死にたがりの見る夢 ID:86378

死にたがりの見る夢
なめくじ
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小説の作者、
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超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁じます。
︻あらすじ︼
家族に、兄に、同僚に、全てに絶望した彼は一人夜のビルの屋上から自殺を行う。
そして次に目が覚めた場所は自身にとって見知っているようで見知らぬ病院のベッ
ドの上だった。
そして窓を見た時、彼はこの世界が異常であることを知る。
目 次 夢の世界 │││││││││││
常識の相違 ││││││││││
駆逐艦 吹雪 │││││││││
千差万別の提督 ││││││││
勘違いは起きる ││││││││
異端の知識 ││││││││││
老人の思惑 ││││││││││
先へと進もう │││││││││
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81 69
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幼少期の頃の両親はそれはもう酷い扱いを俺にした。先に産まれた兄はまだまだま
そうならないのは、彼等が止める要因全てが金だからだ。
背を向け、朗らかに笑いながら日常に戻っていたことだろう。
それが多分に心配の念を纏っているのであれば俺でも足を止めた。今見える風景に
れば止められるのは明白。
俺の生活は更に最悪になるだろうし、こんな事を考えている事実を両親や兄弟に知られ
それは確実で、少しの助かる可能性も含んではならない。含んでしまえばその時点で
夜風を浴びながら、今日俺は死ぬ。
俺としてもその認識は正しさを含んでいるので問題にはならない。
普段着のままに屋上の端に立つ俺の姿は、傍目からすれば自殺者のそれだ。そして、
ば見える認識もまた変わる。
場所でも目にすることが出来るだろう。そんな場所ではあるものの、意識の違いがあれ
その場所は別段何てことの無い構造をしていて、今目の前で見える光景は他のどんな
六階建ての建物の屋上。
夢の世界
1
夢の世界
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ともな扱いを受けていたが、俺に関しては育てるという行為自体を放棄したのか何時も
何時も放置の姿勢だった。
互いに仕事が忙しく、寂しさを表に出せばストレス発散かの如く叩かれる。何かを欲
すれば怒声を浴びせられ、幼少期の自分の表情は今の頃と恐らくそこまで大差は無いだ
ろう。
甘えるのは駄目。常に孤独で過ごし、金は全て食費だけ。娯楽品は無いので自分で公
園にでも行かなくてはならないが、今の世間体を考えた両親が外に一人で遊ぶという事
態を容認しはしなかった。
よって結果的に自分の中に存在している希望的な感情は諸共に粉砕され、子供の時分
から既に子供らしくない性格だったのではないかと当時を思い出して苦みが多く混
ざった笑みを浮かべる。
そんな笑みもきっと他所から見れば笑みとは認識されないだろう。
中学生の頃から最早表情の殆どが無になってしまった自分だ。そういう喜怒哀楽の
類は死んでいると思っている。
そんな自分でも高校までどうにかなったのは、恐らくはきっと兄に助けてもらったか
らに違いない。彼は酷く順当に成長していったので年齢相応な対応をしてくれ、多分楽
しいのだと感じられた瞬間の二つの内片方は彼が齎したものであると確信出来る。
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尤も、そんな兄も高校を卒業した一年後辺りから性格が一変した。
就職先で余程辛い目に合っているのか、当時最後の高校生活をしていた俺に事あるご
とに罵声を投げ掛け、両親に対しても冷たい言葉を放っている。それは俺が卒業してか
らも変わらず、寧ろ俺自身も働くようになってからはその頻度は年々上がっているの
だ。
以前の兄はもうそこには何処にも無く、あるのは飢狼じみた目だけ。上を目指して楽
にでもなりたいと考えているのは明々白々であり、だからこそその為に誰でも利用しよ
うとする兄を避けた。
結果的に、俺達の暮らしは最低なものになったのは言うまでも無い。
全員が出会う機会はとことん減り、俺自身も働く環境が環境故にまともな御飯を食べ
ることもしない。職場には面倒な同僚は多く、それがいなかったとしても相対する客が
あまりにも酷い者達ばかりで一時期ノイローゼになったものだ。
今ならば解る。
俺の人生は決して幸先の良いものでもなんでもなく、努力では覆らない絶望に染まっ
ているのだと。戦ってどうにかなるような境界線はとっくの昔に遠のき、既に視界の何
処にも見えはしない。
最近は両親が借金を始めてしまったと聞くし、その返済に俺達の金を使用しようとす
夢の世界
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るのは確実。絶縁をしたいくらいだが、それをあの両親が認めてくれる筈も無し。
このままでは確実に理性が消滅する。本当に最後の一歩を踏み外しかねない現状に
置かれてしまっているのだ。
いや、既に理性なんてものは無くなっているのかもしれない。
こんな突拍子も無い真似をしている時点で俺の頭はもうまともに機能していないの
だ。そう考えれば納得出来るし、ああもう駄目だと心の底から感じ入ることも出来る。
どうにかなるだなんて思考はもう持てない。現実は苦しいことばかりだというのは
解ってはいても、俺という一人間はその苦しみに耐えきる事を止めてしまった。
楽な方に。││そう、死んでしまえば苦しみを背負うことも無い。
現実なんてもう御免だ。次に目覚めるのならば賽の河原の方が良い。いっそ地獄の
業火に焼かれても、それはそれで満足していることだろう。
眼下に見える道路を視界に収めないようにしながら、俺は勇気ではなく諦観だけで足
を踏み出した。
途端に訪れる一瞬の浮遊感。空を見上げれば満月が俺の身体を照らし、俺を優しく包
み込んでくれるように思えてくる。
そんな筈は無い。今際の際でそう思った直後、情け容赦の無い落下が始まった。
意識を手放す程のショックはもう無い。いっそ無い方が次に訪れる激痛なんて感じ
られなかっただろうに、心の内にあるのは安堵感ばかりで全くもって安らかそのもの。
うなるだなんて解っていないからこその、最後の冗談。
そんな彼女達の元に俺も行けたらなんて考えたのは、きっとただの戯言だ。本当にそ
た。
初めてのもの故に解らない箇所は多々見受けられたが、一年も経過すれば流石に慣れ
に遊んだのだろう。
その部分を見てしまったからこそ、少ない小遣いで購入したタブレットを用いて散々
ので、そんな人生を送りながらも誰かを想えた事実は純粋に強さを感じ取れた。
彼女達が前を向いて戦う意思を示す姿は社会人である俺からすれば尊敬に値するも
れない。
え、彼女達の辿った歴史自体は現実に起きたことであり、だからこそ同情せずにはいら
俺程度では済まないような悲惨を運命を辿った少女達。たかが絵だけの存在とはい
たオタクにするには十分な威力を秘めていた。
仕事が忙しくなった頃には止めてしまったそれは、ある意味において俺をちょっとし
最後の最後だからこそ、四年前に終わってしまったもう一つの楽を思い出す。
だからこそ、というべきか。
﹁ああ││﹂
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夢の世界
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地上はもうすぐそこまで来ているだろう。次の衝撃に備えて目を閉じて、俺は自分が
終わる瞬間というのを静かに待ち││││頭部に走った一瞬の激痛の後に完全に意識
を絶った。
││││││││││││││││││││
白濁とした意識。
生きているのか死んでいるかも解らない、酷く不定形な己。確実に死んでいる筈だと
断言したいのに、冷静に回り始める思考の所為でさながら生きているような錯覚に囚わ
れる。
此処が地獄の一丁目なのだろうか。そんな昔ながらの言葉を使用するものの、当然確
信なんてものはない。
誰も死に戻ったことなんてないのだ。地獄がどんな場所であるのか、そもそもにして
そんな場所があるのかどうかすら定かではないのだから、こんな事を考えるだけ無駄と
いうものだろう、
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ただ、再度沈み始める意識の中に、何かの音が聞こえる。
それは声なのかもしれないし、何かの物音かもしれない。消え掛けの意識を総動員し
てみようかとも考えたが、最早生きている証拠のようなものは欲しくないのだ。
このまま波に揺られて消え去ってしまう方がきっと素晴らしい結末を迎える。そう
信じてそのまま放置していれば、突如として有り得ない衝撃に襲われた。
上から無理矢理釣り上げられる感覚とでも表現すれば良いのか、俺の身体が勝手に上
がっているのだ。
故にこそ、そんな異常事態に体が反応しない筈が無い。急速に取り戻していく感覚は
無くしていたと思うものであり、死への旅路を満喫している情報自体が間違っている事
を残酷に指摘される。
あの高さからの落下で死ななかった。奇跡的であるのならば何と残酷な話であると
いうのか。
折角の己の行動が失敗。死ぬに死ねなかったからこそ、身体に押し寄せる絶望感は過
去においても類を見ない程に高い。
であれば、今釣り上げられているというのは意識が元に戻ろうとしている所為か。
ならば納得出来る。意識が浮上する感覚だと再認識し、であればそこを否定すれば自
分は間違いなく植物人間の仲間入りを果たせるだろう。
己の眠りを妨げるな。もう十分に生きたのだから、今更何かをさせようとしないでく
れ。
そうは思っても、浮上は止まらない。如何程に強い想念でもって抵抗をしてもまった
く状態に変化は見られず││││ついに己の感覚は常と同じモノへと戻ってしまった。
ゆっくりとした緩慢な動きで瞼が開く。視界は白一色に染まっているのが解るもの
の、それ以外はぼやけてしまってまともに視認する事は出来ない。
そんな自分の視界に人と思わしき誰かの姿が映った。
聞こえているのならば瞬きでも良いから反応してくれ﹂
?
しかないのだから。
心配してくれたのは嬉しい。そんな感情を向けられた事なぞ生まれてから数回程度
しかし、俺は彼の行動に感謝など出来よう筈も無かった。
否定するのは人間ではない。
という事実に喜びを感じていたのだろう。人間として当たり前の反応である。それを
その人物には間違いなく心配の念が込められていたのだろうし、こうして生きている
捉えた。
彼の言葉に応じて瞬きをすれば、老人と思わしき人物から安堵の息が零れたのを耳は
声の種類は男。それも随分年を重ねた老人のものだ。
﹁聞こえているかね
夢の世界
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だが、彼はそのまま俺の事を放置していれば良かった。そうでなければ、きっとこの
後に待っているであろう言葉を聞かなくても済んだのだから。
﹂
?
﹂
?
珍しくも無い。特に若い者ほどそれは顕著だ。無駄に技術が発達したとは言わんが、そ
﹁気持ちは理解出来るとも。こんな世の中だ、絶望して自殺に走るなんてケースも然程
﹁⋮⋮そうです。もうこんな場所には居たくないから、逃げたくて﹂
た、そんな自殺未遂者と同じなんだろう
その場その場で行うから、今では医師の誰もがまたかといった愚痴を零す。⋮⋮君もま
﹁最近、特にここ数年は自殺をしようとして失敗する者が多い。詳細な知識を持たずに
いた。
しかし、暫くの沈黙の後に吐き出された溜息には、間違いようの無い諦観が含まれて
そんな思いを彼は理解してくれたのかどうかは解らない。
は今死ねなかった事実に暗い想いを抱くのだ。
た。隠してさっさと退院でもして次のチャンスを窺えば良かっただろうに、それでも俺
どうかこのまま死なせて欲しいと思っているからこそ、隠すような真似は出来なかっ
感謝の言葉よりも先に出たのは恨み言。
﹁なに
﹁⋮⋮なんで、助けたんですか﹂
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の所為で勘付くのが早いのだろうな。全ては無駄だと悟る期間が早過ぎる﹂
そうして暫く口を開かなくなった老人を視界に収めないように顔を窓に向け、俺は思
考を回す。
老人の言葉には確かな諦観は籠っている。しかしそれは、どうにも違和感の覚えるも
のだ。俺は単純に今の社会が原因で自殺者が増えていると思っていたのだが、この老人
の言っている内容は些か以上に範囲が広い。
社会という枠組みも確かに広いのであるが、まるでこの老人は全人類を対象に言って
いるように思えるのだ。
これは只の勘違いなのだろうか。それとも、俺が自殺をした直後から目覚めるまでに
何かが起きている
込めて窓の外を見た。
そこで初めて、俺は最も異常と思えるような光景を目の当たりにした。
?
相手の男性の事を気遣っているらしいが、当の本人はそんな彼女の言葉に対して平手打
紺に白の一般的なセーラー服は今時珍しく、地味目な印象は避けられない。どうやら
田舎娘のような雰囲気。
﹂
急な事態に内心慌てているのは自覚出来ているものの、どうにかそれを胸の内に押し
?
﹁││すいません。外で車椅子を押している女性のあの恰好って、解りますか
夢の世界
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ちをしていた。
病院内でなんたる暴挙と思わざるをえないが、彼女も、それを見ている筈の他の患者
達も、誰も彼もが彼女が受けた仕打ちに対して無関心を決め込んでいる。
その女性も苦みを噛み殺したような笑みを浮かべるだけで文句を言う気配も無し。
異常極まりない惨状があの場に展開されている。これではあの少女があまりにも不
憫で、しかも彼女の事を良く知っているが為にあの男には憤怒の思いが募ってやまな
い。
﹁ああ勿論。よくテレビで放送されているじゃないか﹂
何を当たり前の事をと老人は口にする。
その事実でさえ、俺には信じられなかった。いや、最早有り得ないと言った方が良い。
﹂
何せあそこに居るのは。あの場で立って自然に話している少女は
俺のよく知る、画面の中の女の子なのだから。
・・・・・・・・
﹁特型駆逐艦の1番艦、吹雪だね。それがどうかしたかい
?
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俺の世界に彼女のような芋っぽい女の子はきっといないだろう。居たとして、画面に
いいや、今はそんなことを考えている場合ではない。
信じたくはないが、彼女が側を離れようとしていない時点で察する事はできる。
恐らく車椅子に乗っている男は提督なのだろう。罵声を浴びせている様子からして
を覚えるのだとしたら、彼女のセーラー服から見える腕や顔が痩せているくらいか。
彼女の表情が実に自然だ。動きに一部の違和感を覚えるような事は無く、強いて何か
光景故に目は限界まで見開かれ、繰り返す呼吸は荒くなっていく。
これは夢か、それとも落下の際に見ている幻か何かなのか。あまりにも信じられない
あり得ない。
そんな彼女は勿論ゲームの世界の住人であり、こうして実際に動いているような事は
言えば有名と言われる駆逐艦だろう。
それこそが吹雪という少女であり、アニメでは主人公という立ち位置を戴く有名と
そして俺のやっていたゲームの初期艦。
特型駆逐艦の一番艦。
常識の相違
常識の相違
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映る彼女と瓜二つである可能性は極端になるまで低い。
結論からして、此処は何処か見知らぬ場所だ。もしかすれば艦隊これくしょんに酷似
した世界なのかもしれない。
目まぐるしい程に変わった状況に困惑は隠せず、吹雪を視界に収めたままの目は微動
﹂
だにしない。そも、有り得ない存在が目前とも言うべき距離に居るのだ。
誰とて視界の外に置ける筈もないだろう。
﹁彼女がどうかしたかね。もしや知り合いか
以外有り得ない。
であれば彼女達を指揮する者は絶対に必要である訳であり、そんな人物は海軍の提督
様が無い。艦隊これくしょんが土台となっているのは既に明白。
そこで初めて老人の姿を目にし、驚愕を表に出さなかったのは素直に奇跡としか言い
彼女から視線を逸らした。
元の無表情へと己の顔を変えて、荒くなった心臓の鼓動も無理に止め、そうして漸く
じる。
ああ、と納得の言葉を吐く老人に誤魔化しは上手くいったかと少々ばかりの安堵を感
まいまして﹂
﹁⋮⋮ッ、違います。テレビの中の女の子が目の前に居るので、ちょっとビックリしてし
?
