博士学位請求論文要旨

博士学位請求論文要旨
【論文題目】武則天仏教政策の新研究
【氏名】黄海静
【所属】中央大学大学院文学研究科東洋史学専攻博士課程後期課程
1.論文主題・当該研究分野における位置づけ
本稿は、中国史上で唯一の女帝とされている武則天の仏教政策の実態を新たな観点から
考察することで、筆者は、武則天が仏教を政策に利用した理由の一つは、寺院の経済力を政
治に利用しようとする側面があったのではないかという点を明らかにしようとするもので
ある。武則天は、唐の第三代皇帝高宗の皇后であり、顕慶年間以降は、高宗が風疾で苦しん
でいた理由により、政治は武則天に委ねられた。武則天は載初元年唐に代わって、国号を周
に改めた。そして、翌年、唐初からの道教を仏教の上に置く宗教政策を、仏教を上に置く宗
教政策に変更したとされている。
武則天の仏教政策について考察する先行学説は、主に武則天が政権奪取の正当性・政
権維持の為に仏教思想を利用した面に焦点を当ててきたものがほとんどであると言えよう。
さらに、武則天が政権奪取の正当性を主張するために仏教を利用したとするそれらの先行
研究では、武則天の支配を正当づけした仏典として、
『大雲経』
(『大雲経疏』)や『宝雨経』
といった仏典に分析の比重が置かれてきた。このように、従来の武則天政権が仏教を利用し
たことについて論じる研究を整理するのならば、思想・信仰の観点から考察のみに比重がお
かれていた傾向があり、仏教の思想・信仰と政治に対する影響力の面に比重を置いて考察が
なされてきているようである。しかし、武則天の仏教政策を論じる際に、筆者は、思想面
の影響力を考察するだけでは不十分であり、更に他の理由について検証をすべきであると
考えるものである。
筆者は、武則天が当時社会に対する影響力も強く、深く民心を得ていた三階教の中核をな
す長安の莫大な銭財が集まっていた化度寺の無尽蔵を国家の訳経事業で中心的な役割を果
たした重要な寺院である大福先寺に転移しようとしたことは、武則天期の仏教と政治の関
係を考える上で、新たな一側面を示唆するものとなろう。筆者は、このように武則天が政治
に仏教を利用した理由は、従来先行学説が中心に論じてきた仏教を用いての政権簒奪の正
統性の付与という側面に加えて、寺院の経済力及び社会に対する実利的な影響力の掌握に
も強い狙いがあったという点を指摘すべきものと考えるものである。そして、こうした観点
からの考察は、武則天の仏教政策の実態の一側面を明らかにする上で有効な方法となるも
のと信じるものである。
2.論文の構成
[目次]
序章
第一章 国家による「訳場列位」より見た太宗―武周期の訳経事業と登場する寺院
1
第二章 「写経列位」より見た高宗期の国家の写経事業
第三章 武則天期の仏教政策における太原寺の役割
第四章 「訳場列位」より見た武周期の国家主導の訳経事業と登場する官僚及び仏教教団
終章
参考文献
本稿では、第一章 国家による「訳場列位」より見た太宗―武周期の訳経事業と登場する
寺院、第二章 「写経列位」より見た高宗期の国家の写経事業、第三章 武則天期の仏教政
策における太原寺の役割、第四章 「訳場列位」より見た武周期の国家主導の訳経事業と登
場する官僚及び仏教教団という四章構成である。各章の概要を以下に示すことにする。
第一章においては、
「訳場列位」といった史料より、太宗―武周期の国家の訳経事業に登
場する寺院の特色について概観した。こうした史料による限りでは、各時期の訳経事業にお
いて中心的な役割を果たした寺院は、太宗期には長安の弘福寺と大總持寺であったが、高宗
期には大慈恩寺と西明寺に移るのではあるが、長安の寺院であった。ところが、武周期にな
ると、訳経事業における中心は大福先寺・仏授記寺・大周西寺という洛陽の二寺院と長安の
一寺院に移り変わっていくのである。中でも先に掲げた武周期の「訳場列位」の史料中にみ
える寺院の登場回数では、大福先寺(東太原寺)が最も頻繁に登場するという現象が見られ
るのである。
第二章では、「写経列位」より高宗期の国家の写経事業について考察した。その結果、
これらの史料による限りにおいては、高宗期の国家の写経事業に登場する寺院はすべて長
安にあり、中でもこの時期に登場する数が特に多いのは太原寺であったことを明らかにし
た。このことは高宗期の写経事業における太原寺の重要性を示すものと言えよう。高宗期の
宮廷写経の写本と見なされている『妙法蓮華経』
・
『金剛般若波羅蜜経』の写本は、敦煌遺書
中に数十点現存する。
「写経列位」の史料として取り上げられてこなかったロシア科学アカ
デミー東洋写本研究所に所蔵される Д x.04930 という番号を付された写本の断片が、高宗
期の宮廷写経の仏典写本の『妙法蓮華経』と『金剛般若波羅蜜経』の奥書の書式とほぼ同じ
ものであることを明らかにした。また、当該の断片に登場する実際寺の僧懐惲という人物に
