敗するが、元の話しで
は成功するし、リア王の発狂もシェークスピア
の改変。(ブルフィンチ著野上弥生子訳『中世騎士道物
語』岩波文庫による)
52
以下、マクルーハンからの引用をし続けつつ、マク
ルーハンの活字文化批判についての若干の考察
• マクルーハンの文字文化、活字文化批判
に・・・西欧を中心にして発達した、表音文字
の文化への批判
• ポストモダン的な西欧近代批判を先取りか
• 貨幣の蓄積や官僚組織への批判も
53
• マクルーハンの貨幣批判とアルファベット批
判との相同性
• 共に地域の枠を越える普遍的なメディアとし
て機能する
• 数字によって、働いた労働時間を表示し、異
質な労働相互を「翻訳する」するメディアとし
て機能する(労働価値説を意識)
54
• 「こんにちでさえも、貨幣は農夫の労働を、床
屋、医師、技師、鉛管工などの労働に翻訳す
るための言語である。貨幣が巨大な社会的メ
タファー、橋渡し、翻訳者であるとすれば--
書かれることばと同じように--いかなる社
会でも、交換を促進し、その相互依存の絆を
緊張させる」。
55
• 「それが政治組織に広大な空間的拡張と統
制を許すところは、文字や暦がそうしたのと
同じである。それは空間的にも時間的にも、
離れたところの操作であると言える。高度な
文字文化をもち、細分化のおこなわれた社会
では、「時は金なり」だ。そして、貨幣は他の
人びとの時間と努力の蓄積したものである」
(p.136-137)。
56
• 「貨幣はその専門分化したアルファベット技術
に随伴したものであり、グーテンベルクの機
械的反覆の形態をさらに新たに強化すること
になったのであった。アルファベットが未開文
化の複雑さを単純な視覚の表現に翻訳する
ことでその多様性を中和してしまったように、
兌換紙幣もまた十九世紀に倫理の価値を低
下させてしまった」(p.141)
57
• 時計・・・表音文字の視覚性を前提とする
• 文字文化が普及→時間は区分、下位区分の
できる囲われた絵画的な空間の性格を帯び
る(cf「純粋持続」ベルクソン)
• 「わたしのスケジュールは埋まっています」
58
• 表意文字から表音文字が世界を支配→印刷
術が強まる→視覚優位の社会
• 視覚優位の社会・・・人間の感覚の包括性を
失わせる→経験を断片化し、専門分化させる
• それぞれの分化した領域(「それぞれの」と
いっても主に視覚だが)においては、普遍性
を獲得・・・外へ外へと広がっていく(外展開・
外爆発型)
59
• 外展開型
• 多様な解釈を容認しない。(G、印刷術と『聖書』
→多様な解釈という流れとは矛盾か。どのレベ
ルで捉えるかによるといえばそれまでだが)
• 多様な感覚の融合した文字・メディアであれば、
多様な捉え方が可能であるのに。
• 印刷本の「連続性、画一性、反復性の原理」
(p.181)ゆえに、一方向的なマス・コミュニケー
ション、マス・マーケティングに親和的になる
60
写本と印刷本の対比
• 写本・・・全体的な感覚がまだ存在→多様性
(G写本時代、カトリック、聖書解釈の権利独占
という見方もありうる。「委員会の論理」等)
• 印刷本・・・抽象化され、視覚優位→一方向性
• このような一方向性ゆえ、文字言語を発する
者を支配者、権力者、スターに仕立てあげる
61
• マクルーハンのイメージする「現代」・・・相互
依存の時代
• 「現代」で必要とされるメディア・・・もう一度包
括的な感覚を開くメディア
• 印刷のような断片化のメディア→電信のよう
な包括的なマス・メディア
• 線形思考→非線形思考
62
• 線形の思考・・・一つの感覚優位であるから成立
する
• 複数の感覚が働き、包括的に人間が世界にか
かわるのなら、減ってくる。
• ハイパーテキストに親和的なマクルーハンの発
想とされる。 「WWWのビューワーとして知られて
いる「モザイク(MOSAIC)」という言葉は、ノンリニ
アという意味でマクルーハンが使っていたもの
だ」(濱野保樹『大衆との決別』1995,p.137)
63