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メディア社会文化論
2012/1/20
2.4 熱いメディアvs冷たいメディア
(23)-論理の線形性③
• マクルーハンは表音文字を視覚優位の典型
として批判的に(G・・・しかし普通に考えれ
ば・・・
• →表意文字の方が視覚的、表音文字の方は
聴覚的では?とも・・・)
• マクルーハンの考え方・・・表意文字は色々な
感覚の経験を籠めている(G・・・それはそうか
も)
• 「熱狂的なナショナリストであった自国語愛好
者たちが目的としていた課題のなかに、印刷
の力を用いて言語のなかから触覚的性質を
早急に抜き去る、ということがあった。いまこ
の点に注目したいと思う。十九世紀に至るま
で英国人たちが彼等の間で語りあってきた英
語に関する自慢話というものがあった。それ
は十六世紀以来英語が洗練純化されてきた
というものであった。(つづく)」
• 「十六世紀の英語のなかには、触覚性と五感
の相互の反響に資するような訛や方言が豊
富に残っていた。だが一五七七年にはすでに、
ホリンシャッドはサクソン時代からくらべて総
体的に彼の時代の英語が洗練の度を加えて
きている点を自慢気に語っているのである」
(『グーテンベルグの銀河系』pp.364-365)
• マクルーハンの文字文化、活字文化批判
に・・・西欧を中心にして発達した、表音文字
の文化への批判
• ポストモダン的な西欧近代批判を先取りか
• 貨幣の蓄積や官僚組織への批判も
• マクルーハンの貨幣批判とアルファベット批
判との相同性
• 共に地域の枠を越える普遍的なメディアとし
て機能する
• 数字によって、働いた労働時間を表示し、異
質な労働相互を「翻訳する」するメディアとし
て機能する(労働価値説を意識)
• 「こんにちでさえも、貨幣は農夫の労働を、床屋、医師、
技師、鉛管工などの労働に翻訳するための言語であ
る。貨幣が巨大な社会的メタファー、橋渡し、翻訳者で
あるとすれば--書かれることばと同じように--い
かなる社会でも、交換を促進し、その相互依存の絆を
緊張させる。それが政治組織に広大な空間的拡張と
統制を許すところは、文字や暦がそうしたのと同じで
ある。それは空間的にも時間的にも、離れたところの
操作であると言える。高度な文字文化をもち、細分化
のおこなわれた社会では、「時は金なり」だ。そして、
貨幣は他の人びとの時間と努力の蓄積したものであ
る」(p.136-137)。
• 「貨幣はその専門分化したアルファベット技術
に随伴したものであり、グーテンベルクの機
械的反覆の形態をさらに新たに強化すること
になったのであった。アルファベットが未開文
化の複雑さを単純な視覚の表現に翻訳する
ことでその多様性を中和してしまったように、
兌換紙幣もまた十九世紀に倫理の価値を低
下させてしまった」(p.141)
• 時計・・・表音文字の視覚性を前提とする
• 文字文化が普及→時間は区分、下位区分の
できる囲われた絵画的な空間の性格を帯び
る
• 「わたしのスケジュールは埋まっています」
• 表意文字から表音文字が世界を支配→印刷
術が強まる→視覚優位の社会
• 視覚優位の社会・・・人間の感覚の包括性を
失わせる→経験を断片化し、専門分化させる
• それぞれの分化した領域においては、普遍
性を獲得・・・外へ外へと広がっていく(外展
開・外爆発型)
• 外展開型
• 多様な解釈を容認しない。(G、印刷術と『聖書』
→多様な解釈という流れとは矛盾か)
• 多様な感覚の融合した文字・メディアであれば、
多様な捉え方が可能であるのに。
• 印刷本の「連続性、画一性、反復性の原理」
(p.181)ゆえに、一方向的なマス・コミュニケー
ション、マス・マーケティングに親和的になる
• 写本と印刷本の対比
• 写本・・・全体的な感覚がまだ存在→多様性
• 印刷本・・・抽象化され、視覚優位→一方向性
• このような一方向性ゆえ、文字言語・・・発す
る者を支配者、権力者、スターに仕立てあげ
る
• マクルーハンのイメージする「現代」・・・相互
依存の時代
• 「現代」で必要とされるメディア・・・もう一度包
括的な感覚を開くメディア
• 印刷のような断片化のメディア→電信のよう
な包括的なマス・メディア
• 線形思考→非線形思考
• 線形の思考・・・一つの感覚優位であるから成立
する
• 複数の感覚が働き、包括的に人間が世界にか
かわるのなら、減ってくる。
• ハイパーテキストに親和的なマクルーハンの発
想とされる。 「WWWのビューワーとして知られて
いる「モザイク(MOSAIC)」という言葉は、ノンリニ
アという意味でマクルーハンが使っていたもの
だ」(濱野保樹『大衆との決別』1995,p.137)
• 「WWWのビューワーとして知られている「モ
ザイク(MOSAIC)」という言葉は、ノンリニアと
