中性子非弾性散乱法による水和したタンパク 質の動的構造解析

中性子非弾性散乱法による水和したタンパク
質の動的構造解析
Dynamics of hydrated protein studied by neutron inelastic scattering
中川洋
Hiroshi NAKAGAWA
独立行政法人 日本原子力研究開発機構
Independent Administrative Institution Japan Atomic Energy Agency
1.タ ン パ ク 質 の 揺 ら ぎ と 水 和
生 体 内 で 様 々 な 生 理 機 能 を 担 う タ ン パ ク 質 は 、周 囲 の 熱 揺 ら ぎ に さ ら さ れ な
がらその構造を巧みに変化させることで機能を発揮する。タンパク質は通常、
生 理 環 境 で あ る 水 中 で 機 能 し て い る 。水 環 境 に あ る タ ン パ ク 質 の 表 面 に は 水 和
水が存在しており、タンパク質の揺らぎに影響を与えている。水和はタンパク
質 の 安 定 性 や 生 理 機 能 発 現 に 関 連 す る こ と か ら 、タ ン パ ク 質 の 揺 ら ぎ に 対 す る
水和の役割を調べることは重要である。
タ ン パ ク 質 が そ の 機 能 を 発 現 す る た め に は 、「 動 力 学 転 移 」 と 呼 ば れ る 240 K
近傍以上の温度で活性化されるタンパク質の「構造の揺らぎ」が重要であると
言 わ れ て い る 。こ の 揺 ら ぎ は タ ン パ ク 質 が 水 和 す る こ と に よ っ て 生 じ る こ と が
分 か っ て い る が 、こ れ ま で 水 和 状 態 と 揺 ら ぎ の 関 係 に つ い て は 良 く 分 か っ て い
な か っ た 。 そ こ で 核 酸 分 解 酵 素 ス タ フ ィ ロ コ ッ カ ル ヌ ク レ ア ー ゼ ( SNas e ) を
用 い て 、 中 性 子 非 弾 性 散 乱 実 験 を 行 う と と も に 、 分 子 動 力 学 法 (MD)に よ る シ ミ
ュ レ ー シ ョ ン 計 算 を 援 用 し 、タ ン パ ク 質 の 揺 ら ぎ が 水 和 水 の 構 造 や 揺 ら ぎ と ど
の よ う に 関 係 し て い る の か に つ い て 研 究 を 行 っ た [1]。
図 1 は 、中 性 子 非 弾 性 散 乱 実 験 に よ り 得 ら れ た 、タ ン パ ク 質 お よ び 水 和 水 の
揺 ら ぎ の 温 度 依 存 性 で あ る 。高 い 水 和 率 で の み 、240K 以 上 の 温 度 領 域 で 水 和 水
の揺らぎが増大し、タンパク質の動力学転移を誘導されることが分かる。水和
率 を 細 か く 変 え た 実 験 の 結 果 、こ の よ う な タ ン パ ク 質 の 大 き な 構 造 揺 ら ぎ は 水
和 率 が 0.37(g water /g protein)以 上 で 起 き る こ と が 明 ら か に な っ た 。 次 に 、
タンパク質表面における水和水の存在形態の水和率依存性を計算機シミュレ
ー シ ョ ン に よ り 解 析 し た (図 2)。 水 和 率 が 小 さ い 状 態 で は 、 ほ と ん ど の 水 分 子
は、タンパク質表面で他の水からは孤立した状態で配位するが、水和率を増や
し て い く と 、0.37 以 上 の 水 和 率 で 水 分 子 同 士 の 水 素 結 合 が 急 激 に 増 大 し 、タ ン
パク質はかご状に形成された水和水ネットワークによって取り囲まれるよう
に な る こ と が 分 か っ た 。こ れ ら の こ と か ら 水 和 水 が タ ン パ ク 質 表 面 全 体 を 覆 う
ネ ッ ト ワ ー ク を 形 成 し 、そ の 揺 ら ぎ が タ ン パ ク 質 の 機 能 発 現 に 関 わ る 揺 ら ぎ を
