■サンデーモーニング HIDAKA ■ 寮の朝は小鳥のさえずりが目覚まし代わりである。 毎朝3年愛知女子がコンディショニング・トレーニングの体操をしているのだが、現在 は2月に手術した靱帯の怪我のため休養中である。朝から活動する者がいないと、本当に 静かな朝である。 それでも、朝食時間になると何名かの者が食堂にやって来た。昨日、入寮した1年生も いる。1年埼玉女子と1年足立区女子は、女子のテーブルに着き和気藹々といった体で食 事をしている。1年横浜保土ヶ谷男子と1年函館男子、1年横浜中区男子も固まってテー ブルに着いている。 2年板橋区女子が食事を終え、食器を下げようと立ち上がり、そのままツカツカと1年 函館男子のもとに近づいた。 「こんにちわ」 「???コ、コン、ニチ、ワ」 「私、2年の板橋区女子と云います。よろしく」 「あ、どうも……」 まさかこんなところで、お友達になりましょ うと声をかけるわけでもないだろうに、いった い何?と思っていたら、 「食堂では、携帯電話の使用は禁止だから。憶えておいてね」 と優しく注意をするではないか。見ると確かに、1年函館男子の手にはスマホが握られて いる。 この出来事には感動した。 1年函館男子はルールを知らなかっただけである。だから、ここではこうしたルールだ よと知らせてあげれば事が済む。往々にして、上級生が「こうしたルールだ!」と上から ガツンと言い放つと、云われた方は「そんな云い方をすることはないだろう」と互いの感 情がぶつかり、揉めることがある。双方には双方なりの正義があるので、話がややこしい。 それがどうだ2年板橋区女子、「憶えておいてね」と云って相手の行動変容を促した。 全国で懲戒処分を受けた体罰教師に教えたくなるような、見事な指導の仕方ではないか。 教えられた1年函館男子も、そうだったのかと理解し、すぐにスマホをポケットに収めた から何の問題も起こらない。 これからの寮生活においても、すべからくこのように自治されることを望みたい。 結局、この日の朝食には半数以上の生徒が姿を見せなかった。生活習慣をセルフコント ロール出来ない者は、決してエグゼクティブにはなれない。世のエクセレント・マネージ ャー達は、ジムで体を鍛えたり独自のルーティンを定めるなど例外なく自分の24時間を 自己管理しているではないか。 生活が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変 わる、運命が変われば人生が変わる。 誰の名言だったかは思い出せないが、自己管理できることが自律への一歩である。その 最も身近なトレーニング法が、「早寝早起き朝ごはん」である。 時間が自由に使える休日こそ、自分をコントロールすべきである。 9時を過ぎると昨日入寮した新入生達が、新しい生活用品をそろえるために外出をはじ めた。 「何か困ったことはありませんでしたか?」 玄関前に1年埼玉女子とお母さんがいたので声をかけた。 「これから自転車を買いに行くンですけど、どういった物が良いのでしょうか?」 お母さんに聞かれたが、さてどう答えてよいものやら。 「一寸、お待ちください。今、先輩の生徒に聞いてきますから」 そう云って、2年中央区女子のところへ走った。 「2年中央区女子、いるか!」 部屋の扉をノックすると、ゆっくりと返事が返ってきた。 「なンすか?」 「おお、いた。一寸教えてくれ。今、新入生のお母さんにどんな自転車を購入したらよい か尋ねられたのだが、愚輩では分からん。助けてくれ」 「分かりヤした。今、行きます」 そう云って、玄関まで来てくれた。 「あー、基本、フツーのママチャリでも全然問題ないンすけど、坂があるので変速器付き の自転車の方が良いかもしれないデス。あと、部活に入るンなら、トレーニングでも使 うので変速器付きじゃないとキツイかもしれないデスね」 「皆さんはどうしてるのかしら?」 「人それぞれですね。先輩のお下がりのママチャリを乗ってる人もいますし、自分はスキ ー部に入ってるンで、トレーニングできる変速器付きのを使っています」 「わかりました。どうもありがとう」 「いえ、また何か分かンない事があったら聞いてください」 「ありがとう」 「ウス」 言葉は乙女っぽくないが、2年中央区女子は頼りになる奴である。 