いう意味でマクルーハンが使っていたものだ」
(濱野保樹『大衆との決別』1995,p.137)
2.5 地球村
• クリントン政権の副大統領ゴアの「情報スー
パーハイウェイ・・・マクルーハンの)グローバ
ル・ヴィレッジを実現するためのもの(濱野保
樹『大衆との決別』(p.135)
• 「「グローバル・ヴィレッジ」とは、マクルーハン
が提唱したヴィジョンで、電気メディアのネット
ワークが人間の神経系のように張り巡らされ
て、地球を一つの共同体にするというもので
ある」(同頁)。
(『グーテンベルクの銀河系』p.53での
シャルダンからの引用)。
• 「あたかも自己拡張を行うかのように人間はおのが
じし少しずつ地球上に自分の影響力の半径を拡げ
ていき、その反面、地球は着実に収縮していっ
た。・・・昨日の鉄道の発明、そして今日の自動車や
航空機といった手段をとおして、各人の身体的影響
のおよぶ範囲は以前は数マイルにかぎられていた
ものがいまでは何百哩どころかそれ以上にも及んで
いるのである。それどころか、電磁波の発見によっ
て代表される途方もない生物学上の事件のおかげ
で、各個人は海陸とわず、地球のいかなる地点にも
(能動的に、そして受動的に)みずからを同時存在さ
せることができるようになった」
マクルーハン自身による「地球村」の
説明
• 「われわれの五感のこの外化こそ、ド・シャル
ダンが「精神圏」と呼ぶもの、もしくは世界全
体のために機能する、いわば技術的頭脳を
創造するものなのだ。巨大なアレクサンドリア
図書館の建設にむかうかわりに、世界それ自
体が、まさに初期の頃のSF本に描かれていた
のとそっくりに、コンピューター、電子頭脳と
なったのである。」 『グーテンベルクの銀河
系』p.53
補足。シャルダンのウィキペディア情
報
• ピエール・テイヤール・ド・シャルダン(Pierre
Teilhard de Chardin,1881年5月1日-1955年
4月10日)は、フランス人のカトリック司祭(イ
エズス会士)で、古生物学者・地質学者、カト
リック思想家である。主著『現象としての人
間』で、キリスト教的進化論を提唱し、二十世
紀の思想界に大きな影響を与える。
印刷文化の否定と地球村
• 【過去】
• 印刷文化・・・人間を専門分化、断片化
• 断片において表音文字や貨幣が普遍的に流
通
• 【これから】
• 感覚統合→全体的・包括的な人間・・・交通や
コミュニケーションの発達によって狭くなった
地球の中で共存
2.6マクルーハンからの発展:広義の(最広義
の)メディアを突き詰めればどうなるか
• 物財、人の情報性の議論に
• すべての物、人の頭脳、人の体はメディアで
ある
• 人の頭脳に模したコンピュータ、あるいはコン
ピュータネットワークも、そのような「人間拡
張」の典型としてのメディア
• 「すべてのメディアがわれわれ自身を拡張し
たものであり、新しくものを変形する視力と意
識とを提供するのに貢献する」(『メディア論』
p.63)。
• 「われわれの中枢神経組織を電気磁気技術
として拡張あるいは転換したら、われわれの
意識をコンピューターの世界に転移させるの
もあと一段階にすぎない」(p.64)
• 感覚器官・・・情報の受容体
• 神経という伝送路を伝って、脳にそれらの情報が伝え
られる。
• 脳の中でも神経と神経伝達物質の受け渡しがある。
• また我々の感覚器官の極く近くの延長として眼鏡や補
聴器があるし、眼鏡や補聴器のさらなる出先機関とし
て、われわれの代わりに外の世界を記録してくれるの
が、テレビカメラとマイクロフォンであると考えることが
できる。
• つまり脳から神経、感覚器官の延長としてマス・メディ
アを捉えるからこそ、「人間拡張の原理」(マクルーハ
ンの『メディア論』の原題)といえる。
インターネット社会を予見した地球村
• 「個々の人々の自分の神経の延長として世界
中に神経ネットワークを張り巡らし、世界中の
人々と繋がっている」(マクルーハンの「地球
村」)
• 「コンピュータがインターネットを通じて世界中
につながっている」(インターネットについての
ありふれた記述)
• 極めて近親性がある、上記2つのイメージ
メディア概念の拡張
• 拡張の問題点
• メディアと情報を分けられない
• 物そのものと情報も分けられない(あるいは自分
と情報も分けられないし、媒体・神経経路も分け
られない、ネット依存の感覚)
• 物の情報部分以外がメディアといわれるに過ぎ
ない・・・ある物を見る人の視点で、あるいは見る
という行為によって、そもそもそのある物は情報
になるし、情報になるので
• 「見る」こと、顔を向ける(方向性、遠近法)こ
とが、物や人が「情報」となる始まり(端緒)
• 物財の情報性と、それ以外の情報財の情報
性とを区別する視点→
• 物財のメディアは、情報がなくてもそれ自体で
意味をもつ
