御 影 堂 と 阿 弥 陀 堂の造 営のあ ゆみ 真 宗 本 廟︵東 本願寺︶は、一六〇 二︵慶長七︶年に現在の地に寺地を よる堂宇の焼失と再建を繰り返して かまえて以来、四度にわたる火災に き ま し た が、 ﹁北 に 御 影 堂、南 に 阿 弥陀堂﹂という伽藍配置は現代まで 変わらず受け継がれています。 と こ ろ で、最 初︵慶 長 年 間︶に 分 ほ ど の 規 模 で、阿 弥 陀 堂 に 至 っ 造営された御影堂は現在の五割五 ては半分にも満たない小さな規模 であったことが記録に残っていま す。そ の 後、一 六 五 二︵承 応 元︶ 着 手 す る こ と と な り、明 暦 度 に 建 年 に は、本 格 的 な 大 伽 藍 の 造 営 に 右一間と奥行も一間広め、高さを増す 縮める一方で、阿弥陀堂の正面幅を左 奥行及び高さもそれにあった寸法に 詳細な検証を加えて決定されてい と で す が、全 体 の 調 和 に つ い て も、 建物の材料や技術も特筆すべきこ 堂 再 建 に あ た っ て は、そ れ ぞ れ の こ れ ら の こ と か ら、明 治 期 の 両 従来を踏襲したうえで、棟高︵高さ︶ 状 況 となったため、御 影 堂の規 模は いかがでしょうか。 も注目して両堂をご覧になっては に、そ の 柱 筋 の 揃 っ て い る 様 子 に 是 非、真 宗 本 廟 に 参 詣 さ れ た 折 たことが伺えます。 を 約一.二尺︵約 三 十 六.四センチメ 工事からやり直さなければならない ートル︶ほど低くし、かつ阿弥陀堂を 大幅に拡大したといわれています。 このように、阿弥陀堂の大幅な拡 張にあたっては、西側や南側に大き くその面積が広げられましたが、そ の際、御影堂と建ち並んでの美しさ や均衡がとれているかといった事項 も検討がなされたといいます。 さらには、御影堂・阿弥陀堂の位 置基準をどの点で合わせるかといっ 門徒の要望によって規模が拡大され 寛政度再建︵一六七〇年竣工︶の際に、 文度、 寛政度、 文政度、 安政度︶のうち、 りの大 きさに、阿弥陀堂がかなり小 の、並べて 見 た 場 合、御 影 堂のあ ま た場 合、それほど違和 感はないもの 堂と阿弥陀堂は、それぞれ個々に見 の境目より一本東側の柱筋を合わせ わ せ る、 ③案・両 堂 の 外 陣 と 参 詣 席 両堂の外陣と参詣席の境目柱筋を合 堂 の 内 陣 の 柱 筋 を 合 わ せ る、 ②案・ た こ と も 検 討 さ れ ま し た。 ①案・両 るなど、段階的に規模を拡大しなが れました。 ましたが、最終的に三案目が採用さ る、 ④案・②案 と③案 の 中 央 を 合 わ そ の 修 正 方 法 と し て は、ま ず は、 せる、といった四つの案が提案され までと比べて大幅に規模が拡大され 御 影 堂 正 面 幅 を 左 右一間 ずつ縮 め、 ②案 御影堂の規模を変更する場合、基礎 ①案 案が考えられました。しかしながら、 両堂の内陣の柱筋を合わせる さく見えてしまい、つりあいが取れて ました。その理由は、それまでの御影 御影堂 阿弥陀堂 御影堂 阿弥陀堂 立 さ れ た 御 影 堂︵一 六 五 八 年 竣 工︶ は、当 初 よ り 規 模 が 拡 大 さ れ 、 そ の規模は現代まで踏襲されていま す。 一方、阿弥陀堂は、四度の再建︵寛 御影堂 阿弥陀堂 いないと考えられたからです。 阿弥陀堂 期再建︵一八九五年竣工︶では、それ 両堂の外陣と参詣席の境目より1本東 側の柱筋を合わせる ら現 代に至っています が、特に明 治 ④案 両堂の外陣と参詣席の境目柱筋を合わ せる N 御影堂 阿弥陀堂 ②案と③案の中央を合わせる 御影堂 御 修 復 の あ ゆ み 御影堂 阿弥陀堂 N ③案 68 2015年 (平成27年)8 月 真 宗 真 宗 69 2015年(平成27年)8 月
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