138 かいよう 江戸時代の焼物 お き ま え や き 白化粧を施したもの、鉄絵が描か ひ 今津町日置前焼 る需要に応えることができなかっ れたものなど優美な作品が大半 端 反 碗・ 皿・ 鉢・ 香 出土した製品類 に は、 筒 碗・ 丸 碗・ さいものです。 比べて窯の規模は小 準備に思いのほか金がかかり、焼 んではみたものの、築窯や製品の 運営を思い立った商人が、取り組 若狭の往来や琵琶湖の水運の経由 で き ま せ ん。 し か し、 江 戸 時 代、 とうみょうざら 文化財課 (32)4467 ちくよう 28 2016. 6月号 日置前焼の開窯 江 戸 時 代 後 期 ( 世 紀 後 半 ) に なる と 、 滋 賀 県 内 各 地 を 含 め 、 全 いう窯業技術の革新によって、質 たために、各地に開窯されたと考 しろげしょう の悪 い 粘 土 で も 良 質 の 陶 土 を 得 る などから 世紀後半から 世紀初 信楽の類似する碗類の形式や意匠 いしょう です。 出土遺物の年代については、 で、雑器がほとんどないのが特徴 ちゃわんやまがま えられています。 わたのみ と う か ぐ 綿実などの灯油の量産によって とうみょうざら 灯 明皿などの灯 火具が汎用化した こと や 、 お 茶 ・ 煙 草 ・ 酒 な ど が 庶 頭のものと考えられています。 日置前焼のその後 室、 6 室 の う ち 最 上 段 の 焼 成 室 炉・ 灯 明 皿・ 灯 明 台 成も失敗し、廃業してしまった可 ゆうやく で釉薬や顔料がよく 溶けていない失敗作 で す が、 抹 茶 茶 碗 な ど の 茶 陶 製 品 が 多 く、 滋賀県高島市新旭町北畑565番地 発行▼ 高島市 編集▼ 政策部秘書広報課 〒520 1592 今月の特集では、総合戦 略で取り組んでいる「びわ 湖高島ブランド戦略推進事 業」をご紹介。この事業では、市民の 方自らが記者やカメラマンとなり、高 島市の魅力を取材し、発信していこう という取り組みをしています。それぞ れ魅力的な文章や写真でご紹介されて おり、まだまだ知らない高島市がある んだと気づかされます。その内容は「高 島の食と人」ホームページでご覧いた だけますので、ぜひご覧ください。 (S) 0740(25)8000㈹ http://www.city.takashima.lg.jp [email protected] 地として繁栄した今津で陶器窯の など八器種がありま 能性も考えられます。 はしぞりわん す。 大 半 は 焼 成 不 良 のぼりがま れ・徳利などが日常の必需品とな しょうせいしつ 昭和 年に今津町日置前で実施 された「茶碗山窯」の発掘調査で 19 が、幅3・5メートル、奥行き1・ きゅうす 民で も 楽 し む こ と の で き る 値 段 に は、全長 メートル、焼成室が6 18 るな ど 、 焼 物 の 需 要 が 増 大 し た こ 9 日置前に窯を築いた人物や、製 品の流通先などについては、記録 197 2メートルの連房式登窯が発見さ 月号 とな ど が あ げ ら れ ま す 。 た だ 、 旧 6 等が残されていないので明らかに 平成28年 れました。江戸時代の信楽窯跡に とっくり どびん なり、土瓶・急須・湯呑み・火入 63 「茶碗山窯」の発掘 こと が 可 能 に な っ た こ と 、 菜 種 や ようぎょう はじ め ま す 。 そ の 理 由 は 、 水 簸 と すいひ 国的 規 模 で 新 規 の 焼 物 が 開 窯 さ れ 18 来の 焼 物 の 産 地 だ け で は 、 急 増 す 茶碗山 窯 茶碗山窯の製品
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