• 情報財のメディアは通常情報なくして意味が
ない
• 以上の点から、30年まえに亡くなったのに、
現代のネット社会の状況をしっかりと予見して
いたという点は、評価せざるを得ない。
• しかし、なぜかマクルーハンには胡散臭さ、い
かがわしさもつきまとう。
マクルーハンの紹介者として、かつて名を馳せた竹村
健一氏
http://www.hirax.net/keywords/log/%E7%AB%B9%E6%9D%91%E5%81%A5%E4%B8%80/latest
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a5/4e/musyaavesta/folder/1788839/img_1788839_64410171_0?1321355031
http://stat.ameba.jp/user_images/20110803/22/alfa2525/be/84/j/o0240019511392834211.jpg
2.7 マクルーハン評価(批判等)の
一例
• 稲葉三千男の批判(「マクルーハン
彼は正しいか間違っ
ているか--“論より証拠”におぼれる教祖」『近代経営』
12(12),29-131. (1967) (経済雑誌 ダイヤモンド社))
• 「メディアの重層性」の議論と「冷たいメディ
ア」「熱いメディア」の分類の矛盾を衝く
経歴は日本版ウィキペディア「稲葉三千男」写真は
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1253/6.html
稲葉 三千男(いなば みちお、1927年3月10日 2002年9月8日)は、日本の社会学者、ジャーナ
リズム研究者、政治家。研究者としては、東京
大学新聞研究所(現在の東京大学大学院情報
学環・学際情報学府の前身の一つ)で永く活躍
し、東京大学定年退官後は、東京国際大学教
授となった。1990年、革新系候補として東久留
米市長に初当選、以降3期12年間市長を務め
た
稲葉によるマクルーハン批判①
• 「メディアの重層性」の議論・・・関係概念、機
能概念による把握
• 「冷たいメディア」「熱いメディア」の議論・・・そ
れぞれを実体視
• (後藤の補足(価値中立でないし、「冷たいメ
ディア」=テレビ、「熱いメディア」=活字と対
応メディアも実体視))
• →矛盾
稲葉によるマクルーハン②
• 「メディアの重層性」の議論・・・プラトン、アリ
ストテレス以来の二元論の延長(イデアと現
象、形相と質料の議論)に
• “最終的には人間の脳に至る”(マクルーハ
ン)・・・脳を実体視
稲葉のマクルーハン批判に対する授
業担当者の意見①
• ①の批判について
• マクルーハンも(以前の授業で申し上げたよ
うに)、「冷たいメディア」「熱いメディア」を固定
せずに、相対的な関係で捉えている(箇所が
多い)。→その点で、稲葉の批判は妥当せず。
• ただし、テレビ=冷たいメディア、活字本=熱
いメディアという組み合わせは譲れないと考
えているようだ。→この点、稲葉は妥当する。
稲葉のマクルーハン批判に対する授
業担当者の意見②
• ②の批判について
• マクルーハンは二元論というより、小さな二項
対立を組み合わせているに過ぎない。よって、
プラトン以来の二元論の延長というより、そも
そも二元論を要請する「情報vsメディア」という
対立を崩したと評せる。→モダニズムを越え
るポストモダンの走り。
• →この点は稲葉の批判は的はずれ。
稲葉以外のマクルーハンへの批判
• (1)技術決定論
→ただし共通感覚論との絡みも
• (2)テレビは未完成か?
• (3)マクルーハンの自己矛盾
• (4)非線形的論理への親和性
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(1)-技術決定論
• 技術決定論だという批判
• イニスの技術決定論→マクルーハンに影響
• 「五感の比率の変化の議論」・・・特に技術決
定論的
マクルーハンの「五感の比率の変化
の議論」を示すテキスト(文章)
• 「ある文化圏の内部から、もしくは外部からひ
とつの技術が導入され、その結果としてわれ
われのもつ五感のうち特定の感覚だけがとく
に強調され、優位を与えられる場合、五感が
それぞれに務める役割比率に変化が生じる
のだが、そのときわれわれの感受性はもとの
ままではありえないのだ」(『グーテンベルクの
銀河系』p.41))
技術決定論は叩くべきだ。しかし、・・・
• 共通感覚論(中村雄二郎)
• マルクスの「鉱物商人」の喩え
• アランの『芸術の体系』(光文社古典新訳文庫)
• こういった感覚の延長としての情報機器
• 特定の感覚に基づく世界観
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(2)-テレビは完成度低い?