誘導すること、すなわち、この水和水のネットワーク形成こそが、タンパク質
の働きに必要な水の本質的役割であることが示された。
2.中 性 子 に よ る タ ン パ ク 質 の 動 態 解 析 の 展 開
以上の研究は、タンパク質の水和に関する構造揺らぎの研究であるが、他に
も 多 く の 研 究 で 中 性 子 が 有 効 に 活 用 で き る と 考 え て い る 。そ の 一 つ に 構 造 の 揺
ら ぎ が 機 能 に 密 接 に 関 わ る 天 然 変 性 タ ン パ ク 質 が 挙 げ ら れ る 。中 性 子 非 弾 性 散
乱法は、中性子の”非干渉性散乱”を利用した測定法であるため、測定対象は
規則的な構造を取っている必要はない。測定対象が規則構造を取っているかど
う か を 問 わ な い と い う 意 味 で 、 中 性 子 非 弾 性 散 乱 法 は X 線 小 角 散 乱 法 (SAXS)と
同 じ く 有 効 で あ る 。S A XS に よ り 観 測 さ れ る 構 造 情 報 は 時 間 平 均 さ れ た 像 で あ る
が、中性子非弾性散乱では、どのような時間スケールで揺らいでいるか?、あ
る 時 間 ス ケ ー ル に お い て ど の く ら い の 空 間 的 広 が り で 揺 ら い で い る か ? 、と い
う こ と を 定 量 的 に 解 析 す る こ と が で き る 。 天 然 変 性 タ ン パ ク 質 の 研 究 に SAXS
実 験 は 有 効 で あ る が 、SAXS に 加 え て 中 性 子 散 乱 に よ る 解 析 を 行 え ば 、よ り 詳 細
な 動 的 構 造 解 析 が 可 能 と な る と 考 え て い る 。 ま た MD 計 算 は 、 中 性 子 散 乱 が 観
測 可 能 な 時 空 間 ス ケ ー ル の ダ イ ナ ミ ク ス を カ バ ー し 、さ ら に 原 子 レ ベ ル の 分 解
能 で 構 造 ダ イ ナ ミ ク ス を 可 視 化 す る こ と が で き る ほ か 、中 性 子 散 乱 デ ー タ を 定
量 的 に 計 算 し や す い と い う 特 長 を 持 つ 。 M D 計 算 と SA XS 実 験 に 加 え 、 中 性 子 非
弾 性 散 乱 実 験 に よ る 解 析 が 相 互 に 結 び つ け ば 、天 然 変 性 タ ン パ ク 質 の 動 的 構 造
解析にさらなる進展が期待できると考えている。
これまで非弾性散乱によるタンパク質の揺らぎ研究は、中性子源である原子
炉 や 加 速 器 が 整 備 さ れ て い る 欧 米 で 進 ん で き た 。 我 が 国 で は 2008 年 度 か ら 、
大 強 度 陽 子 加 速 器 計 画 (J-PARC)が 稼 動 を 開 始 し 、 世 界 最 高 性 能 の パ ル ス 中 性 子
源 が 利 用 可 能 と な っ て い る [2]。” 生 体 分 子 の 動 的 構 造 ” に 着 目 し た 次 世 代 の 生
物物理学・構造生物学研究をリードする実験手法の一つとして、中性子非弾性
散乱は有効になると考えている。
図 1(左) 水和率の違いに
よるタンパク質および水和
水の揺らぎの大きさの温
度依存性の違い。
図 2(右) 計算機シミュレ
ーションによる水和構造の
水和率依存性。灰色はタ
ンパク質表面。水和水の
ネットワークの大きさの順
に、赤、緑、黄、青で示
す。
参考文献
[1] H. Nakagawa and M. Kataoka, “Percolation of Hydration Water as a Control of
Protein Dynamics”, J.Phys.Soc.Jpn. 79, 083801 (2010)
[2] ht tp :/ /j - p arc .j p /