仙台近郊泉市の都市化について

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<卒業論文(要旨)>仙台近郊泉市の都市化について
狩野, 光太郎
弘大地理. 11, 1975, p.62-66
1975
http://hdl.handle.net/10129/3595
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http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
仙 台近郊 泉 市の都 市化 につ いて
狩
Ⅰ
野
公 太郎
は じめ に
戦後 の大都 市- の人 口集 中は、同時 に市布 地 の拡大 をひ きおこし、そ の結果 、都 市周辺地域 の都
市化 を一層促 進す る こととそ った。 近年、 この ような^ ロの ドーナッツ化現 象に伴 う都市近郊 の都
市化 は、大都市 のみ在 らず地方諸都 市 において も頭在化 して きつつ ある.そ こで葦者 は 、地方二
郡市
仙 台 の近郊 において変貌 の著 しい泉市 を取 b上 げ、泉市の都市化 の進行 とそ の性格 を明 らか に しよ
うと試みた。
Ⅱ
泉 市の概況
泉市は宮城県のほぼ 中央に位置 し、南はイ
山台市 に接 してい る. 市の総面積は 145
・
48kl
げで、市城
は一般 に山が ちであ 9-平地は少をいO市の南北 には、標高 100m 前後 のなだ らか を丘陵が東西方
向に発達 し、そ の地質は砂岩 お よび梶岩 ・亜炭 で新第三紀 の堆積物 である.泉市の産 業 の主軸 は、
依 然 と して農業 であ 9、商=業 は あま b振わない. 市南部 に街村 状 に発達す る市街地 を国道 4号線
が 縦断 し、市東端 を仙台バ イパスが走 るを ど道路交通 に恵 まれてい るが、鉄道交通 には全 く恵 まれ
ず 、イ
山台市 との連結は国道 とバ イノ,
'
スに依存せ ざるを得 ない,
O従 って泉市の中心部か らイ
山台の都 心
まで約 占K
nあるが、通勤 に 1時間以上 費やす事 もある。 泉市は昭和 5 0年に七北 田村 と根 白石村 が
合併 して泉村 とを 9、 2年後 の 5 2年に町制 を施行 、その後 4 占年 に市に昇格 してい るo
m 人 口増加 の傾 向
(
1
) 総人 口と団地人 口の関係
泉市 の総人 口の推移 をみ ると (第 1図 )、急激 夜増加傾 向を示す のは昭利 59年以降 であ D、特
に 4 5年以降 におけ る^ ロの増加は激烈を極 めてい る。 48年の人 口増加数は 9525人 に達 し、そ
の人 口増加率は 21
.
4帝で全 国第 1位 で ある。 この ことは泉市の人 口増加 が、大都市周辺都市以上
に急激 である ことを意味 してい る. 第 1図で^ 口が最低 を示す のは 55年の 15占52人 であ D、最
.4倍 に増加 した ことに在る.
高 は 49年の 6ロ014人 であるo 従 って人 口は、 この 14年間で 4
総 人 口に占め る団地人 口の比率は 45年 4月 には 50.