• 低精細度や完成度の低さをテレビの冷たいメ
ディアであることの根拠とする・・・
• しかし・・・
• 現在のテレビ受像器は高品位テレビ
• 映画同様、DVDとして完成された作品となる。
• しかも映画もテレビもNGシーンやメイキング
映像等がDVDに付加価値をもたせる手段とし
て使われる。
テレビの完成度は低い?②
• →この点では、稲葉の批判が妥当する。
• マクルーハンの生きた時代のメディア状況を
絶対視して、理論を作っている面も。
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(3)-マクルーハンの自己矛盾
• 当人は活字文化的な人
• 子どもに見せないようにテレビを地下室にし
まうほど(服部桂『メディアの予言者-マクルーハン再発
見』2001年、廣済堂出版社、p.112)
• カトリックの聖職者はラテン語を理解する文
字文化エリートでありつつ、オーラル文化を
擁護したのと同様の矛盾かも。
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(4)-非線形論理への親和性①
• 線形的な思考を否定
• 現在の思考をしばしば中断される情報環境を
肯定する
• すると、我々の思考から論理性や物語性を奪
うことになる
稲葉以外のマクルーハンへの批判
(4)-非線形論理への親和性②
• もっともこういうような非線形志向への批判・
反論としては以下のようなものがある。
• 我々は本読んでいる途中で食事をしたりス
ポーツしても、本は継続的に理解できるし
• ながら読書等をしても、読めるし、
• 授業も色々な科目を50分ずつ学んでも体系
的に理解できる
2.8マクルーハンのメディア論からの
示唆
• 全ての事象を相対化して関係性で捉える。
• すると、中身と外側、メッセージとメディアに区
分けできる。
• メディアを実体としてでなく関係性で捉える。
3. メディアの定義と諸相
3.1 メディアの辞書的定義のいくつか
• 3.1.1稲葉三千男の定義①
• 二通りの「メディア」
• 1)神と人の媒介
• 2)人と人との媒介
(『コミュニケーション事典』(1988、平凡社)の「マス・メ
ディア」の項目)
3.1.1稲葉三千男の定義②
• 1)神と人の媒介(あるいは媒介に必要な媒
介項)・・・媒介項は<みこ><霊媒><預言
者>など・・・異質的な媒介をする媒介・・・媒
介項を飛び越えて、直接媒介可能と考えると
ミッテルに
3.1.1稲葉三千男の定義③
• 2)人と人との媒介(あるいは媒介に必要な媒
介項)・・・媒介項は送り手と受け手との中間
にあるもの・・・同質的な媒介をする媒介・・・メ
ディウムの媒介(物)
• 2-1)媒体材料 (例)音波に対する空気、
文字に対する紙
• 2-2)媒体材料に情報が加えられたもの
(例)新聞、雑誌、パンフレット、レコード、映
画、ラジオ、テレビ
3.1.1稲葉三千男の定義④
• 「媒体media(メディウムの複数形)とは,もと
もと<中間にあるもの>または<中間>を意
味した.神と人との中間にいてなかだちをす
る<みこ><霊媒><預言者>なども含ま
れる」(稲葉 1988 498)・・・1)の方に相当する
メディア
• この「神と人との中間」にいるものという部分
を,「送り手と受け手の中間にあるもの」とよ
みかえて,稲葉は議論していく.
3.1.1稲葉三千男の定義⑤
• 「対面集団face to face group内での会話や音
楽会場での演奏などだと,空気が音波のメ
ディウムで,手紙や遺言状だと紙が文字のメ
ディウムである」.さらに印刷術の発明にとも
なって「新聞,雑誌,パンフレットなどの印刷
物が」最初のマス・メディアとして登場する.つ
ぎにレコードや映画が登場するが,これらは
いずれも「物体として持ち運びができるという
意味でパッケージ型である」.
3.1.1稲葉三千男の定義⑥
• 他方ラジオやテレビはパッケージ型ではない.
またフィルムや電波の情報を再生するための
再生装置は「送り手と受け手の中間にあるも
の」であるので,マス・メディアに含めうるとい
う.さらに「マス・メディアがマス・コミュニケー
ションとまったく同義に使われることも少なくな
い」.