御影堂と阿弥陀堂の造営のあゆみ(PDF) 『真宗』2015年8月号掲載

御 影 堂 と 阿 弥 陀 堂の造 営のあ ゆみ
真 宗 本 廟︵東 本願寺︶は、一六〇
二︵慶長七︶年に現在の地に寺地を
よる堂宇の焼失と再建を繰り返して
かまえて以来、四度にわたる火災に
き ま し た が、
﹁北 に 御 影 堂、南 に 阿
弥陀堂﹂という伽藍配置は現代まで
変わらず受け継がれています。
と こ ろ で、最 初︵慶 長 年 間︶に
分 ほ ど の 規 模 で、阿 弥 陀 堂 に 至 っ
造営された御影堂は現在の五割五
ては半分にも満たない小さな規模
であったことが記録に残っていま
す。そ の 後、一 六 五 二︵承 応 元︶
着 手 す る こ と と な り、明 暦 度 に 建
年 に は、本 格 的 な 大 伽 藍 の 造 営 に
右一間と奥行も一間広め、高さを増す
縮める一方で、阿弥陀堂の正面幅を左
奥行及び高さもそれにあった寸法に
詳細な検証を加えて決定されてい
と で す が、全 体 の 調 和 に つ い て も、
建物の材料や技術も特筆すべきこ
堂 再 建 に あ た っ て は、そ れ ぞ れ の
こ れ ら の こ と か ら、明 治 期 の 両
従来を踏襲したうえで、棟高︵高さ︶
状 況 となったため、御 影 堂の規 模は
いかがでしょうか。
も注目して両堂をご覧になっては
に、そ の 柱 筋 の 揃 っ て い る 様 子 に
是 非、真 宗 本 廟 に 参 詣 さ れ た 折
たことが伺えます。
を 約一.二尺︵約 三 十 六.四センチメ
工事からやり直さなければならない
ートル︶ほど低くし、かつ阿弥陀堂を
大幅に拡大したといわれています。
このように、阿弥陀堂の大幅な拡
張にあたっては、西側や南側に大き
くその面積が広げられましたが、そ
の際、御影堂と建ち並んでの美しさ
や均衡がとれているかといった事項
も検討がなされたといいます。
さらには、御影堂・阿弥陀堂の位
置基準をどの点で合わせるかといっ
門徒の要望によって規模が拡大され
寛政度再建︵一六七〇年竣工︶の際に、
文度、
寛政度、
文政度、
安政度︶のうち、
りの大 きさに、阿弥陀堂がかなり小
の、並べて 見 た 場 合、御 影 堂のあ ま
た場 合、それほど違和 感はないもの
堂と阿弥陀堂は、それぞれ個々に見
の境目より一本東側の柱筋を合わせ
わ せ る、
③案・両 堂 の 外 陣 と 参 詣 席
両堂の外陣と参詣席の境目柱筋を合
堂 の 内 陣 の 柱 筋 を 合 わ せ る、
②案・
た こ と も 検 討 さ れ ま し た。
①案・両
るなど、段階的に規模を拡大しなが
れました。
ましたが、最終的に三案目が採用さ
る、
④案・②案 と③案 の 中 央 を 合 わ
そ の 修 正 方 法 と し て は、ま ず は、
せる、といった四つの案が提案され
までと比べて大幅に規模が拡大され
御 影 堂 正 面 幅 を 左 右一間 ずつ縮 め、
②案
御影堂の規模を変更する場合、基礎
①案
案が考えられました。しかしながら、
両堂の内陣の柱筋を合わせる
さく見えてしまい、つりあいが取れて
ました。その理由は、それまでの御影
御影堂
阿弥陀堂
御影堂
阿弥陀堂
立 さ れ た 御 影 堂︵一 六 五 八 年 竣 工︶
は、当 初 よ り 規 模 が 拡 大 さ れ 、 そ
の規模は現代まで踏襲されていま
す。
一方、阿弥陀堂は、四度の再建︵寛
御影堂
阿弥陀堂
いないと考えられたからです。
阿弥陀堂
期再建︵一八九五年竣工︶では、それ
両堂の外陣と参詣席の境目より1本東
側の柱筋を合わせる
ら現 代に至っています が、特に明 治
④案
両堂の外陣と参詣席の境目柱筋を合わ
せる
N
御影堂
阿弥陀堂
②案と③案の中央を合わせる
御影堂
御
修
復
の
あ
ゆ
み
御影堂
阿弥陀堂
N
③案
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