8帝であ ったが、 49年 4月 では 7 1
.0多を
占め、年 々団地人 口の比率 は高 ま bつつ あるが、団地以外 の^ ロはほ とん ど増加 してい ない.故 に
団地人 口の増 加が総人 口の増加 を規定 してい る ことは明 らかである。
一 占2-
6001
4
(
2) 学校別児童生徒数
初 めに地区別人 口増減を 4 2年の人 口を 1 0 0とした 4 8年の人 口指数か ら考 察す ると市東部 の
旧七北 田村地区 と市西部 の旧根 白石村 地区では、明 らかにその傾 向に相違が見 られ る.す をわ ち旧
七北 田村 では、野村、七北 田、市名坂、松森、土谷刈のすべての地区が人 口増加 を示 し、最低の野
村地区でさえ指数 1 15である。 また特 に増加の著 しい七北 田、松森地区はそれぞれ 2 7 5、 268
と在 ってい る。 しか しI
E
l
根白石村 では、実沢地区が 10 5で敏 弱を増加を示す ものの他の全ての地
L
Eに軒 をみ渡少 してい るC こ
区では、根 白石地区の 8 9を最高 に して西 田中、刈沢、福岡、小角のI
れは泉市の人 口増加が、増加地区 と減少地区 とを内包 し凌が らア ンバ ランスを形で進行 してい る こ
とを実証す る ものであるo
泉市の児童、生徒数は、それぞれ 4 5年 と 4 5年 に 164 6人、 8 7 0人 と最低 に表句ヒが、以
後増加 に転 じ、 4 8年には児童数 4908人、生徒数は 1641人を数えてい るoところで児童生徒数
が増加に転 じた年度 と総人 口のそれ との間には何年かのギャップが生 じているが、 この理 由 として
は、泉市の学校建設が遅れてい る間仙台市への越境入学者がか夜 bあ ったためである。学校別児童
数の推移 をみると (第 2図 )、やは b地区別人 口増減の傾 向とほ とん ど同様 の傾向を示 しているo
旧七北 田村の小学校の うち、黒松 ・南光台 ・野監小学校は 44年度以降に団地 内に新設された もの
で あD、児童数の増加が激 しho七北 田小学校 も同様であ れ 市内一のマンモス校 と浸 ってい るo
従 って児童数が減少 しているの.
q
i野村小学校だけで ある。 しか し旧根白石村 の福 岡・
・根白石 ・実釈
小学校の児童数は一様 に減少傾向を示 してい る。
- 45-
(
5) 農業人 口の変化
泉市の産業別就業者人 口の うち、第 1次産業人 口は昭利
50年 に 77帝を占めていたが、 45年
には 22〆にまで減少 し、その低下が極 めて著 しい〔泉市の場合 55年以前に払 第 1次産業人 口
偏重の傾向にあ ったが・就業者人 口の増加に伴 って第 2次 ,第 5次産業人 口の伸びが急敦 で、 4 5
年には完全に都市的人 口率の比重が高 くな っている。
専兼 業別農家戸数で払
専業農家数の滅少に対 して第 2種兼業の増加が顕著であ9、 47年の比
率はそれぞれ 7串、 5絹 にな ってい るo農家人 口と農家総数払 特 に 45年以降の淑少が 目立 っ
ているが、 これは米の生産調整 と団地造成の活発化 に よるもの と考え られ るO
Ⅳ 住宅地化の進展
1
(
1
) 住宅E
B地の造成
泉市の住宅財 ヒは計画的を住宅団地の造成に よって進行 してか D、明 らかに仙台市の人 口増加 に
伴 う住宅不足 を解 消す るための もので ある.特 に泉市-の住宅地化が進んだ理由 として払 丘陵地
は最高所で も 1 0 0m ぐらいであれ そ の地質 も砂岩を どで比叡的 やわ らかい こと、仙台都心部ま
で 5- 10Knと近在 してか b・かつ交通至便であ った こと、また丘陵地の地価が安か ったこと夜 ど
に よb住宅地化 された もの と考 え られ るO 従 って住宅団地の分布 は、丘陵地がほ とん どで農地か ら
- 64-
の転用 は相対的に見て少ない。住宅団地 の造成は、討画中の もの も含めると団地数 25,
総面積 は
51
・
58kmF
t夜 D、市総面積の 21
.7弟を占めるほ どである。
住宅団地はその造成毎次 ・分布 表どか ら大体 5時期に区分 できる (第 3図 )0
第 1時期の団地は 40年以前に造成された もので、仙台市北部の丘陵 (泉市南部の丘陵 と同一 )の
団地 と連坦的に、ほぼ同時期 に造成され、仙台市の市街 地 とは連続 してい る。従 って この時期の団
地 は、ほ とん ど南部の丘陵地に分布 してい る。 しか し無秩序 に由発されたため道路 は不規則で狭 く、
最地 はほ とん ど無い夜 ど環境は良 く夜ho第 2時期の団地は 41- 45年にかけて達成された もの
で、主に市北部の丘陵地帯の国道及びバイパス沿いの地域 に飛地的に分布 している. この時期の団
iだ不
地は道路 も規則的であ 9、歳 地 もある程度見 られ るが、医療施設は第 1時期の団地 と同様、T
足 してい る。第 5時期は 46- 49年までの団地 で あD、団地 もか 夜b大型化 して きている0 号た
これ らの団地は、住宅率が 60多位 に在 ってお れ 生活環境 を よb重視 した造成が 夜され てい る。
最後 に現在討画中の団地は、南部丘陵地帯 の国道以西 に連続的に分布 してい る.