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目前の老人の着ている服は提督なら知らない者はいないとされる程に有名な白のも
の。解り易く表現するのであれば二種軍装のそれだ。
階級までは流石に理解が及んでいないのでパッと見た限りでは不明だが、そもそもに
して提督の段階で一般人からすれば雲の上の人物である。
敬う事こそすれ、まさかタメ口で会話をするのは幾らなんでも礼儀を欠き過ぎてい
る。今更ながらに相対している人物が高位の者であるという事実を知ってしまった俺
は、何も言えずに口を間抜けに開くだけだった。
そんな俺の姿に、老人は邪気の籠っていない優しい笑い声を上げる。どう聞いてもそ
れは此方が漸く相手の事を真に理解したという為のものだ。穴があったら入りたい程
の羞恥心に襲われて殺されそうである。
﹁今更ながら、謝罪をさせてください﹂
軍隊の人間とは思えない。
手を前に突き出して静止させる様は手慣れた様子で、一般的に厳格なイメージのある
人物なのだろう。
故に早々に頭を下げる。それで許されるとは思っていなかったが、ご老人は懐の広い
まう。││││何せ我々は世間一般からすれば役立たずの能無しだからな﹂
﹁要らん要らん。元より暇人が遊び半分で驚かしただけだ。そんな畏まれても困ってし
常識の相違
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だがそれよりも、気になったのはその後の言葉だ。
艦隊これくしょんが土台となっているのであれば確実に海軍は役立たずの能無しで
はない。例えそうだとしても、全ての海軍に所属する者達が無能である筈が無いのだ。
マスコミが叩くのは何時ものことであるが、それとて事実無根なものもある。彼の言
葉は冗談として流せる類のモノであったが、しかして彼の表情は暗いままだった。
馬鹿なという感想が素直に浮かぶ。
艦娘が存在するのならば敵である深海棲艦は居るのだろう。戦っているのかどうか
はさておき、片方が存在しているのであればもう片方も居ると見て間違ってはいない
筈。
一般的に深海棲艦を打倒出来るのは艦娘のみとされるのが通例だ。勿論それは創作
の中だけでの話のみであって、実際には違うかもしれない。
⋮⋮いや、勝てていなくとも資源地は防衛出
⋮⋮何かがおかしくなっているに違いない。
しかしそれでも、艦娘がある種の特攻であるのは当然である。そんな彼女達を率いる
存在が無能
﹁艦娘が居ながら勝てていないのですか
?
﹂
?
戦争について何て碌に勉強していない俺が出せる言葉はこれだけだ。
る事も無いでしょう
来る筈です。余程の大艦隊が襲来していない限り、少なくとも日本の領地に攻め入られ
?
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だが、素人でも言える内容は十分である。後は相手がどのような反応を示してくれる
かになるが、たかが一般人に対してそこまで深い内容を言える筈も無し。
そもそもにしてどうして此処に提督という地位に付いている人間が居るのかも解ら
ないのだ。そこら辺も確り聞いておいた方が無難であろう。
黙りこくった提督を前に、俺は気を引き締める。死ぬだの何だのは今は後回しだ。何
も情報の無いままにこんな世界をうろつきたくは無い。
本音を言えば今直ぐにでもこれは悪夢だと自殺したいくらいだ。そうでなければ、も
﹂
う俺自身どうすれば良いのかなんて皆目見当も付かなかった。
?
居ない。
曰く、艦艇の魂を持った女性達。曰く、艦娘という言葉があるように男性体は一人も
しか理解していない。
さて艦娘について何所まで知っているのかだ。これはもう正直な所ゲーム的な部分
的には眠るように死ねたら満足である。
分が経過した頃に話してくれたのは有り難かった。苦し過ぎるのも考えものだ。個人
重苦しさや暗さの増した室内において、その間はあまりにも長い。それでも体感で数
暫しの間。
﹁⋮⋮君は艦娘について何所まで理解している
常識の相違
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曰く、装備は人間が持てるサイズでありながらも威力は元の艦艇と同一。曰く、改二
という二段階目の強化がある。曰く、艦載機や一部の装備に関しては妖精さんと呼ばれ
る不思議な生物が操作している。
ざっと表してみればこんなところ。特に目新しい部分は無く、それどころか今更感の
強いものばかり。特に改二に関しては既に誰もが当たり前に理解しているところだ。
故にこそ全てを話せば、何故だか相手は尋常ではない反応を見せた。驚きが多分に込
められたそれは先程まで落ち着き払っていた姿とは打って変わり、半ば興奮すら含まれ
ているように感じる。
・・・・
一体どうしたとでも言うのか。首を傾げてしまうが、相手は此方の事など気にする余
裕も無いとばかりに更に根堀り葉堀りと当たり前な情報を聞き出し始める。
全てが終了したのは夕日が見えた頃。どれほどの間話続けていたのかは解らないが、
相手方が満足そうな顔をしてくれたので取り敢えずは良しとしよう。
海軍の人間なんて正直予想の外も外だ。それにこうして艦隊これくしょんについて
も話したのは久々であるし、個人的には中々に有意義なものだったように思う。
結局何も聞けなかったが、彼が居なくなった後にでも新聞や雑誌で情報を漁れば良
い。
今現在の日本がどのような環境であるのかを知る事が出来るだろう。
﹁いや、済まない。流石に時間を掛け過ぎた﹂
その中の一つに、彼は電話を掛ける。短い待機時間の後に電話は至極単純に通話状態
の人名が並び、その中には艦娘の名前も記載されていた。
電話帳に載っている名前は全てプライベートなものばかりなのだろう。かなりの数
まま個人携帯を取り出した。
にそんな事も気にならないのか周りの怪訝な様子を全てスルーして緩む頬を維持した
んでいる。このままスキップでも開始するのかと周囲の患者やナースは見ていたが、既
病院の床を進む彼の足は老人とは思えない程に速く、また何処か嬉々としたものを孕
それは彼にとって、正しく奇跡のような時間だった。
││││││││││││││││││││
くは大人しく寝ている事にしよう。夕飯までの時間はあることだしな。
最後に互いに握手を交わし、彼はそのまま部屋の外へと出て行った。さてはて、今暫
﹁いえ、此方こそ楽しい一時を有難うございます﹂
常識の相違
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﹄
へと移行し、その先で電話を取ったのだろう彼女へと繋がった。
﹃││提督、いかがいたしましたか
﹂
?
各々の国が各々の武器で戦う。それが今現在の現状であり、それは言うなれば最悪と
物資を他国に渡す事も出来ない。
その結果として漁業は禁止状態となり、当然どの海域でも戦闘の危険がある以上迂闊に
昨今深海の怪物は昔よりも尚も勢いを増して各国の鎮守府や泊地を攻め立てている。
彼を発見出来たのは殆ど偶然とも言えるものだった。
は嬉しそうな様子をそのままに背後で寝ているだろう青年の事を思う。
電話の内容はどうやらそれだけで終わりなのだろう。それじゃあと簡単に切った彼
たもののその命令に関して否と口にする事は出来なかった。
未来に希望があるのだと信じて止まない調子は電話先の相手にも伝わり、戸惑いはし
彼の声は何処までも明るい。
空母がお荷物であるだなんて扱いは受けたくないだろう
・・・・・・・・・
﹁解 っ て い る と も。全 て 理 解 し た 上 で 君 は そ う 言 っ て い る ん だ。何 時 ま で も
﹃提督、あの、それは⋮⋮﹄
として君にも出撃してもらう﹂
﹁ああ、少しばかり試してみたい事があってね。今度の出撃の際に第一部隊のメンバー
?
19
常識の相違
20
でも表現すべき事態だった。
日本は輸入に頼り切りだ。
自国内だけでは全員に食事が回らない事も多々ある。
しかも最近は人類滅亡だのといった騒ぎが起きてしまっている所為で職に付かずに
居る人間も増え、日本国内においての就職率は平和だった頃に比べてかなり下がって
いってしまった。
ただ自分の部屋で全てが終わる瞬間を待つ。そういう諦めに支配されてしまった人
間は何処の国でも多く発見され、今やそれこそが当然となってしまっているのが日本の
最大の悩みだ。
このままではあらゆる場所で人が居なくなる。動かさなければならない箇所に人が
居ないという最悪中の最悪を回避する為に、人類は必死になって深海棲艦の打倒を目標
とした。
それが実になったかどうかは、今の海軍の状況を鑑みればおのずと解るだろう。
世界で最も死亡率が高い職業。無駄に高給取りな癖にまともな戦果を上げられない
屑の群れ。
レッテルを張られても致し方無いのは解っていた。そも、まともな打撃を三年かけて
も成功させていないのだ。防衛をするだけが精一杯で、攻勢に回るにはあまりにも戦力
が足りない。
・・・・
唯一艦娘という正体不明の少女達が味方として参加してくれる事となったが、軍内で
は未だに彼女達の事を認めていないのが現実である。
それもそうだ。見掛けが人間に近いだけで、その本質は深海棲艦とまるで変わらな
い。
行き着く結論の違いだけが全てであり、故に揺らぐ場面があれば容易く少女は深海に
落ちる。
そうであるからこそ、少女達が深海に落とさせないよう勝たなければならないのだ。
人間の勝手な思い込みだけで味方を敵に変えてはならない。
最後の希望が消えてしまえば、そこにあるのはただ絶望の二文字だけである。
うに縮小されてしまった所為でその修正に時間を必要とした。
例えば駆逐艦。実際の歴史を覚えているのだが、戦い方が艦対艦から人間対人間のよ
問題となったのは彼女達の説明にはあまりにも空白な箇所が目立ったことである。
艦を見ている者はそんなオカルトだろうとも簡単に信じる事が出来た。
曰く、艦艇の魂が人となった存在。オカルトもオカルトな内容だが、一度でも深海棲
彼女達が一体どんな存在であるのかは、既に誰も実際には聞いていた。
﹁よし、これで空母の準備は出来る。後は随伴艦達を説得すれば準備は整う﹂
21
常識の相違
22
また、武器自体にも問題があったのだ。妖精の技術というこれまたオカルトな存在に
よって完成したあらゆる武器は人が手で撃てるサイズでありながらも実際の艦と同等
の威力を誇るらしい。
ふざけた理論であるのは言うまでも無く、現在は妖精に全てを託すしかないのが辛い
話だ。人類側でも可能な限りの技術習得を目指しているものの、それはまったくうまく
いっていない。
そんな武器である為に、当然内部の構造もまるで違う。
トリガーの無い砲、顕微鏡サイズで組み立てられる各種パーツ。しまいには艦娘その
ものなど、最早現代の技術力ではどうにもならない域に到達していた。
故に彼女達が出現してからの一年は試行錯誤の日々だったのである。
妖精の完成させた装備を調べに調べ、艦娘についても可能な限り調べ、それでもやは
り艦娘本人も含めた不可解な箇所が多過ぎるだけになってしまった。
そんな状況が変わるかもしれない。彼は今までの試行錯誤の日々を想いながら、青年
の出現は何処に居るかも解らない神に感謝する。
海に漂っていた青年はあのまま救助しなければ間違いなく死亡していた。
救助した当初は心臓ですら止まっていたのだ。それがたった一日であそこまで無事
に回復していたのだから、中々どうして彼の身体も強い部類に当て嵌まるらしい。
後の出来事を想像するばかりだった。
いるのは否めない。そんな人物達の抑止力になってほしいと思いながら、頭の中はこの
無論それは表だけの情報であり、実際には黒い行為を自然に行う外道の類も存在して
海軍は艦娘を保護する方向に現在はシフトしている。
﹁常識以上の知識に、艦娘を案じる姿││││提督として相応しいと言えるな﹂
23
が日常茶飯事的に発生する程の荒れ具合であろう。
そして、学校がそうなっている以上大人達はもっと荒れている。恐らくは警察の出番
は違えど荒れているそうだ。
学生は学ぶといった行為に必要性を感じる事も無く、どのような学校であっても大小
態を維持するのが限界。
貿易不可能。魚といった一部の食品は漏れなく取れず、就職率の低さ故に最底辺の状
報も当然入手出来たのであるが、現状はかなり厳しいところにまで来ているらしい。
俺が一日入院をしている中で本を読む機会は幾らでもあった。その為に社会的な情
思うと翳りを帯びてしまうのは避けられない。
帯と財布のみであるからそこまで移動に問題は起きていないものの、これからの道程を
そしてそれが過ぎれば、当然ながら後に待つのは退院である。荷物は私服と壊れた携
ていたりと問題があった為に念の為の一日入院という処置を施されていたそうだ。
医者の話によれば俺は海上で気絶していたそうなのだが、どうにも心臓が一時停止し
俺の身体は現状既に動ける状態となっている。
駆逐艦 吹雪
駆逐艦 吹雪
24
財布の中には身分証明書らしき一枚に紙があったが、どうにもその紙は俺が今まで見
てきたような種類の物ではない。運転免許証でもなく、何かしらの資格証明書でもな
く、赤いカードなのだ。
そこに書かれている情報は主に個人情報で、裏側には何も書かれてはいない。個人情
報を除けば安っぽいカードにも見えなくは無い代物であるが故に、これには注意してお
くべきだと頭の片隅に留めておく。
安物のジーンズに、無地の白シャツに黒い上着。格安の服屋で購入したと見て間違い
ない物と財布に残る金を計算するに、どうにも自分は元の世界の頃よりも貧乏になって
しまっているようだ。
るのだろう。
それもご丁寧に傷を治された上でだ。これをやった人物はさぞやイイ性格をしてい
に死んだからこそ俺はこんな訳の解らない世界へと飛ばされた。
十中八九、あの場面で死んだのがトリガーに違いない。如何な理由にせよ、あの瞬間
にと内心で自分にツッコミつつ、こんな状況に陥ってしまった我が身を悲しんだ。
周りに聞いている者はいないかと確認してしまう程なのだから言わなければ良いの
呟き、その言葉に少しばかりの羞恥を感じる。
﹁元の世界⋮⋮か﹂
25
駆逐艦 吹雪
26
戸籍はある。一日二日程度なら働かなくても何とかなる金もある。限界のラインを
見極めたような準備の良さに内心溜息を吐きつつも、さてどうしようかと病院のドアを
通って考えた。
此処には自分の事を追い詰める存在は居ない。変わりに物理的に危険な存在が居る
ものの、それらは全て絶対防衛線で艦娘や海軍の人間が死守している。
ならば自分は普通に暮らした方が良いのではないだろうか。というより、そうする以
外に他に手は無い。
あるとすれば艦娘に接触してみるくらいだが、いきなり会っても警戒心を抱かれるだ
け。あまり意味の無い行動は慎んでおくべきだろう。
とくれば、先ずはアルバイトだ。それ意外に道は無い。
年齢もどうしてか18にまで若返っているし、学校を卒業した直後の人間であれば違
和感は持たれない筈だ。
働き先はコンビニだな。廃棄で節約も出来るし、俺の知る中ではおばさん連中の世間
話も拾える店だ。情報収集を行いつつも金を稼げれば問題にはなるまい。
強いて言うのであれば、やはり住む家だ。住所は此処から遥か遠く、しかも記憶が正
しければそこにあるのは俺の実家である。
前の世界とは違うと解っていても、昔の繋がりがある場所というのはどうしても忌避
してしまう。故に、帰るのではなくて此処で暫くの間は一人で生活するのだ。
幸いにして今日は一日。今から面接をして合格を貰えれば、十五日締めの二十五日に
は給料が支払われる。
それまでは路上生活の日々だと思うと憂鬱だ。壊れた携帯が使えればポイントサイ
トでも活用して稼ぐつもりであるが、現状壊れているのであればどうしようもない。
の顔色はあまりよろしくはない。予め食事の供給が出来ていない事実を知っておかな
変なことを考えながら道を進む。道路も人も全てが現代の色そのもので、けれども人
遊んでいる間は結構気違いのような発言をしていたものだし。
なんか変態みたいになってるなぁ、俺。まぁ艦娘好きは大概変態になる運命か。俺も
弁のような訛りや罵倒じみた言葉を聞いてみたい。
彼女達の明るい声に励まされたいという俗な思惑があるにせよ、久し振りにあの関西
だ。
はしない。ただ、未練があるとすれば一回だけでも良いから艦娘と話してみたいもの
土台既に一回死んでいるのだ。二回目がどういう死に方になろうとも、そこまで気に
いと思う。
野垂れ死ぬ。それがピッタリの状況に苦笑しつつ、そんな最後もまぁいいかもしれな
﹁前途多難。正に世は地獄。こんなじゃあ何時かは負けるな、俺は﹂
27
駆逐艦 吹雪
28
ければホラー映画の世界に紛れ込んでしまったのかと思うくらいだ。
これはもしや、コンビニという存在は余程危険なのではないだろうか。
食料がある場所に人が多く群がるのが現状だ。キャパシティーオーバーを迎えてし
まえば、その時点で店としての機能が停止してしまってもおかしくはない。
取り敢えずは手頃な店へと向かうか。人に聞いていけばコンビニやスーパーのある
場所なんて簡単に解るだろうし。
││││││ッ
相手が本当に銃を所持していた場合、逃げる際の手段として発泡してくる可能性も否
へと足を速めて動き出した。無視しても構わないが、そうするには音が大き過ぎる。
この世界では銃のような音声一つでも普通のことなのか。舌打ちをしつつ、場の確認
で歩き出している。
周囲にも気になった人物が居たようだが、まるで何時もの事かと言うように元の表情
な⋮⋮そう、銃みたいな物でなければ出せない音だ。
場所は近い。先程の音源の元は確実に癇癪玉程度のモノではなかった。もっと盛大
な音が響いたのだ。
別段直ぐ近くに爆発物みたいな物があった訳じゃない。ただ、ここまで響く程に大き
そう信じた矢先、俺の耳元に盛大な音が響いた。
!!
