安曇川沿いに走る若狭街道 琵琶湖へ注ぐ水のほぼ 3分の 1 を生 み 出 す 高 島 市 は 県 下 最 大 の 水 源地 域 で す 。 源 流 で 生 ま れ た 豊 か な木 材 は 、 奈 良 や 京 都 の 都 に 運 ば がつ な ぐ 海浜のない京都の人々に珍重さ 塩漬された鯖は、良い塩梅として を通 っ て 、 一 昼 夜 を か け て 運 ば れ ぶ、 若 狭 街 道 が 走 り ま す 。 こ の 道 と唄 わ れ た 若 狭 と 京 都 を 最 短 で 結 ㎞)」 す。 こ の 安 曇 川 の 流 れ に 沿 う よ う れな が ら 北 流 し 、 高 島 市 に 至 り ま は高島七頭の惣領家の居城である 墳が分布し、左岸の饗庭野台地に は、継体天皇の父 彦主人王の陵 墓参考地とされている田中王塚古 す。安曇川右岸の泰山寺野台地に 成し、豊かな田園風景を構成しま て流れを東に変え、高島平野を形 近(朽木陣屋跡)で琵琶湖に向け の領主であった朽木氏の居館付 安曇川の流れは、鎌倉時代から 明治時代の廃藩置県まで朽木一円 生活に息づく安曇川の恵み 元で大切に継承されています。 残り、解説板が設置されるなど地 これらの認定は、水との関わり ある営みが今もなお息づいている りと暮らしの水遺産」の構成要素 れた「琵琶湖とその水辺景観~祈 遺産の第 1号 昨年文化庁により制定された日本 そ の 営 み や 生 活 文 化 が 評 価 さ れ、 これら水との繋がりは、私たち に と っ て は 日 常 的 な 光 景 で す が、 日本遺産第 1号の構成要素に け継がれています。 人々の繋がり」は今でも大切に受 など、安曇川を中心とした「水と れ、 古 く か ら 多 く の 人 々 や 物 資 が 清水山城館跡が築かれるなど、そ など、身近にある生活や文化の重 長が身を隠したと伝わる隠れ岩が この 街 道 を 行 き 交 い ま し た 。 こ の の時々の支配領域から安曇川を眼 要性を改めて私たちに気づかせて れる な ど 、 そ の 繁 栄 の 礎 を 支 え て こと か ら 「 鯖 の 道 」 若 し く は 「 鯖 下に望むことができます。 くれるものです。 も も い 川上 流 や 京 都 市 左 京 区 の 百 井 峠 を 水源 に 比 良 山 地 と 丹 波 高 地 に 挟 ま に「 京 は 遠 て も 一 八 里 ( 約 あんばい この若狭街道は、戦国時代には、 織田 信 長 が 北 陸 の 朝 倉 氏 討 伐 の 際 72 の 一 つ と し て、 「重要文化的景観 針江・霜降の水辺景観」が含ま れています (※ 2) 。 滋賀県高島市新旭町北畑565番地 観光振興課 ( 25) 8040 38 2016. 5月号 安曇川のヤナ漁のようす きま し た 。 街道 」 と も 呼 ば れ て い ま す 。 そして安曇川からの伏流水は湧 き出て、「かばた」 (かわと)とし 〒520 1592 18 問 4月(5月号)から広報作成 に関わることになりました。正 直に言いますとこれほどじっく り端から端まで読んだ事もあり ませんでしたし、これほど手間がかかって いるという事にも考えが及んでいませんで した。取材・写真撮影・記事作成・校正な ど初めての経験ばかりで苦労続きでした が、成果物が完成に近づくと何とも言えな い達成感で一杯です。締切に追われる日々 が続くことになりそうですが、高島市のさ まざまな出来事を市民の方に知っていただ けるよう、情報収集・情報発信を頑張って 行きたいと思います。(H) 0740(25)8000㈹ http://www.city.takashima.lg.jp [email protected] ※ 1 平成 年度の初の認定には全国 からの 件の応募のうち、 件が初の 認定となりました。 ※ 2 高島市内からは、 3つの重要文 化的景観のほか、白鬚神社、シコブチ 信仰が構成要素に含まれています。 27 発行▼ 高島市 編集▼ 政策部秘書広報課 83 中 で も 湖 西 地 域 最 大 の 流 域 面 積 を誇 る 安 曇 川 は 、 朽 木 生 杉 の 針 畑 に、 湖 北 の 浅 井 氏 の 裏 切 り に よ り て、 今 の 生 活 に 息 づ く と と も に、 からがら 5 (※ 1)と し て 認 定 さ 窮地に追い込まれ、命辛々、都へ 全国シェア 9割を誇る扇骨は、か 平成28年 ひ こ う し お う 逃げ る 際 に も 利 用 さ れ ま し た 。 現 つては安曇川の竹材が利用される 196 在、 朽 木 三 ツ 石 に は 、 こ の 時 に 信 月号 137
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