38頁 - 高島市

安曇川沿いに走る若狭街道
琵琶湖へ注ぐ水のほぼ 3分の 1
を生 み 出 す 高 島 市 は 県 下 最 大 の 水
源地 域 で す 。 源 流 で 生 ま れ た 豊 か
な木 材 は 、 奈 良 や 京 都 の 都 に 運 ば
がつ な ぐ
海浜のない京都の人々に珍重さ
塩漬された鯖は、良い塩梅として
を通 っ て 、 一 昼 夜 を か け て 運 ば れ
ぶ、 若 狭 街 道 が 走 り ま す 。 こ の 道
と唄 わ れ た 若 狭 と 京 都 を 最 短 で 結
㎞)」
す。 こ の 安 曇 川 の 流 れ に 沿 う よ う
れな が ら 北 流 し 、 高 島 市 に 至 り ま
は高島七頭の惣領家の居城である
墳が分布し、左岸の饗庭野台地に
は、継体天皇の父 彦主人王の陵
墓参考地とされている田中王塚古
す。安曇川右岸の泰山寺野台地に
成し、豊かな田園風景を構成しま
て流れを東に変え、高島平野を形
近(朽木陣屋跡)で琵琶湖に向け
の領主であった朽木氏の居館付
安曇川の流れは、鎌倉時代から
明治時代の廃藩置県まで朽木一円
生活に息づく安曇川の恵み
元で大切に継承されています。
残り、解説板が設置されるなど地
これらの認定は、水との関わり
ある営みが今もなお息づいている
りと暮らしの水遺産」の構成要素
れた「琵琶湖とその水辺景観~祈
遺産の第 1号
昨年文化庁により制定された日本
そ の 営 み や 生 活 文 化 が 評 価 さ れ、
これら水との繋がりは、私たち
に と っ て は 日 常 的 な 光 景 で す が、
日本遺産第 1号の構成要素に
け継がれています。
人々の繋がり」は今でも大切に受
など、安曇川を中心とした「水と
れ、 古 く か ら 多 く の 人 々 や 物 資 が
清水山城館跡が築かれるなど、そ
など、身近にある生活や文化の重
長が身を隠したと伝わる隠れ岩が
この 街 道 を 行 き 交 い ま し た 。 こ の
の時々の支配領域から安曇川を眼
要性を改めて私たちに気づかせて
れる な ど 、 そ の 繁 栄 の 礎 を 支 え て
こと か ら 「 鯖 の 道 」 若 し く は 「 鯖
下に望むことができます。
くれるものです。
も も い
川上 流 や 京 都 市 左 京 区 の 百 井 峠 を
水源 に 比 良 山 地 と 丹 波 高 地 に 挟 ま
に「 京 は 遠 て も 一 八 里 ( 約
あんばい
この若狭街道は、戦国時代には、
織田 信 長 が 北 陸 の 朝 倉 氏 討 伐 の 際
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の 一 つ と し て、
「重要文化的景観
針江・霜降の水辺景観」が含ま
れています (※ 2)
。
滋賀県高島市新旭町北畑565番地
観光振興課
( 25) 8040
38
2016. 5月号
安曇川のヤナ漁のようす
きま し た 。
街道 」 と も 呼 ば れ て い ま す 。
そして安曇川からの伏流水は湧
き出て、「かばた」
(かわと)とし
〒520 1592
18
問
4月(5月号)から広報作成
に関わることになりました。正
直に言いますとこれほどじっく
り端から端まで読んだ事もあり
ませんでしたし、これほど手間がかかって
いるという事にも考えが及んでいませんで
した。取材・写真撮影・記事作成・校正な
ど初めての経験ばかりで苦労続きでした
が、成果物が完成に近づくと何とも言えな
い達成感で一杯です。締切に追われる日々
が続くことになりそうですが、高島市のさ
まざまな出来事を市民の方に知っていただ
けるよう、情報収集・情報発信を頑張って
行きたいと思います。(H)
0740(25)8000㈹
http://www.city.takashima.lg.jp
[email protected]
※ 1 平成 年度の初の認定には全国
からの 件の応募のうち、 件が初の
認定となりました。
※ 2 高島市内からは、 3つの重要文
化的景観のほか、白鬚神社、シコブチ
信仰が構成要素に含まれています。
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発行▼ 高島市
編集▼ 政策部秘書広報課
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中 で も 湖 西 地 域 最 大 の 流 域 面 積
を誇 る 安 曇 川 は 、 朽 木 生 杉 の 針 畑
に、 湖 北 の 浅 井 氏 の 裏 切 り に よ り
て、 今 の 生 活 に 息 づ く と と も に、
からがら
5
(※ 1)と し て 認 定 さ
窮地に追い込まれ、命辛々、都へ
全国シェア 9割を誇る扇骨は、か
平成28年
ひ こ う し お う
逃げ る 際 に も 利 用 さ れ ま し た 。 現
つては安曇川の竹材が利用される
196
在、 朽 木 三 ツ 石 に は 、 こ の 時 に 信
月号
137