下 花 貝 遺 跡 最 新 情 報

 発掘調査による新成果
下花貝遺跡 の
きけい
の形(器形)がわかるぐらい残り
がよいものや大きな破片があった
こ と か ら、 古 墳 時 代( 現 在 か ら
1400年から1500年前)の
あみ
も の と わ か り ま し た。 こ の 他 に、
ど
せき
魚とりに使用する網に結び付けて
にありました。この建物の柱位置
炉については写真の四角形の部分
今後、図面や出土遺物の資料の
整理を進めていくことで、下花貝
知る資料が見られました。
最新情報
竪穴建物に残る炉の跡
については、両側から2つずつ柱
遺跡の様相が明らかになっていく
え
き
つきみ
文化財課
(32)4467
36
2016.11 月号
「 高 島 市 歴 史 散 歩 № 1 4 0」 で
は、JR新旭駅周辺に所在する下
花貝 遺 跡 と 堀 川 遺 跡 の 調 査 成 果 を
紹介 し ま し た 。 今 回 は 、 平 成 年
いた「土すい・石すい」の出土が
これらの遺構のうち竪穴建物の
形状については、炭混じりの砂質
(◎の部分)が近接して見つかっ
あり、古墳時代の食生活の様子を
る 場 所 を 対 象 に 実 施 し た 調 査 で、
土が方形状に見られました。この
ています。今後、類例から柱構造
地 表 面 か ら 下 へ 約 1m か ら 1・5
建物は、新しい時期の溝で切断さ
を 検 討 し て い き た い と 思 い ま す。
す
からは、煮炊き跡が残る土師器の
「 か め 」 や 須 恵 器 の「 坏 身 」 が 出
土しました。
遺物から分かる食生活
物については、土師
次に出土遺
たかつき
器(かめ・高坏)
、須恵器(坏身・
か め・ は そ う )
、 瀬 戸 美 濃( 天 目
茶碗)
、 信 楽( す り 鉢 ) な ど が あ
りました。これら遺物のほとんど
は、破片で出土しました。その一
方、先ほど紹介した竪穴建物から
0740(25)8000㈹
http://www.city.takashima.lg.jp
[email protected]
出土した土師器や須恵器は、土器
滋賀県高島市新旭町北畑565番地
10 月 は 市 内 各 地 で イ ベ ン
トが多数開催されており、取
材として「Blue Green Fes」
と「2016 びわ湖高島栗マラソン」の会
場を訪れました。両イベントとも天候に
恵まれ、各地で市外から来られた方が楽
しそうに過ごされている様子を見かけま
した。高島には山あり、川あり、湖あり、
メタセコイア並木あり、トレイルコース
ありと、本当に魅力的な自然が揃ってい
ます。これらの魅力をみなさんと一緒に
市内外へ発信できるように、これからも
広報担当頑張ります!(H)
ほったてばしら
←柱穴
たてあな
202
今 回 の 調 査 は 、 市 役 所 南 側 で 道
路改 良 事 業 に 伴 い 道 路 が 拡 幅 さ れ
m の深さまで掘り下げたところか
れていましたが、炭混じりと焼け
この写真の隣からも竪穴建物を確
←炉の跡
と考えます。
ら、竪穴建物、堀立柱建物、柱穴、
土の所があることから、この場所
ろ
月号
11
じ き
土坑(柱穴よりも大きな穴の跡)、
竪穴建物
平成28年
は
認できました。この建物内の土坑
〒520 1592
発行▼ 高島市
編集▼ 政策部秘書広報課
出土遺物
が 炉 の 跡 で あ る と わ か り ま し た。
貝遺 跡 の 最 新 情 報 を 報 告 し ま す 。
5月 か ら 発 堀 調 査 を 実 施 し た 下 花
28
溝な ど の 遺 構 を 確 認 し ま し た 。
←柱穴
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