団地の分布 を地区別にみ ると、 旧七北 田村地区に集中 してお D,中でも七北 田 ・松森地区への進
出が極めて多い。
(
2) 住宅新薬申請件数
住宅新築の申請は 5 8年度には 5 2 8件 にす ぎなか ったが、 4 8年度には 17 09件に達 し、年
々増加 の一途を辿 ってい る。地区別申請では、旧七北 田村地区の申請が常に総件数の 95弟以上 を
占めてお D、特に七北 田 ・松森地区にかいて扉薯 である。 これは団地 の分布 と一致する ものであるo
V 転入者の前任地 と通勤者 の状況
泉市への転入者数は、 45年度が 5C
I
08^、 48年度が 15098^ とを ってお 9、そ の増加は
-85-
急敦で ある. そ して転入者の前任地の うち 685以上が仙台市か らの転入 であD、仙台市 との密接
性が極 めて強いことを意味 しているo また仙台市を除 く宮城県内か らの転入 よbも、宮城県外か ら
の転入 が多い ことは注目K値するが、県内か らの転入が少ないのは、仙台市の通勤圏の拡大 に よる
もの と思われ、また県外か らの転入が 25歩も占めるのは、田辺氏 (1962年 )の指摘 とは遠 い、
経済 力の向上 に伴 って仙台市内の古い住宅地を指向せず、最初か ら郊外住宅地 を指向するため と考
え られ る。
泉市か らの通勤者数は、 4 5年に 7495人であれ そ の うち 9 2帝以上が仙台市- の通勤者 であ
るか ら、完全に仙台市のベ ッ ドタウンとな っている。
Ⅵ むすぴ
(
1
) 泉市の都 市化は、昭和
50年代後半か ら計画的夜住宅団地の造成に よって進行 してか 9、そ
れ らの団地は、 旧七北 田村 地区の南北丘陵地帯 に集中 しているo
(
2
) 急激を人 口の増加は、ほ とん どが団地^ ロの増加に よるものであ れ 団地以外の人 口は横バ
イ傾 向にあるO
J
(
5) 第 1次産業人 口の低下が著 しく、特 に農業人 口の減少 も目立 ってい る. また、第 2種兼 業農
家の増加 も激 しい.
(
4
) 仙台市 との密接性が極めて強 く、完全にベ ッ トタウン化 してい るo
(
5
) 泉市の人 口増加は、旧七北 田村地区に限 られ、旧根白石村地区は人 口減少が続 いてい るo
従 って泉市においては過疎 と過密が表裏一体 をを して進行 してい るo
最後に、本論文 を作成す るにあた れ 終始御助言、御指導をいただいた横 山 ・水野両先生に深 く
感 謝致 しますO
参考文献
1
. L
]
」
鹿誠次 ( 1960年 ):大都市近郊 の都市化 -東京酉郊 を例 として 一
地学雑誌 719号
2
.
田田辺健一 ( 1962年 ):市街 地の拡大 と人 口移動 との関係 一仙台の例 で
東北地理 14
5
. 奥平忠志 ( 197 0年 ):函舘市近郊亀 田町の変容
東北地理 22
4
. 経済企画庁 ( 1967年 )'
.五万分の-土地分類基本調査 「仙台」図停
- 66-