「あのう、自転車はどこに行ったら売ってるのかしら?」 1年埼玉女子のお母さんは、今度は2年中央区女子というよりも玄関にいる我々全員に 向かって尋ねてきた。玄関には、いつの間にか2年調布男子と2年木更津男子もいた。朝 食も摂らずに先ほどまで寝ていたのか、二人とも眠そうな表情にも見える。 「杉原商会じゃネ?」 2年調布男子が答えた。 「杉原商会?どこかしら、そのお店は?」 「あ、寮、出て左に登って行ったらすぐ分かります」 と、こちらは2年木更津男子。 「でも、日曜日に店、営業していないンじゃないかな。一寸待ってよ、今、電話して聞い てあげるから」 舎監室の窓から首を出し、サンデー舎監のNさんが気を利かせてくれる。 「スイマセン、みなさん」 「イエ。大丈夫スよ」 2年調布男子が、気にしないでくださいとばかりに応えたが、そこは愚輩が応じる場面 ではなかったか。この場面において、愚輩はまったく何の役にも立っていない。少し罪悪 感が芽生えた。 「オッケー。やっぱり日曜日は休みだったけど、今、行けばお店開けて対応してくれるそ うだよ」 Nさんが、窓からOKサインを見せた。 「じゃあ、行ってみます。お昼は何時まで戻れば良いのですか?」 「11時55分からス」 2年中央区女子は最後まで面倒見がよい。 「分かりました。それじゃあ、行ってきます」 「はい、はい、どうも。気を付けて行ってきてください」 Nさんに送り出され、1年埼玉女子親子は出かけていった。 「今日の、昼食のメニューって何だったっけ?」 親子を見送りながら、2年調布男子が呟いた。 「確か……ガラパゴスごはんってメニュー表には書いてあった」 愚輩が応えると、2年調布男子は愚輩の顔を見て 「?コーチョー、今、何て云ったの?」 「ガラパゴス……ごはん?」 「それって、ガパオライスのこと?」 「あ!それだ!それ、それ。ガパオライス」 「アハハハハ、『ガラパゴスごはん』だって。何、それって思っちゃった」 くそッ!腹を抱えて笑われた。だって、我が家の食卓にタイ料理が登場することなどこ れまで殆ど無い。そんなおしゃれな料理があることすら知らなかった。調布市では馴染み の料理かもしれないが、少なくとも愚輩の半径2メートル内に、ガパオライスなんて存在 していない。 そもそも2年調布男子は、愚輩も知らないトレンディ料理をどうして知っているのか。 思い当たる節がある。昨夜のことだ。就寝時間もとっくに過ぎた丑三つ時、2年調布男子 の部屋からひそひそ声が聞こえていた。 「バルセロナ、バルセロナ。うん、……うん。シンガポール?いや、ボストンくらいまで 行けるんじゃない?」 この会話らしき呟きをどう捉えるか。深夜、部屋には2年調布男子ひとりしかいないは ずである。愚輩の推理は、国際諜報活動つまりスパイである。2年調布男子は日高高校生 になりすまし、実は某国の諜報機関と夜な夜な連絡を交わしているのではないか。だから、 外国の食べ物にも精通している。我ながら、完璧な推理である。小説にして松本清張賞に 応募したいくらいだ。 念のため隣にいた2年木更津男子に 「君はガパオライスって知ってた?」 と聞いたら 「はい。知ってます」 あっさり答えられたので、愚輩の松本清張賞受賞の夢は砕けた。思わず下唇が突き出て しまった。 2年調布男子に何をしていたのかと真相を尋ねたところ、2年地元日高男子と通信によ るゲームを行っていたということだった。しかし、愚輩はまだ正直100%2年調布男子 の言葉を信用してはいない。2年日高男子も某国の諜報員である可能性だって棄てきれな いではないか。007ジェームス・ボンド、ミッション・インポッシブルのイーサン・ハ ントである。 ―――これが、今年度最初の寮における日曜日の朝の出来事である。 愚輩が寮の生徒達と時間を共有したのは、たかだか数時間である。それでも、こんなに ドラマチックな出来事が起きている。小さな日常の至る所に、感動の種はころがっている ものだ。気付かなければ、見落とすような小さな種に気付いた時、我々の心は間違いなく 豊かになる。 今年度もそうした感動を、生徒達と笑いながら共有していきたいと想っている。
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