めない。
苦しいのはもう御免だ。当たり所が良ければ死ねるとはいえ、銃の一発で確実に死ぬ
可能性は確実に低い。自分で銃を顔面に持っていけばければ意味が無いのだ。
だから、そうならないように音源の先を目指す。相手が見えていれば対処のしやすさ
は格段に上昇するからな。
果たして、相手は簡単に見つける事が出来た。
曲がり角の先にある小さなコンビニ。有名処の名前ではないということは個人経営
かこの世界での有名店かの二択であろうが、その中で銃を構えた男が立っていた。
服はサラリーマン特有の安っぽいスーツだ。草臥れた印象を受ける二十代程度のそ
の男は恐怖に顔を歪めながら、目先の店員に銃を突き付けている。
コンビニ強盗だ。それも初めてで、且つ銃の扱いが初心者そのものの。
どうやって銃を入手したのかまでは解らないが、店員が大人しく言う事を聞いている
ということはそこまで大きな問題にはなるまい。いや、強盗の時点で大問題ではある
が、ダメージを受けるのは店で俺ではないのだ。
俺に危害を与えるような要因は無い。 待つしかないな﹂
﹁中に数人の人質有。こりゃ警察が来るまで待つか、相手が逃げ出して居なくなるのを
29
であれば態々苦しい方に動かなくても何ら問題もないと判断し、相手の行動だけを確
かめる。
随分焦っているのか拳銃を持つ手は震えている。動機としては明日を生きる金が無
くなったが故の衝動か。正直馬鹿かと言いたくなる。
今は一人でも多くの働きマンが必要だ。だからそこまで面接で落とされる事も無い
だろう。
いや、もう働いて苦しいとすら思いたくないのか。見上げた甘ったれ精神だ、自分も
そうだけど。
誰も警察に連絡する気配は無い。コンビニの外に居る連中は総じて関わる気が零な
のでしないのは解るけども、せめて治安の悪化に繋がらないように連絡くらいするのが
道理だろ。
携帯が壊れていなければ即座に連絡するだけに、こうして動けないというのは暇にな
あの中に居るのって⋮⋮﹂
るだけ。なんて時間の無駄だろう。元の世界であれば考えられないことだ。
?
は心当たりがあった。
恐らく店員の動きが鈍いのが原因だろう。しかしその突き付けた先に居る少女に、俺
騒ぎ始める犯人は順々に人質へと銃を突きつける。
﹁││││ん
駆逐艦 吹雪
30
遠目過ぎて最初に見た時は解らなかったが、あのセーラー服は特型駆逐艦のもの。更
に言うのであれば彼女は昨日提督に頬を叩かれた吹雪だ。
両手に紙袋を持っている姿からは買い物帰りを連想させられ、恐らくは提督に命令さ
れて買い物に来ていたのだろう。あんな提督が駆逐艦に買い物を自由にさせるとも思
わないし、これは確実に運が悪い。
そんな彼女は涙を端に乗せながらも、犯人である男を強い眼差しで睨みつけていた。
その強度はチンピラ程度であれば容易く退散させられる程だろうで、彼女が既にある程
度の実戦を経験しているであろうことは容易に想像出来る。
問題なのは犯人だ。彼女に銃を向けてから、相手は一度も動きを見せていない。さな
がら相手を決めたかの如く構えており、少しだけ見えた横顔は歪な笑みに染まってい
る。
不味い流れだ。このままでは彼女が撃たれかねん。艦娘の装甲がどうなっているの
かまでは想像出来ないが、艤装が無い彼女には不安しか感じられない。
もしも此処で彼女が死ねば、実戦経験を持った艦娘が一人居なくなる。
戦いの経験は金ではどうすることも出来ない財産だ。それが今目の前で消失するの
は世界が人類に笑いかける確率を落とす事になる。
﹁携帯に、財布。身体は大丈夫、後は最初だけだ﹂
31
駆逐艦 吹雪
32
今、自分は一番してはならない行為をしようとしている。
無視すれば良いのに、助けなければという正義感が噴出している。
艦娘だから。未来ある少女達だから。││││自分にとっての初期艦だから。
そんな他人からすればどうでも良いような理由で、苦しい筈の道を歩こうとしてい
る。いや、これから歩くのだ。もう止められないがように、走っている車は急には止め
られない。
こうなりゃヤケだと、俺はそのまま壊れた携帯を入り口の横にある上り旗へと投げ付
けた。
││││││││││││││││││││
上り旗のぶつかる音が店内に広がる。
同時に店の中では来店時の音楽が鳴り、犯人の意識は焦りからか完全に入口の方へと
向かっていた。
当然そこには誰も入って来る気配は無く、犯人は風かと安心しつつ再度自身の手に持
つ銃を吹雪へと向けていた。
その目には狂気といった理性とは無縁なモノが浮かび、人間としての闇を多分に感じ
させる深淵の底のような雰囲気を見せている。吹雪が向ける戦場に立つ者としての眼
・・
差しとはベクトルは違うが、両者の持つ視線の強度は均衡を保ち、一種の膠着状態に近
いものを作り上げていた。
変えるとしたら誰かが邪魔をする他に無いが、既に吹雪という艦娘に狙いが定まって
いる時点で誰もが助けようとする気を喪失している。
海で何の成果も見せていないからこその評価に、吹雪の内心には諦観だけが浮かんで
いた。
﹂
最も不要とされている存在に対して銃を向けているのだ。
パトカーで迫られればそれで終わりであるから、こうして最後にとばかりにこの世で
足も無い。
彼が此処で金を調達しても、直ぐに警察に捕まる。顔は知られているし、逃げる為の
いからこその、一種の開き直りとも言えるだろう。
狂っているからこその言葉遊び。土台この場でどうしようとも結果は何も変わらな
最早この男にまともな思考を働かせる力は残っていない。
﹁よう、無駄飯食らいの鉄屑。最近調子はどうだい
?
33
駆逐艦 吹雪
34
彼女達が居なければ、確かに食料の余裕が少しはあった。彼女達が居なければ、金が
其方に流れる事も無かった。
彼は羨んでいるのだ。まともな戦果を上げずとも、防衛だけで金を貰えるという事実
に。
その防衛が如何に困難かも理解せずに、何も変わっていないというそれだけで艦娘を
無能と蔑んでいた。
だがその意見は既に世間一般となってしまっている。どれだけ日本の土地を守って
いても、資源地の奪還や他国との繋がりを復活させるという明確な結果を見せない限り
は評価が一転してくれないのだ。
その事を吹雪自身も自覚していて、それが達成出来ないからこそ何も言えない。
実際に自分達は彼等を助ける為に出現したというのに、それが結局出来なかった。艦
という形であれば運用方法も昔に沿って出来ただろうが、人型である以上それで良い筈
も無し。
一からマニュアルを完成させるというのは至難の業だ。存外簡単そうに見えて、その
裏では多数の人間が苦心している。
更に言えば彼女達は既存の技術の枠組みから大きく逸脱した存在でもある。
怪物と似たような存在である以上世間から白い眼で見られてしまうのは致し方無く、
依然彼女達は冷遇されるのが日常だ。
そんな日々であるからこそ、艦娘達の中では進んで資材になろうとする者も居た。俗
に言う解体だ。
妖精達が涙を流して身体を鉄と油にしていく光景を海軍高官は笑いながら見つめる
のである。これで不要な費用は減り、有用な資源が増えたと。
﹂
!
今の社会に駄目な人間に食わせる飯なぞ存在しない。専業主婦とて既に一年前の言
していて、時には上司と一緒に謝罪に赴かなければならない場面もあった。
理由なんて腐る程。周りが既に慣れている中で自分だけは相も変わらずミスを連発
それがもう直ぐ実を結ぶとなった時分に、クビだ。
うにか適応しようと努力したのである。
ない男には陰惨な社会の中で生き抜いていくには甚だ難しいものがありつつ、しかしど
最初の内は同僚からの視線は厳しく、上司からの叱りの数も多かった。不器用極まり
い。
涙を流す男は一新人社員であり、まだまだ入社してから多くの時間を過ごしていな
ら結果は残せた。なのに、なのによぉ⋮⋮
いない。でも、最近はマシになったんだ。後もう少しだけでも時間をくれれば、何かし
﹁俺はなぁ、自分が駄目な奴だって知ってる。会社に貢献出来ているだなんて思っちゃ
35
葉として風化していっているのだから、今の時代に対応出来ない者が馬鹿なのである。
だからこそ、彼は自棄になってしまった。再度のチャレンジを捨て、銃を入手して目
先の幸福だけを目指した。
どちらも一緒なのだ。なのに、片方は未だに食料も金も貰えている。
それが理不尽極まりないのだと嘆いて、彼は内心に渦巻く狂気を表に出して撃鉄に指
を掛けた。││││それが彼の、本能から発露される艦娘に対する想いである。
﹂
!!
が鳴る中で両者はただ見つめ合い、周囲に気を巡らせる事もしない。
だがそれをする前に、再度コンビニのドアが開く音が聞こえた。場違いで軽快な音楽
娘には多い。
艤装が上手く使えなかった頃から使用していた徒手空拳だ。慣れている者の方が艦
に一気に視線外へと移動し、即座に両腕を行動不能にさせる。
銃口から自分に当たる位置を予測。そこから相手の引き金を押すタイミングと同時
人たる彼に負ける訳にはいかなかった。
りに見た。深海棲艦と対峙すればこんな程度の狂気は日常茶飯事であるからこそ、一般
しかし彼女は目を瞑る事無く男を見た。哀れに、可愛そうに、遥か格下の相手とばか
引き金が指に当たる。後はこれを押せば、至近距離の吹雪には躱せない。
﹁死ね、死んでくれよ。一緒に死んで、仲良く三途の川でも渡ろうぜぇッ
駆逐艦 吹雪
36
・・
故に、男は敗北した。その瞬間に背後を振り返っていれば良かったものを、金を盗む
ことではなくて艦娘を殺すという方向へと路線をズラしてしまった。
鈍器が鳴らす鈍い音が男の背後で響く。苦し気な息を吐きながら背中を向けて倒れ
るその頭に、再度背後から鈍器は振り下ろされた。
一応の手加減はされていたのだろう。意識を失いはしても息はしているようで、外傷
を与えた程度で留めているようだ。
ない。
!
しいと思わせられる眼差しは、多分こうして出会わなければ二度と見られることも無
お礼を言おうにも、その目に釘付けになってしまって離れない。ずっとそう見てて欲
﹁あの⋮⋮その⋮⋮
﹂
や蔑みの籠ったものばかりで、こんなにも優しさに溢れている目というのを彼女は知ら
そんな眼差しは彼女には初めてだった。生まれた瞬間から向けられた眼差しは同情
の瞳。
何よりも印象的なのはその目。他の誰もが向ける種類とは違う、優しさに溢れた慈愛
一般的に整ったと言えるかもしれない顔。年も大分若く、まだ学生かと思う程だ。
吹雪はその優しい声の主に顔を動かす。
﹁これで敵は沈黙。第一目標と第二目標は無事達成って訳だな﹂
37
かっただろう。
静けさに満ちた世界の中で、彼は吹雪に近付く。
彼にとっての初期艦ではなく、彼女は彼の事を知らない。まったくの赤の他人であ
り、本来であれば別けて考えるべき問題だ。
ただ、それでも彼は彼女に自分の初期艦を重ねてしまった。あまりにも似過ぎている
為に同一視は避けられなかったのである。その結果がこれだ。
彼女は嬉しく思っている。それは彼にも解っているし、理解もしているので問題では
ない。
しかし違うのだ。どうしても、彼は彼女の知る吹雪という少女ではない。また別の鎮
守府の、少女なのである。
やるべき事はしたと、彼は自身に結論を出して逃げるようにコンビニを後にしようと
する。
それを察知した吹雪は彼の腕を掴んだ。振り返った彼の目には相も変わらず慈愛の
感情がそこにあり、どうしてかそれを見ているだけで涙が零れそうになる。
長年の絶望を全て払拭するかの如く抱き着き涙を流す吹雪に、彼は困ったなと暫く頭
懸命に抑え込んだ涙は、けれども自身の頭の上で動く掌の所為で爆発した。
﹁有難う、ございます。こんな私の為に⋮⋮﹂
駆逐艦 吹雪
38
を掻いてしまう。それが周囲には妹が兄に甘える図に見えてしまい、艦娘であるという
﹂
のにという言葉がついてしまうものの和やかな雰囲気が形成されてしまった。
﹁泣くな吹雪。世界を驚愕させた特型駆逐艦の一番艦が情けないぞ
﹁何を言ってるんですかぁ⋮⋮今は女の子ですっ﹂
かったのである。
その姿は、彼をして普通の少女そのまま。田舎で授業を受ける学生と何ら変わりはな
続ける。それが夢ではないのだと信じたくて、彼女はただ縋った。
泣いて泣いて泣き続け、疲れ果てて眠るまで、彼女は彼の腕の中でその温もりを感じ
甘える相手の居なかった彼女にとって、彼のような存在は奇跡的なナニカだった。
!
