小林先生の講話から

小林先生の講話から
反省する部分あり,その通りであると共感する部分あり,なるほどそうかと驚いた部分ありと3時
間あまりの例会があっという間に終わった講話だった。
反省する部分とは,アクティブラーニングを佐藤学先生の寄稿文や中教審答申にある内容で分かっ
たつもりになっていたことだ。自分にとってアクティブラーニングはどうでもよいことであったのだ
が,とりあえず学びの共同体としての学校づくりの一環として,学び合う学びとほぼ同じように捉え
実践していけばよいと考えていた。小林先生の言葉を借りれば「学び合う授業文化ができていないと,
アクティブラーニングは成立しない。」からです。しかし,そうは言っても,様々な考え方がある中
で,最も実践するに値するものはどれかと考えを巡らしていく必要がありそうだ。
共感部分はほとんどを占める。
「質の高い学びは時に実践の大きな壁にもなること。」
「人間は言葉で思考するのだから,その言葉のありようが思考の壁を生んでしまう。」
「教育はわずかな違いが年月を経ていくことで大きな違いになってしまう。」
「学び合いは,実感のある”真の理解・深い理解”を求めて行うもの。だから,ディープ・アクティ
ブラーニングなのである。」
「子どもが”学びたい!”を創るのが子ども中心の授業である。」
なるほどそうかと驚きのあった部分は,校内研修の外部講師として「先生たちが何をやりたいのか。
どんなことを知りたいのか。」「何に困っているのか。」を聞くことに配慮したことに,自分もそうで
なければいけないと思ったこと。ただ,学校としての文化的下地がある程度できていないと難しいこ
とでもあると思う。
視聴した授業ビデオは一般の小学校4年生の学習の姿をはるかに超えたものだった。最初は信じら
れない気持ちだったが,授業デザインや授業者の働きかけによってここまで高い学びが可能になると
いう見本だった。このような授業を創造していくためには,
「コの字型机配置やグループ活動は徹底した。」
「板書はどんどん書くべき。」
「(教師が)授業が楽しくて,おもしろくて仕方ないと言えるようになる。」
「共感的に聴くだけでなく,クリティカルに聴く見本を教師が示す。」
「どういう意味?それどういうこと?」等々
特に,
「授業の終わり3分で必ず振り返りを書かせる。」
これは今まで表現の共有として実践されている部分だが,実はこの部分を成立させるのが非常に難し
い。大体の授業において最初の導入や特に授業者の説明によって時間が消費され,その結果として授
業が尻切れで終わってしまう。だから,よほどの授業デザインをして臨機応変にデザインを変えてい
くような授業にしていかないと,全く振り返りのない授業だらけになってしまう。もしかすると,こ
の振り返りが機能するようになると,子どもの学びは飛躍的に伸びていくのではないか。これは,小
林先生の考え方であるが,授業の最も弱い部分を機能させることが学力向上には欠かせないものなの
だと思う。
そこで,最後の3分をいかに生み出すかという工夫をしなければならない。当然,やるべきことは
見えてくる。反省的な学びとは表現の共有を指すものだが,発言だけでなく,書かせることで自分の
言葉でまとめるようにする。最初はなかなか書けないが,しっかりと視点を与え,今日の授業で学ん
だこと,分からなかったこと,疑問に思うこと,追究したいことなどを書かせる。もちろん分かった
ことを書くのもよいが,それが前面に出てしまうと自信を失う子どもも出てくることを理解しなけれ
ばならない。
「学び合いでは,よく高い課題(ジャンプの課題)が話題になるが,そういう課題だとみんな分から
ないから,誰もが分からないと言いやすくなる。そうなれば分からない恥ずかしさは消えていく。」
「ジャンプの学びは1/3できればいい。それでも必ず3分で振り返りを書かせること。」
「いわゆる分かる授業とは,課題の低い授業のことでもあり,できた人はできない人に教えてあげて
という上下関係をつくり出す危険性がある。」
「分からない子を指名する。まだよく分からない人と聞く。分からないことを言った子がほめられる
ような授業にしないといけない。」
「子どもは自分が分かっていないことを分かっていないことが多い。」
「だから,振り返りで書かせたり,言葉で説明させることが重要になってくる。」
「聴き合い,学び合うことによって,深い理解・真の理解,学ぶよろこびがもてるようになる。」
そのためには,ひとつひとつの精度を上げるように徹底することが大事である。普段から授業を60
~70点レベルに引き上げ,1時間1時間を充実させていくしかない。