今 津 町 日 ひ 置 お 前 ま 焼 や

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かいよう
江戸時代の焼物
お
き
ま
え
や
き
白化粧を施したもの、鉄絵が描か
ひ
今津町日置前焼
る需要に応えることができなかっ
れたものなど優美な作品が大半
端 反 碗・ 皿・ 鉢・ 香
出土した製品類
に は、 筒 碗・ 丸 碗・
さいものです。
比べて窯の規模は小
準備に思いのほか金がかかり、焼
んではみたものの、築窯や製品の
運営を思い立った商人が、取り組
若狭の往来や琵琶湖の水運の経由
で き ま せ ん。 し か し、 江 戸 時 代、
とうみょうざら
文化財課
(32)4467
ちくよう
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2016. 6月号
日置前焼の開窯
江 戸 時 代 後 期 ( 世 紀 後 半 ) に
なる と 、 滋 賀 県 内 各 地 を 含 め 、 全
いう窯業技術の革新によって、質
たために、各地に開窯されたと考
しろげしょう
の悪 い 粘 土 で も 良 質 の 陶 土 を 得 る
などから 世紀後半から 世紀初
信楽の類似する碗類の形式や意匠
いしょう
です。
出土遺物の年代については、
で、雑器がほとんどないのが特徴
ちゃわんやまがま
えられています。
わたのみ
と う か ぐ
綿実などの灯油の量産によって
とうみょうざら
灯 明皿などの灯 火具が汎用化した
こと や 、 お 茶 ・ 煙 草 ・ 酒 な ど が 庶
頭のものと考えられています。
日置前焼のその後
室、 6 室 の う ち 最 上 段 の 焼 成 室
炉・ 灯 明 皿・ 灯 明 台
成も失敗し、廃業してしまった可
ゆうやく
で釉薬や顔料がよく
溶けていない失敗作
で す が、 抹 茶 茶 碗 な
ど の 茶 陶 製 品 が 多 く、
滋賀県高島市新旭町北畑565番地
発行▼ 高島市
編集▼ 政策部秘書広報課
〒520 1592
今月の特集では、総合戦
略で取り組んでいる「びわ
湖高島ブランド戦略推進事
業」をご紹介。この事業では、市民の
方自らが記者やカメラマンとなり、高
島市の魅力を取材し、発信していこう
という取り組みをしています。それぞ
れ魅力的な文章や写真でご紹介されて
おり、まだまだ知らない高島市がある
んだと気づかされます。その内容は「高
島の食と人」ホームページでご覧いた
だけますので、ぜひご覧ください。
(S)
0740(25)8000㈹
http://www.city.takashima.lg.jp
[email protected]
地として繁栄した今津で陶器窯の
など八器種がありま
能性も考えられます。
はしぞりわん
す。 大 半 は 焼 成 不 良
のぼりがま
れ・徳利などが日常の必需品とな
しょうせいしつ
昭和 年に今津町日置前で実施
された「茶碗山窯」の発掘調査で
19
が、幅3・5メートル、奥行き1・
きゅうす
民で も 楽 し む こ と の で き る 値 段 に
は、全長 メートル、焼成室が6
18
るな ど 、 焼 物 の 需 要 が 増 大 し た こ
9
日置前に窯を築いた人物や、製
品の流通先などについては、記録
197
2メートルの連房式登窯が発見さ
月号
とな ど が あ げ ら れ ま す 。 た だ 、 旧
6
等が残されていないので明らかに
平成28年
れました。江戸時代の信楽窯跡に
とっくり
どびん
なり、土瓶・急須・湯呑み・火入
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「茶碗山窯」の発掘
こと が 可 能 に な っ た こ と 、 菜 種 や
ようぎょう
はじ め ま す 。 そ の 理 由 は 、 水 簸 と
すいひ
国的 規 模 で 新 規 の 焼 物 が 開 窯 さ れ
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来の 焼 物 の 産 地 だ け で は 、 急 増 す
茶碗山 窯
茶碗山窯の製品