39
彼女に今必要なのは守る盾だ。この人の為ならば自分は一生戦えると思わせてくれ
みかねない。
昔の精神注入棒のような行為では駄目なのだ。それでは寧ろマイナスの方向へと進
事について。
というか、そうであってくれなければ一言物申しせねばならなくなる。主に殴るという
街の凶暴な人物を鎮圧したとなれば、流石のあの男も理不尽に殴りはしないだろう。
る。
れるのは避けられないが、今回に関しては強盗を一人捕まえてくれたという成果があ
となってしまった吹雪が終了する頃には時間はお昼前後。これでは吹雪が提督に殴ら
空は既に昼へとなっていた。警察への事情聴取に矢鱈と時間が掛かり、同じ関係者
暫くは路上生活なのだ。今よりも最悪な事になるのは容易に想像出来る。
の程度で腹は全然膨らまないが、それでも金は使わないに越した事はない。 そして一つしかない昆布入りの握り飯を口にし、先ずは一安心と息を吐き出した。こ
ペットボトルに入っていた緑茶が喉を通って体の中に流れる。
千差万別の提督
千差万別の提督
40
る安心感だ。それをどうにかしない限り、彼女の表情が改善される事は有り得ない。
あの提督はそれが解っていないように思える。年若い提督ではなく中年の提督だか
らだろうか。漂う俺、解っています感には虫唾が走って仕方ない。
そんな人物の元に今から彼女を届けなければならないと思うと、溜息も吐きたくなの
ものだ。
しなくても良いとはいえ、関わってしまった以上は証言者として同行はしなくてはな
るまい。それで彼女の被害が減るというのであれば、軽い命にも価値があったと心底に
思える。
隣では手を繋いで恥ずかしそうに顔を俯かせる吹雪の姿。単純にこういった行為を
していなかったのだろう。軍隊としての生活のみを追求していった結果固くなってし
まったのならば、確かにしていないと想像しても不思議ではない。
だが、まぁ。一ブラウザ提督としての意見で言わせてもらえれば、必ずしも軍隊とし
ての形を常に保っていて良いとは俺自身感じていない。彼女達の中には軍艦としての
記憶が残されてはいるだろうが、同時に少女としての感性も確り残されているのだ。両
方満足させてこそ、良提督なのではないかと俺は思う。
かな﹂
﹁すまないね、何も買ってあげられなくて。今度はもうちょい金を持って出歩くとする
41
態々そんな事をしなくても大丈夫ですよ。私はこれで満足です﹂
!
闘をしている場面でも見なければ、きっと初見状態では信じられなかったに違いない。
正直こうして会ってみた感想としては戦っているとは思えない、だ。彼女が実際に戦
こういった部分にも彼女が一見すると只の小さな女の子であるという部分が見える。
これは彼女の足が俺よりも短い所為だ。
余計というには余計な思考が回る。特に会話も無く進む足はゆっくりとしたもので、
をぶつけられれば、此方だって真摯な言葉でもって返したくなるものだろう。
人間よりも艦娘の方が綺麗な場合もある。余計な思考が混ざってこない素直な言葉
か。
思ってしまうのは、ただ単に艦娘という存在に重きを置き過ぎているからなのだろう
制限は無論必要だとは思うが、ただ単純に固めれば良いという訳でもない筈だ。そう
由だろう。
そんな事が許されても良いのだろうか。彼女達に与えられるべきは誇りと、そして自
の存在しない敵と戦い、暖かみの存在しない鎮守府へと戻る。
彼女達はこんな経験すら一度もせずに戦うのだ。暖かみの存在しない場所で、暖かみ
る彼女に、俺は可愛いと思うよりも哀れだという面の方が強く出てしまう。
彼女の言っている事に嘘は含まれていないのだろう。握った手を実に嬉しそうに見
﹁そんなっ
千差万別の提督
42
ゲームをやっていて良かったのかもしれない。そうでなければ、いざ何も知らないま
まに此方に来てしまっていれば何も理解しようとしなかっただろうから。
だが、例え何も知らない状況下に置かれていたとしても幼気な少女が叩かれるのを良
しとする筈も無い。
軽いのは自分の命だけだ。他人の命まで軽いとは、俺は絶対に思えなかった。
特に艦娘であれば軽いなどとは言えない。嘗ての軍艦が彼女達の基盤として存在す
る以上重さで言えば英霊にも匹敵する大質量の存在である。
﹂
敬うのがある意味基本なのだろう。そうならなかったのは、やはり今の戦況が芳しく
ないからか。
﹂
﹁吹雪、もしかして今の戦況ってこんなにのんびりしていられない程厳しいのかい
﹁えっ
見てしまえば昔の彼女ばかりが被ってしまう。それを悟られるのが何となく嫌で、だ
けていたのである。
実のところ、彼女の顔はあまり見ていない。最初の接触以外では基本的に前を向き続
すれば重要なのは結果で、それが良い方に傾き続けてくれる限りは信頼してくれる。
何故そんなことをと聞きたげなそれは、まぁ先ず当たり前の反応だ。一般人にとって
唐突な質問に、彼女は困惑を混ぜた言葉を返す。
?
?
43
から彼女を眺め続けるような真似はしなかった。
甚だ失礼だとは思っている。普通人の会話というのは目を見て話すものだから、これ
で彼女が不機嫌になったとしても悪いのは此方だ。
だが、彼女はそんな俺の真意などまったく解らなかったようで、素直に首を傾げて
唸っていた。
これはまさか、いやそうなのだろう。戦況が解っていない筈はない。何せ報告書の類
や任務を受けていれば嫌でも理解させられてしまうものだから。
ゲ ー ム で も イ ベ ン ト の 時 に は 大 体 想 像 出 来 る の だ。艦 こ れ の 世 界 で は 多 分 今 こ う
なっているのだろうなと。
その近況を彼女があまり知らないということは、上司との会話に何も無いか情報を入
手する手段というものを完全に封鎖されているということに他ならない。
携帯らしき物も見当たらないみたいだし、やはり艦娘にはある程度の装備に制限があ
るのだろう。
頭を下げる彼女に笑みが零れる。
﹁⋮⋮すいません、お役に立てそうになくて﹂
ちゃんと解っているつもりだから、個人的な話さ﹂
﹁解 ら な い な ら 良 い さ、聞 い て も そ ん な に 意 味 は 無 い し ね。君 達 が 頑 張 っ て い る の は
千差万別の提督
44
45
こういった部分でも彼女は律儀に謝るのだ。本当に真面目な子で、裏表の少ない良い
子である。
こんな子が叩かれるなんてあっちゃならないだろう。許されるのならあの提督を殴
り飛ばしたいが、そんな真似をすれば俺がどうなるのかなんて簡単に想像出来る。
危ない真似はしたくない。いや、面倒事に巻き込まれたくないだけだ。現実が嫌に
なって死んだのに、こんな悪夢じみた場所でまで面倒事を抱えたくない。
ある意味彼女達だけが救いなのだろう。こうして自然に話せられる限り、負担という
ものは無い。
これは駆逐艦だからという訳でもあるまい。艦娘なら、きっとそうなるだけの話。
なんとも解り易いものだと自分に嗤い、吹雪と手を繋いで再度病院へと歩いた。さて
この後は、ちょっとばかし厄介な相手とのご対面である。
││││││││││││││││││││
頬を叩く、軽くて重い音が病院内に広がる。
患者の誰もがまたかと呆れ、この病院にて養生している他の艦娘達は触らぬ神に祟り
無しとばかりに自室へと足を向けていく。
それなりに広い場所であるとはいえ、そんな厄介事が頻発すれば誰とてあの提督の周
りに近付こうとはしなくなるだろう。現に今、彼の近くに居るのは吹雪と彼だけであ
る。
叩いた手を握り締めて怒りの形相を露わにする提督は、今更何も言えないとばかりに
口を開かない。
同時に吹雪も、ああやはりとした思いを抱くだけで表情は無のそれだ。違うのは彼の
みであり、この場において提督に向けて憤怒の眼差しを向けている。
始まりは至極単純なものだった。買い物に遅れ、巻き込まれた話を伝え、その結果が
頬を叩くという行為。
無言で行われた一連の動作は実に自然なもので、これが日常茶飯事的に起きているの
だという事を嫌でも想像させられる。そして無言になる彼女の様子もまた中々に自然
というもので、海軍の中での彼女達の扱いの一端をまざまざと見せつけられているかの
ようだ。
声には力が無い。最早失望の域にまで到達したとでも言うのか、労力の無駄遣いとま
﹁お前は何をしている⋮⋮﹂
千差万別の提督
46
47
で考えているようだ。
であれば、彼女達の行く末も決まっている。そう、決まってしまっているのだ。
力になれない艦娘は不要。であれば、他の艦娘を生き長らえさせる為の養分となれ。
それは謂わば、強制的な解体という艦娘の一つの終わりだった。
真に正しく、そこに人権などという可愛いものは無い。彼女達は海軍からしても未だ
異物としての側面を持っているのだから、昔ながらの者であれば自分達で倒して見せる
と艦娘不要論を出すくらいだ。
尤も、それは所詮何も見ていない老人の戯言であり、現状は艦娘との協力関係は必須
である。たった一人でも居なくなってしまえば、その分だけ他の艦娘に負担が寄りかか
るのは明白だ。
駆逐艦吹雪というのはお世辞にも最大最強の駆逐艦ではない。回避が異常に上手い
ということも、重巡を沈められる攻撃力も、運というオカルト的なものでさえ彼女は
持ってはいないのだ。
ある種のスタンダード。始まりとするならコレといった、最初の時点においてのみ有
効活用される弱い駆逐艦である。
尖った性能が無いというのは、言ってしまえばその他の分類に入ってしまうというこ
とになる。
戦況は徐々に此方が押されているのだ。故に、必要なのは類稀な性能を持つ艦娘の
み。そうでないのであれば、海軍としてはそのまま解体にまで持っていきたいと考えて
いるのである。
それを彼女が知らない訳ではない。しかし気付いてもいるのだ。
島風や雪風は重用され、反対に睦月型駆逐艦や特型駆逐艦は解体されやすい傾向にあ
ると。
陽炎型は例外として今も必要されているものの、それでも解体されない可能性が零で
はない。
﹁お前は、どれだけ私を怒らせれば気が済む﹂
提督たる男が怒っているのは、何も強盗に巻き込まれたからではない。
その結果として強盗を捕縛出来たのであれば、態々叩くなどという真似はしなかっ
た。無論褒めるような真似もしなかったが、それでも怒りまではしなかったのだ。
そうなってしまったのは、一重に彼が彼女を助けてしまったから。人の域を容易く凌
駕する存在が、たかが民間人である男に命を助けられる。
それに提督は怒りを抱いているのだ。なんたる情けなさと。
材になれ﹂
﹁現時刻をもってお前を解体する。連絡が済み次第お前は工廠に向かい、明石と共に資
千差万別の提督
48
﹁お待ちください﹂
救いなど何処にも無い。最早決定された以上は避けようが無く、彼女はこのまま他の
娘をも巻き込んで資材へと変換させられる。
これで全て終わり。世は何事も無く動き続けるだけである。
吹雪の内に出てくる黒い感情も、最終的には無かった事にされるのだ。であれば、こ
れ以上自身の立場を悪化させない為にも工廠に向かった方が良い。
だが、そんな彼女の前で彼は待ったをかける。どうかそれは勘弁してくれと。
提督の飢狼の如き眼光が彼を見る。威圧感を多分に含んだそれに彼が動じる気配は
無い。
ただ静かに提督を見る彼の眼差しにはおよそ感情の類は存在せず、黒い闇だけが広
がっている。それこそ、そのまま見続けていれば飲み込まれしまいそうな程の闇が。
威圧感がある訳ではない。凄みを感じる事も無い。しかし何故か、そう何故か。提督
はその時彼の目を見続けていたくないと感じた。
﹂
?
その情報に、提督は思わず言葉を出した。
﹁││何
者も必ず出てきます﹂
﹁特型駆逐艦には将来性があります。今はまだ弱くとも、鍛え続けていけば改二に至る
49
第二次改装。通称改二。艦娘の錬度がある一定にまで上昇した時起きる現象だ。 現在において確認されている改二の数は三人。しかもその対象の全てが戦艦であり、
皆の誰もが戦艦のみにあると信じて憚らない。
その改二が彼女達にも発生する。そう彼は言い放った。
それに対する提督の反応は、当然というべきか決まっているもの。失笑し、民間人風
情が虚言を吐くなと一蹴。
⋮⋮嘘を
?
そんな事は絶対に有り得ない話であり、予想するとしたら改二となった戦艦のそ
?
三隻の疲労度は推して知るべしである。
隻のみ。この世界では錬度上げの為のレベリングなんてものは当然無いのだから、戦艦
駆逐艦がそこに居なかったという事は無い筈であるが、それでもこの世界では現状三
の全てが恐らくはずっと前線に居た所為なのだろう。
ない
まただ、また違う。改二の数がまったく異なるどころか、戦艦だけにしか発現してい
その事実に、彼は一人驚愕の渦中に居た。
のは当然。
駆逐艦が改二となるなど前代未聞。それだけに、彼の言葉は信じられないものである
言うのであればもっとまともな嘘を言いたまえ﹂
﹁艦娘の改二が発生するのは戦艦だけだ。それもまだたったの三隻のみだぞ
千差万別の提督
50
51
その事実と今までの情報を繋ぎ合わせれば、漸く彼女達の状態というものが見えてく
るのは必然。
容易に解体されるということは全ての艦娘のレベルが高い訳ではなく、その三隻を除
いた全ての艦艇は最高でも改止まり。
それならば簡単に負けるというのも頷ける。フラグシップかエリートが出てきた瞬
間負け越すのは当然だ。
彼は知らないが、それ以外にも問題は多々発生している。
出現する敵と相性の悪い艦娘が出撃。空母の艦載機が使用不可。装備にもレアと定
義される物がごく少数であり、潜水艦を酷使する場面が非常に多い。
改善を目指す動きもあるにはあるが、敵は待ってはくれないのだ。日々散発的であれ
襲撃を行う敵は確実に海軍の物資を削り、最終的に艦娘を沈めることに成功している。
本来なら勝てる戦を勝てない戦に変えてしまっているのだ。力押しでどうにかして
いるだけで、今の海軍にはまるでテクニックと呼ばれるものが存在しない。
これを海軍の間抜けと言うべきか、それとも謎の兵器をよくぞ解析しようと思ったと
称賛すべきかは自由だが、この調子では改二に至る程の艦娘は今後も発生しないだろ
う。
故に、ある意味提督の言葉も嘘ではない。戦艦であれば今後出現する可能性がある
が、軽巡から下はまず確実に有り得ないだろう。││││そうなる前に轟沈するのだか
ら。
三人だけの場に、突如として第三者の声が掛かる。
﹁││││相変わらず柔軟性の無い奴だのう﹂
三人が全員声の方向へと顔を動かせば、そこに居るのは以前彼の病室に訪れていた老
人だ。ただ、あの時とは違うのは件の老人の両横に二人の艦娘が無言で佇んでいる。
提督たる男はその老人を目にした瞬間表情を変えた。具体的には、冷や汗を流して背
筋を伸ばした。
それは艦娘である吹雪も同じであり、この場で唯一自然体なのは何も知らない彼の
み。その様子に、両脇にいる二名の艦娘の口元が少し緩んだ。
それならば歩けなくとも問題はあ
﹁これは中将殿、このような格好で誠にお恥ずかしい限りです﹂
﹁気にするな。貴殿は確か、空襲を受けたのだろう
るまいよ、今は確り養生するが良い﹂
?