着目し、この時期の宮廷写経において重要な役割を果たしていたと考えられる太原寺は、武
則天と密接な関係を持つ寺院であり、このことに加え、武則天が政治に関与し始めたのが、
高宗期の顕慶年間より以降のことであることなどを踏まえる時、同時期の写経事業が、武則
天の仏教と政策との関係を考える際に注目すべき事業であったことを指摘した。
第三章では、武則天の国家の仏教事業で中心的な役割を果たした長安の太原寺と洛陽の
太原寺について考察した。その結果、東太原寺の存在は、先に建立された西太原寺を基に後
から建立されたものと考えることができる。武則天が政治拠点を洛陽に移す際に、高宗期に
写経という国家事業において重要な役割を果たしていた長安の太原寺に対し、後に東太原
寺を洛陽に建立したことは、武則天が政治に関与し始めた高宗期の仏教事業で重要な役割
を果たした長安の太原寺を洛陽に移す意図があったことを推測せしめるものであろう。さ
らに、このことは、そもそも西太原寺が武則天の仏教政策の一環として建立され、その後、
武則天の訳経事業において東西両太原寺が仏教政策において重要な役割を果たしていく契
機となったことを意味するものとして注目すべきであると考えるものである。
2
第四章では、
「訳場列位」などの史料中に見える武周期の国家主導の訳経事業と登場する
官僚及び仏教教団について整理しつつ考察を加えてみた。また、
「訳場列位」より看取さ
れる仏教教(集)団の中に、官僚である賈膺福という人物が集中的に登場していることに注
目すべきであることを指摘した。この人物は、武則天の仏教と政治の関係について考察す
る際、従来ほとんど注目されてこなかったが、彼が武則天の訳経事業において活躍したの
みではなく、武則天が天下諸州に置いた大雲寺の一つ、河内(懐州)大雲寺の碑文を撰し且
つ揮毫した人物でもあることや同時に、三階教とも密接な関わりを持っており、武則天の
政治と仏教との関わりにおいて重要な役割を果たした官僚として注目すべきであると考え
るものである。
また、
『両京新記』巻三等にみえる無尽蔵をめぐる記述は、三階教の化度寺無尽蔵が持っ
ている経済力の掌握と三階教の社会・民衆に対する影響力の掌握という武則天政権による
仏教利用の一側面を窺知せしめるものと言えよう。そして同時に、武則天期の仏教と政治の
関係を考える上で、新たな一側面を示唆するものとなろう。筆者は、このように武則天が政
治に仏教を利用した理由が、従来先行学説が中心に論じてきた仏教思想を用いての政権簒
奪の正統性を付与したという面に加えて、寺院の経済力及び社会に対する実利的な影響力
の掌握にも強い狙いがあったという点を指摘すべきものと考えるものである。
3.論文の独自性
本稿の独自性については、以下のような点をあげられよう。
①武則天の仏教政策の実態を新たな観点から考察する点
②「写経列位」の多くは先学によって整理、研究されてきたものの、武則天の仏教政策を考
察する際の史料として用いられることはほとんどなかった。管見の限りでは、「写経列位」
の史料として取り上げられたことはなかったロシア科学アカデミー東洋写本研究所に所蔵
される Д x.04930 という番号を付された写本の断片についての考察
③武則天の仏教政策における重要な役割を果たした太原寺に注目する点
④従来あまり検証されてこなかった武則天期の国家の仏教事業において中心的な役割を担
った仏教教(集)団(武則天の仏教と政治の関係について考察する際、従来ほとんど注目され
てこなかった賈膺福という人物を含む)というものの実態と政治との関係を明らかにしつ
つ点
4.今後の課題
武則天期における仏教界の経済的な状況を示す直接史料はあまり現存していないが、唐
後期の寺院経済に関する史料は豊富なため、後期の寺院経済についてはこれまでも研究対
象として考察されてきている。唐後期になると、寺院は財源を確保する様々な方法を用
い、土地の購入・寺院による商業的経営や寺院の貸借経営などによって、さらに莫大な
財力を蓄えるようになる。本稿では明らかにできなかったが、今後は唐後期の寺院経済に
関する史料を参考にしつつ、武則天の前後の時期の寺院経済を示す史料と併せることで、武
則天期の寺院経済について更なる考察を進めていきたいと考えている。
また、唐初、武則天の仏教優遇政策で大量の寺院や仏像が建立されたため、仏教はますま
す盛んになり、それに伴って、寺院経済も発達し蓄財が促された。これは、武則天期頃の寺
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院の蓄財が僧侶の世俗化・堕落が顕著となっていたことを推測せしめるものではないだろ
うか。これらのことを踏まえながら、今後は、武則天期の仏教の寺院経済の側面と政策の面
をさらに明らかにしていきたいと考えている。
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