に現れたのか。
互いの飾りの混じった言葉は消え去り、残るはこの御老人が如何な理由としてこの場
場の雰囲気は一気に静まる。
﹁ハッ、有難うございます﹂
千差万別の提督
52
彼もまたその点については疑問に思っているらしく表情には素直な感情が滲み出て
いた。であれば、それに答えられる者が前に出るのは当然だろう。
両脇の艦娘達が一歩前に出る。片方の色は青く、もう片方の色は赤く、どちらも弓道
の胴着に似た服をしている。鋭利な印象を抱かせるのは青い女性であり、反対に朗らか
な印象を抱かせるのは赤い方だ。
成人していると見ても構わない大人の女性二名は、提督ではなく彼へと頭を下げた。
その動作に、引っ掛かったのは提督だ。提督に挨拶もせずに感謝の意とも取れる動作
を彼に行うなど、甚だ失礼極まりない。
直属の上司でないとはいえ、それでも階級は此方が上だ。それを向こうも理解してい
ない筈が無いだろうに、敢えて彼方は礼儀を欠くような行動を行った。
力は決して伊達ではなく、吹雪にいたっては正規空母という存在に震えている。
同じ一航戦にして、空母と言われれば先ず最初に浮かぶであろう人物達だ。その影響
正規空母加賀。及び正規空母赤城。
れからもよろしくお願い致しますね﹂
﹁そして挨拶を。私の名前は赤城、先程感謝の意を示したのは加賀と申します。是非こ
お荷物とは言われなくなるでしょう﹂
﹁先ずは感謝を。貴方のお陰で私達も漸く本来の仕事が行えるようになります。これで
53
一方更なる驚きと興奮を隠せないのは感謝された彼だ。目の前には明らかに本物の
艦娘が居て、しかも何故か感謝されている。
意味が不明であるものの、人間素直な感情をぶつけられれば悪い気は起きないもの。
﹂
照れが多分に混ざりつつも、それでも確かな疑問をぶつける。
﹁一航戦のお二方いきなり感謝なんて、俺は何かしましたか
?
かに勝率が下がっていても不思議な事ではない。
その艦載機の問題を、彼はあっさり解決してみせた。
かなく、それこそが当たり前であるというだけの話。
アニメを少しでも見れば解ってしまうこと。空母であるのならば式神か弓の二つし
彼にしてみれば簡単な雑談程度の情報だったのだ。空母に弓を持たせる程度など。
・・・・・・・・・
制空権が常に敵にある状態の戦いだ。情報が彼方に常時渡っていながらであれば、確
それもまた難しい。
艦載機が飛ばせない以上は撃ち落とすしか他に無く、しかして相手の錬度が低ければ
この世界では制空権は常に敵側にある。
のでしょう﹂
うになったのです。艦載機の飛ばせない空母など、そんな艦は即座に解体されるべきも
﹁何を言いますか。貴方のアドバイスのお陰で私達は空母としての役目を全う出来るよ
千差万別の提督
54
飛行甲板があるから離発着出来る訳ではないのである。それを老人は知り、成程と素
直に感嘆していた。
もしもこの事実をもっと早く知れれば良かったのかもしれないが、妖精と会話を出来
るものはいない。ジェスチャー程度ならば可能だろうが、常に忙しい彼等に教えてもら
うこと自体が不可能だ。
よって漸く空母は空母としての形を取り戻した。今までの副砲生活からは脱却し、こ
れからは制空権の奪い合いが発生する。
そして改程度で何とかなるような海域であれば、最初の艦載機だけでも十分に制空権
は奪える。
彼の雑談によって海軍全体の勝率が引き上がったのだ。それを喜びこそすれ、恨む者
はこの場にいない。││││であるからこそ
⋮⋮今の話は本当なのですかッ﹂
それはこの提督にとって看過出来るものではなかった。彼の保有する艦隊の大部分
くなってしまう。
とくれば、その力の部分が足りない駆逐艦では雷撃や野戦以外ではあまり活躍の場が無
空母が空母としての形を取り戻せば、基本戦術が力押しの状況を変える事も可能だ。
黙ってられない者も出る。
﹁待ってください
!
55
は駆逐艦。陽炎型は零であり、睦月型が多いのが特徴と言えるだろう。
数少ない重巡と一緒に護衛や輸送を行う彼女達の成功率は正直高いとは言えないも
のだが、対空だけは力を入れていたお陰か艦載機に襲われる事についてはあまり考える
必要が無かったのである。
その艦載機がほぼ無効化出来るかもしれないとくれば、最早彼の取柄が消失すること
となるのも必然。
対空訓練ばかりしていたという事は、他の部分の錬度には不安があるということだ。
実戦をこなしていけばそういった問題も解消されるとはいえ、やはり普段から全ての訓
練をしていないといざという場面で力を発揮できない。
そんな不安を全面に押し出した彼の言葉に、老人提督はうむとばかりに頷いた。
﹁無 論 だ と も。そ う で な け れ ば 民 間 人 で あ る 彼 に 彼 女 達 が 頭 を 下 げ る 筈 が 無 い。彼 は
我々の考えている方法とは別のアプローチで彼女達の悲願を達成させた﹂
故に
予想外からの言葉に、誰もが驚愕を露わにしたのは言うまでも無い。
実績は、既に今回の件で十分示しが付くことだろう﹂
﹁私は彼を外部協力者として私の鎮守府に所属させようと思う。アドバイザーとしての
千差万別の提督
56
のか理解した。
御老人の説明とあの糞提督の説明によって如何に自分の言っている事が常識外れな
それがどうしてか異世界に辿り着き、勘違いのせいで不味い流れとなっている。
道への片道切符であり、その後に地獄が待っていようとも通り抜けたかった。
楽な道が欲しかった。ビルから落下した際のあの何とも言えない安心感は正に楽な
る。
たとて何も変わらないが故の情報は、確かに身体に突き刺さってくる剣のように思え
これで生きるのは難しい。それは勿論最初の段階で既に理解はしていた。今更考え
さないだろう中途半端な艦これの知識。
今にも無くなりそうな金。無職故の自由。若い身体に、この世界でなければ意味を成
では今の俺にあるのは何だと考えると、答えは簡単に判明してしまう。
使うものだ。
金銭、立場、常識、その他諸々。そういった数々の物は簡単には入手出来ず、時間を
今の自分にはあまりにも足りない物がある。
勘違いは起きる
57
空母は空母として動くのは当たり前であり、改二があるのもまた当然。
そこに否を挟む余地は無く、だからこそ双方に情報の歪みが発生してしまう。
俺を三年目のプレイヤーとするなら、向こうはサービスが開始してから一ヶ月目くら
いのプレイヤーだ。
揃っている情報量が違うのは例えに出さなくとも自然であり、そうであるからこそあ
の御老人は俺の知識を必要とした。
だがそれは結局の所ただのゲームだ。本当の戦場にはゲームよりも更に複雑な計算
が絡み合っている。そもそもにして海軍としてのまともな知識を有していない俺に協
力出来る部分など皆無だ。
故に結論を弾き出せば、答えは否。断じて否である。
る以上強制は出来まい。
民間人である俺ならば言いくるめられそうであるが、同じ海軍男児が近くで聞いてい
幸いな事に今この場には俺と同様に反対の意思を示してくれそうな糞提督も居る。
を無事に終了させることだ。
誰かの息を呑むような声が聞こえたが、それは今はどうでも良い。必要なのはこの話
頭を下げ、誠意を以て断る。
﹁折角の申し出ではありますが、断らせていただきます﹂
勘違いは起きる
58
﹂
早急に事態の終息を目指す。そう思い口を開きかけた瞬間、下げた頭の前に誰かの足
音が響いた。
﹁何故、と聞いても
冷静にメリットデメリットを考えているのか、そんな姿は正しく知的美人。
を瞑った加賀の姿。
言い切って、空気を吸う。若干の息切れを感じつつ顔を上げれば、そこに立つのは目
では若い男女が間違いを犯すような事態だって十分考えられるだろう。
彼女達に自覚があるのかどうかは解らないが、人目を惹く程の美人揃いだ。そんな中
要である。
最後が汚い内容になってしまったが、そういった部分もまた女性を諦めさせるには必
最後に、艦娘と接するのに若い男では間違いが起きるかもしれない。
俺の言った内容は全て憶測であり、裏付けが無い。
は不要だろう。
先ず大前提として海軍の知識というものを俺は保有していないので、常識性の無い奴
にでも解りやすいよう説明した。
刺々しさを含めたその言葉に一歩後退しそうになるものの、俺は我慢して彼女にも誰
柔らかそうな雰囲気の無い声は加賀のもの。
?
59
ネタに生きる女性ではない姿に少々ばかり見惚れてしまうのも致し方ないものだろ
う。⋮⋮尤も、老人提督にニヤニヤと笑われてしまったのだが。
彼女達は俺がもう諦めた側の人間ではないという事を知らない。
と慰められても、それだけは最早根幹に組み込まれてしまって外せない。
俺はもう今更、頑張りたくはないのだ。甘えだと罵倒されても、逆に頑張ってみよう
なってしまうと理解した。
うにかすれば良い筈だと結論を導きだして、これでは俺のする事が今までの比ではなく
らばこれからの行動で裏付けしていけば良い。最後の部分に関しては彼女達自身がど
大方考えている事は解る。海軍の常識が無いのならば学べば良いし、憶測が無いのな
彼女にとって、俺の提示した問題程度些細な範囲内なのだろう。
面目ではなかったとはいえないが、それでも俺は彼女の姿に意識を切り替えられた。
であるからこそ、真面目な対応には真面目に応えるのが世間の常識。決して今まで真
彼女の姿がその三文字を体現している限り、正しくそれは貫いていくのだろう。
が酷く気高く見えてしまう。ああこれぞ、一航戦なのだと思わせられるのだ。
力強さを湛えたその目には一種の迫力というものがあり、一民間人の俺にはその視線
刹那、彼女は目を開き決断の言葉を述べた。
﹁⋮⋮問題ありませんね﹂
勘違いは起きる
60
そんな人間が近くに居たら明らかに有害だ。戦争をする場所でやる気の無い奴が居
る事がどれほど迷惑なのか、想像せずともある程度は頭で解っている。
﹂
?
﹁貴方の偶然でも、私達は戦えるようになりました。そして貴方は、まだまだ私達の知ら
る。
あっさり負けてやる道理は無い。これでも男なのだ、その程度の意地はまだ残ってい
であれば、今度は彼女との舌戦だ。勝てるかどうかは考えていないものの、それでも
とでも表すように片手を上げる仕草がそれを物語っている。
彼女とて加賀と同様の気持ちなのだろう。加賀と似たような雰囲気が、バトンタッチ
浮かぶ肉食獣じみた眼差しでもって俺を射抜くように見ていた。
何事かと全員の視線を集める。件の彼女は朗らかな笑みを浮かべつつ、それでも瞳に
続きそうなそれは赤城の両手を叩く音によって強制的に遮断された。
俺が逃げようと言葉を集め、加賀がそれを追いかけるように言葉を紡ぐ。何時までも
これがお互いに引けない状態なのだと解っていて、それでも言葉は変わらない。
﹁先のは偶然です。私はあの時雑談をしていただけなのですから﹂
﹁しかし、貴方は私達を戦力に変えたわ。それだけでも、今後の生存率は上がる﹂
やる気が無い奴が近くに居た所で何かが向上するとは思えないでしょう
﹁いいえ、問題です。例え貴方がそうでも、私は正直な話あまりやりたくはありません。
61
ない事も知っている。なら、こうしましょう﹂
﹁⋮⋮﹂
││それ
えるのも当然。知識が無ければ舐められるというのも、確かに頷けます。だから私は貴
﹁女を抱きたい欲求は男であれば当たり前というものです。憶測ばかりでは無理だと考
る気満々の雰囲気に、流石の本職とついつい益も無い言葉が浮かんでしまった。
それでも、と口を開こうとして先に彼女が口を開く。此方を言葉の質量だけで黙らせ
から、その程度容易に考えつくものだろう。
それに、彼女が全て想定していなかったとは俺自身あまり考えていない。軍人なのだ
ているだけなのだ。
いや、そうではない。加賀とて同じものを持っている。それを表に出さないようにし
田舎に住む女の子のような顔の筈なのに、滲み出るそれは加賀以上。
湧き上がる威圧感。
に、貴方の言った断る条件を最初から全て想定していないと思っていましたか﹂
﹁貴方は話すだけで構いません。口を開く程億劫という訳ではないでしょう
?
﹂
方が少しでも居やすくする為に幾らかの要求を呑みましょう。例えば、女が欲しければ
浦風か浜風を宛がいますよ
?
﹁まてまてまてまて、それ駆逐艦。駆逐艦だから。決して俺はロリコンではない﹂
勘違いは起きる
62
あまりにも馬鹿みたいな話だ。
俺みたいなのを其方に留める為に大事な女性を二人も向かわせるなど。普通に考え
て有り得ない。
思わず素の口調で言ってしまったが、今度は彼女の方が呆ける番だった。まるで得体
先程までの言葉の中にそうなりそうな部分は無かったと
の知れない奴を見るかのような眼差しで此方を見るものだから、先程までの雰囲気と違
い過ぎて少々対応に困る。
また何か地雷を踏んだか
﹁貴方、何故彼女達の事を知っているのですか
﹂
思うのだが。││││そう思っていたのは、多分俺だけだったみたいだ。
?
戦場であればこれに加えて更に死への恐怖や武器の重量によって体力が削られるが、
緊張感を多分に孕んだ空間というのは、存外体力を削るもの。 ││││││││││││││││││││
告げられた赤城の言葉に、俺が絶句するのは容易な話である。
?
63
勘違いは起きる
64
現状においてその二点は問題にはならないので放置しておくとしよう。
問題なのは、彼の発した言葉である。赤城としては半ば冗談の範囲内で話したもので
あり、そもそもにしてあの二名はまだまだ完成してから世に出ていない。
これは戦場にという訳ではない。テレビという、謂わば情報として世間に広まってい
ないのだ。
艦名すら公開されていない二名の艦娘。それを此処で口に出せば、一定以上の階級を
持つ者以外は皆同じく疑問を提示する。
それは一体どんな艦娘なのかとなり、つまるところ彼の言葉は異常である訳だ。
彼の言っていた内容は的を射ている。彼女達の艦種は駆逐艦。それも現状では引っ
張りだこの陽炎型だ。海軍の誰もが欲しているが故に二名は忙し過ぎてメディアに露
出することはなく、色すらも解らない筈だった。
それを、目の前の男は言い当てたのだ。慌てた様子からして彼女達がどんな娘である
のかは解っている様子であるし、恐らくは陽炎型であるというのも理解している。
解っているのは背後に彼の背後に居る提督のみ。それだけに、この異常性は他よりも
抜きんでている。
空母の扱い方を知っているといい、まだ何も出ていない艦娘の正確な情報を持ってい
るといい、この男は間違いなく普通の範疇に収まっている人間ではない。
まさかスパイか何かの人間かとも思うが、それだけであれば空母の扱い方について疑
問を覚える。
今の戦争においてそれを教えないというのは甚だ変だ。多少なりとて状況を好転さ
せて自身の活動範囲を安全にしておいた方が良いに決まっている。
それに態々こんな真似もしない。とくれば、この男は一体何者なのかと勘繰るのは必
然だ。
最早この時点で彼をこのまま帰らせるという選択肢は消滅した。先ほどまでの穏和
な表情を険しさに変えた老人提督は、帽子で今の自身の顔を隠して告げる。
なく機密事項を話す筈など無いと考えるのは当然の結論であり、故に彼は呆気なく嵌っ
自分にとっては当たり前の事。そも、現状全てが揃っていると考えていたのだ。呆気
表現だろう。
彼は老人の言葉に、何も返さなかった。返せる余裕も無かったというのが最も適切な
必然である。
陽炎型だと公開されても同じ事が言えるだろう。だからこそ、追及は厳しくなるのも
これがもしも艦名だけでも公開されていれば、駆逐艦だと知る事も出来る。
してそれを知っているのかね﹂
﹁陽炎型駆逐艦浦風。及び浜風は現在一般人には公開されてはいない。なのに君はどう
65
勘違いは起きる
66
てしまった。
拘束は可能だ。機密事項を持つ一般人はこのまま取り調べを受ける必要があるし、そ
れでもしも口を割らなければ最悪の場合として拷問や薬剤による自白も許可される。
それだけの問題だ。こうして話してしまった以上は、もうまともな手段で元の生活に
は戻れない。││││そう、もうまともな道には戻れないのだ。
思わぬ僥倖だと、赤城は内心喜ぶ。
流石は赤城さんだと、加賀は内心褒め称える。
予定通りだと、老人提督は内心呟いた。
最初に話した時点で彼に何かあるのは解っていた。話を聞いて、この男が普通の精神
をしているのではないということを半ば無理矢理に理解させられた。
さながら攻略本だ。彼の言っている内容の幾つかを取り入れるだけでも戦闘の幅は
広がる。
頭の固い人間では成せない考え方は、正しく今の海軍にとって欲しいものだった。例
えこれで嫌われるとしても、それでも今の海軍が勝利を掴むには捕まえ続けておくしか
ない。
故に、これにて流れは決定された。後はその結末に辿り着くように誘導するだけ。実
に簡単で、何も考えることは無い。
﹁⋮⋮﹂
にこそ、深海棲艦撲滅は成就する。
善人だけで世が回る訳ではないのだ。利用すべきものは何でも利用する。その果て
ない。
最悪排除すれば良いだけのこと。腹黒い部分も無ければ中将という地位にはいられ
おけば、相手は勝手に守ってくれるに違いない。
後は背後の提督を黙らせておくだけ。此方は昇進をしやすくてやろうとでも言って
が遥かに良い。
は良い展開になってくれた。デメリットが無いとは言わないが、それでもメリットの方
それよりももっと気にすべき機密は存在するのだ。だからこそ、これは老人にとって
ても大きな戦況は何も変わらないのだから、一々気にしていても意味は無いのである。
別段彼としてはあの程度の機密が漏れた事を問題視していない。駆逐艦が二隻増え
の為にと言葉を紡ぐ。
彼の人生にはこれで戦いだけが映るようになる。それを心苦しく思いながらも、勝利
日常的な暮らしはこれで過ごせなくなった。
がそのままでは捕まるだけだ。それを回避する為に、私のアドバイザーになってくれ﹂
﹁言えないかね。ではこうしよう。君がどうしてそれを知っているのかは聞かない。だ
67
しかし、そう自分に言い聞かせても老人の胸には鋭い痛みが発生していた。
﹁⋮⋮はい﹂
勘違いは起きる
68
どうしてこうなった、なんて今更思うこともない。
脳裏に走る言葉の羅列に溜め息を吐きそうになり、それを抑え込んで前を向いた。
諦めろ、これが現実だ。
一人であっても勝てる道理は何処にも存在しない。
単純戦力だけでも三人。しかも最初から肉体的には負け越し確定であり、例え相手が
の姿。
それでも足掻くかと顔だけを背後に向ければ、笑顔の赤城と老人提督に無表情の加賀
みと化していた。
手持ちは相変わらず財布と携帯。これで脱出が出来る筈も無く、最早現状は完全に詰
人。門番として立っているのは解るが、眼光だけでも大人は引き下がるに違いない。
駆逐艦でも脱出出来ないだろうと感じさせてくれる入り口の横には男の海軍兵が二
で恐ろしくもあった。
人が容易に突破出来ない為にと厚い鉄鋼で構成されたそれは、控え目に言っても巨大
目の前にある門。
異端の知識
69
単純に自分が阿呆だっただけで、慎重になれていなかった。こういうのに慣れている
人物であればきっと上手い言い回しでも考えて場を逃げ出しているだろう。
実に羨ましい。俺もその技術を是非欲しいものだ。
老人提督の一言が発される。それに合わせて鋼鉄の門は開いていき、内部の状態を丸
裸にさせた。
内部を例えるのならば、これは大きめの広場だ。流石に噴水みたいな小綺麗な物は無
いものの、今時珍しい煉瓦作りの建物と相俟って、実に雰囲気の良いものに仕上がって
いる。
しかして重要なのはそこではない。そこであればどんなに良かったものかと思いは
しても、厳しい現実からは目を逸らしてはいけないのだ。
そう思うと余計に緊張感が生まれる。海軍の一拠点なんて一生御目にかかれなかっ
まう場所なのだ。
これが俺がアドバイスしなければならない鎮守府であり、無理矢理にでも関わってし
声が聞こえる。
遠くで工厰の金属音が響き、それを超えるような砲撃音が響き、小さくとも少女達の
前に出て此方に振り返った老人提督が言葉を放つ。
﹁ようこそ我が鎮守府へ。我々は君を歓迎しよう﹂
異端の知識
70
ただろうから、今の俺は間違いなく震えている筈だ。
それは不安の表れである。しかし同時に、興奮の表れでもある。
死んだも同然の我が身。今更大事にする必要も無いかと考え方を変えてみれば、今回
の一件はチャンスである。
故に、俺は実に自信満々に一歩を踏み出した。少々情緒不安定に思われるだろうが、
それでも己が意識はゲームでしか見れないような場所へと足を動かした。
であれば、アドバイザーとして最初に向かうべきは砲撃音のする先である。
いだろうから、その辺は二人に聞かなければなるまい。
工厰に、食堂に、演習場に、間宮に、後は個人の部屋くらいか。勿論それだけではな
い。
艦これのシステムを全て導入していた場合、回る施設の数はそれほど多くはあるま
としよう。
それに満足した老人は笑いながら歩いていった。││││よし、では早速始めていく
俺は返事を、赤城と加賀は敬礼でもって答える。
﹁了解しました﹂
るんでな、これで失礼する﹂
﹁挨拶や各施設の話は加賀君と赤城君で一緒に行いたまえ。私はこれから書類仕事があ
71
こんな場所で撃つという事は現在演習中であり、どんな艦種でも見れる事が出来る。
練度、装備が今回の目的だ。
いきなり仕事を始めようとしても構うまい。現状はそれなりに切迫しているのだか
ら。錬度が高ければ特に何か言う必要も無く、装備の質が良ければそれもまた無し。
本当に何か言う必要が無い状況になれば途端に俺の人生は終了だ。何せ此処に来た
理由が理由だからな。
前方の二人の説明を聞きながら、俺は脳裏に当時の自分のパソコンに映る母港を思い
浮かべる。資材は最後に見た時はMAXだったと思っているが、実際はどうだっただろ
うか。
戦場の一拠点とは思えない程に緩い空気を感じながら、一路目指す先は演習場ではな
く食堂。先ずは二名の説明を聞くつもりであるものの、どうやら先に紹介をしてくれる
らしい。
いきなり艦娘達との会話かよと思いはしても、悪い気が起きない筈も無し。どんな子
が居るのかと想像してみるが、恐らくは駆逐艦か軽巡洋艦ぐらいだろう。
重巡洋艦か戦艦は軒並み戦場に出ていると考えておくべきだ。特に戦艦は戦力の中
心だ。少なくとも此処に居るとは最初から想像していない。
﹁先ずは食堂です。説明の必要は無いのでしょうが、現在の状況を端的に伝える為には
異端の知識
72
見てもらった方が良いでしょう﹂
加賀の説明に合わせて、食堂へは僅か数分で辿り着く。
食材を外から運び入れ易いようになっているのか、入口自体は何処かの飲食店を彷彿
とさせる。
先に二人が入り、続いて俺も中に入る。全体的に白が目立ち、飾りつけのような物は
無い。機能性重視といったものだろうが、それは逆に言えば殺風景であるという訳だ。
昼を既に過ぎているだけに人影は無い。殆どが任務や演習に言っているだろうこと
を思うと、此処で作業をしているのは給料艦間宮や伊良湖のみだ。
あの二名の食事は絶品だというのが艦これでは当たり前と化しているが、実際はどう
なのか。
間宮さんか伊良湖さんは居ないのか﹂
?
より困難な状況に陥っている方を優先されるのは当然。逆に前線で苦しいことだら
予想外と言えば予想外と言うべきか。いや、確かに彼女達のような存在は貴重だ。
事は正直なところ不味いです﹂
会いしたのは一回だけですからね。その時振る舞ってくれた料理に比べれば、此処の食
﹁彼女達は前線を支える方々です。このような場所にまでは来てくれませんよ。私もお
﹁あれ
﹁此処の食事は正直な話あまり美味しくはありません﹂
73
けであれば最悪反逆されることだって考えられる。艦娘の扱いは悪いらしいし、ご機嫌
取りは割合大変なのだろう。
奥に居るのは彼女達の言う通り、ただのおばちゃんだった。軍人という風には見えな
いが、油断は大敵。
俺達に向ける不審な目に他所向けの挨拶をして、そそくさとその場を立ち去った。
何というか、なんというかである。文句を吐くつもりは無かったが、ああいう視線を
艦娘に向けられているのかと思うと個人的に良い気持はしない。
此処の提督がまともであるのが救いか。本当に悪い場所ではもっと酷い事になって
いるに違いない。
内心の残念な気持ちを押し隠し、彼女達の案内の元到着したのは工廠。金属音の五月
蠅さに耳を痛めながら周りを確認してみれば、艦娘の艤装を修理している妖精さんの姿
が目に入った。
彼女達は此方を視界に入れた瞬間笑顔を向けてくれるようで、どうやらいきなり唾を
吐かれるような事は無いらしい。
も出来なかったとしたら、私達が活動出来る時間は僅かに二回程度です。大本営にも妖
﹁そうですね。艤装の修理に、装備の開発。全て妖精さんが行ってくれるそれらをもし
﹁良かった。妖精さんが敵に回ってたら大変だ﹂
異端の知識
74
精さんが居ますが、艦娘とは違い彼女達に関しては比較的悪い待遇は受けていないよう
ですよ﹂
││││││││││││││││││││
苦笑しつつそう言えば、彼女達はそれでも笑顔のままに敬礼していた。
﹁俺は軍人じゃないよ﹂
たとでも思っているのだろう。
上下に振れば、何故か彼女は敬礼でもって俺を迎える。新しい提督か軍人が入ってき
握手は出来るのかと近づいて指を差し出せば、彼女達は躊躇無く俺の指を握った。
体させるような奴は嫌いだろうが。
ているらしいから、あまり悪いとは思われてはいなさそうだ。無論、艦娘を強制的に解
それは流石に嫌だったのだろう。艦娘とは違い妖精さん達には相応の報酬を支払っ
は行わなくなり、彼等の戦力は低下の一途を辿るしかなくなる。
装備も建造も、全て妖精さんが行うもの。だからストライキでも起こされたらそれら
﹁何を考えているのかよく解る。何処も真っ黒で変わらないのね﹂
75
めてみれば実に堂に入っている。
こうしてアドバイザーとして半ば強制的に来てもらった訳だが、いざ実際に活動を始
る。
している最中も実に大人な対応をする彼に少なくない好感を覚えていたのは確かであ
加賀はその背中に白い服を纏った彼の姿を幻視した。それは赤城も同じもので、説明
そうして歩き始めた彼の背中は、今度は自信に溢れたもので。
ではあの門番にも引けを取らない雰囲気を醸し出しつつ門を見つめていたのだ。
相応に顔を俯かせていたし手足が震えてもいたが、それでも鎮守府の前に到着した時点
鎮守府に入る瞬間の彼は、実に自然だった。不安だった気持ちもあったのか移動中は
黙って彼を見る。
は教官に似ている箇所もあり、故にこれ以上の説明は無粋かと加賀も赤城も口を挟まず
いる艦娘達を見ていた。その目は真剣そのもの。一部の隙すら見逃さないといった様
柔らかい笑みを湛えたままの彼は感謝の言葉をした後にその場を見て、そこで動いて
巨大なプールのような場所に案内した加賀は、小さく説明をした後に彼を見る。
﹁此方が演習場です﹂
異端の知識
76
77
遠くで艦娘達が見ているにも関わらずに気にした素振りは見せないし、工廠でも最初
に確認したのは周囲の状態がどうなっているのかだった。
妖精と握手まで交わしていたのだから意外と手は早いらしいと加賀は思っていたの
であるが、その後の妖精達の反応によってそんな感想は遠くの彼方に吹き飛んだ。
彼女達は皆彼に向けて綺麗な敬礼をしてみせたのだ。艦娘にも、それこそ提督にすら
少し崩したようなポーズをする癖に、彼にだけは己の精一杯の敬礼をして見せたのであ
る。
彼は軍人ではないし、ましてや此処の妖精さんと会ったのは今回が初めて。会話なん
て殆ど交わしていないというのに、妖精さんの顔には懐かしさが漂っていた。
まるでやっと帰って来たのかとでも言いたげなそれは妖精さんにしては大変に珍し
いことであり、その一部始終を見ていた加賀にしてみれば驚愕以外のなにものでもな
い。
彼としてはまったく気にしていないのだろうが、妖精というのは酷く自由だ。目上の
相手に対して砕けた姿を晒す者から、それこそ確り者とした姿を晒す者まで多岐に存在
している。
その中でも此処の工廠は比較的緩い方で、時折仕事をさぼって駆逐艦と遊ぶ程。今の
ご時世で許される事ではないのだが、休憩時間に狙ってそれをするのだから黙認するし
異端の知識
78
かない。
そんな妖精が少なくとも、真面目な顔で敬礼するのだ。そんな姿に、加賀は彼に視線
を向け続ける。
││││別段、何かある訳でもないわよね。
彼の姿に問題は無い。となれば、やはりその能力。
これからの行動で彼が如何程の人物かは解るのだろう。今判別出来るのは、不自然な
までの情報を有している御仁であるというだけだ。
予測をするのであれば彼の両親が何かしら軍部関係の人間かということだけだが、そ
れはあまり考えられない。
一概にそうであるとは言わないが、意外に軍部に所属している人間は自身の息子も軍
に入れたがる。それは自身の地盤を固める為でもあるのだろうが、一番の目的は恐らく
安心したいから。
良好であれば一番に協力関係になれるだろうし、反対に敵対しているのであれば手の
内も読め易い。
そういう意味では、彼は少なくとも外れだ。感性も相対してきた限りでは軍人らしく
はない。
違和感ばかりが残る。彼という存在の異質さが浮き彫りとなり、さながら住んでいる
世界が別のように彼女は感じ始めている。
目前の相手は誰だ。一体どうして艦娘についての情報を持っている。いや、そもそも
にしてだ。
⋮⋮いや、改も居るだろうから高角砲に魚雷もある筈。⋮⋮もしか
?
装備の上位互換である以上は生産をした方が良いのは当たり前。
浦風はまだ誕生したばかり。当然彼女の持つ装備も調べ終わったばかりであり、基本
・・・・・・・
何を考えているのかよりも、赤城の頭を占めるのは彼の持つ情報量そのもの。
故に意味不明。理解不能。相手の思考がまるで読めない。
解しているのは海軍のみであり、情報自体は広めた覚えは無い。
更に言うなら、改になることでどうして装備が増える事も知っているのだ。それを理
いる。
どうしてそれを知っている。どうして何も知らない一般人が初期装備だと理解して
ぶつぶつ呟く彼の言葉に、赤城は冷や汗を流した。
して前線の方に全て持っていかれたか﹂
期で固まっている
い。演習だから必要無いってことも無いんだろうが、それなら駆逐艦の装備はやはり初
んだろうが、せめてB型くらいは欲しいな。それに電探を積んでいるようにも見えな
﹁⋮⋮装備は基本の12.7cmか。⋮⋮浦風が生まれたばかりだから後期型もまだな
79
異端の知識
80
そも、B型とは何だ。それが連装砲系の装備であるということまでは予測出来るが、
どういった性能なのかまではまるで解らない。
初めて彼女達は、彼の異常性を認識させられた。
同時に、彼ならばといった期待も高まる。今はまだ装備だけだが、何れは此処の鎮守
府にも改二に至る子が出てくるかもしれない。
そんな未来を想像して、少しだけ彼女の気は軽くなった。
つまるところ、現状見た限りでは問題だらけである。
の前半程度といったところだろう。
で具体的な強さは判明していないが、移動を意識しなければ出来ない時点で恐らくは十
次に練度であるが、此方もあまり高いとは謂えない。高練度の艦隊を見た事が無いの
まい。いや、問題だらけであるが、問題ではないとしておかないと何も進まなくなる。
初期装備群に少し毛が生えた程度。そんな認識をしていれば取り敢えずは問題ある
備の数々も此処には置いていない。
れ以外には珍しい艦娘は居ないのだ。そして残念な事に、俺が主力として使っていた装
居るにしても以前まではお荷物扱いをされていた空母ばかりであり、つまるところそ
のだろうこの鎮守府にはレア艦と呼ばれる娘は殆ど存在していない。
新しい艦娘が生まれれば当然大本営に送られるのも納得であり、故に後方に位置される
少し考えれば解るだろうが、此処が現実である以上武器の譲渡は基本的に当たり前。
現実というものを甘く見ていた。
さてはて、アドバイザーとして活躍したいところであったが、俺は正直な話少しだけ
老人の思惑
81
レベルが足りない。装備の質が悪い。良い面で言えば空母が存在しているというこ
とだけだ。
﹂
これでは前になんて出せる訳が無い。出す途中ではぐれの敵に見つかって即撃沈だ。
﹁水雷戦隊はあの一部隊だけですか
﹁いえ、他に三部隊います﹂
?
﹂
﹁ではこの子達は現在育成中であり、だからこそ装備群もそこまで良い物ではないので
すね
?
轟沈者を出したくないのだ。十分な資源に十分な装備、そして十分なレベルがあって
変わり。
そうなった時に装備が初期の物しかありませんでしたでは、勝てる戦も負け戦へと様
れど、もしかしたら彼女達が将来成長してリランカ辺りに向かう可能性もある。
その仕草に二名は眉を寄せたが、それくらいは許してほしいものだ。場所は不明であ
された。
項垂れそうになった身体は止められたものの、それでも重い重い溜め息だけは吐き出
ガッデム。何てこったい。
よりも、何処の場所でも駆逐艦や軽巡洋艦は似たような装備である筈ですが﹂
﹁確かにあの子達は育成中ですが、装備については他と差異はありません。⋮⋮という
老人の思惑
82
こそクリアは叶うのである。
俺の場合ならイベントがそれだ。だからこそ、この状態を維持してしまっている大本
営に不満が溜まる。
お互いに初対面だ。そんな対応をされるのも既に慣れたもので、最早何も感じること
疑問顔を浮かべる。
さて、続々と上がってきた彼女達は赤城や加賀に元気な挨拶をしつつ、横に居る俺に
一つの艦艇に一人。そう認識しておこう。
いない。
十二人による練習だ。流石に数は多いが、それでも一人として同じ顔の娘は存在して
視線を向ける。
益を。まるで商売人の台詞だなと脳裏に過らせ、プールから上がってきた彼女達に再度
資源は有限だが、それでも今は消費して上げていくしかない。少ない消費で大きな利
練度、装備、練度、装備。
ても上手くは射れないでしょうからね﹂
﹁いえ、赤城さん達は早い内に空母としての練度を上げてください。いきなり弓を持っ
﹁我々もご協力させていただきます﹂
﹁取り敢えず先ずは確認に努めます。その後に考えて、中将殿と相談でしょう﹂
83
もない。
率先して前に出て、子供達相手に頭を下げる。例え相手が明らかに自身よりも年下な
風に見えても、彼女達こそが今の日本を支えているのは確かだ。
敬意を持ってあたるべし。それこそが当然である。
常に危ない。砲を持っていることに違和感を覚える程だ。実際に見れば見る程犯罪的
各々着ている制服は違えど、姿形からはまるで小学生と中学生の間のような感じで非
人に朝潮型が三人だな。
具体的に説明するのであれば、睦月型が七人に特型駆逐艦が一人の、後は白露型が二
今並んでいる十二人は主に睦月型が多いのが特徴だ。
るのだから非常識さは恐らく欠片も残ってはいまい。
彼女達の実に正常であり、それだけに非常に嬉しいものだ。まともな判断が付いてい
るものか。
それも納得である。何処の世界に君達を強くしようと初対面で言い張って信用され
の所為で全貌が露わとなるのだが、彼女達の反応は実に微妙そのもの。
悪足掻きとばかりに仕事の内容をボカす。そんな真似をしてもその後の加賀の説明
す。基本的に雑事のみとなりますが、どうかよろしくお願い致します﹂
﹁皆さん初めまして。今日から此処で一緒に生活することになりました、高木・広壮で
老人の思惑
84
である。
駆逐艦は小さいから擬人化すれば小さくなるのは当たり前。それは頷ける話だが、こ
うも幼いと意外に戸惑いの感情だって湧き出て来る。
尤も、それは彼女達への侮辱だというのも理解の内だ。彼女達は小さくとも元は多数
の人間と共に歴史に刻んだ艦艇達。己の思いに蓋をして、彼等の前で直立不動の姿勢を
貫いた。
﹂
?
﹂
?
彼女の質問は至極明確だ。それ故に心に容易く突き刺さる。
﹁この方は信用の出来る御仁なのですか
狙った訳ではないのは真面目な顔で此方を見ている様子から察する事は出来るが。
に出てくれれば、後は自然よ追従する形で皆の疑問が噴き出て来る。そういう効果を
そういう意味では朝潮型ネームシップの朝潮の質問は有り難い。誰かが率先して前
なくなる可能性も否めない以上不安要素は徹底的に排除しておきたい。
今この場において一番不安なのは彼女達だ。俺のアドバイス次第では使い物になら
﹁どうぞ﹂
﹁赤城さん、質問をよろしいですか
が有用だと思えば採用して貴方達の訓練内容も充実していくことでしょう﹂
﹁彼には今後この鎮守府でのアドバイスを主に行っていきます。彼の提案を聞き、提督
85
容赦の無さは微塵も無しだ。普通そういった話は当人のいない場所でするものだが、
やはりポッと出の奴にはどんな人間も厳しい眼差しを向けてしまうものなのだろう。
よく見れば朝潮型の霞なんかは恐ろしい表情で此方を見ている。これはあれか、圧迫
面接か何かなのだろうか。
そういった体験をした事は無いとは言わないが、あまり経験したくない思いだ。全員
の性格を把握しているからまだ安全圏であるが、暴力を振るわれたら勝てる気はしな
い。
﹂
し、それに先程の演習についても幾つか意見を纏めていたようですよ﹂
﹁少なくとも空母を空母として運用可能にしたわ。その点だけでも十分評価に値します
﹁いッ⋮⋮もしかして口に出ていましたか
?
となれば、最早何かを隠してもいられない。赤城達のお陰で此処がどういう状況なの
迂闊な真似をするのだろうか。もう少し隠す努力をするものだろう、俺。
艦これをしているとよく出てしまうから避けようと思っていたのに、どうしてこうも
が出たみたいだ。
こりゃ余計な情報がまた彼方に言ったかもしれない。画面の前に居る時のような癖
加賀の言葉に手を顔に乗せる。
﹁はい﹂
老人の思惑
86
87
かは大体把握出来たし、あの子達の装備があんな状態であれば戦える範囲も解る。
後は普段の任務がどんなものかくらいだが、鎮守府近海の掃討と物資輸送だと想定し
ておけば問題あるまい。
これで前に出るなんて発言されたら、流石に正論をぶつけ続けて止めさせるぞ。
取り敢えず、といった体で俺達は挨拶を終える。今この場で会話をするにはこの子達
も疲れているだろうし、詳しい話自体はまた明日でも構わない。
今頭に入れておくべきなのは今後の動きだ。
資材の流れも掴んでおかなくては。日本で戦い貿易に頼らずに戦い続けるには特殊
な方法を用いている筈。
オリョクルやバシクルのような潜水艦運用をしているかもしれないし、それならそれ
ならである程度此方側の流儀も通用する筈だ。
後はそれを形にして提出し、提督と会話するとしよう。││││今自分に出来ること
は、演習を頑張ったこの子達にお疲れ様と言うことだけである。
││││││││││││││││││││
老人の思惑
88
夜。
暗くなった鎮守府にて明かりは消され、夜間担当の者以外の人間や艦娘は既に就寝し
ている時刻。
その内の一部屋である執務室では、光量を落としたランプが光を放っている。その直
ぐ傍では老人提督が窓を見つめているのみで、他に誰かの気配があるということはな
い。
今日この日、予想外のビッグプレゼントをくれた青年が正式に鎮守府に所属となっ
た。
一応は食堂の人間と同じく外部協力者として雇った形となったが、老人提督としては
このまま一時的な雇用で終わらせるつもりはない。上手くいければであるのは前提だ
が、彼には将来的に海軍に残ってもらうつもりだ。
その為には彼自身が周囲を納得させる価値を見せつける必要があるが、その点につい
ては問題は無い。
彼としては海軍になど入りたくはないのだろうが、今の時勢の中で艦娘に関する不用
心な発言は提督達の視線を集めやすい。
悪徳に悦を覚える者ならば取り込もうとする程には危険なのだ。故に、彼には自覚無
89
自覚に強制的に功績を積んでもらう所存である。場が必要であるのならば場を用意し
よう。
資材が必要であるのならば、多少は譲ってもらえる繋がりもある。
表舞台に立たせれば、間違いなく彼は一端の提督になれるだろう。その時までに自身
は生き長らえれば、もしかすると彼の艦隊と肩を並べる事が出来るかもしれない。
目を閉じ、老人は過去を回想する。夕方頃まで案内や各種説明を挟んだ初日は無事に
終わり、今頃は彼も疲れた身体で新しく用意された部屋の中で眠っていることだろう。
その間に赤城や加賀に老人は様子を聞かせてくれと頼み、またもや面白い情報が飛び
出した。
妖精の装備開発は基本的にランダムだ。資材を入れて後は妖精さん任せ。どんな装
備が出て来るのかは不明であるし、狙った装備が出て来ることなど殆ど有り得ない。
レシピなどという情報もあるが、正直信用出来ない噂の域だ。それに縋って開発を頼
んだ提督も居たそうだが、決まって殆どが失敗に終わったという。
故に装備を整えるのであれば艦娘の装備をそのまま集めた方が良い。改に至ること
で強化された最新装備も生まれてくるし、そちらの方が資源を無駄に消費しない。
であるからか、最近では開発を頼む提督の数は少ないのである。そして少ないからこ
そ、彼の発した装備の名前は何処を探しても見つかる筈も無し。
一つだけ浦風が持ってくるらしいという事が判明しているだけだ。それではあまり
に戦力の中心にはなりはしない。
現状、海軍は負けている。
﹁不思議な男だ⋮⋮﹂
前線は膠着状態が続き、後方の者達は突然の深海棲艦の奇襲で死亡する例が多い。
これが永遠に繰り返されるようであれば、やがて人的資源の方が先に底を付く。艦娘
は今の子が死ねば新しく建造で生まれる事は出来るが、当然錬度は零。一からの鍛え直
しである。
だからこそ一石を投じたいと老人は考えていた。自身の行動の結果がどういう未来
に行き着くのかは不明なものの、予想外の選択から何かしら好転する未来が見えるかも
しれない。
賭けも賭け。それも分の悪い、まるで負ける事が前提のような話。⋮⋮だからこそ、
老人は賭けたのかもしれない。誰も手を出さない宝箱に敢えて手を出してみるからこ
そ、結末は意外な向きになるものだから。
窓を静かに開け放ち下を覘いてみれば、夜の鎮守府を歩くのは青年の姿。大方初の鎮
遠くの建物を見ていた老人は、視界の中で誰かが動いているだろう影を捉えた。
﹁おや⋮⋮﹂
老人の思惑
90
守府泊まりに緊張して散歩でも始めたのだろう。
こういう部分は未だ年相応なのかと老人は笑うが、耳は何時も以上に研ぎ澄まされて
いた。
老人としては仲良くしたいとは思っていていも、相手はあの青年。もしかすれば腹黒
いことでも考えているのではないかと勘繰ってしまい、近くにいなくとも情報収集を
行ってしまう。
既に彼の身辺調査は開始している。数日もすれば正確な彼の情報が入手出来るだろ
う。
まるで犯人の証拠集めのようだ。自嘲するも、海軍の中でも上位に立つ老人に止める
という選択肢は無い。
籠ってはいなかった。
れでも言っているだけに過ぎない。嫌々な言葉ではあるが、そこに艦娘への嫌悪感は
なんでこうなっただなんて、ただの愚痴だ。本当は自分でも解っているからこそ、そ
直に笑った。
恐らく説明の中で問題でも起きたのだろう。なんでこうなったという声に、老人は素
独り言を呟いた彼の身体からは酷く哀愁が漂っている。
﹃⋮⋮ここまでなら大丈夫か﹄
91
あるとすれば、それは不安か。この先自分がやっていけるか解らないという漠然とし
た感情は、しかし今の時勢であればよく見るもの。
いや、最早大昔から存在するのだ。それが一時的な不安になるだけで終わる事も多
い。
しかしそうであれば⋮⋮と老人が目を伏せる。
無難か。
そんな艦娘達は居なくなってしまう。全て轟沈してしまったと考えておくのが一番
彼を慕っていた。
彼にも艦娘が居た。どのような理由があるかは不明であれど、それでも複数の艦娘が
採用したいほどに。
は艦娘が指示に従ってくれるというのは重要だ。それこそ、他の候補生を落としてでも
考えられるは皆というのが艦娘であること。というよりも、提督になれる条件として
が無いというのに、その皆が存在する限り彼は提督になれてしまう。
皆。俺も提督に。普通であれば考えられないことである。誰もが提督にはなれる筈
の疑問を抱いた。
独り言故に話の脈絡というものは無いが、しかして呟かれる言葉に老人は少しばかり
﹃皆が居たら、俺も提督になっていたのかな﹄
老人の思惑
92
悲しい事だ。まだまだ小さい女の子達が海に沈んでいく光景を見ることしか出来な
いなど、正気のままではいられない。
海軍では轟沈は日常茶飯事だ。誰かが戦えば誰かは沈む。
そうやって戦い続けていたからこそ、歪んだ思考を持った海軍兵もまた多い。最近で
は一人の艦娘を皆で襲い自身の欲を解消していたと聞くし、正直彼女達が生きる世界と
しては甚だ間違っているとも言えるだろう。
生き残っている艦娘達とて段々と正気では無くなっていく。どちらも疲弊し、どちら
もすり減らし、やがて最終的には皆海の底へと沈められるのだ。
最後の言葉を紡ぎ、老人は光を落とした。
﹁それが変われば、と思ってしまうのは夢見がちなのだろうか﹂
93
体は既に開放済みだ。
食堂が動き出すのは午前五時から。故に食堂はまだ開いていないが、それでも部屋自
着替えて、俺はそのまま食堂へと向かい足を動かした。
夏に近付いている昨今、もうこんな早い時間でも青い光は世界を包んでいる。私服に
部屋の壁に設置されている時計を見れば、時刻は凡そ四時半。
きれた事実に少しだけこの体質に感謝した。
故に必要最低限だけで勝手に起きるこの身体は素晴らしいもので、丁度良い具合に起
の機能である。
強いて言うのであれば生きるのに必要だったから摂っただけ。人間として当たり前
てきた所為か、こと睡眠というのは俺にとって別段幸福的なことでも何でもない。
安眠は元から苦手だった。昔から安心するということが無かった生活ばかりを送っ
る。
陽が出始めた頃の空はまだ薄暗く、自分があまり寝ていないのだとい事を教えてくれ
この世界に来てから二度目の朝。
先へと進もう
先へと進もう
94
95
艦娘達も暇になれば食堂でよく遊んでいると聞くし、取り敢えずは交流でもしておい
た方が良いだろう。というより、この鎮守府には門番や食堂のおばちゃんを除いてあま
りにも人が居ない。
まぁ、軍の規律を乱しているかどうかを確かめる為に年に数回は憲兵が来るようなの
で明確に人が居ない毎日であるとは言えないが、それでも普段は居ない事が当たり前
だ。
そうであるからか、此処で誰かと会話をしようと思えば艦娘のみ。提督たる件の老人
││坂本提督は書類仕事や指揮に忙しく、当然秘書官たる加賀も相応の仕事を持ってい
た。
であれば、先ずはある程度の友好関係の構築からスタートするべきだ。話をしていく
中で現在の情勢をより詳しく知れるかもしれないし、無駄話にだって付き合えば彼女達
も少しは接し易いと感じてもらえるだろう。
打算が非常に入っている。そう思うものの、現実での女性との付き合いなんて零だ。
仕事上の無機質な会話のみで、実際のところファッションの話にでもなれば閉口する自
信がある。
故にというか、明確に仲良くなれるとまでは考えていないのだ。自身にそういった能
力が無いのは非常に悲しくなってくるが、昔からなのである意味慣れてしまってもい
る。
廊下を進み、そのまま外へ。歩いていけば既に起き出している子もいるようで、食堂
の方から賑やかな声も聞こえる。
これはもう来ているんだろうな。昨日は駆逐艦の子達と挨拶をしただけであるし、今
度は軽巡の子達とも挨拶をしたいところである。
開いている扉を開けば、そこに座っているのはやはりというべきか複数の艦娘達。
各々が仲の良い子達と話しているようで、中には昨日挨拶を交わした子も居る。彼女
達は俺を視界に収めた瞬間に立ち上がって敬礼をしてくるが、俺に対してそんな畏まっ
た態度は不要だ。
止めてくれとお願いすれば、苦笑しながら今回初めて会った軽巡である神通は腕を下
した。
﹁初めまして、軽巡洋艦神通です﹂
て参上したのですが、不要と判断したのであれば即座に言ってください。何とか中将殿
﹁此方こそ初めまして、高木・広壮です。中将殿の命令で今回貴方方のアドバイザーとし
を納得させますので﹂
えあってのものです。私達も意見も出しますので、お互いに益のあるものにしましょ
﹁そんな、とんでもありません。あの方の御命令で此方に来られたのでしたら、恐らく考
先へと進もう
96
う﹂
代わりに空母や軽空母が出現するようで、そちらの方は撤退させるまでが限界だと
しい。
んてのが居た日には頭を抱えてしまうが、彼女の話曰くその戦艦が出て来る事は無いら
そして最もな問題として、敵の戦力である。軽巡や駆逐艦ばかりのこの場所で戦艦な
は聞いているが、確認という意味でも現在一番前に出ている彼女の話は有用だ。
全員の錬度が如何程なのかを聞き、そして装備の数や質も訪ねる。昨日の内に加賀に
い。
女性との会話の癖に何と華が無いと思うが、そもそも華がある会話を軍でする筈が無
お互いに話は全て戦争方面へ。
しまったからだろう。
巻いていないので少し寂しさを感じてしまうのは、俺が単純に彼女の改二姿を見慣れて
そう思うと緊張もするが、柔らかな微笑を眺めればそれも段々と抜けていく。鉢巻を
う。
る姿はさながら改二の頃のようで、きっと彼女こそがこの鎮守府の古参の一人なのだろ
神通は比較的落ち着いている子らしい。ゲーム時代のものよりも凛々しく感じられ
﹁そう言っていただけると此方としては幸いです﹂
97
先へと進もう
98
か。やはり制空権の問題はあるのだなと頷き、今片付けるべき問題を並べる。
彼女達古参組のレベルは総じて三十台くらい。これではまだ神通は改二に至る事は
出来ず、改になれる程度。
そして現状彼女はまだ改になっていない。具体的なレベルが解っていない以上は手
を出すべきではないとでも判断されたのか、このままでは折角のレベルが台無しだ。
故に解決策としては改になれる子はさっさと改にさせる。方法は不明だが、改装に関
しては妖精に頼めば良い筈。出来ればややこしくない問題にしてほしいもんだ。
次に装備面。これはもう資源を集めて装備を作成するしかない。どのように作って
いるのかはこれも工廠の妖精に聞けば良いし、もしも艦これのシステムと似通っている
のであればレシピを試してみるべきだ。
システムで入手出来ない装備は此処の子達が持ってくる物以外は諦めた方が無難だ。
来たら来たで率先して育ててあげれば問題あるまい。
そうなってくると、先ずは改になるまでのレベルアップだな。長期的な計画になるの
は言うに及ばず、確り守りを固められるようにもしておかなければならない。
ついでに何処か小さくとも資源を取れる場所を確保しておければ、そこを起点にして
複数の鎮守府に資源を運べるだろう。此方に来てもらうのも有りだし、此方から送るの
も有り。どちらにしても、小さくとも資源地を入手出来たという事実は褒め称えられる
べきである。
﹁神通さん、紙とか持っていますか
﹂
?
﹂
女達が生き残る為。文字数を少なく、且つ情報は多めに記入するのだ。
流石に第四艦隊までを含めて全ての艦娘達のレベルを書くのは苦労するが、これも彼
先ずは改へのレベル指定。そこまで到達すれば改になってくれというものである。
けば良いのだ。
これでは一回の入力に全部は記入出来ないだろう。それならば、今必要な部分だけ書
彼女の好意に甘えて画面を見れば、確かに入力出来る文字数は多くない。
﹁はい。あまり文字数は多くないですけど﹂
﹁よろしいので
﹁メモ帳くらいの機能ならありますから、記入したいのでしたら此方をどうぞ﹂
や装備欄のみだ。
その割には装甲の値や運の値が書かれていない。数字化されているのは本当に練度
が、これは彼女と繋がっていて現状の己の力量を数値化してくれるのだろう。
電源を入れれば、そこに書かれているのは彼女の錬度や装備の詳細だ。予測となる
言って、彼女は己のスカートにあるポケットからスマホのような物を取り出す。
﹁いえ、残念ながら。私達に支給されるのはこの携帯端末だけですので﹂
?
99
まるでWikiでも書いている気分だ。当時の人達はこれをノートやパソコンのメ
モ帳に記入していたのだから頭の下がる思いである。
午前五時になるまで記憶を思い出しては書きを繰り返し、そうして完成したその紙は
実に解り辛いものだった。
艦名の横に改と書いて、次には数字のみ。これでは艦これを知っている人間にしか解
らないだろう。意味を知っている者でしか通じる事が出来ない暗号のようでもある。
さてこれを彼女が読んで果たして理解出来るのか。やっと稼働した食堂を見て、俺は
一人思う。
﹁さて、そろそろ食堂も動いたし食べるとするか﹂
﹂
?
艦娘の完全な自由時間など存在しない。それ故に彼女は嬉しそうにしているのが、何
もまた一つの休暇なのだという。
一方彼女は今日は演習場で教官をやるらしい。普段は出撃ばかりということで、これ
とも暇を確認してから行くつもりだ。
るくらい。事前に移動している最中に加賀から来るように言われていたが、そうでなく
予定、予定、今の所は演習ばかりしている子達と会話したり提督に報告的な何かをす
座っていた椅子から立ち上がり、交わす言葉は未来の話。
﹁はい。そういえば、今後の予定は
先へと進もう
100
101
だか複雑だった。
そしてその差は、こんな何でも無い食堂にまで及んでいる。
俺が貰えた白米は大盛で、彼女達は小盛。おかずとして出される魚も俺に対してだけ
は良い物で、他の子達には小さく食えそうな身も少ないというものだった。
その露骨さに隣に並んでいた霞は此方を睨みつける。態と差を見せつけられたとで
も感じたのだろうか。
そんなことは無いと言おうとして、しかし口を塞ぐ。こんな場所で言い合いをしても
不毛にしかならないし、そもそもにして迷惑だ。
黙って座り込んだ神通の申し訳ありませんという言葉が、今の俺には辛かった。
││││││││││││││││││││
艦種:駆逐艦
睦月型:改:弐拾:改弐:六拾五・七拾五
朝潮型:改:弐拾:改弐:六拾五・七拾五
白露型:改:弐拾:改弐:五拾五・六拾
改弐対象者:睦月・如月・皐月・霞・大潮・夕立・時雨
集中的な戦力強化をすべし。各々に明確な利点があり、今後の鎮守府運営の力になる
だろう。
それでも見てしまう。食い入るように、自分の名前を探す。そして軽巡洋艦神通は発
囲にバレてしまえば拘束されてしまうのではないかという暗い未来すら想像した。
彼女の手は震えている。思いがけず手にしてしまった重大な情報の数々に、これが周
だ。
あったり、改二へと至るものであったりと、この情報だけでも金銭の価値が発生する程
それに、彼の書いた内容はコレだけではない。更にその下にも各人の改へ至る練度で
にこの鎮守府の戦力が向上する。
出した彼に代わりにと渡した結果完成されたものであり、この情報が確かであれば確実
彼女の見ているそれは、朝食を共にした広壮の書いたものだ。紙が欲しいと突然言い
を掛けられても彼女はその情報から一切目を離そうとはしないだろう。
自身の端末に表示されている文字列を見続ける。それは最早凝視の域にまで届き、声
彼女は、見る。
﹁⋮⋮﹂
先へと進もう
102
見してしまった。
己がどこまで至れるのかという情報を。自身が今正に欲していた、情報を。
神通という少女は有名な名前を持ちながらも、性格が何処か臆病な部分がある。戦闘
においてもその面は色濃く出てしまい、前線のストレス溜まる場所においては彼女の動
作は不味かった。
唯一助けてくれたのは姉妹艦である川内と那珂のみ。それ以外からは少しのミスで
バットを振られた経験もあるし、邪魔だと罵倒された事も数多い。
そんな彼女であるが、思いだけは誰にも負けないものがあった。
自身の胸の内にある明確な誇り。神通という艦の重みそのもの。故に、前に出たいと
常々考えている彼女は誰よりも出撃をし続けて戦果を稼ぎ、再度前へと出ようと考えて
いる。
川内も那珂も既に沈んだという報告は受けた。今頃は別の鎮守府で自身の知らない
記憶を持った二人が戦い続けていることだろう。
それは悲しいことである。実際彼女はそれを聞いて三日三晩泣き腫らしたし、今でも
誰かが沈んだという話には敏感になりやすい。
だからこそ、彼女は前に出ようと思っている。
﹁神通、改二⋮⋮﹂
103
先へと進もう
104
誇りを穢したくないが為に。姉達の仇を倒す為に。何よりも、解体寸前の所で救って
くれた提督に恩を返す為に。その為ならばあらゆる手を尽くす所存であると彼女は意
気込み、データの紙に記入された彼女の改二へと至る為の練度を確認し││││その長
さに絶句した。
川内型:改:弐拾:改弐:六拾。現在の彼女の練度は三十の前半。
つまるところ漸く折り返し地点に来ただけであり、今のままでは更なる進化への道は
遠い。しかしそれは言い方を変えれば、折り返し地点にまで練度を高める事が出来たの
である。
ならば一層の努力をして更に己の強さを上げ続ければ、何時かの未来では改二へと至
る事も可能だろう。
明確な目標が見えた。その事実に、彼女の闘志は燃え上る。
どうして彼がこんなにも詳しい情報を有しているのか定かではないし、この練度自体
が眉唾物の可能性を否定出来ないが、そんなものはどうでも良いのだ。重要なことでは
ない。
嘘かどうかはこれから解る。もしも正解であれば彼女はこのまま改になれるし、嘘で
あればなれない。
自分一人だけでも判断が付かないのならば、同じ第一部隊所属の響も試してみれば良
い。彼女も練度はもう改へと至れる筈だ。
こうしてはいられないと席を立ちあがる。
早速申請の紙を書かなければならないし、響にも話を付けなければならない。彼女に
も改二への道があるのだ。
前線に興味ある無しは兎も角、生き残る確率が上がるのであれば試す価値は十分だ。
﹁そ の 情 報 は 他 に は 見 せ な い 方 が 良 い で す よ。こ れ か ら 確 証 を 掴 む 掴 む 御 積 り で し た
してきたようだ。
やってきた者に対しては見せるべきではなかったというのに、目聡い空母は早々に発見
この情報は信用出来る者以外に見せるべきではない。故に赤城のような比較的最近
るところは即ち、先程の情報類を見てしまったということだ。
彼女は普段の朗らかな顔を真剣の二文字へと変え、彼女に向けている。それが意味す
赤城である。
話し掛けてきた相手は此処に来て久しい空母の一人。暴食女王とまで言われている
いた。
咄嗟に端末の電源を落としたものの、背後を振り返った時点で彼女の表情は決まって
瞬間、彼女の背後で声が掛けられる。
﹁││神通さん﹂
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ら、精々一人か二人にしてください。今はまだ、彼に敵を作らせたくないので﹂
コネを作っておくのは生き残る上では必要である。
空母が役に立つ事が周囲に知られれば、彼女達が前線に送られるのも必然。今の内に
のは明白であり、故にこそ彼女は素直に頷いた。
として神通が率いる水雷戦隊も含まれている。変に敵意を持たれては厄介な事になる
彼女達が戦場に出れるのは凡そ一月後と計画されているが、初陣に関しては護衛艦隊
か。可能な範囲で言うことは聞いておいた方がまともである。
故に、期待を一身に集められている彼女の発言は甚だ無視出来ないものがあるのも確
の役職は一軽空母だ。
鳳翔のような空母の母とされる人物も居るが、其方は自分から辞退しているので彼女
で、空母を実質的に管理しているのは彼女に他ならない。
その筆頭とされるのは誰であれ赤城だ。加賀は秘書官として筆頭であるというだけ
期待がある。
ど、その性能は初期装備とされる九十六式艦戦であれ十分な戦果を齎せるだろうという
その情報は、この場所だけでは遅れたモノだ。今現在では完熟訓練の真っ最中であれ
正規空母は戦場において役立たずである。
﹁⋮⋮はい﹂
先へと進もう
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﹁あ、あの⋮⋮赤城さんも、その、見ますか
﹂
女は首を左右に揺らして否の姿勢を作っていた。
全てを眺めているとは考え難い以上彼女にも改の情報を伝えた方が良い。しかし彼
彼女が背後から見ていたとして、即座に声を掛けたのは確かだ。
?
朗らかに笑う彼女に、その日初めて神通は赤城に対して悔しさというものを覚えた。
ら﹂
﹁必 要 あ り ま せ ん よ。私 達 の 情 報 は も う 直 ぐ あ の 人 か ら 直 接 伝 え ら れ る と 思 い ま す か
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